雷鳴のなかでも




 ――やっとわかった。私はずっと彼の『仲間』に――彼と□□□□□になりたかったんだ――。


○神無鈴音サイド

 思考を停止させるのは、確かに防衛手段のひとつではあるけれど。逃げずにちゃんと自分の気持ちと向き合うことも大切。ちょっと考えればわかることなのに、私は思考を停止させていたからそれがわからずにいた。そう、その必要に迫られる、この瞬間まで。

「やあ。こんなところに独りでいるなんて、どうしたんだい? お嬢さん」

 それが『黒江』と名乗った男性の第一声。
 私はうつむいたまま、それになにも返さない。いや、返せない。突然話しかけてきた彼の存在を警戒したとか、そういう理由でじゃなくて、ただ単純に言葉を発する気力というものが私の中になかったから。

 時折ゴロゴロと雷が鳴り響く中、押し黙ったままの私に「ふむ」と彼は形のいい顎をつまみ、手に持った黒色の傘を軽く揺らした。

「――心が折れでもしたかい? あれしきのことで」

 なにもかもを見透かしたような発言。それは客観的に見れば不気味なものだったのだろうけど、不気味だとか、そんなことはいまの私にはどうでもよくて。

「……『あれしきのこと』、ですか……」

 ただ、その七文字からなる言葉にだけ反応する。少しばかりの激情を込めて。
 男性は私の呟きを肯定するように首を縦に振った。

「そう。あれしきのこと、だ。きみは結局、誰の気持ちもわかっちゃいない。当然、あの金髪のお嬢さんの気持ちも、だ。まあ、人が他人を完全に理解するなんて不可能なのだから、無理もないとは思うけどね」

「……そんなこと、ありません。フィッツマイヤーさんが私を突き放すようなことを言ったのは、私を危険から遠ざけるため。そうでしょう?」

「ほう、意外とわかっているじゃないか。だがね、それを正確に理解しているというのなら、いまのきみの行動は正直、解せないね。――もう一度問うてみようか。『こんなところに独りでいるなんて、どうしたんだい? お嬢さん』」

「――っ……!」

 反射的に、思わず唇をかむ。呼応するようにピカッと光る鈍い色の雲。
 そう、私はなんでこんなところに独りでいるのだろう。フィッツマイヤーさんの言葉が私の身を案じてのものなのだと、彼女の気持ちを理解していると、本当に思っているのなら、私はすぐにでも自宅に戻るべきなのに。蛍たちからケータイに連絡があるまで、家でおとなしくしているべきなのに。
 なのに、いまの私は思考を止めて、学校の最寄り駅に続く道をのろのろと歩いている。曲がり角ひとつ分だけ折れて、ではあるけれど、心のどこかで真儀瑠先輩に会えないかと思いながら。

 最悪だ。そうして歩いていたら、真儀瑠先輩ではなくこの男性に会うことになるなんて。遠回しにではあっても、自分の心の弱さを突きつけてくる、この黒江という名の青年に。

「さて、ここで重要となるのはきみの抱く感情だ。人間がとる矛盾した行動の因(いん)は、『感情』にこそあるのだからね。そう、人間は確かに矛盾に満ちた生き物ではあるが、理由なく矛盾した行動はとらない。――おっと、私にそれを責めるつもりはないよ。むしろ、矛盾があるからこそ人間という生き物は見ていて面白いのだしね」

 鳴り止むことのない雷と、ザアザアという雨の音をBGMにして、ぐるぐると言葉を弄ぶように青年は続ける。どこか『人間』というものを高みから見下ろしているような物言いが気になりはしたけれど、私は意見を挟まずに耳を傾けることを選んだ。

「なぜ彼女は自分ではなく式見蛍の存在を認めたのだろう。なぜ彼はスピカ・フィッツマイヤーに心を許しているのだろう。彼にとっての彼女とはなんなのか、彼女にとっての彼とはなんなのか。そんな一連の疑問がきみの矛盾の一因だ」

「それは……」

 そうなのだろうか。蛍にとってのフィッツマイヤーさんは自分を殺そうとしている存在、フィッツマイヤーさんにとっての蛍は殺すことになるかもしれない存在、それだけの関係のはずだ。

「果たしてそうだろうか。もしそれだけの関係性だというのなら、彼らは協力関係を築けるものかな? 共闘というのはどんな形であれ相応の信頼が必要とされるものだ。そうだろう?」

 それはそうだ。けれど、それはつまり――

 と、そこまで思考を進めて私は目を瞠った。驚きに目を見開いたままで目の前の青年を真っ正面から見据える。否、呆然と見つめる。

「お、やっと目を合わせてくれたね。――まあ、それはそれとして、だ。いま挙げた理由は矛盾を形作るものの一部でしかない。当然だろう? 人間の感情はそんな単純なものではないからね。しかし、いくつかのパターンは存在する。
 さて、ここで注目すべきはきみが彼と彼女に抱いている感情だ。きみは彼と親しい関係にはあるが、それ以上には進めていない。そこから生じるものは安らぎと焦りだ。一方、きみにとって、きみと彼女は少々距離を置きたい関係性にある。近くにいれば『霊能力』という物差しによって自分と彼女とを比べてしまうから。そこから生じる感情は不安と焦りだ」

 私の心が読めるのでは、と思ってしまうほどの正確さで彼は私の心の中を暴くかのように言葉を紡ぐ。いや、本当は心が読めるのかもしれない。霊力を使って、使用者の精神と思考を読みたい相手の精神を『ライン』で繋げば、理論上、テレパシーのような芸当もできるはずだから。

「彼と彼女、きみは両者に『焦り』を感じているが、この二つは同じものではない。前者は『少しでも早く実現させたい』という前向きなもの。後者は『もしこうなったらどうしよう』という後ろ向きなものだ」

 本当、私が目を背けてきたことをどれだけ突きつければ気がすむのだろうか、この青年は。彼の口から自分の気持ちが語られる――いや、それだけでなく、ずっと大切にしていきたい『想い』までもが語られようとしている。それに気づいた瞬間、私はようやく彼に不快感を覚えることができた。大切なものだからこそ、自分の『想い』は自分の口で紡ぎたい、そう思えた。

「――私が蛍のことを大切に思っているのは事実。好きだと思っているのもそう。もちろん、友達としてではなく、ひとりの男性として」

 それだけを一息に言ってから、私は続けるべき言葉を探す。本心をごまかしたり、取り繕ったりするための言葉を脳内で検索する時間なんてない。恥ずかしがっている暇すら惜しい。人間なら誰もが持っているであろう黒い感情も、なにもかも、すべてを彼が再度口を開く前に――!

「私がフィッツマイヤーさんに――ううん、蛍の周りにいる女の子たちに何度も嫉妬していたことも、否定しない」

 それは、きっと真儀瑠先輩やサーラさんにだって同じ。なんて汚くて醜い感情だろう。でも今日は雨。そんな汚さや醜さは、きっとこの雨が洗い流してくれる。馬鹿げた妄想かもしれないけれど、そう信じて私は続けた。鳴り止む気配のない雷さえも自分を勢いづけてくれる効果音に変えて。

「でも、そういう嫉妬は蛍のことを好きだという気持ちが生んだもの。だから……だから私は一緒にいたい。蛍と、いたい。役立たずでもいい……。誰に罵られてもいい……! 私が一番辛いのは、蛍はいま誰といるんだろうって思いながら独りでいることだから!」

 まったく、本人の前でじゃなく、どこの誰かもわからない青年に向かって蛍への愛を叫ぶことになるだなんて、数時間前には予想もしていなかった。けれど、叫んだ意味はあったと思う。こんなに単純な、けれど、とても大切な気持ちを初めて口にできて、いまどうしたいのかもはっきりとわかったのだから。

 私の心からの叫びを聞いた青年はニコリと笑い、私の頭を『いい子いい子』とでも言いたげに撫でてきた。まるで小さな子供を褒める親のように。驚いて思わず一歩後ずさる私。

「おやおや、嫌われたものだね」

 苦笑する彼に私は「いえ、そういうつもりじゃ……」と返す。
 ……なぜだろう。彼はついさっき不快感を覚えたはずの相手だというのに、そんな気持ちが今は跡形もなく消え去っていた。彼は言葉ほど気にした様子もなく黒い傘を持ち直した。

