策謀が踊ったり、踊らなかったり



 スペリオル・シティを発って、北へと伸びる街道を進むこと約二時間。
 あたしたちは、やや木々が生い茂り、小さな林を形成し始めた場所に足を踏み入れていた。
 街道はちょっと前で危険の回避を促すように二つの道に枝分かれしていたけれど、あたしたちが迷わずに選んだのは林に一直線に突っ込んでいくほう。もう片方は言うまでもなく、見晴らしのいい、平和そうな平原が続く道だ。

 あたしたちがこっちを選んだ理由はすごく単純。
 もう片方の道が林を大きく迂回するルートを取っているためだ。
 もちろん、急がば回れという言葉が示すとおり、林でモンスターに襲われれば、もっと時間がかかる場合もあるし、最悪、アイ・シティに辿り着けずにジ・エンド、ということもあるだろう。
 けれど、そこはあたしとアスロック。木の根っこに足を取られるなんてヘマをやらかすような運動神経はしてないし、モンスターとかに襲われても返り討ちにできる自信がある。
 それに、少々の危険があるからという理由だけで遠回りになる道を選べるほど、あたしには心の余裕がなかった。表情になんて出してはいないけど、焦っているのだ。これでも。……まあ、それと同じくらいワクワクもしているけれど。
 ともあれ、そうである以上、もう片方の安全な道を選ぼうなんて考えは一度たりとも思い浮かばなかった。
 そもそも、アスロックが護衛としてついてきてくれているのである。モンスターに襲われることを恐れて迂回なんてしたら、なんのためのアスロックか。

「――エルフ? セレナさんってエルフだったのか?」

「ああもう! 耳尖ってたでしょ! あれでエルフ以外のなにに見えるっていうのよ!?」

 ……いやまあ、こちらの血圧を無意味に上昇させてくる、疲れる話し相手という側面もあるけれど。
 それにしても、本当に常識の欠けている奴である。

「いや、だって、髪が黒かったじゃないか。エルフに黒髪って、普通はいないんだろ?」

「え? ああ、そっちで疑わしく感じたのね。……でも、だからって耳の尖っている種族をただの人間だと思ってたっていうのはどうなんだろう……」

 でもまあ、『エルフは耳が尖っている種族』という常識はあったんだから、今回はまだいいほうか。
 さてさて、アスロックの言うとおり、黒髪のエルフというのは基本、この世界には存在しない。実際、あたしもお姉ちゃん以外には黒髪のエルフなんて見たことも聞いたこともないし。エルフでないことを前提としても、エルフの血を少なからず体内に持つ女性――シルフィリアさまの髪の色はお姉ちゃんとは対極の白だったし、人間とエルフの間に生まれたハーフエルフの男性、ジュリオは……いや、思い出そうとするのはよそう。それをあたしの頭――いや、心が拒んでる。

 ……こほん。つまり、お姉ちゃんの存在はあたしにとっても完全に例外なのだ。
 というか、知り合いの純粋なエルフ自体、あたしにはすごく少ない。というのも、エルフというのはフロート公国に存在する『神の聖地』のひとつ――『妖かしの森』にのみ住まう種族だからだ。
 だというのに『妖かしの森』から出てきているエルフは、基本、自分から出てきた物好きか、なにかやらかして森から追放されたかのどちらか。そして後者の場合は『ドラウエルフ(堕落したエルフ)』という蔑称(べっしょう)で呼ばれることもある。
 ちなみに、お姉ちゃんは前者と後者、どちらなのかというと――

「それにほら、セレナさんはお前のお姉さんだろ? 人間の姉ならその人も人間、普通はそう思うじゃないか」

「え? ああ、アスロックは知らなかったっけ? あたしとお姉ちゃん、血が繋がってないのよ」

「そうなのか? そうか、道理で似ていないと思った」

 しみじみと、心底納得できたようにうなずくアスロック。……ほほう。

「ちなみに、どのあたりが似てないって思ってるの?」

「仕草とか、まとっている雰囲気とか、大人っぽさとか。…………ああ、あと! 髪の色とか! 耳の形とか!!」

「慌てて取ってつけたように言うなあぁぁぁぁっ!!」

「うわわっ! 怒ったっ!!」

「そりゃ怒るわよ! いくら心が広くて寛容なあたしでも!!」

「どこが心が広くて寛容――いやなんでもない。気にしないでくれ」

 あたしの睨みに、アスロックは両手をぶんぶん振って前言撤回。まったく、こいつは……!
 ひとつ嘆息し、不意に吹いた風にざわざわと枝を揺らす一本の樹木に目をやる。そうして気を取り直し、あたしは改めて口を開いた。

「詳しい経緯はあたしも知らないんだけどね。なんでもいまから十年以上前――まだスペリオル聖王国がフロート公国と戦争をしていた頃ね――『妖かしの森』から追放されたっていうお姉ちゃんをお父さまが連れ帰ってきて、そのまま養女に迎えたんだそうよ」

「『だそうよ』って、なんだか他人事みたいに言うんだな。義理でもお前のお姉さんのことだっていうのに」

「しょうがないじゃない。だって十年以上前よ? 当時、あたしはまだ五歳にもなってなくて、物心ついてなかったんだから。……まあ、そのおかげであたしは、お姉ちゃんを『姉』として抵抗なく受け入れることができたし、『長女』であるあたしに『姉』が出来るという不自然な状況も気にせずにいられたわけなんだけどね」

「なるほど、八方丸く収まったわけだな」

「う〜ん、それがそうとも言い切れなくてね。だって、養女として来る先は一般家庭じゃなくて王宮なのよ? 本人、あたし、お父さまの三人は満足したけど、周囲の人間がかなり反対したらしいわ。主に、『長女』だったあたしの将来を慮って、ね。そしてそこには、なんの悪意も存在していなかった。悪意がなかっただけに、しんどい話よ。ああ、お父さまがお姉ちゃんを養女に迎えたがった理由をまったく語ろうとしなかったのも、民の不信を煽ったし」

 おまけに、本来は『妖かしの森』に住まうエルフを勝手に連れてきたという背景から、『妖かしの森』に住まうという『神族四天王』の一柱――『妖王(フェアル・マスター)』から神罰が下るのでは、と恐れる者もいたという。

「なんというか、よくそれでセレナさんは大丈夫だったな?」

「実はそれからすぐに、お姉ちゃんが森から追放された『ドラウエルフ』なんだって街中に公表されたのよ。まあ、あたしは『帰る場所がない』っていう立場を作るための嘘だっていまでも思ってるけど」

