それは、早すぎる『さよなら』。



(以下、『蒼き惑星(ラズライト)』に存在する、とある書物より抜粋)

 ――あれは光と闇、聖と魔、生命と死、起源と終末、調和と対立、それら全てを統(す)べる存在(もの)。

 生み出されし世界。

 全ての滅びを望み続ける存在(もの)。

 輝く光。深き闇。見え隠れする希望。消えることのない絶望。

 己の夢の中に全てを生み出せし存在(もの)。

 生み出されし存在(もの)達、この存在(もの)の夢から決して逃れることは出来ない。

 すなわち――『界王(ワイズマン)悪夢を統べる存在(ナイトメア)』。


○式見蛍サイド

 買い出しは大変だった。
 荷物は僕ひとりで持てる量を大きく超え、マルツにはもちろんのこと、鈴音にまで持ってもらうことになった。

 いや……、だって、なあ。
 なんていうか、反則だろう。1ヶ月前にはこの家に住んでいたのは僕ひとりだったというのに、ユウが同居し、8日前には(僕が言い出したこととはいえ)マルツも同居し、これだけでもまず三人分の食材を買ってくることになっていたのだけれど、なんと今日に至っては、鈴音に先輩、さらには今日の夕方にコンビニで知り合った『界王(ワイズマン)悪夢を統べる存在(ナイトメア)の端末たる存在(もの)のひとり』とか自己紹介したニーナ・ナイトメアという少女の夕食の材料まで用意するハメになったのだ。

 当然買い出しはものすごい量になり、鈴音にまで持ってもらうことになったのだ。
 まあ、それはまだいい。あまりよくはない気もするけど、『死にてぇ』と思うほどの理不尽は感じない。だが――。

「……死にてぇ」

 夕食を作り始めてから僕はそう呟いた。

 いや、だってさ。金銭面でもあまり余裕がないというのに、自分を含めた六人分の夕食を作るってどんなもんだよ?
 さらに言わせてもらうなら、ここはワンルームだぞ? そこに自分を含めて六人も居るってどうなんだ? ひとり暮らししていたときから考えたら六倍の、マルツが来たときから考えたって二倍の人口密度だぞ?
 おかげで暑いったらありゃしない。もうすぐ夏だというのに。おまけに料理をしているものだから、余計に暑い。はぁ、死にてぇ……。

 ユウに鈴音、先輩はニーナとくっちゃべってるしさ。誰かひとりぐらい僕の手伝いをしてくれたってバチはあたらないだろうに。というか、むしろ今のこの状況でこそ女性たちにバチがあたるべきだ。こんなバチをあてる絶好の機会になにをやっているんだ、神様は。

 ちなみにマルツはというと、なんか部屋の隅で縮こまってニーナを恐ろしげに見ている。だというのにニーナはもちろん、談笑している他の女性たちも誰ひとりそんな彼を気にもとめていないようだった。あそこまで怖がっているというのに、だ。いっそマルツが不憫に思えてくる。

 ただ、そこまでニーナを恐れる理由も、正直僕には分からない。
 彼女と話してみると、気さくというかユルいというか、とにかく恐ろしいイメージが湧かないのだ。あるいはユウと似ているところがあるからかもしれない。迷惑かける云々ではなく、雰囲気とか、しゃべるときのスタンスとかが似てるのだ。それも、かなり。

「――で、ボクが『光の戦士(スペリオル・ナイト)』ゲイルに力を貸して、『漆黒の王(ブラック・スター)』を別の世界に飛ばしたんだけどね」

 野菜の炒め物を終えて火を止めると、ニーナのそんな言葉が聞こえてきた。

「そのときに言ってやったことが『漆黒の王(ブラック・スター)』はよほど腹に据えかねたらしくてね。ちなみに『そんなに僕の創った世界がイヤなら、別の王が創った世界に行けばいいじゃないか』みたいなことを言ったんだけど。なにも復讐を誓うまで怒らなくてもいいのにねぇ。どうせボクには敵わないって分かってるんだろうしさ。腹立てるだけムダだよねぇ、ムダ。あははははっ」

