起こったらしいこと
私は走って学校に向かっていた。
別に遅刻しそうだからではない。一刻も早く真儀瑠先輩に会って、昨日の話を訊くためだ。
息を切らしつつ学校に到着すると、校門のところには既にユウさんが待っていた。どうやら昨日の一件は、彼女もそうとう気になっていたらしい。まあ、当然だけど。
いや、そもそも。ユウさんはあれから蛍に何も訊かずにいれたのだろうか。訊いてしまってケンカ、なんて展開は充分ありうる。
「鈴音さ〜ん、おはよ〜!」
まだ距離があるというのに、ユウさんが大声で呼びかけてきた。周りの人間にはユウさんの声は聞こえないわけだから、特に問題はないのだけれど、虚空に向かって大声で返事をしなければならない私からすれば、問題は大アリだった。
とりあえずユウさんに駆け寄り、校門にいる人たちが少ないことを確認してから私はユウさんに小声で話しかける。ふう、いまが早朝で――人の出入りがまだ少ない時間帯でよかった。
「おはよう、ユウさん。……蛍は?」
「今日は私、ひとりで先に来ちゃったんだよ」
「……やっぱり、蛍とケンカしちゃったの?」
「え? 違う違う。待ちきれなくて、太陽も昇らないうちから来ちゃったの。ケイにはなにも訊いてないし、だからケンカもしてないよ。あ、ちゃんと枕元に書き置きも残してきたよ?」
「そう。ならいいけど……」
内心、『枕元』の辺りでかなり焦った。このことは絶対、内緒にしておこう。
「さて、じゃあ先輩さんに詳しい話を訊きにいこうか! それはもうお弁当箱の隅をつつくくらいにしつこく、詳しく!」
「まあ、真儀瑠先輩がそこまで詳しく話してくれるかは、ちょっと不安が残るけどね……」
なにしろあの先輩、底の知れないところがあるし。果たして私だけでどこまで訊きだせるものか(ユウさんは真儀瑠先輩に見えないから戦力外だし)。
「大丈夫! 私も協力するんだから! この私、遊ぶ兎のユウに任せて任せて!」
一体ユウさんはどうやって協力するというのだろう。それにその名前の定着、そろそろ諦めようよ。蛍だって全否定してたんだから……。
「さあ、いざ敵陣に突入ーっ!」
「……敵なんだ、真儀瑠先輩」
いや、なんとなく間違ってはいない気もするけど。
さて、これからどうなることやら。なんか私、昨晩は悶々として眠れなかったし、そのせいで朝からハイテンションだったはずなんだけど、ユウさんのハイテンションぶりにつき合わされていると私のテンションなんてまだまだ低いのかなぁ、なんて思ってしまう。
なんだかすっかり落ち着いちゃってる私がここに。
ともあれ。私とユウさんは、いよいよ真儀瑠先輩のクラスへと向かったのだった。
ああ、なんか思ったより校門で時間を消費しちゃったなぁ……。
そんなこんなで真儀瑠先輩の教室。正確にはその教室の前の廊下。
「……よかった。いたよ、真儀瑠先輩……」
全力疾走してきたため、またも息は乱れていた。もっとも、幽霊であるユウさんは元気いっぱいだったけど。
「いたね。さあ鈴音さん、呼んで呼んで」
「え、ええっ!? いや、そういう目立つ行為はちょっと……」
そもそも私は引っ込み思案だし、三年生の教室に来たのもこれが初めてだし……。
しかしユウさんは厳しかった。
「なに言ってるの! ケイが昨日先輩さんとなにしてたか、知りたくないの!?」
実を言うと、知りたくはなかった。昨日なにがあったかなんて、きっと、知ってもなにひとついいことなんかないだろうし。
「私じゃ呼べないんだよぉ! 鈴音さんじゃないと! ほら、早く!」
「え〜と……ユウさん、昼休みに改めて聞きに来るっていうのは――」
「ダメ!」
即答された。というか、なんで私はユウさんに主導権や決定権その他もろもろを握られているのだろう。ああ、これが蛍の日常なんだろうな。きっと。