 だって、あのお姉ちゃんだし。追放されるような『なにか』をしたなんて、とても思えない。

「『妖王』に追放を取り消してもらおう、と動いた者もいたらしいわ。でも高位の神族がそう簡単に人間に会ってくれるはずもなく、お姉ちゃんが森から追放された理由は現在に至っても不明のまま。当然、森に帰してあげるべきと言う人の数も時が経つごとに減っていった。お姉ちゃんの人柄がよかったっていうのもあるしね。単純な人格的な意味でも、王女としての振る舞い的な意味でも」

 お母さまが生きていれば、あるいは違う結末を迎えたのかもしれないけど、それは本当に仮定の話でしかない。わざわざ話に出してアスロックを混乱させることもないだろう。
 そのアスロックは、なにか釈然としない表情で言葉を返してきた。

「いや、俺が言いたかったのはそういう意味じゃなくて、な。なんというか、その環境、セレナさんにとっては針の筵(むしろ)だったんだろうな〜って」

「う……」

 否定は、完全にはできない。『ドラウエルフ』は差別の対象でこそないものの、『ドラウエルフ』がエルフの蔑称であるということは、結局、そういうことだからだ。
 でも、

「お姉ちゃん、王宮の人からは基本的に好かれていたから。あたしとも仲よかったしね。ただ……」

「ただ?」

 アスロックの促しにうなずきをひとつ返して、あたしは彼のほうに顔を向ける。

「ただ、追放されたショックでかどうかはわからないけど、お姉ちゃんにはね、その当時の――正確には六歳になるまでの記憶がまったくないらしいのよ。ほら、いくら物心ついてないとはいっても、『言われてみればそんなことあったなー』って薄ぼんやり憶えてる過去ってあるものでしょ? お姉ちゃんにはそれがないみたいなの。つまり、お姉ちゃんの現在の精神年齢は大体、十三歳。――ある意味では、あたしよりも年下とも言えるのよね」

「お前より年下、ねぇ……」

「あー、うん。その呟きの理由はよくわかるから、今回ばかりは追及しないでおいてあげるわ……」

 だって、そんな空白の時間を感じさせないくらいに落ち着き、大人びているんだもんなぁ、うちのお姉ちゃんは。
 それはさておき、そんな理由もあって、なぜ追放されたのかをお姉ちゃん本人に直接訊くこともできなかったわけだ。

 ――さて。

「そろそろ話を元に戻すわよ、アスロック。まったく、毎度毎度話を逸らしてくれちゃって!」

「え? おれ、話を逸らしてたか?」

「一番最初にこれでもかってくらい話を逸らしたでしょうが! ここに足を踏み入れたとき、あたしがなんて言ったか憶えてる!?」

「まあ、丸暗記は得意だからな。当然憶えてるさ」

「なら言ってみなさいよ! あたしがなんて言ってたか言ってみなさいよ! さあさあさあ!」

「落ち着けよ。ええと、ほら、あれだ。確か『エルフは珍しいから見つかりやすいはず。アイ・シティに居るなら聞き込みですぐに見つけられるわ。問題なのは、まだお姉ちゃんがアイ・シティに到着していない場合。だから――』だったか」

「そうよ! そのとおりよ! ああもう、本当に一言一句間違えずに暗記できてるところが余計に腹立つわね!」

「いや、だから落ち着けって……」

「落ち着けるかぁっ! まさに『だから――』のところであなたに遮られて、そのままずるずると本題から遠ざかっていったんじゃない!」

「よし、ならいまから戻そうぜ。本題に」

「だから戻すって言ってるでしょうがあぁぁぁぁっ!!」

 ああ、頭の血管が何本か切れそうだ……。
 あたしとこいつ、もしかしたら相性が最悪なんじゃないだろうか。それもあたしにとってのみ。現に彼は怒鳴られているというのに平然としているし……。

「ぜぇぜぇ……。は、話を戻すわよ。エルフは珍しい種族だから見つかりやすいはず。ならアイ・シティに居さえすれば容易く見つけられるわ。見つけるのが難しくなるとすれば、それはお姉ちゃんがアイ・シティにまだ到着していない場合。だから――」

「どうでもいいが、さっきの言葉と似ているようで細部があちこち異なってるな。自分の言葉なんだからちゃんと憶えておけよ」

「だから話を逸らすなあぁぁぁぁっ!! 大体、できるかっての! 自分の言葉とはいえ、一言一句違わずに同じことを言うなんて!!」

 こ、こいつはまったく……! わざとやってるんじゃないでしょうね……!

「おれにはでき――えっと、その、なんだ。よくわからんが、おれが悪かった。そして落ち着け」

「っ……! こほん。だ、だから、お姉ちゃんよりも先にアイ・シティに到着できさえすれば、お姉ちゃんがアイ・シティにやってきた時点で見つけることができるのよ。そのためにはお姉ちゃんよりも早くアイ・シティに着く必要があって、安全な回り道なんて選んでいられないの!」

「ああ、なるほど。それでわざわざ林を突っ切るほうの道を選んだのか」

「……え? あなた、なんでこっちの道を選んだと思ってたの?」

「うん? そりゃあ、林の緑がとっても青々しかったから?」

「…………」

「それにミーティアは、どちらかと言わずとも短気だからな、遠回りすることになるほうなんて選びたくないだろうし」

「…………」

「あ、そういや、林の緑が青々しいって、なんかものすごい言葉の矛盾を感じないか? 緑なのに青ってなんでだよって感じで――」

「――どうでもええわっ!!」

 まったく! こいつは本当にまったく!
 こんな体たらくで護衛なんて務まるのだろうか。現にいまだって――

「まあ、それはそれとして、だ。ミーティア、気づいてるか? 囲まれてるぞ?」

 ……さすがに気づいていたか。
 すると、気づいていたうえで、あたしとあんなやり取りをしていられるくらいの余裕があった、と。
 そういえばアスロック、何度もあたしに『落ち着け』と繰り返していたし。
 なんだかんだで、やっぱり実力はあるらしい。あたしと同じで。

