彼と彼女と彼女の交錯
著者:管理人


 円陣を組む感じにイスが配置された『第一演劇部』の部室で。
 部長である深空が部室内によく通る声を出した。

「じゃあ、なにかいい案のある人、手ぇ挙げて〜!」

 彼女の陽気な呼びかけに、しかし誰も手を挙げる様子はない。
 詩織こそ上目遣いでなにごとか考えているようだが、他の部員たちからなにかを考えている気配は、少なくとも功一には感じられなかった。

 部室はしばし、完全な沈黙に包まれる。詩織以外の部員は、部長である深空に頼りきっているのだろうか。

「――はぁっ……」

 沈黙を打ち消すように、少しばかり大げさに深空が息を吐き出した。

「ちょっと、またこれ? あのさ、前にも言ったと思うんだけど、なんでもいいから意見出さなきゃ話し合いにもならないんだよね」

 詩織と功一たちは少し目を伏せがちにしたが、他の部員たちは無言で軽くうなずくだけ。それを見て、深空はやれやれと頭を掻く。

「やっぱり案を出すのはアタシから、か……」

 部長が案を出し、部員はそれに黙って賛成の意を示す。深空の呟きは、それが『第一演劇部』のお決まりのパターンであることを窺わせた。

「……そうだね。例えば『金色夜叉(こんじきやしゃ)』、なんてどうかな?」

 部長の言葉に一斉にうなずく部員たち。思考する時間が1秒たりともなかったことからして、彼らは別に『金色夜叉』に興味を持ったのではなく、ただ単に部長の出した案だから賛成したのだろう。少なくとも、功一にはそうとしか思えなかった。

 深空の案に首を縦に振らなかったのは、たったの四人。言うまでもなく、詩織、功一、恵理、友美の四人である。まあ、もっとも、

「功一さん、『金色夜叉』ってなんなんですか?」

 恵理は『金色夜叉』そのものを知らなかったからだし、詩織も詩織で案を考えるのに没頭していたからのようだったが。じゃあ友美はなぜ、と思って功一は彼女のほうを見てみたが、その表情からは友美がなにを考えているのか、結局、彼にはよくわからなかった。
 元々、友美の感情を推し量ろうとすることそのものが無意味なのだ。そう割り切り、功一は恵理に『金色夜叉』の説明をしてやることにする。

「『金色夜叉』っていうのはね、尾崎 紅葉(おざき こうよう)って人が作った物語で、内容をぶっちゃけちゃうと、間 寛一(はざま かんいち)という男性とお宮(みや)っていう女性がいて、二人は愛し合っていたんだけれど、最終的にお宮はお金持ちの富山(とみやま)っていう男性と婚約してしまうという……。
 ほら、『熱海の海岸散歩する、寛一お宮の二人連れ』っていう有名な一文があるんだけど、知らないかな?」

「言われてみれば聞いたことのあるような……」

「でしょ?」

「でもやっぱり、聞いたことのないような……」

 曖昧に笑って付け足した恵理に、思わず功一は軽くずっこけた。

 余談になるが、『金色夜叉』がブームになるまでは、庶民はダイヤモンドのことを、その名すらも知らなかったらしい。

 ふと、功一は深空の視線を感じた。物理的な圧力を伴ってさえいるのではないか、というくらいの強い視線を。

 ――あ、マズい。僕、賛成しなかったから、部長さん、もしかして怒ってる……?

 怯えながら深空のほうを見やる。すると、

「ねぇ、なんで反対なのか聞かせてくれない?」

 彼女は目を輝かせて訊いてきた。声も機嫌よさげに弾んでいる。

 最初、意外な反応だと思ったが、よくよく考えてみれば当然のことなのかもしれない。なにしろ、さっきからまともな話し合いになっていないのだから。加えて詩織は言っていた。部員が部長を怖がっているらしい、と。その部長である深空も、ただ沈黙している部員たちにどこか呆れているようでもあったし。