私は動くしかない現実をどうにか受け入れると、教室内にいる真儀瑠先輩に、意を決して呼びかけた。
「……ま、真儀瑠せんぱ〜い……」
「声小さいよ、鈴音さん!」
そうは言われても……。
私は深呼吸してから、もう一度呼びかけた。
「ま、真儀瑠――」
その瞬間、後ろからユウさんが、
「わっ!!」
「――せんぱ……っひゃうっ!!」
お、驚いた……。
「ちょっと、ユウさん、なにを――」
「あ、気づいたみたいだよ。先輩さん」
言われて教室内を見てみると、真儀瑠先輩が訝しげな表情をしながらこちらに向かって来ていた。
それにしても、私は最近どうも『変な人間』のレッテルを貼られがちだなぁ……。教室内にいる数人の三年生がヒソヒソ話をしている光景を眺め、ふとそんなことを思う。原因は間違いなく周囲の人間と幽霊だ。もちろん、いま目の前にやって来た真儀瑠先輩も例外ではない。というか、真儀瑠先輩を例外にしてはいけないと思う。大体、彼女を例外としたら、私の周囲の人間の変わり者レベルがグンと上がってしまうし、きっと蛍からしても、それはとてつもなく不本意だろう。
「お前が私を訪ねて来るとは珍しいな、巫女娘」
「あの、真儀瑠先輩、いい加減『巫女娘』はやめてもらえませんか? 周りの人たちも奇異の目でみてますし」
「まあ、私を訪ねて来るなんて、後輩でもまずないことなんだがな」
私のセリフはあっさりとスルーされた。しかし、ある意味毎度のことでもあるので、気を取り直して続ける。
「確かに蛍が真儀瑠先輩を訪ねるなんてことはないでしょうね。ええ、おそらく。絶対。間違いなく」
「……ええと、巫女娘。なんか今日はやたらと言うことトゲトゲしくないか? 普段のお前だったらその態度はあり得ないぞ? それと周りから奇異の目で見られている主な原因は、突然奇声を発していた巫女娘にこそあるんだが」
うっ……、それはそうかもしれない。ああ、ユウさんのせいで……。
それに、真儀瑠先輩にきつく当たってしまうのはある意味、仕方のないことだろう。だって、昨日の蛍とのことがあるんだから。
と、そこで私はようやくここに来た目的を思い出した。
私とユウさんは、真儀瑠先輩に昨日のデ……デートのことを訊きに来たのだ。先輩におちょくられるためでは断じてない。……まあ、訊いてどうなるというものではないし、訊いたが最後、今後蛍や先輩との関係がギクシャクしてしまう可能性も大なのだけれど。
ちなみに、いまでも私と蛍との仲はギクシャクしている、というツッコミは聞こえないフリをしておく。
さて、そんなことより本題だ。訊くのは怖くもあるけど、訊かなきゃならない。訊かなかったら朝早くにここまで来た意味がない。
私は今日何度目になるだろうか、意を決して真儀瑠先輩に問いかけた。
「先輩、昨日のことなんですけど。その、蛍と一緒だったって、ユウさんが」
私は身振りで隣を示す。
「うん? ああ、ユウもそこにいるのか?」
「ええ。昨日、蛍と先輩が、デ……デートしてたって、言うんです。見間違い……ですよね? ユウさんの」
「……ふむ。見間違い、とも言えないな」
一瞬にして顔から血の気が引いた。
「え……、じゃあ、やっぱり……?」
「ああ。後輩といたのは……まあ、事実だな」
先輩はなぜか自信満々の雰囲気を崩す。
「だが、特に何もなかったぞ? ただ買い物をしていただけだ」
「一緒に買い物……ですか。そういうのをデートって言うんじゃ……」
「うむ。だから見間違いとも言えない、と言っただろう?」
「一体なにを買いに行ったんです? ユウさんは先輩たちが家具店の前でウインドウショッピングをしていたって言うんですけど……」
「……なんでもいいだろう、なんでも。そこまで気になるなら後輩に訊いてみろ」
「それは――」
「そんなことよりっ!」
ユウさんが会話に割り込んできた。もちろん先輩は気づかないけど。
