互いの関係



「アスロック・ウル・アトール、ね」

 宿屋の台帳に書き込まれた彼のフルネームを確認して、あたしは改めて納得する。

「あなた、本当にガルス帝国の出身者だったのね。あの『訓練中に相手を殺してしまっても正当化される』っていう腐った国の」

 その歯に衣着せないあたしの物言いに、20歳そこそこの黒髪の青年――アスロックは表情を引きつらせた。
 ちなみに彼、あの催し物に挑戦してきたときには『謎の美形戦士』などと称されていたが、実際はそこまでキリッとしたハンサムというわけではない。顔立ちが崩れているとまでは言わないけれど、なんかこう、ちょっと田舎者っぽい雰囲気を纏っているというか、垢抜けないというか。まあ、いい人っぽい感じはするけれど。
 ともあれ、彼は呆れたような、でもちょっとムッとした風でもある表情になって、

「腐った言うか……? そこの出身者に向かって……」

「気にしない気にしない。別にあなたのことを腐ってるって言うつもりはないから」

 「言われてたまるか」とかなんとか、ブツブツ言う彼。それを無視して窓の近くの席に向かうあたし。お腹が空いているのには違いないからなのか、はたまたここに入るときに言った『根掘り葉掘り訊かせてもらう』というのを気にしてなのか、アスロックもまた、あたしの後ろをついてきていた。……う〜ん、もし後者だとすると、かなり律儀な奴だということになるけど、まあいいや、どっちでもあたしとしては問題ないし。

 「そういえば」とアスロックが、テーブルにつくと同時に尋ねてきた。……むう、質問したいのはあたしのほうだというのに。思えば、出会ったときからずっと彼はこんな感じだ。

「なんでおれのフルネームを知ったときに、ガルス帝国の出身者だって改めて思ったんだ?」

 そんなことも知らないのか、と正直、呆れる。この感情も今日何度目になるかわからないくらいに抱いていた。なんというか、彼、基本的な知識があまりにも不足しすぎている印象を受ける。ガルス帝国の生まれだというし、戦うことにばかり頭を使ってきたのだろうか。
 しかし、呆れていても始まらない。仕方ないのであたしは答えてあげることにした。なんだかんだ言って、あたしも今日はずっとこんな感じだなぁ。

「ああ、それはね。『アトール』ってファミリーネームはガルス帝国特有のものなのよ。同時に、ガルスにとても多いファミリーネームでもあるの。より正確に言うのなら、ガルス・シティに、ね。あなたの知り合いにだっているでしょ? アトールってファミリーネームの人間」

 彼は思い出そうとするように、しばし宙に視線をさまよわせていたが、思いついたように「そういや、いたな!」とポンと手を叩いた。そして、また疑問に思うことが出てきたらしく。

「そういや、ミーティア。お前のフルネームはなんていうんだ?」

 その質問に。
 あたしはつい、言葉に詰まった。端から見れば不自然極まりないことなのだと、自覚していながら。

「…………」

 考え込むあまり、あとになってからよく考えてみれば、「そんなことよりも、いい加減本題に入らせてよ!」とでも言って、はぐらかしてしまえばよかったのだということに思い当たることすら出来なくて。

 結局、あたしは……。

「おーい、ミーティア? 聞いてるか?」

 あたしは……。

「――ミーティア・パイル・ユニオン……」

 あたしは、そう返していた。
 『ユニオン』というファミリーネームに引っかかったのだろう、アスロックが首をかしげる。

「ユニオン……? どっかで聞いた気がするんだが、有名な家柄なのか?」

 そのアスロックの言葉に、あたしは思わずイスから転げ落ちそうになる。

「いやいやいやいや! あなただってこの街を通り過ぎて、ではあったんでしょうけど、行ったんでしょう!? ユニオン・シティ!」

「…………。ああ! なんか聞き覚えあると思ったら、ユニオン・シティの『ユニオン』だったのか!」

 …………。ええと、神さま。可愛い女の子が成人男性を殴るのは、罪にはなりませんよねぇ……?

 高く振り上げたあたしの腕は、しかし、ちょうどウエイトレスさんがやってきたことで下ろさざるを得なくなった。……くぅっ! こうなったらなるべく高いもの頼んで、コイツに奢らせてやる!

「ご注文はなにになさいますか?」

「ランチセットAをお願い。支払いは彼が」

「おぉいっ!?」

「だってあたし、あんまりお金持ってないし。稼ごうと思ってあの催し物に出てみたら、あなたの火炎障壁(ファイアー・ウォール)のせいで賞金をもらい損ねたし」

「おれだって多くは持ってないんだぞ!」

「さっき宿代払ってたときにちらりと財布覗いてみたんだけど、けっこう入ってたじゃない」

「…………。くそっ、なんて目ざとい……」

「ふふ〜ん♪」

 よし、勝利!

「でも、だからって、なんでおれがお前に奢らなきゃいけないんだよ!」

「しつこいわね〜。もう一度言うけど、あたしはあなたの火炎障壁(ファイアー・ウォール)のせいで――」

「ああもう! わかったよ!」

 よし、これで今度こそ勝利!

