止まない雨
○???サイド
≪見えざる手≫事件。
私がそう呼称している舞台から、神無鈴音が降りようとしている。
この舞台、神無鈴音が絶対に必要なのかと問われれば、実はそんなことはない。能力保持者である式見蛍と、彼のサポートをする者が数人いれば、ことは最終的に私が望む結末へと収束するはずだ。
神無鈴音という少女は、少なくともこの事件においては、私の暇つぶしのために用意した駒でしかなかった。戦闘要員でもなければ、式見蛍の支えとなる存在でもない。特に後者――彼にとってもっとも重要といえるポジションは『ユウ』にこそ割り振られているのだから。
ゆえに、この舞台から神無鈴音が降りようとも、問題はなにひとつとして発生しない。
しかし、それでも。
九樹宮九恵とシリウス・フィッツマイヤーを除く全員をひとつのところに集めるのに、それなりの時間と手間をかけたのもまた、事実なのだ。
だというのに、少しばかりスピカ・フィッツマイヤーが予想外の行動をみせたというだけで、そうあっさりと暇つぶし用の駒を手放せるだろうか。今回だけではなく、これからの舞台でも式見蛍と神無鈴音の関係性には楽しませてもらうつもりだったというのに。
どうやら、私も少し動く必要がありそうだ。
神無鈴音がこの舞台から降りないよう仕向けるために――。
○式見蛍サイド
フィッツマイヤーさんが悪霊の現在位置を特定し終えてからすぐに。
学校の最寄り駅へと向かい、そこで先輩と別れ、僕たちは電車に飛び乗った。そして駅をいくつか通り過ぎ、フィッツマイヤーさんの「このあたりですわ」という言葉を受けて、電車から降りて改札を出る。
小降りだった雨は、いまやすっかり本降りになってしまっており、傘を調達するため、駅の近くにあるコンビニへと走る。
「――け、蛍……?」
フィッツマイヤーさんから、そう声をかけられたのは、コンビニに駆け込んですぐのことだった。多分に信じられないといった感じのニュアンスが含まれている。
振り向いて「なに?」と尋ねようとし――彼女の目が、いや、ユウとマルツを除く全員の視線が僕の髪に集中していることに気づいた。嘆息し、髪型を少しでもいつもの状態に戻そうと掌で撫でつける。
どうも僕は中性的な顔立ちであるためか、雨に濡れたり風呂で髪を洗ったりした直後だと、髪が変な風に跳ねていたりして、普段とは全然違った印象を与えてしまうことがあるらしい。
そういったことを間単に――状況が状況なので本当に簡単に説明すると、フィッツマイヤーさんは「そ、そうなのですか……」と、なぜか顔を赤くしながら返してきた。……なんだろう? いつもの勢いみたいなものが彼女からすっかり削がれている。それだけでも疑問だというのに、フィッツマイヤーさんは「どうせなら、いつもその髪型でいらっしゃればよろしいのに……」などと引き続きブツブツと呟いていた。もちろん、頬は赤く染めたままで。……本当、一体なんなんだろう? 僕の髪型のせいで気分を害したとか?
