究極の遊戯(後編)
○式見 蛍サイド
事件は、スーパーから出た直後に起こった。
「ちょっと、いいかい?」
そう声をかけてきたのは、スーパーの制服を着た20歳くらいの男性。
「? なんですか?」
「いや、君ではなく、そっちの女の子に、なんだが」
ということは、九恵(意識してそう呼ばないといつまでたっても慣れないだろうから、心の中でも積極的に呼び捨てしているのだけれど、それすらも実はまだ恥ずかしかったりする)に用があるのか。ユウの姿は見えていないだろうから。
「なんでしょう?」
「ちょっと、カバンの中を見せてもらえないか?」
『は?』
思わずハモる僕と九恵。しかし、彼女はすぐに理解したように、
「――ああ、なるほど」
そう呟いて、カバンを開けてみせる。すると中から、100円も出せば買えるような板チョコがコロリと転がり落ちてきた。
「やっぱりか。あの男の子の言ったとおりだったな。――ちょっと店の控え室まで来てもらおうか」
「拒否しても無駄ですからね。別にかまいませんよ。――あ、でも一応言わせてください。『私はやっていませんよ』」
「…………。この状況下でそんな白々しく言われたら、信じようって思ってた人でも信じなくなるぞ」
「別にいいですよ。信じようなんて思ってくれる人なんて、おそらくこの場にはいないでしょうから。あ、でもひとつ教えてください。『あの男の子』って誰ですか?」
店員さんはちょうど店から出てきた少年を指差した。
「――彼だよ」
「ああ、やっぱり木ノ下君か……」
ポツリと、どこか呆れたように洩らす彼女。僕はそれを聞きとがめ、店内に戻ろうとする九恵に尋ねた。
「ちょっと九恵、やっぱりってどういうこと?」
すると彼女は少しためらうように、
「言っても信じてはくれないでしょうけど、たぶん、彼が私のカバンに板チョコを入れたんでしょうね。肩をぶつけてきたときに。――あと、それ自体もおそらくは全面的に彼の意思だとは言いがたいわ。彼、弱い奴にだけど、憑かれてるもの」
「憑かれてるって……、悪霊に?」
「ううん。ただの霊。あの程度の霊なら悪霊とは呼べないわね。まあ、放っておけば確実に悪霊になるでしょうけど。――たぶん、あの霊が彼の『負の感情』を増大させたんだと思う」
「放っておくべきじゃなかったかもしれないわね」と呟き、店員さんと店内に戻っていく九恵。その後ろ姿はどうしようもなく寂しそうで……。
「どうしようか、ケイ。木ノ下って人、捕まえる?」
「それは……」
九恵が嘘をついていたとは思わない。彼女のことを信じるのなら、九恵を万引き犯に仕立て上げようとしたのは、彼だったのだろう。でも、木ノ下って人は霊に憑かれていたとも、彼女は言っていた。つまり、彼は被害者でもあるんだ。
まあ、ああいう行動をとった以上、心の中に『九恵に対する悪意』が多少なりともあったんだろうけど。
それに、彼を追いかけるにしても、だ。僕とユウだけで捕まえられるものだろうか。彼、もう見えなくなっちゃったし、それに、足も速そうだったし……。
「あれ? 蛍。どうしたんだ? そんな深刻そうな表情して」
不意に、後ろから声がかけられた。僕の知っている声だ。振り返ると、僕の予想していた通りの顔が、そこにあった。
「陽慈!」
僕は彼に早口で状況を説明する。スーパー内であったことと、スーパーから出た直後に起こったことの両方を。
「――木ノ下っていうと、ここに来るときにすれ違った奴か……。しっかし、九樹宮が、ね……。なあ、蛍。気分を悪くしないでほしいんだが――」
そう前置きをして、陽慈は学校での九恵の評判が悪いことを僕に語った。どうやら陽慈でも彼女を容易に信じることはできないようで、そんな陽慈を見て、ふと、僕の脳裏に彼女の口にしたことがよぎった。それも奇妙な納得の感情と共に。