「あの、お客さま。お代のほうは本当に大丈夫なのでしょうか……?」

「ノープロブレム、ノープロブレム」

「お前な……。――ええと、こいつの言ってる通りだ。おれが払う」

「はい。では――」

「ああ。おれは、――ランチセット……Cを」

「承りました。では少々お待ちください」

 裏方へと去っていくウエイトレスさんを見送ってから、あたしは口を開いた。

「Cって、また安いものを頼んだわねぇ、アスロック。あたしのランチセットAの半分くらいの値段のやつじゃない」

「お前のせいだよ!」

「責任転嫁はみっともないわよ。や〜い、甲斐性なし〜」

「お前な……。――と、それよりも、お前のファミリーネームが『ユニオン』だっていうのは、一体どういうことなんだ?」

 こいつ、まだそれを覚えてたのか……。こういうイベントが起こったあとだから、そういう些細な疑問は流れると踏んでいたんだけどなぁ……。

 あたしは観念することにした。流すのは諦める。どうも彼、疑問に思ったことは可能な限りはっきりさせておきたいタイプのようだ。あたしと同じで。

「う〜んと、ね。どのくらい前の話だったかは忘れたけど、この国は昔、ユニオン王国と呼ばれていたのよ。いまはすっかり寂れちゃってるユニオン・シティを首都として、ね。
 で、当時はまだ小さな町だったスペリオル・シティの人間が何度となく攻め込んで、まあ、あとは言わなくてもなんとなくわかるでしょう? ユニオン王国の国王は他の王族や家臣、国民には危害を加えないという条件を提示されたことで、後のスペリオル一世に国の支配権を譲ったの」

 もっとも、当時のスペリオル・シティは本当に小さな町で、ユニオン・シティに攻め込もうにも人数の面で圧倒的に負けており、まともに考えて勝算なんてなにひとつなかったという。そして、それはおそらく真実なのだろう。なにしろいまでも王宮では、ユニオン王国に勝てたのは後のスペリオル一世に魔族が力を貸していたからだ、という噂がまことしやかにささやかれているくらいだし。

「……なあ、思ったんだけどさ。その条件……っていうか、約束は守られないだろ。どう考えても」

 確かに、普通に考えればそうだろう。しかし、

「だったら、なんであたしはいま、こうして生きているんだと思う?」

「…………。あ! まさかミーティアって、ユニオンの王族の末裔とかだったりするのか? もしかして」

 あたしは無言でうなずく。……うん、嘘は言っていない。実際、あたしはユニオン王国の王族の血をひいてはいるし。……うん。嘘はついてない。

「は〜。そうだったのか〜。じゃあ、ひょっとして、あれか? 王国の再興とか狙ってたりするのか?」

「まさか。ユニオン王国が存在していたのは、百年以上も前のことなのよ。いまさら争いの火種になろうとは思わないわ」

「親御さんとか、言わないのか? お前は誇り高い王家の血をひいているんだ、だから国を再興させる使命があるんだ、とか」

「言わないわね、これっぽっちも。というか、言うわけないし」

「なんで?」

「それは――っと、そんなことより! いい加減あたしのほうの本題、入らせてよ!」

「へ? ああ、悪い悪い」

 と、そこであたしとアスロックが頼んだ料理が運ばれてきた。しゃべりまくっていたためか、喉がすごく渇いていたあたしは、まず一番最初にセットについてきたオレンジジュースを一口、口に含む。口の中一杯に広がる柑橘系の爽やかな味を、しばし楽しんで。

「で、あなたの使った火の呪文のことなんだけどね」

「ああ、なんか常識的にあり得ないとかなんとか言ってたな。――っと、そうだ! おれの使った火炎障壁(ファイアー・ウォール)、火事とか起こしてるんじゃ――」

「だあぁぁぁっ! いきなり脱線させるなあ! あなた、狙ってやってる? ねえ、狙ってやってる!?」

「へ? いや、別に狙ってなんか――」

「余計にタチが悪いわよ! ――あー、ともかく、あれに関してはなんとかなってるでしょ。城にいる兵士とかが消火作業に向かったでしょうし」

「そっか。それならいいんだが」

「それはそれとして、本題ね! とにかく、あり得ないのよ。あなたの術の威力は。それこそ、一日一回は必ず火術を使っていて、なおかつ『火』のスートを持っていても――」

「『火』のスート? なんだそりゃ? それに、確かにおれ、しょっちゅう火の術は使ってるけど、それとおれの術になんの関係があるんだ?」

 ええと……。こいつ、本当にものを知らないなぁ……。

「スートのことは、まあ、後回しにするとして。
 魔術――というか、魔力っていうのはね、魔術を使えば使うほど強力になるのよ。更に同じ術や同じ属性の術に絞って使えば、より効率よく熟練することができるの。火炎弾(フレア・ショット)の威力を上げたいなら、火炎弾(フレア・ショット)や火術を意識して頻繁に使うようにする、という風にして、ね。
 ほら、筋肉だって鍛えれば鍛えるほど力がつくし、蹴りの威力を上げたいなら、腕立て伏せとかするよりもスクワットにでもしたほうが効率いいでしょ? それと同じこと。まあ、一回一回は自覚できない程度しか威力、上がらないけどね。
 これは……、う〜ん、背や髪が伸びるのと同じ感覚かな。本当に自覚できない範囲でしかパワーアップしない、というか」

「ふうん。で、スートっていうのは?」

 本当に理解してるのかなぁ、アスロック。なんか説明していて虚しくなってくる……。

「正確には『シンボル・スート』ね。これは、言ってしまえばその人の持つ『属性』、かな。地・水・火・風、それと光と闇の6種類があるのよ。で、地・水・火・風の場合は、それぞれ、地・水・火・風の精霊魔術の、光は白魔術と神界術の、闇は黒魔術と魔界術の威力を上げるの。
 ちなみにあたしのスートは『光』。あ、2種類持ってる人間は絶対にいないからね、念のため言っておくけど」

「そうなのか。――あ、そういえば昔、おれのことを『この子は『火』ですね』って言った奴がいたっけか。『おれは『火』じゃない、アスロックだ!』って言い返した記憶がある」

 こいつは子供のときからそんなだったのか……。
 思わず額に手を当て、天井を仰いでしまう。

「でも、それでもあの威力はやっぱりおかしいのよね。火術を頻繁に使っていて、『火』のスートを持っていて……。う〜ん、あともうひとつ要素があると思うんだけどなぁ。というか、ないと説明がつかないし……。残念なことに、というかなんというか、いまは光の月だし、もし火の月であってもそれほど……」

