彼女のいる風景
著者:管理人
功一は校門の近くで恵理と友美を待っていた。
その彼の横を見知った、しかし別の二人組が通る。言うまでもなく、深空と詩織だ。
「よっ。彼女、待ってるの?」
深空のその軽口に、功一は本気で顔を赤くする。
「か、彼女って……! 僕と恵理ちゃんはそういうのじゃ……! それに、僕は誰かと付き合うなんて、そんなこと、しちゃいけないですし……」
「? そうなの? どうして?」
「どうしてって……。それは……」
功一にもわからなかった。そんなこと『できない』ではなく、そんなこと『してはいけない』。なぜか功一はそう思うのだ。自分は幸福になってはいけないのだ、と。いまの騒がしい毎日だけで満足しなければ『いけない』のだ、と。本来、いまの毎日ですらも自分には過ぎた幸福なのだから、と。
それは、功一が子供の頃から感じていること。どこから生まれ出たのか、なんでそう思うようになったのかもわからない、自分でも不可解な強迫観念。
当然、それを深空たちに上手く説明することなんて功一にはできるはずもなかった。だからこう返す。
「まあ、僕にも色々あるんですよ」
「ふうん。そう」
功一の発言に特別に興味を持ったわけではなかったらしく、深空はそれ以上の追求はしてこなかった。
「あ、そうそう。今日はありがとね。あんたのおかげで久々に『部活やったー!』って気になれたよ。充実してたっていうかさ」
「そうですか? ならよかったです。ところで僕、これからはどうするんですか? またここに来てもいいんですか?」
功一の問いに大げさなほどに大きくうなずく深空。
「もっちろん! というよりも来てもらわなきゃアタシたちが困る!」
功一はそれに意識せず「あははっ」と笑いを漏らした。
「じゃあお互い頑張りましょうね、部長さん」
功一の言葉に、しかし第一演劇部部長はこう返す。
「ああ。適度に、ね」
「? 適度に?」
「そう、適度に。頑張りすぎはかえってよくないからさ。よく先生に言われるだろ? 『もっと頑張れ、もっと頑張れ』って。自分自身は精一杯頑張ってるつもりであっても。アタシ、そういうの嫌いだからさ」
「だから『適度に頑張れ』、ですか」
『適度に頑張れ』。
その言葉の意味は、だらけていいというものではないのだろう。多分、自分ができるところまでやれ、とか、無理はするな、とか、そういう意味に違いない。
と、突然、深空が功一に一歩詰め寄った。
「あのさあ、藤島くん」
「な、なんですか……?」
「藤島くんさ、本っ当に18歳なんだよねぇ?」
「……ええ、そうですけど……?」
――まさかとは思うけど、部長さん、また彩桜学園に転校しないか、とか言うつもりなんじゃ……。
視線を詩織に移してみるものの、しかし彼女には深空をたしなめようとする様子がまったくない。功一は仕方なく視線を第一演劇部の部長に戻した。
深空が口を開く。しかし紡がれた言葉は功一の予想とは違うもの。
「ちなみに詩織は15歳で、アタシは17歳なんだけど……。どうして18歳のあんたがアタシに敬語使うの?」
「――え?」
功一は思わず頭から声を出してしまう。
「いや、『え?』じゃなくてさ。部室で会ったときから気にはしてたのよね。呼び方も『部長さん』だしさ」
そうは言われても、功一も無意識のうちに敬語を使っていたのである。
「ええっと……」
戸惑う功一に深空は少しイライラと、
「だから! アタシにも詩織と同じように接してくれりゃいいって言ってんの!」
どうも年下の女の子であっても、自分に対してタメ口であったため、自然と敬語を選択してしまっていたらしい。それと同じく、呼び方も……。思えば、片山荘に入居したばかりの頃にも似たようなことがあった。タメ口でこられると、どうも自分は無意識のうちに敬語で応対してしまうらしいのだ。悲しい習性だった。
「――わかった?」
功一は即座に返事をする。もちろん呼び名も変えて。
「う、うん。わかったよ、深空さん」
しかし、深空はなぜかまだ不機嫌な様子。いや、拗ねているのだろうか? どちらにせよ、彼女はそういった感情を隠そうともしなかった。
「――あ、あの、なんかマズかった?」
「べ〜つ〜に〜。ただ、『さん』づけなんだなぁって思っただけ」
――ええっと、『さん』づけのどこがマズかったと……?
