真理へと続く書物
唐突に。
うおっほん、と大きな咳払いが謁見の間に響き渡った。
それを発したのは他でもない、あたしのお父さま、デュラハン・フォト・バース・スペリオル。
ギクリとし、引きつった笑みを浮かべながら隣のお父さまを盗み見る。うう、勢いでやったこととはいえ、アスロックに大声で食ってかかったのはマズかったかぁ、やっぱり……。
いい加減、本題に入るべきとようやく悟ったのか、アスロックもお父さまのほうへと向き直り、口調を丁寧なものへと変えた。
「……っと、少々遅くなってはしまいましたが、我が国の王の命により、火の解読書をお届けに上がりました」
……まあ、『謁見』の際に用いる言葉遣いとは、なんか微妙に違う感じはするけど。そして『少々』じゃないでしょ、『少々』じゃ。
お父さまは「うむ」と鷹揚(おうよう)にうなずき、彼の差し出した火の書を受け取る。
「間違いなく、本物だな」
「はい」
「――して、闇の書は?」
ちょっ、それのことまで訊く!? お父さま!?
「王の話では、何者かによって王宮から持ち去られ、それきりになってしまった、と」
ああ、例の盗まれたって話ね。……あ、ふと思いついたことでしかないけど、もしかしたらその『何者か』もアスロック同様、ガルス帝国に危険な役割を背負わされたんだったりして……。
「ふむ、そうか……」
納得した感を思わせる言葉を口にしながらも、お父さまは一度言葉を切り、豪奢な椅子から身を乗り出してアスロックの全身を眺め回した。そう、まるで彼のどこかに闇の書を探し求めるように。
やがてお父さまは腰を戻し、ひとつ、小さく息を吐き出す。
「――どうやら、嘘ではないようだな。……さて、アスロック・ウル・アトール殿、我が国に火の解読書を届けてくれたこと、心より感謝する。しばらくは王宮に滞在し、長旅の疲れを癒していってくれ。もっとも、あまり大したもてなしはできぬが」
そう言ってシャズールにいくつか伝言を頼むお父さま。おそらくは王宮に住み込みで働いているメイドに対するものだろう。国王にうなずきを返した聖将軍が謁見の間を出て行ったあと、彼はその対応に少し恐縮したように、
「いや、そこまでしていただかなくても――」
「遠慮はけっこう。それと粗末なもので申し訳ないが、食事も用意させた。――セレナ、第二食堂までご案内して差し上げなさい」
「あの、本当にいいですって。確かに昼はまだ食べてませんけど、そこまでしてもらうようなことはしてな――」
「いいからいいから。食事のお誘いは素直に受けておきなさいって」
なにしろ、こっちの威厳や体面といったものにも関わるんだしね。
さあ、そうと決まったら即、お姉ちゃんたちと一緒にあたしも退室。このままここに残っていたら、あたしの口調のことでお父さまが雷を落としてくるだろしね。
「さあ行こう。お姉ちゃん、アスロック」
言って、お父さまにくるりと背中を向け――。
「ミーティア、お前はここに残りなさい。少し言っておきたいことがある」
ですよねー。
かくして、あたしは謁見の間から出て行く二人の背中を見送る側になってしまったのだった。
お姉ちゃんがこっそり苦笑していたのが見えたけど、どうせなら苦笑じゃなくて助け舟が欲しかったなぁ。まあ、そんなの出せる空気じゃなかったんだろうけど……。
お父さまのお説教からようやく開放されたあたしは、現在、アスロックにあてがわれたというやや広めの部屋に向かっていた。
や、もちろん第二食堂にも行ったわよ、一番最初に。でも、そこにいたのはお姉ちゃんとアスロックではなく、食事の片づけをしていた数人のメイドさん。う〜ん、長かったからなぁ、お父さまのお説教タイム……。
そんなことを考えているうちにアスロックの部屋に辿り着く。コンコン、とノックをし「は〜い?」と返事が返ってきてから扉を開く。
「ん? おお、ミーティアか。どうした?」
適度な広さを持つ彼の部屋。そこに入って、まず一番最初に目に飛び込んできたのは、ベッドで右へ左へゴロゴロと転がっている、なんともはしゃいだ雰囲気のアスロックの姿。
「…………」
思わず言葉を失うあたし。いや、だって、いい歳した大人が、ねぇ……。
「あ、なんだよ、その目は。いいじゃないか、はしゃいだって。こんなフワフワなベッドに寝転がるのなんて、生まれて初めてなんだぞ」
アスロックはちょっぴりむくれてみせた。や、あたしがやるならともかく、男がやったって可愛くもなんともないから、それ。
「それで、なんか用あってきたのか?」
「……え? あ、ええ。とりあえずは、火の書を持ってきてくれたことに対して、あたしからもお礼を言おうかと思ってね」
「お礼? 別にいいって。そういう命令を受けたから持ってきたってだけなんだから」
「ん〜、まあ、それでも、ね。ほら、あれはあたしも使うものだから」
「ふ〜ん、そういうもんか。まあ、感謝の気持ちは受け取っておくけどな。でもあれ、ミーティアも使うものだったのか?」
「ええ、けっこうな頻度で。もっとも、一番使うのはドローアと、彼女の父親である聖魔道士だろうけどね。一国の王にとってはステータス・シンボルでしかないわけだけど、あたしたち魔道士にとっては『聖本』を読むために必要なものだから」
「ドローアって?」
「食いつくの、そこなんだ……」
あたしとしては、『聖本』のことで質問してほしかったんだけどなぁ。
「ドローアはね、あたしの幼なじみにして親友の女の子のこと。あたしと同じ魔道士でね、『聖本』を一緒に解読してるのよ。まあ、いまはフロート公国に行ってるんだけど」
「旅行かなにかか?」
「ううん。フロート・シティにある魔道学会の本部に用事があって行ってるの。その内容は聞かされてないけど」
「魔道学会?」
こいつは魔道学会のことも知らないのか。しかし彼が疑問に思うことすべてを説明していたら時間がいくらあっても足りはしない。
「あー、それに関してはまた今度ね。それはそうとアスロック、明日は暇? なにか予定が入ってたりしない?」
「ん? いや、特にないな。食堂でもそういう話にはならなかったし」
「ふうん、そっか。じゃあさ、明日あたしに付き合ってよ」
「お前に? なんでまた?」
「明日は王宮内にある図書室で『聖本』の解読をしたいんだけどね、やっぱり一人で延々と、っていうのは気が滅入るのよね。だから来るだけでも一緒に来てくれないかな、と」
「あ、もしかして、そのドローアとかいうやつの代わりとか思ってないか? おれのこと」
「あ、バレた?」
「当たってたのか……」
「まあ、無理にとは言わないわよ。あなたがよければ、でいいから」
「ん〜、まあ、いいけどな」
「ありがと! じゃあ明日、朝食を摂ったら行きましょう。多分、同じ食堂で食べるだろうから」
「わかった。明日の朝だな」
うなずき合い、あたしは自分の部屋に戻ろうと彼に背を向けた。
「あ、そうだ」
しかし、すぐにふと気づき、顔だけアスロックのほうに戻す。
「ところでアスロック、お姉ちゃんがどこ行ったか知らない?」
「ん? セレナさん? おれがメシ食べてる途中であの将軍さんが呼びにきて、一緒に出ていったぞ。確か、王さまがセレナさんに用があるとかなんとか……」
「シャズールが?」
それにお父さまが用があるっていっても、その時間はお父さま、あたしにお説教をかましている真っ最中だったんじゃ……?
