造物主の選択
○式見蛍サイド
今日は七月二十四日。金曜日。
《見えざる手》と戦ったのは、十日ほど前のことになる(倒したと表現しないのは、あの悪霊を成仏させたのがフィッツマイヤー(兄)だからだ)。
あのあと、フィッツマイヤー兄妹は状況報告とやらのために帰国し、僕には他人――主にフィッツマイヤーさんの視線を気にせずに済む日常が戻ってきた。
高校が夏休みに入った一日目の朝、僕はそういったことを再認識しながら羽毛布団をかけ直す。どうも寝ている間に剥いでしまっていたらしい。
もっとも、布団をかけ直したところで惰眠を貪ることはできないのだけれど。そう、本当に残念なことではあるけれど、彼女たちがこの家にいる限り、僕はそれを望めないのだ。
「ケイー! 朝だよー!」
まず耳に飛び込んできたのはユウの声。
「蛍。ほら、早く起きて」
続いて聴こえたのは鈴音の声。
そして最後に、
「うう、もう少し眠らせてよ。昨日、夜更かししちゃったんだよ……」
ものすご〜く眠そうなマルツの声が室内に弱々しく響いた。
この家の朝の光景に鈴音が加わったのは、《見えざる手》と戦った日の翌日からだ。といっても別に彼女とまで同居することになったわけではない。ただ朝も早い時間から僕の家にやってきて、朝食の支度をしてくれるだけで。
もちろん鍵は寝る前にちゃんとかけているのだけれど、鈴音の一体どこにそんな行動力が眠っていたのか、彼女はこのアパートの大家さん――実は僕の母方の親戚――と話をし、見事(?)僕の部屋の合い鍵をゲットしてしまっていた。ああ、先日、大家さんと会ったときに見た、あのニヤニヤ顔が頭から離れない。僕、表向きはマルツとの二人暮らしってことになってたからなぁ……。
僕とマルツが風呂場で着替えを終えて部屋に戻ると、鈴音によって布団が畳まれ、ある程度の段階まで朝食の用意がされていた。この光景にもそろそろ慣れつつあるのだけれど、僕の家の冷蔵庫の中を僕よりも鈴音のほうが把握しているというのはどうだろう。
そんなことを考えながら、朝食の支度を手伝う僕。食事が出てくるのをのんびりと座って待つユウとマルツ。お前らもちょっとは手伝えよ、と思ったりもするが、これも慣れつつある日常の光景だ。
三日目あたりまでは食事の用意をしてもらうのを遠慮していたし、鈴音も僕が手伝い始めると、なぜか頬を赤くしていたが、お互い、それにも慣れつつあった。
ふと、茶碗にご飯をよそう鈴音の横顔を見るとはなしに見る。なんというか、慣れっていうのは恐ろしいものだな……。
支度が終わり、四人で食卓を囲む。鈴音はこのために朝食を摂らずにここに来ているという。ちなみに、サーラさんとりんの食事は鈴音の家のお手伝いさん(『メイドさん』と称すると鈴音は怒る)が用意しているらしい。
こうして四人で食卓を囲むのは楽しいし、鈴音も楽しそうにしているので、多分こういうのも『アリ』なのだろう。朝、二度寝ができないのは残念だけれど、その『残念』を補ってあまりある幸福がここにはある。そんな気もした。
さて、食事(というか四人での雑談)を終えるのは、大体、学校に行く時間が迫ってくるからだ。だからこの間の土・日とか、夏休みに入ってからは、食事が終わってからもほぼ延々とグダグダとした雑談を続けていた。もちろん僕はその合い間合い間に食器を洗ったりするし、鈴音も洗濯機を回したり、洗濯物をテキパキと畳んだりする。……鈴音って、地味にハズレくじを引くタイプだよな、どう考えても……。
当然、今日もそんな感じにグダグダと一日を過ごすことになるんだろうな、と思っていた。そう、昼頃に先輩やサーラさん、りんといった面々が来たりとか、そういう小さな変化はあっても、昨日とそれほど変わらない一日になるのだろう、と。
ふと、『ピンポーン』というチャイムの音が突然、耳に飛び込んできた。いや、もちろん突然じゃないチャイムの音なんてないだろうけど。僕は立ち上がると玄関まで行き、ドアを開ける。
「はい、どちらさまで――」
「よう、少年。元気にしてたか?」
目にも鮮やかな金髪を持つ青年が、白のYシャツ姿でそこにいた。手には四角形の巨大なお盆を持っており、そば屋などで扱っていそうな器が十個ほど載せられている。
「蛍、久しぶり――というほどではありませんわね。ともあれ、変わりないようでなによりです」
青年の後ろから顔を覗かせたのは、ブレザーみたいな服に身を包んだスピカ・フィッツマイヤーさん。ドレスっぽい服を着た彼女しか見たことがなかったから、ずいぶんと大人しめなイメージを受ける。
しかし、アメリカに帰国したはずの二人がなぜ、ここに?
表情から僕の疑問を察したのか、フィッツマイヤー(兄)が口を開いた。
「《見えざる手》と式見くんのことを祖父に報告し終えたからね。こうして再来日してきたわけだ。それも今回は本腰を入れるつもりで、ね」
「本腰、ですか?」
「そう、本腰。とりあえず、キミの隣の部屋をしばらく借りた。長期滞在することになるなら、ずっとホテル暮らしというわけにもいかないからね。――というわけで、はい、年越しそば――じゃない、引越しそば」
大きなお盆を渡される。そうか、だからこんなものを……。……って、重っ! このお盆、ムチャクチャ重っ!
