聖なる炎



 ――あの聖なる蒼き空の如き。
 彼女の名乗る『聖蒼騎士』には、そんな意味が込められている。

 その称号を冠する者の名は、フィリア・ラズ・ライト・スペリオル。
 新人類をまとめ、『黒の将軍』率いる旧人類と戦う、腰まで届くオレンジ色の長髪が特徴的な二十八歳の王女である。

 王宮にある自室で、彼女は目の前に立つ青年の顔を見ながら嘆息していた。
 戦場で騎士として戦っているときと比べて、なんと情けない表情をしているのだろうか、と。
 フィリアが明日にやろうとしていることがやろうとしていることだから、その気持ちはわからなくもないのだけれど。
 それにしたって、これじゃ自分のほうが弱いところを見せられないじゃないか。……そこまで計算して、青年はこんな表情で自分の前に現れたのだろうか。だとしたら、困ったことにとても効果抜群だ。もちろん、彼にそんな目論見はないだろうけど。

 彼女は青年――ゲイル・ザインの頭にポンと手を置いた。
 短く刈られた茶色の髪。その下に視線を移すも、彼の端正な顔は苦痛に耐えるように歪んだまま。
 それにフィリアはもう一度ため息を漏らしてしまう。自分より七つも上の三十五歳だというのに、これではどちらが年上かわかったものではない。

「なぜ、なのでしょうね……」

 ぽつりとそう漏らしたのはゲイルのほう。
 彼女は「ん?」とだけ穏やかに返す。彼の言葉の先を促すように。

「なぜ、貴女(あなた)だったのでしょうね、『スペリオル』の生まれ変わりが……。そうでなければ、退屈ではあっても穏やかな日々を過ごすことも、あるいは……」

「それは、言っても仕方ないことでしょ」

 この短い時間の中で三度目の、しかし今度は慈しむ色を交えてため息をつくフィリア。
 そう、それは嘆いても詮無いことなのだ。事実は事実として受け止めるしかない。しかし、それは自分のように、『生まれる前のこと』を『実感』として知っているからこそできることなのかもしれなかった。
 現にゲイルは――国ではなく自分に対して騎士として忠誠を誓ってくれ、また、『現人神(あらひとがみ)』として誰からも微妙に距離を置かれていた彼女に、初めて真っ直ぐに想いをぶつけてくれた彼は、そうではなかった。

 ――人は、肉体が滅んでも『階層世界』に戻ってゆくだけ。死ぬことは決して世界からの消滅とイコールではない。

 そうフィリアが教えても、それは結局『知識』でしかなく、彼の中の『実感』には成りえないのだろう。
 そして、その感覚がフィリアにはわからなかった。死を恐れる、その感覚が。
 ずっとずっと、『わからなかった』のだ。
 過去形なのは、それが彼女にも『実感』としてわかってしまったから。

 三年前。
 『古代言語』を用いて使う『古代魔術』。それとは違う『聖霊魔術』という手段によって力を貸してくれていた『四大精霊の王』たちが、『黒の将軍』によって物質界によって召喚された。されてしまった。それも、その身に『魔』的な楔(くさび)を打ち込まれ、彼の手足として行動する『魔精霊』という形で。
 それによって『聖霊魔術』がまったく使えなくなったというわけでも、それだけで勝敗が決定してしまうほどの絶望的な戦力差が開いたというわけでもない。もっとも、新人類側と旧人類側のパワー・バランスが辛うじて均衡しているのは、聖獣リューシャーが新人類側に味方してくれているからであって、その後ろ盾がなければ即、勝敗が決してしまっていたかもしれなかったのだが。

 しかし、辛うじての均衡など決して長くは続かない。
 それがわかっているからこそ、フィリアたちは出来る限り早急に『魔精霊』たちを倒さなければならなかった。
 そう、研究に研究を重ねてようやく組み立てた『秘術』で。
 使うときは命がけとなってしまう『秘術』で。

 決行は、明日。
 失敗は許されない。『秘術』の他に『魔精霊』たちをどうにかする手段はないし、なにより、『秘術』の失敗はフィリアの消滅を意味するのだから。

 そう、消滅。
 『死』ではなく、『魂』そのものの消滅。
 もしそうなってしまえば、『階層世界』に戻ることなどできはしない。

 これが――この感覚が、一般的な人間の感じている『死の恐怖』なのだろう。

 大切な人と、一緒にいたい。

 この世界に居続けたい。

 なにより、消えたくない。

 この感情こそが――

「…………」

 それを知ったときだった。彼女の中に弱さが生まれたのは。
 しかし、それを理由に心を折るわけにはいかない。
 みっともなく泣きわめき、戦いの場から身を遠ざけるわけにはいかない。

 もちろん、彼ならば――ゲイルならば、そうしたところで自分を軽蔑したりなどしないだろう。
 むしろ、喜んで一緒に逃げてくれるに違いない。
 けれど、それを実行に移した自分は、果たして彼に愛してもらえる価値のある自分なのだろうか。
 とてもではないが、そうは思えなかった。

 民を見捨て。
 いままで一緒に戦ってくれた兵を裏切り。
 彼と二人、旧人類の治める世の中で、逃げるように二人、寄り添って生きていく。……一生消えない罪悪感を抱えた、そのままで。

 それだけはごめんだった。

 ゲイルに愛されること。
 
 ゲイルを愛すること。

 彼は自分を支えてくれ、自分は彼を支えているのだという誇りを持って生きること。

 それを放棄するくらいなら、文字通り、消滅してしまうほうがマシだ。

 彼女は既に、そう割り切っていた。
 しかし、それでも身体がときおり震えることはある。
 それだけはどうしようもなかったし、どうにかするつもりもなかった。これくらいの甘えは許されるんじゃないかな、なんて風に思うのだ。

 ……また、身体が震える。
 意識しただけで、身体が震える。
 フィリアは自分の身体を両腕で抱こうとした。
 そのとき。

「――あ……」

 その震えを抑えようとするかのように。
 ゲイルが彼女の身体を抱きしめていた。
 背中に回された両腕からは、わずかに痛みを感じる。同時に、彼の震えも、また。

「もう……」

 くすりと笑い、少しだけ身をよじる。
 彼の温もりに、震えが少しだけ止まったような気がした。

「――約束、してください」

 やがて、呟くようにゲイルがそう口にする。

「必ず、生きて戻ってくると。『秘術』を、成功させると……」

「もちろんよ。それに、その約束は前にもしたでしょ?」

 失敗はない。それ以外の結末は、絶対に起こさない。それもまた、覚悟だから、と。

「……そうでしたね」

 泣きそうな表情で微笑むゲイル。フィリアの浮かべる笑顔も、それとまったく同じもの。

「――どうか、貴女にご武運を。私の、愛しい人……」

 ――愛しい人……。

 その言葉を、フィリアは強く、強く胸に刻み込んだ。


 ――忘れない。


 私がこう思ってるって知ったら、貴方は悲しむかもしれないけれど。


 もし。


 もしも、『秘術』に失敗して、私という存在が消滅してしまったとしても。


 この想いは。


 この温もりは。


 人間(ひと)として生き、貴方と出会ってからの十二年間の思い出は。


 絶対に。


 絶対に、忘れない……――




 ……なんだろう。

 とても、なつかしいゆめをみた。

 そんな気がする。

「……〜い、ミーティア〜!」

「ミーティアさま、あの、どうなされました?」

 すぐ近くから聞こえてきたのは、アスロックとドローアの声。
 アスロックはなにも乗っていない皿を軽くナイフとフォークで叩いており、ドローアはスープ用のスプーンを皿の端に静かに置く。
 なんとも育った環境がうかがえる行動だった。