「……まあ、いっか」
なんかスッキリしないものを感じながらも、あたしはそこで思考を止めた。
「なんにせよ、お姉ちゃんはいま、流れからしてお父さまのところにいるようね。しょうがない、あたしは自分の部屋で大人しくしてるわ」
退屈なのはゴメンだけど、これ以上、お父さまに怒られるのはそれ以上に嫌だし。
「じゃあアスロック、また明日ね。まあ、もしかしたら今日の夕食でまた会うかもしれないけど」
「おう、じゃあな」
アスロックの声を背中に聞きながら。
こうして、あたしは彼の部屋をあとにしたのだった――。
◆
――弱き少女(もの)よ、真理(ちから)を求めよ。
『愛』をもって理解するとき、『精霊』は『聖霊』となり、『心理』は『真理』となる。
求めし少女(もの)よ、扉を叩け。
さすれば、真理へと続く書物(みち)は開(拓)かれん――。
◆
明けて翌日。
自室に運ばれてきた朝食を見て、あたしは専属のメイドに訝しげな目を向けた。
いや、こういうことは珍しくはあっても皆無ではないから、普段なら不思議になんて思わなかっただろう。けれど、昨日の夕食も自室で一人で摂っていたりするのだ、あたしは。今日も続けて、というのはちょっと不自然じゃない?
……まあ、いっか。そんなことより、いまは『聖本』。なんせ、解読作業が数年ぶりにできるんだから。
朝食の前に、と部屋に備えつけられている水がめの水を手ですくい、ばしゃばしゃと顔にかけた。水がかかる度に頭はハッキリし、それに比例して気分が高揚してくる。
朝食をお腹に収め、アスロックを部屋から引っ張りだして。あたしは王宮内にある図書室に向けて意気揚々と歩を進めた。
「――広いなぁ。それに本棚ひとつひとつも高い……」
それが、図書室に入って一番最初に漏らしたアスロックの感想。まあ、確かに天井近くまである本棚がズラッと並んでいるし、部屋自体も広い部類には入るのだけれど。
「でも街にある国立図書館はもっと広くて大きいわよ。古代ラズライト文字で書かれた書物の量も、ここより遥かに多いし」
「国立図書館なんてあるのか。……ん? じゃあなんで『聖本』とかはそこに置かないんだ?」
「もちろん、一般人に読ませるつもりがないからよ。『聖本』や解読書だけじゃないわ。一般人には存在そのものを隠しておくべきって判断された書物は全部、ここに置かれてるの。なにしろ、ここは王族のみが立ち入れるところだからね。ちなみに、国立図書館は国民全員に開かれてる場所」
そう説明しながら、『聖本』及び三つの解読書を本棚から抜き取るあたし。それらを中央にある長机に載せ、椅子を引き出して座る。そして火の解読書を片手に『聖本』を開き、解読作業開始!
「なあ、『聖本』を解読するって言ってたけどさ、具体的にはどうやるんだ?」
隣の椅子に座ったアスロックの問いかけ。火の解読書をパラパラと片手でめくり、視線は『聖本』に落としたそのままで、あたしは答える。
「んー? まずは『聖本』に載ってる、未解読の単語をひとつ、抜き出すの。そしてそれが火の解読書に載っているか探すのよ。解読書っていうのは、辞書みたいなものでね、その単語さえ見つかれば、その項に意味が載ってるの」
「単語が載ってなかったら?」
「当然、解読できない」
サラッとしたあたしの口調に、アスロックは目を丸くして驚きを露にしてきた。
「それ、ものすご〜く大変な作業なんじゃないのか?」
「そうね。すごく地道で、機械的にやれば退屈でさえあるかもしれないわ。作業量もなかなかに膨大だし」
「それに解読書が六つあるんだから、その特定の単語の意味がわかる確率は六分の一ってことになるんだろ?」
「ノンノン。解読書のうち光と土――第一古代語と第五古代語の解読はもう済んでいるのよ。だから単語の意味を特定できる確率は四分の一」
「や、それ大して変わらないだろ……」
「変わるのよ。『聖本』にある記述量が膨大だからこそ、ね。それにあたしが最優先で解読したいのは『界王(ワイズマン)ナイトメア』の項だけだし。ドローアだったらともかく、あたしはその界王の力を借りた魔術の組み立て方さえわかれば満足だからね」
もちろん、時間があれば他の項も解読したいけど、あたしが興味を持ったところ以外の解読作業は基本、ドローアか彼女の父親が早々にやってくれちゃうし。
それはそれとして、いい加減、そろそろ作業に集中することにする。隣でアスロックが「そんなもんかね……」と呟いていたけど、それは無視。そうして『聖本』と火の解読書を交互に見ながら解読を進めること、数時間。
「う〜ん……」
『界王』の項の解読を終え、あたしはひとつうなり声を漏らした。
「どした?」
「うん、解読作業は終わったんだけどね。正直、穴だらけなのよ、この文章。一応、魔術の組み立ては二つほどできそうなんだけど、こんな不完全な知識を基にしちゃって大丈夫かな。術、発動と同時に暴走とかしなきゃいいんだけど……」
あたしのぼやきに、アスロックの顔が青くなる。
「――おいおいおいおい!」
「耳元でそんな大声出さないでよ。大丈夫、どうせ組み立てたって使えないから、この二つの術。片方はあたし自身の魔法力不足のせい、もうひとつは術の発動に必要な魔法の品が手に入らないせいで、ね」
「術の発動に必要な魔法の品?」
「そう。そのうちのひとつは魔力の増幅アイテムである『賢者の石』。もうひとつは伝説の魔道武器である聖蒼の剣(スペリオル・ブレード)。あーあ、それらを手に入れる手がかりすら載ってないなんて。ショック……」
冗談っぽく、笑みを交えながら呟いてみるあたし。
しかし、そう簡単にはいかないだろうと予想はしていたものの、こうしてその事実を突きつけられてみると、やっぱり落ち込む。そんなあたしの心の動きを察したのか、アスロックがすまなさそうな声をだしてきた。
「――なあ、おれが持ってきたその解読書、役に立ってるか?」
「え? そりゃあ、もちろん。一応、読めるところは増えたからね。――読んでみてあげよっか? 穴ぼこだらけでいいなら」
こくりとうなずくアスロック。それにあたしはひとつ咳払いをし、喉の調子を整えてから、『界王ナイトメア』の項を声に出して読み始める。
「――あれは闇、魔、死、終末、対立、それら全てを統(す)べる存在(もの)。
生み出されし世界。
全ての滅びを望み続ける存在(もの)。
深き闇。消えることのない絶望。
己の夢の中に全てを生み出せし存在(もの)。
生み出されし存在(もの)達、この存在(もの)の夢から決して逃れることは出来ない。
すなわち――『界王(ワイズマン)悪夢を統べる存在(ナイトメア)』」
「――どこの大魔王だ、そいつ……」
「まあ、『漆黒の王(ブラック・スター)』を遥かに凌ぐ、魔王の中の魔王みたいな存在だから……」
だからこそ、界王の力を借りた魔界術は『漆黒の王』の力を借りたそれよりも遥かに強力なものになるはず、と踏んでいるのだし。
「さて、と。『界王』の項はここまでしか解読できないようね、残念だけど。あとは他の解読書を手に入れて、第二、第三、第六古代語を解読できるようにならないと――」
そこまで口にして、唐突に気づいた。いや、閃いたと言ったほうが正確か。ともあれ、バババッと光、土、火の解読書をめくりにかかる。そうして――、
「な、なんだ? どうした突然に!?」
「やっぱり……!」
「『やっぱり』って……?」
アスロックへと顔を向け、少しだけ震える声であたしは答える。
「この三種類の古代言語、組み合わせれば多分、第七古代語になる……。もしかしたら、あたしにも古代魔術が使えるかもしれない……!」
「ど、どういうことだ?」
「えっとね、六種類ある古代言語はそれぞれ、まったく違うもののはずなんだけど、実は共通してる部分が少なからず存在するの」
「そりゃまあ、第一だの第二だのって区別されてるけど、『古代語』ってくくりでまとめられてるもんな」
「そうね。で――」
「おいおい! ここは突っ込んでくれよ! 渾身のボケだったんだぞ!」
「――えっ! ボケだったの!? アスロック、意識的にボケることなんてできたんだ!」
「…………」
ジト目でアスロックが睨んできた。しかし彼に意図的なボケができると思っている人なんて、この世に居はしないだろう。うん、あたしは悪くない。
「……こほん。ともあれ続けるわね。その古代言語の『共通してる部分』を核に第一、第四、第五古代語を融合させると、『上位古代語』とも呼ばれる『第七古代語』になるのよ。
これのすごいところは、なんといっても現代の『魔法の言語(マジック・ワーズ)』のように『第七古代語』のみで魔術を発動させられるという点。それも、ものすごく強力なものを、ね。例えば、白き死の大地(ビェラーヤ・オブ・アルビオン)とか、白き死神(ビェラーヤ・スミェールチ)とか。
まあ、あたしの知ってる限りでは、使い手はたった一人しかいないんだけど」
「へえ。じゃあ世界に二人しかいないんだな。古代魔術ってやつの使い手は」
「うん? 二人?」
「ああ。おれの知り合いにもいるからさ。白き死神(ビェラーヤ・スミェールチ)っていう術を使ってた人が」
「へえ、意外……でもないのかな。事実、こうしてあたしが三人目になろうとしてるわけだし」
「ところでその古代魔術の使い手って、昨日言ってたドローアって奴のことか? それとも彼女の父親?」
「残念ながらどっちもハズレ。全然別の人よ。ある意味では、ドローアたちもすごい魔道士ではあるんだけどね」
そういえば、最近会ってないけど元気にしてるかなぁ、シルフィリアさま。あ、それとアリエスさまも。
柄にもなく、少し感慨にふけってみる。しかし、アスロックはそれに気づくことなく、唐突にこんな質問を投げてきた。
「そういえばさっき、『漆黒の王』がどうとか言ってたけど、その『漆黒の王』ってなんなんだ?」
はい!? いまこいつ、なんて言いましたか!?