「先輩さん! 横断歩道でのアレってなに!?」
私はユウさんの言葉を先輩に伝えた。ここからは私、翻訳(ほんやく)係かなぁ……。まあ、前にもやったことあるからいいけど。
「横断歩道でのアレ?」
「そう! 正確には横断歩道の前!」
「ふむ……。横断歩道の前で……」
真儀瑠先輩の頬に少しだけ赤みが差した。……珍しい。
「手を握られた後、寄りかかってたよね!? ケイに! しかもいまみたいに顔を赤らめて!」
「あ……ああ、いや、あれは、だな……」
先輩がうろたえ始めた。非常に珍しい。なんというか、ものすごくレアだ。真儀瑠紗鳥、しどろもどろになるの図。
「別に寄りかかったわけじゃないんだ。ああ。ただ、いきなり後輩に手を握られて、更に引っ張られて、だな。それで、たまたまああなった、というだけのことで……」
「たまたまぁ!?」
「ああ。たまたま、だ。他意はなかった……。いや、ホントだぞ?」
「じゃあ、どうしてケイは先輩さんを引っ張ったの!?」
「それは私も知らん。ホントになぜなんだろうな……?」
そこで私も口を挟むことにした。翻訳係は放棄する。……まあ、必要になればまたやるけど。
「あの、真儀瑠先輩。その後、蛍は信号が青になった途端に走り出したと聞いたんですが。それもユウさんが言うには、蛍が先輩の手を強引に引いて……」
「あ、ああ。そういえばあったな、そんなこと」
「なんで蛍はそんなことを?」
「それも知らん。どうも昨日のアイツは不可思議な行動が目立ってな。まあ、横断歩道でのところだけで、ではあったが」
日頃から不可思議な行動ばかりとっているこの先輩にそんなことを言われるということは、昨日の蛍は本当に不審な行動をとっていたのだろう。それは間違いない。
「まあ、あれだ。『愛の逃避行』というヤツかも知れんな」
――愛の逃避行!?
いやいや、それはないだろう。確かに蛍と先輩の間には、私たちの入り込めない絆のようなものを感じることがあるけど、それは『愛』とはかけ離れた感情であるはずだ。……そう思いたい。というか、そう思わせて。
「『愛の逃避行』って……。一体なにから逃げる必要があるんですか」
「主に自分に憑いている幽霊と、やたらとヤキモチを焼く巫女からだろうな」
「なんで逃げようとするのさっ!!」
「ヤキモチなんて焼いてませんよっ!!」
私とユウさんは同時に叫んだ。
もっとも、ユウさんの声は真儀瑠先輩には聞こえないので、先輩は私にだけ返してくる。
「今まさに焼いているだろう」
うっ……。これは別にヤキモチなんかじゃ……。
この話はどうもこちらに分が悪い。なので昨日のことを更に突っ込んで訊くことにした。
「じゃあ先輩、ウインドウショッピングしながらした会話というのは……? ユウさんが聞いたところによると、結婚とかプロポーズとか、そんな言葉が出ていたそうですけど……」
「う……、あれか。あれは……、いや、そうだな。ああ、確かにそんな話をしたような、しなかったような……」
なんだかはっきりしない。更に突っ込んでみる。
「それに新居がどうとか、新婚生活がどうとか――」
と、そのとき。ホームルーム前の予鈴が鳴った。
「ほ、ほら。もう少しでホームルームが始まるぞ、巫女娘。後のことは後輩にでも訊いてみるとしてだな、もう教室に戻れ。な?」
どうも後の事情説明は蛍に任せるつもりらしい。確かに私としても、蛍に質(ただ)さないと気が済まなくもなってきていた。
「分かりました、真儀瑠先輩。ただ、これだけは訊いてもいいですか?」
「……な、なんだ?」
「いま話してくれたこと、全部ホントのことなんですよね? 嘘はついてませんよね?」
「あ、ああ。嘘はついてない。私の言ったことは全てホントのことだ。それは間違いない。……というか、いまの巫女娘に嘘をつこうなんて、私だって思えん」