 ……ん? 皿?
 あ、そっか。いまは朝ご飯の最中だったっけ。

「あー……、あはは、ボーっとしてたみたい」

「おいおい。食事中にボーっとするなんて、横からおかずを取られても文句言えないぞ」

「いや、普通に文句言える状況でしょ、それ」

「甘いな。おれが子供の頃は、飯の時間といったらいつも戦いだった。同じ席についた奴らはな、ほぼ全員、殺気立ってるんだ」

「どういう人生送ってきたのよ、あなたは……」

「想像つかないか? ガルス帝国の生まれだぞ、おれは」

「……うん、想像ついた。でも、だからっておかずの奪い合いするのはどうなんだろう……」

「ちなみに、奪い合いになることは割と稀だ」

「あれ? そうなんですか?」

 苦笑気味に黙っていたドローアが口を挟んでくる。ちなみに、右手はスプーンを持ったままで、左手をパンに伸ばしていた。

「ああ、そうなんだ。ボーっとしてる奴や反射神経の鈍い奴はおかずを取られる。常に周囲に注意を払っている奴や反射神経の鋭い奴が一方的におかずを取っていく。抜け目のない奴はおれ同様、ガードに徹していたな」

「それはそれは……なんだか可哀想になってきてしまいますね」

「いやいや、そんなことはない。反射神経の鈍い奴は更に鈍い奴からおかずを取る。そうやって補充するんだ」

「ええと、一番反射神経のない方はどうなさってたんですか?」

「当然、おかず抜きだ。酷いときには飯をすべて取られたりもしていたな。そして、そういうのが何度も続くと、やがて自分から去っていくようになる」

「食堂から?」

 と、今度はあたし。
 というか、別に家で食べれば済む話なのでは……?

「いや、宿舎から。ちなみにこれは、兵士になるのを諦めるっていう意思表示だ」

 そうきたか。アスロックの語り口からして、宿舎以外の場所でご飯を食べるという選択はとれなさそうだし。
 
「まさしく戦いの場だったのね。より正確に言うなら、試験の場?」

「そうだな。いま思えばちょっとしたテストも兼ねてたんだと思う。自分の食糧も確保できない奴が兵士としてやっていくなんて、まず無理だからな」

「そうかなー……」

 まあ、ある意味では正しい気もするけど。

「というわけでミーティア、お前のモーニングセットに付いてきた牛肉は、おれがもらった」

「おいこら。吐き出しなさいよ、あんた」

 あたしがアスロックを睨んだところで、ドローアがパンを一度口から離し、

「ミーティアさま、その言葉遣いはさすがの私でも見過ごせませんよ? それとアスロックさんはミーティアさまのおかずを取っていません。ミーティアさまがちゃんと食べていました」

「え? 本当に?」

「はい。ちゃんとこの目で見たのですから、間違いありません」

 ぴっ、と人差し指を一本立てるドローア。アスロックもどこか呆れた眼差しをあたしに向けていた。

「お前、本当にボーっとしてたんだな……」

「あー……、ボーっとしている間に食べちゃってた?」

「いや、そもそもまだ運ばれてきていないじゃないか。きたのはスープとパンと空の皿だけだ。現にさっきから何度も皿を叩いてるだろ? おれ。ちゃんかちゃんかってさ」

 子供か、あんたは……。
 ともあれ、アスロックにそう返されて、今度はドローアを睨むあたし。

「……てへへっ」

「笑ってごまかさないの。……まったく、ドローアはときどきお茶目になるっていうか、なんていうか」

「お前、なんかツッコミに覇気がないな。低血圧ってやつか?」

「え? ううん。ただ、ちょっと夢見が、ね……」

「嫌な夢でも見たのか? まあ、セレナさんが行方不明なんて状況だから、無理もないとは思うが」

 と、ここでようやくサラダと、メインディッシュであるところの肉類がご登場。うん、いくらあたしだってボンヤリしたまま肉を全部食べちゃうとか、ありえないって。
 まあ、それはともかく。

「別に嫌な夢ってわけじゃないわよ。ただ、な〜んか引っかかるっていうか……って、こら、アスロック! あなたから訊いてきたんだから、ちゃんと最後まで聞きなさいよ! お肉に没頭してないで!」

「お、やっといつものミーティアに戻ったな」

「いつものあたしって、どんなあたしよ!?」

「怒鳴ってばかりいる、偉そうなお子さま」

「嫌な認識っ!」

 あたしのほうこそアスロックのお肉を奪い取ってやろうかとよっぽど思ったけれど、ドローアの手前もあって実行には移さないでおく。……決して、決してあたしのフォークさばきじゃアスロックのおかずを奪い取れないと思ったわけではない。悪しからず。

「アスロックさん、まずは野菜から食べたほうがいいですよ。いきなり肉類からだとお腹がびっくりしてしまいます」

 言ってサラダを目で示すドローア。
 あたしもよくそうなるように、アスロックはちょっと不満げな表情になって、

「ふぇ? ふぁって、ふぁらへぇってひょうがはいんだ」

「口に食べ物を含んだまましゃべるのも、行儀がいいとは言えませんよ?」

「というか、それ以前になにしゃべってるのかわからないって……」

「むぐ……」

 ちょっと考える間があって、アスロックはものすごい勢いで口の中のものを咀嚼(そしゃく)。ごくんと喉を通過させた。

「え? だって、腹減ってしょうがないんだ」

「わざわざ言い直さなくていいって!」

 なにしゃべってるかわからないとは言ったけど、雰囲気というか、前後の状況から、大体どんな内容だったのかはわかってたんだから!

「それに、どれから手をつけようと、おれの勝手だと思うんだが?」

 今度はドローアに向けてのみ言う。よし、いいぞいいぞ、それはあたしも常日頃から思っていた。言ってやれ言ってやれ!
 三角食べとか真っ平ごめんだとか言ってやるんだ、アスロック!

「そのとおりではありますが、健康にいい食べ方をしたほうが、健康に悪い食べ方をするよりはいいでしょう?」

「まあ、確かにな。健康は大事だ。身体が資本、とも言うし」

「裏切り者おぉぉぉぉっ!!」

 思わずイスから腰を浮かし、ビシッとアスロックにフォークを向けて大声を出してしまうあたし。

「……ミーティアさま。もうちょっとお行儀よく」

 たしなめてくるドローアに、あたしは小声で反論する。もちろん、イスにはちゃんと座り直しながら。

「なによなによ、これだから王族って肩書きは嫌なのよ。行儀よくとかいっつも言われてさー」

「これは一般家庭でも言われることだと思うんですが……」

 そう言われてみれば、確かにそうかもしれない。
 いかん、形勢が不利だ。せめてアスロックをこちら側に引き込んでおかないと。

「ねえ、アスロック。ドローアって何気に嫌な奴よね〜?」

「そうか? しっかりしたいい娘だと思うが、おれは」

「裏切り者おぉぉぉぉっ!!」

 またしてもイスから腰を浮かし、あたしはアスロックにフォークを向ける。

「はぁ……」

 ドローアが嘆息する音がいやに大きく聞こえた気がした。

「ミーティア、お前って本当に行儀悪いのな」

 ううっ、アスロックに言われるなんて、屈辱だっ!