「まさかとは思うけどアスロック、『漆黒の王』ダーク・リッパーのこと、知らないの?」
「ああ、全然。『王』ってつくんだから、どこかの国の王様かなにかか?」
「…………。もしかして、『聖蒼の王(ラズライト)』スペリオルのことも知らなかったりする?」
「ラズライト? この世界の名前、だよな? スペリオルは魔法技工師(リオレスト)の作った、魔力が込められた武器のことだろ?」
「それは『蒼き惑星(ラズライト)』と魔道武器(スペリオル)!」
「読みは同じじゃないか!」
「読みは同じでも意味が全然違うのよ! ……いいわ、説明してあげようじゃない。ちょうど『聖本』もここにあることだし、第一次聖魔大戦のこととかも交えて、たっぷりとね……!」
「勉強は、嫌いなんだけどなぁ……」
「――うるさい!」
そんなこんなで、あたしはアスロックに第一次聖魔大戦、及び第二次聖魔大戦の顛末(てんまつ)を交えて『聖蒼の王』や『漆黒の王』のことを説明してやることにしたのだった。
――しかし、こいつの常識のなさは、ここにきていよいよ致命的だぞ、まったく……。
「まず、第一次聖魔大戦っていうのはね」
ピッと右の人差し指を立て、あたしは説明を開始した。
「まあ、一言で言えば、リナライト暦(紀元前)6000年頃に旧人類と新人類の間で起こった戦争、といったところね」
「きゅ、旧人類? なんだそりゃ?」
アスロックはまたも話を脱線させにかかってくる。でもまあ、仕方ないか。旧人類やら新人類やらのことは、あたしだって『聖本』を読んで初めて知ったんだし。
「んーと。旧人類っていうのは『蒼き惑星』に最初から住んでた人類で、新人類っていうのは『聖蒼の王』があとから創りだした人類のこと。当然、質――魔術を扱う素養に関しては新人類のほうが上よ。
そのことからなんとなく予想はつくと思うけど、旧人類と新人類は相容れない間柄でね、新人類側が聖蒼の剣を、旧人類側が漆黒の剣(カオス・ブレード)を手に入れたのをきっかけに、ぶつかり合うことになっちゃったの。
新人類の柱はフィリア・ラズ・ライト・スペリオルとゲイル・ザイン。旧人類の柱はアトル・シャイターン・ダーク・リッパーとデューク・ストライド。フィリアは女性ながら『聖蒼騎士』を、アトルは『黒の将軍』を名乗り、集団で激しい争いを繰り広げたというわ。
で、このとき中心となって戦った人間たちが、後に高位の神族や魔族になった者だったりするのよ。そう、フィリアというのが『スペリオル』が肉体を持った存在――すなわち、後の『聖蒼の王』で、ゲイルがその右腕である『光の戦士(スペリオル・ナイト)』となる存在、同じくアトルが『魔王の翼(デビル・ウイング)』を始めとした魔族たちを率いる『魔王』――後の『漆黒の王』となる存在で、デュークがその忠実な部下――後に『暗黒の戦士(カオス・ナイト)』と呼ばれる魔族となった奴、という風にね。ここまではいい?」
「え? ああ、まあ……」
本当に理解できてるのかなぁ、こいつ。まあいいや、説明を続けよう。
「戦争は数・質ともに旧人類を上回っていた新人類有利に進んでいたわ。でもね、第一次聖魔大戦の最中、リナライト暦5995年頃。アトルは『四大精霊の王たち』に語りかけ、忠実なる僕(しもべ)とするために、不完全ではあったものの『魔法の言語(マジック・ワーズ)』を作りだしたの。この『四大精霊の王たち』が現在、『魔王の翼』と呼ばれている魔王たち。
これで、戦況は旧人類側に大きく傾いたわ」
「……ほお。そりゃ大変だ」
アスロックの気のない相づち。どうやら退屈らしい。それもかなり退屈らしい。しかし、あたしは気にせず話を先に進める。
「フィリアの軍勢が勝利するには、新人類側の優れたところに――つまりは、強大な威力を持つ魔術に頼るしかなかった。つまり、新人類が主に使っていた『古代魔術』に、ね。
そして迎えたリナライト暦5992年。フィリアとアトルが共に二十八歳のとき。彼女は『古代魔術』の中でも『秘術』と呼ばれていた術を使い、『四大精霊の王たち』を消滅寸前にまで追い込んだ。結果、『四大精霊の王たち』は物質界に具現する力を――戦う力を一時的に失うことになったの。でも一方、フィリアも『秘術』を使ったせいで力尽き、間もなく死亡した。
彼女の死因は魔法力の過剰な消耗。いまでいうところの『生命維持の魔法力の完全消費』ね」
誰もが命を賭して戦った第一次聖魔大戦。『聖魔大戦』と銘が打たれてはいるものの、それは間違いなく人間同士が戦い、争った戦争だ。後に神族や魔族になる存在が中心となって戦っていたとはいえ、そこにはまだ神族や魔族の思惑なんて絡んでいない。当然、旧人類と新人類、フィリアとアトル、どちらが正義でどちらが悪だったかなんて、現在(いま)を生きるあたしたちには決めることなんて永遠にできないのだろう。
「…………」
あたしと同じように感じたのか、アスロックは真剣な表情をして黙り込んだ。
しかし、無視することのできない事実もまた、『聖本』には載っている。
「もちろん、フィリアが死んだというだけで――いえ、『四大精霊の王たち』が戦争の表舞台に出てこれなくなったというだけで、第一次聖魔大戦が終わるなんてことはなかったわ。そう、お互いに消耗して、新人類と旧人類、お互いが争っていた理由を忘れるような――手を組んで生きていかざるをえない状況になるまでは、ね。
アトルは死後、第四階層世界の下段階――それも、『地獄』よりも更に奥にある『魔界』に堕ちたと『聖本』には書かれているわ。もちろん、デュークと『四大精霊の王たち』も、ね。これが魔族の誕生ってわけ」
そう、これが無視することのできない、厳然たる事実。
どちらが正義でどちらが悪か、あたしたち人間には決められないけれど。
階層世界――あの世には『絶対の基準』というものがあるらしくて。
そしてその『絶対の基準』に従った場合、アトルという青年は『魔界』に堕ちるほどの『大罪』を犯した『悪』となるらしい。当然、現在『神』とされている『聖蒼の王』スペリオルことフィリアはその間逆。
「と、まあ、ここまでが第一次聖魔大戦。このあと、非人道的な魔道実験が多く行われたりしてた『第一混乱期』を挟んで第二次聖魔大戦に繋がっていくわけなんだけど、続けていい?」
まあ、ダメと言われても説明は続けさせてもらうわけだけど。それを察したのか、それとも少しは興味が湧いてきたのか、アスロックは素直に首を縦に振る。
「ああ。――あ、でもひとついいか? 結局、『漆黒の王』って奴も、最初は人間だったんだよな? 生まれたときから魔族だったってわけじゃなくて」
