勝ち気な部長
著者:管理人


 功一の通う専門学校に、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。

 例の女教師が教室から出て行くのを見送ると、彼もすぐに帰り支度を始めた。

「おーい、藤島。一緒に――」

「ごめん。僕、今日ちょっと用事あるから」

 話しかけてきた男友達のセリフも、功一は早口で遮る。

「じゃあっ!」

「お、おう。じゃあな……」

 そして、功一が教室から焦ったようにして出て行ってから、

「まったく、忙しないヤツだな……」

 彼はどこか呆れたように、そうつぶやいたのだった。


 功一の用事とは当然、恵理の通う学校――彩桜学園へ行くことである。

 彼は以前に一度、友美の頼みでもそこに行ったことがある。なので彩桜学園の場所も知っていた。功一の専門学校ともそう遠くない場所だ。しかし、思えばそのときにもなかなかに大変な目に遭った。

 あまり思い出したくない過去でもあるため、彼は首を一度ブンと横に振って、意識を現在に――ただ走ることだけに集中させた。

 そう、功一は現在、走っている。理由は簡単かつ単純、授業がいつもよりも長引いたのだ。

 だからってなにも走ることは……、なんてツッコミをする人間も彼の周囲には見当たらない。だから彼は少しでも早く学園に到着しようと必死に走っていた。そういう、真面目な性格なのである。

 そうして、ゼエゼエと肩で息をするくらいにはバテてきたあたりで。

「あっ、見えて、きた……」

 ゆっくりと減速。全速力から早歩きに、そして少々うなだれ気味になって、とぼとぼと正門へと向かっていく。

「『彩桜学園』……。うん、間違いない。ここだ……」

 というか、間違えようがない。彩桜学園並みの敷地を持つ学校など、関東の――いや、日本のどこを探しても見つからないだろう。

 しばし校門で立ち止まり、息を整える功一。それから校門の隣にある警備員の詰め所と、そこにいる長身の女性をチラリと見やり、以前ここに来たときにあったひと騒動を思い出し、心の準備はできていたものの、やはりブルッと身を震わせる。

 そうは言っても、すでに遅れてはいるため、彼は意を決して学園の敷地内に足を踏み入れる。

 一歩。

 二歩。

 詰め所から警備員が飛んでくることはない。そのことに功一はホッと安堵する。いくら許可が下りている『らしい』とはいえ、やはり『らしい』は『らしい』。もしかしたら以前のように捕まるのでは、という不安はどうしようもなくあった。

 当然、生徒たちは部外者である彼をちらちら見てきており、緊張は変わらずしていたが、その緊張は警備員に目をつけられたときのそれとは比べ物にならない。なので比較的、本当に比較的ではあるが、功一の緊張感はなくなり、身体を弛緩させることができた。

 そして、スリッパを入れたビニール袋を軽く揺らしながら、ふと思った。

 ――そういえば、僕はこれから、どこに向かえばいいんだ?

 第一演劇部、という部室に行かなければいけないことはわかっている。しかし、敷地面積の広すぎるこの校内のどこにその部室が存在するのかは、彼にはまったく見当つかなかった。
 功一としてはてっきり、校門のあたりで恵理なり友美なりが待ってくれているだろう、と考えていたのだ。だから、待たせては悪いと急いで走ってきたのだし。

 しかし、その二人のどちらの姿も見当たらなかった。まさか、だからといって帰るわけにもいかないだろう。気は進まないが、ここはあの警備員さんに尋ねて――。そんなことを彼が考え始めた次の瞬間。

「あの――」

 ここの生徒と思われるブレザー姿の少女が声をかけてきた。

「えっと、あの……。――不審者さんですか?」

「えっ!?」

 驚いた、どころの話ではない。功一は反射的に警備員の詰め所に顔を向け、そこにいる女性がまだこちらには気づいていないことを確認する。すぐさま少女に向き直り、必死で否定。

「ち、違うよ! 僕はえっと、その……!」

 しかし慌てているせいか、言葉が上手く出てこない。それがますます彼の中の焦りに拍車をかける。完全に悪循環だった。
 そんな功一の態度を相当怪しく感じたのだろうか、

「慌てるところが怪しいです! 先生――いえ、ここの警備員さんを呼ばせてもらいますよ!」

 それだけは本気で勘弁してほしい功一はますます慌てる。それでもせめて、同じアパートに住んでいる女生徒がここに通っている、ということだけでも口にしようとする。

「ちょ、ちょっと待ってよ! 違うって! ここには――」

「――なんちゃって。安心してください、冗談ですから。藤島さん」

 少女はイタズラっぽく笑みながら人差し指をピッと立て、功一の言葉を遮った。それから、改めまして、とでも言いたげに今度はにっこりと笑って、

「なかなか真に迫った演技だったでしょう? あ、初めまして。第一演劇部の西川 詩織といいます」

「え、演技……?」

 全身から力が抜けるのを感じる功一。とりあえず、最悪の――不審者に間違われる事態にはならなかったらしい。

「さ、部室にご案内しますね。藤島さん」

 功一の前を歩き始める詩織。その後ろを追う功一は、彼女の髪が肩の辺りで切り揃えられていることにようやく気づいた。必要以上の長さを嫌うのだろうか。そして、そんなことにも気づけないほどにテンパっていた先ほどの自分に小さく苦笑する。