「それはそれとして、やっぱりおれは肉から食いたい。――いいか?」

「え? いえ、あの、許可を求められるとは、正直、思いませんでした……。まあ、そこまで強く反対はしませんよ。人それぞれ、です」

「うっし。じゃあ改めて、いただきま〜す」

 両手を合わせるアスロック。

「いただきます」

 同じく手を合わせるドローア。
 せめてもの抵抗とばかりに、イスに再度座り直したあたしは、アスロックの使った戦法でドローア攻略を試みる。

「ねえ、ドローア。あたしは『いただきます』ってやらないで食べ始めたい。――いい?」

「駄目です」

 コンマ1秒で却下された。ちくしょう、なんでアスロックはよくてあたしは駄目なんだ。
 ……あ、そっか。

「愛の差ってやつ?」

「なにがですか? ミーティアさま」

「ドローアの対応よ。あたしに対する態度には愛が感じられない。逆にアスロックには愛が溢れまくり」

「ななっ!? そ、そんなことっ!」

 よし、動揺したところで一気に畳みかけ――

「そうだぞ、ミーティア。どっちかっていうと、お前への対応にこそ愛情が溢れまくりじゃないか。一緒に過ごした時間の長さが違いすぎるから仕方ないとはいえ、ちょっと寂しいくらいだ」

 黙ってろ、アスロック。
 ドローアはドローアでしどろもどろに、

「いえ、あの。別にどちらにどうというわけでは……。あ、いえ! もちろんミーティアさまとは幼少の頃からのお付き合いなわけですから、当然、愛情はありますし、そ、その……アスロックさんにだって、決して無いわけでは――」

「まあ、それよりも飯だけどな」

「それはあんまりですよぉ、アスロックさん……」

「え? なんで?」

「なんでって……、そ、それは、その……」

 と、そのときだった。
 酒場の扉が開き、何人かの兵士が入ってくる。……ちっ、いいところだったのに。
 ……って、ん? 先頭にいる、あの赤毛の女性って。

「あれ!? なんでカーリアンがここに!?」

「こちらに宿をとっておられましたか、ミーティアさま」

 カーリアンと、数人の兵士があたしたちがついている席までやってくる。

「ちょ、ちょい待ち! 兵士たちは別の場所に待機させておいてよ! ちょっと周りを見てみればわかるでしょう!? 思いっきり注目の的じゃない!」

 なにせ、この宿に泊まった人のほとんどが朝食をとる時間なんだから、いまは。

「あ、そうですね。すみません。――おい、お前たちは入り口のところで待っていろ。ミーティアさまへの報告は私がしておく」

 いや、それもどうだろう。……まあ、同じ席につかれるよりはマシ、なのかな?
 と、ドローアも同じことを思ったのか、おずおずと口を開く。

「あの、カーリアンさま。あまりミーティアさまを『さま』づけで呼ばれると周りの方々に素性が……。……いえ、なんでもありません」

 ……そっちか。しかし、自分もあたしのことを『さま』づけで呼んでいるということに思い至ったのだろう、彼女は途中で口をつぐんでしまった。
 と、今度は早々に食事を終えてしまったアスロックが尋ねる。……って、いくらなんでも食べるのが早すぎない? 大きさか? 一口の大きさが違うのか?

「ところで、報告ってのはなんなんだ? もしかしてセレナさんが見つかったのか?」

 アスロックはとてもまともな問いをぶつけていた。ドローアよりもまともだった。一体どうしてしまったんだ、アスロック。これは天変地異の前触れか?
 まあ、そう簡単にお姉ちゃんが見つかるはずもないから、その報告内容だけはないだろうけど。
 果たして、カーリアンはアスロックの問いに首を縦に振り、

「ああ、実はそうなんだ。それも――」

 ほら、やっぱり違った。そうよね〜、そう簡単に見つかるわけが……うん?

「ちょっ、ちょっと待って! 本当に!? あっさり言うから流しそうになったけど、本当に見つかったの!?」

「ええ、本当です。それも見つかった場所はスペリオル・シティから南に伸びる街道の道端。スペリオル・シティからそう離れていないところ、とのことでした」

「つまり、この町とはまるで正反対の方向に向かっていた、と。……あれ? お姉ちゃんは北に向かって歩いていたって目撃情報なかったっけ?」

「ええ。もちろん、すぐに引き返して南へ向かったと考えるのが一番自然なのですが――」

「そんなことをする理由が思い浮かばない。そうですね? カーリアンさま」

「その通りだ、ドローア。まったく、今回の一件は本当に解せないことばかりで……」

 腕組みをしてうなるカーリアン。あたしはその隙に食事に戻ることにした。このままでは温かい朝食が冷めてしまう。
 あたしの代わりに問うのはドローア。

「それで、セレナさまを最初に発見したのはどなたなんです?」

「ああ、それはシャズール殿だ」

「…………なるほど、あの方でしたか」

「なんだ? いまの沈黙は?」

「いえ。少々、私怨(しえん)のある相手ですから。他意はありませんよ」

「私怨? ああ、ドローアの父上――聖魔道士(セント・ウィザード)殿のことか。しかし、別にシャズール殿に地位を追われたわけではないのだし――」

「わかっています。それでも、すっぱりと割り切れはしないんですよ、やっぱり。――それはそれとして、セレナさまを見つけられたときの状況です。シャズールさまは例によって例のごとく、一人で捜索にあたっていらっしゃったのですか?」

「ああ。例によって例のごとく、な。ドローアも知っての通り、群れるのが嫌いな方だから」

 そこで、あらかた食事が終わったのもあって、あたしも口を挟んでみることにする。

「兵士たちをまとめてるのも、指示を出すのも、いつもカーリアンの役目だもんね。実質、カーリアンが聖将軍をやってるようなもんだわ」

「さすがにそれは言いすぎですよ、ミーティアさま。しかし、まあ、そうですね。実質的な指揮系統は確かにそうなっています。もちろん、シャズール殿のほうが権限は上で、彼からの指示があれば、それが私の出したものと食い違っていても、彼の命令に従ってもらうことになってはいるのですが……」

「なあ、それはまずいんじゃないか?」

 と、これはアスロック。

「一刻を争う状況でもそんなんだったら、下手しなくても兵たちが混乱するぞ」

「それは確かにそうね。でも……」

「私たちが知る限り、あの方が命令を出したことなんて、一度もないんですよね。本当、いつもカーリアンさま任せで」

「そうそう。少し前にクーデターが起こったけど、そのときだって……」

「クーデター!? 私が留守にしている間にそんなことが起こってたんですか!?」

「あ、ドローアには言ってなかったっけ?」

「聞いていませんよ! まあ、ミーティアさまの様子からすると、何事もなかったようではありますけど……。まったく、あの方はいつもいつも単独行動ばかりして……!」

「まあまあ、落ち着けよ、ドローア。それだけ強いってことなんだろ? あの将軍さん」

「…………。じ、自信過剰なだけですよ。そもそも、この場合は個人の強さ以上に、集団戦における『将』としての素質――つまりは協調性やリーダーシップなどのほうを重要視するべきで、ですね」

「つまり、自信過剰とは言っていても、将軍さん個人の強さはドローアも認めているってわけか。大体、個人としての強さも備えてないと将軍になんてなれないもんだからな」

「……むぅ」

「むくれるなって」

 可愛く頬を膨らませるドローアを見て、アスロックが少し笑みをこぼす。

「さて、おれたちもそろそろ発つとしようぜ。セレナさんは見つかったんだから、ここにいる理由もないだろ。帰りはカーリアンさんも一緒だから、護衛のほうも楽ができそうだしな」