そんな『どうでもいい』としか思えないようなやりとりをしながら傘を選び終え、コンビニを出る。
確認するようにフィッツマイヤーさんが悪霊の位置を再特定してから、彼女の先導に従って歩行を開始。――いや、僕を含めて七人という人数であることを考えると、進軍を開始、のほうがしっくりくるだろうか。
その軍の将とでも呼ぶべきフィッツマイヤーさんは「それで」と歩きながらサーラさんに顔を向けた。
「電車で移動しているときに説明を受けた、あなたがたの『力』のことですが。あれは要するに、マンガなどで使われているような『魔法』と同じものであるとしてよろしいのでしょうか?」
サーラさんは少し強くなってきた風に顔をしかめて、極力濡れないよう傘を斜めに持ち直しながらうなずく。
「より正確に言うのなら『魔術』だけどね。『魔法』はあくまで『魔の法則』の略称。だからほら、読みは同じでも『魔方陣』じゃなくて『魔法陣』と書くんだし」
『だからほら』から先のことは、マルツと同居している僕にもいまひとつよくわからなかった。なんでも『魔の法則』が具現する『陣』だから『魔法陣』というらしいのだけれど……。
それからもサーラさんは「だから召喚術は、どちらかというと魔術じゃなくて魔法なんだよね」とか「『魔法医』だって治療手段に用いるのが『魔術』じゃなくて『魔の法則』だから、『魔術医』じゃなくて『魔法医』って呼ばれてるんだし」とか言っていたが、結局最後は、
「まあ、『魔の法則を用いる術式』の略称が『魔術』なわけだから、『魔術』は『魔法』の派生――つまりは同じものだとも言えるわけだけど」
と妥協するように締めくくった。
正直、失礼ではあるのだろうけど。
出会ったとき、マルツが『『魔法』を使える人間イコール『魔道士』だというのは間違い』と言っていたけれど、それと同じように彼女も実に面倒なこだわりを持ってるんだな、と思った。この師匠にしてこの弟子ありというか、やっぱり師弟なんだなぁ、というか。なんにせよ、この二人が師匠と弟子という関係性であることに妙に納得できた。
「わたしにもスピカちゃんに訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
角度のずれてきた傘を再度持ち直すサーラさん。
「わたしからアンデッドを引き剥がしてくれたときにスピカちゃんが使っていた言葉。あれって第五古代語だよね? どうしてスピカちゃんがわたしたちの世界の言語――それも『古代言語』を知ってたの? しかも下位古代語でしかない第五古代語で『力』を使えていたみたいだし」
「? 引き剥がしたときに使った言葉というと、『alleluia(アレルヤ)』のことですわよね? でも、第五古代語? あれはただのラテン語ですわよ?」
「ラテン語? う〜ん、でもあれは間違いなく第五古代語だと思うんだけどなぁ……」
なんか『いや、違う』『そんなことない、あれは第五古代語だった』みたいな不毛な会話が始まりそうだったので、僕はため息混じりに割って入ることにした。
「まあまあ、間違いなくって言っても単語ひとつだけの話でしょう? 偶然、一致しただけなんじゃないですか?」
そもそも、だ。それを言い出したらマルツを始めとした異世界メンバーが普通に日本語――場合によっては英語まで使っているのだっておかしいのだし。
いや、しかし、考えてみればこれは確かにおかしいことだった。僕はマルツと初めて会ったとき、彼が日本語をしゃべれていることになんの疑問も抱かなかった。それは、異世界からやってきた、というマルツの言葉を信じられるようになってからも、だ。どうして疑問を抱かなかったのか、なんていうのは至極単純で簡単。僕が普段手に取っているゲームやマンガに登場する異世界キャラが、なぜか地球人と言葉が通じて、なぜか同じ『日本語』を読み書きできているからだ。それがその世界の『ルール』であるかのように。
僕の思考に同調するかのようにニーナが小さく呟く。
「偶然、の一致? 本当に……?」
納得のいっていない表情。サーラさんは「そう、なのかもね」とどこか納得しきれていない感じながらも一応はうなずいてくれたというのに。
「……っと、この辺りですわね」
唐突にフィッツマイヤーさんが足を止めた。それも、僕やユウには見覚えのある場所で。
「ねえ、ケイ。ここって……」
「ああ。正直、あまり来たい場所じゃなかったな」
嫌な、苦い記憶が蘇る。
そこは。
