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夜と野花の行進曲(マーチ)
著者:自由気儘


“名詠って、難しいものだと思う?”

 母は息子に聞いた。病に蝕まれ、右手だけでしか息子と繋がれない弱った身体、彼女の右手は息子の手を弱々しく握る。

“難しいと……思う”

 息子が母に答える。その問い自体は漠然としたものであるが、母から教わる名詠をまだ使いこなせない自分にはそう答えるしかない。息子もまた、母の手を握る。

“でも。この名詠は、あなたならできると思う…”

 息子の手を握る母の手の力が、少し強くなる。身体ではなく、心で。息子の心が挫けないように、母は息子を抱く。

“必要なのは技術じゃない。自分にとって大切な人の存在。その人を守りたいという気持ち”

 不思議なまでに母の言葉は、息子の耳朶――そして心の奥底まで染み渡っていく。この世の柵を越えた魔性の楽器。その音色があるとしたら、おそらくこれがそうだろう。そう思わせるだけのなにかを、母の言葉は帯びていた……。

“夜の真精にその思いを伝えなさい。なぜなら、夜の真精は孤独だったから……”

 静けさを増していく母の声は、まるで夜そのものを思わせる。もし、母が夜そのものであれば――

“独りぼっちの寂しさを知っているから。きっとあなたを孤独から守る”

 明けない夜など存在しない。夜を思わせる母の声も、夜明けを告げるように、だんだんと……空が白んでいくように小さくなっていき……そして――

“うん、守って……きっと守ってみせ……るから”

――夜明けを告げるかのように喪われてしまった……

“…………母さん?母さん。ねえ、母さんってば……”

 そして、息子は独り。母の約束とともに取り残された……


******


『――ト』

…………。

『――きろ。――ト』

…………。

『ネイト、起きろ。この時間に起こして欲しいと言ったのはお前だろう。我にこれ以上面倒をかけさせるな』

「ん……う〜ん……」

 首筋に微かな冷気を感じ、次第に意識が鮮明になっていく。眠気を体から吐き出すために、少年――ネイト・イェレミーアスは大きな伸びをして声の主に目を向ける。子猫程の大きさの黒いトカゲがそこにいた。

「おはよう、アーマ」

『起きたようだな』

 アーマと呼ばれたトカゲが挨拶の代わりに尊大な態度を返す。そんないつもの様子に内心で微笑み、今日もまたネイトの一日が始まる。
 
 ――またあの夢が出てくるなんてどうしたんだろう?もう見なくなったはずなのに……
 
 そう遠くではない、まだ記憶に新しい過去を幻視したあの夢について考える。しかし、いつものようにその答えが出ることはなかった。
この世でただ一人の息子は夜の調べを今日も詠う。――母の遺した約束を叶える、ただそれだけの為に。

******



 さほど大きくもない、普通の家々が立ち並ぶ田舎町。セミの鳴き声や虫取りに精を出す子供たちのはしゃぎ声が聞こえるじつに有り触れた光景の中に、ぽつん、と仲間はずれにされたような家があった。
 他の家と同じ三角屋根、大きさ、壁の色合いともに全て同じはずなのに、その家はどこか寂しげな雰囲気を放つ。そんな寂しい家の小さな庭先に、ネイトは一人佇んでいた。

 彼の小柄な身体は強ばって、その中性的な幼い顔は緊張している。すぅーっ、と深呼吸をして緊張をほぐし、自分の髪と同じ葡萄色の双眸を閉じる。片手に握られたストップウォッチがカチカチと時を刻み始めた。せわしないその音を意識の片隅に感じながらネイトは詠う。今は亡き母から贈られた異端の名詠式――夜色名詠を……
 名詠式――自らが思い描いたものを賛美し、そして自分のもとに招き寄せる一種の転送術。もしくは召還術と呼ばれるものである。