「ちゃんと気づいてるわよ。『なら言ってみなさいよ! あたしがなんて言ってたか言ってみなさいよ! さあさあさあ!』ってあたしが言ったあたりから、だったかしら?」

「だな」

 短く答え、左腰の鞘に手を添えるアスロック。……ふむ。すぐには抜かない、か。襲いかかってこないならそれでよし、と考えているとみた。そして当然、降りかかる火の粉は払うつもりでいる。事実、威嚇のつもりで抜刀して、逆に襲いかかられてしまったという話はよく聞くし。
 モンスターであれ人間であれ、相手にだって自己防衛本能というものがあるのだから、当然、モンスターであっても自分よりも強い相手には襲いかかってこないことのほうが多い。人間であればなおさらだ。

 そんなことを考えながら、あたしは向けられている殺気から、囲んでいる敵の数を数え始めた。

 いち、に、さんの……たくさん。

 誤解されないよう言っておくが、別に算数ができないというわけじゃない。単に、敵の気配が濃くて、3以上の特定ができないだけで。……もちろん、自慢できることでもないんだけど。
 でも、こういう特定はそれこそ、ガルス帝国生まれのガルス帝国育ちである、アスロックの専門分野なのではないだろうか。

「5匹、か。長剣か、それに類する得物を持っていて、爬虫類を連想させる舐めるような視線……。こりゃ、相手はリザードマンかな」

 数だけではなく、モンスターの種類まで判別? それは優れているというレベルじゃ――

「えっと、魔術は行使できないが炎のブレスを使用し、おまけに鋼鉄とほぼ同等の強度を持つ皮膚を保持している。接近戦において勝利を得るのは非常に困難であるものの、魔術を用いれば容易に撃退することが可能である、だったっけか」

 どこまで詳しいんだ、こいつは! 魔道学会では『専門家(エキスパート)』と呼ばれる人物があたし自身も含めて十数人いるけど、彼は戦闘の専門家ってやつなのかもしれない。もちろん、そんな尊称は存在しないわけだけれど。

 ……ん? 『だったっけか』?

「ねえ、アスロック。もしかしていまのって、あなたお得意の丸暗記?」

「ああ。戦術指南書(モンスター編)の丸暗記」

「う、う〜ん、なんだろ。すごいことはすごいんだけどなぁ……」

「それより、お前も一応は構えておけよ。いつ襲いかかってこられてもおかしくない状況なんだから」

「あ、うん。りょーかいりょーかい」

 しかも、これくらい当然って表情で、自慢ひとつしないっていうのもなぁ。こいつの中での『すごいこと』って、あたしのそれとはかなりズレてるっぽい。
 そんな思考をしながら、エアナイフを収めてある鞘に手を伸ばす。ちょうど右手を右の腰に当てている感じだ。左手はどんな風にも動かせるよう、弛緩させておく。

「この気配って……。ん? 舌打ち?」

 アスロックの呟き。

「へ? アスロック、なにを言って――」

 それが、失敗だった。
 彼の呟きに反応したことで隙の生まれたあたしめがけて、リザードマンが一匹、突っ込んでくる。

「――っ!?」

 思わず目をギュッと硬く閉じる。
 暗闇に支配された中で感じたのは、目の前の空気が動く気配と、耳に飛び込んできた音と、声。
 音はアスロックの抜いたエアブレードがリザードマンの長剣を受け止めた音で。

「ミーティア、目を開けろ! 反射的にでも閉じるのが一番危ない! 恐怖で固まってもらってるほうが、護衛やってるおれからすればまだマシなくらいだ!」

 声は、一度も聴いたことのない、彼の焦りの混じった叱咤の声だった。

「――ごめん! まだモンスターは一匹も倒せてないんだから、せめてあなたから距離を……って、ええっ!?」

 エアナイフを抜きながらバックステップして。
 エアブレードを構える彼の眼前で、胴体から血を流して崩れ落ちていくトカゲのようなモンスターが視界に入る。

「いっ、いつ倒したの!?」

「こいつとつばぜり合いやろうとしたら、あっさり剣の腹のところを斬り飛ばせた! その動きのとき、一緒にこいつも斬っちまってたんだ! 脆い剣を持っててくれたおかげで、おれのほうが一太刀分早く動けたわけだな! あ、それより、そんなこと話してる場合なのか!?」

 そ、それはそうなのだけれど……。
 き、斬り飛ばした? 刀身の腹を? 風の魔力で切れ味を上げてあるとはいっても、エアブレードの切っ先で? そりゃ、ありえないことじゃないだろうけど……。

「非常識な切れ味してるわね、そのエアブレード。あなたの火術と同じで特別製、とか?」

 全然軽口のつもりじゃない軽口を叩きながら、あたしは態勢を立て直す。……まったく、恥ずかしいところを見せたものだ。
 彼もまた、バックステップであたしの近くに来てから、改めて剣を構え直す。

「別にそういうんじゃない。普通のエアブレードだ。まあ、ちょっと前に折れちまって、修理してもらったことはあるけどな。――ああ、そういえばそれ以来か? こういうことが割と頻繁に起こるようになったのは」

「こういうことって、相手の剣を斬り飛ばす、みたいな非常識なこと? まさか、その修理のときに特殊な技法が用いられたりしていないでしょうね……? まあ、いいわ。鬼が金棒手に入れててくれて困ることはなにもないし。――さて」

「ああ。あと四匹。ぱっぱと片づけるとしよう」

 なんの気負いもなく答えるアスロック。それこそが自分の力に自信を持っていることの表れだ。
 そして、自分の力に自信を持っているのはあたしも同じ。先ほどの失態を帳消しにできるくらいの活躍はさせてもらわないと。

「しかし、さっきの舌打ちはなんだったんだ? それに、あの気配は魔族の……」

 眉をひそめて言うアスロック。あたしも彼の呟きは気にならないわけじゃないけど、いまはリザードマンたちを倒すのが先。そもそも、舌打ち云々は彼の空耳って可能性が一番高いのだし。
 そう割り切って、あたしはさっそく呪文の詠唱を始めた。

 幸い、いまあたしたちがいるのはいくつもの木々がそびえ立つ林の中。
 背中合わせに立つようにすれば、常に一対一の状況を作りだすことができる。
 更に、だ。もっとも警戒しなければならない炎のブレスも、この状況下でなら怖くない。いくら知能の低いモンスターといえども、この場所でブレスを吐くことはしないだろう。生存本能が先にたって。
 だって、何度も言うけどここは林の中。炎や爆発を伴う攻撃なんて、結果的に自分の命も危険に晒すことになると、誰にだって容易に想像がつくはず。
 現に火術を得意とするアスロックも、剣を構えるだけで呪文の詠唱をする様子はみせないし。

 ……うし。目の前のリザードマンが飛びかかってくる隙をうかがってくれている間に、あたしの呪文は完成した。
 あとは、この均衡を崩し、一気に勝利をつかませてもらう!