かつて僕が《顔剥ぎ》と戦い、マジギレまでした、とある新築区域の一角だった。
かつて、《顔剥ぎ》と呼ばれる完全憑依型の悪霊が起こした事件があった。
それは《顔剥ぎ》がアヤにとり憑いたことから始まる。アヤにとり憑いた《顔剥ぎ》は、まず先輩を獲物に定めた。しかし、それを実行する前に『霊体物質化能力』を持つ僕と出会い、その僕に標的を変更したらしい。
美しいものを羨むのではなく、もはや憎むレベルまでいってしまっていた《顔剥ぎ》は、戦闘時、僕の集中をそらす意味もあって先輩を狙おうとし、それを鈴音が霊能力を使ってかばった。
そのときに鈴音は負傷、おまけに気絶してしまい、それが直接の原因となったのだろう、前述したとおり《顔剥ぎ》のその行為にキレた僕は冷たい殺意を覚え、その感情のままに《顔剥ぎ》を攻撃、消滅させたのだった。
そのときに僕が女装していたことだとか、『美女連続顔剥ぎ連続殺人事件』が本当の意味で始まったのは、ここから遠く離れた北の大地でのことだったとか、アヤに憑依する前に《顔剥ぎ》は犠牲者を五人も出していたとか、細かいことは挙げていけばキリがない。けれど、少なくとも僕にとっての《顔剥ぎ》事件の始まりはアヤが《顔剥ぎ》に憑依されたことだったし、ひとつ目に関しては、もはや積極的に忘れたいことですらあった。
もちろんひとつ目だけではなく、『美女連続顔剥ぎ連続殺人事件』――《顔剥ぎ》との戦いそのものだって忘れたい記憶であることに変わりはない。しかし現実というものはそう簡単に忘却を許してはくれなかった。それどころか今日、この瞬間に至っては積極的に思い出させようとすらしてきたし。……まあ、一番の被害者であるアヤがこの場に居ないというのが不幸中の幸いだった。
それにしても、僕たちはしばらくアヤに会わないようにと言われているのだけれど、どうやらそれはこの上なく正解だったようだ。だって、もしアヤが僕たちと一緒に行動なんてしていたら、彼女、かなりの確率でここについてきていただろうから。もちろん、先輩と最寄り駅に残った可能性もあるけれど。
……と、そんなことを考えながら歩みを進めているときだった。
耳に飛び込んでくる、ゴツッ! という大きな音。それも、おそらくはすぐ隣にある家の中からした音だ。
「……なんだ?」
正直、不気味なことこの上ない。そう感じたのはフィッツマイヤーさんを始めとした皆も同じだったらしく、我先にと、家にある窓からその中を覗き込む。
果たして、そこには黒いビジネススーツに身を包んだ四十台前半の男性――僕たちの追ってきた悪霊が床の上でのた打ち回っていた。階段にでもぶつけたのか、両手で頭を押さえてもいる。
なんか以前、似たようなことがあったなぁ、と既視感(デジャ・ビュ)を覚えた。
「しかし、なぜ……」
フィッツマイヤーさんが口元に指を当てながら呟く。確かにあの悪霊、なんでこんな僕たちも知らないところでダメージを受けているのだろう。間抜けにも程があるというか……。
……いや、そうじゃない。
「この悪霊の行動パターン――というか攻撃パターンって確か、背中側に当たる壁を上手く使って、相手やその周囲にいる人間にさえ気づかれないうちにとり憑く、というものじゃありませんでした?」
続いてユウが同意を示すように言葉を継いできた。
「そうか! 今回も同じことをしようと、この家の壁の中でタイミングを計っていたんだね! でもケイが『霊体物質化能力』を持っていたから……!」
そういうことだ。僕が『霊体物質化能力』を持っていたのが悪霊にとって仇になった。おそらくは僕の物質化範囲に入った瞬間、吹っ飛ばされる形で僕とは反対側に――つまりは家の中に弾かれ、ちょうど直線上に存在するあの階段に頭をぶつけることになったのだ。
そうフィッツマイヤーさんに説明したが、しかし返ってきたのは、
「そんなことはわかっています」
という険しい声だった。
「わたくしの言う『なぜ』は、あれのことですわよ。……まあ、落ち着いて考えてみれば、当然のことなのかもしれませんけど」
冷や汗でもかいているのでは、と思わせる声音と共に彼女は悪霊を指差す。正確には、その頭部を。なんだろう、と悪霊のほうに改めて目を向ける。そう、さすがにのた打ち回ることこそしなくなったものの、僕の物質化範囲から離れるということをしないため、まだ痛そうに頭を押さえながら床にうずくまっている悪霊のほうへと。
……って、なかったはずの両腕があるうぅぅぅぅぅっ!!