おや、彼にしては鋭い。
「そうね。いやまあ、フィリアが『聖蒼の王』の生まれ変わりだったことを考えると、アトルだってただの人間だったとは思えないんだけど。それでも、彼が最初から『魔族』だったわけじゃないことは事実。そう、彼は道を盛大に踏み外しちゃっただけなのよね」
さて、前置きはこのくらいにして、第二次聖魔大戦の話に移ろう。
「リナライト暦2200年頃に始まったという第二次聖魔大戦。これは旧人類と新人類の争いだった第一次とは違って、まさに神族と魔族との間で勃発した戦争だったわ。魔界から攻めてきた強大な魔力を持つ魔族は全部で十体。『漆黒の王』と『暗黒の戦士』デューク・ストライド、それと『魔王の翼』と呼ばれている魔王たち――『地界王(グラウ・マスター)』、『海王(ブラック・シー)』、『火竜王(フレア・ドラゴン)』、『魔風王(ダーク・ウインド)』と、彼ら直属の部下である『高位魔族』たちがそれぞれ一体ずつ。けど対する神族側は『光の戦士』ゲイル・ザインを筆頭に、『神族四天王』こと『竜王(ドラグ・マスター)』アッシュ、『雷王(ヴォル・マスター)』アトラクター、『霊王(ソウル・マスター)』アキシオン、『妖王(フェアル・マスター)』ティランクルの五体しか物質界にやってこなかったの。でも――」
「ちょ、ちょっと待った! 一度、頭の中を整理させてくれ! えっと、まず魔族側は魔王と側近と四体の部下たちと、更にその部下たちがやってきて……あれ? 『魔王の翼』のことはともかく、そいつら直属の部下ってのは、どっから出てきた?」
あ、そういえば、そのことを飛ばしちゃってたか。
「第二次聖魔大戦が始まる前、精霊王たちが魔界に堕ちたときのことなんだけど。まず、精霊って必ず『聖』の属性を持っているでしょ?」
「……そうだったっけか?」
アスロックのきょとんとした物言いに、思わず頭を抱えそうになる。まったくこいつは……!
「持ってるの! だから『闇の精霊』は存在しないんだし……って、ああもう話が逸れた!
で、彼らが魔族になってからは、その『聖』の属性が自らの存在を脅かすことになってしまって……まあ、常に体内に毒がある状態、と考えてもらえればいいわ。当然、そんな状態でいるのは『魔王の翼』といえどもしんどいから、四体は『聖』の属性を外に出してしまうことにしたの。そうして外に出された『魔王の翼』の力の一部が人格を持ったのが『高位魔族』」
「四体、いるんだったよな?」
「そう。地界王ノームルスの部下が『地闘士(ファイター)』、海王ウンディネスの部下が『海魔道士(ウィザード)』、火竜王サラマンの部下が『火将軍(ジェネラル)』、魔風王シルフェスの部下が『魔風神官(プリースト)』という具合に、ね。あ、ちなみに『高位魔族』たちの名前を特定するまでには至ってないわ」
「憶えきれないだろうから、それはいい。や、もちろん丸暗記は得意なんだけど、それでもちょっと、な。しかし、なるほど。それで一気に四体も数が増えちまったのか」
「ええ。といっても、これはあくまで『魔王の翼』たちが苦しまずに済むようにするためにやったこと。『聖』の属性はね、今度は当然、『高位魔族』たちを蝕むことになる。そう、理屈の上ではそうなるはずだったんだけど……」
「理屈どおりにはならなかったわけだ」
そうなのだ。なんとなく嘆息し、あたしは彼に向かってうなずいてみせる。
「それが偶然か、それとも意図してのことだったのかまではわからないけどね。どちらにせよ、『高位魔族』は『聖』の属性の呪縛から逃れられてしまったの。なんていうのかな、こう、まるで磁石のように『魔』と『聖』が反発しあって、『聖』の属性は『高位魔族』から離れて、形を持ち、物質界に落ちてきたらしいの」
それが伝説にある魔道武器――『地闘士のナックル』、『海魔道士の杖』、『火将軍の剣』、『魔風神官のローブ』なのだけど、まあ、そのことはどうでもいいか。
「ふうん。――それで、今度は神族側のほうだけど。確か、『光の戦士』と『神族四天王』の五人だったか。……なあ、ミーティア。どうして人間ってのは『あまり自信がないこと』に限って『確か』なんてつけるんだろうな?」
「言われてみれば、そうね。全然『確か』じゃないっていうのに……。――な〜んてあたしに乗ってもらえると思ったら大間違いよ、アスロック! 話を逸らすなっ!」
「へ? いや、別に逸らしたつもりはないんだけど。それで、この『神族四天王』ってのはなんなんだ?」
え、いや、『なんなんだ』と言われても……。
「『神族四天王』は『神族四天王』でしょ。『神の聖地』に住まう、神様たち。あ、神界術の力の源でもあるわね」
「や、創ったのは誰なんだとか、そういう意味での質問だったんだが」
「へ? そういう意味? ……ん〜、それはあたしも知らないのよねぇ……」
「へえ、お前も知らないって、珍しいこともあるもんだな」
や、あんた。あたしを一体なんだと思って……。
「あ、それともうひとつ。どうして『聖蒼の王』はこの戦いに参加してないんだ?」
「ああ、『聖蒼の王』はね、『力』が完全に回復していなかったのよ。第一次聖魔大戦のときに使った『秘術』は『フィリア・ラズ・ライト・スペリオル』という人間の生命力だけじゃなく、『スペリオル』という意識体そのものが消滅してしまう可能性まであったものだったから」
「――えっと……?」
いまひとつ理解しきれないらしく、首を傾げるアスロック。
「う〜んと、つまりね。フィリアの肉体だけじゃなく、魂――その存在までもが消滅するかもしれなかったの。『世界』そのものから消えちゃうっていうか。つまり、彼女はそれほどの覚悟をもって『秘術』を使ったということね。
で、その『秘術』を使った際、『人間』としての彼女は死んじゃったわけだけど、魂が存在し続けるために必要な『力』も、かなり消耗してしまった。第二次聖魔大戦開戦時、まだその『力』は完全に回復していなかったのよ。
一説によると、『聖蒼の王』は自分の『力』を一部、切り離して別個の存在にしたらしくてね。それを取り込まないと完全復活はできないとも言われているんだけど。まあ、それはそれね」
なにせ、噂の域を出ない説だし。
「さて、じゃあそろそろ本題に戻るわね。五対十という厳しい戦いを強いられた神族軍だったんだけど、でも神族側は常に優勢でいられたわ。理由は単純。ほら、魔族って協調性ないから、大抵の場合は五対一で戦えていたのよ」
「なんだか、間抜けな話だな……」
同感の意を込め、肩をすくめるあたし。
