事情
著者:管理人


「さて、今日から準備にとりかかる劇は、十一月三日と四日の文化祭――『彩桜祭』の二日目に第一講義堂――『彩桜座』で披露することになる。だから『彩桜祭』の一日目も練習に使える計算になるね。もちろん、『彩桜祭』一日目のすべてを練習に充てろとまでは言わないけど」

 功一がイスに腰掛けると同時、深空がさっそく場を仕切り始めた。
 しかも、口調から察するに、どうも深空は『彩桜祭』初日も練習に充てたいようだ。せっかくの文化祭なのだから少しは遊ぶべきなんじゃ、と功一は思ったが、それはとりあえず飲み込んでおく。

「劇は前に決めたとおり、アタシの考えたものでいく。国本(くにもと)、詩織、配ってくれ」

 詩織と、国本と呼ばれた少女が、手近な人から順番に台本らしきものを手渡していく。
 しばらくして詩織にそれを渡されたとき、功一は長い黒髪をポニーテールにしているセーラー服姿の少女へと目をやりながら尋ねた。

「ねえ、あの娘は――」

 詩織は功一が言い終える前に答える。まるで彼が尋ねる内容が――いや、尋ねるという動作までわかっていたかのように。

「国本 美鈴(みすず)さんはここ、第一演劇部の副部長ですよ」

 ――やっぱり。

 功一は心の中で苦々しく呟いた。

 彼の見る限り、深空がなにごとか用事を頼む相手は、西川 詩織だけだった。実は功一は、それを先日から不思議に思っていたのだ。詩織にできる用事なら、普通、副部長に頼むのでは、と。なのに、それをしないということは、

 ――ここ、部長と副部長の仲が悪いのか……。

「美鈴さんのお話ですか?」

 嫌な結論に達すると同時、恵理が話に加わってきた。

「あの娘のこと知ってるの? 恵理ちゃん」

「ええ、同じクラスですから」

 功一は少なからず驚いた。
 無理もないだろう。恵理は詩織にスカウトされたと、功一は以前聞かされている。しかし、その恵理のクラスには、第一演劇部の副部長が在籍しているというのだから。
 推測ではあるが、美鈴は深空の頼みを断ったのだろう。そして、だから代わりに詩織が恵理に声をかけた。本当にそうなのだとしたら、嫌な話ではあるが、一応、説明はつくし、納得もできる。

 功一はそこまで考えてから、隣にたたずんだままの第一演劇部部員に訊いてみた。

「美空ちゃんと、……えっと、副部長さんは仲、悪いの?」

「直球できましたね、藤島さん。……そうですねぇ、悪いわけじゃないけど良いわけでもない、といったところです」

「なら、深空ちゃんの頼みを断ったのかどうかは微妙なところ、か……」

 意識せず、功一は自分の思考を口に出してしまっていた。
 しかし詩織は彼の表情から、考えていることをある程度読みとっていたのか、特に怪訝な表情も見せずに答える。

「いえ、部長は最初から副部長には頼んでません」

「え、そうなの?」

「部長と気軽に話せるのが私だけなら、部長が用事を頼んでくれるのも私だけなんです。基本的には、ですけど」

 そう言うと彼女は、少し寂しそうに目を伏せ、自分の座っていたイスへと戻っていった。
 それから功一はもう一度美鈴に視線を向けてみたが、しかし、その無表情な横顔からはとても感情を読みとれそうにない。

 それにしても、詩織の洞察力はかなりのものだ。
 見れば、詩織も視線を美鈴にやっている。彼女はその横顔から一体なにを感じとるのだろう。

 功一はそんなことをしばらく考えていたが、そのうち、詩織の洞察力が特別優れているのではなく、単に自分が考えていることを表情に出しすぎなだけなのでは、と思えてきた。

 補足しておくのなら、それは半分当たりで、半分ハズレである。功一が思っていることを表情に出してしまいやすい性格であることは言うまでもないし、詩織だって普通の人に比べると、他者の心の動きに敏感なのだから。

「あの〜、深空さん〜」

 イスに腰かけている友美がふいに声をあげた。もちろん、手には例の台本らしき冊子を持って。

 ――あれ? なんで友美ちゃんがあれを持ってるんだ? ただ見学に――というか、遊びに来たんじゃないのか?

 そもそも、彼女は一体いつからこの部室にいたのだろうか。
 それはともかく、友美本人も功一と同じ疑問を抱いたのだろう。

「なんで私もコレを配られたんですか〜?」

 冊子を軽く振りながら深空に尋ねていた。

「ああ、それがね。あたしの作った物語では、メインの役者が男一人と女二人の合計三人、必要なんだ。で、せっかくだからあんたにも劇に出てもらおうと思ってさ」

 そう説明されても、友美はまだ納得のいかない表情。

「部員の誰かに頼めばいいじゃないですか〜」

 それに深空は苦笑しながら手を振った。

「ごもっともな意見だね。でも詩織から聞かなかった? ウチの部にはメインを演じようなんて勇気のある奴、いないのよ。そういうのは大抵、第三演劇部に行っちゃったからさ。
 ちなみに、アタシは台本と、練習の全体的な調整。詩織は公演用の衣装作り。アタシたちは手一杯で演技の練習なんてできない。――わかってもらえないかな」