 ……そのお前の態度にこそ腹立てたんじゃないだろうか、『漆黒の王(ブラック・スター)』は。おまけに、言うだけじゃなくて、実際に『別の王の創った世界』とやらに飛ばしたって話だし。
 その行動って『漆黒の王(ブラック・スター)』のほうから考えてみれば、ある日、それほどたいした理由もなしに一文無しで家から閉め出され、路頭に迷うことになったということではないだろうか。それをコイツは笑い話にしてるんだから、『漆黒の王(ブラック・スター)』じゃなくても怒りはすると思う。

 まあしかし、『漆黒の王(ブラック・スター)』――魔王と呼ばれるような存在がコイツにどんな理不尽な扱いをされていようと別に僕には関係ないので、僕は特にコメントせずに出来上がった料理をテーブルの上に置いていった。
 すぐにテーブルに集まってくる五人。マルツ、お前ニーナを怖がってなかったか? 食欲の前では些細な問題、ということだろうか。

 ともあれ、僕もテーブルについて夕食をとることにする。……狭いけど。ニーナに訊いておきたいこともあるしな。……狭いことに変わりはないけど。

『いただきます』

 全員の『いただきます』が唱和したあと、そんな理由から僕はニーナに話しかけた。

「それで、夕方コンビニで言ってた『霊王(ソウル・マスター)』ってなんなんだ?」

 なんせ『霊王(ソウル・マスター)』である。成り行きで僕が戦うことになってもちっともおかしくない。まあ、僕がこのことを彼女に訊くのは、対決するときのために、ではなく、対決しなくてもすむようにするために、なのだが。
 やっぱりさ。平和が一番だよ。うん。痛かったり苦しかったりするの、僕は大嫌いだ。

 さて、ニーナの返答は、というと。

「このから揚げ、美味しいね〜♪」

 ……どうやら、聞いていなかったらしい。仕方ないので、僕は再度問うことにした。

「……あのさ、ニーナ。『霊(ソウル)――」

「神族(しんぞく)のひとりだよ。『聖蒼の王(ラズライト)』が創った『神族四天王』の一柱(ひとはしら)。ちなみに名は『霊王(ソウル・マスター)アキシオン』」

 ……どうやら、ちゃんと聞いていたらしい。手間が省けたというのに、なんかビミョーに悔しかった。

 それにしても、神族ねぇ……。つまり神様側の存在なわけだ。幽霊の――悪霊の親玉とかではないわけだ。要するに戦うことにはならないわけだ。ああ、よかった。
 そう考えて僕が気を取り直していると、今度は先輩が質問していた。

「ふむ。『神族四天王』か。つまり他にあと三人――いや、三柱の神がいるわけだな?」

「そうだけど、別にいま知る必要は――というか、キミたちが知る必要はないんじゃない? 神族の力を借りた魔法を使えるわけでなし」

 それはそうだ。知ったところで特にメリットがあるとは思えない。まあ、デメリットもないだろうけど。大体、いまずらずらと『神族四天王』の名前を聞かされたところで、全部覚えきれるかなんてものすごく疑問だ。

 そもそも、そんなことを訊くより、もっと訊くべきことはあるんだから。そう、例えば『なんで霊体物質化能力のことを知っているのか』とか。
 けどまあ、その前にコンビニで助けてもらったお礼を言うのが先か。

 ……えっと、お礼を言う前にひとつ質問しちゃったけどさ。まあ、それに関しては僕の身の安全を確かめておきたかったから、というかなんというか。……いや、ちゃんと自分で分かってるんだよ。ただ単にお礼言うのを忘れていただけだっていうことは。はぁ、死にてぇ……。なんか、お礼より質問を優先した自分がなんとなくイヤになった。