「まあね。でも魔族には『力を合わせる』とか『協力する』ってことが基本、できないのよ。仲間意識が乏しいらしいから。共闘しようとすると『いいから俺に協力しろ』、『嫌だ。協力しろと言っておいて、最終局面では俺を盾にするつもりなんだろう』なんていう風になっちゃうらしくてね。それに、そのおかげで神族側が優勢でいられたんだから文句はないでしょ」
「それはそうなんだけどな。でも、なんか釈然としないっていうか……」
「まあまあ。ともあれ、ときは流れてリナライト暦1900年。第二次聖魔大戦勃発から300年ほどが経った頃ね。魔族の脅威が大きすぎたため、人間やエルフ、ドワーフにドラゴンといった『生命(いのち)あるもの』すべてが神族側に味方するようになっていたんだけれど、この戦いが終わる兆しは一向に見えなかった。
まあ、当然のことといえばそうでしょうね。魔族の糧は『負の感情』。そして濃密な『負の感情』は戦場でこそ生まれる。つまり、戦争という行為自体が魔族に『力』を与えてしまうの。これじゃ魔族をすべて倒すなんて不可能。魔族の性質は『上には絶対服従』だから、『漆黒の王』を倒して改心させることができれば神族側の勝利となるんだけど、そんなあっさり改心なんてしてくれるわけないし、そもそも『漆黒の王』と対峙しても『聖蒼の王』抜きじゃ倒すこと自体、できそうになかった。そこでゲイルは階層世界に戻って、『力』がある程度回復していた『聖蒼の王』にひとつ、頼みごとをしたの」
「頼みごと? 一緒に戦ってくれ、みたいな?」
おそらくは、誰もが一番最初に思いつくであろうその発想を、かぶりを振って否定する。
「いいえ。界王の力を借りた術を使うために必要な石――『賢者の石』を作ってくれって。聖蒼の剣はゲイルがすでに持っていたからね」
「その術って……」
「そう。あたしが完成させようとしている術のうちのひとつ。ゲイルはこれを使って『漆黒の王』を『ここではないどこか』――つまりは『異世界』に飛ばしたの。仲間意識のない魔族であっても、『一番上の存在』がいなくなれば多かれ少なかれ困りはするだろう、と踏んでね」
ちなみに、この『異世界』というのは、魔道学会内で用いられている比喩表現に過ぎない。実際にそんな世界が確認されたことは一度だってないのだ。だから『漆黒の王』が飛ばされた場所は、おそらく魔道士たちの理解すら遠く及ばない『どこか』だと解釈されている。そう、『次元(とき)の狭間』とか、そんな感じの『どこか』。
まあ、それはともかく。
「で、魔族たちは実際に困ったのか?」
「ええ、それも予想以上に。というのもね、『漆黒の王』が消えてすぐ、魔族たちは彼をこの世界に呼び戻す方法を探し始めたのよ。それこそ、戦争なんてやってる場合じゃないって感じで、ね。これが第二次聖魔大戦の終わり。
で、いまも魔族は『漆黒の王』の召喚を主な目的として動いているってわけ。まあ、あとは『聖蒼の王』が完全復活すれば神族側の勝利となるんだけどね」
得心したようにアスロックがうなずいた。
「なるほど、神族側も完全な勝利を収められるそのときを、いまも待っているってわけか」
「そういうこと。『神族四天王』が各々(おのおの)留まっている、『神の聖地』で、ね」
「あれ? ゲイルは?」
「ん〜、ここからは『聖蒼の王』の力の一部のこと同様、眉唾(まゆつば)ものの伝説でしかないんだけど、なんでも当時存在していた国のひとつに『聖本』と六つの解読書を預けてから、その国のどこかで自分自身に『石化』の類の術をかけ、永い永い眠りについたそうよ。物質界に生きる人間たちに変な影響与えないようにってね」
はてさて、この説には一体どれだけの真実が含まれているのやら。さすがに全部が全部作り話ってことだけはないだろうけど。
「自分で自分に石化の術を、か。……なんていうか、神様のやることはよくわからないな」
「まあ、理解しようとしてできる相手でもないんでしょうしね。それに第二次聖魔大戦の時期だけに絞ってみたって、そういう変わり者――もとい、偉人は何人もいるわ。それこそ『聖本』に載るほどの人物だって、ね」
「へえ、例えば?」
「例えば……そうね、『聖女』エリルティア・オンタリオとか。なんでも彼女、予知能力を持っていたそうよ」
「予知!? そんなことできる奴がいたのか!?」
さすがのアスロックでも、予知がどれだけの不可能ごとなのかは知っていたらしい。
「あ! もしかして、ミーティアもできたりするのか!?」
前言撤回! 全然知っちゃいなかった!
「できるわけないでしょ! 予知っていうのはね、基本、第八階層世界に存在する『アーカーシャー』に触れられる存在にしかできないことなのよ!」
「あ、あーかーしゃー? なんだそりゃ?」
……ああもう、焦れったい! そりゃ、魔道士でもない人間が『アーカーシャー』の存在を知らないのは当然といえばそうなんだけど!
「『アーカーシャー』っていうのはね、未来をも含めた『すべての事柄』を記録しているモノのことよ!」
思わず叫んでしまい「どうどう」とアスロックになだめられる。まあ、確かにいまは彼に怒る場面じゃないか。ぜえぜえと肩で息をするほどに、乱れまくった呼吸と整えるべく、そして心を落ち着けるため、あたしは一度深呼吸をした。
「――もっとも、それが『物体』であるのか『場所』であるのかは不明だから、『モノ』としか表現できないんだけどね……」
「なるほど。――とりあえず、ミーティアに予知はできない、と」
「その結論、いま、改めて出す必要あるの……? ……まあ、いいわ。まとめると、第八階層世界に心が通じている存在にしか、本当の意味での予知はできないのよ」
「本当の意味の予知? 予知に本当も嘘もあるのか?」
心底、意外そうに訊いてくるアスロック。あたしは右の人差し指を立てて、
「あるのよ、それが。たとえば……そうね、雨雲が空に広がっていたら、ああ、これから雨が降るなって予想できるでしょ? それを大規模にした場合の――つまりは、『頭が回るがための、思考に基づく未来予知』というものがあるの。いままでに存在した予知能力者の九割以上がこのケースだと魔道学会では言われているわ。というか、エリルティア・オンタリオがしたという予知だって、実はこのケースなんじゃないかって疑ってるしね、あたしは。まあ、魔道学会の上層部は『聖女の奇跡』だって盲目的に信じてるけど」
「信じてやれよ、お前も……」
多分に呆れの感情が含まれたアスロックの声。でも、根拠もないことを信じろって言われても、ねえ?
