いつもの道で
著者:管理人


「絵本の性質は、大きく大別して2つあります」

 10月3日。水曜日。藤島 功一(ふじしま こういち)は、とある絵の専門学校で授業を受けていた。教壇に立っているのは、20代後半という実年齢を疑いたくなるほどに童顔の女性。

「ひとつは人間模様を主としたもの。もうひとつは石や星、そういった物に心を込める――擬人法のことですね。それを主としたもの。特にメルヘンチックなイラストと物語で構成されている絵本では、後者がよく使われます。そして、それを使う場合、少なからず変わった世界を見て、知らなければなりません」

 そういったものはボンヤリしていても知ることはできない。自分からアンテナを立て、知ろうと努力することが――知ることに貪欲になることが大事なのだと、女教師は語る。

「そんなわけで、今回の課題のテーマは、そんな『ちょっと変わった風景』です。――とは言っても、そういったものをすぐに見つけるのは難しいでしょうから、毎回、2週間で課題を提出してもらっているところ、今回は期限を――そうですね、3日ほど延ばして10月20日とします」

 教室のあちこちから「それ、延ばしたうちに入るんだっ!?」と不満の声が漏れたが、女教師はあっさりと無視。

「使用画材は鉛筆のみですよ。最初に言いましたが」

 今度は「言ってなかったですよ!」とか「初耳ですっ!」という声が上がったが、これもやはり無視される。

「さて、それでは今日はここまでとしましょう」

 そのセリフに続くように、少し気の抜けた「きりーつ。礼」の声。

 やがて女教師が教室から出て行くと、生徒たちがざわざわとし始めた。

「藤島は今回の課題、かなり楽そうだよなー」

 まず功一に話しかけてきたのは、彼の唯一の男友達である。

「? なんで?」

「や、なんでって。お前が住んでいるアパート、変わった人たちばかり住んでるじゃないか」

 「なあ?」と後ろにいる二人の少女に振る。
 ひとりは髪をショートにしている少女。もうひとりは分厚いメガネをかけた少女。

「うん。本当に変わった人ばっかりだもんね〜」

 ショートカットの少女が同意した。続けてメガネの少女も、

「そうそう。それに『変わった人たちが集まるところは変わった場所』ってね。なんて言ったっけ、ええと、確か、片山荘(かたやまそう)?」

「そこまで言われるほど変わってるかなぁ……」

 まあ、そう言う功一自身も、『あそこの人たちは、確かに変わってる部類には入るな』と思っているわけなのだが。

 しかし、そうは思うものの。

「いまの僕には、あれが当たり前の光景になっちゃってるからなぁ……」

 どんなに変わっていたとしても、自分がそれに慣れ親しんでしまっていては、それはもう自分にとっては『日常の風景』なのでは、とも功一は思うのだ。

「さて。そろそろ帰ろうか」

 じゃあどうしたものか、と考えながら功一は席から立ち上がった。


 ――本当、どうしたものかなぁ……。

 創作するのは、さほど難しいことではない。
 思いつきの3Bといって、アイデアを思いつきやすい場所――というか状況は3ヶ所あるといわれている。

 まず、『ベッド』。つまり就寝前。
 2番目に『バス』。入浴中のことである。
 最後に、またも『バス』。しかしこちらは乗り物のほうで、散歩などの『出歩く行為』全般を指している。

 アルファベットにした際に頭文字にBがつくことから、この3つは『思いつきの3B』といわれている。しかし、今回の課題は創作ではなくスケッチである。いくらいい題材が思いついても仕方がない。

「――はぁ……」

 功一は歩きながら、軽くため息をついた。そして考えてしまう。『彩桜学園』のこういう専門学科はどういったことをしているのだろうか、自分もやはりそちらに入ったほうがよかったのではないか、と。

 功一は今年の春、絵本作家になるために上京してきた。実家は決して裕福ではなかったため、両親からは授業料やらなにやらが安く済むし、寮もあるから、と彩桜学園を薦められたが、彼は『専門学校』に通うと言って聞かず、結局、自分の意見を押し通した。はとこが大家を務めているという『片山荘』で暮らす、という条件と引き換えに。
 それを後悔しているわけではない。わけではないのだが、しかし、その片山荘の大家である少女を始めとした何人かから話を聞いていると、やはり自然と彩桜学園に興味も湧いてくるのだ。

 ――あれ?

