スピカ、来日。



○???サイド

 式見蛍の能力(ちから)が少しずつ、――しかし、確実に大きく、広くなっていく。

 そう。私の望んだ、その通りに。
 『闇を抱く存在(ダークマター)』との戦いは間違いなく彼を『成長』させたようだ。

 しかし、これではまだ駄目だ。
 このままでは彼の能力が二つの世界を影響下に置く前に、彼が死を迎えてしまう。
 式見蛍には一刻も早く『成長』してもらわなければ。
 『彼女』との邂逅(かいこう)を回避させることは不可能なようだから、なおのこと。

 ――しかし、どうやったものか。

 ……ふむ。『魔風神官(プリースト)』シルフィードに協力してもらうのは当然として、それ以上のなにかを……。

 『フィッツマイヤー家』や『九樹宮(くきみや)家』にも協力してもらうか。幸いフィッツマイヤー家は既に動いていることだし。
 さて、あとは――。

 『神無家』――だな。式見蛍になるべく近しい者に協力してもらうとしよう。
 まあ、私が彼女らに頼んで『協力』してもらう、というわけでは無論ないが。

 さて――方針は決まった。
 まず接触を持つべき相手は――あの少女、か。


○式見蛍サイド

 ……隣からの視線が痛い……。
 うぅ……。なんでだ……。なんでそんなギロリという擬音がピッタリ合う目で僕を睨んでるんだ、鈴音……。
 一体僕がなにをしたと……?

 ――ことの起こりは、ほんの数分前にさかのぼる。




「じゃあ、キミが『闇を抱く存在(ダークマター)』を倒してくれたんだ。大変だったでしょ」

「ええ、まあ……」

「本当に大変だったよぉ〜……」

 僕とユウはマルツの師匠だという女性――サーラさんに『闇を抱く存在(ダークマター)』の一件のことを説明するため、喫茶店へと足を向けていた。もうだいぶ話し終えていたりするけど。
 喫茶店のドアを開くと、カランカランと涼やかな音が鳴る。

「うわぁ〜。音が鳴るなんて、凝ってるねぇ」

「……そうでしょうか」

 サーラさんは『蒼き惑星(ラズライト)』から来た人なだけあって、こっちの世界の常識にかなり疎かった。横断歩道なんて、信号機が赤なのに渡ろうとしたことが何度あったか……。おまけに彼女、どうも天然っぽいところもあるし。

 ここはセルフサービスなので、まずレジに行ってストレートティーを二つ頼む。いや、サーラさんの好みは分からないし、訊いても多分的外れな答えが返ってきただろうから。ユウの分が無いのはこの場合、当たり前のことと言える。

「どうぞ。ごゆっくり〜」

 ストレートティーを淹れてお盆に置いてくれた女性の店員の表情は、どこかニヤニヤしていた。
 ……店員にはユウの姿が見えないのだから、僕とサーラさんを見てニヤニヤしているのは明白だ。どこにニヤニヤ出来る要素があるのかは分からないけど。

「……どうも」

 お盆を受け取り、空いている席を探しながら歩く僕たち三人。日曜だから割と込んでるな……。

 あちらこちらへと視線をやっていたら、ふと、ある一点でその動きを止めてしまった。
 僕たちの座ろうとしているテーブルの――つまりは空いていたテーブルのひとつ向こう側。シックな黒いワンピースに身を包んだ、クセのあるセミロングの黒髪がどこか印象的な少女と、なんのイタズラかバッチリ目が合ってしまったものだから。

 少女の年齢は僕と同じかそれより少し上、といったところだろうか。顔立ちはかなり整っている部類に入るだろう。しかし、なぜか――いや、だからこそ、なのだろうか。なんだか妙に冷たい印象を受ける。無表情なのがそれに拍車(はくしゃ)をかけていた。
 彼女のその切れ長の黒い瞳からは、どこか人を見下しているような、あるいはあらゆることに飽きてしまったかのような、はたまたなにかを諦めてしまったかのような、そんな感情がかすかに見て取れる。
 しかし、僕はそれに悪い印象を抱かなかった。人を見下しているようにも見えるのに、だ。

 それはきっと――僕と彼女は似てるから。僕もユウと出会うまでは、家であんな瞳をしていたんじゃないだろうか。家だけでなく、独りでいるとき、あんな、どこか諦めたような、生きることに飽きたような瞳でただ時間が流れるままに過ごしていたんじゃないだろうか。

 少女は少しの間、僕のほうをジッと見ていたが、やがて店内のどこというわけでもない場所に――言うなれば、虚空に視線をやった。いや、おそらくはふとこちらを見たというだけのことで、また虚空に視線を戻したというだけのことなのだろう。