「いまが光の月だからって、魔術となんか関係あるのか? 外を歩いていたときにもそんなことを言ってた気がするが」

「…………。……ねえ、アスロック。常識に欠けているのって、かなりの高確率で罪になるわよね」

「なにを唐突に」

「『なにを唐突に』じゃないでしょ! あのね! あたしはいい加減、苛立ってるのよ! もっと常識に精通しろおぉぉぉぉっ!」

「常識に精通しろって、なんかすごい言葉だな……」

「…………。あー、もういいわ。なんか脱力してきた……」

 いい塩梅(?)にテンションの下がったあたしは、ちょっぴりかったるい心持ちになりながら説明を続けた。

「あのね。スートと似たようなものだけれど、光の月には白魔術と神界術が、火の月には火の精霊魔術が威力を増すのよ。まあ、スートとは違って、微々たるものだけどね」
 
 だからあたしは、『月の影響力』はほとんど無視していたのだし。

 さて、すっかり手詰まりになってしまった。最後の要因が一向に解き明かせない。これは、世が世ならアスロック、解剖とかされていてもおかしくないんじゃ……。

 と、待てよ。まだ試していないことがひとつだけあった。あー、でも彼に呪文を詠唱させるのは危険な気もするし……。……まあいいや。やらせちゃえ、やらせちゃえ。

「ねえ、アスロック。ちょっと火炎弾(フレア・ショット)の詠唱、してみてくれない?」

「え? ここで、か? 危なくないか?」

「いいからいいから。ほら、早く」

「あ、ああ。じゃあ……」

 彼はいままでせわしく動かしていたフォークを置き、言われるままに呪文の詠唱を始めた。……自分で促しておいてあれだけど、人の言うことにホイホイ従っていて、大丈夫なのかな、彼……。

「精霊界に住まいし火(か)の精たちよ
 汝らの力を借り受け――」

「はい、そこまで!」

 ペシッとアスロックの頭をはたき、詠唱をやめさせるあたし。予想通りというかなんというか、彼は不満げな表情をしてあたしを見てくる。

「怒らない怒らない。おかげでやっと合点が言ったわ。あ〜、スッキリした〜」

「いやあの、おれにはなにがなんだかさっぱりなんだが……」

「ああ、うん。つまりね。アスロックの詠唱って、威力が高くなるようにアレンジされてるのよね」

「アレンジ?」

「そう、アレンジ。あなたは『魔法の言語(マジック・ワーズ)』のことを知らずに詠唱文を丸暗記していたようだから、気づかないのも無理はないけど。
 これは火炎弾(フレア・ショット)に限らず、火術のほぼすべての詠唱文に言えることなんだけどね。まず、第1節の『精霊界に住まいし火(か)の精たちよ』は普通なら『精霊界に住まいし火(か)の精よ』だし、第2節の『汝らの力を借り受け』もやっぱり『汝の力を借り受け』なのよ」

「……それが? ほんのちょっと変わっただけじゃないか」

「そうね。でもその『ほんのちょっと』が大きな意味を持っているのよ。
 いい? 多くの魔術の使い手は、魔術を一度使う際に力を借りることの出来る精霊は一体のみだと思ってるの。実際はそうじゃないんだけどね。で、アレンジしてあるあなたの詠唱文は、一回に複数体の精霊の力を借りてるのよ。力を借りる精霊の個体数が多くなれば、その分だけ威力も増す。
 この理屈はあなたにだってわかるでしょ?」

「まあ、そう説明されりゃあな。……『あなたにだって』ってところが引っかかるけど……」

「もっとも、借りる力が多ければ、当然、それに比例して魔法力の消費量も増すわけだけどね」

 術者の魔力によって、借りられる力の量も変わってくるし。

「――しっかし、色々と難しいことを知ってるんだなぁ……」

 そう言うアスロックの声には、尊敬よりも驚きの響きが強くあった。まあ、どちらであっても気分がいいには変わりない。

「まあね。あたし、魔道士だから」

「魔道士っていうと、強力な攻撃呪文をいくつも使えるっていう、あの魔道士か?」

「違うわよ! あ、いえ、違うわけじゃないけど、でも、それだけじゃないわよ! 魔道士っていうのは、『本質の探究者』であって――」

「『本質の探究者』?」

「そう。この世界はいつ、どうやって誕生したのか、を初めとした、いわゆる『世界の本質』とでも言うべきものに近づくための……って、アスロック、なにも頭抱えてテーブルに突っ伏さなくても……」

「いや、とてつもなく難しい話になりそうだったんで、つい……」

「まあ、難しい話にはなるでしょうね。というか、誰もがまだ『世界の本質』に近づこうとしている段階で、誰一人それを理解できた人間はいないっていうし……。まあ、あたしが言いたいのは、ね。魔道士は別に魔術を使うだけしか能がないというわけじゃない、ということであって……」

「いや、魔術使う以外になにをするんだよ。というか、魔術の使えない魔道士って、なんかこう、役立たず感バリバリじゃないか?」

「失礼なっ! 言っとくけど、昔の人間は誰一人として魔術なんて使えなかったのよ! 大昔の魔道士たちが言葉の羅列や『魔法の言語(マジック・ワーズ)』に秘められた意味を発見して、『魔術』として普及させるまでは、ね!
 そりゃ、いまでこそ魔道士以外の人間も片手間に使えるけど――」

「なんか、いきなりテンション高くなったな……。……しかし、そうか。じゃあ魔術が使えない魔道士が役立たずっていうのは、失礼な考え方だったんだな。悪い」

 ぺこりとアスロックに頭を下げられ、あたしはようやく少し冷静になった。
 いや、まあ、実際は彼の言うことも一理あるわけだし……。

「あー、そういうわけでもないわよ。魔術が普及した現在では、やっぱり魔術を使えない魔道士なんて役立たず以外のなにものでもないから。――それに、大昔の魔道士たちの偉業を、まるで自分がやったかのようにあたしが誇らしく語っていいものでもないわよね。ごめんなさい」