「…………」
まさしく『なぜ』だ。
あの悪霊って、『両腕がない』ことが一番の特徴なんじゃ……?
いや、それよりも、『完全な人型』をとることができないから大した霊力もないのでは、と僕は心のどこかで思っていた。だから以前戦った《中に居る》や《顔剥ぎ》よりかは弱いんじゃないか、と。でもあの悪霊の霊力は鈴音よりも上なのだという事実も確かにあるわけで……。
瞬きをしてみても、何度手で目を擦ってみても、悪霊の肩辺りからは、やっぱり人間のそれを模したような黒い腕が伸びている。
正直、詐欺じゃないだろうか。『両腕がない』ことが特徴の悪霊に『両腕』が存在しているなんて。
「……おそらくは、形態変化の応用でしょうね。いえ、これは応用ではないでしょうか。本来、両腕は人間なら当たり前に持っている部位(パーツ)なのですし。イメージも簡単にできるはずです」
焦りの色を完全に消せてはいなかったが、それでも一応は回復したのだろう。心の中で絶叫してしまった僕とは違って、フィッツマイヤーさんは比較的、落ち着いて言葉を紡いでいた。しかし、だからといって僕のほうの動揺が収まるはずもなく。
「じゃ、じゃあなんであんな真っ黒な腕に? 普通、人間の――というか、日本人の腕って肌色でしょう?」
あの腕は色が黒だからなのか、僕には禍々しく感じられて仕方がない。彼女は完全に落ち着いたらしく、しれっと返してくる。
「さあ? 服も黒なのですし、そういう趣味なのでは?」
「なんて悪趣味な……」
「ぼやいても始まりませんよ。――来ます!」
それは確かにその通り。……って、来る!?
「皆さん、下がってください!」
注意を促し、フィッツマイヤーさんもまた、一歩後退した。
刹那の間を置いて、バリンッ! と窓が割られる音が響く!
――ざあざあと降り続く雨をその身に浴びて、黒い両腕を持つ悪霊がこちらへと向かって歩を進めてくる……!
「地面を踏みしめて歩いてくるってことは、ケイくんの能力で『実体化』しているってことだよね」
動揺など見せることもなく、瞳だけをこっちへと向けてくるニーナ。もちろん聞くまでもないことなのだから、特に返事を期待していたわけではなかったのだろう。僕が「そうだろうね」とうなずいてみせるのと同時か、あるいはそれよりも早いかといった一瞬のうちに右の拳を悪霊へと向ける。
「炎封拳(バーン・ナックル)!」
その掛け声と同時、ニーナの両の拳が淡くも力強い赤色の光に包み込まれた。雨がそこに当たり、ジュウジュウと蒸発する音が絶え間なく立っている。
「本来なら実体を持たないアンデッドや魔族には効かない物理的な魔術だけど、ケイくんの能力範囲内でならこれでもいけるんだよね。しかも魔法力を使用するのは術を発動させたときのみで、効果が持続している間、魔法力を消費し続けることもないし。うん、魔法力を多く使えないいまのボクにはまさに最適!
サーラさん! あれはボクが引きつけておくから、とどめ用に強力な呪文、よろしくね! あとマルツくん、援護よろしく!」
「わかったよ。じゃあ、う〜んと……」
「わかりました!」
あれ? なんか、異世界メンバー三人だけで片がつきそう……?
「さて、じゃあ行くよ! ――ふっ!」
なにか格闘技の構えのようなものをとった悪霊へとニーナが飛び込んでいく。まずはかする程度の軽いジャブを左で。
悪霊は身体を後ろに倒すようにして難なくそれをかわしてみせた。それは見越していたのか、ニーナは素早く右の拳を腹に叩き込もうとフック気味に拳を振るう!
しかし悪霊は左足を上げて膝を曲げ、ニーナの拳を受け止めた!