「えっ!? あ、ちょっと待ってください! 私、まだほとんど食べてません!」

 急ぎ、食事に口をつけ始めるドローア。
 あたしはアスロックに「そうね」と賛同しながら、宿の入り口のほうに目をやった。

「それはそうとカーリアン、まさかとは思うけど、あの兵士たちとも一緒に行動しろって言うんじゃないでしょうね?」

「正直、そう言いたいのは山々なのですが、聞き入れてはくださらないでしょうね、ミーティアさまは。……もちろん、別々に行動させるつもりでいますよ」

「それならよし」

「もっとも、アスロック殿も仰っていたとおり、私だけは同行させていただきますけどね」

「それはいいわ。まあ、ちょっとばかり窮屈ではあるけどね」

 あたしの返答に、なぜだかカーリアンは嘆息する。そして苦労の多そうな表情になって、入り口のほうへと足を向けた。

 しばし、あたしたちはドローアが食べ終わるのを待つ。
 けれど、そこはあたしたち。黙って待つなんてことはできるはずもなく。

「そういや、これで護衛対象が二人、護衛役が二人になったのか。なかなかにバランスいいな」

「護衛役が二人? なに言ってるのよ、アスロック。護衛役は三人。護衛対象はあたし一人だけよ?」

「え!? ドローアって戦えるのか!?」

 そんなに驚くことかなぁ。一応、ドローアの襲撃受けたじゃん、あんた。……あ、殺気が全然隠せてなかったから、素人と勘違いされても仕方ないのか。

「私、モンスター相手ならかなりいけるんですよ、これでも。基本、マニュアル通りの戦い方しかできませんけど」

「ドローア、口挟んでこないで早く食べる食べる」

「あ、はっ、はいっ!」

 慌て気味に食事に戻る彼女。完食まではあと少し。

「でも実際、気配の殺し方とかを除けば、かなりいけるはずよ、ドローアは。フロート・シティからここまで護衛なしで旅してきたんだし」

「ああ、そうか。そう言われてみればそうだったな。……ところで、お前は消せるのか? 気配とか」

「もちろん! なんてったってあたしだからね!」

「なんでだ?」

「へ? なんでって?」

「や、お前、仮にも王ぞ――」

「声が大きいって!」

 慌てて彼の口を塞ぎにかかるあたし。

「もが……。大きいのはお前の声じゃないか? 注目も、お前が一番集めてる気がするし」

 う、言われてみれば、確かにそんな気も……。

「……こほん。あたしのしてきた勉強にはね、そういうのもあるのよ」

「あ、話を逸らした」

「いやいや、逸らしてないでしょ。思いっきり本題でしょ」

 ジト目で睨むと、その向こうにこちらに戻ってくるカーリアンの姿が見えた。
 しかし、あろうことか彼女は、

「確かに、ミーティアさまやセレナさまが学ばなければならないこととして、戦闘訓練や気配の隠し方といったものはある。緊急時、やはり自分の身は自分で守らなければならない場面は出てくるだろうし、逃げるにしても気配を隠せなければ話にならないからな。
 だが、それはあくまで最低限、だ。たとえば気配の隠し方で言えば、息を潜めて隠れる際の気配の隠し方しか教えていない。相手に気づかれないよう攻撃する、などという高度なことは教えていないのだ」

 カーリアンの言葉に、あたし、汗ダラダラ。

「つまり?」

 訊くんじゃない、アスロック!

「つまり、ミーティアさまは独自のやり方でそういった気配の隠し方を学んだんだ。あるときには使用人にちょっかいをかけ、またあるときにはこっそりと王宮を抜け出し、そしてまたあるときには……!」

「ミーティア、お前って奴は……」

「当然、セレナさまは攻撃時に気配を消すなどということはできない。当たり前のことだがな。――というわけで、ミーティアさま」

「はい……」

 そして、ドローアが食事を終えるまで。
 あたしはカーリアンにこんこんと説教をされることになったのだった。




 ――帰りも林を突っ切って帰りたい。
 そう口にしたのはあたしだった。

 カーリアンには「全然、反省の色が見えませんね」とか「どうして危険なほうをわざわざ選ぶのですか……」とか言われたし、ドローアにも「行きも林を通ってこられたんですか!?」と心配されてしまったが、肩透かし気味ではあっても旅の目的が達せられたいま、早く帰ってお姉ちゃんの無事を確認したかった。ほんの少しであっても、遠回りなんてごめんである。

「やっぱりお前、短気だな。行きも遠回りするのが嫌なだけだったんだな」

「うるさいわね!」

 ……そろそろ否定するのも苦しくなってきたけど。

「大体、いまはあたしの護衛役が三人もいるのよ! 三人も! 護衛がアスロック一人でも抜けられたんだから、今度は余裕ってもんでしょ!」

「いや、それは逆じゃないか? 狭い場所を通るからこそ、護衛の人数が多いのはよくない。狭い場所で乱戦になると、戦い慣れしててもキツイからな」

「うにゃぁぁぁぁぁっ!」

「おいおい、奇声を発するなよ……」

 そんなやり取りをしているうちに、道が枝分かれしている場所に行き着いた。

「…………。んじゃ、ゴー!」

 林があるほうに足を踏み出すと同時、がしっとカーリアンに肩を掴まれる。

「『ゴー!』ではありません。アスロック殿の言っていたことを聞いていらっしゃらなかったのですか?」

「聞いてたわよ。でも大丈夫だって」

「根拠は?」

「根拠って……。んと、ねえ、アスロック。あなたがついてきてくれてるんだもの、全然大丈夫よね?」

 実はこれ、あたしが行きにも使った論法だったりする。

「まあ、大丈夫だろうけどな」

 そしてさすがはアスロック。根拠なんてなにもないままで、それでも行きと同じ言葉を返してくれた。ある意味、大物だ。

「ね? カーリアン、ドローア。彼、大丈夫だって」

「乱戦になれば戦い慣れていても危険、とも言っていたでしょう、彼は」

 ちっ、やっぱりカーリアンには通じないか。
 心の中で舌打ちしていると、アスロックがカーリアンにもの申した。

「いや、おれは戦い慣れしててもキツイって言ったんだが」

「え、いや、あの……」

 沈黙するカーリアン。
 すごいぞ、アスロック。カーリアンをその気もなしにやり込めるなんて。
 しかし、同じことをあたしにやられていたらキレて怒鳴っていただろうけど、それを他の人にやってくれるとこんなにも頼もしく感じられるものなのか。
 と、苦笑混じりにドローアが口を開く。

「アスロックさん、それは同じ意味なのでは?」

「うん? ああ、言われてみればそうだな。――ん?」

「どうしました? アスロックさん?」

「いや、あの林のほうから変な気配が……。皆は感じないか?」

 訝しげな表情になり、しかしすぐに首を横に振るドローアとカーリアン。もちろん、あたしだってなにも感じない。……が、これはチャンスだ。
 カーリアンの手が肩から離れるのを待ってから、

「なに? そんなに気になるの? アスロック」

「いや、別にそこまで気になるってほどじゃないが――」

「しょうがないわねぇ。じゃあ、早速確かめに行きましょ!」

 言って、全速力でダッシュ!

「あ、おい! ミーティア!」

「お待ちください、ミーティアさま!」

「アスロックさん、私たちもカーリアンさまに続きますよ!」

「お、おう。――でも、あの気配って魔族の……」

 後ろのほうでアスロック、カーリアン、ドローアがなにか言っているが、あたしはどんどん走る速度を上げていく。これでもう皆もこっちの道から行くしかあるまい。
 もちろん、すぐにカーリアンには追いつかれてしまったが、彼女は嘆息するだけで、道を戻れとは言ってこなかった。なんだかんだであたしには甘いのである。

 さてさて、林の中は薄暗い。
 行きは焦っていたのもあって感じなかったけど、どこからなにが飛び出てくるかわからない上にこの薄暗さというのは、なかなかに怖いものがある。
 おまけに、行きに比べてモンスターの襲撃が多いこと多いこと。
 もちろん、ちゃんと注意を払いながら進んでいるし、人数も四人だし、そのうちの二人が戦闘を生業(なりわい)としていることもあって、モンスターは常に出会い頭にバッサリ、という風に倒せているのだけれど。

「――はっ!」

 いまもまた、カーリアンがレイピアで二足歩行をする豚のモンスター、エビルオークを地に這わせたところだし。

「少しはあたしやドローアのほうに回してくれても大丈夫なのになぁ……」

 ぼやくあたしに、レイピアを地面に向けたカーリアンは、

「……あのですね、ミーティアさま。先ほどから出会い頭で倒せているから楽勝に見えているかもしれませんが、万一、それに失敗したら途端に乱戦になり、一気にこちらが不利になるのですよ? 私とアスロック殿が担っているのは、いわば唯一と言ってもいいほどの防衛ラインなのです」