 彼女の見つめるそこになにがあるのか、僕には分からない。ただ、推測するなら……。そう。望んでいる自分の姿があるのかもしれない。僕が同じように虚空に視線を注いだとしたら――注ぐ気分になるとしたら、それは、その虚空に意識というものを持たずにふわふわと漂っている自分の姿を想像しているときだろうから。それがきっと、僕にとっての『幸福』だろうから。

「? ケイくん?」

 その声で顔を横に向ける。視界一杯に心配そうなサーラさんの表情があった。それはもう、本当に息がかかりそうなほどの目の前に。

「……な、なんでもありませんよ。座りましょう」

 真っ赤になってそう言い、イスを引いて座る僕。……ああ、びっくりした。この人、驚くほど無防備だな……。
 そのサーラさんも自分でイスを引いて僕の向かいの席についた。

 ユウは僕の能力範囲外に出て、ふわふわと僕の真上に漂っている。イスを引いて座るわけにもいかないからだろう。周りから見たら、ただイスが引いてあるだけ、と映るに決まってる。それだけならまだしも、店員さんがイスを戻しに来る可能性だってある。そうなると面倒だし。
 ストレートティーを口に含み、だいぶ落ち着いたところで話し始める。

「それで、もう詳しいことは大体話しましたけど――」

「蛍〜!?」

 しかし僕のセリフは、唐突に背後からした冷ややかな声に遮られることとなった。その声の主は……。

「――り、鈴音……」

「一体、ここでなにしてるのかしら?」

 立ったまま僕を睨む鈴音。いや、僕がここでなにをしていようと鈴音が怒る理由にはならないだろう。もちろん、鈴音の気分を害する行為は除くけどさ。僕、そんな行為した?
 すかさずサーラさんに視線をやった鈴音を見るともなしに見ながら、そんなことを思う僕。
 しかし、僕の心の声が届くはずもなく、鈴音はこちらに視線を戻すとさらにまくしたててくる。

「蛍、説明してもらえる? この人は誰? なんで一緒に喫茶店に入ってるの!? そもそも、どうして――」

「あなた、もう少し静かにしたら?」

 だんだんヒートアップする鈴音に冷水じみた声が浴びせられた。そちらに顔を向けると、さきほどの少女がこちらを冷たい目で見ている。
 鈴音は少し目を見開いた。

「あ。あなたは……」

 ん? 彼女、もしかして鈴音の知り合いか?

「えっと、す……、すみませんでした」

 店内でうるさくしたのはマズかったと感じたのだろう。軽く頭を下げ、僕の隣のイスを引いて座る鈴音。……って、彼女のことはスルーか?
 黒いワンピースの彼女は一体誰なのか、僕には割と気になったのだが、しかしこちらを睨んでくる鈴音に訊けるはずもなく。




 ――とまあ、そんなわけで現在に至っているわけだ。

 ふと見ると、ちょっと変わったデザインの白いワンピースを身にまとった少女が鈴音の隣の席に座っていた。いままで鈴音の勢いにすっかり呑まれていたため、ちっとも気づかなかったな。

「なあ、鈴音」

「……なに?」

 すごい視線で睨まれる。うん。こりゃあ白いワンピースの少女のことは訊けないな。鈴音の連れであることは間違いないと思うんだけど。

「それで、蛍」

「……なに?」

 返す僕の返事はつい先ほどの鈴音のセリフとまったく変わりない。違う点はただひとつ。鈴音は僕を睨んで返したけど、僕は口ごもりながら返しているところだ。

「彼女は誰?」

 僕もそう訊きたいよ、鈴音。白いワンピースの少女と、黒いワンピースの少女は誰なんだ……。しかし訊くことなんてできやしない。なのでこう返す。

「サーラ・クリスメントさん。マルツの師匠なんだって」

「嘘をつくんならもっと上手くつきなさいよ!」

「嘘じゃないって! そもそも、どこに嘘をつく必要があるんだ!」

「だって、サーラさん……だっけ? 彼女、どう見ても真儀瑠先輩と同い年かそのひとつ上くらいの歳じゃない! それで師匠って!」

「僕とユウも最初はそう思ったよ! でも本当なんだってば!」

 どんどん大声になっていく僕と鈴音。そこにまたも例の少女から冷水じみた声が届いた。

「だから、静かにしなさい。他の人たちの迷惑になるでしょ」

「ごめんなさい」

「すみません」

 即座に謝る僕たち。……だって、悪かったのは明らかに僕たちのほうだし……。
 少しテンションダウンしたところで、サーラさんに話を振る。

「サーラさんからも言ってあげてくださいよ。マルツの師匠だって」

 そこでサーラさんはなぜかハッとしたようにして、白いワンピースの少女から鈴音へと視線を移した。そういえばサーラさん、さっきから一度も口を挟んでこなかったな。ずっと白いワンピースの少女を見ていたのか?