『別にいいですよ。信じようなんて思ってくれる人なんて、おそらくこの場にはいないでしょうから』
あれは、彼女の本心だったんだ。皮肉とか、そういうんじゃなくて、その現実をもう、九恵は受け入れてしまってるんだ。信じるに値する人間が、たぶん、彼女にはもう、いないんだ。
それはとても悲しいことで。どうしようもなく、寂しいことで。僕にはわかる。誰にも信じてもらえないこと、理解してもらえないことは、ときにどうしようもなく辛いことなのに……。
唇を噛んでうつむく僕を見て、陽慈は言った。
「お前は、九樹宮を信じてるんだな? あいつが万引きしたんじゃないって、思ってるんだな?」
信じてる、なんてセリフ、僕は軽々しく口にしたくなかったけれど。
「うん。彼女はそんなことする人じゃ、ないと思う。そりゃ、まだ彼女の世間的な評価はよく知らないけど。それでも、僕は、話してみて感じた、僕の知ってる九恵を信じてる」
「そっか。じゃあとりあえず、木ノ下を捕まえるか」
あっさりと、そう言う陽慈。
九恵ではなく、九恵を信じている僕を信じてくれたからなのだろうけど。
それでも、いまはそれだけで充分だった。
○マルツ・デラードサイド
「ねえ、マルツ君はケイくんの通っている学校に行ったことって、あったっけ?」
背中を揺さぶられながらそう尋ねられ、僕は瞼をこすりながら目を開け、身体を起こす。寝ぼけ眼で声のしたほうを見やると、そこには魔法力回復のために昼寝をしていた僕を起こした人間(?)の姿があった。
「なんですか? ニーナさん、いきなり……。というか、ここ、仮にもケイの家なんですから、勝手に入ってきちゃマズいんじゃ……」
ケイとユウがまだ学校から帰ってきていないのであろうことは、起きてすぐにわかった。だって、この狭いワンルームの部屋をぐるりと見回しても二人の姿はおろか、気配も感じられなかったから。
ケイのほうはまだしも、ユウの気配は実はかなりわかりやすい。これは戦い慣れしているからとか、魔道士だからとかではなく、単純にユウが『肉体』という器に縛られていない『精神生命体』であるからだ。実際、彼女のことが見えないらしい、この世界に住まう普通の人間であっても、背後とかに立たれれば『悪寒』などの形で察知できたりするだろう。
だから、その気配が感じられないということはイコールでユウはまだ帰ってきていないということになる。彼女が一旦帰ってきて、また外に行ったという可能性も、もちろんなくはないけど、それでも、それは持ち出す必要のないくらい低い可能性だろう。だって、いくら僕でも、そういう存在がこの部屋の中くらいの範囲に入ってくれば、ほぼ確実に目を覚ましたはずだから。
そしてユウが帰ってきていないというのなら、ケイが帰ってきた可能性もまた、低いということになる。だというのに、ニーナさんは当たり前のような顔をして、ここ――ケイの家にいるのだ。それも起こされるまで僕が気づかなかったという点から考えるに、空間を渡っていきなりこの部屋に入ってきたのだろう。
家主の許可もなしに。
「そんな細かいこと、気にしなくていいじゃん。それよりさ――」
「いや、全然細かいことじゃないと思います」
「マルツ君は行ったことあったっけ? ケイ君の通う学校。えっと、現守(あらかみ)高校、だっけ?」
「僕のツッコミ、スルーですか……。えっと、現守高校、ですか? まだ行ったことはありませんね」
「やっぱりそうだよね! ねえ、行ってみたいとは思わない?」
なんか、目をキラキラさせながら問うてくるニーナさん。ええと、この人は一応、人間を遥かに凌ぐ力を持つ『界王』なんだよな……?