「ありがとな、ニーナ。その、コンビニで……」

 ニーナは一瞬『何のことだか分からない』といった表情をしたが、やがて「ああ」と手を打った。

「気にしなくていいよ。ボクはキミが死んだら困るから助けただけ。まあ、でも――」

 そこでニーナは言葉を切ると、僕に親しみの込もった笑みを向けてくる。

「自分のためにやったことが他人のためにもなったんなら、それも悪くないよね。気分的に」

「……そうだな」

 まったくの同感だった。ニーナの言ったことは、自分本位の果てに行き着く結論のひとつだ。それは僕の考え方とどことなく似ている気がした。
 ただ、ニーナのセリフにはスルーできない言葉も含まれていた。すなわち――。

「僕が死んだらキミが困るって?」

 そこが分からない。どういう意味なのか、分からない。ただ、なにか嫌な予感のする言葉だった。
 そう。その予感は、かつて《中に居る》の話を鈴音から聞いたときに密かに覚えていた――『なにかに巻き込まれる予感』とでもいうか。

 ニーナはどう話したものか考えているのか、ハシを口に当てて虚空に視線を注ぎ始めた。
 やがて考えがまとまったか、視線を僕に戻して口を開く。ちなみに、ハシは野菜炒めへと伸びていた。

「なんて言ったらいいかなぁ……。まあ、単刀直入に言うのが一番かな。……あのね、いま、この世界は歪んでるんだよ。こことはコインの表と裏のような位置関係にある世界『蒼き惑星(ラズライト)』と少し空間が繋がっちゃってる――というか、二つの世界の境界が曖昧になっちゃってるんだ。そう。キミの能力によって生者と死者の境界が曖昧になりつつあるように、ね」

「それって――」

「そして、世界の歪みを引き起こしている存在、歪みの中心となっている人間がキミなんだよ」

 僕はその言葉に思わず絶句した。なぜなら、僕自身も『自分の能力が生者と死者の境界を曖昧にしているのでは』と思ったことがあるからだ。
 正直、自分が世界の歪みの中心かつ原因であることにもかなり驚いたし。
 本当、今日の夕方の一件で僕の周りでなにが変わり、起こり始めたのだろう。

 いや、違うか。なにかが変わり、起こり始めたのは、きっと僕がこの『霊体物質化能力』を身につけたときだ。
 根拠はないけど、なぜか僕にはそんな確信があった。


○マルツ・デラードサイド

 本当のところを言うと、僕はこのとき、頭痛を覚えていた。
 もちろん本当に痛いわけではなく、この頭痛は精神的な――心の持ち様からくるものだ。

 ニーナさんはこう言った。『キミが死んだら困るから助けただけ』だ、と。
 それは裏を返せばこうも取れるのだ。すなわち、『ボクが困らなきゃ、キミのことは見殺しにするつもりだったよ』と。
 皆はこれに気づいていない。真儀瑠先輩ですら、だ。皆、ニーナ・ナイトメアの持つ『少女』の外見に騙されているのだ。
 なんで誰ひとりそれに気づかないのか。ニーナさんが僕も知らなかったケイの能力のことを知っていたことに、なんで誰もなんの不審も抱かないのか。
 僕はそんな理由から頭痛を覚えつつ、しかし腹は減っているので食事は続けながらケイたちの会話を聞いていた。