 ――なるほど。反対意見を聞いて、ちゃんとした議論をしたいってことか。

 他の部員から功一に向けられている、余計なこと言うな、という感じの視線が少し痛くはあったが、彼はかまわずにイスから腰を上げ、反論を口にする。

「まず確認しておきたいんですが、恵理ちゃんと僕に頼みたいのは主演なんですよね? 恵理ちゃんからそう聞いたんですけど」

 深空がうなずくのを確認して、功一は続けた。

「なら、『金色夜叉』をよく知らない恵理ちゃんたちが主演をやるのは難しいのでは? 僕も細部を知っているわけではありませんし」

「私は細部を知ってますよ〜?」

 茶々を入れてきたのは、友美。功一はしかし、いまだけはそれを無視する。あとでどんな目に遭うか知れなかったが、それでも。

「更に、です。『金色夜叉』のメインは男性二人に女性一人。部員の中から一人、主演を演じられる男性を出してもらわないと」

「…………」

 目を瞑り、無言でいる深空。しかしそれは悩んでいるというよりも、むしろ……。

「……あの、聞いてます?」

「…………。へ? ああ、悪い悪い! ああ、アタシたちはいま、会議をしているんだなぁ〜って思ったらさ、なんかこう、胸が一杯になっちゃって」

「はあ……。でも人が話しているときには、ちゃんと聞いていてくださいよ」

「や、だから悪いって。本当、悪かった」

 深空は右手を挙げて『ごめん』のポーズをし、左手で頭を掻いた。どうやら、少し困っていたり、申し訳なく思っているときには反射的に頭を掻いてしまうらしい。

 だが、もちろん功一だって本気で深空を責めているわけではない。自分が来る前の部の雰囲気を想像すれば、深空がどこかうっとりした態度になってしまったのも、功一には無理からぬことに思えた。
 だから彼は微笑して、自分の意見をまとめてみせる。

「ともあれ、これでは『金色夜叉』をやるのは難しいんじゃないかなって思うんですよ。もっと誰でも知っている感じのものをやったほうがいいんじゃないかなって」

 そうは言ってみせたものの、『金色夜叉』をやりたくない理由が功一にはもうひとつあったりもした。
 それは、

 ――恋愛モノは、やりたくないなぁ……。

 というものである。
 しかし、深空が最初に『金色夜叉』を挙げた以上、恋愛要素がまったくないものに決まることはまずないだろうとも、功一には容易に察しがついた。

 結果、気恥ずかしい気持ちは変わらないものの、彼は別の案を挙げることにする。

「たとえば、『シンデレラ』とか――」

 ところがそれは深空によってさえぎられた。

「う〜ん……。こう、一般的によく知られているのって、人物像――キャラクターが完成されすぎてて、どうにもアレンジが加えにくいのよね……」

 それは一理あるかもしれない、と功一は思う。いざ演じるとなると、よく知られている作品ほどボロが出やすいのかもしれない。

 とりあえず功一は、言葉を切ってイスに座った。すると恨みに似た視線が部員のほとんどから突き刺さってくる。最初の部長の案に賛成しておけば今頃はもう帰れていたのに、とでも言いたげな視線。

 功一は珍しく、それに強気に視線を返す。そんな部活の仕方をしてていいのか、部長さんの姿勢を見習う必要があるんじゃないのか、と。

 数秒後。視線だけですべての思いが伝わるわけでもないだろうが、功一を責めるように見ていた部員たちは次々とうつむいた。その表情から読みとれるのは、自分の姿勢を恥じ入るような、けれど、どこか納得しきれてもいないような、そんな微妙な感情だった。

 さて、と功一は頭の中を整理しなおす。部活動終了時間までになにかいい案を出さなければ。

 深空は少しばかり焦れたのか、顔をしかめて脚を組む。それを見た功一の中では美少女に対する幻想がガラガラと音を立てて崩れていたが、それをやった当人――深空はそんな幻想など知ったことではない。

 普段は意識すらしない時計の秒針の音が、室内にやけに大きく響く。正確に、一定のリズムをもって。

 やがて、時計が5時58分を指した。部活の活動時間は例外を除き、6時までとなっている。もっとも、ここは彩桜学園。部活動に限らず例外があってばかりの場所だったりする。むしろ、例外が当てはまらないときのほうが少ない。