――cart lef dimi-l-shadi dence-c-dowa
昏黎の帳 舞い降りる


 夏の騒然とした空気とは異なる、静かで優しい音色。自らが思い描くものを賛美する《讃来歌(オラトリオ)》が小さな庭の中を漂い、そしてその空間を満たしていく。
 片手にストップウォッチを持って名詠を行うのは、ネイトにとっていつもの日課であり、名詠の訓練では割とありふれたものだ。この詠で呼び出せるモノをイメージできるか。ならばその名詠は成功するか。成功したならそれの所要時間は。
 所要時間(タイム)を縮められれば、それだけその《讃来歌》を歌うのに必要な想像構築(イマジネイト)と、それを為す集中力が備わっていることを示している。どんなものであろうと反復は必要だ。それは名詠式でも例外ではない。そんな名詠者として当たり前の光景であってもネイトの行うそれは異彩を放つ。
 名詠式の基本色は『Keinez(赤)』・『Ruguz(青)』・『Surisuz(黄)』・『Beorc(緑)』・ 『Aruzus(白)』の五色とされ、他の名詠色はあり得ないとされている。しかし、そんな常識を無視して存在するのがネイトの夜色名詠だ。
 彼の手に塗られた黒色系統の塗料から暗い影が生まれる。対象物と同色の物体を触媒(カタリスト)とし、同じ可視光線の波長を利用して名詠式は発動する。今まで広がっていた影がいつの間にか球状になっている。そして、小さな夜を思わせる影が弾けるその瞬間――


――――Ezel(夜の歌)――――


 吐息にも思えるネイトの詞に合わせ、対象物が彼の手の中に現れた。喚びだした「それ」の感触・形を見ないで確認。そして自分の手の中にある「それ」をネイトはじっと見る。そして――

「……できた。ちゃんとできるようになったぁ!!」

 彼は小さな歓声を上げて喜んだ。名詠の間の真剣な表情とはうって変わって年相応の無邪気な顔ではしゃいでいる。多くの時を費やし、やっと自分の扱える歌が一つ増えた。その嬉しさがどれ程のものかは容易に想像できた。

『ほう、とりあえずは褒めておこう』

 ふと尊大な声音が聞こえてきた。辺りを見回すと、庭に唯一生えた樹の上にアーマがいた。

「あれ、いつからいたの?アーマ」

『お前が名詠の鍛錬を始めた時からだ』

 ……全然気付かなかった。
 黒いトカゲは背中の翼を広げてすぅ、とネイトの肩へと飛んできた。先ほどまで喜んでいた少年に目線を合わせ、黄色い瞳で呆れたような声色で話しかけてきた。

『だが、うかれるな。“ようやく”一歩進めただけなのだからな』

「あう……」

 一言でバッサリと切り捨てらる。うなだれるネイトに『そもそも――』と夜色トカゲの指摘は続く。

『一体、いつから始めたと思っているのだ。少しは自分の身体を気遣え』

「……あうぅ」

 気が付くともう太陽がほぼ真上に来ていた。アーマに起こしてもらって、軽く朝食を食べてからかなりの時間が経っていたということだった。
 ……これも、全然気付かなかったなぁ……

『そろそろ昼食にして休め。これ以上やり続けても成果はない。それにお前に倒れられてはイブに示しがつかん』

 夜色トカゲが尻尾でつついて『早くしろ』、とせっついてくる。
 一旦物事をやりだすと、ついつい時間を忘れてやり続けてしまう悪癖がネイトにはある。それを分かっていたからこそ、目を光らせていたのだが――

「ねえ、アーマ。もう一回。もう一回だけやらせて」

『聞こえなかったのか、ネイト。我は休めと――』

「おねがい」

『…………』

 …………。

『…………』

 …………。

『…………』

 …………。

『……お前の強情さには毎度呆れかえる』

 まるで人間のようにがっくりとしてアーマが折れた。
 ……彼の母親と同じく頑固なこの少年のお目付役は存外疲れる。そうとも知らず、当人は成功したばかりの詠を早速歌い始めた。


――cart lef dimi-l-shadi dence-c-dowa
昏黎の帳 舞い降りる


 想像構築、《讃来歌》ともに問題なし。触媒もさっきと同じ絵の具。暗い影が広がり、そして球状となって弾けようとするその時――

“名詠って、難しいものだと思う?”