瞬間、ジュッというなにかが焦げるような音がする。
「――つおっ!?」
瞬間、呼気のような苦鳴の声を漏らし、悪霊がニーナからわずかに距離をとる。――なるほど、これが<炎封拳(バーン・ナックル)>の効果か。
それにしてもあの悪霊、なかなかやる。学生時代になにか格闘技をやってたのかもしれない。
悪霊が構えを取り直し、右足を半歩分後ろに引く。と、同時。
「精神滅裂波(ホーリー・ブラスト)!」
マルツが右の掌を向け、青白い光を放つ! 彼お得意(?)の<呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)>を使わなかったのは悪霊が僕の物質化範囲に入っているため、<呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)>そのものも奴に命中する前に物質化してしまうからか。
しかしマルツの放ったその光は、のけぞるようにしてあっさりとかわされた。
「おい、当たってないぞ!」
「大丈夫、いまのはただの牽制だから! ほら、その証拠にあいつ、攻撃のタイミングを逸しただろ!」
言われてみればその通りだった。片足を半歩後ろに引くというあの行動は間違いなく、蹴りに繋げるための動き。そういえばマルツが頼まれていたのは『攻撃』じゃなくて『援護』だったっけ。
「マルツくん、ナイス! というわけで、もらっ――」
更に攻撃に移ろうとしたニーナが言葉を止め、右手を見る。そう、より勢いを増してきた雨を弾いている自身の右拳を。
「嘘ぉっ!? なんで炎封拳(バーン・ナックル)の効果がもう切れてるの!? どんなに短くても一時間は持続するはずなのに!」
間違いなく。
それが彼女の隙になった。
「――ニーナっ!」
僕が注意を促したときにはもう遅い。悪霊は間合いを詰め、今度こそニーナに鋭い蹴りを叩き込んでいた。それも流れるような動きで。二回、三回と連続で。
ガッ、ガッと顔の前で交差させた彼女の両腕と悪霊の足がぶつかり合う。
「くっ……。やって、くれるねっ!」
吐き捨てて、ニーナは僕のほうへと思いっきりサイドステップしてきた。おそらくは、僕の能力の効果範囲から出てしまわないために。
それに気づいているのかいないのか、悪霊が更に間合いを詰めてくる。彼女に致命傷を与えようと。
「ガードしながらでもダメージを与えられるよう、炎封拳(バーン・ナックル)を使ったっていうのに、効果持続時間が短すぎだよ。こうなったら……普通に肉弾戦で押していくっ!」
ふと思い立ち、一瞬だけサーラさんのほうを見やる。彼女は呪文の詠唱(っていうんだっけ?)を終えているようだったけれど、悪霊があまりにもちょこまかと動き回るからなのだろう、なかなか魔法を使うことができないでいるようだった。
「螺旋(らせん)――」
ニーナの声が聞こえ、慌ててそちらに視線を戻す。ちょうどわずかに跳躍して悪霊に回し蹴りを放っているところだった。そして彼女の攻撃はそれだけでは終わらずに。
「――風脚(ふうきゃく)っ!」
着地と同時に再びジャンプ。跳び上がりながら、螺旋を描くように二度、回し蹴りをヒットさせる!