それはそれとして、僕の部屋の隣は確か、ちょっと広めではあるものの、家賃が高いとかで空いていたはずだった。そこを彼が借りたのか。
フィッツマイヤー(兄)の「上がっていいかな?」という言葉に「……どうぞ」とうなずき、お盆の重さにふらつきながら部屋の中へと先導する。
「そういえば、フィッツマイヤーさん」
「なんですの?」
「なんだい?」
兄妹が同時に返してきた。
「あ、いえ。いまのはスピカさんに……」
「そうだったのか。それにしても『フィッツマイヤーさん』は紛らわしいな。俺のことは『シリウス』と呼ばないか?」
「わかりました。……えっと、それでフィッツマイヤーさ――」
「蛍、わたくしのことも『スピカ』でけっこうですわ」
……なんだろう、妙な気迫を彼女から感じる。
「う、うん……。じゃあ、スピカさん」
「『さん』もけっこうです」
呼び捨てにしろ、ということらしい。
「わかったよ、で、スピカ」
「はい、なんでしょう?」
「隣の部屋を借りたって言ってたけどさ、スピカもシリウスさんと一緒に住むの?」
「ええ、あまり気は進みませんが……」
嘆息するスピカ。シリウスさん、不憫な……。
「聞いたかい!? 式見くん! なんて酷い妹だろう!」
ヘラヘラとした表情で、おどけるようにシリウスさん。それから「それと、俺のことも呼び捨てにしてくれてかまわないぞ」と言ってきたけど、僕はそれを固辞させてもらった。
そんなこんなで皆の待っている部屋に辿り着く。
「ケイ、誰だったの――って、フィッツマイヤーさん?」
声をかけてきたユウに「これからはスピカでいいんだってさ、皆も」と返してお盆をテーブルの上に置いた。スピカがなぜか複雑そうな表情を浮かべたが、結局、『名前で呼べ』発言を撤回はしなかった。
「ねえ、蛍。それっておそば……?」
「うわぁ」という感じのニュアンスが含まれている鈴音の問いに「引越しそばだって」と返す僕。彼女の反応は至極当然のものだろう。だって、僕たちはついさっき朝食を終えたばかりなのだから。そこにそばが十人前登場って……。
「引越し……」
なにやら考え込み始める鈴音。それから少しだけ鋭い視線をスピカに投げる。……な、なんだなんだ?
スピカが一歩後退るような視線を放っている鈴音のことは意に介さず、シリウスさんがユウに目をやって爆弾発言をする。
「あれ? まだ成仏していないのか、その娘。早いとこ成仏させてやったほうがいいぞ」
それは、この場にいる全員にとって、聞き流すことの出来ない言葉だった。代表して僕が訊き返す。
「……どうしてです? なんの問題もないように見えるんですけど」
「そりゃ、いまはな。しかし、放っておけば間違いなくしんどくなるぞ」
「ユウが成仏するときに――別れのときに辛くなる、とかいう意味ですか?」
シリウスさんは「違う違う」と大げさに首を横に振って否定してみせる。
「俺が言うのは、その『歪み』自身が感じる『苦痛』のことだ。――あ、『歪み』じゃなくて『幽霊』って言ったほうがいいか?
まあ、どちらにせよ、『死者』はな、基本、この世にいるだけで『苦痛』を感じるようになるものなんだよ。すんなりと『あの世』に還る選択ができるようにってな」
「でも、私にそういう『苦痛』はないよ?」
「それは『まだない』と言うべきだな。どうしたって、それから逃れることはできないんだから。言っているだろう? 『歪み』って。『死者』がこの世に留まろうとする時点で、その在り方はどうしようもなく『歪んで』いるんだ」
「けど私は記憶喪失だから、『苦痛』を感じるようになる、という事実も忘れているんじゃ――」
「記憶喪失だから、なんてのは理由にならない。それは『記憶喪失だから腹が減るという感覚を忘れていられるんだ』って言ってるのと同じだ」
厳しい口調で言うシリウスさん。職業柄なのか、幽霊に関わる話題になると彼からはおふざけの色が消えるように感じられる。
しかし彼は「まあ、とりあえずいまはいいけどさ」と嘆息し、話を打ち切った。そしてヘラヘラした表情に戻って、
「ほら、早く食べないとそばが伸びちまうぞ?」
「いえいえいえいえ! 僕たち、いま朝ご飯食べたばっかりなんですけど!」
「なにっ! じゃあ、これを全部俺とスピカで食えと!?」
「なんでわたくしまで!」
「……いいだろう、挑戦してみせようじゃないか! というわけでスピカ、俺が一杯、お前が九杯だ。間違いなく太るだろうが、まあ、そのときには式見くんを恨め」
「お兄様! せめて五杯ずつにするべきでしょう!」
「え、いや、スピカ、突っ込むところ、そこなの!? というかシリウスさん、どうして僕が恨まれなくちゃいけないんですか!」
「式見くんが、薄情だから」
「なんで!?」
「薄情者扱いされたくなかったら、黙って食べることだね。全部で十杯。ここにいるのは六人だから、四人は二杯食べなくちゃいけない計算になる。
まあ、とったのは俺だからな、責任をとって三杯は食べるさ。ちょうど腹も減ってるし。あとは式見くんとマルツくんが二杯ずつ食べればミッションコンプリートだ。頑張れ、男の子たち!」
「いつの間にか私たちも最低、一杯は食べることになってません!? シリウスさん!」
「というか僕、なんかサラッと巻き込まれた!」
「も、もうお腹一杯だよぅ〜!」
「すみません、こういう兄なのです。諦めて付き合ってあげてください……。……お兄様、わたくしを敵に回したらあとが怖いんですからね……!」
嘆く鈴音、マルツ、ユウに、謝ったり呪詛(じゅそ)を吐いたりと忙しいスピカ。
そして僕はというと。
もちろん、お決まりのこのセリフを呟くのだった。
「はあ、死にてぇ……」
○同時刻 神無本家
ししおどしの音がこだまする和風の豪邸。
その庭の一角に、物干し竿に洗濯物をかける少女の姿があった。
中学生くらいに見えるものの、実年齢は十七歳。髪は肩の辺りで切り揃えられており、服装はいまどき珍しい割烹着(かっぽうぎ)だった。
「これで終わり、っと」
洗濯物をすべて干し終え、少女――神無家新人お手伝いの雨森沙里(あまもり さり)は大きめの洗濯籠を抱えたままで、元気よく縁側へと走っていく。
指定の場所に籠を戻すと、彼女はそのままひとつの部屋へと足を向けた。そう、最近になって自分の専属となりつつある女性の部屋へ。
少し声量を抑えて襖の向こうへと呼びかける。「はい」という返事を待ち、雨森は襖を開けた。