 前方に、手提げカバンを両手で持っている、セーラー服姿の少女の姿があった。長く、癖のない黒髪を腰の辺りで風に遊ばせながら。
 いつも一緒に帰っていると聞いている彼女の親友――三つ編みの少女はいない。

 少女は誰かを待っているのだろうか、その場所を動こうとせずに、ただ不安げに辺りを見渡している。

 風は冷たい。
 少女は息を掌に吐きかけて、できるだけ冷えないようにはしているようだが――。

 少女の顔はまだよく見えないものの、功一にはそれが誰であるか、すぐにわかった。

 ――それにしたって、なんでこんなところに?

 考えながら歩く速度を少し速める功一。

 少女はその足音に気がつくと、功一のほうに顔を向け、不安そうだった表情を一転。表情をほころばせる。

 ――なんだ? いまの、すごく不安そうな表情。まるで、捨てられた仔猫のような……。

 功一は、この少女が笑っていないと酷く小さく見えるのに驚いた。自分が来るのがもう少し遅かったら儚く消えてしまっていたかもしれない、もちろんそんなことはありえないだろうが、そんな考えが頭をよぎる。

 だから、

「恵理ちゃん!」

 思わず、少女の名を大声で呼んで、走り出してしまっていた。


「――あの」

 功一と並んで歩き始めてから少しして、恵理が口を開いた。

「だ、大丈夫ですか……?」

 息を切らしている功一はコクリとうなずく。まさかちょっと全速力で走っただけでここまで息が乱れるとは思ってもいなかったのだ。

「でも、なんで突然走って……?」

「……え?」

 言葉に詰まる功一。そういえば、なぜだっただろうか。

 恵理からしてみれば、顔がなんとなく見えるくらいの距離になってから急いで走ってきたのだ。恋人とかだったらともかく……。…………。

 そこまで考えて、功一は少し赤くなる。

 ――違う違う。確かさっき、遠くから見たら恵理ちゃんがすごく小さく見えて――まあ、そりゃあ遠くから見れば小さく見えるのは当然で……。いや、そうじゃないんだ。
 ……そう、あの小ささは距離じゃない。おそらく心だ。不安そうで、だから、そう、心配だったんだ。