それはまるで、ゲームの中でしか見ることのできないような動きだった。もしゲーム内での出来事だったら、画面の右上か左上に『3HIT!』とか出ていただろうし、あの悪霊もダウンしたり空中に浮き上がったり、はたまた遠くまで吹っ飛んだりしていたことだろう。
でもこれはゲームではなく、現実で。だから悪霊もまた、吹っ飛ぶことも、地面に倒れ込むこともなかった。
しかし、それはむしろ不幸なことだったに違いない。なぜなら、
「双蛇襲獣脚(そうじゃしゅうじゅうきゃく)!」
「――がっ! ぐおぁっ!?」
ニーナの再度の着地から一瞬の間も置かず、縦横無尽という四字熟語がこれほどまでに似合うものもないだろう、というほどの蹴りが二発、奴に襲いかかったのだから。先ほどのと合わせて、これで合計5HIT。南無。
ニーナの蹴りをくらい、悪霊は今度こそ遠くへと吹っ飛んだ。それこそ、物質化範囲から出てしまうほど遠くに。
物質化範囲から出てしまった霊体は範囲内で負った怪我が自動的に治ってしまう。治る際に怪我の度合いに比例して霊力が消耗されるらしいのだけれど、正直、それでも痛みからくる動きの鈍りなどがなくなってしまうため、できる限り物質化範囲から出すべきじゃない。そもそも、物質化範囲から出てしまったら、ニーナのような人外の存在の直接攻撃とかはともかく、<炎封拳(バーン・ナックル)>を始めとした物理的な攻撃だって効かなくなってしまうのだし。
だからこの状況、もしかしたらニーナの失策だったんじゃ、と思ったのだけれど。
「サーラさん、いまだよ!」
全然、そんなことはなかった。
いや、どこからか取り出した果物ナイフをサーラさんが悪霊に向かって投げつけ、それが奴の身体をすり抜けて内側にカランと落ちたときまでは『マズイんじゃ』と思っていたのだけれど。
「破邪雷撃陣(ヴォル・ブラス)っ!」
悪霊を囲む周囲の地面から、天を突かんとばかりに伸びた幾筋もの雷(いかずち)が、直角に限りなく近い軌道を描いてナイフの刃先に収束し、
「――ぐぎゃあぁぁぁぁっ!?」
間違いなく奴にダメージを与えたと確信できたときには、『ああ、全部ニーナたちの計算通りにことが進んでるんだな』と、どこか達観すら含んだ感じで納得できた。……どうでもいいけど、雷って物理的なものだよな? 魔法で発生したものなのだから、そこに突っ込むのは野暮なのかもしれないけれど。
それにしても、考えてみればかなり一方的な戦いだと思う。ここまでくるといっそイジメだね、イジメ。面子だって『界王』に『聖戦士』に『聖戦士の弟子』なんだから。正直、僕とかフィッツマイヤーさんとかの出る幕、まるでなし。
しかし、そんなイジメにも似た連続攻撃を受けてもなお、悪霊は立ち上がる。消滅の兆しすら見せずに立ち上がる。……いや、よく見てみれば『黒い腕』の色が若干、薄くなったようにも思えるけど。おまけにユラユラと揺らめいていて、明らかに存在が不確かな感じになっているけど。あ、これはただ単に物質化が解けたからか?
なんにせよ、戦闘中に相手の状態をよくこんなじっくりと観察できるものだ。これもニーナが前線で戦ってくれているからこそだと思う。だからこそ、僕は余裕を持ってこの場にいられるのだと。
けれど、僕のような『戦い』の素人の余裕というのは、玄人の持つそれとは違って、油断の同義語でもある。次の瞬間、それを思い知らされた。
「――しゃっ!」
まさに一瞬。瞬きをひとつできるかできないかくらいの間に、悪霊が右の手首から先をナイフの形状に変え、高速で腕そのものを僕――いや、僕の背後へと伸ばしてきた。そう、霊能力者であるフィッツマイヤーさんに向けて! 弧を描いて伸び来る黒い腕が、数メートルという距離を一瞬で詰める!