「――っ!!?」

『ぬう?』

 突如として起こったフラッシュバック。今朝方見た母の最期が瞼の裏に甦った。気が付くと、暗い影はもう消えている。――この名詠は失敗だ。

『もう休めということだな』

「まって、もう一度だけ……」

 アーマの言葉を無視してもう一度《讃来歌》を歌う。さっきの「まって」はアーマより、むしろ自分自身に言っているように思えた。


――――Ezel(夜の歌)――――


 これもまた失敗。

 ――じゃあ、この歌は……


――――Ezel(夜の歌)――――


 既に習得して完全に使いこなせるはずの歌までも失敗。
 
 ……なんで。なんでいきなりできなくなったの?おかしいよ、一体なんで――

『ネイト』

 肩の名詠生物の呼び声で我に返る。どことなく真剣な目がこちらを向いていた。
 
 ――アーマ、名詠の途中ではなしかけちゃ――

『一体、どうした。名詠門(チャネル)が開かないどころか、そもそも現れてすらいないぞ』

 ――え?
 
 名詠門(チャネル)とは対象物を出現させる転移門だ。夜色名詠では暗い影がそれにあたる。それが現れないということは――

「……名詠が……出来ない?」

 ネイト呆然とするしかなかった。

『疲れが貯まっているのだろう。もう休め』

 そう、そうだよね……
 
 アーマの言葉に頼るようにネイトは自分に言い聞かせた。
 
 ――大丈夫。疲れが貯まっているんだ。お昼を食べて、少し休めば、また歌える。うん、そうだ、きっとそうだよね。……もう名詠ができないなんて、ないよね……
 
 自分を励まして前向きに考える。これはよくあることだと、がんばりすぎてしまう自分だから起きたしょうがないことだと。不安にならないようにそう思う。
 しかし、そう思いながらもこの感覚が、母が亡くなった時と同じ、自分を無力に感じる喪失感を持っていることにネイトは薄々感じていた……


*****

「……僕は一体、どうしちゃったんだろう?」

 草の上に寝転がってネイトは返事のない問いを投げかける。
 自分一人しかいない野原。趣味の散歩で見つけた穴場だ。一人だけの空間で、ただひたすら蒼い空を眺めてネイトは今までのことを思いおこした。
 充分に休んでも、結局名詠門は現れなかった。次の日も、その次の日もやってみたが結果は変わらず。
アーマには『しばらく夜色名詠を詠うな』と言われ、寝ている内に触媒となるものは全て片付けられてしまった。なにもやることがなくて、朝起きると出かけ、日が暮れるまでここで空を眺める日々が続いている。名詠の練習のない生活をしていると、自分がどれだけ夜色名詠に依存してたかがよく分かる。今の自分は抜け殻のようで、辺りの野花を見ても何も感じなくなっていた。

「ホントに……何やってんだろう」

 相手のない問いをネイトは繰り返す。やはり返事は帰ってこない。空虚な独り言がまた口から漏れる。

「母さんと約束したのに……」

 今は亡き母との約束――死に際の母から夜色名詠をとある人物に見せて欲しいと頼まれた。
 名前も知らない人物。母は夜色名詠を完成させれば、きっと会えると言う。その為に夜色名詠を学ばなければならないというのに、今の自分は夜色名詠が詠えない。これでは約束が守れない……