「は〜いはい」

 それくらい、言われなくてもわかっている。
 でも、そんなに守られなきゃいけないほど、あたしって弱く見える?
 むくれたあたしの表情から察したのだろう、ドローアが声をかけてきた。

「まあまあ、ミーティアさま。立場や身分の違いといったものがあるのですから」

「それだって、わからなくもないけどさぁ……」

「わかると仰られるなら、大人しく守られていてください」

「はいはい、わかったわよ。――って、ドローア! 後ろっ!」

「――はい」

 静かにうなずいて、どこからともなくエアナイフを取りだすドローア。
 そして、長い髪をひるがえしながら身体を反転させ、右手を一閃!
 エアナイフは吸い込まれるようにエビルオークの左胸に突き刺さり、絶命させる。

「相変わらず見事なものね〜。よっ! さすがはエアナイフ投げの名手(めいしゅ)!」

 大したことなどなにもしていないという風に、それでも少しだけはにかみながら彼女は顔だけをこちらに向けて。

「いえいえ、そんな。これは固定標的――相手が動き出す前に、あるいは動きを予測して投げているから当てられるんです。修行を積めばミーティアさまにだってできるようになりますよ。もちろん、対象が移動標的となれば、私だってこう簡単には当てられませんよ?」

「いやいや、それでも充分すごいって。ところで、ドローアのエアナイフって一体どこに隠し持ってるの? 数も十や二十じゃきかないわよね?」

「ええと、それは秘密です」

 言って、人差し指を立てて口許に持っていくドローア。
 これに関しては、何度訊いても教えてくれないのよねぇ……。
 ちょっぴり嘆息していると、今度はアスロックが剣を構えながら、木々が特に深く視界を遮っている場所に向いた。

「おっ、次のがきたな。気配は三つ。エビルオークが二匹と、あとのは――」

 そこまで口にした瞬間。

「――たっ、助けてくだされっ!」

「うおっ!?」

 切羽詰まった声と同時に、そこから一人の老人が姿を現した。
 足腰は達者なようだが、服越しにうかがえる腕はちょっと力を込めて握っただけで折れてしまいそうなほどにやせ細っており、顔にもたくさんの皺が刻まれている。
 もちろん、そんな風に余裕を持って老人を観察していられたのはあたしだけで、三人――特にアスロックは、彼を追ってきたと思われる二匹のエビルオークを前にして、すぐに臨戦態勢に移行しようとしていた。

 老人が飛び出してきたことで崩れていた構えをすぐに直すアスロック。
 しかし――

「――くっ!?」

 剣での防御はわずかに間に合わず、二匹のエビルオークの片方が振るった拳がアスロックの右腕に命中する。

「アスロックさま! ここは私にお任せになって回復を!」

「一旦退がれ!」

 アスロックの前に飛び出すドローアとカーリアン。
 ドローアは呪文の詠唱を開始しながら、エビルオークの懐に飛び込み、どこからともなく取りだしたエアナイフをその腹へと突き刺した。
 そして、その刹那!

「雷破衝撃(アーク・ブラスト)っ!」

 ドローアが呪力を解放。
 突き刺したエアナイフを介し、エビルオークに雷の魔術を叩き込む!

 その一撃で勝負は決した。
 モンスターは人間同様に肉体に依存する生き物。その体内に雷を受けて、ただで済むはずもない。
 更につけ加えれば、ドローアは風のスートを持っており、<雷破衝撃(アーク・ブラスト)>も風の精霊魔術。当然、威力は本来のそれを上回る。

 この戦術はエアナイフを用いて戦う者の割と初歩的なものであると同時に、ドローアにとっては数少ない近接戦闘用の戦法でもあった。
 応用はあまり利かないそうだが、並のモンスターならこれ一撃で倒せるだけの威力があるという。
 現にその攻撃を食らったエビルオークは、一度だけ、びくん、と跳ねてから地面に突っ伏し、あっけなく動かなくなった。
 そして、そこから少し離れたところでは、

「滅光(めつこう)!」

 カーリアンが素早い突きを三連続で繰りだし、もう一匹のエビルオークを苦もなく屠(ほふ)っていた。
 その姿を見て、アスロックが呟く。

「大した剣技だな……」

「うん? あれってそんなにすごいの?」

「ああ。素人目にはただ三回突いただけに見えるかもしれないけどな、あの滅光って技は、敵の額、喉、胸をほぼ一瞬のうちに正確に突いてるんだ。三度の突き、そのどれもが致命傷。あそこまで鮮やかに使いこなしてる人は久しぶりに見た」

「へえ〜、そうなんだ〜」

 自分に近しい臣下のことを賞賛されて嬉しくないはずがない。あたしは隠しきれない笑みを浮かべながら彼に返した。

「でもあなたの剣技だって、負けず劣らずすごいんじゃない?」

「……いや。制限時間を設けた上で倒したモンスターの数を競うって形式でならともかく、カーリアンさんとまともに剣を合わせるなら、負けるのはおそらく、おれのほうだな。攻撃をかわされて、体勢が崩れたところをバッサリ。きっとそうなる」

「……そういうことにはちゃんと頭が回るんだ。なんだか意外」

「失礼な奴だな。でもまあ、意外なのかもしれないな……。そういうことはさ、直感的にでも理解できるようにならないと、健康な男子は生き残れないんだよ、あの国では」

「直感的にって……。まあ、そうなのかもしれないけど。――ところでいい加減、怪我を治したら? 回復術(ヒーリング)なり復活術(リスト・レーション)なりで」

「ああ、そのことなんだけどな。おれ、回復系の術はひとつも使えないんだ」

 ……おいおい。
 あたしは呆れて、目元を掌で覆いながら空を仰いでしまう。

「よく無事にここまで旅してこれたもんね〜。致命傷を負ってたらそのままあの世行きじゃない」

「怪我さえしなければ回復呪文なんて要らない、学ぶだけ時間の無駄。昔、おれの親友がそう言ってたんだ。で、言われてみれば確かにその通りだな、と」

 なんていうことを言う親友だ、まったく。

「駄目よ、そんなんじゃ。今回のことが終わったら、また一人旅に戻るんでしょ? ちゃんと回復呪文くらいは使えるようにならないと」

「そうですよ、アスロックさん」

 横から声。
 振り向くとドローアが隣にいた。

「復活術(リスト・レーション)や神の祝福(ラズラ・ヒール)はともかく、回復術(ヒーリング)ならちょっと修行するだけで使えるようになりますから、ちゃんと使えるようになっておきましょう? 王宮に戻ったら私が教えて差し上げますから。――まずは、詠唱文の暗記からですね」

 言ってアスロックの右腕に手をかざし、呪文を唱え始めるドローア。これは……<回復術(ヒーリング)>か。
 どうやら怪我を治すついでに、アスロックに<回復術(ヒーリング)>の詠唱も聞かせておくつもりらしい。