「疾吹風矢(ウィンド・アロー)っ!」

 左手を前に突き出し、呪力を解放する。
 目の前には数本の風の矢。当然、視認はできないけれど、それらが風を切る音を立て、リザードマンへと迫りゆく!
 そして、目の前のモンスターが事切れるのを確認する時間も惜しく、あたしは次の術の詠唱に取りかかった。だって、倒れ伏したリザードマンの後ろから、三匹目が向かってこようとしているのだから。

 ――と。

「刺死残華(ししざんか)っ!」

 背後から声と、鈍い音が聞こえてきた。
 刺死残華――確か、刀身を横にして突きを繰り出し、腕が伸びきると同時に刃をそのまま横に薙ぐ剣技、だったか。コツをつかめば比較的簡単な部類の技に入るけど、刃を横にした状態での突きから横に薙ぐまでの一連の動きをマスターするまでが大変、とカーリアンに聞いた覚えがあった。
 それはそれとして、接近戦では勝ち目が薄いと理解していながら、どうして剣技を使うかなぁ。まあ、あのエアブレードの切れ味なら勝算が高いっていうのはわかるんだけど。

「……っ!」

 そんなことを考えながら詠唱を続けていると、同じ轍を踏むまいと思ったのか、今度は先にリザードマンのほうから斬りかかってきた。詠唱を中断しないように気をつけながら、なんとか右手に持ったエアナイフでそれを受け止める。そして、

「熱線放射(レーザー・フレア)!」

 左の人差し指の先から熱線を放つ!
 それを受け、わずかに怯むリザードマン。だが大した熱量ではないと悟ってか、再び斬りかかるチャンスをうかがう姿勢に移行する。
 けど、その判断は失敗。確かに最初の熱量こそ大したものではないが、この熱線、一箇所に集中的に当て続ければ、鉄すらも容易に溶かす。
 つまり。

「――ギャウ……ッ、グッ……!」

 長時間当て続ければ、ほらこのとおり。
 リザードマンの硬い皮膚であっても、重度の火傷を負わせ、のけぞらせることもできるのだ。
 ちなみにこの術はもちろん火術ではあるけれど、使うのが一瞬であれば発火したりは絶対しない。そのあたりもちゃんと計算して、あたしはこの術を選んだのだ。物を燃やしたり、爆発を起こしたりするだけが火術じゃないってこと。
 のけぞるリザードマンの腹に、あたしはなおも熱線を当て続ける。リザードマンが異変に気づいた時には遅く、モンスターは腹に小さな風穴を空けながら、仰向けに倒れ込んでいった。……う、なかなかにエグいなぁ、この術。使ったあたしが思うのもアレだけど。

 ――これで、残るは一匹。
 その一匹も、あたしが後ろを振り返れば、

「不動戦十字(ふどうせんじゅうじ)っ!」

 アスロックの仕掛けた斬り上げで宙に舞わされ、

「はっ! はあっ!」

 その状態のまま、左右から素早く彼に斬りかかられ、

「――おおっ……りゃあっ!」

 相当の精神力を込めた大上段からの振り下ろしで地面に衝突。おそらくは、なにを仕掛けられたのかもわからなかったであろうままに絶命させられていた。
 それにしても、これはあたしの知る剣技の中でもかなりの大技。その精神力を込めるという行為と、それ以上に運動の激しさから、下手をすれば命をも落としかねないものだったはず。もちろん、精神力を込める技であるため、リザードマンどころか、アンデッドや魔族を始めとした精神生命体にもダメージを与えることができる、とても優れた技でもあるのだが。
 なんにせよ、こんな小競り合いのような戦闘で使うかなぁ、普通。

 まあ、それはさておくとして、これにて戦闘終了、一件落着。余韻になんて浸ってないで早くアイ・シティに向かわないと。まったく、無駄な時間を取られ――

「――また舌打ち? 気配のほうもなんでこう……。――っ!? ミーティア! 後ろ!!」

 ――後ろ……?

 アスロックの鋭い言葉を受け、しかし、いつになく緩慢な動作で振り返ってしまったあたしの目に飛び込んできたのは、仰向けに倒れながらも口を大きく開き、いまにも炎のブレスを吐き出そうとしているリザードマンの姿!
 腹に小さい風穴が空いているところからみるに、あたしの<熱線放射(レーザー・フレア)>を食らった奴だろう。

 ……しまった! あの程度じゃ致命傷にはならなかったか!
 慌てて、詠唱が短く、威力の高い呪文――水系の<水刃斬(アクア・カッター)>を唱え始めるも、その選択だって、いい判断だとはお世辞にも言えない。
 この術は、周囲にある水に干渉して刃と成す術。すなわち、近くに水がなければ意味がないのだ。

 ああもう、こんな状況でなんて致命的なミス。なんでよりにもよって<水刃斬(アクア・カッター)>なんて選んだんだ、あたしは!
 でも中断して別の術に切り替えても、間に合うわけもないし。一体どうすれば……!

 ――と、そのときだった。
 あたしの耳に、呪文を唱える声が妙にクリアに入ってきたのは。
 とても滑らかで、無駄なタメのない詠唱。それは、詠唱の際にもっとも理想とされる発声を『丸暗記』し、かつ日頃から実践しているからこそできるもの。
 そして、そんな『丸暗記』が得意だと言っていた彼の唱えている呪文は、あたしのそれよりも短い時間で唱え終えられる水術(すいじゅつ)で、しかし、殺傷能力はまったくない――

「水珠法(アクア・ブリッド)!」

 ただ、水の球を撃ちだすだけのものだった。
 おそらくは、火を消すには水、というだけで単純に選んだ術だったのだろう。
 彼が一人だけで戦っていて、それでこの術を使ったというのなら、その判断は本当に、お粗末の一言で切り捨てられていたんだろうけど……。


 ――よくやった、アスロック!