「そういえば、ニーナ。なんで僕の能力のことを知ってたんだ?」

「うん? ……そりゃあ、ボクはなんでもお見通し?」

「その間と『お見通し?』ってのはなんだよ? まさか、あのときのは単なるカマかけだったのか?」

「失礼な! キミの能力のことはちゃんと知ってたよ! ……半信半疑ではあったけど」

「半信半疑だったのか……」

「うん。……で、キミが死んだら困るっていうのは――」

「いうのは?」

「……まあ、それはもう少し順序立てて説明するよ。それでまずボクのほうから訊きたいんだけど、キミ、『死にたがり』なんだよね?」

「……まあな」

「ああ、やっぱり……。そりゃその能力を持ってるんだから、ボクからすれば充分予想の範囲内ではあったけど、やっぱり面倒なことになりそうだなぁ……」

「おーい。ひとりでブツブツ呟かれてもワケわからないって。ちゃんと説明してくれよ」

「うん。それはいいけどさ。その前にボクからひとつキミに忠告」

「なんだ?」

 そこでニーナさんは少し瞳の色を深くした。瞬間、僕の背筋に震えが走る。

「世界を拒絶しようとする者はね。いつか、世界のほうにその存在を認めてもらえなくなるよ」

「…………」

 黙り込むケイ。それもムリはないだろう。ケイの自殺志願とはつまるところ、この世界に存在することを――世界そのものを拒絶する行為なのだから。

 ニーナさんは自身の発した重い忠告など無かったかのように、話を続ける。

「じゃあ説明するよ。キミには少しショッキングな内容かもしれないけど」

 から揚げをひとつ口に放り込み、ニーナさんは語りだした。


○神無鈴音サイド

 私は口を挟めずにいた。蛍が他の女の子と親しげに話しているのは面白くなかったけれど、なんとなく口を挟んじゃいけない気がしていた。
 そして、ニーナさんが語りだす。

「まず、ひとつ。キミの能力効果範囲のことだけどさ。キミの能力効果範囲って2メートルジャスト、なんだよね?」

「……? ああ」

 訝しげにうなずく蛍。マルツさん以外の他の皆も『なにをいまさら』といった表情をしている。

 けれど、私は違った。表情に出たかどうかはともかく、私はニーナさんの言葉に身を強張らせた。
 なぜなら、わたしはかつて《顔剥ぎ》の事件が解決したあと、姉から同じような質問を受けたからだ。
 結局姉は、思わせぶりなことを言って、会話を中断してしまったのだけれど。

「夕方、コンビニでマルツくんの<呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)>を物質化させたけどさ、そのときに見てたんだよね、ボク。『2メートル範囲に入る前にマルツくんの術が物質化してた』のを。あ、ちなみに物質化したのは、霊王(ソウル・マスター)の――霊力を元にした術だからなんだけどさ」

 なにが言いたいのか、私には分かりつつあった。けれど、そのことのなにが問題だというのだろう。

「少し話が脱線したね。まあ、ボクが言いたいのはさ。キミの能力は2メートル以上の範囲に影響を及ぼし始めているっていうことなんだけど」

「……それが、なんだっていうんだ?」

 私も蛍に同感だ。一体どんな問題があるのか、私にはさっぱり分からない。

「分からないかなぁ……。キミの能力効果範囲は時間が経つとともに拡がってるんだよ? このままじゃいつか、全世界にキミの能力の影響が及ぶことになる。そう、キミが生きている限りは、ね」

 絶句。私はただひたすらに絶句した。

 そうだ。なんで気づかなかったのだろう。もし蛍の能力効果範囲がそこまで拡がったとしたら――いや、仮に日本中程度に留まったとしても、その範囲内にいる悪霊は常に物質化することになるのだ。これが問題でなくてなんだというのだろう。

 ニーナさんの言っていることが本当なら、確かに蛍の存在は問題で、面倒なことだろう。そう考えるのなら、姉が『蛍と仲良くするのは止めておけ』と言っていた理由も理解できる。

 しかし、理解できるからなんだというのだろう。人と人の間にある『情』というものは、そんなことでなくなるものではない。
 いや、そうじゃない、そうじゃない。いま最優先で考えるべきことは――。

「つまり、ニーナさん。あなたは『その問題』が現実になる前に蛍を――殺してしまおうというの?」

 そんなの私は許さない。そんな理由で蛍を見捨てるなんて、私には出来ない。例え――例え彼が自殺志願者でも、だ。

 厳しい視線を向ける私に、しかしニーナさんは肩をすくめて、優しい眼差しを向けてくる。

「落ち着いて、鈴音さん。ボクはいの一番にこう言ったはずだよ。『キミが死んだら困る』って。大体、その後も何度か言ってるし」

 ……あ。そういえば。

「そもそもケイくんのことはボクにもまだ理解しきれていないことが多くてね。まあ、確実に言えるのは、ケイくんが死のうものなら世界の歪みが正されるどころか、彼の中に留まっている歪みは即座に全世界に拡がるだろうってことかな。『式見蛍』という器から飛び出してね」