 ……母さんとの、最初で最後の約束なのに……

 そんなもどかしさと寂しさを感じながら寝返りをうった。雲一つない青空が心になにもない自分のようで嫌だったからだ。
 
――今日はもう帰ろうかな……

 そう思って視線を上げると、見覚えのないものがネイトの視界にあった。
 いつの間にか、ネイトの隣に小さな女の子が立っていた。年齢は6〜7才ぐらい。12才の自分より年下だ。白いレース付きの涼しげなワンピースに身を包み、蜂蜜色の長い髪と、翡翠を思わせる深い瞳をしたかわいらしい少女だった。

「こんにちは」

「……こ、こんにちは」

「わたし、セレナっていうの。おにいちゃんは?」

「あ……ええと、僕はネイト」

 いきなりの質問に面くらいながら、おずおずと答える。するとその少女は嬉しそうに話しかけてきた。

「あとね、このこはベティっていうのわたしのともだちなんだよ」

 彼女は小脇に抱えたクマのぬいぐるみを誇らしげにみせてくる。普通より大きめのそれを前に出すと、小柄な少女の体がすっかり隠れてしまった。再び顔を出して彼女はにっこりと笑った。

「それとね、おにいちゃんとわたしはともだちだよ」

「え?」

「ともだちだよ」

「え、ええと……ともだち?」

「うん!!」

「そ、そうなんだ……」

「だから、おはなししよ」

 ……?


*****

 小一時間ほど経っただろうか、自分の体内時計でネイトはぼんやりと時の流れを感じていた。これほどの時間がなぜ過ぎ去ったか、その原因となる少女を横目で見る。
 あれからずっとセレナはしゃべりっぱなしだ。自分の好きな食べ物は、どこにすんでいるか、家族は何人いるか、誕生日、楽しかったこと、つまらまかったこと、自分は生れつき体が弱くて外出禁止なこと、だけど外を歩きたくて脱走したこと。おおよそ、彼女がどんな人間か分かりそうなくらいのことをしゃべっている。にもかかわらず、ネイトの思考は上の空。空っぽの心で空を眺めるだけだった。

「おにいちゃん?」

「……」

「おにいちゃん!!」

「え!?な、何?」

 ふと我に返るネイト。空は青いなぁ……、と思ってた矢先、声をかけられて思わず返事が裏返った。気恥ずかしいながらも隣を見ると、その先には案の定、頬を膨らませたセレナの顔が……やはり怒っている。

「むぅ……おにいちゃん、わたしのはなし、ぜんっぜんきいてなかったでしょ」

「う……ご、ごめんなさい」

 即座にネイトは頭を下げた。6才程度の女の子に平謝りはどうかと思うが、不愉快にさせてしまったのは事実。こういった場面では、男性に誠実さと素直さが求められる。

「まったく、せっかくおにいちゃんがげんきないからこえかけて、おはなししてたのに……」

「え?それってどういう――」

 幼い少女の思いがけない台詞にネイトは聞き返してしまった。

「それはいいから、こんどはおにいちゃんがはなしてよ」

「へ……僕が?」

 ネイトの疑問は軽く無視されたばかりか、また突拍子のない台詞が返ってくる。いまいちついていけないネイトに「あのねぇ」とセレナが嘆息混じりに返してきた。その時、自分より幼いこの少女がやけに大人びて見えた。まるで年上のお姉さんが小さな子に諭してるように。

「わたしはもうはなしたから、つぎはおにいちゃんのばんだよ」

「いや、僕は……」

「ひととひととのかかわりあいでおはなしはだいじなんだよ。おにいちゃんはそんなこともしらないの?」

「……え、えと。その――」

「はなしなさい」

「……はい」

 何故かセレナから有無を言わせない空気が放たれたように思い、ネイトは押し切られてしまう。

 ――なんでこんなことになってるんだろう……?

