やってきた協力者
著者:管理人
目の前にあったのは、色とりどりのフラフープたちだった。いや、よく見れば輪投げの輪も交じっている。
「今日は、練習にこれを使うよ!」
十月十六日、火曜日。
呆気にとられる功一たちの前で、深空は胸を張ってそう言い放った。
「昨日で一応、最後まで通しての練習まではいけたからね。今日からは斬りあいをリアルに見せるための練習に移行!」
丸めた新聞紙を功一に勢いよく突きつけてみせる深空。彼女の手にしている武器にでははなく、この部長の気迫そのものに圧されて功一はたじろいだ。
「ええと、それよりも言いたいことがあるんだけど……」
「うん? なに?」
「昨日の練習中の……ほら、あれ、考え直してくれた? ほら、あの……」
功一の言葉はなんとも歯切れが悪い。しかし、深空はそれに気を悪くした風もなく、「ああ、あのこと」とうなずいてみせる。
昨日、功一は彼女が脚本を手がけた演劇『天空の楽園』のラストシーンを演じた。本番でやるべきシーンを練習でやらないはずがないのだから、それは当然のこと。しかし、そのシーンを演じ終えた直後に深空が『アーチとミーティアのキスシーンの追加』などというものを思いついたのには心底、驚かされた。
当然ながら功一はそれに異を唱え、考え直すよう(功一の基準で)強く迫ったのだが……。
「やっぱり、キスシーンは追加したほうが盛り上がると結論したわ」
今日、返ってきた返答はこれである。思わず絶叫してしまう功一。
「――ちょっとおぉぉぉぉぉっ!」
「別にいいじゃない、本当にするわけじゃなし。というか、ちょっとそれっぽく顔を近づけるだけでいいって、昨日も言わなかった?」
「そりゃ、そう言ってたけど!」
「仮になんかの拍子で本当にすることになっちゃっても、それはただの事故。ノーカンだって。あー、ほら、人工呼吸みたいなもの?」
「そういうわけにはいかないでしょ!」
「むむぅ……。昨日も思ったけどさ、藤島くんって意外とお堅いよね」
「普通だよ!」
喉が枯れるほどの大声で叫び、功一はゼエゼエと肩で息をしてしまった。普段、そこまで大声を出すキャラではないので、想像以上に疲れてしまう。
そんな彼を尻目に、深空は「う〜ん」となにやら考え込んでいた。
「わっからないな〜。ここは普通、男なら喜ぶべきところでしょ。言い訳が用意されてるんだから。ある意味、役得?」
問題は、その『得』の質と量が功一の許容量を軽くオーバーしていることにあるのだ。ただ顔を寄せるだけでも心臓バクバクものだというのに、それ以上のことが起こるかもしれないなんて、とんでもない。自分は、そういう『幸福』に類するようなことを享受(きょうじゅ)してはいけない人間だというのに。
「でもぶっちゃけ、なにが問題なの? このままキスシーンをなんの理由もなく却下すると、彼女があの状態のままになっちゃいそうだわ、アタシも納得できないわで、マイナスだけが残っちゃいそうなんだけど?」
深空が目線で示した『彼女』のほうを見やる。そこには心なしか落ち込んだ表情をみせる恵理の姿が。
ここに至って、声高に否定し続けたのは失敗だったと、ようやく功一は悟った。
「いや、別に恵理ちゃんが相手だからどうというわけじゃなくて。というか、むしろそれ自体は全然いいんだけど、でもほら――って、あ……」
そのしどろもどろな弁解に、深空だけではなく部室にいたほぼ全員――隅っこのほうでイスに腰かけながら衣装作りをやっていた詩織までもがニヤニヤとした笑みを浮かべる。功一と恵理は赤面、無表情でいるのは美鈴くらいのものだ。
深空が功一の言葉を芝居がかった仕草と共に反復してみせる。
「別に恵理ちゃんが相手だからどうというわけじゃなくて――! ねぇ」