 なかなかしないことではあるけれど、あたしもまた、自分の非を素直に認め、アスロックに頭を下げた。本当に滅多にしないことだから、親友のドローアあたりに見られたら本気で驚かれそうだ。

 しばし、あたしのフォークを動かす音だけが響く。アスロックはというと、すでに食べ終えていた。あたしのほうがかなり口数が多かったから、当然といえば当然の結果といえる。あたしよりもアスロックのほうが一口一口も大きいだろうし。

 …………。

 沈黙の中、やっぱり、頭を下げるなんて慣れないことはするものじゃないなぁ、と半ば本気で思う。なんか、気まずい。

 あたしはそれを打開しようと「そういえば」と疑問を投げかけてみた。まあ、それほど気になることというわけでもなかったりするのだけれど。

「アスロックはなんでスペリオル聖王国に来たの?」

「ん? ああ、それはな――」

 アスロックは傍らに置いてあった荷物袋に手を突っ込んでがさごそやり始め、

「これを、ここの王さまに届けに来たんだ」

 言って、一冊の本をテーブルに置く。

「なんでも、『聖本(せいほん)』とかいうものの解読に必要らしい」

 説明してくれた彼には悪いが、あたしの目はその本に――赤茶けた装丁の、燃え盛る炎が描かれた表紙に釘付けになってしまっていて、ろくに説明なんて聞いていなかった。だって、それは――

「――火の解読書……」

 絞りだすような声になってしまう。だって、それは、あたしがずっと求めていた6つの解読書のうちのひとつだったから。

「――これを、ここの国王に?」

「ああ。本当はもうひとつの解読書と一緒にガルス・シティに保管しておくつもりだったらしいんだけど、その闇の解読書がなくなっちまったらしくてな」

「え!? なくなったって、紛失したってことよね!? なんで!?」

「なんでって言われても、盗まれた、としか」

「盗まれた!? 一体誰に!?」

「いや、おれに訊かれてもな……」

「う、まあ、そりゃそうでしょうけど……」

 じゃあ、闇の解読書の行方は、現在は不明!? 光と土の解読書はこの国の王宮に、水と風の解読書はフロート公国の王宮にあることがわかっているっていうのに……!

 いや、まあ、とりあえずは火の解読書が目の前にあることを喜ぶべきか……。

「なあ、ところでその『聖本』ってのはなんなんだ?」

「うん? この世界のすべて――文字通りすべてのことが書かれている書物のことよ。元々はユニオン王国が所有していたから、いまどこにあるのかというのは、――言わなくてもわかるわよね?」

「ああ。『聖本』がこの国にあるんじゃなかったら、この解読書をおれがここまで持ってきた意味もないんだろうしな」

 おや、アスロックにしては理解が早い。
 あたしはランチセットAをすっかりたいらげ、席を立った。

「ごちそうさま、アスロック。じゃあ、あたしはそろそろ行くわね。――明日はお城に?」

「そうだな。あ、ちゃんと今日のうちに謁見の申し込みをしておかないと」

「忘れないようにしなさいよ。――じゃあね」

「あ、でもお前はどうするんだ? 家出の最中なんだろ?」

 あ、そうか。彼の中ではあたしは家出少女ということになっているのか。まあ、実際その通りだったりするのだけれど。でもこれは家出じゃなくてプチ家出……。
 まあ、それはどっちでもいいとして。

「帰るわよ。今回のところは大人しく、ね」

 それからあたしは怪訝な表情をするアスロックに手を振って、宿屋兼食堂を出たのだった――。




 翌日。光の月2日。

 あたし――スペリオル聖王国の第二王女、ミーティア・ラン・ディ・スペリオルは、昼食を終え、王宮内にある自分の部屋で考え事に没頭していた。内容は昨日会ったアスロックと、彼の持ってくるであろう『火の解読書』のこと。

 …………。まあ、彼には『ミーティア・パイル・ユニオン』と名乗ったけれど、あれは言うまでもなく偽名(ぎめい)。いや、あそこで本名を出したら、いくら相手がアスロックであっても、あたしがこの国の王女だと気づかれただろうし、気づかれて畏(かしこ)まった態度をとられたくはなかったしで……。……そ、それに、ユニオン王国の王族の血を引いているというのも嘘ではないから、その、ごにょごにょ……。

 一体なにに対してしているのか、自分でもよくわからない言い訳を心の中でしながら、イスに腰かけたまま、正面にある大きな鏡に映る緑色のドレスを身にまとった自分とにらめっこすること、数秒。

 ――コン、コン。

 あたしの部屋の扉が軽くノックされた。

「どうぞ〜」

 腰の辺りまであるオレンジ色の髪を軽くわしゃわしゃ〜っとやりながら、あたしは極めてゆる〜く返した。謁見者や重要な客人、あとお父さまの前では丁寧な言葉を使うし、一人称も『私』に直すが、しかし、あたしの性格上、普段からそんな言葉遣いはしていられない。……肩が凝って仕方ないから。

 扉を開き、腰まである黒い髪を揺らしながら入ってきたのは、青いドレスに身を包んだ線の細い美人だった。あたしの姉であるこの国の第一王女、セレナ・キル・ソルト・スペリオル。19歳。