 しかし今回は、その数少ない例外が当てはまらないときだったようで、しぶしぶといった様子で深空が立ち上がった。

「――仕方ない。焦ってもいい案は浮かばないだろうし、今日はこれで――」

 解散、と深空が口にする直前。それを詩織が手を挙げてさえぎった。

「ひとつだけ、いいでしょうか?」

「なに? 詩織?」

 チャイムが鳴ると同時、詩織もまた、立ち上がる。

「前からある話を元にするのが駄目だというなら、新しくオリジナルの脚本を創ればいいんじゃないですか?」

 彼女の発言に皆、あっけにとられた表情になった。功一も立ち上がり、話に加わる。

「あのさ、詩織ちゃん。物語って、そんな一朝一夕で作れるものじゃないんだよ?」

 自分が絵本作家を目指している身だからこそ言える。
 物語はそう簡単に作れるものではないし、もし作れたとしても、そんな短時間で作ったのでは中身が伴わないものになってしまう。

 物語を作るのは料理を作るのと似ている。それも、カレーやシチューを作るのと。
 まず、とっておきの食材(案)を用意し、それをじっくりと煮込むのだ。煮込んでいる最中に煮崩れてしまうのなら、その食材(案)は使い物にならない(自分でボツにする)。
 しかもそれが煮崩れなかったからといって、即座に調理にとりかかるわけではない。それから何度も何度も煮込んで、そうして煮崩れずに残ったもの(納得のいく案)を自分の持つ技術で調理。そうして完成品(作品)に仕上げるのだ。

 初対面の深空を指して、いきなり技術がないとは言わないが、そんな一日や二日――いや、一週間考えたとしても、そんなすぐに自分で納得のいく案をいくつも、しかも次々と出せるとは思えない。

 深空もそれはわかっているのだろう。彼女に似合わない、どこか不安げな表情を浮かべていた。

 功一は胸に痛いものを感じながらも続ける。

「詩織ちゃんの言うことは、間違ってはいないけど、でも正直、物語を作るって行為を、ちょっと、その、……うん、甘く見てるよ」

 その言葉に詩織は目を伏せ、しょんぼりと席に着く――なんてことはなかった。それどころか顔に笑みすら浮かべている。功一が今日、詩織と初めて会ったときの――『不審者』の役を強制的にやらされたあとに『冗談ですから』とイタズラっぽく浮かべた、あのときと同じ笑みを。

 ――けど、なんであのときと同じ笑みを、いま……?