「……あ、なに? ケイくん」

「いや、だから……」

「サーラさん。あなたは本当にマルツさんの師匠なんですか?」

 嘆息した僕の代わりに鈴音が尋ねた。サーラさんは当然、肯定を返す。

「そうだよ。――やっぱり見えないかな?」

「……えっと、失礼ですけど、歳はいくつですか?」

「歳? 22だよ」

『22歳!?』

 思わず揃って叫んでしまう僕たち三人。実は僕もサーラさんの年齢は訊いていなかった。だって、女性に歳を尋ねるのって、すごく失礼なことだと思うし……。でも、まさか22歳とは……。てっきり18〜19くらいだと思ってたのに……。

 でも22歳ならマルツの師匠というのもうなずけ――ないな。やっぱり師匠としては若すぎる。

「ところでその娘……」

 サーラさんは僕たちの驚きなんて意に介した風もなく話題を変えた。白いワンピースの少女に視線を戻し、

「リルちゃんだよね? どうしてここに?」

「?」

 リル、と呼ばれた白いワンピースの少女は可愛らしく小首をかしげた。代わりに鈴音が口を開く。

「あの、この娘は『神崎りん』といって……」

「あ、人違いだった?」

「いえ、そうとも限らなくて……」

 なぜか口ごもる鈴音。うん? 結局、彼女の名前はリルなのか? それとも神崎りんなのか? どっちだ?

「どういうことなんだ? 鈴音?」

「うん、それがね……」

 おお! やっと鈴音とまともに会話ができた。なんか安堵感と達成感が同時に湧いてくる。

「記憶喪失なのよ。りんは」

「うわぁ。じゃあ、私と同じなんだ」

 そう言ったのは記憶を失くした浮遊霊、ユウ。

「――記憶喪失かぁ。それは面倒なことになったねえ」

 いまのセリフはユウのものじゃない。というか、いまの声はいま聞こえるはずのものじゃない。いや、聞き覚えはすごくある声なのだけれど。

 なんとなく嫌な予感を抱いて、空いていたはずの席に視線をやる。サーラさんの隣の席だ。ちなみにここのテーブルのイスは全部で六つ。座っているのはユウを除いて、僕と鈴音とサーラさん、そして記憶喪失の少女。そのはずなのだけど――。

「やあ、昨日ぶりだね。ケイくん、ユウさん、それと鈴音さん」

 空いていたはずの席にはいつの間にやってきたのか、ニーナが座っていた。おかしいな、腰かけるところを見てないぞ。……って、ああ、そうか。空間を渡って店内に直接現れたのか。

「相変わらず神出鬼没(しんしゅつきぼつ)だね。ニーナちゃん」

「あ、サーラさん。ニーネとボクを同一人物と捉えないなら『久しぶり』だね」

 サーラさんとニーナはどうやら知り合いらしい。親しげに言葉を交わし始めた。

「とりあえずわたしは同一人物だとは思ってないよ。双子っていう認識が一番近いかな。だから久しぶり。ニーナちゃん」

「それはそれとしてさ、サーラさん。どうしてここに?」

「『闇を抱く存在(ダークマター)』との戦いに加勢しにきたんだけどね。ケイくんに話を聞いた限りだと、もう終わっちゃってたみたい。まあ、いいことなんだけどね。――あれ? ニーネちゃんから聞いてなかったの?」

「全然。きっとニーネ、ボクを驚かせるつもりだったんだろうね。――じゃあ、サーラさんはニーネの創った『刻の扉(ときのとびら)』でこの世界に来たんだ」

「そうだよ。というか、マルツみたいに事故でこっちの世界に来ちゃうほうが特殊でしょ?」

「そうだねぇ。だとすると、やっぱりその『神崎りん』は『リル・ヴラバザード』みたいだね。……はぁ、やれやれ」

 へ? なんでそうなるんだ?

「待った、ニーナ。一体どういうことなんだ?」

「つまり、だよ。ダークマターを倒すとき、キミはまた能力(ちから)を使ったでしょ。激しい感情を伴って」

「……あ」

 それで分かった。そもそもマルツがこの世界に来ることになったのは、僕が怒りなど、激しい感情を抱いて『霊体物質化能力』を使った――というか、武器を創ったからだ。そしてダークマターと戦ったときにも、僕は激しい感情を持っていた。ヤツに、怒りを覚えていた。

 最初、ニーナはそのせいでサーラさんがこの世界に来てしまったのだと思ったのだろう。しかしそれは違った。彼女は自分の意志でこの世界にやってきたという。そう。再びこの世界にやってきたときのマルツのように。