「――あ、お姉ちゃん。わざわざどうしたの?」

「お父さまに頼まれて、ね。ミーティアを呼んでこいって」

「お父さまが呼んでる? ……あ〜、もしかして、まだ怒ってるの? 昨日のこと。駄目ねぇ〜。あの程度のこと、笑って許せるようにならないと」

 イスから立ち上がり、両手を広げて「やれやれ」とやるあたしに、お姉ちゃんが嘆息する。……むぅ、まるであたしの感覚に問題があるかのような反応を……。

「昨日のことは、お父さまが怒るのも当然だと思うけれど……」

 『昨日のこと』というのは、まあ、あれのことだ。新年早々、『家出』したこと。『その日のうちに戻ります』と書置きしておいたというのに、お父さまは『よりにもよって、新年一日目に断りもなく外出するとは』とカンカンに怒っていた。
 しかしやはり、そんなに怒るほどのことかなぁ、とあたしは思ってしまう。なぜなら。

「あたしが居なくたって、お姉ちゃんが居るんだから問題ないと思ったんだけどなぁ……」

「お父さまとしてはやっぱり、『実の娘』に居てほしかったんでしょう」

 その言葉にあたしは複雑な気持ちになってしまう。しかし、お姉ちゃんに他意はなかったのだろう、ちょっとだけボサボサになっているあたしの髪が気になったのか、「ほら、座って。髪、梳(と)かしてあげるから」と、その青い瞳に穏やかな色を宿したままで櫛(くし)を手にする。あたしも大人しくそれに従い、イスに改めて腰かけた。

「『実の娘』に、ねぇ。あのお父さまがそんなこと、思うかなぁ……」

「思うわよ、きっと。血が繋がっているかどうかというのは、やっぱり重要なことだと思うし、それに私は種族すら違うわけだしね」

 サラッと言うお姉ちゃんに、当然、あたしの複雑な気持ちは強まった。自然、お姉ちゃんの耳に視線をやってしまう。その明らかに人間のものではない、『尖った耳』に。

 そう。お姉ちゃんは人間ではない。人間を遥かに超える魔力と、永遠にも等しい時間を生きる『エルフ』と呼ばれる存在だ。
 これは書物で読んだことだけれど、なんでもエルフは20歳になると、その容姿のままで見た目の成長が止まるらしい。まあ、もちろん個人差はあるのだろうけれど。
 ちなみに、お姉ちゃんは今月の34日で20歳になる。当然、お姉ちゃんの肉体的成長も、あと1年と経たないうちに止まることになるのだろう。正直、ちょっとだけ羨ましかったりもするけれど、でも、いずれは見た目と精神の年齢が一致しなくなるのだという未来を考えると、やっぱり肉体的にも成長し続ける――というか、老化していくほうが幸せなのでは、とも思う。

「――はい、これでよし」

 あたしの髪を梳かし終え、お姉ちゃんは満足げにそうつぶやいた。あたしはなんとはなしに毛先をくるくるといじる。この髪型でいることを周囲から望まれていることはわかっているし、だからこそあたしもこの髪型をデフォルトにしているのだけれど、やっぱり、どうもあたしの性格には合わない。大体、なんで皆、ポニーテールは駄目だと口を揃えて言うのだろう。動きやすいうえに髪も長く保っておけるというのに。

「じゃあ、行きましょうか」

「うん。そういえば、なんでお父さまが呼んでるの?」

 イスから立ち上がり、部屋を出ると同時に尋ねる。まあ、小言を言うのが目的でないのなら、呼ばれる理由なんて大体限られてくるわけだけど。

「ええ、それがね――」

「待って! 当ててみせる! ――謁見者でも来るんでしょ? 今日。それもただの謁見者じゃなくて、ちゃんと客としてもてなす必要のある類の人が!」

「……勘がいいわね、ミーティア」

 いやいや、これは勘だけで当てられるものじゃないと思うよ? お姉ちゃん。

「そう。今日は大事なお客さまが見えるそうなのよ。――あ、ミーティア、お客さまの前では言葉遣い、ちゃんとしてね」

「わかってるって」

「じゃあ、いまから――」

「やだ。どうしてお姉ちゃんにまで堅っ苦しい言葉使わなきゃいけないのよ。いつも言葉遣いには気をつけてるんだから、心配はいらないでしょ?」

「……まあ、それはそうね。で、そのお客さまのことだけど、なんでもガルス帝国からの使いの方らしくて」

「ふうん。男の人?」

「ええ。……ミーティア、そういうの気になるお年頃?」

「違うって……」

 イタズラっぽく微笑むお姉ちゃんに、あたしはげんなりと返した。
 そう、断じて違う。あたしが気になっているのは彼自身ではなく、彼の持ってくるであろう『火の解読書』だ。……そういえば、あいつ、宿屋に忘れてこなきゃいいけど……。

 あの場で彼に言うことはしなかったけれど、彼の役割は実はとても危険なものである。いや、ちょっと違う。危険になるよう、仕組んだ存在がいる、というべきか。
 アスロックは言った。闇の解読書が紛失したから、火の解読書を持ってくることになったのだ、と。でも、それはおかしい。なんというか、動機になっていないのだ。

 6つの解読書を揃えないと『聖本』のすべての内容を読むことはできない。それゆえに各国は解読書を保管し、他国には絶対に渡らないようにした。それは当然のことだ。『聖本』には、あるいは広範囲に渡って破壊を撒き散らすような高度な魔術の詠唱文の記述があるかもしれない。実際、あたしも『聖本』に載っている『界王(ワイズマン)』という存在の力を借りた術の研究をしているのだし。

 しかし、だからこそ。ガルス帝国の行動に納得がいかない。だって、闇の書がなくなったからといって、「もうどうでもいいや」と、まるでヤケになったかのように火の書まで手放せるものだろうか? 他の解読書をすべてスペリオル聖王国が手に入れても、火の書だけでも保管しておけば『聖本』の完全解読は阻止できるというのに。