「思わないことは、ないですけどね。でも行くわけにはいかないかなぁ、と」
別にケイに「来るな」と言われたことはないけれど、それでもやっぱり、行ったら迷惑かけることになるんだろうなぁ、くらいのことは僕にも想像がついていた。だから今日も家でゴロゴロしているのだけれど。
しかし、ケイに迷惑がかかるのでは、と考えない人はすぐ目の前にいたようで。
「なんで? ユウさんだって行っているのに。それに興味はあるでしょ? 学校」
「そりゃ興味はありますよ。ケイから話を聞いた限りでは、僕たちの世界で言うところの『魔道教習センター』みたいなところみたいですし。現守高校がどんな指導方法なのかも、気にならないといえば嘘になりますしね。
でもユウとは違って、僕たちはこの世界の人間たちにも見えちゃうわけですから、なんか、理由もなく勝手に入るのはマズいなって感じ、するじゃないですか」
「マズくなんてないよ! 理由がないわけでもないし!」
「あるんですか? 理由。興味があるから、以外に」
「うん? …………。ええっとね、ボクなりに色々考えてみたんだよ、世界とケイ君の霊体物質化能力の関連性。……って、なにその目、さてはマルツ君、信じてないでしょ?」
そりゃそうだよ。だっていま、隠しようのない沈黙があったし。
ジトーッとした目を向ける僕にニーナさんはコホンとひとつ咳払いし、続けてきた。お、これはもしかしたらちゃんとした考えがあるのかな、と思ったのだが、彼女、目が思いっきり泳いでいる。どうやら即興で考えながら話すつもりでいるらしい。やれやれだ。
「ええっとね……。能力、それはつまるところ、歪み……。そう! ケイ君の歪みって、結局のところ、どこからくるものだと思う?」
僕に質問することによって、考える時間を稼ぐつもりなのだろうとみた。なので短く返す。
「さあ?」
「さ、さあって、マルツ君! ちょっとは考えようよ! 頭はちゃんと使わないと退化しちゃうよ! 魔道士にとっては致命的だよ!?」
なんだ、妙に楽しいぞ。『界王いじり』。なのでもうちょっと続けてみることにした。
「それもそうですね。じゃあ……、う〜ん、やっぱり……。食生活?」
「そう! 食生活! ……って、違うよ! そんなわけないよ! 食生活からくる歪みって一体なに!? だから、うんと、う〜んっと……」
うんうんと唸り始めるニーナさん。……本当に面白い。
「ええっと、ねぇ……。あ! そう! ケイ君が内包している歪みは、きっと彼の『心』から発生しているんじゃないかな!?」
「はあ……。つまり、ケイは『心』が歪んでいるから、あんな能力を持っていて、それが世界を歪ませてしまっていると?」
ケイがこの場にいたら、怒られること間違いなしの推測だった。
無理があることは自分でもわかっているのだろう。ニーナさんは額に汗を浮かべていた。
「そ、その通り! つまりケイ君の心の歪みがなくなれば能力も消滅して、世界も元に戻る! さて、そこでマルツ君。人の心の歪みを直せるものってなんだと思う?」
しかし、それでも肯定はするニーナさん。ある意味、すごい。しかし、なんでって言われても……。
「まあ、ここまでやったんだからもう少し付き合いますけどね、この理論遊び。でも、そうですね……。ありますか? そんなもの」
「それがあるんだよ、マルツ君」
なにかいい回答でも思い浮かんだのだろう。ニーナさんが自信満々に胸を張った。
「歪んでしまった人の心を直す――それはすなわち癒すということ。そんなことができるのは、すなわち、恋愛!」
「れ、恋愛、ですか……?」
それはまた、理論とか理屈とかじゃなんともできないものを……。
「そう! 恋愛! 愛は人を――ひいては世界を救うんだよ! ラブパワーだよ!」
「はあ。ラブパワーは世界を救う、ですか……」
口に出してから、なんだか恥ずかしくなってきた。
「イエス! ザッツライト! というわけで! 明日、『ケイ君と鈴音さん、カップル大作戦! IN現守高校!!』を行いま〜す!」
「結局、ケイの学校に行きたいだけなんですよね?」
「うっ……。ち、違うよ! 舞台としてベストなのが現守高校なんだよ!」
「別にどこを舞台としてもいいじゃないですか」
「学校を舞台にするからいいんだよ! 学生が学校以外のところで恋愛してどうするのさ!」
まったく諦める気配のないニーナさん。段々と僕のボルテージもあがってきた。
「いいじゃないですか! 別に誰がどこで恋愛しようと!」
「なら学校で恋愛したっていいじゃん! それにこれはもう決定事項! 英語で言うと『ケテーイ』!」
「違いますよ! 僕だって英語サッパリですけど、それは絶対に違いますよ!」
「ああもう、うるさいなぁ! ならマルツ君は来なければいいじゃん!」
「そんなこと言われましても――え? 僕、強制参加じゃなかったんですか?」
「当たり前だよ。まあ、失敗したときには、『この作戦は全部マルツ君の発案だから』で逃げるけど」
「やっぱり強制参加じゃないですか! 僕、ニーナさんを見張らなくちゃいけないじゃないですか! 場合によっては命を懸けてでもニーナさんを止めなくちゃいけないっぽいじゃないですか!」
「だから別に参加しろなんて言ってないよ。というか、よく考えてみたら参加しないでほしいくらいだし」
「しますよ! いえ! 参加させてくださいよ!」
ああ、なんで僕が学校に行かせてほしいと頼み込むハメに……?
