密会



「つまり君の頼みは、本当にあの大家さんのためなのか、ということだよ」
「当たり前じゃないですか。病気なんだから、治せるなら治したほうがいいじゃないですか」

 白鳥は治したほうがいいに決まってる、と本気で思っていた。
 が、ジャックは白鳥に、厳しい一言を浴びせた。

「本当にかい? 私には、早紀という人格になって欲しくないから、に見えたが」
「……………」

 白鳥は言葉を失った。
 そうかもしれない、と思ったのだ。

「まあ、どっちでも私は構わないがね。お金さえ払ってもらえれば」

 そう言うとジャックは、畳に寝転がった。

(本当に大家さんのためなのか、それとも……)

 白鳥はまた、悩んでいた。

「多重人格を治す、ということは早紀という娘にも魚子という娘にも会えなくなる、ということだからね。そこのところをよく話し合ってみることだ」

 ジャックはさらに厳しい言葉を投げつけ眠りについた。

(早紀さんも魚子ちゃんも、厄介な人格だけど……でも……)

 結局、ジャックの、質問の答えを白鳥は出すことができず、眠りについた。


 朝、奥の、窓から一筋の光が差し込んでいる。

「ん……」

 白鳥は起き上がり、時計を見た。
 もう九時過ぎ。
 でも大家である梢以外、おそらくまだ誰も起きてはいないだろう。

(とりあえず、桃乃さんたちとも話してみないと)

 白鳥はそれからでも遅くはないと思っていた。
 あせるまい。
 急いだり、何かの拍子で治してもらって、あとから悔やむのは嫌だから。

「ジャックさん、起きてくださーい、ジャックさーん」

 白鳥はまずジャックを起こしにかかった。

(そういえば、ジャックさんのこと、大家さんにはなんて説明しよう)

 梢に戻ったときに、状況が変わっていたことは数あれど、新しく人が増えていることは、少なくとも白鳥が鳴滝荘に来てからは、初めてのことだ。

「そうだ、桃乃さんに上手く言ってもらおう」

 恵は、なぜ記憶の補填(ほてん)のことを、知っているかは、わからないが、毎回ピンチのときには助け舟を出してくれるのだ。

「なにを上手く言うのかね?」

 ジャックはようやく起きて、ボケとしか取れない一言を発した。
 そして当然、白鳥が突っ込むことになる。

「あなたのことをですよ!」


 白鳥とジャックは3号室のドアをノックした。

「ずいぶんと早いわねー、だあれー?」

 ドアの向こうからはあくび混じりの声が聞こえた。

「あの、白鳥ですけど、ちょっとお願いがあって」

 白鳥はなんとなく申し訳なさそうに言う。
 恵はドアを開けると開口一番、こう言った。

「なに? お願いって? 白鳥クンが? 珍しいこともあるモンだわねー。で、なに?」

 晩のお酒が抜けきっていないのか、まだほんのりと顔が赤い。

「はい、実は、」

 語ること五分、言い直すこと三回。

「なるほど。大家さんならもう起きてるだろーし、早速言いに行こっか」
「行ってくれますか。よかった」

 白鳥、ジャック、恵の三人は、おそらく梢のいそうな、『お楽しみ畑』へと向かった。

「大家さーん、おはよー」

 もう九時を過ぎているから、決して早くはないが、白鳥はそこを指摘しなかった。

「あ、桃乃さん、白鳥さん。おはようございます」

 しかし梢は不思議そうにジャックを見ている。

「あの、この方は?」

 すると恵が問いに答えた。

「白鳥クンの友達だわよ。昨日、家に連れて来たじゃない。えっと、確か名前は――」

 すかさずジャックが答える。

「平成のブラックジャックだ。ジャックと呼んでくれ」
「ジャックさん……あっ、そういえばそうでしたね。ゆっくりしていってくださいね」

 それにしても、にこやかな表情は昨日の赤坂早紀のそれとは、まるで別人だ。
 同じ顔とは思えない。

「なるほど、これが記憶の補填か」

 ジャックは白鳥にボソッと話しかけた。

「ええ、まあ」

 白鳥もコソッと返した。
 記憶の補填とは、例えば昨日の早紀のことを梢は覚えていない代わりに、ニセモノの記憶で、早紀になっていた時間を、埋めてしまう、自己防衛の手段といえる。
 だから、梢は自分が多重人格だということに気づかないでいるのだ。