 そこには目を瞑るとしても。
 本当に火の書をこの国に届けさせることが目的だったとしても、やっぱり疑問は残る。

 そう。『なぜアスロックに『刻の扉』を使わせなかったのか』という疑問が。

 この疑問の解は、むしろ多すぎて特定できない。ガルス帝国にとってアスロックが邪魔な存在だったから、『使い』として送ることで彼を国外から出したかったのかもしれないし、この可能性は無いに等しいだろうけど、ガルス・シティの『刻の扉』が使用不可能な状態になっているのかもしれない。
 あるいは、もしかしたら本当にヤケになって、紛失させることが――この国にたどり着けず、旅先で野垂れ死にさせるつもりでアスロックに火の書を持たせたのかもしれない。……実際、彼はかなりの方向オンチなようだし、こうして無事に火の書が届くだなんて、ガルス帝国の王宮の人間たちは思っていなかったのではないだろうか。

 なんにせよ、いま挙げたどの説をとるにしても、なんだかきな臭い事情がある気がする。そう、アスロックがのこのことガルス帝国に帰ったらマズいことになるのではないだろうか、という気がするのだ。

 まあ、それはアスロックの問題であって、あたしが案じることじゃない、と言われてしまえばそれまでなのだけれど。

 そんな深刻なのかそうでもないのか微妙なことに思考を巡らせているうちに、謁見の間に入るための扉が見えてきた。謁見者は正面から入るけれど、あたしたち――王宮に住む人間はそこから入るわけじゃない。ちゃんと数ヶ所、裏口のようなものがある。何ヶ所もあるのは、この王宮に攻め入られた際に逃げるルートを複数確保する必要があるからだ。いや、本当に余談だけれど。

 そんな裏口のひとつからお姉ちゃんと共に謁見の間に入ると、視界に2人の人間の姿が目に入った。40代前半の男性――お父さまが玉座に、この国の兵士を束ねる聖将軍(セント・ジェネラル)シャズールがその傍らに控えている。
 本来なら、他の国で言うところの宮廷魔道士――聖魔道士(セント・ウィザード)も居るべきだというのに、ここ数年はその役割を完全にシャズールひとりが請け負ってしまっている。彼もまた40代前半。火の魔力が込められているフレア・アーマーの赤が目に痛いったらありゃしない。

「――お待たせいたしました、お父さま」

 髪を揺らし、あたしは普段の自分からは想像もつかないくらい優雅に礼をする。正直、やってから自分のあまりの『らしくなさ』にちょっとだけ鳥肌が立った。

「……遅かったな」

 どこか不機嫌そうにその黒い瞳を細めて、お父さまが低い声で言う。無言でお辞儀をしたお姉ちゃんのことは完全に無視して。……まだ昨日のことを怒っているのだろうか。少なくとも『昨日は娘が居なくて寂しかったよぉー』などとは間違っても思っていないだろう。そんなことを思っている人間のとる態度じゃないし。

 デュラハン・フォト・バース・スペリオル。それがあたしたちのお父さま――スペリオル九世の名である。男性の王族が纏う白い服に、瞳と同じく黒い髪。しかしそのあごひげと繋がっている髪にはうっすらと白髪が混じり始めている。まあ、苦労が多いのだろう。国王なんてやっていると。
 そんなお父さまとは、お姉ちゃんはもちろん、あたしも似ていない。というのも、あたしはお母さま似で、実際、オレンジ色の髪も緑の瞳も、そして実年齢よりも少しばかり幼く見られてしまうところまで、いまは亡きお母さまそっくりだったりするそうなのだ。

 ちなみに、あたしもお姉ちゃんもそうだが、お父さまは腰に護身用のダガーをさしている。本当に護身のことを第一に考えるのならエアナイフをさしておくべきだと思うのだけれど、なんでもダガーのほうが王族としての威厳が出るらしい。威厳よりも実用性を第一に考えるあたしにはちょっと理解できない思考だった。

 やれやれと頭を掻こうとし、しかし、おっといけないと手を引っ込める。お父さまの前であるということと、これから謁見者が来るという手前があったからだ。まあ、来る謁見者はアスロックなのだろうけど。
 それにしても、やっぱり王女という立場は面倒だと思う。常に淑やかに、礼儀正しくあることを求められるし、教養も身につけなければならないし、勝手に髪型を変えることは、まあ、許されていないわけじゃないけど、それでもやっぱり周囲からいい目では見られないし。本当、気軽に嘆息も出来やしない。

 他にも嫌いな人間にだって愛想笑いしなきゃいけないし、とあたしはいけ好かないこの国の聖将軍に目をやった。
 銀の長髪に血のように毒々しい赤い瞳。王族以外は誰であろうと帯剣してはいけないはずの謁見の間で、しかし、お父さまに特別に許されているため、腰にエアブレードをさしている。

 ……なんとなくわかるとは思うけど、あたしはこいつが嫌いだ。なんというか、わけもなく人を見下す、その態度が嫌い。しかもその『人』にはあたしやお姉ちゃん、ときにはお父さままでが含まれるときすらあって。
 そんなこいつが、さっそくあたしを見下すような態度で言ってくる。

「確かに遅かったですな。すでにセレナさまから聞いていらっしゃると思いますが、今日はこの国にとって重要な客人がお見えになるのです。昨日のこともそうですが、ミーティアさまの不在は――」