 水の球がリザードマンの口許にぶつかり、破裂する。

 びしゃっと音を立て、飛び散る水は小さい水溜りを形成し。

 それを見届けてから、あたしは声も枯れよと大声で『呪文名』を口にした。

「――水刃斬(アクア・カッター)ぁぁぁぁっ!」

 鎌首をもたげるように。

 水が、曲線の刀を形作る。
 
 そして、そのまま水の刀身は弧を描き。

「――ガ、グッ……!」

 切っ先から、リザードマンの口の中へと進入。後頭部と地面を繋ぎとめるようにグッサリと突き刺さった。

「…………。ふぅーっ……」

「あ、危ないところだったな。いや本当に危ないところだった」

「そうね……。ああ、冷や汗かいた……」

 今度こそ絶命したリザードマンを視界に収めたままで、あたしは深く嘆息しつつ、いつの間にやら吹き出ていた額の汗を左の手の甲で拭う。
 そして、アスロックのほうを振り返り。

「助かったわ、アスロック。ナイスフォロー!」

「お、おう。……なんか、お前に手放しで褒められたのって、初めてな気がするな」

「ん? そう言われてみればそうかもね。まあ、無理もないか。まだ付き合いも浅いわけだし。なにより、あなたって常識がハンパないくらいに欠落してるし、そのせいであたしを苛立たせることも多いから」

「……そうかい」

 うんざりした表情になるアスロック。
 けれど、あたしはそれに笑顔を向けて、言った。

「それでも。案外、いいコンビになれるかもしれないわね、あたしたち」

 それは、まだまだ淡い、単なる『予感』でしかなかったけれど。
 あたしは、心の底からそう思っていた。




 アイ・シティに到着したのは、陽が傾き、町がオレンジ色に染められ始めた頃のことだった。
 林を出たあたりで軽く昼食を取ったりはしたものの、それ以外は休みなどとらない強行軍。正直、さすがにちょっと疲れた。
 その点、微塵も疲れた様子を見せないアスロックは、なんというか、やっぱりさすがだなぁ。三年近く旅をしていただけのことはある。……もちろん、その理由は締まらないものなわけだけど。

 さてさて、このアイ・シティ。
 その名が示すとおり、戦争が頻繁に起こっていた十年以上前はスペリオル聖王国の前線基地――『目』として機能していた。
 そして当時の名残は現在も残っており、船以外の方法で聖王国に入ってくる者や他の国に出て行く者は、ここで簡単なチェックを受けることになる。
 更に、真実かどうかは判然としないが、この町のどこかには大きな地下室が存在し、かつてはそこに武器や防具――普通の武器・防具屋で売っているものではなく、魔道武器や魔法の防具(マジック・ガーダー)など、魔法の品がほとんどだったらしい――が保管されていたという。
 また、その中にはとても出来のいい石像もあったとかなかったとか。いや、そのことはどうでもいいか。

 ともあれ、それが真実かどうか、確かめたくなるのは人情というものだろう。
 だが、残念なことにそれは絶対にできない。理由は単純で、この国の現王――つまりはお父さまが地下室の存在を明らかにすることを禁じたのだ。
 こうなると、地下室の話は俄然、信憑性を帯びてくるのだが、仮に見つけても自分の得になるものがあるとは限らないし、あったとしても、高価すぎるものは『どこで手に入れたんだ?』という話になる。
 そもそも地下室を発見できた、できなかったにかかわらず、探していたというだけで罪に問われるのだ。だったら地下室なんて『ない』ものとして扱ったほうがいいんじゃないかって誰もが思うようになるわけで。

 結果、いまは地下室を探しだそうなんて馬鹿なことを考える人間は誰一人いないに違いない。もちろん、あたし自身も含めて。
 『お姉ちゃんはエルフだから人間じゃないよ? もしかしたら、地下室を探しだすためにこの町に足を向けたのかもしれないよ?』なんて馬鹿げた屁理屈を不意に思いつきはしたけれど、まさか、ねぇ……?
 そもそも、アイ・シティの敷地面積は決して広いほうではない。当然、地下室の大きさだってたかが知れるというものだ。そんなところに一体、なにがあるというのか。
 なにか、なんてあるわけがない。あのお姉ちゃんに王宮を抜け出させようとするものなんて、なおさら。

「さて、今晩の宿も無事とれたことだし、早速聞き込み開始といきましょう。ここまでかなり無理して急いで来たんだから、お姉ちゃんのほうが先に町に着いている可能性は低いけど」

「そもそも、アイ・シティに向かったとも限らないわけだけどな。カーリアンさん、そう言ってたし」

「いいのよ。アイ・シティ以外を探すのは城の兵士たちの役目。あたしたちはこの町でお姉ちゃんの捜索をするのが役目。だから『お姉ちゃんはここに来ている』あるいは『これから来る』という前提で行動するの。わかった?」

「了解。じゃあまずは――」

「あたしは酒場のほうに行ってみるわ。アスロックは武器屋とかに行ってみて」

「待てぃ」

「――むぐっ!?」

 告げて歩き出そうとした瞬間、後ろから襟首をひっつかまれた。く、苦しい……!

「酒場って、要は宿屋の一階のことだろ。それにお前が酒場に行ってどうするんだ。その見かけじゃ真面目に話を聞いてもらえないか、最悪――」

 と、アスロックがそこまで口にした瞬間。

「殺気……!?」

 彼が呟いたとおり、すぐそこの民家の物陰あたりから殺気を感じた。それもかなり濃密で、全然隠すつもりのないものが。……そ、それはそれとして苦しい! 早く離して……!
 あたしがジタバタしだしたことでようやく気がついたのか、ぱっと手を離すアスロック。そこで殺気を放っていた相手がこちらにも聞こえるほどの声量で呪文の詠唱を始めた。

「――この世に再び具現(あらわ)れし
 光を統べる聖なる王よ」

「……おい、どうするよ?」

「えっと……、気配を敢えて隠さないのか、それとも単に隠せてないのかはともかく、呪文を唱える際に声すらひそめようとしないのは新しいわねー……。や、本人はきっとひそめてるつもりなんだろうけど、いかんせん、暗殺とかの経験がほとんどないっぽいからなー……」

 裏世界の暗殺者とかだったら、あんな殺意丸出しの状態で呪文の詠唱を始めるなんて間抜けなこと、絶対しないだろうし。
 それにしても参った。詠唱の内容からして、あれは『聖蒼の王』スペリオルの力を借りた神界術だ。そしてそれ以上に参ったのは……、

「あの微妙に見えてる金色の髪って……いやいや、まさか。でもこの声だって……」

 声に聞き覚えがあることと、物陰からこちらに見えてしまっている、あの綺麗な金髪に見覚えがあること。
 とある人物の姿が頭に浮かび、あたしは思わず頭を抱えてしまいたくなった。しかし、そうしている間にも詠唱は続いていて。

「汝の持つ聖なる槍を
 しばしの間 我に貸し与えたまえ」

 本当に困ったことに、唱え終えられてしまった。

「とりあえずアスロック、これから魔術による攻撃がくると思うけど、上手いこと避けて。あの気配の隠し方の下手さ加減なら、それくらいは余裕でしょ?」

「まあな。なんというか、誰を、そしてどこを狙っているかがバレバレだし。というか、気配を隠す気ゼロだろ、あれ」

「察してあげなさいよ。あれでも隠したつもりでいるのよ、きっと。――あ、それと絶対に相手を攻撃だけはしないで。あたしが説得してみせるから」

「へ? ああ、わかった」

 アスロックがそう返事を返してくると同時。

「聖王烈槍(ラズラ・ランス)!」

 物陰から飛び来る、十数本の蒼白い光の槍! ……って、多っ! 本気すぎるにも程がある!!