 なら、幸いなことに今回は誰もこっちの世界には来なかったのだろう、と考えたくはあったけど、自分やサーラさんと――あっちの世界の人間と面識のあった少女、神埼りんがここにはいた。だからニーナはこう思考を展開したのだろう。マルツ同様、神埼りん――もとい、リル・ヴラバザードがあっちの世界から来てしまった人間だ、と。そして、そのリルは空間移動の際のショックでなのか記憶を失くしていて、連れて帰るのも骨が折れそうだ、と。

 確かに僕が同じ立場に立たされたら、そりゃ、嘆息して『やれやれ』の一言もこぼしてしまうだろう。いや、僕なら『死にてぇ』とこぼすな。

 ニーナは僕の様子を見て大体なにを考えているのか悟ったらしく、話を続けた。

「それともうひとつ厄介なことがあるんだよ。なんかね。ボクたちの世界とこの世界、繋がり始めてるみたい。少しずつだけど、こっちの大気に混じる魔力が濃くなってきてるからね」

「それって、そんなにヤバいことなのか?」

「うん。かなりね。まず、この世界で以前より簡単に魔術を使えるようになると思う」

 全然問題ない気がした。というか、便利なんじゃないか? それ。ニーナが『刻の扉』を創るときに消費する魔法力も少なくてすむってことだろうし。それに――。

「じゃあ、あれか? 僕もマルツみたいに魔法を使えるようになるかもしれない、と?」

 確か人間なら誰でも魔力を持っているはずだ。そんなことを以前、聞いた覚えがある。

「いや、多分キミには使えないんじゃないかな。ちょっとしたコツが必要だし」

 ニーナにあっさりと否定された。……なんだよ。霊能力と同じで、やっぱりコツが必要になるのか。そもそも僕の能力は純粋な霊能力とはまた別物らしいし、僕はその霊能力を使うコツさえつかめてないに違いない。……はぁ。死にてぇ。

 ……と、待てよ。

「じゃあ、鈴音はどうなんだ? なにしろ巫女だし」

「……蛍、ここは『巫女だし』じゃなくて『霊能力者だし』と言うところなんじゃないの?」

 鈴音の苦情は、しかし誰からも無視される――かと思いきや。

「あ、鈴音ちゃん、巫女なんだ。偶然だね〜。リルちゃんも巫女なんだよ〜」

 そういえば、あっちの世界にも巫女はいるって、以前マルツが言ってたな。さすがRPGのような世界なだけのことはある。しかし、巫女服は着てないぞ、彼女。まさかリルも巫女服を着ない主義なのだろうか。だとすると、いよいよ巫女服を着ている巫女さんの立場が危うくなってきたな。

 僕がこの世の巫女さんの将来を案じている間にも、鈴音とサーラさんの会話は勝手に進んでいく。

「じゃあ、『蒼き惑星(ラズライト)』でも巫女服ってあるんですか?」

「巫女服? なにそれ? ああ、鈴音ちゃんが言ってるのって、読んで字の如く『巫女が着る服』のこと?」

「その通りのような、なにか違うような……」

「巫女の服なら、ほら、リルちゃんがいま着てるやつだよ」

「え? この白いワンピースが?」

 あ〜、確かに変わったデザインのワンピースだとは思っていたけど。会話には加わらずにボンヤリとそんなことを思う僕。

「そう。『巫女の法衣』っていうんだよ」

「へぇ〜。いいですねぇ〜。普通の服とそれほど変わりなくて……」

「? なにがいいの? そもそもこの世界の『巫女の法衣』ってどういうもの?」

「え〜と、それは……」

「――あのさぁ」

 ニーナが少々不機嫌そうに口を挟んだ。

「話がかなり逸れてる気がするんだけど? 巫女の着る服なんてどうでもいいことじゃない」

 いや、一部の人間には相当重要なことらしいんだけどな。その『一部の人間』の代表格が鈴音だ。

「話を戻すけど、鈴音さんも多分魔術は使えないよ。コツをつかんでいる可能性は高いけど、大気に満ちる魔力がボクたちの世界に比べると、やっぱりまだ薄いからね。
 まあ、相当修行を積んでいて、なおかつミーティアさんやサーラさんみたいに強大な魔力を持っているっていうなら話は別かもしれないけど」

 鈴音にそれほどの魔力があるとは思えなかったが、しかし、僕は『すごい魔力を持ってる』という方向でニーナに話しかけた。だって、鈴音が使えたほうが面白そうだし。

「つまり、使える可能性はあるわけだ」

「まあね。――で、このまま世界が繋がっていくと、どうマズいことになるかってことだけど」

 あっさりと流された。

「単刀直入に言うとね、『魔族』っていうダークマターみたいな連中がどんどんこの世界にやってくることになるんだよ。で、ボクたちの世界にいる『神族』にこの世界を護るつもりはないだろうから、この世界はただ一方的に攻められることになると思う」