 功一は聞き逃さなかった。いや、それは適切な表現ではないかもしれない。深空は挙げるべき名を出さなかった。そう、副部長である国本美鈴のことを。

「……そこまで言われては断れませんね〜」

 友美もわかっていただろう。いや、深空が美鈴のことをわざと避けたこと、わざと話に出さなかったことに気づかなければ、友美は絶対に納得しなかったはずだ。なにせ、恵理関連を除けば、友美が折れたところなんて功一は初めて見たのだから。

 深空は少しうつむいて礼を述べる。

「……ありがと」

 短い。本当に短い言葉だ。だが、そのたった四文字の言葉からは、とても強くて深い感謝の念が感じられた。

 しばしの沈黙を経て、深空が改めて仕切り始める。

「じゃあ皆、台本の一ページ目を見て」

 パラリ、と皆がそれをめくる音。台本はA3の用紙を二つ折りにして、ホッチキスで留めてあった。
 一ページ目には、大きい字で『天空の楽園』とあり、その下にあらすじが記されている。

 ――ええと、なになに。この世界には『神界』と『魔界』があり、それぞれの世界には神族と魔族が住んでいた。ある日、魔族の少女であるミーティアは――

「じゃあ次、二ページ目を見てくれ」

 深空の声で、功一はあらすじを読むのを中断した。これから嫌というほど読むことになるのだろうし、いま急いで目を通しておくこともないだろう。

 二ページ目には配役が記されていた。
 功一が演じるのは『アーチ』という神族キャラ。次に書いてあるのが、あらすじで名前が出てきた『ミーティア』。演じるのは宮野 恵理となっている。そしてその下には『ドローア』の文字。友美が演じるキャラのようだ。

 ほかにもいくつか役名はあったが、大して気に留めずにまたページをめくる。
 そこには、

 台本:施羽 深空
 協力:山本 隆士(やまもと たかし)
 衣装:西川 詩織  他三名

 とある。
 そして、さらにそことは少し離れたところに、もう一人、知った名前を見つけた。

 ナレーター:国本 美鈴

 ――あ、そっか。副部長さんはナレーターをやるから、そっちで手一杯なんだ……。

 そうとも知らず、美鈴を少しながら『冷淡な少女』と思っていた自分を、彼は少し恥ずかしく思った。早とちりもいいところだ。

 功一は改めて美鈴に目を向けてみた。
 相変わらずなにを考えているのかはわからなかったが、さっきよりも幾分、穏やかな表情に見える気がする。

 深空は『暴走』とやらで誤解されることが多いようだが、美鈴は無口であることや無愛想であること――その言動から誤解されていそうだ。

 ――部長と副部長、揃って誤解されやすそうだなんて、なんか変わっていて、面白いなぁ。

 まったくもって、対照的な二人だ。功一は台本で口許を隠し、誰にも気づかれないように小さく笑った。

 ――今度、あの娘にも深空ちゃんみたいに気軽に話しかけてみよう。

「――さん。功一さん」

 恵理の柔らかい声が不意に耳朶(じだ)を打った。

「ああ、恵理ちゃん。なに?」

「なにって、深空さんが『あとは各自、台本に沿って練習してみてくれ』って言ってたじゃないですか」

「あ、あれ? そうだったっけ?」

 どうやら、自分の思考に没頭していて聞き逃してしまっていたらしい。と、そこに当の深空がやってきた。

「しっかり頼むよ。主人公(ヒーロー)とヒロインなんだから」

「うん、がんばるよ」

 うなずいてからハッとし、ペラペラと台本の最後のほうのページをめくる。

 ――やっぱり……。

 そして、思わず心の中でうめいてしまった。
 そこにはマンガや小説でよく見かける、ラストに向かうシーンのセリフがある。だが、自分がそれを口に出して言わなくてはならないのだと思うと、とんでもない恥ずかしさが襲ってきた。
 しかし、引き受けた以上は仕方ない。ある程度、予想はついていたのだし。

 それでもこれくらいは許されるだろう、と功一はひとつため息をついてから、気持ちを切り替え、自分の本題を深空に切り出す。

「ところで、役をやるのはいいんだけど、その練習風景を描かせてもらってもいいかな?」

「ん? ああ、そのことね。オーケー、オーケー。ちゃんと――」

 そこで功一の隣にいる恵理へと、深空は意味ありげに目配せをし、

「彼女から前もって聞いてるからね」

 とりあえず、『彼女』にどんな意味が含まれているのかは、深く考えないことにする。

「それとあんた、詩織と同じくらい発言力あって頼もしいからさ。ま、よろしく頼むわ」

 そう言って功一の肩をポンと叩く第一演劇部部長。

 もちろん、劇を演じるのが恥ずかしくないといえば嘘になる。しかし課題のこともあるし、この空間の居心地だって思っていたよりも悪くない。頼りにされるのも、なかなか悪くない気分だった。

「じゃあ、役のほう、真剣にね」

「適度に?」

「いや、マジで真剣に」

 深空は笑った。彼女の顔立ちは整っていて、笑うと綺麗なものがあったが、美人の――恵理のするそれとはまた違ったものがあった。
 なんというか、恵理のそれは思わず見とれてしまう類のものなのだが、彼女の笑顔は、どうしてか気分が明るくなって、自分でも意識しないうちに笑い返してしまっている感じのものなのだ。

 少しも気取ったところのない、子供のような無邪気な笑顔。
 それはきっと、本人の大雑把――もとい、おおらかな性格からきているに違いない。

 ――大変ではあるだろうけど、きっと楽しい毎日になるんだろうな。

 深空の飾らない笑顔に、功一はそんな予感をわけもなく覚えたのだった。



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