そこには、清浄な空気をまとった女性の姿があった。年の頃は十八、九。人の目を引きつける腰まである白髪に、小さめの愛らしい、けれど無表情をなかなか崩さない顔。着ているのは白を基調とした巫女服だった。
彼女の名は神無深螺。『漆黒の巫女』やら『神無家史上最高の霊能力者』などと呼ばれ、尊敬と畏怖を一身に集める存在である。
そんな彼女は現在、古びた書物やノートをいくつか広げ、少しばかり難しい表情を浮かべていた。
「お呼びになりましたか? 深螺さん」
「ええ、少し他の人の意見も聞きたくなったもので」
書物ではなく、ノートを差し出す深螺。疑問符を浮かべながらも雨森はとりあえず受け取ってみる。しかし深螺が難解と判断したものであるのなら、自分が読んだところで意味なんてないのでは、とも思う。
その考えは、結論からいえば正しくもあり、間違ってもいた。
そのノートに書いてある内容は雨森にも理解できた。というか、この内容なら小学生にだって理解できるだろうと思えた。
このノートに書いてあったのは、いわば『世界の構造』。それも『死後の世界』も含めた『世界の構造』。
「……なんです? これに書いてある『階層世界』って」
「そこに記されている内容がすべてですよ。私たちの住む『ここ』が『第三階層世界』こと『物質界』。死者が一番最初に向かうのが『第四階層世界』。この『第四階層世界』の下のほうに『地獄』や『魔界』と呼ばれる場所があるのだそうです」
「それからも、まだまだ続いていますね。一番最後は……ええと、『第九階層世界』?」
「ちなみに、そのノートを作ったのは、私の兄です。もっとも、血は繋がっていませんが」
「深螺さんのお兄さん、ですか……。どんな人なんです?」
「…………。まあ、それは置いておくとしましょう。――それでですね、雨森。そのノートに書いてあったことを足がかりに、過去の記録を少しばかり読み返してみたのですが」
深螺は床に散らばっている古びた書物を目で指してみせ、
「結論から言って、この世界はなにかがおかしい――もっと言ってしまえば『異常』だと思うのです」
「『異常』、ですか?」
いきなりそんなことを言われても、雨森にはなにが『異常』なのかがわからない。だが、わからないなりに言葉を紡いでみる。
「それって、なにかが破綻しているとか、そういうことですか?」
「いえ、その逆ですよ。まるであつらえられたかのように整然としているのです。そう、まるで『そうなるように』創った何者かがいるかのように」
とりあえず少し片づけようと、開かれたままの書物に手を伸ばした雨森に、深螺は続ける。
「たとえば、いつの時代も男性と女性の出生率がほぼ同じであるのはなぜなのか。過去、多くの大陸が海中に没したはずなのに、なぜここしばらくは大陸の浮き沈みが起こらないのか。そして、なぜ遠く離れた大陸に住む人間が同じ欲求を抱き、幸福を求めることを『善』とし、自らが『善』の存在でありたいと願うのか」
「それは『偶然』とか『当然のこと』とかで済みそうな感じがしますけど……」
「そう、普通はそう考えます。もっとも、それを受け入れるにしても、『偶然』が誰からも望まれるタイミングで都合よく――気味が悪いほどに都合よく起きている、ということからは目を逸らせませんが。
しかし、兄――瑠天の記したノートに照らし合わせて考えてみると、それが『偶然』ではないと感じるようになるのです。つまり、そこにはある『法則』が――『神の法則』、あるいは『真理』ならぬ『神理』があるのではないか、と」
「『神の法則』……」
「以前、瑠天はこんなことを言っていました。
『人間は突然変異によって猿から進化したとされていますが、その『突然変異』とは具体的にはなにが起こったのでしょう』と。『そもそも、四足歩行から二足歩行への切り替えなんて、しないままでいたほうが生きやすかったのではないでしょうか。人間に進化する必要性は果たしてどこにあったのでしょう』とね」
「…………」
雨森は少し考えてみる。もし、いまから自分が片足のみで生活し、もう片方の足を手の代わりにして生きていい、などと誰かから言われて。果たしてそれを便利だなどと思えるだろうか。もちろん、出てくる答えは寸分の迷いもない『否』。二足歩行のほうが楽に決まっている。そもそも、足を手の代わりに使うというのが、とてつもなく難しいことなのだから。
「それから、こうも言っていました。
『現在、『生命』として活動している私の『自我』は、いつ、どうやって、どういう要因で誕生したのでしょうね。自然に生まれるだなんて、どうしても私には思えない』」
――人はどこから来て、どこへ行くのか。
それは、解くことが限りなく不可能な、人生最大の問題だ。きっと、その答えを求めて散っていった者は、歴史上、かなりの数に昇るだろう。
このノートにある『階層世界』が『死後の世界』だというのなら。
御影瑠天は少なくとも、『どこへ行くのか』の答えだけは見いだしたということなのだろうか。
深螺がパタンとノートを閉じ、嘆息した。そして気分転換でもするかのように雨森の片づけに加わる。
「言い忘れていました、雨森」
片づけをあらかた終え、深螺は雨森に向き直って告げた。
「私、近いうちに鈴音のところに行く予定があるのです」
「え? 妹さんのところに、ですか?」
「ええ。鈴音の友人のことで片づけなければならない問題がありまして。それに――」
一度、彼女は言葉を切ってから、
「うちが九樹宮家と交わした『例の約束』の履行期日が迫ってもいますので」
はてさて、一体どうしたものか。
そうとでも言いたげに、『神無家史上最高の霊能力者』はそれはもう深くため息をついてみせたのだった――。
○同時刻 アメリカ某所
時刻が午後九時を過ぎようという頃のこと。
フィッツマイヤー邸には、シリウスを訪ねてひとりの青年がやって来ていた。
彼の名は御影瑠天(みかげ るてん)。女性的な顔立ちに似合わず、背に負った霊刀で悪霊と渡り合う、柔和さを一切感じさせることのない武闘派霊能力者である。
年齢は二十歳。しかし身にまとっている黒い着物風の衣装や彼自身の持つ雰囲気、なにより落ち着いた物腰と言葉遣いによって、それよりも上に見られることが多かったりする。
実は『御影』の姓は十七歳のときに自分で考えだしたものであり、本名は神無瑠天。また『御影』の姓に変えてからは、とある『法則』を研究するため、ちょくちょく世界のあちこちに出かけるようにもなっていた。