それに素早くノるのは友美。
「むしろそれ自体は全然いいんだけど、ですか〜」
功一と恵理に返せる言葉はなにひとつない。
ひとしきりニヤニヤして満足したのか、深空がパンと両の掌を鳴らして告げる。
「まあ、藤島くんから顔を近づけるのが抵抗あるっていうんなら、強制はできないね。しょうがない、他の案を考えますか」
その言葉に功一は安堵の息をつき、
「助かるよ、本当に」
「いやなに。ごちそうさまなものを見せてからねぇ」
満足なんて全然していなかったらしく、ニヤニヤと小悪魔的な笑みを再度覗かせる深空。それに再び、功一と恵理は顔を真っ赤にしてしまうのだった。
「とりあえず、今日の練習内容に関しては異論ないのよね?」
功一を散々いじり倒すこと、十数分。飽きたのか、それともそろそろ練習に移るべきと判断したのか、深空は冒頭の本題を持ち出してきた。
もちろん功一に異論はない。むしろ、いじられずに済むのならなんだってやってやる、くらいの気持ちになっていた。いや、もちろん誰が相手であれキスシーンを演じるのは嫌なわけだが。
「異論はないけど、でもフラフープで一体なんの練習をするの?」
「ん? 殺陣(たて)」
深空から返ってきたのは、単純にして明快な回答。
彼女の言葉にもっともらしく友美がうなずいてみせる。どこかわざとらしく感じられるのは功一の気のせいだろうか。
「ああ〜、斬りあいって最初に言ってましたもんね〜。それ、私もやるんですか〜?」
「いや、あんたが演じるドローアは魔法使い系の役だからね。剣を振り回す演技は必要ない。もちろん、身のこなしを鍛えてもらおうとは思ってるけど」
二人の会話に恵理がおずおずと口を挟む。
「あの、そのためにフラフープを?」
「そう。腰の動きって大事だと思うからさ」
俊敏な動きが求められるのはわからないでもないが、それをフラフープで鍛えるなんてできるのだろうか。
「じゃあ、はい。各自フラフープ取っていって〜!」
ナレーターである美鈴、それと詩織を始めとした衣装班――合計五人を除いた部員が少々かったるそうに一ヶ所に集まる。それから部室の端のほうにばらけていき、仲のいい者同士で駄弁りながら練習を開始した。
その光景に疑問を覚え、深空に尋ねてみる。
「あれ? 皆が皆、部室でやるの? 体育館とかは?」
彼女は気まずげに頬をポリポリと掻き、「あはは……」と乾いた笑いを漏らした。
「やー、それが使用許可がとれなくてね。うち、体育館は複数あるけど、生徒数も多いから。季節柄、外での練習は皆、嫌がるし……」
青いフラフープを手に「そっか」とだけ返す功一。早速回してみようとしたものの、フラフープは一回転もすることなく、あっさりと床に落ちてしまった。
それからは恵理と共に、しばしフラフープに悪戦苦闘。
功一がぎこちないながらもなんとか回せるようになってきた頃には、基本、運動神経が優れているのか、恵理は実にスムーズに、ともすれば見とれてしまうほどにフラフープを上手く操っていた。もっとも功一が見とれたのはフラフープを回すその姿にだったのか、それとも恵理そのものにだったのか。……おそらくは、十中八九、後者になのだろうが。
一緒に練習を始めた友美はというと、開始とほぼ同時にマスターしてしまい、いまは退屈そうに輪投げの輪を手で弄んでいた。まったく、この娘は本当に底が知れない。
やがて、ふとなにか思いついたのか、友美が不気味な笑みを浮かべてみせる。ついで少し真剣な表情になり、輪を投げる体勢をとった。そして、輪が友美の手を離れ――
「ちょ、友美ちゃん!」
功一が声を上げたときにはもう遅い。友美の放った輪はナレーションの練習をしている美鈴のところへ一直線に飛んでいく。
――まずい、当たる!