「しかし『悩みぬいた末に出る、心からの言葉』というのはいつ聞いてもいいものだね。かつて『恋愛感情の類ではない『愛情』を抱ける相手のことを『仲間』と呼ぶんだ』と言った者がいたけど、あれを聞いたときと似た清々しさを感じたよ」

 恋愛感情の類ではない『愛情』を抱ける相手のことを『仲間』と……。それって、どこか――

「どこか蛍くんときみたちの関係に重なるだろう? 曖昧で、大人になれば崩れてしまうかもしれない、けれどだからこそ尊い、『友愛』などによって同じ舞台に並び立つ、対等な関係性」

「……はい」

 そうか。いますぐ恋人になることは、きっと、できないだろうけど。
 それがわかっているからこそ、私はまず彼の『仲間』に――対等な関係である、彼と『並び立つ者』になりたかったんだ。対等な関係にさえなれないのなら、恋人になるなんて絶対に不可能だろうから。

「よし、そんなきみに私からお礼だ」

「……お礼、ですか?」

 私が彼になにかお礼をしてもらえるようなことをしただろうか。お礼を言いたいのはむしろこちらのほうだというのに。まあ、かなりの荒療治だったから、素直にお礼を言うのはためらわれるのだけれど。
 首を傾げる私に彼は再度ニコリと微笑み、

「そう、お礼だ。こんな気持ちになれたのは実に久しぶりだったからね。想像していたよりもずっと有意義な時間になった。そのことに対するお礼だよ。まずは――」

 ぶわあっ、と。どこから発生したのかもわからない熱気が私の身体を包み込んだ。みるみるうちに雨に濡れた制服が乾いていく。これ、もしかしてマルツさんたちがときどき使っている『魔法』……?

「まあ、どうせすぐにまた濡れてしまうだろうけどね、なにしろこのどしゃ降りだから。でも一時的にではあっても乾いたほうがいいだろう? それと、これを」

 差し出されたのは黒い傘。思えば私はこの大雨の中、傘を差すことさえしないでいた。

「最後にひとつ。それがどんな感情から生まれた、どんな些細なものであれ、確かな意志は強い力となる。さあ、無力なきみはいま、なにを成し遂げたいと願う?」

 そんなの決まっている。姉さんやフィッツマイヤーさんに比べれば、無力でなにもできない私だけれど、それでもいま、貫き通したい『わがまま』が胸にはあるから。

「行きます、蛍のいるところへ。彼の傍(そば)でこの事件の最後を――ううん、これから始まるすべてを一緒に見届けたいから」

 見届け続けると、決めたから。決めたからね、蛍――!

「いい回答(へんじ)――いや、解答(いし)だ。蛍くんは以前きみたちが《顔剥ぎ》と戦った場所で、きみたちが現守高校で遭遇した悪霊――《見えざる手》と戦っている。多少の移動はしているかもしれないが、行ってみて損はないだろう」

「あ、ありがとうございます! でも、本当に……!?」

「ああ、インディアンは嘘をつかないさ」

 あなたはインディアンなんですかとか、じゃああなたは嘘をつくんですか、といったツッコミが思い浮かんだけど、なぜだか蛍の居場所に関しては嘘をついていないと思えた。先ほどまでの会話で私は目の前の彼を信用に値する人物だと判断したのだろうか。

「そ、それじゃあ……! あ、それと傘、ありがとうございます!」

 最寄り駅へと向かって走り出す。
 真儀瑠先輩と会ってしまわないだろうかとか、皆と会うのが気まずいとか、そんなことを考える暇もなく、軽やかに脚を動かして。


○式見蛍サイド

 《顔剥ぎ》のときと同様、僕は今回も新築建築物のひとつに不法侵入して体勢を立て直すことにした。しかもここ、どうやら前回逃げ込んだところとまったく同じ構造の家らしくて、『二階建てで庭付きの家』という言葉だけで説明がこと足りそうだった。もしかして、本当に前回と同じ家だったりしないだろうな? もしそうだったら変に縁がありすぎるぞ。

 サーラさんに左足を魔法力消費の少ない<回復術(ヒーリング)>で治してもらってから九恵に助けてもらった礼を言い、僕はそれから「それで」と改めて口を開く。振る相手は当然、いきなり戦いの場に現れた九樹宮九恵その人だ。

「どうして九恵があそこにあのタイミングで? まさか偶然通りがかった、とかじゃないよね?」

 もちろん、とでも言うようにうなずく九恵。よかった。もしこれが偶然だったら気味悪く感じているところだったよ。

「ええ、《見えざる手》が暴れまわっているのを感じてね。ちょっと気になったから来てみたのよ。まさか蛍たちと戦闘の真っ最中だとは予想もしなかったけどね」

「……えっと、《見えざる手》って、話の流れからしてあの悪霊のこと?」

「そうよ。もしかして知らないで戦ってたの?」

「そりゃ、あの悪霊が名乗ったりとか、そういうことはなかったから……。ねえ、九恵は誰から聞いたの? その《見えざる手》って名前。あ、前にアヤを助けてくれたときに悪霊本人から聞いたとか?」

「いえ、黒江から聞いたのよ。もちろん彼が勝手にあの悪霊をそう呼んでいる可能性もあるのだけどね」

「黒江? それって確か……」

 初めてその名前を聞いたのは陽慈からだっただろうか。いや、その場には九恵も一緒にいたな。ともあれ、陽慈に僕からと称して『スーパーに来てほしい』なんて意味不明な伝言を残した、謎の人物。

「あら? もしかしてまだ黒江と会ってないの? 蛍」

 九恵の問いに無言でうなずく。はて、あれから僕は彼の正体をどう結論づけたんだったっけ。確か『世界と同時に生まれた存在(もの)』と名乗っていたからニーナと同じ『界王の端末』なんだと思って、でもニーナに訊いてみたら『違う』みたいなことを言われて……。

 あれ? 結局それっきりになってないか? 黒江という人物が何者かというのはわからずじまいになってないか?
 僕はなにやら考え事をしているニーナに向き直る。ここで黒江という人物のことをはっきりさせるつもりで。

「なあ、ニーナ。黒江って人のことなんだけど」

「…………」

 なんか、無視された。めげずにもう一度呼びかける。

「お〜い、ニーナ。黒江って人のことなんだけどさぁ〜」

「…………」

 またも反応なし。むぅ、そこまで大事な考え事をしているのか……?

「ニーナ。お〜い、ニーナさぁ〜ん」

「――へっ? な、なに?」

 ようやく反応してくれたと思ったら、なんか妙に驚かれた。僕の顔、正面からガン見ですよ、奥さん。

「いや、黒江って人のことなんだけどさ、なんかニーナ、昼間に正体わかったっぽいこと言ってなかったか?」

「…………」

 なんと、ここにきてまさかの無言対応だった。しかし、ごまかそうとしているのとは微妙に違う。僕の顔を凝視しながら他のことを考えている、みたいな感じだ。時折、チラチラと僕の左足を盗み見たりもしているあたり、《見えざる手》を倒す方法を真剣に考えているのかもしれない。その選択はおおむね正しいと思うし、これ以上黒江なる人物に対して尋ねても答えは返ってきそうにないのもまた事実。なので僕もまた、あの悪霊の対策を優先させることにした。

「それで――」

「そういえばケイ、いつだったかテレビでやってたニュース、憶えてる?」

 ずいぶんと早い段階でユウにセリフを遮られたな、おい。

「…………。ニュース?」

「そう、ニュース。ほら、両腕が切断されていた殺人事件の!」

 ああ、そういえばやっていたな、そんなニュース。あれは確か、ダークマターを倒した翌日のことだったっけ。なんにせよ、ユウの言いたいことはわかる。

「つまり、あれか。その殺されていた人が《見えざる手》だ、と。でも、それがどうして僕たちに関わってきたのか――って、ああ、そうか。僕の『霊体物質化能力』目当てか」

 しかしあの悪霊、僕の周囲の人間にはちょっかいを出してきたけれど、僕個人とはなかなか接触しようとしなかったな。僕と奴の間には因縁なんてこれっぽっちもないはずなのに。
 と、そこまで考えを進めたところで、マルツが口を開いた。