 ……そりゃあ、なんていうか、ムチャクチャマズイな。現実にそんなことになろうものなら、世界が世紀末の雰囲気に包まれそうだ。

「なんとかできないのか?」

「いまのボクにはなんともしようがないよ。まあ、ミーティアさんあたりにでもなんとかしてもらおうかな、と思ってる」

 他人任せなんだな、お前。サーラさんはそんなニーナをたしなめるように、

「ニーナちゃん、『漆黒の王(ブラック・スター)』の一件以来、すっかり人に頼るようになったよね」

「ミーティアさんが『もっと他人に頼れ』って言ってくれたからね。言ったのはニーネに、だけど。それに、頼ることしか考えてないわけじゃないよ」

 ニーナはそう言うと、少しテーブルに身を乗り出し、声を潜めて続ける。

「前にも話したと思うけど、世界は『世界の意志』とでも言うべきものでバランスをとってるんだよ。そしてバランスをとるために、世界には『復元力』というものも存在する。つまり、世界そのものがこの状況をなんとかしようとしてるってこと。
 物語のつじつま合わせに似てるかな。少しでも元の姿の世界に戻ろうとするんだよね」

「つまり、ニーナはその『世界の意志』に任せてなにもしないと、そういうことか?」

 僕は否定してくると思ってそう疑問を投げかけたのだけど、

「平たく言えば、そういうこと」

 肯定されてしまった。

「それで、ここからが重要なんだけど、その『復元力』が一向に働いてない感じなんだよね。おそらくここ数週間は、人間でいうところの『準備期間』だったんじゃないかな。でもって、これからはどんどん『復元力』の影響が出てくることになると思う」

「いいことなんじゃないか?」

「問題なのはその影響の出方、『世界を元に戻す方法』だよ。誰かを犠牲にする必要があるなら、『世界の意志』は迷いなくそれを実行するからね。キミが誰かに命を狙われるようなことがあったり、キミたちが倒したダークマターが復活したりすることも、ないとは言えない」

 僕はその言葉に一瞬、詰まった。だって……。

「……え? 僕が死んだら困るんじゃなかったっけ? 世界に一気に歪みが拡がるとかなんとか……」

「それはボクの見解にすぎないよ。キミが死んでも、あるいはなんの問題もないのかもしれない」

「っ……。あ、それとさ。倒したダークマターが復活ってどういうことだ? あのとき、倒した――んだよな? あいつ、そんな簡単に復活しちゃうのか?」

「仮にも『闇を抱く存在(ダークマター)』だからね。――もっとも、バラバラになって滅びたんだから、あの姿のままで復活することはないだろうけど。――あ、そんな暗くならないでよ。これは全部ボクの推測なんだから。取り越し苦労の可能性もおおいにあるんだよ?」

 それを聞いて暗くなっていた気持ちがすぐに明るくなる、なんてことはもちろんなかったけど、ニーナが僕のことを気遣ってくれたことは分かるから、僕は無理にニコリと笑みを浮かべて、楽観的なセリフを口にした。

「そうだよな。問題が起こらない可能性もあるんだし、どうにかしようって思うのは実際に問題が起こってからでいいよな」

 鈴音も僕に同調してくれる。

「そうよね。なにも起こらない可能性も充分あるんだもんね。いまから心配してても仕方ないよね」

「――さて」

 一度目を閉じて、明るくしきり直すサーラさん。

「じゃあ話もまとまったし、ちょっといいかな、ニーナちゃん」

「なに? サーラさん」

「『刻の扉』、創ってくれない? ダークマターが復活する可能性がある以上、マルツはここに残るべきと思うけど、わたしはそれなりに『蒼き惑星(ラズライト)』でやることがあるから」

 サーラさん、それは言っちゃいけない。いまニーナは……。

「えっとぉ……。それがね、サーラさん。ボクの魔法力が回復するまでは創れないんだよねぇ。『刻の扉』」

「え、そうなの……?」

 さすがに呆然とするサーラさん。しかしすぐに気を取り直し、

「じゃあ、マルツのいるところに居候させてもらおうかな……」

 と呟いた。……ん? この展開って、もしかして……。

「だっ、ダメです!」

 最初に反応したのは案の定、鈴音だった。

「マルツさんは蛍の家に泊まってるんです。だから、えっと……えと……。…………。そうだ! 私のところに来たらどうですか? ほら、りん――じゃない、リルもいますし。私が個人的に訊きたいこともありますし! ね!」

「そう? じゃあそうしようかな。――まあ、確かに男の子の家に泊まるのは、わたしの世界でも一般常識としては問題だったしね。わたしはファルと野宿することも多かったから、そういうことを問題とは思わないんだけど」