せめてケイ、いまの会話中に帰ってきてくれればよかったのに……。
僕の胸中を察しているのかいないのか、ニーナさんは満面の笑みで返してきた。
「へえ……。マルツ君がそんなに学校に行ってみたかったなんて……。もう、しょうがないなあ。じゃあ明日、一緒に連れていってあげるよ。あ、今日の夜にケイ君とユウさんにこのこと、話さないようにね」
「――はい」
話せるかってんだ、こんちくしょう!
「それにしても、ケイのやつ、一体どこでなにをしてるんだか……。もう6時を過ぎてるっていうのに……」
「うん? ケイ君? なんか誰かを追いかけてたよ、さっき」
「はあ、そうですか……」
つまり、ニーナさんはケイたちが家に帰ってこないことを確認した上で話を持ちかけてきたわけか……。
しかし、それがわかっても、もう突っ込む気は起きなかった。
○式見 蛍サイド
「――オン!」
九恵の除霊の掛け声と共に、木ノ下 瞬の身体から力が抜ける。ちなみに彼の身体は両腕を後ろに回させて陽慈が拘束していた。
「おっと」
なので、身体から力が抜けた彼を支えるのも、また陽慈の役目。いや、僕の腕力だと拘束しておけそうになかったものだから……。
「とりあえず、これで一件落着かしらね」
軽く伸びをしながら、どこか明るく呟く九恵。しかし僕はそれにあっさりと肯定は返せなかった。
「そう、なのかな……。結局、僕たちは――いや、僕はなにもできなかったんじゃないかな。木ノ下さんを捕まえられたのはユウと陽慈の協力があったからだし、彼だって悪気は……少しはあったのかもしれないけど、彼だけの考えで動いたわけでもなかったんだろうし……」
木ノ下さんを捕まえるために練った作戦はこうだ。
まず、ユウが空から彼の位置を特定する。
そしてユウからの情報を頼りに、僕と陽慈が彼を挟み込むように動く。
彼の背をバカ正直に追いかけたのは僕。捕まえるのは、逃がさない確率の高い陽慈。
少しばかり時間はかかったものの、なんとか木ノ下さんは捕まえられた。彼の動きがどこか鈍かったおかげで、捕まえておきやすくはあったというのは、陽慈の談。
憑依状態にある人間は、普通はもっとすごい身体能力を発揮したりするものなのだけれど、そうならずにむしろ動きが鈍かったというのは、霊の力が弱かったからなのか、それとも木ノ下さんの抵抗があったからなのか。
後者なのだとしたら、やはり彼は間違いなく被害者だ。
ともあれ、そしていま、ここで――スーパーから少し離れた空き地で、九恵が彼の除霊も済ませた。
ここで語り終えれば、確かに『一件落着』ではある。でも、そうではなかった。僕には納得のいかない点がひとつ、あった。
「なにより、結局、九恵が万引きしたわけじゃないっていうことは、証明できなかったわけだし……」
木ノ下さんは霊に憑依されていて、その霊に九恵への悪意を増幅させられて、九恵を万引き犯にした。
そんなことを真剣に説明したって、スーパーの人が聞いてくれるはずもないってことは、わかりきっていたことだった。霊が関わっていなくたって信じてもらえるか疑わしいものなのだから、今回はなおさらに。
理不尽だと思った。でも正常に戻った木ノ下さんには罪はないと思うし、なのに九恵にやったことを認めろ、償え、なんて言うのも、やっぱり理不尽で……。
そもそも、憑依状態にあった木ノ下さんをスーパーに入れるわけにはいかなかったので、状況の説明すら満足にできず。
九恵が彼の除霊を済ませてから状況を整理、折り合いをつける、ということすらも出来なかった。
だって、それをするには九恵がスーパーから出てこなければならなかったから。そして九恵がいま、スーパーから出られているのは、自分がやったのだと認めたからで。
理不尽の連鎖に、もう、本当にどうしようもなくなってくる。この場に明確な『悪い人間』なんていないのに、人は確かに何人も傷ついていて。
僕が『死にたい』と特に強く思ってしまうのは、こういうときだ。この世界は間違ってるって、理不尽だって、そんな思いがとめどなく溢れてくる。
「それは、そうだけど。でも、別にいいわよ」
僕の表情から考えていることを大体察したのだろうか。九恵が首を横に振って、まるで僕を優しく包み込もうとするような声を出した。クセのあるセミロングの黒髪がさらりと揺れる。
「しばらくはあのスーパーには行けそうもないけど、私はあそこで買い物なんて、まずしないし」
「それは……、でも、そういう問題じゃ――」
思わず声を荒げそうになる僕を、彼女がどこか照れたような表情でさえぎった。
「それに、なにより。……嬉しかったから」
「嬉し、かった……?」
「ええ。私の言ったことを信じてくれたから。――ありがとう」
「え、あ、いや、それは……」
礼を言われて、しどろもどろになる僕。たぶん顔も真っ赤になっているに違いない。
「あー、なんか、オレたちの存在、忘れてないか? 蛍、九樹宮」
『あ。』
割って入ってきた陽慈の声に僕はもちろんのこと、今度は九恵までが顔を真っ赤にしてしまった。
それは置いておくとしても、なに、これ。ユウと陽慈にいまの会話を全部聞かれていたのだと認識した途端、もう、本当にどうしようもなく恥ずかしく……。……って、ああ! なんかユウが睨んでる! メッチャ僕を睨んでる!