「そういえば《見えざる手》からは、ダークマターの気配がわずかにしましたね、師匠」

「そうだね。ダークマターと戦ったのが三年も前のことだから、正直、確信が持てずにいたんだけど、マルツがそう言うのなら間違いないと思う」

 マルツはつい最近、ダークマターと戦ったのだから。サーラさんはそうつけ加える。二人の会話に驚いた表情を浮かべたのはニーナだ。

「ええっ! 本当に!? ボク、全然気がつかなかったよ……」

 おいおい、最前線で戦っていた奴が感じとれていなかったって……。

「仕方ありませんよ。本当に微弱なものでしたから。じっくり観察することのできた僕や師匠だからこそ気づけたんです」

 マルツのフォロー。しかし、そうか。近くにいればわかるというものでもないんだな。

「うう、それでもショック……」

 ガックリと肩を落とすニーナ。いや、それよりも、だ。

「本当に復活してたんだな、ダークマター……」

 以前、喫茶店でそんな感じの話をしたことを忘れていたわけではないけれど、きっとそうはならないだろう、という希望的観測を抱いていたのも事実なわけで。それが否定されたとなると、やっぱり世界の『復元力』とやらは働き始めているんだな、と凹まざるをえない。

「まあ、復活してるとはいっても不完全な形で、だから」

 またしても入るマルツのフォロー。うん、なんだかんだでお前、いい奴だよ。

「というかさ、《見えざる手》の行動には、ダークマターの意思がまったく見受けられなかったぞ? なんていうか、こう、『力』として利用されちゃってるだけ、みたいな」

「誰にだよ?」

「さあ、それは僕にはなんとも。順当に考えるなら、やっぱり《見えざる手》に、かな」

 マルツのあとをサーラさんが継ぐ。

「でもあんな『力』の弱い存在が、ダークマターを取り込めるものかな……」

 一度逃げだすことになった相手を差して『弱い』言いますか、サーラさん。ところがマルツはそれを否定せずに、

「師匠、そこはほら、『ダークマターの欠片』のそのまた欠片ですから」

「それも承知した上で、だよ。いい? 完全な状態のダークマターは、かつての界王ナイトメアと同等の力を持っていたんだよ? 何者かのサポートがあったならまだしも、そうでないのなら《見えざる手》が自力で取り込むのは不可能としていいと思う。仮に百分の一まで弱体化したダークマターであったとしても、ね」

 ふむ、『何者かのサポート』があれば矛盾はないのか。例えば怪しい行動をとっている黒江という人物がサポートしたとか。
 それにしても話が違ってきている。いま話し合うべきなのは《見えざる手》にどう対抗するか、だ。奴の誕生に関する考察なんて、後回しでもいいはず。

「あのさ、それより、これからどうするかを考えるべきなんじゃ――」

「そうですわね。とりあえず九樹宮九恵、わたくしたちに協力なさい!」

 胸を張ってフィッツマイヤーさんが宣言する。ああ、またセリフを遮られた……。

「お断りするわ」

 とりつく島もない感じでバッサリと協力を拒否する九恵。なんかこの二人、相性悪そうだなぁ……。

「なぜですの! 共通の敵でしょう!」

 おお、フィッツマイヤーさんもなかなかに食い下がる。

「とりあえず、私はあの悪霊と敵対した気はないから。そのあたり誤解しないようにね、フィッツマイヤーさん」

 いやいや、多分《見えざる手》は九恵のことを『敵』と見なしていると思うよ、あの状況じゃ。そうは思ったものの、フィッツマイヤーさんがどう出るかに興味が湧いてしまい、僕は敢えて黙ったままでいた。

 実際、この二人の言い合いなんてなかなか見れるものじゃないはずだ。おまけにどちらも相手を言い負かすのに長けている(ように僕には見える)。してみるとこの対戦(?)かなりの好カードなんじゃない?
 しかし、そんなことを考えている僕もなかなかに呑気だなぁ……。

「ぐぐぐ……!」

 なんとフィッツマイヤーさん、早くも詰まっていた。あれ? もしかして彼女、言い合い苦手だったりする?

「いいから手伝いなさい! いまは猫の手も借りたい状態なのです!」

「ならどこかから猫を連れてくればいいじゃない」

「くぅ……! 枯れ木も山の賑わいと言うでしょう!」

 や、フィッツマイヤーさん。それは自分のことを謙遜する際に使うことわざだから。九恵は別に気分を害した風もなくクールに返す。というか九恵、この言い合いをちょっと楽しんでないか? 心なしか目元が普段よりも柔らかくなっているような……。

「しょせん、枯れ木は枯れ木だから」

「ああ言えばこう言う……!」

「あなたがああ言わなければこうも言わないのよ。それに協力なら、いまここに向かってきている二人の霊能力者に頼めばいいでしょう?」

 二人の霊能力者? フィッツマイヤーさんと九恵以外の全員が首を傾げる。ひとりは合流するよう先輩に頼んでいた彼女の兄なのだろうけど、あとひとりは一体……?

 金髪の霊能少女が軽く目を瞑る。鈴音がときどきやってる『霊視』とかをしているのだろうか。数秒経って目を見開く彼女。そこには多分の驚きと少々の怒りがあった。拳を握ってワナワナと震わせる。

「……足手まといだと言いましたのに、あの神無家の次女は……!」

「……って、まさか、鈴音!?」

 フィッツマイヤーさんのあのきつい言葉にめげなかったんだ、鈴音。その事実に僕はちょっとホッとした。

「なにをホッとした表情してますの!」

 さっきからフィッツマイヤーさんが怒りっぱなしだ。これはマズイと感じ、僕は九恵に再度、協力を頼むことにした。『枯れ木も山の賑わい』は失言だろうけど、戦力が少しでも欲しいと感じているのはフィッツマイヤーさんも同じだろうし。ああ、でもきっと難航するんだろうなぁ……。

「九恵、《見えざる手》の件なんだけど、協力、してくれないかな?」

「ええ、いいわよ」

「……って、即答だ!」

「なんでですの! わたくしのときには……!」

「あら、ノーと答えたほうがよかったのかしら?」

 彼女の淡々とした返しに、僕はぶんぶんと首を横に振る。

「いや、もちろん協力して欲しいわけだけど。でも、どうして急に心変わりを……?」

「あなたの頼みだもの」

 サラリとそんなことを言う九恵さん。えっと……?

「フィッツマイヤーさんのためにもなるから、本当はあまり積極的に共闘したくはないのだけれどね。でも、助けてあげる、あなたのために。――あなたは、私を助けてくれたから」

「…………」

 思わず沈黙してしまった。だって、彼女の言う『助けてくれた』というのは、きっとスーパーでの一件を指しているのだろうけど、僕はあれ、『助けた』なんて言えるようなことはなにひとつしていないと思っていたから。

「さて、それじゃあ戦力の分析といこうか?」

 黙り込んでしまった僕に代わって場を仕切り始めたのはサーラさんだった。こういう状況で戦い慣れしている人がいると心強いなぁ、としみじみ思う。

「まずはこっちの状況から。マルツ、ニーナちゃん。魔術はあと何回くらい使えそう? <精神裂槍(ホーリー・ランス)>を基準として」

「僕は二回、多く見積もっても三回といったところですね」

「『刻の扉』を作るために回復させてきた魔法力をフルに使っても二回、かな。もちろん使わずに済ませるに越したことはないわけだけど」

「じゃあ魔法力が足りなくて術が発動しなかった、みたいな状況を避けるために、マルツは二回、ニーナちゃんは一回としたほうがよさそうだね。私もマルツ同様、二回ってところかな。なんだかんだで今日、けっこう消耗しちゃってるし」