神無本家における現在の基本的な立ち居地は『ただの使用人』。かつての戸籍上では鈴音と深螺の兄となっていたし、深螺はいまでも『義兄(あに)』と認めてくれているが、それを意識することは実はあまりない。そもそも鈴音に至っては、瑠天という義兄が存在することすら知らずにいるのだ。
ちなみに、彼が深螺や鈴音との縁を――家族としての縁を切るに至った原因には、彼女らの父――神無家の現当主が瑠天を孤児院から引き取った理由が深く関わっているのだが、それはまた別のお話である。
フィッツマイヤー邸の使用人に通された、天井から大きなシャンデリアがぶら下がっている広い一室で、フィッツマイヤー家の当主――レグルス・フィッツマイヤーと向かい合う形で瑠天はソファに腰を下ろした。スプリングのよくきいたソファは彼の身体を深く沈み込ませ、後ろで束ねた黒髪と共に一度小さく跳ねさせる。
「シリウスに用があって来たと聞いたが、一足違いだったな。あいつは昨日、スピカと共に日本に飛んでしまったよ」
先に口を開いたのはレグルスのほうからだった。瑠天は特に残念そうな素振りもみせず、束ねた髪の先をいじりながら「ふむ」とうなる。
「私のほうは五日前から、こちらのほうで人気のないところに篭もっておりました。まさしく一足違いでしたね」
「篭もっていたというと、霊力の『質』を回復させるために、かね?」
「ええ。霊力の『質』を定期的に回復させなければ、幽体離脱しても『階層世界』に向かえなくなりますから。それに、悪霊退治――この刀の切れ味にも支障がでてきます」
「『階層世界』……。『死後の世界』と同一のものと捉えてよかったかな?」
「はい。そう考えていただいて問題ありません。私たちの『行く場所』であり、同時に『来た場所』でもある世界です。
実は昨日、そこの――『第六階層世界』に行ったときにイリスフィール様からコンタクトがあり、その際、シリウス宛ての伝言を預らせていただきまして」
「ほう、死者からの伝言か。もっとも誰からのものであれ、私が聞いてよいものではないな」
使用人によって、テーブルの上に紅茶の入ったティーカップが二つ置かれる。髪をいじるのをやめ、瑠天はカップを口に運んだ。この青年は基本、礼儀正しいのだが、手持ち無沙汰になると毛先をいじる癖があるのが玉にキズだな。そう苦笑してレグルスもカップに指を引っかける。
「――しかし、あれからまだ三年しか経っていないのだな」
「ええ、そうですね。あれから三年が経ちました。もっとも、私としては『もう三年も経ってしまった』と表したいところですが」
瑠天がこの世界の整然さに気づいてから、約三年。
自分の姓を『御影』と名乗るようになってから、約三年。
そして『仲間』を求めていたシリウスとの邂逅から、約三年。
瑠天の知った『法則』――創造主の定めた『真(まこと)の法則』の中にある『第八階層世界』。そこに存在する『アーカーシャー』に限定的とはいえアクセスすることのできるシリウスという人間は、彼にとっても興味深く、また、見過ごすことのできない存在だった。
「どれだけ霊力の『質』を回復させようとも、本来のシリウスの『格』では、行けて『第五階層世界』の上段階が限界です。そのはずなのに彼は『第八階層世界』にある『アーカーシャー』にアクセスしてみせた。『アヴァロン』には行けなかったのに、です」
「『アヴァロン』?」
カップを置き、怪訝そうな声を出すレグルスに、瑠天は淡々と答える。
「『第七階層世界』に存在する『理想郷』のことです。いえ、『第五階層世界』からはすべて俗に『天国』と呼ばれる世界ではあるのですが、『アヴァロン』は様々な宝物(ほうもつ)が保管されていたり、次の世界に記憶を持ち越させるべきと判断された存在が待機していたりと、他とは少し毛色の違う場所であるため、『理想郷』と呼んで区別しているのです。
そうそう、イリスフィール様が仰るところによりますと、『第三階層世界』から訪れる者も割といるのだとか」
カップの中身を飲み干した瑠天は、再び髪の先に手を伸ばし。
「ここよりひとつ前の世界では、この『アヴァロン』を地上――『第三階層世界』に創ろうという試みもあったそうです。ちなみに、ふたつ前の世界でそれをやらなかったのは、『世界の繭』事件があったから、だそうですよ。なんでも一番平和な世界を選んだのだとか」
地上に『アヴァロン』を創るということは、つまり、そこを『天国』や『楽園』に変える、ということだ。確かに平和な世界でないとそんなものは創れないだろう。
「話が脱線しましたね。シリウスは日本に行っているんでしたっけ? ならちょうどいいです。私も一度、日本に戻る用事がありますので」
「用事? ああ、神無家と九樹宮家との間に交わされた『例の約束』に関することかね?」
「ええ、それです。履行期日が近づいていますので。もっとも、当事者が納得しないのなら、どんな手を使ってでも無かったことにするつもりですが。――しょせん、両当主が酒の席で交わした口約束ですしね」
瑠天の言葉に、レグルスは心底可笑(おか)しそうに笑ってみせた。
「そうか。ところで、すぐに発つつもりかね? もう時間も時間だ。もしそちらがよろしければ、今日は泊まっていってもかまわんよ?」
「……そうですね。では、お言葉に甘えて」
答えて瑠天は立ちあがる。
シリウスのことだから、十日に一度ほどは『アーカーシャー』にアクセスして、情報を集めているはず。それならイリスから伝言を頼まれた自分が日本に行けば、シリウスのほうからコンタクトをとってくるだろう、と考えながら。
○シリウス・フィッツマイヤーサイド
式見くんの許可を得てベランダに出る。
両のポケットから取り出したるは、タバコの箱と安物ライター。箱から取り出した一本のタバコを口にくわえ、ライターで先のほうに火をつける。
「……『死にてぇ』、か」
それは、先ほど式見くんが発した言葉。正直、俺には彼がそこまでネガティブな考え方の持ち主には思えなかった。だから、その言葉に妙な違和感を感じる。
深く吸い、吐き出すと同時に漏れる呟き。
「――《世界破壊者(ワールドブレイカー)》……」
それは、世界のルールから外れた危険因子。あるいは、本人が望むと望まざるに関わらず、『世界』を滅ぼしてしまうことを決定づけられた存在のこと。
前者はこの世界からの強制退場を――『集合的無意識』から『死』を望まれる存在。しかし、後者は……