功一は思いっきり首を捻った。自分の記憶には、年下の女の子を呼び捨てにした覚えはない。少なくとも、深空の知っている限りでは。
――あ、もしかして……。
「深空『ちゃん』、でいいかな?」
途端、深空は少し頬を赤らめた。もしかして怒らせただろうか、と功一が思った瞬間、
「……そ、そういうこと。じゃあ、また明日ね」
それだけ残し、彼女はそそくさと去っていってしまった。
「じゃあ藤島さん、また明日」
詩織がクスクスと笑いながら功一にぺこりと頭を下げ、深空のあとを追いかけるように走っていく。
――あの二人は本当に仲がいいんだなぁ……。
「功一さん、遅くなりました」
背後から声。振り向くと恵理が立っていた。
「いや、別に――」
「大して待たせてませんよ〜」
なぜか功一の背後から友美の声が聞こえた。肩越しに振り向いてみれば確かに友美はそこにいる。一体、いつの間に後ろに回りこんだのやら……。
「それじゃ、帰りましょうか」
恵理に促され、三人は並んで校門を出た。
そろそろ午後の10時も過ぎる頃。
池のある広い庭を中心にして、正方形を描くように各部屋を繋ぐように延びている片山荘の廊下。そこに――功一の部屋の前に、庭のほうに足を投げ出して並んで座る男女の姿があった。功一と恵理である。
「あの、功一さん。部活のほう、本当に毎日来れそうですか? 難しそうだったら断っていただいても――」
「大丈夫、大丈夫。ちゃんと毎日行けるよ」
気楽げに手をひらひらとさせ、苦笑してみせる功一。
それからは二人とも、まったく口を開かない。ただただ、しばし沈黙を共に過ごしていた。
居心地のいい、静かな時間がたゆたうように流れる。功一はその時間の中で、ふと自分の過去に――10年以上前の過去に思いを馳せた。
実は功一は10年以上前、この片山荘に遊びにきたことがあるらしい。専門学校に行くと決めた際に、恵理が大家を務めるここで暮らすように両親に進められたのも、そういう過去があったからだ。しかし、そのあたりのことを功一は憶えていなかった。あくまで両親にそう聞かされただけだ。
両親の話によると、功一と恵理は本当に仲がよかったらしい。母親の言葉を借りるなら『まるで兄妹のよう』だったそうだ。
もちろん、そう評されても功一に実感はない。しかし、半年前に彼が片山荘を訪れたとき、恵理は功一との再会(功一からしてみれば、初対面も同然なのだが)を心の底から喜び、功一もそのときの彼女の笑顔に、どこか懐かしさを感じもした。
ついでに、自分が過去のことをまったく憶えていないと打ち明けたときに、恵理に酷く悲しそうな表情をされ、時間はかかるかもしれないけれど、きっと思い出すから、と割と無責任なことを言ってみたりもした。
はて、そのときに恵理は自分になんと返してきたのだっただろうか。
――『いま、こうして会えたんだから、それだけで充分です。それ以上を求めたらバチが当たっちゃいますよ』だったっけ。
しかし、そう口にしたときの恵理の瞳に、わずかばかりとはいえ悲しみの色が宿っていたのを、功一は忘れることができない。
もっとも、過去のことを思い出そうと話をふってみる度に恵理は申し訳なさそうな表情をするので、功一は最近では過去ではなく現在(いま)を――いまのここでの生活を大事にしようと思うようになってきたのだが。
それでもたまに、思わずといった風に恵理のほうから昔のことを話題にすることがある。直後、彼女は必ず「気にしないでください」と微笑んでみせるのだが、その微笑が無理に作ったもののように見えるとき、やはり恵理は自分が過去を思い出すことを望んでいるのでは、とも思う。
考えた末、功一はもう、無理に過去を思い出そうとすることはやめた。いつか、自然に思い出せる日が来るのを待つことにした。
もちろん、過去になにがあったのかは気になる。しかし、それを思い出そうとするとき、恵理が悲しげな表情をみせるのが嫌だった。
ふとしたことで、功一には『ここに遊びにきたときの記憶がないのだ』と再認識してしまったときにも、恵理はときどき寂しげな表情をみせるが、それはそれと諦めることにした。もちろん、どうしてどちらにせよそんな表情をするのかと、もどかしくは思うし、そんな風に諦めてしまう自分が嫌にもなるけれど。
それでも、自分が思い出すべきことなら、いつか思い出せる日がくるだろうし、思い出せないのなら思い出せないままでいるほうがいいのだろうと、そう功一は割り切ることにした。
けれど。
そう割り切りはしたけれど、やはり思い出せるのなら、思い出したほうがいいのだろうとも思うのだ。だから功一はときどき、こうして自分の記憶にはない、恵理との思い出に――過去に思いを馳せる。そうしていれば、思い出すきっかけが見つかることもあるのではないかと思うから。
気づけば、随分と時間が経っていた。そろそろ部屋に戻ろうか、と恵理に声をかけようとして――。
彼女に視線を移した瞬間、深空によく似た、けれど穏やかな笑顔を浮かべている小さな女の子が恵理に重なって見えた。
――――。
功一の頭になにかが引っかかる。しかし得られたその引っかかりは、恵理が少しだけうつむき気味に立ち上がると同時に薄れていった。
「あまり風にあたっていると、身体を冷やしちゃいますね」
「――え……? あ、うん」
「あの、どうしましたか?」
「…………。ううん、どうもしないよ」
「そうですか? えと、じゃあ、おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
功一はほとんど反射的に返事をしていた。うつむき気味に立ち上がったときの恵理の、あの責めるでもないどこか悲しげな表情が頭から離れなかった。
「――僕も、部屋に戻るかな」
恵理が管理人室に戻ってからしばらくして。
功一はなぜか妙に重い腰をようやくあげた。
その夜、恵理は夢を見た。
幾度も見た、大事な夢。
幾度目かも、わからない夢。
本当にこれは夢なのか、わからない夢。
恵理という少女にとっては、これこそが現実なのかもしれない夢。
夢は、永遠のリピートを指示されたかのように最初の地点へと戻り、少女にまたあの場面を見せる。
始まりは、3歳の自分が住む片山荘にひとりの男の子が遊びに来たところから。
「初めまして。僕は藤島功一。よろしく」
恵理よりも2つ年上の男の子は、そう名乗った。
3歳の恵理は肩の辺りで二つに分けた髪を揺らし、緊張しながらぺこりと頭を下げて自分の名前を言った。
そう、それが全ての始まりだった。
「恵理ちゃんって、呼んでいい?」
「――うん!」
どちらからともなく、笑顔を見せる。
笑顔は、ぼんやりと夢の奥へと消えていった。
そして、次の場面が映し出される――。
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