「――うおわっ!?」

 つい、といった様子でエアブレードを抜き放ち、あるものはかわし、またあるものは剣で叩き落とすアスロック。うん、あれをすべて凌ぎきるあたりは、腐ってもガルス帝国出身の戦士だ。……や、別にアスロックが腐ってるとは言わないけど。
 ちなみに、あたしのほうには一本たりとも飛んできていない。当然といえば当然のことではあるのだけれど、その徹底ぷりは正直怖い。

「……くっ!」

 ギリッと歯軋りの音が聞こえてきそうな表情で、ついに術を放ってきた相手が姿を現した。

「なかなか、やりますね……!」

 腰のあたりまである、綺麗なストレートロングの金髪が印象的な少女だった。
 顔立ちは端正で愛くるしく、やや童顔……ではあるものの、なぜだか身体のほうは出るとこは出てて、引っ込むところは引っ込んでいる。

 年齢はあたしより二つ上の十七歳。いや、前述したとおり童顔であるため、それよりひとつかふたつ低く見られがちではあるのだけれど。
 膝くらいまでの黒マントをつけており、おまけにその全身をロングスカートタイプの黒いローブに包んでいるから、地味というか野暮ったい印象を受けがちだが、ちょっとお洒落をして街中を歩けば、すれ違う男性の十人中九人が振り返るであろうことは間違いない。
 瞳の色は深緑で、いまでこそ怒りの色ばかりが濃く出てしまっているが、普段は俗世の穢れを知らないかのように無垢な色を湛えていたのをよく憶えている。
 ちなみに、言い寄ってくる男も多かったりするのだが、容姿や性格の良さに自分でまったく気づいていないのか、はたまた色恋沙汰には興味がないだけなのか、浮ついた話はいままで一度も聞いたことがない。

 そんな彼女は、端正な顔を怒りに染め、ビシッとアスロックを指差した。

「あなた個人に恨みはありません! しかし、ミーティアさまをかどわかそうとしているのを黙って見過ごすつもりも、私には毛頭ありません!」

 ……あー、やっぱり勘違いしてるよ。本当、彼女の思い込みには困ったもんだ。

「え、えっと、かど……なんだって?」

 うわぁ。アスロックはアスロックで、別の意味で困惑してるよ。まあ、日常生活においては『かどわかす』なんて言葉、使わないからなぁ。その意味なんて把握できないだろう。一般人ですらそうなんだから、アスロックならなおさらだ。

「誘拐する、という意味です! あなたにその意思がある以上、私は指をくわえて見ているわけにはいかないんです! 覚悟!」

「え? いや、誘拐するつもりは全然……って、おい!」

「やばっ!」

 彼女はまたしても呪文を唱え始める。しかし、この詠唱の内容は……いくらなんでもシャレになっていない! いや、もちろんさっきのもシャレになっていたとは言いがたいけれど!
 あたしは彼女に対抗して、急ぎ強力な結界呪文の詠唱にとりかかった。

「この世に再び具現(あらわ)れし
 光を統べる聖なる王よ
 汝の持つ正しき均衡(きんこう)を
 我の望む空間に与えん」

 『空間』とは『生命あるもの』が活動する場所のこと。すなわち、『生命あるもの』の周辺。
 ならば、『生命あるもの』の周辺は例外なく『空間』となる。

「神の聖域(ラズラ・フィールド)!」

 アスロックの周囲に、蒼白い光の粒が現れ、彼自身に吸い込まれるように収束していく。
 それに一瞬遅れて。

「精神崩壊(ラズラ・ブラスト)!」

 蒼白い柱がアスロックを足元から包み込む!
 <精神崩壊(ラズラ・ブラスト)>。『聖蒼の王』の力を借りた術の中でも、最高の威力を誇る術。
 しかし、効かない。同じ『聖蒼の王』の力を借りた『完全防御結界呪文』、<神の聖域(ラズラ・フィールド)>をかけるのが間に合ったから。それを証明するように、つい先ほど彼の中に吸い込まれていった光の粒が表に現れ、蒼白い柱から彼を守る。そう、<精神崩壊(ラズラ・ブラスト)>に限らず、どんな攻撃からであっても、だ。もっとも、一度しか効果がないという欠点もこの術にはあるのだけれど。

 ややあって、蒼白い柱が弾けて消えた。
 アスロックは『なにが起こったのかわからない』という表情で呆然と立ち尽くしている。
 そして、あたしはといえば、ようやく彼女にかみついた。

「なに物騒な術ぶっ放してるのよ、あんたはっ!」

「ミーティアさまを守るためです! 邪魔をなさらないでください!」

「守るため、じゃないでしょうがっ! 一歩間違えれば、アスロックは今頃、その術の名前どおりに精神ぶっ壊れてたのよ!」

「そうするのがミーティアさまのためなのです!」

「どこがよっ!? まったく、相変わらず思い込んだら一直線なんだからっ!」

 と、そこでやや申し訳なさそうな声が割り込んできた。

「……あ〜、とりあえずミーティア、その娘、一体誰なんだ? 説得云々言ってたんだから、お前の知り合いではあるんだろうけど」

 確かに。まずはアスロックに事情を説明するのが先決か。

「えっとね、この娘はドローアっていって……ほら、今日の朝、少しだけ話したでしょ? あのドローア――」

「ミーティアさま、お下がりください! その男は危険です! 現に先ほど、襟首をつかんでどこかに連れて行かれそうになっていたじゃないですか!」

 言って、三度呪文の詠唱を開始するドローア。

「やめんかあぁぁぁぁぁっ!!」

 夕暮れに染まる街角に、あたしの怒声が響き渡った。




「申し訳ありません! 本っ当に申し訳ありません!」

 あたしたちが取った宿の一階にある酒場。
 そこのテーブルのひとつにつき、三人で夕食の席を囲みながら、あたしはドローアに現在に至るまでの経緯をかいつまんで説明した。
 そして食べ終わって、皿を全部下げてもらった現在、誰にでも予想のつく流れとして、状況を完全に把握したドローアは、ひたすらアスロックに平謝りをし始めた、というところである。