 内心でもう出ないと思っていた嘆息をし、目を輝かせているセレナにネイトは向き合った。

「えっと、僕はね――」


*****

 当初、特に当たり障りのないことを早々としゃべり終えるはずだったのに、一度話し出すと歯止めがきかない。いつの間にか、自分に関わる深いところまでネイトは話していた。
 母との約束を果たす――その為に母から教わった名詠を完成させなければならないこと。そして、その名詠が突然できなくなってしまったこと……

「なんで名詠ができなくなったのか分からないんだ。そうなってからもう一週間が経つけど……これじゃ、約束が守れない……」

 胸の思いを全て吐いてからネイトは嘆息した。話して欲しいとセレナは言ったけど、こんな小さな女の子に話すようなことじゃなかった、と後悔した。これは自分で解決しなければならないことだった。
 今まで大人しく話しを聞いてたセレナがおずおずと口を開いてきた。こんな話でも励まそうと懸命に言葉を探しているのだろうか。すると、彼女の言葉は全く予想だにしないものだった……

「……わたし、なんとなくわかるよ」

「……え?」

 今までの発言も十分予想外であったというのに、今回は発言自体、この一週間でトータルしても一番の驚きだった。目を丸くするネイトに、最も衝撃的な言葉が投げかけられた。

「おにいちゃん、おにいちゃんのおかあさんがしんじゃったとき、なくのがまんしてたでしょ」

「――っ!!?」

「だからだよ、めいえーしきとか、やくそくとか、そういうのじゃなくてね……おにいちゃん、こころがいつもないてるよ。だから、わたしがこえかけたんだよ」

「…………」

「あのね、なきたいときは、ちゃんとないたほうがいいんだよ。そうじゃないと、いまのおにいちゃんみたいに、かなしいきもちがこころにたまって、なにもできなくなちゃうよ」

「なきたいときになけるのもつよさだとわたしはおもうよ。いじっぱりじゃだめだよ。おにいちゃんは、そのときどうおもったの?」

 僕が…あの時何を思ったのか……


*****

 記憶の深奥に足を運ぶ。扉を開いて過去の自分を、あの時から異なる次元から覗いてみた。悲しいとき、嬉しいとき、中身が一杯のおもちゃ箱のような思い出の世界。その中でもそう昔ではない、とても大切な記憶。――見つけた、あれがきっとそうだ。

“母さん、約束を……絶対……守るから。だから……だから見ててね。母さんとの約束……守るから……”

 悲しいはずなのに、涙を必死に堪える自分がそこに居た。悲しくてしかたなくて……けれど泣いてしまったら、守ると決めた約束を守れそうにないから、自分の弱さを懸命に包み込んでいたあの頃の記憶―― 

「…………」

 頬に一筋、涙が流れる。表情は変わらないはずなのに、幾筋も、止め処なく流れ落ちる。

 ああ……

 自分の今の様子にネイトは思った。

 ……僕、ずっと悲しかったんだ。

 涙を拭ってネイトは前を見る。するとセレナが、いつの間にか辺りに生えていた野花を一輪差し出した。そしてふんわりと微笑む。

「これあげる。またつらくなったら、これをみてわたしのことおもいだして。かなしいときは、ちゃんとないて、かなしいきもちをこころからだすんだよ」

 ネイトに手渡された、一輪の花。彼女の瞳を思わせる青々とした葉と、彼女の髪と同じ色の黄色い花びらを眺め、ネイトも微笑んだ。

「ありがとう、じゃあ、僕も君にあげるものがあるから、少し目を閉じてて」

「え?う、うん」

 きょとん、としてセレナが目を閉じた。その仕草を見て、やっぱり年どおりの女の子だな、とネイトは思う。さっきまでの不思議な雰囲気はまるでない。自分のクスクス笑いが聞こえたらしく、「はやくしてよ〜」、とすねた声が上がった。
ポケットのなかをまさぐる。アーマに没収される前に入れていた黒いペンが現れた。