「……コホン。あとは、心が第八階層世界に通じていなくても、『アーカーシャーの管理者からの信託』という形で予知を行う人もいたわね。もっとも、信託を得るには、最低でも第六階層世界くらいには心が通じている必要があるみたいだけど」
「アーカーシャーの管理者?」
「現在、判明している管理者は、ヨハネ、ノストラダムス、エリスフェールの三人ね。もちろん、それ以外にもいるんだろうけど」
あ、『三柱』と言うべきだったかな。管理者の誰もが『聖蒼の王』と同じく『神格』を持っているらしいし。
細かいことではあるけど訂正しておこうか、と考えていると、アスロックが「ところで」と疑問をぶつけてきた。
「さっきから気になってたんだけど、階層世界ってのはどういう世界なんだ?」
ふむ、どういう世界なのか、か。答える術はいくつかあるのだけれど、それらは果たして、彼の質問の解答になるのかなぁ。……まあ、大丈夫か。物事を深く考えてはいないっぽいアスロックだし。
「……一言で言うのなら、『あの世』ね」
「あの世って、天国とか地獄とかがあるっていう、あの?」
「そう。『生命あるもの』が死後に向かうべき世界であり、生まれる前に居た世界。
他の説明の仕方をするなら、神々や精霊が住まう世界って言うこともできるわ。まあ、さっきも言ったとおり、第四階層世界の下段階――『地獄』の奥も奥にある『魔界』には魔族も住んでいるけど。
魔道士としての見地から階層世界を語るなら、『アヴァロン』や『アーカーシャー』、『本質の柱』といった、あたしたち魔道士が『真理』と総称しているものが存在する世界、といったところかしら。あ、ちなみに『階層』と呼んではいるけど、これはあくまで理解しやすくするための『喩え』でしかないのよね」
「? と、いうと?」
「つまり、ここから上が第五階層世界でここから下が第四階層世界、なんていう物理的な『床』や『天井』みたいなものは存在しないらしいのよ。あるのは『波長』のみ。誰も彼もが自分と『波長』が合う階層で過ごしているらしいの。そうそう、階層のことを『次元』と呼ぶ人もいるわね。四次元世界、五次元世界という風に」
「なんか、ずいぶんと曖昧な言い方だな」
それは否定できない。だって、あたしにも構造が完全には理解しきれていないのだから。当然、微に入り細を穿つような説明なんて出来るわけがないのである。『本質の柱』に到達した者――『真理体得者』になら可能なのだろうけど。
これ以上、階層世界の在り方を突っ込まれるとキツイので、ちょっと話を逸らさせてもらうことにする。
「で、第八階層世界に心が通じている者は『アーカーシャー』に触れられるがゆえに予知能力が使えるわけなんだけど、最近、予知の他にもそういう特殊な術が魔道学会で報告されたのよね。そう、第五階層世界以上に心が通じていて、かつ素養がある者にのみ使うことのできる、心を繋げることによって言葉を用いずに意思を伝え合う術が」
確か、<通心波(テレパシー)>といったっけ。それと、その術の報告によってランクアップしたのはまだ若い女僧侶だとのこと。名前は確か、そう――
「ランクアップかあ。おれは魔道学会のこと、まったくと言っていいほど知らないけどさ。なんとかって機関ではランクアップするのがかなり大変って話はガルス・シティにいた頃に聞いたことあるぞ。――そういえば、なんでお前、そんなこと知ってるんだ?」
「ああ、あたしも魔道学会に所属してるから」
「マジでか!? あ、でも所属するだけなら誰でもできるんだったっけか?」
「そうだけど……。言っておくけど、あたしAランクだから」
魔道学会に所属している人間には毎月、ランクに応じて研究費用が支給される。そしてそのランクのほうは最低がDで最高がS。ちなみにAランクは上から数えて二番目だったりするのだけれど、実はあたし、それを素直に喜べなかったりする。だって、王族としての威厳のため、みたいな理由で高ランクになれているのだから。ああ、早く界王の力を借りた術を完成させて、名実ともにAランクと胸を張れるようになりたい!
そう思いながら『聖本』に視線を戻す。アスロックのほうは無言。ちょっと気になって彼の顔を盗み見てみると、なにか必死に頭を回転させているような表情をしていた。……ふむ、Aランクというのが魔道学会においてどれくらいのところに位置するのかがわからなくて悩んでいると見た。でも説明するのもいい加減疲れてきていたので、ちょっと無視させてもらうことにする。
しばしの静寂。唯一、『聖本』のページを繰(く)る音だけが耳に届く。しかし、この静かな雰囲気、あたしはどうも苦手で仕方がなかったり。それに、ちょっと偶然じゃ済ませられない箇所が『聖本』に見つかったりもした。これは一人で考え込んでいても時間の無駄そうだし……。
そんな二つの理由から、あたしは隣にぼんやりと座るアスロックに話を振ってみることにした。
「ねえ、アスロック。以前から気になっていた項を暇つぶしに解読してみたんだけど、ちょっといい?」
「うん? おれになにか意見を求めるのか?」
無駄だからやめとけ、みたいな口調。うん、こいつ意外と自分のことをわかってるっぽい。なのでこう返す。
「そうじゃないわよ。ちょっと話の聞き手になってほしいだけ」
「……暇つぶしの相手ってことか?」
「う〜ん、まあ、平たく言えば。で、この『聖本』にはね、『こうして世界は滅びを迎えた』っていう類の文章が何度か登場するのよ。あたしはこれ、いままではエーフェ皇国の滅亡を指しているんだと思ってたんだけど……」
「そうじゃないかもしれない、と? ――ん? ちょっと待った。どうしてそのエーなんとかって国の滅亡と世界の滅びがイコールで繋がるんだ?」
ああ、エーフェ皇国のことを知らないのなら、その疑問は当然抱くか。
「昔ね、このリューシャー大陸全土を治めていた国があったのよ。それがエーフェ皇国。まあ、ごくごく短い間だけではあったけどね。
で、その国が滅びたということは、イコールで大陸に存在する国のすべてが滅びたってことだから、それならエーフェ皇国という名の『世界』の滅亡を指して、『世界が滅びた』とすることも可能なんじゃないかなって思ったの」
「……わかったような、わからないような。あ、けどその解釈は間違いだった、と?」
そう、その可能性が出てきたのだ。あたしは無言でうなずき、続ける。
「新しく解読した箇所にはこうあったわ。『とある青年とサーラ・クリスメントは『円卓の騎士団(レオン・ド・クラウン)』の協力を得て魔王と戦ったが敗北した』って。そしてその結果、世界が滅んだ、とね。そしてエーフェ皇国の滅亡に魔王と称されるレベルの魔族は関わっていなかった……はず」
「……ふむ。ところで、その『とある青年』って誰だ? サーラ・クリスメントっていうのは誰だ? それに『円卓の騎士団』ってのはなんなんだ?」
「『とある青年』は、残念なことに名前が前の段落に書いてあるらしくて、わからなかったわ。『聖本』の文章を正しく抜粋すると『そして、彼とサーラ・クリスメントは『円卓の騎士団』と力を合わせ〜』って書かれてるから……。『円卓の騎士団』っていうのも、なんのことかサッパリだし……。
でも、ね。『魔王』は『漆黒の王』か、『魔王の翼』と呼ばれる魔族たちのことだと思うし、なによりサーラ・クリスメントっていう名前にだけは、心当たりあるのよ、あたし」
「え、マジで……?」
「ええ。さっき『言葉を用いずに意思を伝え合う術』が最近、魔道学会で報告されたって言ったでしょ? 正式名称を通心波(テレパシー)っていうんだけど、それを報告した人物っていうのが……」
そこであたしは言葉を切った。皆まで言わなくても伝わると思ったから。そして、さすがのアスロックでもあたしの言いたいことは理解できたらしく、
「その人物っていうのが、サーラ・クリスメント?」
あたしは小さくうなずき、首肯する。
「『魔王に敗北した』とはあるけど、とりあえず『死んだ』とはどこにも書かれてないしね……」
まあ、仮にも『聖本』において『魔王』と記述されている存在に戦いを挑んで、負けはしたけど死なずには済んだなんて、普通に考えればありえないことだとは思うのだけれど。そもそも、『漆黒の王』が復活したなんていう話はおろか、『魔王の翼』が表舞台に姿を見せたなんていう類の噂でさえ、あたしは聞いたこともないし。
それに『聖本』に載っていることである以上、現在ではなく遥か昔のことである可能性のほうが高いというのも事実。ついさっきは偶然じゃ済ませられないと感じたけど、やっぱり、たまたま同じ名前があっただけ、としたほうが自然なのだろうか。
なんにせよ、一度サーラ・クリスメントに会って尋ねてみるべきかもしれない。偶然の一致で終わる可能性が一番高くはあるけれど、それでも無意味ではないはずだから――。
そう考えをまとめ終えようとした瞬間。
少しだけ荒々しく図書室の扉が開かれる音がした。続いて飛び込んでくる、聞きなれた女性の声。
「ここにいらっしゃったのですが、ミーティアさま!」
振り返ると、そこには甲冑の上から白いマントを羽織った、背の高い女性が立っていた。肩のあたりで切り揃えられた髪の色は燃えるような赤。両の瞳の色もまた同じ。
そんな彼女――副将軍カーリアン・シュヴァリエ・ド・ダルクの顔に貼りついているのは焦燥と困惑の色だった。思わず眉をひそめるあたし。だって、彼女にそんな表情をさせるようなことなんて、いまのところ、あたしは一切してないし。
あたしとアスロックから怪訝な表情を向けられたカーリアンは軽く頭を下げて、
「突然で申し訳ないのですが、ひとつお訊きしたいことがありまして。あの、セレナさまをお見かけになられませんでしたか?」
「お姉ちゃん? ううん、今日はまだ会ってないけど」
「そうですか……。あの、では昨日の夜などは?」
「夕食を一人で食べて、そのあとはずっと自分の部屋にいたから、会って、ない……。え、なに? お姉ちゃんになにかあったの!? アスロックからはお父さまから用があって呼ばれたって聞いたけど……!」
「落ち着いてください、ミーティアさま。まだ確認して回っている段階ですので。……しかし、ミーティアさまも顔を合わせていらっしゃいませんでしたか。――しかし、そうか。シャズール殿も陛下も昨日の謁見終了の時間を最後に会っていないと言っていたし、これは誤報とも言い切れなくなってきたか……?」
誤報? いや、それ以前にアスロックとの謁見以降、シャズールもお父さまもお姉ちゃんと会っていない? 一体なにがどうなって……?