僕はその彼女の視線に軽く恐怖を抱き、話をすり替える意味も含めて陽慈に向いた。
「それよりもさ、陽慈。なんでまたタイミングよくスーパーに? いや、色々とありがたくはあったけど……」
偶然通りがかった、で済ませるにはちょっと、タイミングがバッチリすぎるのではと思ってしまうのだ。ひねくれた性格している僕としては。対する陽慈から返ってきたのは、
「へ? なに言ってんだ? 蛍。お前がスーパーに来てほしいって言ったんだろ? そういや結局、なんでそんな伝言を頼んだんだ?」
「僕がスーパーに来てほしいって頼んだ? それに、伝言? え? いや、僕はそんな伝言、誰にもした覚えないよ?」
「なあ?」とユウに振ると、彼女も僕を睨むのをやめて、「うん」と同意を返してくる。しかし陽慈はどうにも納得いかないようで、
「そんなはずは――」
「ねえ」
陽慈の言葉をさえぎって口を開いたのは、まだ少し頬の赤みが残っている九恵だった。
「その伝言を頼まれた人って、誰?」
「誰って言われてもなぁ。オレだって初対面だったわけだし。ただ蛍がスーパーに来てほしいと言っていた、って聞かされただけだったから……。あ、そういえば黒江って名乗ってたっけ」
「…………。そう。黒江、ね」
納得がいったような、そうでもないような、微妙な表情で九恵が腕を組む。
「なんだ? 九樹宮の知り合いか?」
「知り合いってほどでは、ないんだけどね。でも、なんでそんなことを……。いや、あの男なら『なんとなく』でやってもおかしくはないか」
「九樹宮?」
「九恵?」
僕と陽慈の訝しげな声が重なった。彼女は僕のほうに視線を向けてくると、
「蛍、黒江っていう男のことは知ってる?」
「黒江……?」
はて? そんな知り合い、いたっけかな……。
「年齢は20代後半。普段から黒いスーツを好んで着ていると思うのだけれど」
「先生とかに、いたっけかな……?」
「――知らないのなら、それでいいわ。むしろ知っているほうが私としては意外だったから。黒江自身も、あなたとは赤の他人だと言っていたしね。
ただ、確か……、そう、自分のことを『世界と同時に生まれた存在(もの)』とか言っていたわね」
「世界と同時に、だって!?」
いつだったか――といっても比較的最近なのだけれど――マルツの言っていたことが頭をよぎり、僕は驚きの声をあげた。
マルツの言っていたこと。それは『ニーナは――界王はビッグバンという名の大爆発によって誕生した存在なのだ』というもの。
そして、いま僕たちのいるこの世界は――宇宙はビッグバンという大爆発によってこの世に生まれたといえるのだから、黒江という人が言ったという『世界と同時に生まれた存在(もの)』というのは、ニーナとまったく同じことを言っているのではないのだろうか。
つまりは、ニーナと黒江という人(?)は同一人物?