「『世界』の寿命のようなもの、か……」
永遠に生き続ける人間などいないのと同じく、この世界にも滅びのときは来るのだと、イリスは語った。この場合における《世界破壊者》というのは、なんということはない、ただ老人に『長く生きすぎていますから、そろそろお亡くなりになったほうがいいですよ』と告げに来た死神と変わらないのだ。ただ、ちょっと実力行使が過ぎるだけで。
まあ、もちろん。
だからといって『はい、そうですか』と大人しく滅びたいとは思わないが。
「しかし、式見くんは《世界破壊者》なのか? 仮にそうだとしたら前者か? 後者か?」
『霊体物質化能力』。他に類を見ない『力』、永遠に存在し続けていられるはずの『魂』を『消滅』させてしまう『力』。まさしく、この世に存在してはならない、世界のルールから外れた危険な『力』。
『霊体物質化能力』は、明らかに世界のルール――『真の法則』に反している。その一点だけを見れば、彼は前者の意味での《世界破壊者》だとしか思えない。だが……
「ユウ……。あの『歪み』はどういうことだ?」
ポケットから携帯用灰皿を取り出し、灰を落としながら思考を続ける。
「『死者』が、この世に居続けていながら、なんの苦痛も感じない……。そんなことがあるか?」
考えられる可能性は二つ。
ひとつは、彼女がそもそも『死者』――『歪み』ではないというもの。そして、もうひとつは、
「彼女もまた、『真の法則』に反して存在し続けているのか?」
そんなことが可能かどうかはわからない。しかしあのユウという『歪み』は確かに、なんの問題もなくこの世界に留まれているのだ。
「なんにせよ、放ってはおけないな……」
もっとも、放っておけない度合いは、式見くんのほうがよほど高いが。
と、そこまで考えて、もうひとつ見過ごしてはおけない『歪み』を思いだし、ため息が口を突いて出た。
「――あの緑髪の女。シルフィード、だったか……」
ありゃ一体なんだ? 冷や汗なんて目に見えるところには浮かべてやらなかったが、式見くんを『異端』と表現するなら、あれは恐ろしいほどの『脅威』だぞ。
大体、憑依を必要とせずに、自分の力だけで物質に働きかけていたんだ。つまり、あれは『歪み』ではあるが、『霊』ではない。後者の意味での《世界破壊者》としてもおかしくないのではないだろうか。
捉え方によっては三人にまで増えてしまった《世界破壊者》候補の出現に、俺は顔をしかめて灰皿にタバコを押しつけ、火を消した。
携帯用灰皿をポケットにしまい、深く息をつく。
「さてさて、これからどうしたものかね」
呟いて、果てがなくすら思える青い空を見上げた。
そして思考は過去の思い出へと辿り着く。思いだされるのはイリスと一緒にいた五日ほどのあの時間。五日目に交わした、特に記憶に色濃く残っている会話だった――。
「後者の意味合いでの《世界破壊者》が『第三』から『第六』までの『階層世界』を滅ぼしてからしばらくの後、その『世界』は新たに生まれ変わるの」
「生まれ変わる?」
「ええ、『創造主』の手によって、ね。そして『創造主』は滅んだ世界にいくつかの修正を施して次の世界を創りだすの。そう、今度は滅びないようにと《希望の種(ホープ・シード)》という名の『世界の延命を促す存在』も創って、ね」
まあ、いまのところ『世界』は最後、どうしたって必ず滅んでいるんだけど、とイリスは嘆息する。
「滅びと創造が何度も何度も繰り返されたわ。ちなみに、いま私たちが住んでいるこの世界はもう『十回目の世界』。寿命を回避するというのは、どうやらなかなかに難しいことみたい――いえ、本当は不可能なことなのかもしれないわね」
『十回目』……。初めて創られた世界を『ゼロ回目』とするなら、『造物主』――いや、『創造主』とやらは、もうかれこれ十回も試行錯誤を繰り返したことになる。
「で、それを踏まえて。ここを壊滅させた少女、ハデスはね、『九回目の世界』で『アリス・ヒュプノス』と呼ばれていた少女だったの」
――アリス・ヒュプノス。
それは、今回の事件でハデスに誘拐された双子の片割れと同じ名前。
「……えっと、つまり?」
「彼女もまた、『九回目の世界』でアリスと同じ目に遭っていたのよ。いえ、双子の兄――アデル・ヒュプノスと引き離されることになってしまったのだから、この世界のアリス以上の目に遭っていたと言ったほうがいいでしょうね」
つまり、かつてアリスと名乗っていた少女は、この『十回目の世界』ではハデスと名前を変え、かつての自分と同じ境遇にあった自分自身を救うために機関を壊滅させた、ということなのだろうか。
「ハデスがなにを考えてそうしたのかはわからないけどね。でも外見はまったく同じで境遇まで同じ、しかもずっと会いたかった兄まで一緒にいたのだもの。どんな手を使ってでも救い出したい、と考える気持ちは理解できるわ」
その気持ちは確かに理解できる。だって、あの機関は非合法な手段を採ることもためらわない、文字通り『悪魔のような機関』だったのだから。だが、
「けど、そのアデルはアリスの兄であってハデスの兄じゃないんだろ? だったらアデルとアリスには、ハデスは『素性のわからないお姉さん』と映ったんじゃないのか?」
「そうね。でも、それでも永遠に会えないよりはいいと考えたんじゃないかしら。それは……そう、あなたが妹さんを大切に思う気持ちと照らし合わせて考えてみれば、少しはわかるんじゃない?」
「ふむ……」
しばしの間、考え込んで。なるほど、本当になんとなくではあるけれど、理解できたような気がした。
「それに、彼女は本当に長い間、元居た世界――アデルのところに帰ろうと頑張っていたから……」
「長い間って、どのくらい?」
「単純換算で、六年ほど」
「ろ、六年も、か……」
それは確かに長い。
「まず彼女が『支配者(ルーラー)』によって『二回目の地球』に飛ばされたのが十歳くらいのとき。普通なら悲嘆に暮れるなり絶望するなりするところなんだけどね、幸か不幸か、彼女はそうならなかった。元の世界に帰るため、ありとあらゆる手段を用いたのよ。ほら、『王の力』に目覚めてもいたしね」
そこからはすごかった。
世界を移動する手段こそイリスはぼかしたが、『二回目の地球』から移動した結果、『時空(とき)の狭間』に跳躍し、ハデスはこの世界そのものから消え去った……と思いきや、今度は『三回目の蒼き惑星』とやらに突然、現れたのだという。その次は『四回目の地球』。そして最後にここ、『十回目の地球』に来るに至ったのだそうだ。