 な、なるほど。そういう考え方もあるのか……。

「それが僕が死んだら困る理由?」

「まあ、そういうこと。で、いまのことからキミの『死にたがり』に対する仮説も少しばかり立ってね」

 その言葉に思わず私は身を乗り出した。

「え!? ホントに?」

「うん。ボクが思うに、ケイくんの自殺願望は誰かが――この世界の上位存在が仕組んだものなんじゃないかな。正直、そう考えないとつじつまが合わないんだ。この世界を破滅させようと考えた上位存在が彼を創り、本能的に自殺願望を抱くように仕向けた。本能的なもの――言い換えるなら生理的なものなんだから、彼には抗う力どころか、その意志すら存在しない」

 上位存在という非現実的な前提が正しいなら、ニーナさんの仮説はうなずけるところだらけだった。

「いつになるかは分からない。けれど、空腹を永遠に我慢できる人間がいないように、いずれケイくんもその生理的な願望を我慢できなくなる。そして、ケイくんの死は彼の能力を『式見蛍』の器から開放することとなる。それは容易に世界を破滅させることに繋がるね。すると次の問題は――」

「なんで上位存在とやらがそんなことを企んだか、か?」

 そう問う真儀瑠先輩。しかしニーナさんは首を横に振る。

「それは問題にならないよ。おそらくは、だけど、単なるヒマ潰しに過ぎなかったんだと思う。……ボク――『界王(ワイズマン)』もかつて似たようなことをやったからね。なんとなく分かるんだ。だから問題にすべきは『なぜいまになって二つの世界の均衡が崩れたのか』だね」

「ふむ。後輩が能力に目覚めたからじゃないのか?」

「それは違うよ。いや、違わないといえば違わないんだけど」

「どっちだよ」

 思わず、といった感じでツッコム蛍。

 ニーナさんは「むぅ」とひとつ唸ると、

「確かにキミの能力開花がきっかけではあるよ。でもね、さっきもいったけど、ボクたちの世界とキミたちの世界はコインの表と裏のようなもので、例えば……そう、キミが特殊な能力を開花させる前からキミの中には潜在能力として『力』が存在していたでしょ? ならボクたちの世界でもそういった潜在能力を持っている人間がいるし、キミが能力を開花させたなら、その瞬間にこっちの世界でもその人間が能力を開花させて両世界の均衡を保つはずなんだよ。世界はそういう風に出来ているんだ。言うなれば対極の存在ってやつ。
 だからほら、ボクたちの世界でボクたちは魔法が使えるけど、キミたちの世界でキミたちは魔法が使えないでしょ? 魔法を使える存在(もの)と使えない存在(もの)という対極なわけだね。まあ、『霊王(ソウル・マスター)』の霊力(ちから)が少し漏れてるみたいだから、霊能力を使える人間が稀に存在するみたいだけど」