 そして、同時に。

 ――演技の練習をするのは構わないけど、人をいきなり不審者の『役』にするのは、よしてほしいなぁ……。

 あの警備員のいる詰め所の付近でだったのだから、なおさらのこと。そう思い、やって来て早くも先が思いやられる功一だった。


 高等部の校舎の2階。
 その右の端に、その部室はあった。

 ドアのガラス部分には、色とりどりに『第一演劇部』と書かれてある大きな紙が、セロハンテープで貼りつけられている。なんとも手作り感に溢れているなと、そんなことを思う功一。

 詩織がドアを開けると、十数人の部員が雑談をやめ、功一たちのほうに注目する。その中には恵理と友美の姿もあった。

「功一さん、早かったですね」

「う、うん……」

 少し遅くなったことをなんと言って謝ろうかと考えていた功一は、恵理に気の抜けた返事を返してしまう。

 部室に机はなく、皆は適当な位置にイスを置いて座っていた。
 ちょっと殺風景な感は否めないが、スペースを広くとらなければならない『劇の練習のための部屋』という性質上、必要以上の物は持ち込まないようにしているのだろう。

 ――で、僕はどこに座ればいいんだ? まさか、床に直接とか言われないよねぇ……?

 困った笑いを浮かべる功一をよそに、一番奥に座っているブレザーの少女がパンと手を打ち合わせた。

「よしっ。じゃあ始めようか! 詩織、適当にその辺のイスに座って」

 ――ちょっ、僕の立場は……?

 全員がイスを円の形に動かす。それをどうしていいかわからずに呆然と見ている功一。

「あの、藤島さん。ここ、座ってください」

 そうしていると、詩織がドア側にある自分の右隣――恵理の左隣に当たるイスにポンポンと手を置いた。

「あ、うん」

 周囲が知らない人間ばかりの状況で、片山荘の大家にして『はとこ』の恵理の隣のイスを示されたのは、正直、とても安心でき、ありがたかった。もちろん、それと同じくらいに気恥ずかしくもあったけれど。
 ちなみに、友美の座っている場所は恵理の右隣である。

 結果、偶然なのか敢えてそうされたのか、先ほど声を張りあげた部長と思われる少女と正面から向かい合う形になる功一たち。

「んじゃ、アタシから自己紹介。アタシはこの第一演劇部の部長、施羽 深空(せば みそら)。高等部3年。深空でいいわよ。んで、そっちのお三方は?」

 第一演劇部の部長、施羽 深空はかなりの美人だった。少し目を伏せてピアノを弾いていたりすると絵になるかもしれない。しかし、それは黙っていればの話である。口を開くと、よく言えば気さく。実際に受ける印象は……じゃじゃ馬娘、といったところだろうか。

「んで? あんたは?」

 ――なんか、イメージ崩れるなぁ、この娘……。

 そんなことを思っていた功一は深空の声を認識していなかった。気づけたのは、

「ちょっと、あんた! 名前訊いてるんだけどっ!?」

 と深空が正面に来て、大声を出したときになってようやく、である。

「うわあっ! 功一っ! 藤島 功一ですぅっ!」

「藤島くん、か。その様子だとアタシの名前、聞いてなかったでしょ?」

「え、あ、はい……。すみません……」

「……やっぱり。じゃあ、もう一回言うから、ちゃんと聞いててよね。アタシは施羽 深空(せば みそら)。いい? 深空よ? どう、ちゃんと憶えた?」

「はい! はい、ちゃんと憶えました!」

 うわずった声を出す功一に「よし」と深空は腰に手を当てる。その言動を見たところ、どうやら短気でも乱暴なわけでもないようだった。ただ自己主張が強いだけで。

 そんな、どこか子供っぽい仕草をしている彼女を、功一はまじまじと見てしまっていた。
 なんてことはない、普通の娘だ。髪はストレートのロングに見えて、実は後ろで2つにくくっていた。