「――くっ!」
慌てて僕から離れるように飛びのきながら、彼女は傘をがむしゃらに振り回した。『腕』という一部分が再び物質化範囲に入ったため、一応、当たることは当たる。けど、それはとても攻撃と呼べるような重い打撃ではなく、結果、悪霊の腕は怯んだ様子も見せずにフィッツマイヤーさんへと追いすがった。
蛇の如く伸びてくる悪霊の腕。しかも先端の形状はナイフ。首などを裂かれようものなら間違いなく致命傷。場合によっては即死もありうるだろう。
すっかり動きの鈍った頭がそのことを認識した瞬間。
「フィッツマイヤーさん、僕から――『物質化範囲』から離れて!」
ようやく、僕はそう口にできていた。しかし彼女はそれに反論してくる。
「できません!」
「っ!? どうして!」
「あれはあなたの持つ『歪み』にも反応しています! ここでわたくしが離れたら、今度はあなたに標的が移りかねないでしょう!?」
「フィッツマイヤーさん……」
こんなときだというのに――いや、こんなときだからこそだろうか、なぜだかそのセリフにジンときてしまった。……しかし、よくよく考えてみると。
「……って、フィッツマイヤーさんは僕を殺しに来たんでしょう!」
「初めからそれを目的として来ているわけではありません! それはあくまで最終手段です! ですからわたくしがそれ以外に解決策なしと判断するまでは、むしろあなたには生きていてもらわなければ!」
「勝手ですね!」
「勝手で結構ですわ!」
いつの間にか、僕も彼女も笑顔で怒鳴り合っていた。悪霊の攻撃にさらされながら、だ。
そして、それが彼女の油断に繋がったのだろう。あるいは、完全な死角から放たれたものだったからなのかもしれない。もっとも、重要なのはそういった『理由』ではないのだけれど。
数度目になる悪霊からの攻撃。それを避けようとする動きがフィッツマイヤーさんに見られなかったのが、一番重要であり、問題だった。
「危ないっ!」
反射的に金髪碧眼霊能少女の前に飛び出す僕。褒められたことではなかっただろう。だって、それは本当にとっさにとった行動で、結果、戦況がよくなるとか悪くなるとか、ましてや僕がどうなるとか、そういうことはまったく考慮していなかったのだから。
「――痛っ!」
左のふくらはぎの辺りをざっくり切られ、熱さが生まれる。反射的にではあっても自分の意思でやったことなのに、それが悪霊の攻撃によるものなのだと気づくのに――頭がちゃんとそう理解するまでに、数秒かかった。
「蛍っ! なんということを!」
フィッツマイヤーさんの、心から僕の身を案じる声。……この人、本当に僕の死を望んでいるわけじゃないんだ。なら、僕もここで死ぬわけにはいかない。そもそも、『痛みも苦みもなく死ねる方法』はちゃんと確保してある。マルツ・デラードという僕の同居人。彼の使う魔法。同居と共に、僕が彼に持ちかけた頼みごと。
いつになるかちょっとわからないところはあるし、確実性も実はあんまり高くはないけど、それでもちゃんと『方法』があって、それに向かって生きている以上、やっぱり僕はここで死ぬわけにはいかない。それがフィッツマイヤーさんの心に影を落とすことになるというのなら、なおさらだ。
しかし、そういった意志だけでどうにかできるほど現実は甘くなかった。左足が痛くて戦うには集中力が続かない。僕の場合、『武器の創造』――思考を集中させ、形を細部までイメージするという方法で武器を作成して戦うから、集中力を阻害するこの怪我はかなりマズイ。
一旦逃げて、マルツなりサーラさんなりに治療してもらおうにも、全速力で走ることもできそうにないし……。
気づけば鋭い痛みのあまりに、地面にへたり込んでしまっていた。そして、こちらは精神的なものだろうか、左足だけではなく、全身がブルブルと震えている。
そんな僕の胸元へと悪霊の黒い腕が迫ってきた。フィッツマイヤーさんが襟をつかんで後ろへと引っ張ってくれているが、おそらく避けることはできないだろうと、頭の変に冷静な部分が早くも結論を出している。
そうして、そうなるのが当然であるかのように。
ナイフと化した悪霊の腕の先は僕の左胸を貫い――
「――オン!」
唐突に耳に飛び込んできたのは、聞き覚えのある少女の声だった。
「――九恵……?」
本当につい最近知り合った、黒髪の霊能力少女。
彼女は鈴音が普段使っているような札を構えていた。そしてそのままの姿勢で僕に声をかけてくる。