なんというか、そこまでされるとすごい根性だと驚嘆するしかない。一体、何回失敗したのやら。しかし、そこまでの根性をみせても、結局『九回目の地球』には帰れなかったんだな。現実は厳しいものだ。少しだけではあるものの、ついハデスに同情してしまった。
「私はもう、彼女のような思いをする人を出したくない。だから『支配者』を追っているの。もちろん、そのために創りだされたから、というのもあるのだけれど、ね」
だから、と彼女は俺の目を覗き込んできた。
「その意味でも、さっきのお願い、よろしく頼むわね」
さっきのお願い。
それは『支配者』と《世界破壊者》が現れたとき、それに対抗――いや、勝利してほしいというもの。
俺は無言でうなずいた。彼女はそれに柔らかく微笑む。
そして最後。別れ際に彼女は『なんの足しにもならないかもしれないけど』と『アーカーシャーへの限定的なアクセス権限』――『一緒に過ごした時間の証』ともいえる『力』を俺にくれた。
青かった空が夕焼けの朱に染まっている。
気がつけば、思っていた以上に時間が経っていた。
そろそろ部屋に戻るか、と窓に向き直ると。
ニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤ。
スピカが『してやったり』とでも言いたげに窓の向こうで邪悪に微笑んでいた。
察するに、窓の鍵でも閉めやがったか。なんだそのガキっぽい嫌がらせ。
嘆息し、なんとはなしに記憶の中のイリスの微笑と目の前にいるスピカのそれとを比べてみる。
……イリスの圧勝だった。
さて、俺は霊能力者ではあるが、決して常識外れな力を持つ超人ではない。なので外側から鍵を開けるなんて芸当もできない。つまり、ガキっぽくはあるが、なかなかに効果的な嫌がらせ。
うんざりとため息をつき、窓に背を向ける。それから立ち居地をずらして壁に背を預けた。
あの『歪み』を退治した日から約十日。そろそろどこかでなにかしらの動きがあったかもしれない。そんなことを考えながら、俺は『アーカーシャー』にアクセスするため、瞳を閉じて幽体離脱を試みた。
まず最初に覚えるのは宙に浮く感覚。そしてそこから天に向かって勢いよく上昇する。普通の幽体離脱中の行動と違うのはここからだ。意識を『この世』――『物質界』ではなく、別次元に存在する世界――『階層世界』へと向け、そこを目指そうと考えながら飛翔(ひしょう)する。
いや、『飛翔』とすると少し語弊(ごへい)があるか。『階層世界』は肉体に依存しない精神のみの世界。思ったことが即、現実となる世界。すなわち、『思うこと、ただそれだけが移動の方法』となる世界。
物理的な『距離』が意味を成さないがゆえに『階層世界』に向かおうと思った瞬間には、既にその世界に辿り着いている。ふむ、ならこの移動方法は『飛翔』ではなく、むしろ『瞬間移動』と称するべきかもしれない。
まず訪れるのは『第四階層世界』。そこの入り口で俺は『両の腕のない男性』の姿を見かけた。最後こそ強制的なものになってしまったが、俺の『説得』を受けて『成仏』したのだから、彼がここに来ているのは実に自然な流れといえる。
これから彼は『己の良心』に基づき、行くべき階層を決定するのだ。俺の見立てでは……おそらく『第四階層世界』の中段階か上段階――俗に『精霊界』と呼ばれている世界に還ることになるだろう。
『歪み』であった頃のイメージが強いせいか、まだ両腕を失った姿のままでいるようだが、なに、この『階層世界』に馴染んでいくにつれ、段々と本来の姿を取り戻していくはずだ。
――やがて『第五階層世界』の上段階に到着する。この世界にいるのは『精霊』よりも多くの『聖なる力』――『善』を持つに至った存在たちだ。その中でも特に偉大とされる四人のうちのひとり――『自由』と『愛』を象徴する『風の精霊王』に話しかける。
「ちょっといいか? 例によって例のごとく、ちょっと『アーカーシャー』にアクセスして来たいんだが」
この一言で例外なく『アーカーシャー』のすぐ近くまで移動させてもらえる。あれには何度もアクセスしているのでイメージするのもお手のものだ。
以前、通行許可証のようなものを持ってもいない俺がなぜ『第六階層』と『第七階層』を通過して『アーカーシャー』まで行かせてもらえるのか、『風の精霊王』に尋ねてみたことがある。
彼女が答えてくれたところによると、なんでも俺の霊体からは微弱ながらもイリスの『力』が感じられるらしい。そしてそれが許可証の役割を果たしてくれているのだという。『階層世界』的に言うのなら、それは『イリスフィールの導きによって』なのだとか。
そんなイリスの導きのおかげで、俺は『第八階層世界』――正確にはその入り口――に辿り着き、『アーカーシャー』を視界に納めた。
無数の光の粒が集まり、形作られている土星の環のようなもの。それが俺に認識できる『アーカーシャー』の形だった。
光の粒は、それらひとつひとつが『断片的な記録』。粒には一際強い輝きを持っているものがいくつかあり、俺はそれにのみアクセスを許されている。
最近のものと思われる光の粒に「さて」とさっそく手を伸ばし、「――アクセス」とイリスに教えてもらった言霊を口にする俺。
『記録』が頭の中に流れ込んでくるのではなく、逆に自分が光の粒に吸い込まれる感覚。
そして――『記録』が、『俺』の中で再生される。
『シリウスに用があって来たと聞いたが、一足違いだったな。あいつは昨日、スピカと共に日本に飛んでしまったよ』
『私のほうは五日前から、こちらのほうで人気のないところに篭もっておりました。まさしく一足違いでしたね』
『篭もっていたというと、霊力の『質』を回復させるために、かね?』
『ええ。霊力の『質』を定期的に回復させなければ、幽体離脱しても『階層世界』に向かえなくなりますから』
瑠天とじーさんの会話が続く。それを半分聞き流しながら、彼がいまどこにいるのかを探ってみると――
「あ、まだフィッツマイヤーの屋敷にいるのか」
しかし、俺に用がある、か……。となると、近いうちに日本に戻ってくるかな、こりゃ。けど、用って一体なんだ?
『実は昨日、そこの――『第六階層世界』に行ったときにイリスフィール様からコンタクトがあり、その際、シリウス宛ての伝言を預らせていただきまして』
――っ!? なんだって! イリスから!?