 続いてサーラさんはりんに目を向ける。

「りんちゃんは使えるかな? 魔術。こっちで会ってから一度も使ってるところを見てないけど」

 りんは無言のまま静かに首を横に振った。『言葉』や『常識』と同じ括りで憶えていてくれれば助かったのだけれど、やはりそう上手くはいかないようだ。

「そっかぁ……。まあ、記憶喪失なんだし、しょうがないよね。――九恵ちゃんはどうかな? さっきなんらかの力で《見えざる手》? の動きを止めていたみたいだったけど」

 次に振られた九恵は『九恵ちゃん』という呼ばれ方に動揺したのか、しばし呆気にとられたように黙り込んでから、

「そ、そうね……。あれはけっこうな霊力を消費するから、ここ一番で一回だけ使用できる、くらいに考えておいたほうがいいと思うわ。それと蛍の『霊体物質化能力』があるこの状況でなら、霊能力よりも格闘術を主体に戦うことを考えたほうがいいでしょうね。まあ、あくまで私の場合は、だけど」

 なるほど。ニーナがやっていたみたいに、か。確かにそのほうが魔法力の消耗を気にせずに戦える。そのメリットは大きいだろう。
 ん? 待てよ。ということは……、

「九恵、格闘術なんか習ってるの?」

「いえ、我流よ。でも投げや蹴り、掌底を使った打撃といった一通りのことはできるつもりよ」

 それを聞いたサーラさんがポンと両手を合わせる。

「それは心強いね。肉弾戦は私、正直言って苦手だから。得意なのはニーナちゃんくらいのもの?」

「そうだね。でも、なるべくなら魔術とかに頼って戦うほうが安全だと思うよ。ボクは《見えざる手》がケイくんの『物質化範囲』から出ている状態でも殴り飛ばせるけど、九恵さんはそうじゃないわけだから」

 ふむ、相手を殴れる距離まで近づくということは、相手に攻撃される危険性を生むことにも繋がる、ということだろうか。でもそんなの、ニーナにだっていえることじゃないか。界王だから大丈夫だというのなら、そんなのは理由になっていないと思う。
 と、そこで黙っていたユウが口を開いた。

「つまり、ケイと《見えざる手》の位置関係に気を配り続けるのが大変だろうってこと? ケイに危険が及ぶ確率も高くなっちゃうし」

 あ、そっちの理由か。どうも僕は自分のことをないがしろにするところがあるらしいからなぁ……。
 ユウにうなずいてニーナは続ける。

「それと皆は見たかな? 《見えざる手》の黒い両腕が消滅したところ」

 僕たちが逃げだす瞬間のことだろう。やっぱり僕の見間違いではなかったらしい。

「ああ、見た。あれはつまり、『両腕』が維持できなくなるくらい、《見えざる手》の霊力を減らすことができたってことなのかな?」

「おそらくは、ね。もちろんボクたちを油断させるために『消してみせた』という可能性も残るけど。で、その可能性も考慮したうえで、やっぱり遠距離から魔術なりなんなりで攻めていったほうが突然『両腕』が現れても対処しやすいんじゃないかな?」

 ニーナの意見に九恵が異論を挟む。

「その理屈はわからなくもないわ。私も去り際、そこの――マルツ? が放った蒼白い光を見たから。でも蛍の能力の範囲に入っている状態なら、霊体は形態変化ができないのでしょう? だったら《見えざる手》は可能な限り『物質化範囲』に収めておくべきよ。それだけで『両腕が出現する可能性』を考慮しなくで済むようになるもの」

「う〜ん、確かにそのメリットは大きいね……」

 うなるニーナに九恵は「もっとも」と僕のほうに目をやってくる。

「これは蛍の能力があることを前提にした作戦。あなたの身の安全がまったく保証できない以上、あなたが《見えざる手》から距離を置いてしまう可能性も、なくはないわね」

 なんでそういう言い方をするかなぁ、九恵。それって暗に、唯一の不安要素は僕の度胸にあるんだって言ってるじゃないか。そんなだから誤解されやすいんだよ……。

「まあ、あなたは霊能者でもなんでもない、ただの一般人だもの。もし逃げたとしても、私はそれを責めたりはしないわよ。安心しなさい」

 や、安心できないって。それに……、

「逃げたりなんかしないよ。僕だって《見えざる手》を物質化させてはおきたいんだから。ほら、そうしないとユウが《見えざる手》に『取り込まれ』かねないだろう?」

 そもそも僕からしてみれば、相手を『物質化範囲』に入れての肉弾戦くらいしか悪霊を倒す方法はないんだ。今更怖じ気づいたりなんて、するわけない。
 九恵はフッと僕に笑みをみせ、それからサーラさんとニーナに目を向けた。

「これで大体の方針は決まったかしら?」

 九恵の案を吟味(ぎんみ)するように人差し指を口許に持っていくサーラさん。問題なしと判断したか、数秒してからうなずいてみせる。

「そうだね。ニーナちゃんと九恵ちゃんによる近接戦闘メイン、私とマルツは後方から魔術でサポート。基本戦術はそれで行こう。それと、言うまでもないとは思うけど、油断だけは絶対しないようにね」

 油断して左足に怪我をした僕には、なんとも耳にいたい言葉だ。

 ちなみに、

「ある程度弱らせることさえできれば、わたくしの力で浄霊することもできますものね!」

 とフィッツマイヤーさんは何度か言っていたが、それは丁重に無視し続けられていたのだった。


○シリウス・フィッツマイヤーサイド

 ――彼女と出会ったのはもう、かれこれ七年も前のことになるだろうか。

 タクシーに乗り込み、とある駅名を行き先として告げ。俺は目を瞑って当時のことを思い返していた。

 かつて、とある国に霊能力を科学的に研究していた機関があった。非合法な手段を採ることもためらわない、悪魔のような機関が。
 その機関は優れた霊能力を持つ者の精子及び卵子を集め、更に遺伝子をいじることまでして、人工的に『特殊な能力』を持つ霊能力者を二人、生みだした。アデルとアリスという名の、双子の兄妹を。

 兵器としての運用が考えられていたためか、多くの人間はその存在すらも知らずにいるはずだ。
 俺がそれを知っている理由はただひとつ。その双子を生みだすことになった卵子提供者が俺の母親だったからに他ならない。
 もっとも、それはまた別の物語だといっていいだろう。そのことによって家族間に問題が生じてもいなければ、世界規模のなにかが起こったりしたわけでもないのだから。

 それは、その双子が生まれてから十年が経過しようとしていた頃のことだった。
 その機関は一向に能力を発現させない双子に、ようやく開発したという『能力を開花させる薬』を試すことを決定した。毒とそう代わらないような劇薬を、だ。

 双子には機関の人間以外に身寄りは存在しない。当然だ、機関によって人工的に造られ、遺伝子まで操作された人間だったのだから。だから反対の声なんてものはどこからも上がるはずがなかった。そう、そこに『ハデス』と名乗る十代半ばぐらいの少女がやってくる、その瞬間までは。

 ハデスがその機関に現れたのは、とある夜のこと。その行動目的は不明であり、ともすれば、強力な能力をその身に宿していたであろう当時十歳の双子を誘拐しようとしているようにも見えたという。

 結論だけを語るなら、機関は一夜にして壊滅した。ハデスという十代半ばの少女一人によって、だ。そしてハデスと彼女に連れ去られた双子は現在も行方不明。
 この決して明るみには出なかった事件の概要を俺が知っているのは、当時十四歳だった俺が機関壊滅の後始末に加わったからだ。理由は、まがりなりにもフィッツマイヤー家の人間が関わっていたことだったから。もっとも、俺の修行の意味合いもあったようだが。

 余談だが、フィッツマイヤー家では将来に備え、十代半ばの頃からそこそこ大きい事件に関わることを求められる。それは当然、スピカだって同じことだ。
 彼女にはできる限り、普通の人間と同じ平穏な暮らしをしてほしい。そう思っていた俺はスピカには大きな仕事を回さないようじーさんに頼んでいたのだが、スピカももう十七歳、ちょっとした仕事をさせるだけで済ませるというのは、一族の誰の目にも不自然に映ったのだろう。結果、スピカは今回、大きな仕事に関わることになった。もっとも、スピカが望んだことでもあるのだ。だからそのことでじーさんを責めるつもりは、もちろんない。ただ――

