片山荘の住人たち
著者:管理人


 始まってみると、演劇の練習は思った以上にハードだった。それも、体力的な意味で、ではなく、精神的な意味で。

 例えばある日、深空が台本をメガホンのように丸め、功一に指示を出したのだが。

「よし、アーチ。準備いい?」

「あの、僕は藤島功一なんだけど……」

「わーかってるわよ。でも練習中は役の名前で呼ぶの。アニメのアフレコ中にキャストがキャラクター名で指示を受けてるのを知らないの?」

「そんなこと、普通は知らないと思う……」

 こんなやり取りに、しょっちゅうなるのだ。

 また、いざアーチとしてセリフを口にすると、恥ずかしさのあまり赤面してしまう。これはアーチのセリフだ、と頭では理解しているのに、だ。

 そしてもうひとつ、彼が毎日悪戦苦闘していることがある。それは国本美鈴との会話だった。
 数日前に決めた通り、機会がある度に功一は『美鈴にも深空のときと同じように、気軽に話しかけよう』と彼女に声をかけてみているのだが。

「やあ」

「…………」

 とか、

「おはよう」

「…………」

 といった具合に無視されてしまうのだった。
 だが功一は『めげないぞ』と自分に言い聞かせ、今日も美鈴に話しかける。

「ナレーターって、大変?」

 すると、初めて美鈴から返答があった。

「簡単なら毎日毎日練習はしない」

 返ってきたのは皮肉めいた言葉だったが、功一がマイナスの感情を抱くには、彼女の声質はあまりにも綺麗なものだった。あるいは、美鈴にマイナスの感情は抱くまい、と功一が決めていたのも理由のひとつだったのかもしれない。
 美鈴の顔に貼りついているのは、相変わらずの無表情。しかし、さっきの会話とは呼べない問答で功一は自信をつけ、質問を重ねてみる。

「あのさ、美鈴ちゃんって呼んでもいい?」

「…………」

 結果は惨敗。美鈴は台本から顔もあげない。

 ため息をひとつつき、功一はとりあえず美鈴から離れることにした。
 部室の奥にイスを持っていき、端のほうに落ち着けてから腰を下ろす。そうしてカバンの中からスケッチブックを始めとした道具一式を取り出すと、彼は構図を決めるべく鉛筆を手にし、スケッチを開始した。もちろん、専門学校で出された課題である。提出日は十月二十日の土曜日。

「功一さん、すごいですね……」

 声のしたほうに顔を向ければ、隣には恵理の姿。
 首を傾げる功一に恵理は続ける。

「美鈴さんと話をするなんて」

 功一は目線をスケッチブックに戻しながら応じる。

「ああ、そのこと。でも話なんていえるような会話はしてないよ。声だって今日初めて聞いたくらいなんだから」

 もちろん、ナレーターとしての練習をしているときの声を聞いたことはあったが、その美声を自分に向けられたのは初めて、という意味だ。というか、美鈴は部の人間とどのくらいの頻度で会話しているのだろうか。他の誰かと話している彼女の姿をまだ見たことがないような気がするのだけれど。

 それに、である。
 あれを会話としたとしても、彼女から返ってきたのは皮肉だった。功一としては苦笑せずにはいられない。

「それでも、すごいですよ」

 また別の少女の声がしたので、功一は再度顔をあげ、声の主を確認する。

「同じ部の私でも、なかなか話す機会、ありませんから」

 詩織だった。二人の少女にすごいすごいと言われ、功一はなんだか気恥ずかしくなってくる。

「そんなことないって。というか――」

 ――人懐っこそうな詩織ちゃんでも、あんまり話さないの?

 そう口に出す前に、耳に飛び込んでくる深空の声。

「アーチ! ミーティア! 出番だよ!」

 スケッチブックをパタンと閉じ、功一は「よいしょ」と立ち上がった。




 十月十二日、金曜日。
 その日の練習もなんとか終え、功一は恵理、友美と共に片山荘に帰りついた。当然、帰りの電車も彼女たちと同じものだ。

 三人で声を揃えて奥のほうに「ただいま〜」と言い、靴を脱ぐ。
 そして自室にカバンを置きに行こうと思ったときのことだった。奥のほうからパタパタと足音がして、腰まである銀髪が印象的な十三歳くらいの少女が姿を見せる。

「うむ、よくぞ無事に帰った。……と言ってやりたいところじゃが、遅いぞ! 遅すぎる! 腕時計でいま何時か見てみい!」

 そんなに遅かったかな、と功一が腕時計に視線を落とす――前に、友美がケータイを開いて時間を確認した。

「午後八時二十三分。演劇の練習をしてたんですから、こんなものですよ〜」

 ちなみに、彩桜学園を出たのが八時少し前である。

「今日も変わらずひねくれておるな、友美は……」

 これ見よがしに嘆息してみせる銀髪の少女。その赤い目にあるのは呆れの感情だった。

 彼女の名はフィアリスフォール・アルスティーゼ・ド・ヴァリアステイル。長すぎるため、片山荘の住人は全員、彼女のことを『フィアリス』と呼んでいる。
 紫を基調とした、豪奢ではないが品のいい、まるで西洋の貴族が着るようなワンピースを身にまとい、華奢で可愛らしい容姿からは想像もできない年寄り臭い話し方をする、なんとも変わった少女だった。もっとも、本人に言わせれば実年齢は十三歳どころか、優に一億歳を超えているらしいが。
 ちなみに、好きなテレビ番組は『水戸黄門』、好きな飲み物は『酒』、好きな食べ物はといえば『おつまみ』である。『宴(うたげ)』――友美に言わせれば『宴会』――をするのも大好きで、今日も功一たちが帰ってきたら『宴』を開こうと待っていたのだろう。
 当然、功一は「まだ中学生なのにお酒なんて飲んじゃ駄目だよ」と『宴』が開催される度に注意しているのだが、悲しいかな、