いや、待て。結論を急ぐな。ニーナには『ニーネ』という『双子のような存在』がいるというのを鈴音から(その後にマルツからも)聞いた覚えがあるから……。
その黒江という人(?)は、つまり。
「ニーナと同じく、界王(ワイズマン)悪夢を統べる存在(ナイトメア)の端末のひとつ……?」
どうも、そう考えるのが一番自然なようだった。黒江という人のとった行動の意味はいまひとつわからないが、まあ、ニーナもたいした意味もなく人をからかいそうな人格だし。それに彼女らは『同一にして別個の存在』らしいから、完全な意思疎通もとれていないのだろう、きっと。
気づくと、自分の思考に没頭してしまっていた僕を九恵が呆然とした表情で見ていた。おそらくは、彼女はそこまで大きな反応をされるとは思っていなかったのだろう。
「あ、なんか黙り込んじゃってごめん。でも大丈夫。その黒江っていう人の正体は大体、わかったから」
「そ、そう? ならいいけど……」
なにがどう「いい」のかはわからないようで、ちょっと戸惑うように九恵。それに言葉を返すには面倒で長ったらしい説明を長々とする必要がありそうだったので、僕はそれはスルーして、陽慈に向く。
「陽慈にも、なんか、迷惑かけたな」
「え? いや、それはいいけど……。でも本当に問題ないのか?」
「うん。今度『心当たりのある奴』に会ったら、なんで陽慈に嘘の伝言なんてしたのか、ちゃんと訊いてみるつもりだから」
もちろん、その『心当たりのある奴』というのはニーナのことだ。
そして僕はこの件に見切りをつけ、先ほどの追いかけっこと立ち話のコンボでいい加減脚も痛くなってきていたので、「そろそろ行こう」とユウ、陽慈、九恵を促して僕自身も歩き出した。
○???サイド
暇潰しにしては、なかなかに面白い見せ物だった。
少なくとも、あの少年に霊を憑依させた労力に見合うだけのものは、あったといっていいだろう。
しかし、式見蛍が私の存在に気づいてくれたか。
無論、気づいてもらえなくとも今後の展開にはなにひとつ支障はない上に、気づいてもらえたところでなにひとつメリットなどないだろうが、しかし、悪いことでもない。
それはそれとして、式見蛍。
キミは頭はいいようだが、少々、結論を急ぐきらいがあるな。思えば『ふたつ前の世界』でもそうだった。
『ふたつ前の世界』では、その結論を急ぐ姿勢がキミの死を決定づけたといってもいいくらいだ。
そう。
要因を作った存在こそ『タナトス』だったが、キミを直接殺したのは『日向 耀(ひなた あかる)』という少女だっただろう?
そしてあのとき、キミにもう少し違う選択ができていれば、結果はまた違ったはずだ。
とりあえず『今回の世界』には、その『タナトス』が存在しないため、キミが『日向 耀』に殺されることは――いや、出会うこともおそらくはないだろうが、それでもキミの命を狙うことになるであろう存在は、少なく見積もっても二人や三人じゃ足りないぞ。
ともあれ、『今回の世界』では、判断を慎重にしてほしいものだ。
少なくとも、判断材料が揃ってもいない段階から、私がどういう存在なのかを決定づけずにいるくらいには。
まあ、それをわざわざ指摘してやる必要は、どこにもないか。
私が彼に望むのは、彼の能力(ちから)で『私が望む世界』を彼に創ってもらうこと。ただ、それだけなのだから。
どうか、それまでは死なないでくれよ。『能力保持者』君。
『彼女』との邂逅を果たしてしまった以上、『闇を抱く存在(ダークマター)』と戦ったときとは違って、キミの死は『ありえないこと』ではなくなってしまったのだから。
……………………。
……まあ、いまさらではあるか。
ある意味、式見蛍が命を落とす可能性は常にあったともいえるのだから。でなければ、『ふたつ前の世界』で彼は『日向 耀』に殺されはしなかったのだし。
――さて、魔風神官(プリースト)シルフィード、そしてシリウス・フィッツマイヤー。キミたちはどう動く?
特にシリウス・フィッツマイヤー。いつまでも様子見に徹していては、いざというときに間に合わなくなってしまうぞ?