 そういうものなのか。サーラさん、やっぱり無防備だな……。
 それにしても、彼女の口から『一般常識』という単語が出てくるとは思わなかった。僕がそんなことをボンヤリと考えていると、鈴音がブンブンと手を振ってサーラさんに言い聞かせるように言う。

「いえいえ、やっぱり問題ですよ! それも大問題!」

 そんな彼女の服の裾をつかむ手があった。リルだ。

「ねえ、鈴音。私は『リル』じゃなくて『りん』なんだけど」

 あ、もしかして彼女、リルって呼ばれるの嫌いなのか? 記憶がない以上、『リル』は自分の名前だと思えないのかもしれない。鈴音はそれを察してか、

「あの、サーラさん、ニーナさん。彼女の過去を知ってるあなたたちには抵抗あるかもしれませんけど、記憶を失っている間、彼女のことは『りん』と呼んであげてもらえませんか? 二人の会話の中では『リル』で構いませんから」

 別にそれでも問題ないからだろう。サーラさんとニーナは首を縦に振った。

「蛍とユウさんも、それでいい?」

 当然だけど、僕も首を縦に振る。

「うん。それでいいよ」

「記憶がないときにつけてもらった名前って、自分の存在の証明みたいなものだもんね。私にはよく分かるよ。よろしくね、りん」

 相変わらずユウはときどき深いこと言うよなぁ。

 ともあれ、そんなわけでみんな、リルのことは『神崎りん』という名の少女として扱うことにしたのだった。
 しっかし、口数少ないなぁ、りん。人見知りするのかな。それとも記憶がなくて不安なのかな。まあ、どちらであってもその心情は分からなくないけど。


○???サイド

 喫茶店を出ていく六人の姿をボンヤリと見送る。……そう、『六人』。どうやら幽霊も混じっていたようだけど、神無鈴音が放っておいているということは、おそらく害はないのだろう。

 ティーカップを持ち上げ、レモンティーを一口飲む。いまひとつレモンの香りが弱かった。ついてきたレモンの汁を紅茶に垂らし、スプーンでかき回す。
 そんなことをしていると、唐突に声をかけられた。

「やあ。ここ、いいかな?」

 美形と称していい顔立ちをした青年だった。年の頃は27〜28。背が高く、足も長い。まあ、だからといって好みのタイプだったりはしないけれど。
 線は細いものの、体格は良く、その身体を黒いスーツに包んでいる。そのスーツの着こなし具合もまた、妙にサマになっていた。
 顔には柔らかな微笑がたたえられている。その微笑みを形作った口から、再び言葉が紡がれた。

「ここ、いいかい? 九樹宮のお嬢さん」

 思わず息をのむ私。この男、なんで私の苗字を……?

「……どうぞ」

 男がイスを引いて座るのを待ってから、私は質問をぶつける。

「あなたは、誰?」

「黒江(くろえ)、という者だが」

「そうじゃなくて。……何者?」

「……『世界と同時に生まれた存在(もの)』、と言ったらお嬢さんは信じるかい?」

「――鼻で笑うわね」

「ハッキリ言うお嬢さんだ。まあ、私のことはどうでもいい。お嬢さん、『蛍』と呼ばれていた少年のことを知りたくはないかい?」

「…………」

「興味を持ったんだろう? 顔に書いてあるよ」

「……ポーカーフェイスは得意なんだけど?」

「そのようだね。いまお嬢さんがなにを考えているのか、私にはサッパリだ」

「……ふざけてるの?」

「少しばかり、ね」

 こういう返し方をされるのは予想外だった。と同時に、少し腹も立ってくる。すると黒江はそれを見透かしたように、

「OK。ふざけるのはやめるとしよう。あと、お互い嘘をつくのも、ね」

「私が嘘をついた覚えは――」

「ずっとお嬢さんを観察させてもらっていたから分かったことなのだが、あの少年に興味を持っているだろう? イエスかノーだ」

「……それが、どうしたの?」

 私は平静を装って返したが、内心では冷や汗を流していた。ずっと観察していた? そんな視線、まったく感じなかったというのに。黒江はなぜか、なにかを嘆くように天井を仰ぎ見て、続けた。

「ノリの悪いお嬢さんだ……。とりあえずイエスと受け取っておくよ」

「どうぞ、ご自由に」

「私の用件はひとつ。彼ともう一度会いたいと思うなら、彼のことを教えてあげようかと思ってね」

 私に戻したその瞳に見つめられ、一瞬、息が詰まる。あの少年のことを……?