 しかし恵理にはなんと説明したものか。心配だったから、などと唐突に言っても怪訝な表情をされるだけだろう。それに、である。

 ――そんなこと、気恥ずかしくて言えたもんじゃないよ……。

 功一はとりあえず、ごまかすようにひとつ、咳払い。

「風邪ですか?」

「え? いや……」

 ――なんか、話が逸れたなぁ……。いやまあ、よかったにはよかったんだけど、ちょっと残念な気もするなぁ……。

 だが、功一はあのときの感情を上手く説明できそうもなかったので、自分から積極的に話を逸らしにかかる。

「恵理ちゃんのほうこそ、大丈夫なの?」

「え?」

「いや、その……。けっこう、長い間あそこにいたんじゃないの?」

 長い間、待っていたんじゃないの? とは敢えて訊かない。功一を待っていたとも限らないから。

「ええ、平気ですよ。こう見えても、頑丈にできてるんです」

 とてもそうは思えなかった。大体、恵理はかなり華奢(きゃしゃ)な部類に入る。しかし功一はそこには突っ込まない。訊きたいことはもっと別にあった。

「ならいいけど。でも、なんであんなところに一人でいたの?」

「それは……」

 恵理は少し間をとったあと、うつむき気味に、

「功一さんを、待ってたんです」

 ポツリと呟くように、そう口にした。

「えっ!?」

 もちろん功一自身、予想はしていた返答だったが、恵理の口から直接言われると、やはり、なんというか、衝撃が違う。

「あー、でも、なにもあんなところで、その、待ってなくても……」

 片山荘に先に帰ってもらっていても問題はないはずなのだ。なにしろ彼女はそこの大家で、自分は住人なのだから。

 ――あ、なのに敢えてこんな寒空の下で待ってたってことは……。

「ああ、それはほら、課題の邪魔をしたら悪いですし、功一さんの学校もどこにあるか、わかりませんでしたから」

 ――なるほど。それでか……。

 功一は少しばかり肩を落として苦笑した。期待と正反対の答えだったからだ。もっとも、期待通りの答えとはなにか、功一自身もわかっていないわけだが。

 功一は、どんなときにも気遣いを忘れない、そんな優しいはとこと話を続ける。

「だったら、せめて駅にでもいてくれればよかったのに」

「――あ。」

 どうも恵理は本当に、いま気づいたらしい。

「でっ、でも、早めに話しておきたいことがありますからっ」

「え? 話しておきたいこと?」

 ドキッとするより先に、ビクッとする功一。

「そ、それって……?」

「あ、えっと、長い話になるかもしれませんので、早めに話しておこうかと」

「…………。あ、そう……」

 自分はなに意識しているんだろう、と恵理にわからないようにため息をつく。

「あの、功一さん。私、功一さんを疲れさせたりしていませんか……?」

「あ、いや、別に……」

「そうですか?」

 つくづく、気遣いを忘れない娘である。

「それで、話ってなに?」

「ええ、それが……」

 恵理はどことなく、済まなさそうに語り始めた。




 ことの始まりは今日の放課後。一学年下のブレザー姿の少女が恵理の教室を訪ねてきた。

 周りが上級生ばかりのせいか、その少女は最初こそ、どこか怯えていたようだったが、すぐに笑顔になって用件を話し始める。

「初めまして。えっと、宮野 恵理(みやの えり)先輩、ですよね?」

「うん。それで、あなたは……?」

「私は西川 詩織(にしかわ しおり)と――あ、高等部の一年です」

 二年生である自分を『先輩』と呼ぶのだから、それはわかっている。

「それで、えっと、宮野先輩。その……」

 詩織は言いかけて沈黙した。上手く言葉が出てこないようだ。
 初対面の人間と話すときは少なからず緊張するもの。恵理はそう思い、自分から話しかけることにする。

「えっと、詩織ちゃんって呼んでいいかな?」

「えっ? あ、はいっ」

「私のことは恵理でいいよ。別に先輩は要らないから」

 恵理は部活動をしていないせいか、先輩や後輩と接点が薄い。そのせいか、先輩と呼ばれるのは妙にむずがゆかった。

「それで、なんの用事?」

 恵理が改めて詩織に訊く。

「あ、私、第一演劇部の部員で、来月の文化祭で劇をやるんです。でも部員の中に主演をやりたいっていう人がいなくて、それで、恵理さんに――」

「主演をお願いしよう、と〜。つまりスカウトですね〜」

 妙に間延びした声が恵理の隣から割って入った。恵理の親友、本城 友美(ほんじょう ともみ)である。

「え? そんな大それたものじゃ……。ねぇ、詩織ちゃん?」

 恵理は顔の前で手を振って友美の言葉を否定しようとしたが、

「ええ、そうなんです」

 詩織はコクリとうなずいた。

「え、ほ、本当に?」

「はい。恵理さん、やっていただけないでしょうか?」

「えっと、うん、まあ、断る理由は特にないわけなんだけど……」

 元々、頼まれれば嫌とは言えない性格である。別に注目されることが苦手というわけでもないし。
 とはいえ、

「でも、なんで私なの?」

 やはり選ばれた理由は知っておきたい恵理である。事実、主演を演じられるほどに可愛い娘なんて、校内には何人もいるだろう。

「それは、ですね」

 詩織の顔つきが少しだけ険しくなった。

「――それは……?」

 恵理もつられて真剣な表情をする。

「うちの部長の――女の勘です!」

 右の人差し指をピンと立て、詩織は明るく言った。この少女の『素』は、おそらくこちらなのだろう。

「勘、ですか〜?」

 友美の間延びした声は、どことなく怒っている印象を詩織に与えた。彼女は慌てて言葉を付け足す。

「あ、でもでもっ、可愛ければ誰でもいいってわけじゃないんですよ? 例えば、外見から予想できるように、おしとやかでなければいけないとか、外見だけじゃなくて仕草も一通り観察した上で、何人かをリストアップして、その中で本当にもう決めがたかったので、最後の手段として部長の勘に頼って……!」