 功一の内心の疑問に答えるように、詩織は深空に向き直り。

「部長。もう、あの作品はできたんですか?」

『――え?』

 期せずして功一と深空の声が重なった。

 その反応を満足げな表情で聞くと、詩織は右の人差し指をピッと立てる。

「やっぱり気づいてなかったんですね、部長。ほら、これ」

 赤い手帳をスカートの左ポケットから取り出す詩織。その手帳には『M・S』というイニシャルがおそらくは油性マジックで書き込まれていた。

「あ、それってアタシの! 昨日なくしたんだけど、なんで詩織が持ってるの!?」

「昨日、イスの上に置いてあったんですよ。心当たり、ありません?」

「…………。あ、そうだ。助っ人が来るからって、昨日は机を別の部屋に移したり、掃除してたりとけっこうあたふたしてたから……」

 自分たちのためにわざわざそんなことをしてくれていたのか、と功一はちょっぴり感動した。

 詩織が深空のあとを引き継ぐ。

「おそらく、一休みしてから立ち上がったときにポケットから落ちたんでしょうね。ちなみに私の手帳はちゃんとこっちに入ってます」

 スカートの右ポケットに手を入れる詩織。やはり、よく使う物は利き手側にしまうのだろう。

「――あ、あれ? あれ?」

 先ほどの発言に反して、詩織は焦った様子でポケットの中をまさぐり始めた。

「…………。シャ、シャーペンしか入ってないです……。ど、どうしよう。私もどこかに落として……」

 徐々に青ざめていく詩織の顔。それを見てなにを思い出したのか、深空もまた、「あ、そうだ」とスカートの右ポケットに手を突っ込んだ。

「ん〜と……、あ、あったあった。ほら、これでしょ?」

 涙目にすらなっていた詩織に『S・N』とイニシャルの書かれた黄色の手帳が差し出される。途端、詩織の顔がパッと輝いた。

「これ! これです! で、でも、なんでまた部長が……?」

「なんでまた、って……。ほら、昨日助っ人三人の名前を見たあと、すぐに掃除を始めたからさ、返す暇がなかったのよね。詩織に話しかけても『明日、楽しみですねっ』って言ってばかりだったしさ。つい、返しそびれちゃってたのよ」

「あ、そういえば、そうでした……」

 功一が苦笑を隠そうともせずに口を開く。

「つまり、部長さんの手帳は詩織ちゃんが持っていて、詩織ちゃんの手帳は部長さんが持っていて、知らず知らずのうちに交換しちゃってたようなものだったと……?」

「まあ、そうなるかな……」

「そういうことになりますね……」

 二人はそれぞれ、手帳を元の持ち主に返す。
 それから彼女らは大事そうに手帳をしまい、それが一段落すると功一が逸れてしまった話を戻した。

「それで、あの作品ってなんなんです? 部長さん」

「あー、それは……」

「部長オリジナルの作品のことです」

 口ごもる深空の代わりに詩織が答えた。

「オリジナルの作品?」

 思わず繰り返す功一。それに詩織はくすりと笑い、

「はい。昨日、家に帰ってから部長の手帳を無断で見ちゃって、その中に劇の台本らしきものがあったんです。ほとんど完成してましたよ。まあ、オリジナルとはいってもキャラクターの名前は別の創作物から流用していたりもしますけどね」

 「ね? 部長」と詩織が向けた視線の先を追って、功一も深空を見た。

「それって、本当ですか?」

 深空は答える。

「ほ、本当だけど、でも別の創作物からの流用もあるし、そこからファンタジー設定をモロに受けちゃってるし、なにより、まだ完成とは言えないし……」

「ちなみにそれ、いつから作ってたんですか?」

「え? えっと、ここに入学したのが13のときで、そのときから漠然とした筋は考えていたんだけど、ノートに書きつけ始めたのは高等部の1年になってから――この部に入ってからだから……」

 ノートに書きつけ始めた頃から数えても、2年近くも温めておいたということである。その事実に功一は内心で感嘆すると共に、ガッツポーズをした。
 しかし、まだ決まったわけではないので、そうおおっぴらに態度には出さない。喜ぶのはそれに決定してからだ。

「なら、あとどれくらいかかります?」

 あまりに時間がかかるようなら別の案を考えないと、と内心思いながら功一は問う。

「う〜ん。実はアタシ、この作品は完成はさせても完結させる気はないのよね……。キリのいいところまでは書く気でいるけど、でもそのあとの物語は登場人物たちに託したいっていうか、明確な『終わり』を作りたくないっていうか、さ……」

 それは功一にも理解できない感情ではなかった。世の中には『最後の最後』まで描かれたがためにバッドエンドを迎えてしまう作品が数多くある。

「まあ、キリのいいところまででもかまわないとは思うけど……。そこまで書き終えるのにかかる時間は……、そうね、今日の夜を含めて四日あれば充分、かな。劇の練習そのものは10月8日の月曜日から始められると思うよ?」

 ちなみに今日は10月4日の木曜日。
 内容は別の創作物からの流用もあるとはいえ、文化祭でやる劇なのだから特に問題にはならないはず。

 思案顔の深空とピクリとも動かない功一。そして功一の隣でにっこりと笑っている詩織。

「……いける、んじゃないかな?」

「――よし、決定! じゃあ下校時間も過ぎてるし、今日はこれで解散!」

 やがて漏らした功一のつぶやきに、深空は不安げな表情を打ち消してそう宣言する。そして両の掌を景気よくパァンと打ち鳴らしたのだった。



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