 まあ、それはともかく。

 俺は壊滅した機関の後始末に向かった先で、一人の少女と出会った。輝くような金色の髪をポニーテールにした、十七歳ぐらいの少女と。

 ――それは、俺の初恋。

 いや、まさか俺ともあろうものが誰かに一目ぼれすることになるとは思わなかったね。まあ、その恋は結局、実らずに終わったわけだが。

 彼女の名は、イリスフィール・トリスト・アイセル。愛称はイリス。
 うん、実に変わった――というか、変な女の子だった。可愛いのは認めよう。性格がいいのも、だ。しかし、ことあるごとに『アヴァロンの湖』――『集合的無意識』と、世界に起こったすべての事柄を記録しているという『アーカーシャー』とやらの話を持ち出し、過去に起こったことを見てきた風に語るのはどうだろう。

 ところで、ユングという心理学者の定義した『集合的無意識』というものを知っているだろうか。すべての人間の意識は最終的に同一の湖に行き着く、という考え方だ。彼女が『集合的無意識』のことを、ときどき『アヴァロンの湖』と言っていたのは、おそらくこの考え方を彼女も知っていたからなのだろう。

 そんなイリスが言うには、なんでもハデスは『王の力』なるものを持っていたとのことで、それを用いて悪霊を暴れさせ、機関を一夜にして壊滅させたのだという。

 俺はそれをあっさり信じたのかって? まさか、もちろん疑ったね。力いっぱい疑ったね。すると彼女は『アーカーシャーの記録をひもとく』と言って、俺にハデスの過去を語ってみせた。また芋づる式に『世界』の『歴史』も、一緒に。
 そのことを聞かされて俺は彼女の言うことをすべて信じた……わけがない。むしろ彼女の頭を真剣に疑った。まあ、『それなら』と彼女は、直後に俺しか知らない昔の赤っ恥経験を話し出したので信じざるを得なくなったわけだが。というか、最初からそっちを話していたほうが有効だと思うのは俺だけだろうか。

 実は、俺とイリスは決して長い時間を共に過ごしたわけではない。時間にするなら約百二十時間、つまりはたったの五日ほどだ。
 それと、彼女の口からハッキリと語られることこそなかったが、彼女は『人間』ではなかった。おそらくは、俺たちよりも上に位置する存在なのだろう。

 俺がそう察していることに気づいたから、なのだろうか。彼女は俺にひとつの頼みごとをしてきた。

『――『支配者(ルーラー)』。とある場所で自分が『創られた存在』であることを理解してしまった――いいえ、『悟って』しまった危険人物。私はそれを追っているの。もっとも、性別が男性であることと、離れていても私と同じ類の『力』を強く感じる、くらいしか手がかりはないんだけどね。
 彼には人の人生を大きく狂わせる可能性がある。それも遊び感覚で、あるいは無自覚のうちに、ね。私はそれを阻止するために創られたものだから、絶対に見つけだして彼を捕まえないといけない。つまり、彼がここにやって来る可能性はあるけど、この世界に留まっているわけにはいかないの。
だから、お願い。もし『支配者(ルーラー)』や《世界破壊者(ワールドブレイカー)》――『この世界を滅ぼす存在』が現れたら、あなたがそれを阻止して。きっと『アヴァロンの湖』も『復元力』を働かせたり、『派遣者』を生みだしたりして協力してくれると思うから』

 俺はためらうことなくうなずいた。当然だろう? 惚れた女の頼みなんだから。それに、この約束が俺と彼女の『絆』になってくれる。そうも思ったんだ。

 それから神無家のサムライボーイこと御影 瑠天(みかげ るてん)や、彼の妹――といっても、血の繋がりはないのだが――である『漆黒の巫女』こと神無深螺といった『仲間』を作り、俺はその『支配者(ルーラー)』や《世界破壊者(ワールドブレイカー)》とやらの出現に備えた。もちろん『集合的無意識』――深螺が『世界の意思』と呼んでいるものが生みだすであろう『派遣者』の出現にも、だ。

 まあ、そんな存在が本当に現れることなんて十中八九ないだろうし、あの兄妹と三人で共闘できる日が来るとも思えないが。

 そうそう、俺は彼女と別れるときに『なんの足しにもならないかもしれないけど』と彼女からひとつの『力』を与えられた。それは非常に限定された範囲での『アーカーシャー』へのアクセス権限。

『これであなたは、自分が深く関わっている記録に限り、『アーカーシャー』から読み取ることができるようになったわ。例えば、私がどこかであなたのことを考えたとする。それをあなたは『アーカーシャー』にアクセスすることで知ることができるの。私があなたに対してどんなことを思っていたのか、過去に遡って余すところなく、ね。ついでに、相手がこの世界に存在しているのなら、どこに居るのかだって瞬時に特定することができるわ』

 ちなみに、『アーカーシャー』には『過去』や『現在』だけでなく、どうやってか『未来』の記録も存在しているらしいのだが、それには彼女の権限を持ってしてもアクセスできないらしい。稀にアクセスできる存在――『予知能力者』と呼ばれる者が生まれることもあるが、それは例外中の例外であり、ちょっとした『世界のバグ』なのだとか。

 それとこの俺の『力』、いくら大した理屈があろうと、使い勝手が微妙なものであることは否定できなかったりする。けど、意外と便利でもあるのだ。実際、この『力』がなかったら根無し草である瑠天と数ヶ月単位で落ち合うなんてこと、絶対に不可能だろう。それに――

 目的地に指定した、とある駅。その入り口に立っている黒髪の美少女――真儀瑠紗鳥の姿をタクシーの窓越しに認め、俺は口笛をひとつ吹いてみせた。

 ――ほら、俺に用のある初対面の人間と落ち合うには、欠かせない力だろう?


○シルフィードサイド

 風は『自由』と『愛』を象徴するものだという。

 すべての存在に等しく『滅び』――永久(とわ)の安息を与えよう、という魔族の『最終目的』と『存在意義』を明確に打ち立てたのが魔風王様であることを思えば、なるほど、確かに風は『愛』の象徴であるとも言えるのかもしれない。それが魔王――『漆黒の王』様の『救い』にまでなったのだから、なおのこと。

 まあ、ずいぶんと歪んだ形の愛だとは私も思うし、『滅び』を望まぬ存在からしてみれば迷惑極まりない『最終目的』なのだろうが。
 もっとも、魔族内でそう感じているのは魔風王様と私くらいのもので、それ以外の――『漆黒の王』様や他の魔王たちは『滅びこそが生命(いのち)あるものにとっての、唯一にして最大の救いである』と心から信じている。そして、そのために生命あるものを、世界を、そのすべてを滅ぼそうとしているのだ。もちろん『負の感情』――『結果的に魔族を創りだすことになるともいえるエネルギー』を発生させる生命あるものを滅ぼせば、魔族もようやく本当の意味での『滅び』を迎えられるから、という自分本位な理由もあるわけだけれど。

 ただ、下級や中級の魔族はそうした『存在意義』を大義名分にして、ただ遊びのような感覚で生命あるものを害しているようだ。生命あるものを退屈しのぎの道具とでもみているかのように。

 魔族が人間を害するのは結局、『完全な滅び』を迎えるために存在し続けよう、という魔族の力の源である『負の感情』を発生させるためでしかない。そしてその『負の感情』は放っておいても人間同士の衝突などから発生する。つまりは、魔族が生命あるものを害する必要はまったくない。下級・中級の魔族や私のやっている生命あるものへのちょっかいは、文字通りの『遊び』でしかないのだ。事実、私以外の高位魔族は『害すること』目的で生命あるものと接点を持ったりなんてしなかったし、魔王と呼ばれる存在ならば生命あるものの前に姿を現そうだなんて、まず考えない。だって、そこにはなにひとつ『意味』というものがないのだから。

 ゴロゴロという雷鳴の音で意識が外界に引き戻される。
 見下ろせば、そこには『駅』と呼ばれる建物から駆け出してきた少女の姿があった。黒い傘で顔が隠れているが、彼女の有する魔力の質からして間違いない、彼女は神無鈴音だ。