「あー、まあ、気にするな。誤解だったんだから」

「ううー、本当に申し訳ない限りです……」

「だから本当にもういいって。何度も言うけど、誤解だったんだからさ」

 謝られているアスロックは、ただただ居心地悪そうにしていた。といっても、別にドローアの存在を迷惑に感じているとかではなく、ただただ謝られていることが落ち着かない、という感じだ。

「ねえ、アスロック。言っとくけど、その『誤解』で危うく命を落とすところだったのよ? あなた」

 これは本当の話。だからドローアが恐縮してしまっているのはむしろ当然のことだ。お願いだから、もう少しそのあたりを理解してあげてほしい。
 そう思ってあたしは口を挟んだのだけれど、どうやら二人には逆効果だったようで。

「あああああっ! 本当に、本当に申し訳ありませんっ! 一体、他になんと言って謝ったらいいのかっ!」

「いやだから、気にするなって。結果的に命は落としてないんだから。――なあ、ミーティア。いくら親友でも、いじめたり、からかったりするのはほどほどにしてやれよ?」

「な、なんであたしが悪者に……?」

 釈然としないものを感じるなぁ、まったく……。
 と、ようやくドローアが謝罪以外の言葉を口にする。

「その、私、昔からこう、思い込みが激しくて……」

 うん、それは否定しない。そして、やっぱり謝罪寄りの言葉ではあるか。

「……あ、そういえば、私の口からの自己紹介はまだしていませんでしたね。――改めまして、私はドローア・デベロップといいます。王宮内での立場は、ミーティアさまのお付きというか、直属の部下というか、そんな感じです」

「それ以前に幼なじみで、親友でしょ。まったくもう……」

「おれはアスロック・ウル・アトールだ。よろしく」

 言って、笑顔をみせるアスロック。
 それにドローアは、可愛らしく小首を傾げて、

「アトール……。ガルス帝国出身の方ですか?」

「ああ。しかし、なんでそんなことを訊くのかが、正直、おれにはわからない。ミーティアにも訊かれはしたが」

「すみません。アスロックさんがあまりにも、その……ガルス帝国の方らしからぬ雰囲気をまとっていらっしゃいましたので。温厚といいますか、和やかといいますか。……もしかしたら、ガルス帝国の方だというのは、私の早合点かもしれないな、と」

 ドローアがそう考えてしまったのも無理はない。だって、

「荒っぽい奴が多いものね、ガルス帝国の人間って。いままでの使者は全員、そんなんだったし」

「まあ、確かに厳しい人や短気な人間が多いことは認めるけどな。でも別に、全員がそうってわけじゃない」

 アスロックの言葉に深々とうなずくドローア。

「そうですね。現に、アスロックさんは親切心からミーティアさまの護衛や、セレナさまの捜索をしてくださっているのですから。――それにしても、セレナさまが失踪、ですか」

「ええ。まあ、この町から先には行ってないとは思うんだけどね」

「そもそも、セレナさまが失踪されたのは昨日、とのことですからね。どんなに早く行動しても、今日はまだここで出入国のチェックを受けているはずです。フロート公国のラット・シティまで行くなんてことは物理的に不可能です。私だって、ついさっきチェックを終えたばかりですからね。セレナさまがいらっしゃったのなら、そこで鉢合わせになっているはずですし」

「そうなのよね〜。――あ、そういえば魔道学会本部での用事ってなんだったの? 面白い事件でも起きた?」

「いえ、特別な用事はありませんでしたよ? いつもの定期的な報告をしに行っただけです。正直、私には報告することなんてなにもないんですけどね。まあ、過去にあったことがあったことですから、仕方がないのでしょう。それに最近、通心波(テレパシー)という魔術が報告されたでしょう? そのことでも訊かれることがありましたからね」

「通心波(テレパシー)? そのことでドローアになにを訊くっていうの?」

「すみません。それはミーティアさまであっても、お教えすることはできません」

 そう言って、立てた人差し指を口許に持っていくドローア。
 幼なじみにして親友だというのに、彼女の過去をあたしは詳しく知らない。そんな事実も手伝ってか、あたしは正直、面白くなかった。

「ちぇ〜っ。秘密主義なんだから。『現代の三大賢者』のひとり、『沈黙の大賢者』だからって、あたしにまで隠すことないのに」

「それは関係……なくはありませんが、ほとんど関係ありませんよ。『沈黙の大賢者』なんて、私にとってはただの余計な肩書き。それ以上でもそれ以下でもありません。――ミーティアさまの『第二王女』と同じようなものです」

「まあ、わからなくはないけどね。……むしろ、『神界道士(しんかいどうし)』、『風道士(ふうどうし)』のほうがよほど重要な肩書き、か」

「そうですね。それぞれ、神界術、風術(ふうじゅつ)の『専門家』だ、ということを表す肩書きですからね。ミーティアさまの『黒道士(こくどうし)』も同じく」

「そうね。……あ、『黒道士』といえばさ、ヴラバザードのオバハンはどんな感じだった? またヒステリックにわめき散らしてきた?」

「『漆黒の大賢者』アーリアさんですか? そうですね、いつもどおり、とだけ」

「あのオバハン、無意味にプライド高いのよねぇ。会うたび会うたび、ドローアも大変でしょ? 『最年少の大賢者だからって調子に乗るなよ、キーッ!』って風に絡まれて」

「絡まれはしましたが、そんな下品な言葉遣いはなされませんよ、アーリアさんは」

「いやいや、陰では絶対言ってるって。本当に陰険なオバハンなんだから」

「……なあ」

「うん? どうしたの? アスロック。さっきから全然話に乗ってこなかったけど」

 少しムスッとした表情のアスロックに、ニヤリと笑いながら訊いてやる。一方、ドローアは申し訳なさそうな表情になり、

「あ、すみません。アスロックさんにはつまらない話でしたよね」

「いや、つまらないっていうより、単純に意味がわからなかった……」

「本当にすみません。内輪のことで盛り上がりすぎました」

「あー、まあ、それよりも、だ」

 謝られて困り顔になるアスロック。ふむ、どうも彼はドローアに頭を下げられると弱いらしい。よし、これからは有効活用させてもらおう。

「明日は早くから行動したほうがいいんだろ? もう寝たほうがいいんじゃないか?」

 確かに、時間はまだ早めであるものの、今日は歩き通しだったから、疲労がかなり溜まっている。早めに休んでおくに越したことはないだろう。

「そうね。じゃあ、そろそろ部屋に戻るとしましょうか。――あ、言っとくけど、ドローアはあたしの部屋で寝かせるからね」

「当たり前だろ……」

「ちょ、ちょっとミーティアさま!」

 うんざりとした表情で呟くアスロックと、真っ赤になってうろたえるドローア。
 アスロックもドローアのようなリアクションをとってくれればもっと面白かったのだけど、まあ、そこまでは望めないか。