 ――もう、大丈夫。


――cart lef dimi-l-shadi dence-c-dowa
昏黎の帳 舞い降りる


 ネイトとセレナ。二人だけの小さな世界。そこに涼やかな歌声が流れる。


Yer be orator Lom nehhe
あなたの名前を讃えます


 母さんは死んじゃった……

――それは紛れもない事実


Lor besti blusi ende phadire-l-lovire
暗く 幽(はかな)く 可憐しい


 だけど、いつまでも悲しんでちゃ駄目だ


Yem ririsia ,zo saria Lom feo besti U Powa
約束しました 愛しく零れる冷たさよ


 約束を守るんだ……


O la Laspha, luxia memori she leya dis xeoi ole
あなたの想いは きっと夜の彼方までも届くでしょう



 少年が詠う《讃来歌(オラトリオ)》。自らが招く存在を讃え、辺りの空気を満たしていく。
 名を詠う――名詠式と呼ばれるが故の、普段とは一線を画す優しい調が奏でられた。


O sic miqvy, O dense peg keofi, Yem lihit
廻れ 舞え わたしの慈愛(こころ)


Hir sinka I peg ilmei rei
それは世界を濡らす


bekwist Hir qusi celena poe lef wevirne spile
素敵な夜の一零なのだから


Isa da boema foton dremren
さあ、生れ落ちた子よ


 片手に出現した名詠門(チャネル)は暗く、名詠ができずに悩んだあの頃とは比べ物にならない程の大きくも美しい球状となった……


ife I she cooka Loo zo via
世界があなたを望むなら


O evo Lears
彼女は貴女となれ


 そして、名詠門完全開放の瞬間――


Lor besti bloo-c-stunef=ende foludia
静かに舞い 見守り 慈(いだ)く者


――――Ezel(夜の歌)―――


 《讃来歌》が終わり、賛美したものが現れた。手の中にある「それ」を見てネイトは微笑む。そしてそれを目の前の幼い少女の、彼女の傍らの友達に「着けた」。

「もういいよ」

 ネイトの声に合わせてセレナが目を開く。何が起きたか分からずにきょとん、として、隣を見てなにが起こったのか分かったようだ。その視線の先にあるのは――

「わぁ……ベティがきれいになってる……」

 ネイトが呼び出したのは漆黒のリボン。穏やかな光沢を放ち、まるで夜空を思わせた。深い色合いに優しさを秘めたような夜色のリボンは、決して主たるぬいぐるみに逆らうことなく、静かな美しさで包み込んでいた。
 
 息を呑んでいるセレナにネイトはささやいた。

「このリボンを見る度、君も僕のこと思い出してね。辛くなったら、悲しくなったら、君も我慢しない。約束だよ」

「うん!!」

 予想通り、弾けるような笑顔が返ってきた。

*****

「ネイト。その栞どうしたの?」

 その後、その少女に会うことは二度となかった…… 

「……これのことですか?」

 しかし、ネイトは彼女のことを決して忘れはしないだろう。

「うん、普通そこら辺に生えてるような花で栞なんて作らないよ。それってなんか思い出とかあるの?ネイト君」

 小さな夜の歌い手の心に刻まれた、誰にも語られない物語。

「えっと、これはですね……」

 これは、その中の――

「やっぱり、秘密です」

 その中の、たった一つの物語……

「な、なによそれ……」

 幼い夜と野花の行進曲(マーチ)



――――管理人からのコメント

 ――高いなあ、レベル……。
 まず、読み終えたときに――いえ、読んでいる最中から思っていたのがそれでした。

 文章――具体的に言うなら名詠を行うところの間の取り方、比喩の使いどころ、セレナの外見描写と符合する野花の色など――が思っていた以上に上手くて。セリフ中の漢字とひらがなの使い分けも、声の抑揚を容易に想像できるようになっていますし。

 セレナのセリフ『なきたいときは、ちゃんとないたほうがいいんだよ。』や『なきたいときになけるのもつよさだとわたしはおもうよ。』も心にグッときました。

 まあ、ちょっと彼女の精神年齢が高すぎる気がしなくもないですけどね(笑)。

 ともあれ、自由気儘さん、素敵な作品を投稿して頂き、本当にありがとうございました。本当に、とても楽しく読ませて頂きました。



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