「そうだな。教えてもらえると助かる」

 もっとも、アスロックは詠唱をちっとも聞いていないようだけど……。

「――回復術(ヒーリング)」

 呪文名を口に出すドローア。
 刹那、淡い光が彼女の掌とアスロックの腕を包み込んだ。
 傷が――癒えていく。

 数秒経って、ドローアがかざしていた手をどける。アスロックも完治を確かめるように、ぶんぶんと右腕を振った。
 そして、アスロックがわずかに目を細める。

「――さて。ところで、あんたは何者だ?」

 細められた目が捉えていたのは、突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)である老人だった。

「アスロックさん?」

「ちょっと、一体どうしたの?」

「アスロック殿?」

 困惑するあたしたち三人。いや、老人も含んで、四人。

「なんじゃ? 若いの。……ああ、巻き込んでしまったことはすまんかったと思っておるが――」

 その言葉にアスロックが被せるように言う。
 その口調はまるで――

「そうだな。何度も巻き込んでくれたみたいだな。――モンスターをけしかけて」

 ――研ぎ澄まされた、刃のよう。

「な、なんのことかの……?」

 たじろぐ老人。
 アスロックは彼に剣先を向けて、

「お前の持つその気配。おれが一人で旅してたときに戦った、とある魔族の気配と同じ類のものだ。そして――」

 厳しい声音で、断じる。

「昨日、ここを抜けるときに感じた気配と、まったく同じものでもある」

「…………」

「聞こえてきた舌打ちも、お前のものだな? 違うとは言わせない。こういう面でのおれの直感は確かなんだ」

 一体、なにが彼にそこまで自信を持たせているのだろう。
 だって、目の前の老人は間違いなく人間で。
 人間の姿、そのもので。
 でも、アスロックが発しているのは、明確な敵意――いや、殺気で……。

 しばしの沈黙が流れた。
 そして、それを破ったのは、老人のほう。

「――どうして、気づいた?」

 声が、変わっていた。
 老人特有のしわがれたものから、張りのある青年のものへと。
 それで三人、同時に気づく。
 目の前の老人は見た目どおりの存在ではないのだ、と。

 老人の問いかけに対するアスロックの返答は、簡潔なものだった。

「気配が魔族のものだったから、だ」

「人間とまったく同じ気配をまとっていたつもりだったんだがな……」

「それでも違うんだよ、決定的に。おれにはわかるんだ」

「厄介な人間だ。我らの策略の邪魔になる」

 老人の周辺の空間が、わずかに揺らぐ。
 そして次の瞬間、老人の姿は黒い人型の影に変わっていた。

「なっ……!?」

 思わず驚愕の声を上げてしまうあたし。

「我――ベガラスが受けた命令は、スペリオル聖王国第二王女とそれを守る者の抹殺。――ゆくぞ」

 魔族の右手に現れる、握り拳ほどの大きさの黒い球。それがアスロックに向かって放たれた。

「当たるか! そんな単調な攻撃!」

 身をひねってかわし、アスロックがベガラスに肉薄する!
 彼の背後で巻き起こる、黒い爆発。黒魔術と同じ効果なのか、樹に火が燃え移ったりはしてないようだけれど。
 ――いや、それよりも。

「アスロック、待ちなさい!」

 あたしの持ってる知識によれば、魔族とは己の精神を魔力によって物質界に具現させている存在。
 ゆえに――

「はっ!」

 アスロックの振るったエアブレードが、ベガラスの身体をすり抜ける。
 そう、効かないのだ、物理的な攻撃は。もちろん、アスロックが得意とする火術も。
 魔族はわざとらしく両の赤い目を歪ませ、

「くくっ、痛いものだな、魔道銀(ミスリル)に精神力を込めて放たれた一撃というものは……」

 その赤い目が、輝きを放つ。

「そう、人間が言うところの、蚊に刺されたくらいには、な!」

 ベガラスの周囲に、いくつもの黒球が生まれる。それは直線的な軌道を描いてあたしたちに迫ってくるため、落ち着いていれば避けられるレベルのものではあったが、一回でも当たれば致命傷となることは容易に想像がついた。最悪の場合、即死だってありえるだろう。
 これでは呪文の詠唱になんて気を回していられない。防戦一方にならざるをえなかった。
 精神生命体である魔族を倒せるとすれば、それは精神魔術や超魔術くらいしか存在しないというのに。

 と、そのときだった。
 バックステップして距離をとったアスロックの代わりに、魔族に近づく影がひとつ。

「調子に乗るなよ、魔族が。――食らえ! 斬影滅霊閃(ざんえいめつりょうせん)っ!」

 カーリアンだった。
 アンデッドモンスターのような、本来触れることのできない存在にも傷をつけることを可能とする神速の剣閃!
 それを受け、ベガラスが苦鳴の声をあげる。

「がっ……はぁ……ぁ……、やるな、女! だが――」

「精神崩壊(ラズラ・ブラスト)!」

 ドローアが最高の威力を持つ神界術を放った!
 魔族は足元から蒼白い柱に包み込まれ。

「――があああぁぁぁぁぁぁっ!?」

 のけぞるベガラス。
 どうやら、これは相当効いたようだ。
 しかし、まだ油断は禁物。
 ドローア同様、ベガラスがカーリアンの攻撃を受けている間に唱えていた術を、あたしもまた放つ!

「意操衝霊弾(クラッシュ・ウェイブ)!」

 あたしが使える黒魔術の中でも、かなり強力なほうに入るものだ。軌道をこちらでコントロールできるから、外す心配もない。
 蒼白い柱は消滅し、魔族の無防備な姿が晒される。
 その瞬間を待っていたあたしの意思に従い、掌から放たれた黒い帯はベガラスを目指し――

「くぅっ!」

 魔族が黒球を生みだし、黒い帯に向けて投げる!
 黒球は帯にぶつかると爆発を起こし、共に消滅していった。
 <精神崩壊(ラズラ・ブラスト)>を食らった直後だというのに、こいつ、まったくといっていいほど動きが鈍っていない。さては『聖本』に載っていた四体の『高位魔族』ほどではないにせよ、相当な力を持った魔族とみた。
 なんだってこんなのに襲われるハメに陥っているんだろうか、あたしは。

「が、ぁ……、わ、我とて中級魔族。この程度で滅びることなど、まずないわ……」

 かなり苦しそうではあるけどね。
 いや、それよりも、こいつはいまなんて言った?
 『中級魔族』!? こんなに強くてタフなのに、『中級』魔族!?

「嘘、でしょ……」

 思わず口からそう漏らしてしまうあたし。
 それに、木々を揺らす音と共に、答える声があった。

「本当ですとも。もっとも、中級魔族とはいっても奴はタフなだけ。耐えられなくなるほどの攻撃を加えれば、それで滅ぼせます」

 目を向けると、そこには目に痛いほどの赤い鎧があった。
 着込んでいるのは、四十代前半の銀髪の男性。
 その者の名は、聖将軍――

「シャズール! なんでここに!?」

「その質問に答えるのでしたら、セレナさまが見つかりましたので、遅ればせながら報告に向かおうとしていた、というのが一点」

「一点?」

「はい。もう一点は、長年追っていた魔族が私の前に姿を現し、それを追ってきた、というもの」

「あのベガラスって魔族を? まさか、あなた一人で倒すつもりでいるの? あなただって人間なんだから、それは――」

「可能です。そもそもミーティアさまたちも、相当、善戦していたようではないですか」

「そりゃ、一対多数で戦ってたからね。でも――」

「では、そろそろ参るとします。ミーティアさまは退がっていてくださいますよう」

 そう残して、シャズールが駆けた。腰のエアブレードを抜き放ちながら。

「――ベガラスよ、覚悟」

「ひっ!? な、なぜ……!」

 なぜここに、とでも言いたかったのだろうか。でも、それすらも声に出せないようだ。
 完全に怯えた様子のベガラス。……こりゃ、勝敗はみえたかな。シャズールに助けてもらったっていうのが、少しばかり癪(しゃく)ではあるけれど。

「おっと、助太刀するぜ」

 アスロックがシャズールに声をかけた。……というか、一体いままでなにをしてたんだ、あんたは。今回、ものすごく役立たずだったぞ。

「――無用」

 一言で斬って捨てるシャズール。しかし、アスロックはなおも食い下がる。

「まあ、そう言うなって。おれのほうもようやく準備が終わったんだ。この準備ってのにはけっこう精神力を使うし、役立たずだって思われるのも嫌だしで、正直、このまま終了ってのはおれとしても面白くない」

「知らんな、貴殿(きでん)の都合など」

「まあまあ。ちょっと珍しいもの、見せてやるからさ」

 アスロックが呪文の詠唱を開始する。
 詠唱内容から察するに、あれは……って、<火炎の矢(フレイム・アロー)>!?