「あなた、彼の父親かなにか?」

「いや、血の繋がりも親交も一切ない、赤の他人だよ。それでも教えてあげられることは、多々ある。そして、教えることで私にもメリットがある」

「あなたに、メリットが?」

「そう。私の情報から君がどう動くのも自由だ。そして、自由に動いてもらうことの延長線上に私のメリットがある。
 ほら、あれだ。いいことをすると巡り巡って自分に返ってくるというだろう? 私は遠くない未来に『いいこと』が起こって欲しいんだよ。だからいま、君に『いいこと』をしてあげたい。具体的に言うなら、彼のことを教えてあげたいんだ」

「見返りを求めているだけってわけ? まるで『いいこと』の押し売りね」

「押し売りとは言いえて妙だね。ああ、お金は取らないから、その心配はいらない」

「そのことは心配してない」

「――じゃあ、聞くかい?」

 しばし迷い、結局私は聞くことにした。彼――蛍にはなぜか親しみのようなものを覚えていたから。もっとも、その親しみは恋愛感情などではなく、同類に対するそれのようではあるけれど。


 そして私は知ることになる。『式見蛍』という人間を。『式見蛍』の望んでいることを。


○スピカ・フィッツマイヤーサイド

 ざわめきが周囲を満たす空港から外に出る。

「ここが、日本……」

 お兄様はよく訪れていたらしいけど、わたくしには始めて降り立つ地。特に感慨は感じない。すぐさま『歪み』の位置を特定する。

「――見つけた……」

 フィッツマイヤーの一族は霊などを始めとする『世界の歪み』を察知する能力に優れている。おそらくはその身に流れる『血』によるものなのだろう。
 わたくしは見つけた『歪み』のいる場所へと移動を開始することにした。――と。

 腕時計を見る。午後三時を示していた。あっちを発ったのは午前五時だというのに。

「とりあえず今日のところは、ホテルにでも泊まる必要がありますわね。接触は明日、ですかしら」

 そうこぼして、わたくしはまず駅へと向かった。


○式見蛍サイド

「なあマルツ、『リル・ヴラバザード』って知ってるか?」

 家に帰ってから、僕はそうマルツに訊いてみた。

「へ? リル・ヴラバザード? 現代の三大賢者のひとり、アーリア・ヴラバザードの娘――のことだよな?」

「多分、そうだと思う」

「なんでケイがリルのことを知ってるんだ?」

 マルツは訝しげな表情をしてそう訊いてきたが、僕が今日あった出来事を話すと納得したように、

「あ、師匠、こっちの世界に来たんだ。それで、か。なあ――」

「ねえ、マルツ」

 ユウがマルツのセリフを遮り、質問をぶつける。

「『現代の三大賢者』って、なに?」

「え? ああ、その名の通りだよ。僕の世界の『賢者』と呼ばれるほどの知恵と魔力を持った三人の魔道士――『紅蓮(ぐれん)の大賢者 ルイ・レスタンス』と『漆黒の大賢者 アーリア・ヴラバザード』と『沈黙の大賢者 ドローア・デベロップ』のこと」

 つまり、リルはその『漆黒の大賢者』の娘ってことか。けっこうな大物だったんだな、彼女。いや、親の七光りか?

「それで、師匠と会ったんだろ? 師匠、美人だっただろ?」

「え? うん、まあな。美人っていうか、美少女って感じだったけど……」

 22歳の女性のことを指して『美少女』はないだろうとは思うが、事実、そんな感じの女性なのだから仕方がない。

 このあと、マルツの『師匠自慢』が延々と続くことになったのだが、それはまた、別の話ということで。
 どうでもいいけどマルツって、こういうキャラだったっけ?


○『魔風神官(プリースト)』シルフィードサイド

 夜の闇が辺りを静かに包み始めるころ。
 私は一匹の悪霊を従え、とある巨大な建造物の一番上に立っていた。

 おそらくナイトメアも気づいてはいないだろうが、私はあのとき――『闇を抱く存在(ダークマター)の欠片』が滅びたとき、細切れになって拡散した奴の魔力の一部を自らの内に吸収しておいた。

 それを自らと分離させ、傍らにいる悪霊に与える。
 悪霊の力を取り込んで復活しようと企んでいた『闇を抱く存在(ダークマター)』が悪霊に取り込まれ、私の手駒となるとは、皮肉なものだ。

 この悪霊も当然のことながら、元は人間だった。それを私の手駒とするため、風の刃で両腕を切断し、殺した。

 なぜそんな殺害方法を選んだのか。それは私に強大な恨みや憎しみを――悪意を抱かせるため。

 なぜそんなことをしたのか。それは『闇を抱く存在(ダークマター)の欠片』の力の一部を取り込めるほどの強い『悪意を持った霊』を――悪霊を生み出すため。そして、式見蛍に活躍の場を与えるため。彼らのための事件を起こすため。