俺はそこで流れる『記録』にストップをかけ、光の粒から全速力で離れた。なんとなく、この段階で聞くべきではないと思ったからだ。
そう、サンタクロースからもらえるプレゼントの中身はクリスマスになればわかる。もらう前に中身を知っておいたところで、嬉しいことなどなにひとつないのだから。
だから。
しばらくは、瑠天の持ってきてくれるであろうイリスからの『伝言(プレゼント)』を心待ちにしながら日々を過ごすとしよう――。
○ニーナ・ナイトメアサイド
ボクの持つ魔力を核に、光子(こうし)が集まり粒子(りゅうし)へ変わる。
それはケイくんの持つ『霊体物質化能力』に頼らずに行う物質化。
コンクリートで作られた現守高校の屋上に、ボクは小さな音を鳴らして着地した。
見上げれば、頭上には闇色のカーテン。星なんてひとつも見えず、丸い月だけが寂しそうにぽっかりと浮かんでいる。
そんな静寂のみが支配する空間に。
黒いスーツを身にまとった『彼』が、ボクと同じようにして現れた。
「――キミは、誰かな?」
年の頃は二十七、八。線は細くて見た目は普通の人間と変わらない。けれどボクにはわかる。これ見よがしに強大な魔力をまとっているんだから、わかる。
十日前、この学校でケイくんが言っていたことを思いだす。
『確か……そう、『世界と同時に生まれた存在(もの)』、だったか』
それが――彼。
「あれ、無言? ボクとおしゃべりしたくてここに来たんじゃないの?」
ボクはあのとき答えた。ボクとニーネは『蒼き惑星』における高位存在だ、と。
「じゃあ、ボクのほうから。とりあえず、キミの正体から当ててみせようか?」
微笑を浮かべる彼に向き直る。
「キミは『黒江』――いや、ケイくんに『霊体物質化能力』を与えた、『地球』における高位存在だね」
ぱち、ぱち、ぱち。
彼の返事は両の手を使った拍手のみ。その通り、とでも言いたげな微笑みを浮かべたままで。
しばし流れる無言の時間。
それを破ったのは、驚くことに彼のほうから。
「大体はその通りだ、界王ナイトメア。だが、ひとつだけ間違いがあるな。
いいかい、そもそもきみたちが『霊体物質化能力』と呼んでいる『神の創造力』。それを始めとした各種『神のパーツ』――『神の制御力』、『神の生命力』、『神の知識』、『神の想像力』、『神の魅力』、『神の恋心』――もちろん『理力』は『神のパーツ』のみを指す言葉ではないが、それらを含めた『理力』とは、一体どういうものだったかな?」
問われて眉根を寄せる。『理力』がどういうものかなんて、それはもちろん。
「『世界』には存在しない新たな『理(ことわり)』の力、でしょ。なにを今更……って、ああっ!」
「気づいたかい? そう、そういうことなんだ。『理力』とは『世界』に存在しない力のこと。いくら私であってもね、この世界にない力は、存在しないがゆえに与えることなどできないのだよ」
おどけるように肩を大げさにすくめてみせる彼。そうだ、そうなんだ。ケイくんに『理力』を与えた存在は別にいる。本当、どうしてこんな簡単なことに気づけなかったんだろう。これじゃボクはまるで――
「ただのアホだね」
「そこ! 人の心中を勝手に口にしない!」
ボクのツッコミなんて意にも介さずに彼は続ける。
「それと、私の本当の名は『黒江』じゃない。『造物主(クリエイター)』という」
「造物主……」
「偽名候補には『栗江(くりえ)』というのもあったのだけどね、なんとなく締まらなかったので『黒江』にさせてもらったよ」
そんなことはどうでもいい。本当にどうでもいい。
「十日前までの事件、裏で糸を引いていたのはキミ?」
陽慈って人に伝言を頼んだり、九恵さんに近づいたり。
「ああ、そうだよ。皆が皆、思い通りに動いてくれるわけではなかったかったからね。なかなかに骨が折れた」
「《見えざる手》を作りだしたり、シルフィードにあんな行動をとらせたのも?」
「ああ、それは違う。《見えざる手》を作ったり、最後の最後であれの口封じをしたりしたのは、シルフィードの独断だよ。まあ、それは結果的に私のプラスになったわけだけどね」
「……あっそ」
彼の性格がなんとなくつかめてきた。嘆息することで彼のセリフを受け流し、ひとつ質問を切りだしてみる。
「ひとつ、訊いてもいいかな?」
「どうぞ、なんなりと」
芝居がかった彼の口調。特に気にせずボクは続ける。
「ケイくんが初めてダークマターと戦ったとき、ダークマターの攻撃はケイくんに当たらなかったんだよね。一度なんて、ダークマターの放った波動の軌道が不自然に逸れたりすらした」
「ふむ、それで?」
「あのときボクが出した結論は、『理力』の持ち主は他の存在に害されない、だったんだけど……。
でも十日前。ダークマターを取り込んだ《見えざる手》の攻撃で、ケイくんは脚に怪我をしたんだ。当然、先日出した結論とは矛盾するでしょ。そこでボクはひとつ、試してみた」
「《見えざる手》と戦ったときに使った竜王烈弾波(ドラグ・スラッシュ)のことだね。蛍くんも可哀想に……」
……う、まあ、それは確かに。
「と、ともかく。ボクの放ったあの術は外れた。それも、ものすごく不自然に。これって、どういうこと? ボクは『蒼き惑星』の存在は地球人を害することができない、ということなのかとも思ったんだけど……」
「なに、単純なことさ。『理力』を持つ地球人は『蒼き惑星』の存在には殺せない。逆に『理力』を持つ『蒼き惑星』の人間は地球人には殺せない。そういう『ルール』――『法則』があるんだ。……まあ、『理力』を持つ者同士なら、普通に傷つけあうことができるんだけどね」
淀みなく語られるその言葉に、ボクは思わず息を呑んだ。
「――そんなことまで知ってるって……キミは本当、一体何者?」
「言っただろう? 造物主だよ。そう、突如起こった『ビッグバン』によって、『世界と同時に生まれた存在(もの)』だ」
「…………。それで、キミはこれからなにをするつもりなの? ボクたち『蒼き惑星』の人間まで巻き込んで――」
「巻き込んだつもりはない。私に言わせればそちらから勝手に来ただけだ。もちろん来た以上、私の目的達成のための駒として使わせてもらうつもりではいるけどね」
「……っ! だからっ! その目的っていうのは一体――」
「私の目的。それは、これからきみがすることを止めることだ。それこそ、どんな手を使ってでも、ね」
「ボクが、これからすること……?」
言われたことの意味がわからず、呟く。その声は小さく、風にさらわれてすぐに消えてしまったけれど。
少しの間、彼の考えを巡らせるような沈黙があって。
「……ああ、そうか。キミは界王の『分体(ぶんたい)』――いや、『端末』か。それなら本体から個別に名を与えられているはず。――訊いてもいいかい?」
「……ニーナ。ニーナ・ナイトメア」
「ああ、そうそう、それだ。『前の世界』でも尋ねたはずなんだけれど、すっかり忘れていた」
「……?」
思わず怪訝な表情を浮かべてしまう。そんなボクに彼は唐突に告げてきた。
「『アヴァロン』と呼ばれるところがある。それは『階層世界』――『第七階層世界』に存在する『理想郷』。そこは『階層世界』に存在する空間の中でも『アーカーシャー』や『本質の柱』と並んで特別視されている場所だ。