「《見えざる手》の『力』の行使が更に多くなったと思ったら、戦闘中だったというわけね。それはそれとして蛍、左足、大丈夫?」
「え、あ、うん。なんとか……」
「そう」
安堵の息をつき、それだけを返してくる彼女。あるいはそれほどまでに余裕がないのだろうか。……いや、彼女は元から無愛想なほうだったな。
悪霊の腕は物質化範囲に留まったまま静止していた。僕の左胸とその腕の先の隙間はわずか数センチ。ほ、本当に危ないところだった……。
「この悪霊、いまは私の『力』で動きを止めてるけど、それもあんまり長くは保たないわ。とりあえず撤退しましょう。あなたは負傷もしているのだしね」
「わ、わかった……」
フィッツマイヤーさんの手を借りてなんとか立ち上がる。……ん? よくよく考えてみれば、彼女が手を貸してくれるなんて珍しい。――いや、そういう機会が一度もなかっただけか? でも、それにしては実に自然に――
「精神裂槍(ホーリー・ランス)!」
僕の思考を遮るように、マルツが蒼白い光の筋を放った。見事に命中し、のけぞる悪霊。
「では、一旦退却しますわよ!」
フィッツマイヤーさんの言葉に従い、できる限りのスピードで僕たちはその場から遠ざかった。もちろん悪霊の動きを止めていた九恵は一瞬だけ遅れて。
そして、それは見間違いだったろうか。走りながら一度だけチラリと振り返ってみたとき、悪霊の肩から先にあったはずの黒い腕は消滅していたように見えた。
○神無鈴音サイド
降る雨が、勢いを増していく。
空を覆う雲はどんどん黒く、暗くなり、まるでこれから嵐でもやってくるかのようだった。
いや、もしかしたら、もうすでにやってきているのかもしれないけれど。
やがて、雷が鳴り響く。
空に、地面に、轟(とどろ)き渡る。
そんな『最悪』な天候の中。
私は。
とある男性と出会った。
『黒江』と名乗る男性と――。
――――作者のコメント(自己弁護?)
バトルシーンの導入とかを何度か書き直しているうちに、気づけば二ヶ月が過ぎていました。続きを待っていてくださった方、いらっしゃいましたら申し訳ありませんでした。
そんなわけでルーラーです。だいぶ間が空いてはしまいましたが、『マテそば』第一章の第十話をここにお届けします。いえ、本当はクライマックスは一気に(どんなに遅くても月イチ更新で)お届けするべきなのですけどね。それは重々承知しているのですけどね(苦笑)。
言い訳になりますが、これを書いている最中、色々とあったのですよ。それも執筆のための道具であるパソコン関連で。ウイルスに感染したり、パソコンを再セットアップしたり、と。ええ、他にも本当に色々とありましたよ。
さて、今回は異世界メンバーこと、ニーナ、マルツ、サーラのターンでした。より正確に言うのならニーナのターンでしょうか。近接戦闘は書いていて血湧き肉躍ったようなそうでもないようなでしたが、今月に入ってから始めた『格ゲー』の影響を確実に受けています。特に敵がこっちの攻撃をガードするとか、以前の僕だったら思い浮かばなかったでしょう。
あ、それと鈴音ファンの方、出番が少なくてすみませんでした。次回は! ええ、次回こそは彼女の見せ場となるはずです! や、もしかしたら次々回になるかもしれませんが(苦笑)。
では、そろそろサブタイトルの出典といきましょうか。
今回はTVアニメ版『スパイラル〜推理の絆〜』の第二十三話からです。ええ、またです。第九話に引き続き、今回もまた『スパイラル〜推理の絆〜』からです。好きなのですよ、この作品。
意味は『まだ事件は終わらない』といったところでしょうか。うん、ずいぶん意味をシンプルに説明できたもんだ。
『雨』は『事件』、『止まない』は『終わらない』の比喩です。まあ、実際に雨が降ってもいますけどね(苦笑)。
さて、九恵も無事に参戦し、第一章もようやく僕の中でゴールライン――あるいは着地点――が見えてきました。
読み手の方が納得できる終わり方になっているのかなぁ、とプロットを読み返しながら不安になってはおりますが、僕が思い描いた場所にちゃんと落ち着かせることができるよう、これからも頑張っていこうと思います。
しかし、第一章を無事書きあげたとしても、第二章、第三章に他のシリーズと、先は長いですね。まあ、それはそれで幸せなわけですが(笑)。
それでは、また次の小説でお会いできることを祈りつつ。
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