 なんだか少し説明の内容がずれてきた。蛍はよく私の説明がすぐにずれると言っているが、これに比べればかなりマシだろう。

「いや、イレギュラーと言われてもな。僕の場合は交通事故に遭って、目覚めたらこの能力が身についていたって感じで。そうだよな? 鈴音?」

「あ、うん。子犬を助けたんだったよね」

「なっ、なんでお前がそれを知ってるんだ!?」

 あ、そういえば蛍はそれを誰にも知られてないと思ってたんだっけ。

「真儀瑠先輩からきいたんだけど。ほら、あの《中に居る》のところに蛍が行ったときに」

「…………」

 顔を赤くして黙り込む蛍。そこまで恥ずかしいことだったんだ……。

「ふうん、交通事故ねぇ……」

 意味ありげにニーナさんが洩らす。そして、

「ねぇ、ケイくん。キミもしかして事故に遭ったとき、空間移動して別の世界にいったんじゃない?」

「はぁ? どこからそういう発想が出てくるんだ?」

「だって、たしかキミ、世界が比喩抜きで淀んで見えるんだよね? ボクと同じように」

「……まあ」

「そりゃ、これはボクの勝手な想像だけどさ。全くあり得ないってことでもないんじゃない?」

「……そんなこと――」

「まあ、いいや。この想像はさして重要でもないし。ちょっと言ってみただけだからね。思いつきみたいなもんだよ」

「なんか、釈然としないな……」

「気にしない気にしない。それで、ここからはちょっと真面目な話ね。どれくらい真面目かというと、キミの命に関わるくらい真面目な話」

「それは、ものすごく真面目な話だな……」

「まず結論からいうとね。キミの力を狙ってるヤツがいるかもしれないんだよ」

「そんなこといまさら言われてもな……。あれだろ? 僕の能力を使って悪さしようっていう悪霊のことだろ?」

「え? キミ、そんなチンケなのにまで狙われてるの?」

 悪霊をチンケって……。

「なんだよ、そのものすごぉ〜く不吉な言い回しは……」

「あのね。キミの能力はボクや神族、魔族の間では『新たな理(ことわり)の力』――『理力(りりょく)』って呼ばれててね。使いようによっては、すごく便利な能力(ちから)になるんだよね」

「いや、僕の能力なんて激しく使い道ないぞ……」

「だから使い方しだいなんだって。少なくとも幽霊なんかには価値ある能力(ちから)でしょ? それ」

 話を振られたユウさんはうなずいた。

「うん。生きてる人と変わらずに動けるし、いまみたいにご飯も食べられるからねぇ」

 蛍の能力の価値って、そこにあるんだ……。

 ニーナさんは満足げにうなずくと、

「じゃ、くれぐれも死なないように気をつけてね」

「……って、ちょっと待った! ニーナは僕に死んでもらっちゃ困るんだよな?」

「うん」

「だ、だったら僕の能力を狙ってるヤツをなんとかしてくれるんじゃないのか?」

「しないよ」

「……しないって――」

「そもそもね。ボクは別にキミの護衛をするためにここに来たんじゃないんだよ」

「そうなのか?」

「そう。まずひとつは、世界の歪みを直すため。でも現段階じゃボクにはどうしようもないということが分かったし。まあ、これに関しては『聖蒼の王(ラズライト)』の力を継いだ娘――ミーティアさんっていうんだけどね――がなんとかしてくれると思うから」

「そんな、無責任な……」

「で、この世界に来たもうひとつの――いや、もう二つのかな――目的は、マルツくんがこの世界に来ちゃった原因を調べて、マルツくんを『蒼き惑星(ラズライト)』に連れて帰ることなんだけどね」

『えぇっ!?』

 蛍とマルツさんの声が重なった。

「マルツのヤツ、帰れるのか……?」

「うん。ボクが迎えに来たからね。で、マルツくんがこの世界に来た理由だけど――ケイくん、彼がこの世界に来たと思われる日――2週間前に、なにか激しい感情を伴った状態で能力を使わなかった?」

『…………」

 2週間前というと、多分あの日だ。《顔剥ぎ》との戦いの日。
 確かあの日、蛍は私が《顔剥ぎ》にやられたことで激情にかられて、その状態で能力(ちから)を使ったのだ。……あいにく私は気絶していて、その瞬間を見てはいないのだけれど。

「どうやら、それっぽいことはあったようだね。とすると、マルツくんがこの世界に来たのはそのときの反動で、かな」

 確かに、時系列的にはピッタリ合う。おそらくはそれが真実なのだろう。

「さて、と。じゃあ帰るとしようか、マルツくん」

 マルツさんはうなずかなかった。しかしだからといって拒否するわけでもない。というか、拒否するはずがない。

 しばし、沈黙が部屋を満たし。

 ようやく口を開いたのは、ニーナさんだった。

「まあ、ちょっと唐突だったかな。じゃあ、こうしよう。ボクは明日の夜までこの世界に留まることにするよ。それまでに決めておいて。帰るか、帰らないか。どちらを選ぶかはマルツくんの自由ってことで。――実はボクも少しこの世界で楽しみたいんだよね」