 三人とも席を立ち、階段へと向かう。
 取った部屋はちょうど向かい合わせになっており、そこまで来たところで、ドローアが少し照れたようにはにかんで、アスロックのほうに向き直った。

「それでは、お休みなさい、アスロックさん」

「お休み、アスロック」

 一応、あたしも続いておく。

「おう。また明日な、二人とも」

「はい。お休みなさい」

 返ってきた言葉に、嬉しそうに、明るく繰り返して、ドローアは部屋の扉を開き、あたしに先に入るよう促してきた。……ふうん、なるほどねぇ。これはちょっとつついたら面白い反応が返ってくるかも。

 部屋に入ると、二つあるベッドの片方に腰かけ、あたしはドローアに問いかけてみた。

「なんか、ずいぶんとアスロックを気に入ったみたいじゃない? ドローア」

 ちょうどドローアも自分のベッドに腰を落ち着けようとしたところで、あたしの言葉にぴょんと小さく跳ね上がってくれる。

「えっ!? そ、そうですか!? そんなこと、ないですよ……?」

 楽しくなり、向き合って座る彼女の顔を見ながら、あたしは追及を続けてみることに。

「へえ〜。あたしの知る限り、自分から男に話しかけてるドローアなんて、見たことないけどねぇ。あ、ゼノヴァさんとか、あたしのお父さまは抜きにして」

「父さまは例外に決まってますよ! もちろん、陛下だって! でも、王宮内で男の方と話をすることくらい、私にだってありますよ?」

「事務的な会話ならね。でもプライベートなことは全然じゃない」

「それはそうですけど……。でも、それを言うなら、アスロックさんとも、今日はそれほど会話をしていたというわけじゃ……」

「今日は、ね」

 意味ありげに繰り返してみせる。
 それにドローアは、真っ赤になってうつむいた。

「あうう……。まあ、確かに優しくていい方だとは思いますが……」

 あ、自爆した。あたしは本当に繰り返してみただけだったというのに。……もちろん、彼女が自爆する可能性を考慮して、だけど。
 しかし、優しそうでいい方、か。

「確かに、その通りではあるんだけどね〜……」

「? どういう意味でしょうか? ミーティアさま」

 きっと、あの常識の無さにはドローアも辟易させられると思うよ?
 いつまでそれを知らずに過ごせるかな〜。
 胸中でそう呟いて、あたしは全然別の言葉で会話を締めくくった。

「ううん、なんでも。明日からはもっと会話が弾むといいわね。気さくでいい奴なのは間違いないから」

「えっ!? は、はい……」

「じゃ、お休みぃ〜」

 そうして、あたしはベッドに横たわった。
 なにやらドローアがグッと両の拳を握り締めるのが視界に入った気がしたけど、それはそれで面白くなりそうだったからよしとする。
 最悪の場合は、あたしがアスロックの毒牙から守ればいいことだしね。

 それにしても、やはり疲れていたのだろう。
 ベッドに入って間もなく、あたしは眠りに落ちていった――。



――――作者のコメント(自己弁護?)

 どうも、今回はバトルパートメインでお送りしました。ルーラーです。楽しんでいただけましたでしょうか?
 セレナの素性とか、ドローアがようやく登場とか、色々と見てもらいたいところはありますが、やっぱり一番はバトルパートかな、と。
 アスロックの意外(?)な強さを知ってもらえれば、と思います。やるときはやるんですよ、彼。

 他にも、ドローアの心情とかを最後のほうで書いてみたりもしましたが、これを下敷きにラブコメを書けるかどうかは、僕の力量次第。
 本当、苦手ですからねぇ、ラブコメ書くの。
 上手い具合に三角関係とか書ければ面白いんでしょうけど、はてさて、どうなることやら……。
 物語の本筋のほうは、ラブコメをやる、やらないとは関係なく進められる感じになってますので、どちらに転んでも問題ないといえばそうなのですが。

 さて、サブタイトルのほうですが、最初の仮タイトルは『初戦闘、そしてドローア』でした。うん、これは酷い。
 結局、『策謀が踊ったり、踊らなかったり』というタイトルを最終的には採用しましたが、これもこれでどうなのかな、と。『迫り来る影』とか、そういうののほうがわかりやすくてよかったでしょうかね?
 どちらにせよ、先に本編を書いてから、それに合うサブタイトルを見つけてくる、というやり方は、そろそろキツくなってきた感があります。
 以前はサブタイトルから自分なりに内容を想像して、それを書くようにしていたからよかったんですけどね。

 では、そろそろサブタイトル――『策謀が踊ったり、踊らなかったり』の出典に移るとしましょう。
 このサブタイトルは、『スパイラル・アライヴ』の第九話からとなります。
 意味はそのまんまで、『何者かの思惑が働いているような、働いていないような』という感じです。
 どこまでが仕組まれた展開で、どこからが誰の関与もない展開なのか、そんなことを考えてみてもらえたら、と思います。
 今回のミーティアの旅、実は割と仕組まれている部分が多いのですよ。誰に、とは言いませんが。

 そうそう、今回はワードソフトを『ワードパット』に戻したため(このほうが書きやすいのですよ、気分的に)、文字数がわかりません。当然、原稿用紙換算の枚数も。
 なので文章量が多いのか少ないのか、いまひとつ自分でつかめなかったり。
 極端に少ないということはないでしょうが、決して長いほうでもないと思うのですよね。客観的に見るとどうなんでしょう。

 物語のほうは、まだ動き始めたばかりという感じですが、ここから盛り上げていければ、と思います。
 それでは、また次の小説でお会いできることを祈りつつ。



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