 早口で言い終え、肩で息をする詩織。

「なるほど〜。まあ、なら良しとしましょう〜」

 なにを『良しとする』のかはわからないが、友美の声には納得の響きがあった。

「あ、ありがとうございますっ!」

 わけのわからないまま、頭を深く、ふかぁ〜く下げる詩織。

 一呼吸置いて、詩織は唐突に恵理に尋ねてきた。

「あ、そうだ。恵理さん。彼氏っています?」

「…………。え……?」

 突然すぎて一瞬、思考がフリーズ。続いて間抜けな声を出してしまう。そんな恵理に詩織は、

「これも条件のひとつなんです。彼氏がいるのなら、その方に主演男性役をやってもらおうって。そのほうが演技に熱が入りますしね。あ、これは部長が言ってたことですけど」

「う〜ん。知り合いならいるけど、一応、話しておいてみようか?」

「お願いします! えっと、それじゃあ都合が合うようなら、明日ここに来てもらえるよう言っておいてください。それで、その方の名前は?」

 功一との関係を最初に告げて、名前を教える。彼とははとこだと言っておかないと、自分にとってはともかく、功一を不快にさせる誤解をされるかもしれなかったからだ。

 もっとも、功一がその誤解を不快に思うことはないのだが。

「藤島 功一さん、ですね。わかりました」

 詩織はスカートのポケットから手帳とボールペンを取り出し、メモし始める。なんでも、いいネタを思いついたときのために常に持ち歩くようにしているとのことだった。

 じゃあ、また明日、と去りかけた詩織を友美が「あの〜」と呼び止める。

「はい、なんでしょうか? ――えっと……」

「本城 友美。友美でいいですよ〜」

「あ、はい。――で、友美さん、なんですか?」

「恵理ちゃんの練習、私も見に行っていいですか〜?」

「ええ、まあ、いいと思いますけど。あ、でも自分の部活とかはいいんですか?」

「オカルト研究部に入ってますけど〜、幽霊部員ですからね〜、別にいいんですよ〜」

 それは本当にいいのだろうか、と詩織は少し呆れた表情を見せた。実際、彼女はその部活の用事で恵理たちのクラスにやってきたのである。友美の言葉に呆れるのも当たり前だろう。

 ともあれ、詩織は気を取り直すように手帳をパタンと閉じ、ボールペンと共にスカートのポケットに仕舞った。

「わかりました。じゃあ明日、部室に来てくださいね」

 部室の場所を簡単に教えると詩織はぺこりと二人に一礼し、今度こそ去っていった――。




「――と、いうわけなんです」

「……なるほど」

 恵理を話を聞き終え、功一は少し考え込んだ。

「あの、大変だったり、気が進まなかったりするようなら、もちろん断りますよ? でも、できたら……」

 そこで言葉を切る恵理。功一は黙り込んだまま。

 十数秒の沈黙が二人を包む。

 やがて、二人は同時に言葉を発した。

「――あのさ」

「――あの」

『…………』

「えっと、功一さん、先にどうぞ」

 功一は「いや、そっちこそ先に」とは言わず、うなずいて切り出す。

「えっと、さ。その演劇部の練習には参加してもいいけど……」

 下手な返答をしないよう、言葉を選びながら言葉を紡ぐ。

「その、練習風景をスケッチさせてもらえないかなって……」

 恵理の通っている彩桜学園は中・高のみならず大学・大学院をも内包しているマンモス学校である。巨大であるだけに部外者が入ることはなかなかできない。
 そんな理由もあって、功一は彩桜学園の内側をまったく知らない。もちろん恵理や友美を始めとした片山荘の住人たちから学校での生活を聞いたことはあるわけだが、自分の目で見た、という意味ではやはり、まったく知らない。
 しかも、これは彼に限ったことではないのだ。越してきてから1年足らずの功一と、彩桜学園に通ったことのない地元の人間との知識量には大して差がないのである。

 第一演劇部で主演を演じなければならないという前提はあるが、そんな『変わった学校』に足を踏み入れられるというのだから、恵理の頼みを断る理由はない。元々、彩桜学園に興味もあったわけなのだし。

 さらに、である。
 自分がすることになるのは演劇の練習。考えてみれば、そんな風景をスケッチできる機会なんて、そうはない。

 地元の人間でも詳しくは知らない学園の内側。そこで行われる演劇の練習。これは充分に『ちょっと変わった風景』といえるのではないだろうか。

 恵理はしばらく、どう返事するか迷うように顔をうつむかせたが、やがて功一に向けてにっこりと微笑んだ。

「たぶん、大丈夫だと思いますよ。私たちのほうも無理を言ってしまっているわけですし」

「そう、よかった。じゃあ、明日の放課後に彩桜学園に行けばいいのかな?」

「はい。学校のほうに話しておきますから、生徒と同じように入ってきてください」

「それって……」

 果たして、大丈夫なのだろうか。不審者扱いされないだろうか。

「…………。まあ、平気か」

「? なにがですか?」

「なんでもないよ。――そういえば、今日は友美ちゃんと一緒の下校じゃないんだね?」

「私が功一さんを待ってるって言ったら、『それなら私は先に帰ってますね〜』って」

「あ、そうなんだ……」

 恵理から視線を外して、つぶやくようにそう漏らす。

 ――友美ちゃん、もしかして気を遣ってくれたのかな……?

 友美はまさしく気を遣ったわけなのだが、しかし、恵理はそのことにまったく気づいてはいないようだった。


 とりあえず、こうして翌日から恵理の通う学園――彩桜学園に行くことになった功一だが、これが新たな波乱の幕開けであったことは、多分、間違いないだろう。



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