 「へへっ」と、何も言わないマルツさんにイタズラっぽく舌を出すニーナさん。

「さて、じゃあまた明日、ね」

 そう言うとニーナさんは立ち上がり、唐突にフッと虚空に消え去った。幽霊にもそんなことは出来ない。やはり彼女は人間でも幽霊でもなく、異世界の――『界王(ワイズマン)』なのだと私は改めて実感させられた。

  ふとマルツさんを見てみると、その表情は複雑な感情に揺れていた。誰にだってその感情を推し量ることは出来ただろう。それほどまでに、彼は動揺していたのだった。


○???サイド

 ――式見蛍が『真実』を知った。

 果たして彼はこれから自らの理力とどう向き合っていくのだろうか。

 もう少し、もう少しだけ様子を見てみるとしよう。

 果たして彼に『価値』はあるのか、否か。

 まだ結論を出すのは早計だろうから。



――――作者のコメント(自己弁護?)

 こんな稚拙な文章を三話目まで読んでくださりありがとうございます。ルーラーです。
 丸々一話、蛍の部屋のみで終始した第三話、いかがでしたか? 楽しんで頂けましたでしょうか。

 さて、第一話から六話まではこの『マテリアル世界』の『世界設定説明編』ともいえます。そのため、説明的なセリフが多くなってしまっております。
 なるべく退屈な展開にならないように物語を構成してはいるんですけどね。ああ、果たして上手く出来ているものかどうか。

 それはそれとして、いよいよマルツが元の世界に帰れるメドが立ちました。これは別に次回で最終話にしようなどと考えているのではなく、ちゃんと全六話の『マルツ・デラード編』を盛り上げ、第七話からの『神無鈴音編』に繋げるために必要な、とても大事な伏線なのです。ええ、本当です。ああ、ちゃんとそうなるといいなぁ。

 では、第四話でマルツは『蒼き惑星(ラズライト)』に帰れるのか? あるいは、帰る気になるのか? ご期待ください。……とかいいつつ、次は『蛍と沙鳥がデート!?』の全三話完結予定の別シリーズの短編連作の第一話を書くつもりなのですけどね。

 最後に今回もサブタイトルの出典を。
 今回はTVアニメ版『機動戦艦ナデシコ』(XEBEC)の第三話『早すぎる『さよなら』!』からです。意味はそのままですね。もちろん、ナデシコのストーリーとこの作品とは、まったく話の展開は違いますよ。きっとナデシコを見たことがある方も多いはずです。なんなら比べてみてください。

 それでは、また次の『二次創作小説マテリアルゴースト』の話でお会いできることを祈りつつ。



――――作者のコメント(転載するにあたって)

 初掲載は2006年6月5日。

 この回には『黄昏色の詠使い〜闇色の間奏曲(インテルメッツォ)〜』に直結する、重要な伏線が張られています。いや、よく考えてみたら、第二話の段階で張られていた気もします。
 まあ、つまりはその伏線、この段階では『黄昏二次』で使うつもりはなかったということなのですよ。だって、これを書いたのって、『黄昏色の詠使い〜イヴは夜明けに微笑んで〜』の発売前だったはずですから。

 更に言ってしまえば、この当時は『マテリアルゴースト』の二次創作小説以外を書くつもり、ありませんでしたし。

 あと、ニーナ・ナイトメアは――というか、ほとんどの登場人物は『理力』に関して、ひとつ思い違いをしています。その解きほぐしはこのお話の『第一章 自分の意味は』の最終話でやるつもりですが、その思い違いに気づきうる材料は第二話の中に提示してありますので、第一章の最終話が公開されるまで『『理力』に関して、ニーナはなにを勘違いしているのか』を推測してみるのも面白いかもしれません。
 それが『黄昏二次』にも多少なりと関わってきますので。

 まあ、もっとも。こちらは本当にささやかなものでしかなかったりするのですけどね。解きほぐしをやったところで、現状は進展も後退もしませんので(苦笑)。

 それにしても、第二話と同様に『この伏線、どうやって回収すればいいんだ?』という伏線が、この回にも山と張ってあります。
 くそぅ。まさか過去の自分にここまで苦しめられることになるなんて……!



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