『世界』が滅びたとき、私や界王を含む『その次の世界でも『必要』と認識された存在』は『第七階層世界』以下に住まうものであっても一時的に『アヴァロン』に入ることが許される。そして新たな世界が誕生するまでの間、そこで生きていくことになるんだ。当然、次の世界が誕生して、『アヴァロン』から弾きだされてからも、そのときの記憶はそのまま残る」
正直言って、彼が口にすることはボクの理解できる範囲を超えている。なんとなく悔しいから、そうと口には出さないけど。
彼は最後にこう締める。
「まあ、もっとも。界王の『端末』でしかないきみは、『前の世界』の記憶を引き継げていないみたいだけれどね」
その一言で、ひとつだけは理解できた。
界王の『端末』として生まれたボク。けれど、しょせんは『端末』という存在でしかないボク。そんなボクは『世界』に関して持っている知識が、自分でも驚いてしまうほどに少ないんだ――。
その事実に愕然とする。でも、そのままではいられない。――そう、翻弄させられっぱなしはボクの性に合わないんだ。
「そういえば、さっき『《見えざる手》を作ったのはシルフィードの独断』って言ってたよね」
「ん? ああ、言ったね。それが?」
「ケイくんたちは当然、そのことを知らないわけだけど。それをボクが彼らにバラしたら、キミは困ったりしてくれるのかな?」
ボクのその問いに、しかし彼は微塵も揺るがなかった。
「いや、特に困りはしないよ。蛍くんの『成長』を促す結果に繋がるかもしれない、という風に考えてみれば、むしろ私にとってプラスにさえなるかもしれないね」
「…………」
「で、どうする? シルフィードのやったことを蛍くんに教えるかい?」
挑発ともとれるそのセリフに、ボクは両の拳を固く握る。
シルフィードの暗躍を蛍くんに教えたところで、ボクにはなんのメリットもない。いや、シルフィードが表立って敵対の姿勢をとってくる可能性を考えると、デメリットしかないとすらいえるだろう。
――いまのボクじゃ、目の前の彼をやり込めることは出来ない……。
「……シルフィードの件は、保留させてもらうことにするよ」
彼はボクのその言葉に「そうか」と満足げに微笑んだ。どうやら、ボクがどの行動を選択しても、いまの彼にとってマイナスにはならないらしい。
「さて、雑談はここまでにしようか。私は簡潔に一言、これを言うためだけにきみの前に現れたんだ。それは必要最低限の礼儀だと思ったからね」
そう言って彼はほくそ笑む。その口から告げられるのは、誰であっても間違えようのない――
「私は私の目的を達成するために、これからも暗躍させてもらうよ。ニーナ・ナイトメア」
間違えようのない――宣戦布告。
「……目的? それは、ボクがこれからすることを止めるってやつ? でも、ボクには世界を左右するような『なにか』をするつもりなんて――」
「きみではないよ。私が止めるのは『界王』がこれからすることだ」
それは、つまり。
『界王』本体のしようとしていることを止める、という――。
「そう。――すべては私の望む世界のために、ね」
そう言って、彼は不意にニヤリと笑う。
それは、彼がボクに初めて見せる歪な笑み。悲しみと孤独とに彩られた、泣いているかのような笑顔だった――。
――『第一章 自分の意味は』―― 閉幕
――――作者のコメント(自己弁護?)
どうも、ルーラーです。
この章を開始してから三年と半年ほどが経ってしまいましたが、ようやくここに『マテそば』第一章の最終話をお届けすることができました。楽しんでいただけましたでしょうか?
とりあえず書いておきたかったことはすべて書けましたので(プロローグの最終話で張っておいた伏線を回収したりとか)、僕としてはなかなかに満足できています。まあ、詰め込みすぎて飽和状態を起こしている、という感はバリバリしますが。
しかし今回、まさかここまで長いお話になるとは思ってもいませんでした。どれくらい長いのかといいますと、文字数が約19400字、枚数が四十行×四十字換算で二十枚(蛍サイドが四枚、深螺サイドが三枚、瑠天サイドが三枚、シリウスサイドが六枚、ニーナサイドが四枚)という長さです。まあ、実質は十九枚のようなものなのですけどね(笑)。
で、今回の話、実は長くなって当然でもあるのですよね。だって、2006年に作ったと思われるプロットには、蛍サイドとニーナサイドのことしか記されていませんでしたから。
正直、この第一章を始める段階からプロットを作ってはありましたし、物語の骨子というか、大筋の部分はそれの通りに進んではいるのですが、細かいところ――シリウスの能力やイリスの存在、瑠天の役割などは本当、去年(2009年)辺りから考え、出したものなのですよね。
そういうことをしたせいか、第一章は中身がかなり盛りだくさんになってしまいました。こういうのも肉付けっていうのかな?
それと、今回のあとがきでは敢えて内容には触れないでおこうと思います。
……あ、いえ、やっぱり一点だけ触れるとします。
ようやく本筋に絡んできた『御影瑠天』ですが、彼のビジュアルイメージは『天正やおよろず』(スクウェア・エニックス刊)に登場する『神無』のものだったりします。主に髪型と髪の色。もちろん、あれより大人っぽいイメージになってはいますが。
さて、ではそろそろサブタイトルの出典にいきましょうか。
今回は『スパイラル〜推理の絆〜』(スクウェア・エニックス刊)の第五十二話からです。
実を言うと、意味のほうはなんとも微妙な感じになってしまったな、と思っています。だってほら、『造物主』の出番がかなり少ないじゃないですか、今回。まあ、少ない割に色々としゃべってはくれましたけど。
ちなみに、『創造主』と『造物主』はまったくの別人(人なのか? 両方とも)ですよ。前者は『ゼロから『世界』を『創造』した、『世界』の『主(あるじ)』たる存在』、後者は『ビッグバンによって生まれた、『世界』の『主(ぬし)』的(『海の主』みたいな意味合いの)存在』、『『物』を『造』った存在』ですからね。まあ、割とどうでもいいことではありますが(笑)。
あ、そうそう。この章のサブタイトル『自分の意味は』の出典って、まだやっていませんでしたよね? もし過去にやっていたらアレですが、多分やっていないと思うので、ここで発表(紹介?)しておくことにします。
第一章のサブタイトルは『ドラゴンクエスト 天空物語』(スクウェア・エニックス刊)の第二話からです。
この章は鈴音が自分の存在意義に悩む話になると思い、開始よりも前にこのサブタイトルに決めたりしていたのですが、果たしていかがだったでしょうか? そんな感じのお話になっていたでしょうか?
最後に。
拙い文章と穴だらけのプロットで綴られた『マテそば』をここまで読んでくださり、ありがとうございました。
……まあ、まだまだ終わりがみえる気配のない『マテそば』ではありますけどね。でも、ここでとりあえず一区切りではありますから、改まった感謝の言葉を述べさせていただくのもいいかな、と。
そして、これからも僕の紡いでいく物語におつき合いいただけると幸いです。
それでは、また次の小説でお会いできることを祈りつつ。
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