「うるさいのう、イリスみたいなことを言いおって」

 と彼女には煙たがられるだけ。

 一度だけ「イリスって誰さ」と突っ込んで訊いてみたこともあるのだが、

「わしの同僚じゃ。わしと同じく、世界を維持するために創られた奴じゃよ」

 などという電波なことを大真面目な表情で語られてしまってからは、まともに取り合う気にはなれなくなってしまった。

 もっとも、実年齢が一億歳だろうと十三歳だろうと、見た目は十三歳にしか見えないのだから酒を売ってくれる店員なんているわけがない。
 そこで彼女の命を受け、買いだしに行くのが、

「おお、帰ってきたか。フィアリスが首を長くして待っていたぞ」

 彼である。片山荘の最年長であり、唯一の大人でもある彼。正直、最年長の男性がそれでいいのか、と功一は思う。だが、彼はそれでいいらしい。

 年の頃は二十七、八。自室でもどこでも黒いスーツを着用しており、線は細いものの体格はよく、なにより背が高い。黒江栄太(くろえ えいた)という名のその男の顔には、いつもやわらかな微笑があった。

 彼の声に、功一の身体が一瞬、なぜか強張る。いつもそうだった。ここに越してきてから約七ヶ月ほど、別に彼となにがあったわけでもないのに、彼のことを苦手としている自分がいるのだ。
 その強張りを解いてくれるかのように、フィアリスが黒江に噛みついた。

「誰が首を長くして待っていたというのじゃ! むしろそれはお主のほうじゃろう、黒江!」

 黒江は無言で肩をすくめてやり過ごす。フィアリスはそれに「う〜……!」とうなったが、すぐに気を取り直し、

「誰が待っていたかなんて別にどうでもいいじゃろう! ほれ、宴をやるぞ! はよう炊事場に集まらんか!」

 恵理がそこで口を挟む。

「でも、まだ皆が揃って――」

「ただいまー!」

 ガラガラと扉が横にスライドするのとどちらが早かっただろうか、明るく元気な声が後ろからした。
 振り返った先にいたのは、ブレザーに身を包んだ、誰もが二度見してしまうほどの美少女。
 柔らかそうな栗色の髪は緩やかなウェーブを描いて腰のあたりまで伸びており、少しばかりの元気の良さと、清楚な印象を見る者に与える。

 岩波美花(いわなみ みか)。恵理や友美、フィアリスと同様に彩桜学園に通う、『探偵部』に所属している十七歳の少女である。

「お帰りなさい、美花さん。今日はどうでした?」

 にこやかに問いかける恵理に美花は苦笑で返した。

「う〜ん、相変わらず、かな。あ、でも休憩時間に店長と副店長から面白い話を聞けたよ。あと、今度新しいバイトを雇うみたい。潰れないといいんだけど、あそこ……」

 美花は『満員御礼』というファミレスでバイトをしている。店員同士が本名ではなくあだ名――あるいはコードネームで呼び合うという一風変わった店であり(ちなみに、美花のコードネームは『アイドル』)、店長の顔が怖いため(なんでも元ヤクザなのだとか)、なかなか活気づかないという店でもあった。実は功一も、その店長に接客されたことがトラウマになっており、まだ一度しか行ったことがなかったりする。

「あそこ、ちょっと美花ちゃんとウェイターの人に頼りすぎだよね。決して料理も美味しいとは言えなかったし……。あのウェイターさん、なんて名前だったっけ?」

「ああ、ホストさん? 本名はちょっと知らないかなぁ……」

 まさか敢えてあだ名で呼んでるのではなく、名前自体を知らないとは。つくづく変わった店である。

「ほれ! ミカも帰ってきたことじゃし、いい加減、宴を始めるぞ! 大体、そういう話は宴の席ですればよかろう!」

「あ、ちょっと待ってて。私、カバン置いてきちゃうから」

 ――チャンス!

「僕もカバン置いてくるね!」

 返事も待たず、功一は駆けだした。フィアリスが「すぐ炊事場に来るのじゃぞ!」と言っていたのは聞こえたが。

 それにしても、と彼は思う。
 どうしてここの人間は皆、フィアリスの飲酒を止めないのだろうか。友美に至っては自分も飲む上に功一にまで飲まそうとしてくるし。

 カバンを置き、ダッシュで炊事場に向かう。フィアリスが怒ったところは見たことがないが、彼女は怒らせたら怖いタイプだと功一は勝手に思っていた。

 案の定、炊事場に着いたのは功一が一番最後。そして言うまでもなく宴はすでに始まっていた。

 変人ばかりが集まる変わった場所、片山荘。
 ここ、炊事場にいる功一を含めた六人が、ここに住む全員だった。



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