カーリアンの呟きに混乱するあたし。代わるようにアスロックが質問を投げかける。
「なあ、昨日から会ってないって、食事とかはどうしたんだ? おれのところに食事を届けてくれる人がいたんだから、当然、セレナさんのところに食事を届けた人もいるんだろ? いくらなんでもその人は今日の朝、セレナさんに会ってるだろう」
「ああ、それは――っと、貴殿(あなた)は昨日、陛下に謁見したという――」
「アスロック・ウル・アトールだ」
「――失礼。私はカーリアン。カーリアン・シュヴァリエ・ド・ダルク。『暁の聖騎士(リンドブルム)』とも称されている、この聖王国の副将軍だ。――それで食事のことだが、セレナさまは体調が悪いとのことで、昨日の夕食、今日の朝食ともに拒否されているそうなんだ」
その返答に納得したのか、黙り込むアスロック。しかし、あたしにはまだ質問の余地があった。お父さまのことに関する疑問を棚上げし、あたしは副将軍に問いをぶつけてみることにした。
「体調が悪いっていうのは、食事係にそういう伝言があったっていう話なのよね? その伝言を頼まれた人間は、やっぱり昨日、お姉ちゃんと会ってるんじゃないの?」
そう。どれだけ体調が悪くても、お姉ちゃんがそのことを伝えるには、結局、第三者に伝言を頼むしかない。ならその第三者は絶対に昨日、お姉ちゃんと会っているはずだ。
だが、その絶対ともいえる結論は、カーリアンの「その通りです」と言いながらも頭(かぶり)を振るという矛盾した返しに覆されることになる。
「そのことをセレナさまお付きのメイドに伝えに来たのは、十代前半の緑髪の少女だったそうです。ただ、この少女のほうも捜してはいるのですが、見つからず……」
「そう。まあ、その少女のほうはいいわ。でも、お姉ちゃんがいなくなったって騒ぎ始めた理由はなに? 行方不明とか、そういう判断を下すにしては早すぎるでしょう? そりゃ、例の少女のことは不気味ではあるけど、あのお姉ちゃんのことだから、王宮の地下室とかでなにかを見つけて、それに没頭するあまり時間が経つのを忘れてるとか、そういう可能性だって多分にあるでしょう?」
自分を落ち着かせるために口にした意見を、しかしカーリアンは右手をヒラヒラと振って否定してみせた。
「いえ、セレナさまに限って、そんなことはないかと。もちろん、ミーティアさまだったら十二分にありますが」
「悪かったわね!」
「冗談はさて置くとして。先ほど、王宮の門のところに待機している兵士のところに、来客――というかなんというか――があったのです。セレナさまらしき人物が北――アイ・シティのほうに向かって街を出たのを見た、と。ちなみに、その兵士から聞いたところ、来客は二十台半ばの長い緑髪の女性だったとのことです」
「こっちも人づてに聞いた話か。そして緑髪の女性、ね。年齢が全然違うから別人だとは思うけど。それで、どうせデタラメだろうと思ったものの、本当にお姉ちゃんがいなくなっていたら事だから、誤報の可能性大としながらもお姉ちゃんを捜していた、と?」
「仰るとおりです」
ふむ、なるほど。大体の背景はつかめてきた。それなら確かにお姉ちゃんがいないことに慌てもするだろう。……もちろん、肝心な部分はまったくわかっていないのだけれど。
「……お姉ちゃん、一体なにを考えてアイ・シティなんかに向かったんだろう……」
お父さまに呼ばれたこと絡みだろうか? でも昨日の謁見が終了してから、お父さまはお姉ちゃんと会っていないようだし……。
「ミーティアさま、アイ・シティに向かったのがセレナさまだと決まったわけではありませんよ。仮にセレナさまであっても、アイ・シティに向かったと決まったわけでもありませんし」
「でも、とりあえずアイ・シティに行ってみるっていうのが一番無難で賢い選択だと思わない?」
言外に『あたしが行く』というニュアンスを込め、そう訊いてみる。
「一番無難で賢い選択は、とりあえず王宮で大人しくしている、だと思いますよ? セレナさまのことが心配なのはわかりますが、捜索は私たちの役目です」
当然だけれど、釘を刺された。あたしは一転、しおらしい態度を意識して、
「そうですか。わかりました、カーリアン。では、そうします……なんて、あたしが言うと思ってる?」
「……思ってません。こういうとき、止めても無駄なのは過去の経験から知っていますからね。ですから、私は止めはしませんよ」
「うむ、さすがはカーリアン! さすがはあたしが素で話せる数少ない人物! ため息混じりなのが少しだけ引っかかりはするけど、あなたみたいな臣下を持ててあたしは嬉しい!」
「私は全然嬉しくないです。お願いですから『自重』という単語をミーティアさまの辞書に深く、ふかぁ〜く刻んでください」
「なによ、ノリが悪いわね。――さて、アスロック。ちょっと頼まれてもらえるかしら?」
話のわかるいい臣下から、すっかり会話から置き去りにされていた感のある青年に視線を移す。
「あたし、これからお姉ちゃんを捜しにアイ・シティまで行くことにしたんだけど、道中での護衛、お願いできない?」
それに驚きの声を上げたのはアスロックではなくカーリアン。
「ミーティアさま! 言ったでしょう、捜索には私たちが行くと! ミーティアさまの身辺の警護だって、当然、私たち兵士が――」
「冗談じゃない! アイ・シティに着くまでの道中さえも猫被ってろっていうの!? 絶対に嫌よ、そんなの! あたしは『第二王女』っていう仮面をつけなくてもいい相手と一緒に行きたいの!」
「なりません! それなら私がミーティアさまと二人だけで行くことにします!」
「副将軍のあなたが単独行動って……。許されるわけないでしょう!」
「許されなさ具合ではミーティアさまの脱走といい勝負でしょう!?」
ぎゃあぎゃあと言い争うあたしとカーリアン。それを見かねたのか、それとも単にマイペースなだけなのか、アスロックが唐突に割り込んできた。
「まあ、落ち着けって二人とも。や、もちろん、セレナさんが行方不明気味で落ち着いていられないってのはわかるけどさ。ともあれ、おれはいいぞ、護衛やっても」
しばし、二人揃って言葉を失い。やがてあたしは破願して彼に確認する。
「本当に!? ありがとう! 報酬は多めに払うよう、カーリアンに言っておくから!」
「ちょ、ミーティアさ――」
「というわけで、報酬の手配よろしくね、カーリアン。――さあ、じゃあ支度して行きましょうか、アスロック!」
「お〜い、ちょっと待てって。おれ、別に報酬は要らないぞ。というか、人の弱みにつけ込んで金をもらうなんて、あまりしたくないし」
「や、そういうわけにはいかないでしょ。あくまで護衛を『雇う』んだから」
「そうか? おれにとっては一宿一飯――いや、三飯か? の恩返しって感じなんだが。それで報酬をもらっちゃ意味ないだろ。それにほら、子供の頃に習わなかったか? 困ってる人がいたら助けましょうって」
「…………」
そりゃ習った。当然習った。でも、それを実際にする人間って、きっと皆無に近いと思う。おまけに言わせてもらえばあたしは魔道士。自分のため、あるいは自分に連なる者のためにしか動くことのできない人種だ。言うなれば、それが『魔道』。自分のための道。自分のためだけの道。