「あー、うるさいうるさい。ちゃんと間に合ったんだからいいでしょ。で、誰が来るの?」

 嫌いだからなのか、どうにもこいつにはつい『素』で返してしまう。すると案の定、お父さまから叱責が飛んできた。

「――ミーティア。王女としてなってないにも程があるぞ」

「…………。はい、すみません。お父さま。それで、本日お見えになるお客さまはまだなのでしょうか?」

「そろそろ、だと思うのだがな……」

 珍しく、少し狼狽した様子を見せるお父さま。……ふむ、これは、ひょっとすると街で迷ってるのかな、アスロックのやつ。

 しかし、こうなるとなかなかに暇になる。

「――そういえばお姉ちゃん。ドローアはまだ帰ってきてないの?」

「え? ええ。まだフロート公国に行ったままね。もうそろそろ帰ってくる頃だとは思うけど。――そうね、今頃はラット・シティあたりまで来ているんじゃないかしら」

 ドローアはちょっとした用事があって、先月、フロート公国に向かった。彼女はあたしよりひとつ年上なだけなこともあって、幼馴染みであり、親友のようなものだ。少なくともあたしはそう思っている。なので正直、居てくれないと息苦しくて仕方がない。いや、この場合は『生き苦しい』とでも言うべきか。

「早く帰ってきてくれないかなぁ……」

 そうつぶやいたときだった。兵士がひとり、正面の扉から赤絨毯の上を歩いてやってくる。そしてお父さまとシャズールに小声で報告。その様子からするに、謁見者――アスロックが到着したのだろう。
 いきなり謁見者に入ってこられたら、こちらとしてはすごく困る。いつやってくるかわからない謁見者を延々と待つのは肉体的にも精神的にもきついし、緊張が緩んであくびを漏らした瞬間に入ってこられようものなら、王族の威厳なんて一瞬にして消し飛んでしまう。なので、前もってこうして兵士が謁見者の到着を報せにくるという仕組みになっているのだ。
 さてさて、彼はあたしを見て、果たしてどんな反応をするだろうか。そんなことをあたしは少しだけ憂鬱に考える。

 ややあって。
 謁見者が正面の扉をくぐり、姿を現した。
 髪は黒く、ちょっと寝癖っぽく散らしてある。まさか王宮に寝癖で来るとも思えないから、元からこういう髪型なのだろう。
 無駄なく筋肉のついた――しかし、見る者に威圧感を与えることは決してない身体に身につけられているのは、長旅で少し薄汚れたのであろう銀色の鎧とショルダー・ガード。脚にはぴったりとした黒いズボン。
 そして、髪を下ろしたあたしを見てのことなのだろうか、彼のダーク・ブラウンの瞳はこれでもかというほどに大きく見開かれていた。そのままきょろきょろと周囲を見回しているのは、うん、謁見の間の広さに圧倒されてのことだろう。
 腰にエアブレードこそ提げていないが、目の前の謁見者はやはり昨日街で会った青年、アスロック・ウル・アトールその人だった。

 その彼は一通り周囲を見渡し終えると、玉座へと伸びる赤絨毯の上を、その足裏に伝わる感触を楽しむような表情を浮かべて進んでくる。……緊張の色がまったく見えないあたり、彼、けっこう大物なのかもしれない。いや、こういうタイプの人間は大抵、紙一重の馬鹿だったりするのだけれど。

 数歩、足を進め、そこで立ち止まりお父さま――スペリオル九世の前で恭しくお辞儀する……かと思いきや。

「――あれ? どこかで見たようなと思ったら、ミーティアじゃないか。どうしたんだ? 髪なんて下ろして。言っちゃ悪いとは思うが、似合ってないぞ」

 朗らかにあたしに向かって話しかけてくるアスロック。……いや、悪いと思うのなら言うのよしなさいよ、そういうことは。

 いや、それよりも。普通、こういう場所でタメ口で話しかけてくるか?

 あたしは心の中で深く嘆息しながらも、表面上は上品な笑顔を浮かべて応対する。

「昨日(さくじつ)はお世話になりました。そのお礼の意味も含め、スペリオル聖王国はあなたを歓迎させていただきます。――ところで、本日はどのようなご用件でお父さまに謁見を申し込まれたのです?」

 回りくどく言ってはいるが、その内容は結局のところ『謁見を申し込んだ以上、まずは国王と話してくれ』と促したに過ぎない。しかしアスロックはそれを読み取ることができなかったらしく、「うえっ」と腰を引き、船酔いでもしたかのような表情で尋ねてきた。

「お前、そういうキャラだったっけ? なんか、気持ち悪いぞ……」

 とりあえず、一国の姫君に向かってそういうことを言うべきではないと思う。……まあ、あたし自身、内心では気持ち悪いと思っているので、そのあたりは彼とまったく同意見なのだけれど。
 少しばかり脱力しながらも、しかし場が場であるため、あたしは丁寧な口調を崩さずに返す。

「お気になさらないでください。それよりも本日はどのようなご用件で謁見を?」

「いや、それはお前だって知っているだろ? ほら、昨日見せたあの本のことだよ」

 そんなことは言われるまでもなく知っている。というか、謁見の内容は昨日、彼が王城に謁見の申し込みをしに来たときに、ちゃんと兵士に伝えてあって、それは当然、お父さまの耳にも届いているのだ。
 しかし、それでも通過儀礼というかなんというか、謁見者は必ず国王に改めて謁見の内容を話すものである。別にそうしなければならないという決まりはないけれど、それはもはや、謁見者にとっては暗黙の了解となっている。それはガルス帝国の王宮であっても変わらないはず。

 いい加減じれったくなり、あたしが拳をプルプルと震わせていると、彼はなにを思ったのか怪訝そうな表情を浮かべて訊いてきた。

「……お前、ミーティアだよな? えっと、もしかして似ているだけの別人だったり……?」

 なんでそんな発想が出てくるのだろう。つい先ほど『昨日はお世話になりました』と言ったというのに。
 と、さすがに見かねたのだろう。あたしの隣に黙して立っていたお姉ちゃんが口を開いた。

「いえ、間違いなく同一人物ですよ。昨日はミーティア、国民の前で挨拶するのが嫌だったのか、王宮を抜け出してしまいまして。本当、アスロックさんにはご迷惑をおかけしました。――申し遅れました。私はミーティアの姉で、この国の第一王女であるセレナ・キル・ソルト・スペリオルと申します」