 この大雨では大した役にも立たない傘を差しながら、彼女は走る。そんな彼女に、私は嘲りの笑みを送ってやった。

「大した役にも立たない、か。まるでいまの貴女のようね、鈴音」

 なぜだろう。嘲ったのは私のほうであるはずなのに、まるで自分が嘲笑(わら)われたような錯覚を覚えた。

 非力な存在でありながらも、勇ましく前を向いている彼女。

 高位魔族であるというのに、自分の感情から目を逸らしている自分(わたし)。

 客観的に見て、嘲笑されるべき存在に映るのは果たしてどちらなのだろう、なんてことを考えて。

「――風は『自由』と『愛』の象徴。ゆえに『慈愛』を抱き、『救い』をもたらす。魔族に堕ちても、その本質は変わらない……」

 それは、かつて魔風王さまが私に言ってくださった言葉。そして、だから私も魔族の『存在意義』に縛られず、『疑問を抱くことができる』という『自由』と、生命あるものの立場に立って、彼らの心情を理解しようという『愛』を持っているのだという。
 そして、それを持ってすれば生命あるものと魔族、両方に共通する『救い』を見いだすこともできるのではないか、と。

 正直、魔風王様は魔族らしくない魔族だと思う。魔族でありながら『滅び』以外の方法で両者を救おうだなんて……。

「どこを探しても共通の救いはないのだと結論することになったら、一体どうするつもりなのか……」

 それになにより。
 私は『救い』を与えたいんじゃない。得たいのだ。感情が生みだすこの迷路から一刻も早く抜け出たいのだ。

 しかし、その『救い』が与えられないのは、当然のことなのかもしれない。
 だって、この《見えざる手》事件の引き金を引いたのは、まぎれもなく私なのだから。

 そう結論した私は、雨と雷雲に彩られた空に浮かんだままで、再び自嘲の笑みを浮かべた。しかし、それは眼下の彼女に向けたものではなく、自分の本心をあらかた理解していながらも、自分の心の中でさえ素直にそれを認められない、魔風神官シルフィードという自分自身に向けたものだった。


○同時刻 蒼き惑星(ラズライト)

 『蒼き惑星』暦一九○六年、火の月十四日のことだった。

 魔道学会フロート・シティ本部の地下に存在する特別資料閲覧室。
 本部の会長であるルイ・レスタンスとフロート公国の王族くらいにしか立ち入りを許されていないこの部屋には現在、その誰とも違う二人の人物の姿があった。

 ひとりは白色の長い髪を先のほうで結んでいる女性。やや幼い顔立ちではあるが、歳の頃は二十三、四といったところだろう、髪を結ぶ黒いリボンが白い髪の美しさをより際立たせていた。

 殊更(ことさら)に興味深そうでも、しかし退屈そうでもなく机に向かって本を繰(く)っている姿は、彼女の可憐な容姿も相まって、どこか天使を想起させる。
 彼女の名はシルフィリア・アーティカルタ・フェルトマリア。一部で聖蒼貴族と呼称されている組織に属する、フェルトマリア家の現当主だ。

 もうひとりの人物――その隣に座ってペンを片手に書類と格闘している黒髪の男性はアリエス・フィンハオラン。シルフィリアと同じく聖蒼貴族に属している、フィンハオラン家の現当主である。歳の頃はシルフィリアと同じくらいだろうか。悩みどころが多いのか、時折ペンが止まり、おそらくは意識せずに黒い長髪を掻く。朱色の紐でまとめられている髪の先。そのあたりが髪を掻く度にひょこひょこと揺れていた。黒い服を着ていることもあり、その姿はどことなくカラスを思わせる。

 本のページを繰る音と紙にペンを走らせる音。ただそれだけがこの室内を支配していた。交わされる言葉は皆無に近いが、それがむしろ二人の親密さをうかがわせるのだった。

 静かで落ち着いた、平和な時間。しかし、それにもやがて終わりは訪れる。

「失礼。遅くなってしまって申し訳ない」

 そう口にはしているものの、そんなことは微塵も思っていないと容易にわかる態度で、赤い髪を短く刈った男性が扉を開けて室内に入ってきた。現在、三十四にして魔道学会本部の会長を務めている天才魔道士、ルイ・レスタンスその人である。

 読んでいた本をパタンと閉じ、シルフィリアはルイに如才なく頭を下げた。アリエスも一度ペンを置き、それにならう。

「いえ、魔道学会本部の会長であれば、私たちとの面会よりも優先しなければならないことばかりでしょうから、仕方のないことですよ」

 つい物言いが皮肉っぽくなってしまった。しかしそれは、シルフィリアにとってはそれこそ仕方のないことだ。なにしろこの面会、彼女のほうからしてみれば、あまり乗り気ではなかったのだから。
 それでも一応のフォローは入れておく。

「まあ、普段は閲覧できない資料を読むことができたわけですしね。有意義といえば有意義な時間でした」

 それは彼女のついた、せめてもの嘘だった。
 祖国であるエーフェ皇国が存在していた頃のことだから、もうかれこれ四千年以上も前になるだろうか。シルフィリアは、遠い昔に滅びを迎えたエーフェ皇国が保管していた『この世界のすべてが記されている書物』――『聖本』を興味を惹かれた箇所のみとはいえ読んだことがあった。そして、いまさっきまで目を通していた本に書かれていたこともその範囲から出てはいなかったのだ。これではお世辞でしか『有意義な時間を過ごせた』などという言葉は出てこない。

 ルイは本の表題を確かめようと、シルフィリアの手元に目をやった。

「『聖界(せいかい)の知られざる神秘』、か。主に『精霊王』に関して記されているものだったな」

「ええ。例えば『風の精霊王シルフェスは『自由』と『愛』を司る』というような」

「しかし、いまとなってはなんの役にも立たない知識だろう。『精霊王』は第一次聖魔大戦のときに――」

「堕ちようとも『本質』は変わらない。かつて『彼女』はミーティア様にそう言ったそうですが?」

「まさか『白麗なる騎士姫』ともあろうものが、あのような小娘の言葉を信じているのか?」

「まさか。……まあ、本当にそうだったらいいな、くらいには思っていますが」

「……くだらないな。――それはそうとフィンハオラン卿(きょう)、さっきから気になってはいたのだが、その書類は一体?」

「え? ああ、これですか。定例報告用の資料ですよ、聖蒼貴族の」

「……記入者名が『シルフィリア・アーティカルタ・フェルトマリア』となっているが?」

「――察してください……」

 自分用の資料は割と早い段階でまとめ終えたというのに、現在はシルフィリア用のものをまとめるのに悪戦苦闘しているアリエスだった。別に彼が無能なわけではない、絶対量としての時間が足りないのである。それこそ、面会前の待ち時間さえも資料作成に費やさなければならない程度には。

 ルイは『気持ちはわかる』的な表情で黙り込んだ。ことの元凶であるシルフィリアは慌てて話を逸らしにかかる。

「そ、それで、本日私たちをお呼び出しになったのは、どういった事情で、でしょうか? 紅蓮の大賢者様」

 紅蓮の大賢者――魔道学会本部の会長に次いで有名な、ルイ・レスタンスの二つ名である。

「ああ、それだが。――おい、入って来い」

 閉めずにあった扉の向こう側に呼びかけるルイ。彼の後ろから入ってきたのは――

「クラフェル!」

「なんでここに!?」

 思わずガタッと音を立てて立ちあがるシルフィリアと、立ち上がりざまにペンを床に落としてしまうアリエス。黒いローブに身を包んだ老人は、後ろ手に扉を閉めて大賢者の隣に並んだ。

「久しぶりじゃな。ワシらの組織――『暗闇の牙(ダーク・ファング)』がお主らによって壊滅させられて以来じゃから……そう、大体六年ぶりといったところじゃろうか」

 そう、かつてシルフィリアとアリエスは、聖蒼貴族の『円卓の騎士団(レオン・ド・クラウン)』に所属しているガルス帝国生まれの戦士たちなどと共に、目の前の老人が所属していた裏組織『暗闇の牙』を壊滅させたことがあった。だが、シルフィリアもやはり神ならぬ身。当然、当時取り逃がした者が何人かいたわけなのだが、しかしそのうちのひとりと、まさかこんな形で再会することになろうとは。