「あれ、白鳥さん、お姉ちゃん、こんにちわー」

 6号室の前で、まだ眠ったままの母親を引っ張りながら、一人の女の子が歩いてくる。

「朝美(あさみ)ちゃん、こんにちわ」

 と、梢が言うと、

「……? この人は?」

 朝美もジャックのことを知らないのだ。
 すると、1号室のほうから声が聞こえた。
 珠実だ。

「あら〜、白鳥さんのお友達の人、ジャックさんって言うんですか〜。思いっきり、西洋にかぶれてますね〜」

 どうやら梢とジャックの会話をどこかで聞いていたようだ。

「へえー、ジャックさんっていうんだ。よろしくね、ジャックさん」

 するとジャックの後ろからなにやら声が聞こえた。

「ほう、ジャックか。オレはジョニー、流星ジョニーだ。よろしくな」

 するとようやく黒埼沙夜子(くろさき さよこ)も目を覚ました。

「そうだ、桃乃さん。十二時に大家さん以外を炊事場に集めておいてくれますか?」

 白鳥は恵にだけ聞こえるように呟いた。

「え? いいけど、なんで?」

 なぜ大家である梢を外す必要があるのか? 恵は理解できなかった。

「理由はあとで話しますから」

 そう言って白鳥はジャックを連れて、部屋に戻った。

「白鳥さんとなにを話してたんですか?」

 梢は、白鳥と恵の会話の内容を聞き取れなかったようで、恵に訊いてきた。

「えっと、そうそう、今夜は宴会でもやろうって話してたのよ」

 宴会はほぼ毎日やっているので、このごまかし方はよく使っていた。

「え、そうなんですか? でも白鳥さんに、ご迷惑なんじゃ……」

 いま、この場に白鳥が居たら、「宴会なんて絶対にやめてくださいー」なんて恵に、訴えていただろう。

「大丈夫、だいじょーぶ。大家さん、それよりさ」

 恵は梢に詰め寄った。

「は、はい。なんでしょうか」

 梢はおずおずと口を開いた。
 そんな梢に恵は明るく言った。

「あのさ、十二時に宴会用の食べ物を買ってきてくれる? あと、炊事場でジャックさんが、変な実験をやるそうだから、立ち入り禁止ね。時間が余ったら、お楽しみ畑に水でもやってて」

 しかし梢はここの大家として、実験とはなんなのかを知っておかなければならない。

「あの、桃乃さ……」

 しかし恵は畳み掛けるように言った。

「いーい、絶対だからね、絶対!」

 そして気がつけばそこには梢以外、誰も居なかった。

(変な実験って、一体なにをやるのかな?)

 ちょっと、いや、かなり不安だったが、恵にああ言われたので、とりあえず約束(?)を守ることにした。


 そして十二時。

「梢ちゃん、出発しましたよ〜」

 珠実が白鳥にコソッと告げた。

「そっか……」

 白鳥は、これでよし、というように呟いた。
 いま、炊事場には、鳴滝荘の住人の、白鳥隆士・桃乃恵・茶ノ畑珠実・黒崎沙夜子、そしてその娘の朝美・灰原由紀夫(はいばら ゆきお)と腹話術で動かしていると思われる流星ジョニー。
 そして多重人格を治す望みを持つ、平成のブラックジャックこと、神ノ手持三が一同に会している。
 恵がまず、白鳥に問いをぶつけてみた。