 そうして優雅に一礼。むぅ、あたしがやっても気持ち悪いだけだというのに、お姉ちゃんがやると妙に様になるなぁ……。
 アスロックもアスロックで驚いたように目を瞬(しばたた)かせると、お姉ちゃんには丁寧に返した。

「……あ、えっと、初めまして。アスロック・ウル・アトールです。――しかし、そっかぁ。それは確かにミーティアらしい……」

 そこまで口にして、アスロックの動きが止まる。しかし、王宮から抜け出すのを『ミーティアらしい』って……。本当に失礼なやつだなぁ、こいつ。

「…………。あれ? じゃあ、ミーティアってスペリオル聖王国の王女なのか?」

 再度あたしに投げかけられる問い。そうか。彼、あたしが王女だとまだ気づいていなかったからタメ口全開だったのか……。
 これからは丁寧な言葉に切り替えてくるだろうと、少し憂鬱な心持ちになりながらあたしは首肯した。

「はい。そういえば、まだ自己紹介もしていませんでしたね。――スペリオル聖王国の第二王女、ミーティア・ラン・ディ・スペリオルと申します」

「ミーティア・ラン・ディ……。でも昨日は――」

「お忍びで街に出ていましたので、失礼とは思いましたが、偽名を」

「偽名……。つまり、嘘をついていたってわけか。駄目じゃないか。嘘つきは泥棒の始まりなんだぞ」

 ……あれ?

「申し訳ありません」

「……ところで、ミーティア。その口調、なんとかならないのか? 正直、らしくないというか……」

 ……あれれ?

「そう仰られましても、これが私の普段の口調ですから」

「そうか? おれはどっちかっていうと、昨日のミーティアのほうが『素』っぽい感じがするんだけどな……。お前が自分のことを『私』って言うと違和感すごいし」

 ……う、う〜ん……。見抜かれてるなぁ、なんか。それに、一向に口調が変わらない……?

「それとだな、丁寧なお前の謝罪は、なんというか、心が篭もっていない感じがするぞ。とりあえず謝っとけばいいだろう、みたいな印象を受けるというか、な」

 偽名を使ったのはともかく、ユニオンの王族の末裔だというのは嘘ではないんだけどなぁ……。でもこの口調だと弁解も難しいし……。

「まさか、王族なら嘘をついても物を盗んでも罪には問われないと思っているわけでもないだろう?」

 ……いや、というか。

「あんた、ちょっとは畏まれえぇぇぇぇっ!!」

「畏まってほしかったら、謝罪くらいちゃんとできるようになれよ。――しかし、やっぱりそっちのほうがミーティアらしいぞ。うん」

「ちょっと! あたしに代わってあたしの『らしさ』を決めないでよ! ……いやまあ、否定はしないけど!
 というかねえ、確かに偽名を使ったのは悪いと思うけど、ユニオンの王族の血を引いているっていうのは本当のことなんだからね! いい!? スペリオル一世の妻は当時のユニオン王国の第一王女で――」

 根負け、とでもいうのだろうか。
 あたしが王族だと知ってもなお、昨日と変わらない態度をとるアスロックに、あたしはついつい『スペリオル聖王国の第二王女』という仮面をかなぐり捨てて『素』の自分をさらけ出し、彼に食ってかかってしまったのだった。




 ……謁見の間で、それも謁見者に対して『素』の自分を出せたことや、アスロックがあたしに変わらない態度で接してくれたことが実はすごく嬉しかったりもしたのだけれど。

 まあ、それはそれ、ということで。



――――作者のコメント(自己弁護?)

 ちょっと遅くなりましたが、ようやく第二話をアップできました。

 いや、もう、今回は説明することが多すぎて多すぎて……。実は、これでもちょっとばかり削ったのですよ。
 スムーズに、説明がうっとうしくならないように、できるだけ会話を主体に書いたのですが、果たして効果はあったでしょうか?

 それと、今回は第一話と違って、ミーティアの一人称となっております。というか、この物語は基本、ミーティアの一人称です。第一話のほうが特殊だったのですよ。
 それにしても、やっぱり頭のいい――というか、ちゃんとこの世界の常識を知っているキャラを語り部にすると、書くのが楽です。アスロックだったら、エルフの説明ひとつ、地の文ではできないでしょうからね。

 ちなみにこの話、元々は第一話と合わせて『第一話 物語の始まり』とするつもりでした。つまり、この話のラストで第一話終了、とする予定だったのです。しかし想像以上に長くなってしまいまして、また、第一話を書いていたときに「このままラストまで書いていたら7月中にアップできない!」と急遽、前編と後編に分けた次第です。
 それにしても僕、こういうこと多すぎです。ちゃんとプロットは立てているのに、どうも読みが甘いというか、ギャグ会話にどれだけ行数を必要とするかわかっていないというか……。

 ともあれ、これで出会いの話――プロローグとも呼ぶべき部分は無事、終了しました。ここからもまだまだ謎の提示を始め、世界観や魔術、魔族の説明などをしていきますが、引き続き付き合っていただけると幸いです。

 さて、それでは今回のサブタイトルの出典を。
 今回のサブタイトルは、前回に引き続き『ドラゴンクエスト 天空物語』(スクウェア・エニックス刊)からとなっております。第四十四話からですね。正式タイトルは『relation〔互いの関係〕』でしたけど。

 意味は、なかなかに説明するのが難しいのですが、ミーティアから見たアスロックとの関係性、セレナとの関係性、そしてミーティアの正体を知ったアスロックとの関係性を描く回でしたので、このサブタイトルを使いました。それ以上の意味は、まあ、なんといいますか、考えてないといいますか……。
 本当、漠然とした印象だけでサブタイトルをつけるとこうなるから困りますよね……。

 それでは、また次の小説でお会いできることを祈りつつ。



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