 ――そう。私は事件を起こすために事件を起こした。

 傍らの、『闇を抱く存在(ダークマター)の欠片』の魔力に縛られ、私だけの命令を聞くようになった悪霊を見やる。私の手駒は順調に成長を遂げたようだった。
 『両腕』の復元は出来なかったようだけれど、『力』のほどはそれでも充分。

 私は少し考え、傍らの悪霊に名を与える。
 ふむ。『両腕』が――手が存在しないのに霊力でその機能を代替出来るようなのだから――。

「――さあ、行きなさい。《見えざる手》」

 これでいいだろう。やや適当な気はするけれど。

 私の言葉に従い、《見えざる手》は夜の闇にその姿を溶かし、消えた。

 途端、私はなぜか虚しくなり、思わずポツリと呟く。

「式見蛍。あなたが私の救いだというのなら……私に――」

 そこから先の言葉は、口にしなかった。心の中でも考えなかった。

 ――いや、考えなかったわけではない。

 ただ、心の中で――押し殺した。



――――作者のコメント(自己弁護?)

 どうも、ルーラーです。メインは喫茶店での会話なのですが、九樹宮家の少女の登場に、蛍の能力効果範囲が拡がることを望む者の出現、そして暗躍を始めたシルフィード、と割と盛りだくさんな話になった短編連作『マテリアルゴースト〜いつまでもあなたのそばに〜』の第九話をここにお届けします。面白いと思って頂けると同時に、『さあ、これからどうなることやら』という感想を持って頂けると僕としては嬉しい限りです。

 また、蛍の能力効果範囲が拡がることを望まない者――スピカも日本にやって来ましたし、 神埼りん(リル・ヴラバザード)の存在も見逃せないものになるはずです。きっと。

 しかし、僕はやはり『日常のシーン』が苦手なようです。どうも会話がギクシャクしている気がしてなりません。

 そしてそれ以上に苦手なのが『ラブコメ』。今回、サーラと話している蛍に鈴音がつっかかる、みたいなエピソードを書きたかったのですが、彼女、ほとんどつっかかってません。すぐにニーナがやってきて、深刻な話に移行しています。そもそもサーラはファルカスの恋人(のようなもの)なので、その彼女を交えて三角関係(っぽいもの)を演出しようとすること自体、無謀な試みだったのでしょう。

 そういえば、鈴音は第一章のメインキャラだというのに、あまり目立っていない感じがします。まあ、今後イヤでも『《見えざる手》事件』という名の舞台に上がってもらうことになるのですが。

 そして、とにかくスピカの出番が少ないです。看板に偽りありですよ。今回のサブタイトル『スピカ、来日。』なのに。まあ、一応来日はしてますけどね、彼女。

 閑話休題。

 今回は本当に難産でした。ここまで筆が進まなかったのは本当に久しぶりです。パソコンで書くようになってからは初めてのような気がします。キャラのセリフもなかなか出てきませんでしたし。……スランプなのでしょうか。

 第十話は出来るだけ早くお届けしたいと思っていますが、一体いつになることやら……。これからは私生活が忙しくなることが予想されますので、軽く一ヶ月は空きそうです。……いえ、そんなことを言っていると案外早くお届けできたりするのが僕だったりもするのですけど。
 小説の執筆状況は僕のブログサイト『ルーラーの近況報告』で報告していくつもりです。

 さて、そろそろ今回のサブタイトルの出典を。今回のサブタイトルはTVアニメ版『新世紀エヴァンゲリオン』(GAINAX)の第八話『アスカ、来日。』をもじったものです。『新世紀エヴァンゲリオン』、知ってる方も多いのではないでしょうか。有名ですから。

 それでは、また次のマテリアル二次でお会いできることを祈りつつ。



――――作者のコメント(転載するにあたって)

 初掲載は2006年10月13日。

 ブログを始めたり、『ザ・スペリオル』の開始――このホームページの開設を本格的に考え始めていた時期です。
 リアルでは内職をやめたり、10月12日に仕事が決まったりと、これから忙しくなる感バリバリだったというのに、よく実行に移したものだなぁ、とちょっと驚いてもいたり。
 うん。あの頃の僕は若かった。行動力もいまよりはるかにあった。

 そうそう、初めてブログで作品の完成を報告したのがこの作品なのですよね。そういった意味で、なかなかに感慨深い作品でもあります。

 それと、なんの因果なのか、この転載作業をやっている2008年10月現在もスランプに陥っているのですよね、僕。

 あ、この回では『九恵の髪の描写』を加筆しました。読み返してみたら、設定資料にもそれがごっそりと抜け落ちてましたよ。いやはや、うっかりしていました。……はい。これからは気をつけます(汗)。



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