それを前提とした上で、あたしとアスロックの置かれている立場を入れ替えてみるとしたら。断言しよう、報酬が出ないというのなら、あたしは絶対にこの護衛の任務、引き受けない。
だというのに、アスロックは報酬ゼロで引き受けると言っている。いや、報酬が出るのなら引き受けないという姿勢ですらあるのだ。
そんな彼の姿勢に、まっすぐな眼差しに、カーリアンがなにを感じたのかはわからない。けれど、彼女は息をひとつ突いて、
「わかった。ミーティアさまのことをよろしく頼む」
そう口にし、アスロックに深く頭を下げた。承知した、とうなずく彼。どうやら、カーリアンには認めてもらえたらしい。
あたしには理解できない彼の思考、理解できない状況に呆気にとられる。そんなあたしを当のアスロックが促してきた。
「ほら、じゃあ支度してこい。すぐ出発するんだろ? 俺も部屋に戻って荷物取ってくるから」
「あ、うん、わかった」
まあ、いまは考えても仕方ないか。理解不能な人間なんて、世の中には何人もいるんだろうし。そう結論づけて、あたしは図書室をあとに――しようとして。
「そうだ、カーリアン。アスロックを部屋まで送ってあげて。それと準備ができたら例の抜け道まで案内してあげて」
なにしろ彼、ものすごい方向音痴だから。下手をすると自分の部屋に戻るだけでも迷いそうだもんね。
カーリアンが了解の意を込めてうなずいたのを確認し、あたしは急ぎ足で自室へと向かう。
自室に入って扉を閉め。少し乱暴にドレスとヒールの高い靴を脱ぎ捨ててから、魔道士の着る一般的な黒いローブに袖を通し、これまた黒のズボンに両足を突っ込んで勢いよく腰まで上げた。続いて護身用であるエアナイフを両腰に一本ずつ差し、下ろしてあった長い髪を素早くポニーテールにまとめ。そして地に着かんばかりの長い黒マントを羽織って、銀色のショルダー・ガードを肩につけて固定。最後に動きやすい靴を足にひっかけて、よし準備完了!
お姉ちゃんが行方不明になっているというのに、不謹慎にも浮き立つ気持ちを抑えながら部屋を出る。そして裏庭に向かい、そこを誰にも見つからないよう、しかし可能な限り早く駆け抜け、やがて横に城壁が続く、とある一角に到着した。
そこには、旅支度を終えて先に来ていたアスロックの姿。
「待った?」
「割と、な」
「いま来たとこって言えばいいのに」
一言一言がなんとも短いやりとり。あるいはアスロックも、あたしがここから外に出ることが問題視される行為なのだとわかっているのかもしれない。……いや、それはないかな、彼の危機感ゼロな表情から察するに。
「じゃあ、行きましょうか。アイ・シティに。――このスペリオル・シティの外に!」
心の中で、天に向かって握った拳を突き上げて。あたしは城壁を構成している大きめのブロックをひとつ、アスロックにも見えるように外してみせるのだった――。
◆
ミーティアとアスロックがスペリオル・シティから出ていくのを見届けて。
街の入り口に立っていた、年の頃二十四、五歳くらいの緑髪の女性が不意に呟きを漏らした。
「……どうやら、上手くいったみたいね」
それだけでは終わらず、指折り確認するように小さく言葉を紡ぎ続ける女性。それは呟きというにはあまりにも長く。
「まず火の解読書は、あの人間の手によって聖王国に無事、届けられた。宮廷(きゅうてい)魔道士としてガルスの王に火の書をスペリオル聖王国に渡すべきと進言した甲斐はあった、と。
まあ、王を始めとしたお偉いさん方は、火の書をスペリオル聖王国に渡すのがよほど面白くなかったのか、『刻の扉』の使用許可を最後まで出してはくれなかったけれど……あまり手荒な手段に訴えてガルスの人間に私の正体を気取られるわけにもいかないものね。
それに第二王女を始めとした邪魔者たちを街から遠ざけるのも、姿を変えて王宮に入ったり、兵士に第一王女の行動を捏造(ねつぞう)して伝たりと、それなりに骨を折ることで上手くいった。
あと私がやるのは、『例の噂』をこの街に広めることだけ、か。そこから先は『彼ら』の仕事。
さあ、私たちの『計画』も最終段階に入ったんだから、油断せずにしっかりやりなさいよ、デュラハンたち。――私と同じ高位魔族として、ね」
長い長い独白を終え、彼女は満足したように虚空に溶け消えていく。そう、まるで最初からそこには誰もいなかったかのように。
しかし、彼女は最後まで気づかなかった。街から出る直前、ミーティア・ラン・ディ・スペリオルが確かに彼女の姿を視界に認めていたことに――。
――――作者のコメント(自己弁護?)
毎度、稚拙な文章ではありますが(更に遅筆でもあるというおまけつき)、『スペリオル〜希望の目覚め〜』の第三話をここにお届けします、ルーラーです。
説明だらけの話になってしまいましたが、楽しんでいただけましたでしょうか?
今回は、なんというか、なかなかに難産でした。特に『聖魔大戦』のくだりは筆がなかなか進まなくて、本当に難儀しましたよ。
自分的には、これ、ミーティアの視点でやったからキツかったんじゃないかなぁ、と思っています。説明される側のアスロック視点でやったほうがよかったのかも。
それと『聖本』の解読パートの前にある斜体の文章。あれ、実は第一稿を書き終えてからの加筆だったりします。あの文章からある種の不気味さ、あるいはなんらかの上位存在の影を見るような、肌が粟立つ感覚を覚えてもらえたら、と思いながら書きました。
続いて文章量の話をば。
今回は文字数約23000字、枚数は四十行×四十字換算で二十一枚となりました。
うん、やったことは少ないというのに長いですね(苦笑)。
さて、ではそろそろ今回のサブタイトルの出典を……といきたいところなのですが、今回は完全にオリジナルです。
そして、このサブタイトルに決定するまでには割と紆余曲折があったりしました。
というのも、最初はサブタイトル、『聖本と聖魔大戦(仮)』としてあったのです。実際、例の加筆をするまでは、それを正式なサブタイトルにしちゃおうと思っていました。
しかし、あの加筆を終えてからふと思ったのです。
――これ、いくらなんでも単純すぎないか?
と。
それから思考はフル回転。『真理へ至る道』とか『真理への書物』とか、本当、いくつか候補を考えました。これ、サブタイトルを一発で決めてしまうことの多い僕にとっては、かなり珍しいことだったり。
で、いっそのことリメイクする前の原稿用紙版で使っていたサブタイトル『聖本から得るもの』にしちゃおうかとも思ったのですが、それもそれでシンプルすぎるので、やっぱり却下。
で、最終的にこのサブタイトルに落ち着いたわけです。
しかし、頭を捻らなければならないのはサブタイトルではなく内容であるはず。
いまになって考えてみれば、実に瑣末なことに頭を使っていたのかもしれませんね。サブタイトルはシンプルなものでもよかったのかも。
はい、内容的にはかなりどうでもいい『サブタイトル論』でした。仮に内容がしっかりしていたとしても、あとがきでやることじゃないですよね、これ(苦笑)。
それでは、また次の小説でお会いできることを祈りつつ。
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