 彼女たちの座っていたイスをルイが無言で指し示す。まるで、少し落ち着け、とでもいうように。
 彼がここにいることの説明を求める視線を向けながらも、とりあえずはそれに従って腰を下ろすシルフィリアとアリエス。ことの説明のためにか、はたまた別の話があるのかはわからないが、ルイとクラフェルも彼女たちと向かい合う位置に腰を落ち着ける。そしてシルフィリアの正面に座った紅蓮の大賢者は単刀直入に切り出した。

「今日、ご足労願ったのは、きみたちにひとつ、相談があったからだ」

「相談、ですか? 私たちに?」

「そう。……いや、あるいは交渉といったほうが正しいかもしれないな。他でもないエーフェ皇国の再興に関することだ」

 エーフェ皇国の再興。
 その言葉にシルフィリアの眉がピクリと動いた。確かな手応えを感じ取り、ルイは続ける。

「まず、本題に入る前にいくつか確認すべきことがある。あれは一九○二年の終わり頃だったか。それまではフロート公国から北に広がる海をどこまで行っても、すぐに『魔海』に辿り着いた。しかしミーティア・ラン・ディ・スペリオル――スペリオル共和国の第二王女のとある報告に基づいて改めて船を出してみたところ、いつまで経っても『魔海』には行き当たらず、そればかりかエルフィー大陸という新大陸を発見することとまでなった」

「ミーティア様は確か、『界王が無意識下でこの大陸に張っていた結界が解けた』と仰っていましたね」

「そう。結果、エルフィー大陸のみに留まらず、現在ではルアード、カータリス、ドルラシアといった大陸をも発見することとなった」

「かつて私たちが世界のすべてだと思っていたこの大陸――リューシャー大陸は世界のほんの一部に過ぎなかった。初めてそれを知ったときには、さすがの私もめまいがしました」

「私もだよ。しかもどの大陸にも、我々の大陸とは違う独特の思想や技術が、多かれ少なかれ存在していた。中でも特筆すべきはルアードの民が持つ『キカイ』や『キヘイ』というものを造りだす技術だな。自我がなく、死を恐れないうえに精神魔術が効かないという『キヘイ』には、特に驚かされた」

「まあ、物理的な破壊の魔術を使えば倒すことはできそうですが。それでもこの世に生きる者の力関係を容易に変えてしまう技術であることに変わりはないわけですから、常に気をつけておかなければなりませんね」

「そこだよ。現段階では起こっていないが、外界――四大陸がこの大陸に戦争を仕掛けてくる可能性が厳然として存在する。そんな事態になっても戦争を回避できるように、あるいはまともに戦えるように、この大陸にある三国は早急に一丸となる必要があるんだ。そうは思わないか?」

 もっとも、あちらが攻めてくる可能性があるというのなら、こちらから攻めるのをあちらが危惧している可能性も充分にあるのだが。まあ、そこは突っ込まないほうが吉なのだろう。
 ともあれ、話の方向性は見えてきた。

「エーフェ皇国の再興、などという話が持ちあがったのは、だからですか」

 エーフェ皇国はかつて、この大陸すべてを治めていた。エーフェ以外に国はなく、それゆえに平和が保たれていた。
 おそらくルイは、当時の再現をしたいのだろう。

「現在ある三国――スペリオル共和国、フロート公国、ガルス帝国をすべて滅ぼそうというのですか?」

「新たなるエーフェ皇国に対して反乱を起こそうという兆しがみえれば、な。どの国も現状を正しく理解し、エーフェに政治権を速やかに譲るというのなら、戦争になどなりはしない」

 もちろん、そんなスムーズにことが進むわけがない。問答無用で吸収されろ、などと言われて素直に従う国王など『王』とは呼べないのだから。

「そこで、私の力が必要になるわけですね?」

 他の大陸と、ではなく、他の国と戦争をするために。

 シルフィリアは永遠とも呼べる寿命と、異常とさえ称せるほどの戦闘能力を有している。そんな彼女の最終目的は『この世界から永久に戦争を失くす』こと。
 シルフィリアは決めていた。必ず、それを実現する、と。いつかはここと決めた国に仕え、戦争を仕掛けようとする国――ひいては争いそのものに対する抑止力になろう、と。

 もちろん、彼女の命は永遠ではない。『寿命がない』ことが完全に証明されたわけではないし、なによりも『殺されれば』死んでしまう。それでも、この命が続く限りはこの世界の守護者――争いを食いとめる者でい続けようと思うのだ。

 しかし、他の大陸――特にルアード大陸の有する技術に思考を巡らせると、やはり不安に襲われる。いつかは自分の存在が抑止とならなくなるほどの『力』を行使するようになるのでは、と考えてしまうのだ。

 人は学ぶ。ゆえに、自分が仕えようと思えるような人間もいつかは現れる。

 人間というものをそう評価したのは、他でもないシルフィリアだ。しかし、界王の結界が解かれ、外界というものの存在を知ったいま、こうも思ってしまうのだ。

 確かに人は学ぶ。だが、堕落もする。ゆえに似たような箇所を行ったりきたりすることになる。

 現に、シルフィリアが見込んでいた人物のひとり――スペリオル共和国の第二王女は、神によって人間の限界というものを痛感させられ、向上しようという意思を失いつつある。思考するということをすべて神に任せ、自分は神の手足になってさえいればいいのだと、そんな虚無感に囚われている。
 もちろん、ミーティアならいつかは立ち直ってくれる、とは思う。けれどシルフィリアの中にある冷静な部分が、それは希望的観測だ、もっと現実的に彼女以外の『王』たるものを探すべきだろう、と囁きかけてもくるのだ。

 そう、たとえばいま目の前にいる男はどうだろうか。この世界を――リューシャー大陸を統べるにふさわしい『王』の資質をミーティアの十分の一であっても持っているだろうか。
 シルフィリアの思考を遮るように、ルイが問いを投げかけてくる。

「ときに参考程度に聞かせてもらいたいのだが。きみが望む理想的な世界の在り方とはどういうものかね? 『永遠に平和である世界』などという幼稚なものではないと思うが」

「そうですね。そんな夢を信じられるほど私は幼くありませんから。それに、『永遠』――『変化のない永遠の時間』は『停滞』となんら変わりありませんしね。
 さて、私の思う理想の世界、ですか。それはつまり、私の目指している世界、ということでいいのですよね?」

 ルイがうなずくのを見て、シルフィリアは数秒間目を閉じた。もっとも、その答えはすでに決まっている。何度も考え、明確なビジョンとして頭の中に描いてきたのだから。

「私が目指すのは、『平等』かつ『公平』な世界、ですね」

「ふむ。すべての国をエーフェ皇国にまとめたとしても、その内側で争いは起こる。主に貧富などの差で。ゆえに皆を公平なスタート地点に立たせ、平等に幸福を享受(きょうじゅ)できる世界にしよう、というわけかね?」

「いえ、すべての者に平等に努力する機会を与え、その努力に対し、公平に結果が与えられる世界にする、ですよ」

 シルフィリアの否定に、ルイは面白そうに口許を歪めた。

「確かに『平等』は意味を間違えれば、ただ人間を堕落させることに繋がるものな」

「ええ。それに努力した者がしなかった者よりも豊かに暮らせるのは道理です。もし、これが否定されるというのなら、それこそが『不公平』というものですよ。仮に努力した者としない者に『公平』に同様の結果が与えられる世界であるならば、努力に価値を見いだすことが困難――いえ、不可能になってしまいます」

 ルイはそれに「なるほど、なるほど」とうなずいていたが、おもむろに身を乗り出し、

「では、そろそろ答えを聞くとしようか。まずリューシャー大陸全域では現在、モンスターの凶暴化現象が起こっている。原因は不明だが、おかげで他の国を攻めるにしても、共闘をもちかけて取り込んでいくにしても、非常にやりやすい状況になっている。
 次に私はクラフェルという人材を捜し当て、取り込んだ。ここしばらくは干されていたようだが、裏世界で培った召喚術を始めとした数々の技術は間違いなく役に立ってくれるだろう。そして、最後に私が必要とするのが――」