なんにせよ、皆、早く『私』に――私の『シナリオ』に気づいてくれよ。
そのほうが私としても『面白い』のだから――。
○魔風神官シルフィードサイド
ぐしゃり、と。
少年の身体が、潰れた。
暗闇に包み込まれた現守高校の屋上。そこから飛び降りた――いや、《見えざる手》によって飛び降りさせられた少年の身体が、地面に到達すると同時に、潰れた。
しかし、その光景を見ても私の気分は浮き立ったりなどしない。むしろ、酷く醒めていた。
それは、『生命(いのち)あるもの』が本来あるべき姿に――なんの『矛盾』も『間違い』もない状態に戻っただけだから、とかそういう『割り切り』から生まれたものではなく。
『私は一体、なにをしているのだろう』という、虚無感。自分のしていることがなにもかも無意味に感じられる、虚脱感。
やがて、憑依をといて《見えざる手》が屋上に立つ私の元へと戻ってきた。それを、私はやはりなんの感慨もない瞳で見るともなしに見つめる。
闇色に塗り潰された景色の中、しばしそうして立ち尽くし、思い出した。
今日の昼、いまと同じように《見えざる手》に命じて都麦学園で女子生徒を一人、飛び降りさせようとしたときのことを。
そして、それが別の女子生徒の介入によって失敗し、なぜかそのことに安堵を覚えていたことを。
そう。私は自分が楽しむために事件を起こそうとしたというのに、それが失敗したときには確かに安堵を覚えていた。失敗してよかった、と思ってしまっていた。
そして事件を起こすのに成功した途端に胸の中に生まれたのは、達成感でもなんでもなく、虚無感。虚脱感。ああ、やってしまった、もう戻れない、という感情。あるいは、それは『後悔』と称してもいいのかもしれない。
しかし、そんな感情を抱くのは間違っている。後悔なんていうものを覚えるのはおかしい。
だって、これで私は再び、式見蛍との関わりを持てるはずなのだから。
それに――。
そう、これはそもそも私の『退屈しのぎ』だ。
特殊な能力のある人間に、ちょっかいをかけて遊びたいだけだ。
そこに、別の感情を挟む必要はない。いや、挟むべきではない。
だから――この胸の痛みは、苦しみは。
ただの、錯覚だ――。
○同時刻 アメリカ某所
「――今日、二度目か」
フィッツマイヤー邸にある自室のベッドに仰向けに寝転がって、本を読んでいた青年――シリウス・フィッツマイヤーは気だるげに、しかし表情そのものは引き締めてつぶやいた。
「まったく、なにをやっているのかね、我が妹は……」
やれやれ、とでも言いたげに鼻を鳴らし、読んでいた本をパタンと閉じて枕元に放り投げる。
そこからのシリウスの行動は早かった。
部屋の中にあるクローゼットからいくつか私服を取り出し、同じくクローゼットの中にあったトランクに放り込むと、それを持って部屋を出、祖父であるレグルスの部屋へと足早に向かう。
「おい、じーさん」
ノックもそこそこにドアを開けるシリウス。
「シリウスか。なんだ?」
「なんだ、じゃねーだろ。じーさんにだって感じ取れたはずだ。日本の首都辺りで、かな。昨夜に新しく出現した『歪み』が、昼間に続いてまた『力』を行使した」
「ふむ。相変わらず察知するのが早いな。しかしシリウス、この件はスピカに一任した。お前もそれを認めただろう? 少なくとも三日ほどは様子をみる、ということにしたはずだ」
「ああ、さっき――『歪み』が一度目に『力』を行使したときにはそう言ったな。けど、『力』の行使がちょっと頻繁すぎやしないか? それにスピカは実戦経験、少ないだろ? 相手が好戦的な奴だったりしたらヤバいことになるのは目に見えてる。そして――」
「この短時間で『力』の行使がすでに2回。好戦的な相手でないわけがない、か」
さえぎるようにして言葉の後を継いだレグルスにシリウスはうなずく。
「そういうことだ。悪いけど俺もいまから日本に飛ばせてもらうぜ」
「それはかまわんよ。元々はお前に行ってもらおうと思っていたのだからな」
準備は整っているのか、などとはレグルスは訊かない。シリウスはいつ、どんなときに仕事が入っても問題ないようにしているからだ。だから老人の懸念は別のところにあった。
「しかし、いまから発つとなると、スピカがどれほど機嫌を損ねるか、わかったものではないぞ?」
スピカにもプライドというものがある。というか、彼女はプライドの塊のような性格をしているのだ。
事件が解決していない段階でシリウスが来日するというのは、すなわちこの一件がスピカの手に負えないと判断されたからなわけで。間違いなく、それはスピカのプライドを傷つけることになるだろう。
それはスピカにとってもシリウスにとっても、レグルスからしてみたって、当然、いいことではない。
だがシリウスにとっては、自分が嫌われずにいることよりも妹の身の安全のほうが遥かに大事なのだ。
彼はしかし、そんな本心は心の奥に隠したままで自嘲の笑みを浮かべた。
「――それこそ、かまわねぇよ。スピカが俺のことを嫌ってるのなんて、いまさらだろう?」
それは皮肉げで、どこか寂しげな笑み。
しかし、そんな笑みはすぐさまいつも通りのヘラヘラとしたものに変わり。
「じゃあ、じーさん。行ってくるぜ」
トランク片手に祖父の部屋をあとにするシリウス。彼は不意に真剣な表情になり、口許を手で抑えた。
「――行ってみたらもう手遅れでした、なんて展開は勘弁してくれよ……」
急ぎ気味にフィッツマイヤー邸の玄関へと歩を進めながら――。
――――作者のコメント(自己弁護?)