「ふむ?」

 眉をひそめるシャズール。
 ちょっと! そんな軽いリアクションでいいの!?

「ばかっ! なにやろうとしてんのよ、アスロック! なに? 気でも狂っちゃったの!?」

 昨日、リザードマンが炎のブレスを吐きだそうとした瞬間に感じた絶望感のことを持ちださずとも、彼がどんな危険なことをやろうとしているのかは理解できるだろう。
 あのときはアスロックも危機感を覚えていたはずなのに……!

 詠唱を終え、アスロックが呪力を解放する! してしまう!

「火炎の矢(フレイム・アロー)っ!」

 現れる、十数本の光り輝く炎の矢。
 その本数はやはり、普通の<火炎の矢(フレイム・アロー)>よりもずっと多い。
 そしてそれが、ベガラスのほうに撃ちだされた。
 かわされてしまえば炎は木々に燃え移り、命中したとしてもダメージなんて与えられないというのに。

「――がっ!?」

「む、これは……!」

 反射的に目を閉じてしまったあたしの耳に、魔族の苦鳴と、シャズールの感嘆と警戒が入り混じったような声が届いてきた。

「そんなことが……?」

 続いて聞こえてきたのは、カーリアンの呟き。

「――これは……本当に?」

 さらに、ドローアの、どこか嬉しそうな声。

 ややあって、あたしは恐る恐る目を開ける。
 そうして飛び込んできた光景は。

「樹が、燃えてない……? それどころか、魔族に……」

 あたしの漏らした呟きが、風の中に溶け消えていく。
 それに返してくるのはアスロック。

「おうっ! おれ、思いっきり精神を集中してから火の精霊魔術を使うと、ものを燃やさない炎を出せるんだ! どうだ? すごいだろ? まあ、なんでできるのかは、俺自身にもわからないんだけどな」

 はっはっは、と愉快そうに笑うアスロックに、あたしは素早く走り寄り――

「――ていっ!」

「ぶっ!?」

 思いっきり、蹴りをかましてやった。
 ま、まったく! 驚かしてくれちゃって!

「おー、痛ててて……。でもまあ、これでわかっただろ? 精神を最高に集中させれば、おれの火術は樹が密集している場所でも使えるんだ。そしてなんと! この炎は魔族にも効果がある! 以前、これのおかげで魔族に勝ったことがあるからな!」

「た、確かにすごいとは思うけどね……!」

「だろ! ――と、いうわけだシャズールさんよ。相手は魔族なんだし、ここは人間同士、共闘といこうじゃないか。絶対に足手まといにはならないからさ」

「ふむ……。まあ、いいだろう。だが貴殿、その魔術は――」

 シャズールがそこまで口にしたときだった。

「……っ!? わ、わかりました! 撤退します!」

 撤退? 一体なにを、そして誰に向かって言って――

「待てっ!」

 声を荒げるシャズール。しかし、それを無視するかのように魔族の姿は虚空へと溶け消えていった。

「おのれ、またしても空間を渡って逃げたか!」

 悔しげに吐き捨てて、エアブレードを鞘に収める聖将軍。
 彼を除いたあたしたちは、奇襲に備えてしばらく武器を構えていたが、

「……本当に、逃げちゃったみたいね。ねえ、シャズール。もしかして、いままでも追い詰めるたびにこうやって逃げられてたの?」

「はい。仰るとおりです。人の身ではこれ以上追うことは叶いませんからな。――それより、貴殿、アスロックと言ったか」

「うん? ああ。残念だったな、逃がしちまって。ずっと追ってたんだろ?」

「そのことはもういい。それよりも貴殿の使った術のことだ」

 おお。アスロックの 『話を脱線させる話術』から上手く逃れたな、シャズール。

「術? ものを燃やさず、魔族にもダメージを与えられる、あれのことか?」

「そう、それだ」

 そこでドローアが口を挟んだ。

「あれは聖霊魔術、ですよね? アスロックさん」

「聖霊魔術……?」

「はい。――『愛』をもって理解するとき、『精霊』は『聖霊』となり、『心理』は『真理』となる。この一節にある『聖霊』のことです。精霊王の力を借りた精霊魔術のことですよ」

「やはり、そうか」

 ドローアの言葉にうなずくシャズール。

「魔族には、脅威となる力のひとつだな。『真理体得者』のみが使えるという、聖霊魔術……」

 し、真理体得っ……!?

「ちょ、ちょっと待って! 『真理体得者』って『本質の柱』に到達した者のことでしょ!?」

 勢い込んで問うあたしに、ドローアが静かにかぶりを振った。

「いえ、そういうわけではありませんよ。それが一番、一般的な意味での『真理体得者』ではありますが、それ以外にも道はあるといいます。要は『真理』を理解できさえすればいいのですから。そう、それが知識から得られたものであれ、感覚的に得られたものであれ」

「つまり、アスロックは『真理』を感覚的に理解しているってこと?」

 胸の前で腕を組むあたしに、今度はシャズールが補足を入れてくれる。

「ええ、おそらくは。もっとも、『本質の柱』に到達していなくとも、聖霊魔術は使えるそうですが。そう、要は階層世界に精霊王がいまも存在している『実感』を得られれば」

「そんなこと、あたしは全然知らなかったけどね……」

 そういう『実感』を得ればいいということはおろか、聖霊魔術の存在さえ。
 しかし、そうか。アスロックはそんなすごい術を使えたのか。そもそも、彼の使う火術があり得ないくらい強力だというのも、そのあたりに理由があるのではなかろうか。
 ……ん? 待てよ?

「精霊王って、第一次聖魔大戦のときに魔王によって『魔王の翼』にされてなかったっけ? どうしてその力をいま借りることができるの?」

 存在しない者の力は、存在しないがゆえに借りられない。
 当たり前のことだと思うのだけれど。
 そんな疑問を抱いていると、ドローアが嘆息混じりに答えてくれた。

「ミーティアさま、たまにはご自分の興味が惹かれない箇所も読んでみることをお勧めしますよ。『聖本』にはこうありました。『階層世界に存在する『時間』とは、過去、現在、未来、すべての時間を内包して流れているものを指すのだ』と。つまり階層世界には、過去の姿である『精霊王』と、現在の姿である『魔王の翼』、そして未来の姿である『何者か』が同時に存在しているのです」