 やや間を置き、紅蓮の大賢者は告げる。

「――きみたち、聖蒼貴族だ。幸い、エーフェの再興という目的がきみたちにはあるようだしな。利害は一致しているといえるだろう」

 シルフィリアの目的は、あくまで『この世界から永久に戦争を失くす』ことであり、エーフェ皇国の再興にはそこまでこだわっていないのだが、まあ、そこに関してはひとまず流すことにした。

「私の要求は大したものではない。ただ、他の大陸から攻撃がくるまでに、この大陸に存在する国をひとつにまとめておきたい、というだけのことだ。エーフェの王になりたいなどとも思わない。……まあ、私も人間だから、エーフェの宮廷魔道士として召し抱えられたい、くらいの欲はあるが」

 そうして。
 ルイ・レスタンスはシルフィリアに『交渉』を持ちかけてきた。

「シルフィリア・アーティカルタ・フェルトマリア、どうかエーフェ皇国の再興に力を貸してくれないか? 他でもない、この大陸の平和を保つために」

 ルイから一度目線を外し、シルフィリアは目を閉じた。

 まるで焦らそうとでもしているかのように、その瞼はなかなか開かない。

 室内に流れる静寂の時間。

 やがて、数分に渡ろうかという沈黙ののちに、シルフィリアは顔を上げた。その瞳に深い知性の光を湛(たた)えて――。



――――作者のコメント(自己弁護?)

 ……長い。とにかく長いです、今回。もしかしたら、いままでで一番長い回になったかもしれません。
 『マテリアルゴースト』の二次創作作品を求めている方、『スペリオルシリーズ』の最新話を求めている方、シャウナさんの執筆している『スペリオル』と『ザ・スペリオル』の二次創作小説のキャラを求めている方、そのすべての方に応えたい、と思いながら執筆していたからでしょうかね。
 まあ、実際に応えられているかどうかが限りなく不安なうえ、飽和状態を起こしていないかが心配ではありますが。……詰め込みすぎた、という自覚がないわけではないのですよ(苦笑)。

 さて、もうラストも近いのに、なんでこんなに間が空いてのアップなんだ、と突っ込みたい方もいらっしゃるでしょうが、ここに『マテそば』第一章の第十一話をお届けします。
 いや、本当にようやくお届けできましたよ。今回から『VerticalEditor』というソフトを使って、四十行×四十字の原稿用紙形態で書いていくことにしたのですが、使い慣れるまでは、やっぱり執筆速度が落ちてしまい……。
 ちなみに、原稿用紙の枚数や文字数ですが、枚数が二十二枚(鈴音サイドが四枚、蛍サイドが七枚、シリウスサイドが三枚、シルフィードサイドが二枚、蒼き惑星サイドが六枚)、文字数は23000文字を超えていました(もちろんこのコメントの文字数は含んでいません)。うん、枚数や文字数がすぐにわかるっていいですね!

 で、原稿用紙に書いているときには「まあ、これくらいの文字数にはなるよね」と思っていたのですが、いままで使用していた『ワードパット』に貼りつけてバイト数確認をしてみたら、なんとその数値は第十話の倍近く! つまりは文字数も普段の倍くらいあるということに!?
 ……おかしい。今回はかなり短い話になる予定だったのに。

 当然というかなんというか、今回はここに書きたいことが山とできてしまっています。なので、ここからは各サイドごとに分けて書いていくことにしますね。

○鈴音サイド

 いままでどん底にいた鈴音の復活を描きました。
 本当はもっと落ち着いた感じにするつもりだったのですが、執筆しているうちにテンションが上がってきて、書き終えてから「なんか(僕にしては)すごく情熱的な展開になったなぁ」と思ったのを憶えています。
 あ、あと『マテリアルゴースト』でいつの間にか使われていた『仲間という括りがいつできたのか』というのを自分なりに示せたらと思い、鈴音の心情をああいう形で締めることにもなりました。まあ、とりあえずの結論、といった感じですね。

○蛍サイド

 蛍たちが今後どうするのか、を明確に示すためのシーンです。本当なら一番シリアスなシーンであるべきなのかもしれませんが、この回の中では唯一のギャグパートになっております。
 作者的には、九恵のデレが見所だと思っているのですが、どうでしょう?

○シリウスサイド

 『スペリオルシリーズ』全体の世界観に関わるシーンです。と同時に『マテリアルゴースト』を最後まで読んだことのある方にはニヤニヤが止まらなくなる展開にもなるよう心がけました。
 『アーカーシャー』や『集合的無意識』、『世界破壊者(ワールドブレイカー)』といった物語の根本設定を出すということもあり、正直、かなり力を入れて書きました。……や、もちろんどのシーンも常に全力で書いていますけどね(笑)。

 それと、上総かんな。さんが考えてくださった『R.N.Cキャラクター』、イリスフィール・トリスト・アイセル(イリス)が再登場しております。……え? 初登場の間違いじゃないのかって? 実は名前こそ出していませんが、『黄昏色の詠使い〜闇色の間奏曲(インテルメッツォ)〜』の『序奏』ですでに登場を果たしているのです、彼女。まあ、最近までキャラが固まっていなかったため、口調を直したりはしましたが(苦笑)。

 ちなみに、『世界の意思』が生みだす『派遣者』が誰であるかというのは……、『マテリアルゴースト』の愛読者ならすぐにわかりますよね?

○シルフィードサイド

 プロット段階では、まったくといっていいほど意味のないシーンでした。
 ところが肉付けをしていくにつれて、なんか思っていたよりも密度のあるシーンに……。
 とりあえず、魔族側の目的などを書くことになるとは、作者である僕も思っていませんでした。これだから小説は面白いのでしょうね(苦笑)。

○蒼き惑星

 シャウナさんの書いてくださっている二次創作小説のキャラクター、シルフィリアとアリエスを登場させたいがために書いたシーンです。キャラクターと設定(シリウスのサイドで出てきた『アヴァロン』のことです)の逆輸入、というやつですね。まあ、シャウナさんの設定とは矛盾するところがいくつもあると思いますので、完全な逆輸入とはいえないわけですが。
 あと、シルフィリアとアリエスを出すことを目的として書いたせいか、『マテそば』とはほとんど関係がなかったり……。
 とりあえず、単体でちゃんと読めるストーリーになっていることを祈るばかりです。

 それにしてもシルフィリアには知的な会話が似合いますね。そして、アリエスが予想以上に空気に……。
 そうそう、『引き』の感じでわかるとは思いますが、彼女たちの出番はこれで終わりではありません。もうちょっとだけ続きます。……や、まあ、本当に『ちょっとだけ』なんですけどね(苦笑)。

 ちなみに、原稿枚数と内容を見てもらえればわかっていただけると思いますが、このシーンもかなり力を入れて書きました。できる限り矛盾が起きないように、起きないように、と(笑)。

 あ、クラフェルや『暗闇の牙』の壊滅云々に関しては、僕の記憶違いじゃありませんよ? 『スペリオルシリーズ』全体に関する伏線張りの一環です。とりあえずは『ザ・スペリオル』の第一章を読んでくださっている方に『あれ?』と違和感を覚えてもらえれば大成功、といったところですね。

 さて、長くなりましたが、そろそろサブタイトルの出典といきましょうか。
 今回はジョン・ディクスン・カーの同名作品からです。実はこの作品、読んだことはありません。タイトルを知っているだけだったりします。いいタイトルだったので拝借したのです(笑)。
 意味は鈴音のサイドにのみ当てはまる感じですね。『鳴りやむことのない雷のなかでも、前だけは向いていよう』といったところです。うん、前回に引き続き、今回も意味がシンプル(笑)。

 最後になりましたが、稚拙なくせに長文なこの作品をここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。少しでも面白いと思っていただけたのなら嬉しい限りです。
 『スペリオルシリーズ』全体の世界観や、それに関する謎を当初の予定よりもちょっと(いや、かなり)早い段階で明らかにしたりしていますが、それも含めてこれからの作品を楽しみにしていただければなによりです。

 それでは、また次の小説でお会いできることを祈りつつ。



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