どうも、ルーラーです。すっかり遅くなってしまいましたが『マテリアルゴースト〜いつまでもあなたのそばに〜』の第十二話をここにお届けします。
ええと、もう、なんといいますか、本当に言葉もないくらいに遅れてしまいましたね、今回。申し訳ないことです。なにしろ十一話と十二話はシリーズ初の『前後編』だったというのに、『前編』を投稿してから、こうして『後編』を公開するまでに1年と5ヶ月ほどもかかってしまったわけですから。
こいつ、本当は続きを書く気、ないんじゃないか? と思われても、もう、文句のひとつもいえません。
でも大丈夫(?)。ちゃんと物語全体の大まかな流れはちゃんと覚えていますし、ノートに書いてもあります。第一章に関しては細かいプロットもちゃんと用意してありますからね。ええ、本当に。
さて、今回の話でやっておきたかったのは、『九恵のフラグを立てる』の一点だけでした。そのためにこの話は組み立てたのです。他のはすべておまけといっても過言ではないかもしれません。
あ、いや、おまけってこともありませんが。でもやっぱり一番重要なのはそこであるわけでして(苦笑)。
あ、でもシリウスとか黒江とかの動向も書きましたので、そちらにも注目していただけると嬉しいな、とも思います。
特に黒江。彼は一体何者なのか。この回では、その回答を提示したと見せかけて、より謎を深めてみたり。ううむ、僕の性格の悪さがうかがえますね(笑)。
あと、『タナトス』や『日向 耀』といった単語に敏感に反応してもらえたらな、とも思います。
それと今回は『マテそば』だけでなく、『スペリオルシリーズ』全体の『世界の繋がり』に関するヒントも本当にちょっとだけ出したのですよね。まあ、前からちょこちょこと出してはいたのですが、今回は、より明確に。
さてさて、ではそろそろサブタイトルの出典を。……って、これの意味の紹介も1年と5ヶ月ほど伸ばしてきてしまったのですね。重ね重ね申し訳ないことです。
サブタイトルは『究極の遊戯』。意味は『「暇潰し」で実在している人間を駒にして遊ぶなんて、もう究極と呼んで差し支えないレベルのものだろう』といったところです。
駒になった存在たち、駒として使用した存在、それが一体誰なのかは、本編を読んでくださっていれば見当つきますよね? これで見当つかない構成になっていたりしたら、構成力不足もいいところなので、なかなかにマズかったりするのですが(汗)。
さて、第一章もジェットコースターでいうところの『落ちる』ポイントにそろそろ差し掛かろうとしています。執筆速度はどうしようもないくらいに遅いですし、拙い作品でもありますが、ここから先も飽きずに(そして文章力の低さに呆れずに)、楽しく読んでいただけると幸いです。
それでは、また次の小説で会えることを祈りつつ。
――――作者のコメント(転載するにあたって)
初掲載は2008年6月20日。
「ハイツ『リドル』2号館」に投稿した最後の作品です。当時はそうなるとは全然思っていませんでしたが。
この回ではとにかく、以前指摘された『九恵の髪型』を描写することに重点を置きました。あと、これは言うまでもありませんが、九恵の蛍に対するデレも。
果たして自然に描写を入れることができたでしょうか?
僕個人としては、なかなか上手く入れることができたと思っているのですが。
さて、ここから先の物語は、「ハイツ『リドル』2号館」ではなく、ここ、『ルーラーの館』で紡いでいくことになりました。
これからも変わらぬ応援をいただけると嬉しいです。
それでは、『マテリアルゴースト〜いつまでもあなたのそばに〜』と、この物語を内包する『スペリオルシリーズ』をこれからもよろしくお願いします。
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