「なるほど。アスロックはその『過去』の精霊王に干渉――もとい、力を借りて、聖霊魔術を使っていると?」

「ええ。――ですよね? アスロックさん」

「うん? 悪い。おれ、さっきから全然話についていけてない」

 だと思った……。
 ドローアはちょっと寂しそうな困り顔になって、

「え? 全然、これっぽっちもわからないんですか? せっかく……」

「せっかく? ああ、せっかく話を振ってやったのにって意味なら、悪い。わからないものは本当にわからないんだ」

「ああ、いえいえ! そんなことはまったく思っていませんから!」

「じゃあ、『せっかく』なんなんだ?」

「そ、それは秘密です!」

 出た、ドローアの秘密主義。
 二人の会話を遮るように、こほんとシャズールが咳払いをする。

「どうやらアスロック殿は、無意識下で感覚的に『本質の柱』に到達した『真理体得者』のようですな」

 ドローアも「そのようですね」と同調した。

「そんな方が現れるなんて、正直、予想もしていませんでしたが」

「なんで、あたしじゃなくてアスロックなのかなぁ……」

 思わずぼやくあたし。
 どう考えても、アスロックよりはあたしのほうが『真理』に近いところにいると思うのだけど。

「別にいいじゃないか。話の中心になってるっぽいのに、内容を微塵も理解できてないおれのほうがよっぽど惨めだぞ、きっと」

 アスロックがよくわからないフォローを入れてきた。

「いや、別にあたしは自分のことを惨めだなんて思ってないけどね。それに――」

 さっきから悔しげだったり寂しげだったりと複雑な表情を浮かべている女将軍をちらりと見る。

「一番惨めなのは、シャズール登場のせいで空気のように扱われて、いまも全然会話に加われずにいるカーリアンだと思う」

「……確かに。割と活躍してたのに、美味しいところを一気に持っていかれた感じだもんな」

 シャズールと、それ以上に、聖霊魔術なんてものを使った、他でもないあなたに、ね。

「まあ、それはどうでもいいとして」

「酷いな、お前。おれ、ちょっとカーリアンさん慰めてこようかな、同じく話の内容がわからない者として」

「い・い・と・し・て」

「……なんだよ?」

「王宮に戻ったら色々と訊きたいから、覚悟しておくようにね。場合によっては、軟禁状態にするから。勝手に旅立てないようにさせてもらうから」

「おぉいっ!?」

「あははっ! まあ、軟禁は冗談だけどね。でも、『本質の柱』とかのことで訊きたいことが山ほどあるのは本当。あなたにわかる限りのことは教えてよね」

「いいけどよ、おれにわかることなんて、きっとなにもないぞ……」

「それならそれで、まだ諦めもつくからいいわよ。とにかく、なにも言わずに旅に出るようなことだけはしないでね」

「しないって。なんの断りもなく去るような男に見えるのか? おれは……。それに、おれにも王宮にしばらく滞在したい理由があったりするしな」

 王宮に滞在したい理由……?

「なに、それ?」

「理由はいくつかあるんだが、まずはカーリアンさんに剣を習いたい」

「ガルス帝国出身の戦士である、あなたが? なんで今更?」

「言っただろ。カーリアンさんとまともに剣を合わせるなら、負けるのはおそらく、おれのほうだって。それに、回復術(ヒーリング)も教えてもらいたいしな」

「ああ、そっちもなんだ。欲張りねぇ。まあ、呪文のほうはドローアに教えてもらいなさい。彼女、魔道教習センターの教免も持ってるから、魔術を教えるの上手だし」

「そうなのか。なら、あの魔族との再戦にも間に合いそうだな」

「あ、そういえばそのこともあったわね。あなたの聖霊魔術のインパクトが強すぎて、すっかり忘れちゃってたわ。……もしかして、王宮に滞在したい一番の理由って、それだったり?」

「ああ。昨日、お前の護衛を依頼されたのに、そのお前があの魔族に狙われ続けてるなんて状態のままじゃ、安心して旅を続けていられないだろ? シャズールさんだってずっとお前の近くにいてくれるわけじゃないんだし」

 本当、どうしてサラッとそういうことを言えるのかなぁ、こいつは。
 一定の護衛期間を過ぎてしまえば、はいさようならってのが普通の対応だと思うんだけど。
 おまけに、カーリアンに剣を習いたいっていうのも、あの魔族との再戦のためって考えたほうがしっくりくるし。
 まあ、それはともかく。

「……もう襲ってこないっていうのが一番なんだけど、それは楽観的に過ぎるかな、やっぱり。うん、あたしも再戦に向けて『古代魔術』の修得に全力を尽くそうっと。――さて、それじゃあ!」

 あたしは大きく伸びをして、あと少しだけ一緒に旅をする四人の仲間の顔を見回した。
 そして、笑顔で告げる。

「そんなわけで、急いで帰りましょうか! スペリオル・シティの王宮に!」

 ベガラスとの再戦はきっと、それほど遠い日のことではないだろうから――。




 スペリオル・シティにある王城。
 その玉座に、一人の男が座っていた。
 言うまでもなく、スペリオル聖王国の現王、デュラハンである。

「……まったく、最近は勝手な動きが目立っていかんな」

 彼は自分以外誰もいない空間で、ひとり、ごちる。

「なにも、あんなところまで出向かずともよいだろうに」

 自分以外誰もいないはずの空間で、ひとり、ごちる。

「大人しくしておればよいのだ。ときは、あと少しで満ちるのだから。――我が悲願が、ようやく叶うのだから」

 呟きは、止まらない。

「そう、あと少しだ。『計画』は、既に最終段階に入った」

 床に落ちた彼の影が、不意にぐにゃりと歪む。

「そして、今日ですべての用意が整った」

 歪んだ影の形は、とても。

「あとは、ときが満ちる日に、決行に移すだけ」

 とても、とても凶々(まがまが)しくて。

「阻むものは、誰であっても斬り倒す。――そう。誰であっても、だ」

 それは、魔族の持つそれと、よく似ていた――。



――――作者のコメント(自己弁護?)

 どうも。推敲時、空気のように存在する誤字・脱字に泣かされました、ルーラーです。
 本当、なんで気づけないんでしょうね、誤字・脱字、及び変換間違いって。キーボードを余計に叩いて『きっと』が『きtっと』とかになっていることもたまにありますし。
 見直しを終えたいまでも、実はまだ気づけずに放置しているものがあるのでは、と思わずにはいられません。

 さて、ここに『スペリオル〜希望の目覚め〜』の第五話をお届けしましたが、いかがでしたでしょうか? 楽しんでいただけましたでしょうか?
 物語は少しずつ、少しずつ進んでおります。目に見える大きな動きはまだありませんが、いまはまだジェットコースターでいうところの『上がるところ』なので、詰まらなくても付き合っていただけると助かります。

 この物語の構成方法が『マテリアルゴースト〜いつまでもあなたのそばに〜』(略して『マテそば』)の頃から自作のことを『ジェットコースターストーリー』と称している所以(ゆえん)なのですよね。『落ちるところ』にさしかかれば、ガーッと落ちます。
 はい、『伏線大回収』と呼んでいる箇所のことですね。いまは、そこまで辿り着くために、チマチマと伏線を張ったり、ちょっとだけ回収したりを繰り返しているわけです。

 それはさておき、この話でミーティアの旅はひとまず終了。次回からはまた王宮メインの話に戻ります。
 ここまで物語の表舞台ではハブられてきたセレナが今後の展開において重要な役割を負うような、負わないような、そんな感じになっていきます。少なくとも、鍵になるのだけは確か。
 どんな風に鍵になるのかは、あなた自身の目で確かめていただければ、と思います。……なんて、ちょっとドラゴンクエストの攻略本みたいなことを言ってみちゃいました(笑)。

 さて、ではそろそろサブタイトルの話にいきたいと思います。
 といっても、今回のは完全にオリジナル。意味もストレートに『火の聖霊魔術』のことを指しています。
 前回のコメントでも書いたとおり、そろそろ話に合うサブタイトルを見つけてくるのが難しくなってきているのですよ。まあ、それでもしっくりくるものがあれば、拝借させてもらいたいとは思っていますが。
 以前、サブタイトルを募集させていただいたときも、シリアスなものが多くて、使えるのは主に後半部分で、ということになってしまっていますしね(苦笑)。

 物語は大体、折り返し地点まできました。
 よって、『落ちるところ』まであと少し。『伏線大回収』のくだりは僕としても書くと爽快な気分になれるので、早く書きたいと思っています。
 ともあれ、いまは『誰が敵で、誰が味方なのか』という観点から物語を読んでもらえれば、そこそこ楽しめるんじゃないかな、なんて思ってみたり。
 他にも、アスロックは本当に真理体得者なのか、とか。

 それでは、また次の小説でお会いできることを祈りつつ。



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