「そうですか。ちょっと引っかかりますけど、それならいいんです。――さ、行こう。ユウさん」
「え? うん……」
「大丈夫。昨日のことはなにがなんでも、蛍から訊きだすから」
「……鈴音さん、なんか昨日と言ってること違ってるよ……?」
そうは言われても、この怒りにも似た感情はさすがに抑えきれない。……ヤキモチなんかじゃないけど、絶対に。
私は真儀瑠先輩に「それじゃあ」と言うと、自分の教室――二年B組に足を向けて歩き出した。
真儀瑠先輩の言うことに嘘がないのなら、これで蛍の昨日の行動は全て分かった。裏も取れた。後は蛍がどんな言い訳をするか、だ。
蛍のことだから、割と筋の通った言い訳をするかもしれない。
あるいは、真儀瑠先輩から訊きだしたことをあっさり認めるかもしれない。
前者なら矛盾点を突いていけばいいけど、後者だったら……正直、ちょっと――いや、かなりへこむだろう。
ともあれ、そのときのことはそのとき考えればいい。今は結果がどうなろうと、蛍を問い詰めることが――昨日なにがあったかを知ることが最優先だ。
……明らかに、私やユウさんに分の悪い展開になりそうだけど……。まあ、それは覚悟するしかない。
そんなことを考えていたら、もう二年B組の教室前までやって来ていた。
――さあ、蛍。あらいざらい白状してもらうわよ。
――――作者のコメント(自己弁護?)
どうも、ルーラーです。ここに『起こった』シリーズ第二話『起こったらしいこと』をお届けします。面白ければ、というのはもちろんのこと、真実がだんだんと明らかになっていく過程を楽しんで頂ければ幸いです。
さて、今回のお話では『真儀瑠沙鳥にとっての真実』が語られています。ここで言っておきますが、彼女は一切嘘をついていません。真儀瑠先輩にとっては、彼女の語ったことこそがまぎれもない真実なのです。
一方で、鈴音は前回のラストで言っていたことを完全撤回しています。真実が真儀瑠先輩によって明らかにされたため、余裕がなくなったからでしょう、きっと。ユウと先輩が少し押され気味です。
それはそれとして、今回先輩が語ったことは『真儀瑠紗鳥にとっての真実』というだけでなく、鈴音の中で『神無鈴音にとっての真実』にもなりつつあります。果たして第三話で蛍はその『神無鈴音にとっての真実』を変えることが出来るのでしょうか。はたまたキレた鈴音にボコボコにされてバッドエンドとなるのでしょうか。そもそも鈴音は蛍の語る『式見蛍にとっての真実』に耳を傾けようとするのでしょうか。大どんでん返しを狙っているというのに、単なるバイオレンス小説になってしまわないでしょうか。
すみません。少々悪ノリしすぎました。
ともあれ次回、第三話(最終話)『本当に起こったこと』にご期待ください。
ちなみに、今回のサブタイトルも『小説スパイラル〜推理の絆〜3 エリアス・ザウエルの人食いピアノ』(スクウェア・エニックス刊)からです。第二章からです。意味は『鈴音の聞いた、ほとんど疑う余地のない実際に起こったであろうこと』といったところです。
いや、この意味付け、実は大抵の場合必要ないんじゃ……と思っていたりするのですが、どうでしょう? 内容読めばタイトルの意味なんてすぐ分かりますよね。特にこの『起こった』シリーズは。
それでは。次は短編連作の第四話で会えることを祈りつつ。
――――作者のコメント(転載するにあたって)
初掲載は2006年6月15日。
いま改めて読んでみると、あからさまというか、狙っているというか……。
とにかく嫌になるほど未熟だなぁ、と思います。
形にはなっているとは思うのですが、いや、それもどうだろうという始末で……。
うん。ともあれ、温かい目で読んでいただければ助かります。
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