 功一はその髪型に妙な引っかかりを覚えていた。既視感(デジャ・ヴュ)と呼んでも問題なさそうな、自分の過去に関わる予感のする、そんな、妙な引っかかり。しかし、思い出そうとしても記憶に霞(かすみ)がかかってでもいるかのように、その髪型以外を思い出すことができない。
 やがて、記憶として形作られていた髪型さえも、はっきりとはしなくなっていって……。

「――あのさぁ」

 深空の声で、ようやく功一は自分が彼女を凝視してしまっていたことを自覚した。

「あっ、すみませんっ」

 しかし功一の謝罪に、深空は自分のあごに手を当て、

「惜っしいな〜。その女の子みたいなリアクション。顔立ちも女の子みたいだし。う〜ん、実に惜しい!」

 ――ひ、人が気にしていることを……。

 深空に悪気はないようだが、いくら悪気がなかろうと、また、惜しいと言われようと、とても褒められた気はしなかった。

 功一が密かに傷ついて返事もしないでいると、深空はもっとイヤなことを言い出してくる。

「童顔だから15歳くらいに見えないこともないわね。――そうだ。この際、彩桜に転校してこない? ここ、そういったことにかなり、ゆる〜い学校だし。よし、上手くいけば、これで部員を一人確保!」

 割とシャレになっていなかった。

「ちょっと! この際ってどの際ですか! 大体、僕は18歳ですよ!」

「大丈夫! ここ、大学部だってあるし!」

 本当に転校しても問題なさそうなこの学校のシステムに、功一は軽く恐怖を抱く。

「部長。もうそのへんにしましょうよ」

 苦笑混じりに口を挟んだのは詩織である。

「いくら部員を多くしたいからって、少しは相手の迷惑ってものを考えてください」

「…………。う〜ん、ちょっと暴走しちゃったか。悪い悪い」

「わかってくれればいいんです」

 深空は頭を掻きながら自分のイスに戻った。とりあえず、美少女のする行為ではない。

 いまのやりとりを見て湧いた疑問を、功一は詩織にこそっと尋ねる。

「もしかして、詩織ちゃんって副部長なの?」

「? いえ、違いますけど? どうして、そう思われたんです?」

 ――言葉遣いはやっぱり、詩織ちゃんのほうが丁寧だなぁ……。

「だって、ほら、誰も止めなかった部長さんを簡単にたしなめていたし」

 功一の言葉に詩織はくすっと笑った。

「たしなめて、って……。でもまあ、そう見えるかもしれませんね。でも私は別にたしなめたわけじゃないんですよ? ただ、第一演劇部のメンバーの中で一番部長と仲がよくて、気軽に話しているだけのつもりなんです」

「…………。そうなんだ」

 一目置いている、といえば聞こえはいいが、確かに皆、深空に遠慮しているように思えた。
 その態度からは想像つかないが、深空は部員たちに尊敬の念は抱かせても、親しみを覚えさせることはないのだろうか。西川詩織以外には。
 そしてそれは、『暴走』とやらのせいなのだろうか。

「…………。ねぇ、『暴走』って、例えばどんなことするの?」

「え? そうですねぇ……」

 詩織は上目遣いに天井を見た。なにかを考えるときのクセなのだろう。

 やがて、詩織は口を開いた。

「軽い『暴走』のときは、いきなり顧問の先生に掴みかかったり……」

「……そ、それで『軽い』暴走なの?」

「はい。職員室にケンカ腰で乗り込んでいったこともありましたからね。あのときは大変でした……」

「そ、そんなことまであったんだ……。――あ、じゃあ、さっきのは……」

「本人が『暴走』って口に出せる段階のものは本当に他愛ないものですよ。冗談みたいなものです」

「そうなんだ……」

 功一が安堵していると、ふと、詩織が真剣な表情を見せた。

「でも、どの『暴走』も部活の――この『第一演劇部』のことを思えばこそ、なんです。けど、皆はそんな部長から一歩退いてしまって、怖がっている人もいて、それでここをやめて『第三演劇部』に行ってしまった人も、何人か……」

「あ、それで部員を確保、とかって?」

「ええ……。けど部長は、別に怖い人なんかじゃないんです。本当はとても優しくて、部活動に熱心で。もちろん、困ったところはありますけど……」

 深空のことをフォローしようと話す詩織に、功一は優しく笑いかけた。

「誰にだって欠点はあるよ。でも、相当誤解があるのも、また、事実みたいだね。でも、だからって僕は部長さんを嫌わないと思うよ?」

 そう。詩織は功一に、深空に対して他の部員のような悪感情を抱いてほしくなかったのだろう。彼女の本質を知っているからこそ。

「……あ。はいっ」

 自分の言いたいことがしっかり伝わったとわかったからなのだろう。功一の言葉を受けて、詩織は満面の、本当に嬉しそうな笑顔を彼に見せたのだった。



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