「にしても、他の誰かならともかく、なんで外すのが大家さんなの?」
「それはジャックさんに関係あるんです」

 白鳥はジャックを指差し、昨日、遅くなった理由など、一部始終を話した。

「へえ〜、そんなヘンテコな人がですか〜? 信じられませんよ〜」

 と、珠実が言うと、

「それに多重人格とは言っても、慣れれば面白いし、別に治さなくってもいーよねー、朝美ちゃん」

 と笑いながら恵が言う。

「え? えっと確かに、ちょっとびっくりはするけど。ねえ、お母さん」

 しかし沙夜子はなにも、しゃべらない。
 珠実に言わせると沙夜子は、無口で無愛想で無気力で不器用で無計画。
 一言で言えば典型的な『ダメ人間』らしい。

「な、なんでみんな、なにも言わないの?」

 なんとなく、そんな雰囲気だからだということは白鳥もわかっていた。
 でも梢が帰って来るまでに、できれば結論を出したいのだ。

「……早紀さんは……怖い……」

 ボソッと沙夜子が言った。

「そうは言ってもねー」

 恵は早紀のことも考えていた。
 白鳥が困っているときに、助け舟を出すように、恵はふざけているようで、ちゃんと状況を把握して、最良の方法を考えているのだ。

「まあ、いますぐにどうするかを決めなきゃいけないワケじゃないんでしょ? 白鳥クン」
「え、ええまあ」

 白鳥はまた少し焦っている、自分に気づいた。

「そうですね、あまり急ぐのはやめて、のんびりと考えましょう」

 白鳥がそう言うと、さっきから、黙っていたジャックが口を開いた。

「いいのかね? そんな悠長に構えてて」
「はあ?」

 ほぼ全員が、ジャックの言ったことがわからない、という感じで、上手く言葉が見つからず、思わず間の抜けた声を発していた。
 沙夜子はもう、我関せず、という感じだ。

「よく、意味がわからないんだが?」

 そう言ったのは由紀夫の持つ、ジョニーだ。
 もっとも、ジョニーいわく、由紀夫はただのオマケとのことだが。

「こんなときぐらい、腹話術はやめてくださいよ」

 白鳥は、いつもツッコミ役になってしまう。

「なにを言う。本体はオレだと何回言えばわかるんだ」

 誰が見ても腹話術にしか見えないが、ジョニーは、とことん言い張る。

「ですからバレバレなんですよ、灰原さん。いい加減自分の口で、しゃべってください」

 白鳥も、とことん突っ込む。

「わからないヤツだな、だから、オレが」
「はいはい、そこまで」

 放っておくと、いつまでもやっていそうなので、恵は二人を止めた。

「んで、悠長に構えてていいのか、ってどういう意味?」
「そっ、そうだった。どういう意味です? ジャックさん」

 しっかりと覚えていた恵と、ジョニー+由紀夫との、悶着で、忘れかけていた、白鳥が訊いた。

「うむ、実は……、私は明日の飛行機で外国へ行かなければならないのだ……」
「ええーっ」

 と、いうことは今日中に決めなければ、もう治すチャンスはないかもしれない。
 しかし……、

「ふーん」
「そ〜なんですか〜」

 恵と珠実の反応はすごく薄い。
 二人はもともと、早紀と魚子のことも理解していたし、恵は初めから乗り気ではなかった。

「う〜ん、どうしよう。早紀さんは怖いし、あーでも……」

 白鳥は無茶苦茶悩んだ。
 じっくり、ゆっくり考えようと思っていたことが、いきなり決断を迫られているのだから無理もない。

「別にいまのままでいーんじゃない? 実害も、特にないし」

 と恵が言うと。

「僕はしょっちゅう、殴られて実害ありまくりですよっ!!」

 白鳥のあまりの迫力に、炊事場は、しーんとなってしまった。

「あ〜」

 珠実がのんびりした口調で驚いた。

「どうしたの? 珠ちゃん」

 恵は珠実の見ている方向を見て、あっ、となった。

「あちゃっ、大家さんが帰ってきちゃった。どうする? 白鳥クン」

 もちろん恵は、梢がそのまま『お楽しみ畑』に向かうことを知っていた。
 しかし、恵はそのことを言う気になれなかった。
 それは早紀や魚子のことを考えているから。
 ちなみに『お楽しみ畑』とは、野菜や果物の種を捨てずにとっておき、畑に埋めるというものだ。
 すでにひとつ、芽が出ているものがあるが、なんの種から出たものか、わからない。
 だから『お楽しみ畑』なのだそうだ。

「どこを見ても、誰もいなかったら、ここにも間違いなく、来るだわね」

 とりあえず現状維持、という言葉を恵は待った。
 しかし白鳥の焦りは最高潮に達した。

「でもでもっ、やっぱり、殴られるのは嫌だしー」
「まあまあ、殴るのは案外、愛情表現なのかもよ?」

 しかし、恵のこの言葉はまずかった。

「そんなので、しょっちゅう殴られるなんて、たまったもんじゃないですよ!!」

 そしてジャックに向き直ると。

「やっぱり病気は病気だし、治すべきですよ。そのほうが大家さんにとってもいいはずです! お願いします、ジャックさん!!」
「あ、ああ」

 正直、ジャックでさえも、白鳥の迫力には押されてしまった。

「皆さんもいいですね!!」

 住人たちのほうに向かい、言った。

「うーん、実際殴られてるのは白鳥クンだしねえ……。まあ、絶対反対、とは言わないわよ」

 恵なりに考えた結果なのだ。
 白鳥の迫力に押されたわけではない。

「それじゃ大家さんに買ってきてもらった物が役に立つわねー」
「なにを買ってきてもらったんですか?」
「えーと、買ってきてもらった物は、ビールに、おつまみに、早紀ちゃんのための梅酒に、朝美ちゃんと魚子ちゃんのために、ジュース。そんなもんだわよ」

 相変わらず、子供らしくない物ばっかりだ。

「で、何の役に立つんですか?」

 白鳥が訊くと。

「今日の晩に、早紀ちゃんか魚子ちゃんに『いままでありがとう、絶対忘れないからねパーティー』を開いてあげるのよ」

 そのパーティー名はまずいんじゃ。

「白鳥クン、2号室、貸してよね」
「まあ、そういうことならいいですよ」

 パーティーの名前を突っ込んでくれよ。

「じゃあ、八時に白鳥クンの部屋に集合してね」

 こうして真昼の密会は終了した。



――――作者のコメント(自己弁護?)

 どうも、地の文が単調すぎるだの、展開が唐突すぎるだの、はたまた、この行動はこのキャラの行動としておかしいだろう。なにを考えてたんだ、6年前の僕は、などと心の中でツッコミまくりながらこの作品を書いたルーラーが、お届けします『まほらば〜三つの心〜』の第五話。楽しんで頂けたでしょうか。
 まあ、これを楽しめ、などというのはかなり無理のある注文でしょうから、現在の僕との――『マテそば』との差を比べてやってください。
 どんなに小説を書くのが下手な人でも、この程度までなら上手くなれる、といういい見本です。まあ、もちろん書いてさえいれば、ですけどね。

 次はハイツ『リドル』2号館に投稿する『マテそば』の第十一話を書くことになりそうです。楽しみに待ってくださっている方、もうしばらくお待ちください。『現在の自分』の全力を出して書きますので。
 それでは、次の作品で会えることを祈りつつ。



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