思わず目を閉じようとした瞬間。
空気を裂いて飛び来る輪――その中心部分に彼女は右の人差し指を入れ、くるくると一回、二回と回したのちに功一に向けて投げ返してきた。
「――ぶっ!?」
上手く取れずに、顎へのヒットを許してしまう功一。美鈴に比べ、なんとも無様だった。
それにしても、美鈴は輪を投げられてからいまに至るまで、脚本から顔も上げなかった。底の知れなさでは友美といい勝負だ。
そんなことを考えながら顎をさすっていると、
「相変わらず、変わった練習やってるなぁ」
部室の入り口のほうから、男性の声。なんだろうと思い、功一は目をやってみる。
絵に描いたような平凡な顔を持つ男が、そこにいた。学ランを身にまとってはいるが勇ましさはそこまでなく、その身体つきもまた、平均的な中肉中背。パッと見た印象は、功一とそう変わらないかもしれない。
ただ、その少年の瞳には、なんだか争いごとを求めているような色が浮かんでおり、そこだけが功一と決定的に違うといえた。
上履きに走っているラインの色は三年生であることを示す青。十七、八歳くらいに見えるから、おそらくは深空と同学年だろう。
「よお、山本じゃん。どうした? 練習見に来ないかって誘ったとき、『気が向いたらな』って断ったじゃないか」
文句を口にしながらも、深空が向けているのは親しげな笑み。どうやら彼女が気を許している人間ではあるようだ。
「うるさいなぁ、気が向いたから来たんだよ。――で、どんな感じだ?」
「お? やっぱり気になるんだ」
「そりゃ、多少とはいえ関わってるからな。というか、そろそろ返せよ、あの小説。もといラノベ」
「はいよ。でも本当、助かったよ。持つべきものはオタクの友達だね!」
「オタクの、は余計だよ」
「あははっ。こりゃ失礼」
深空がいつになく活き活きしているように感じられるのは功一だけだろうか。雰囲気的になんとなく会話に入れずにいると、彼女がこちらを向いて、
「そうそう、山本。この人たちが教室でも言った例の助っ人よ。そんでもって藤島くんたち、こいつは山本隆士。台本に名前を載せておいた、この劇の協力者」
――ああ、そういえば『協力:山本隆士』ってあったなぁ。
「まあ、協力といっても、こいつはライトノベルを貸してくれるだけなんだけどね。ほら、前に言ったでしょ? 今回の劇、別の創作物からかなり影響を受けていて、流用も多いって」
深空は自分のカバンが置いてあるところにテクテクと歩いていき、一冊の本を手に戻ってくる。
「この作品。『スペリオル』。他にもシリーズとしていくつか出てるから、これはそのうちの一冊でしかないんだけどね。――ほい、返すよ山本」
「おう。……って、ああっ! この部分、折れ曲がってるじゃんか!」
「え? どこ? アタシは丁寧に扱ったよ?」
「いやいやいやいや! ここだよ、ここ! ページの右上! ほら、ドッグイヤーってやつ! さては適当な栞がなかったから折り曲げやがったな!」
「え〜? なんのことかな〜?」
「あからさまに目を逸らすな! そして吹けもしない口笛を吹こうとするな! ……まったく、お前に本を貸すといつもこうだ。他の奴に勧めようとする癖がなければ絶対に貸さないのに。というか、ちゃんと丁寧に扱う西川のほうに貸せばよかった! 今回は使用目的からしてあいつに貸しても問題なかったんだし……!」
「ふっふ〜ん。なに? 今頃気づいたの〜?」
「悪魔かお前は!? いや、悪魔だお前は! 皆さん! 悪魔がここにいますよぉ〜! ちくしょう、やっぱり西川に貸すんだった!」
山本隆士。なんともテンションの高い人間だった。やっぱり功一とはかなり印象が違うかもしれない。
と、そんなことを思っていると、詩織がこちらにやってくるのが見えた。
「あの、呼びました?」
「あ、詩織」
「よう、西川。いや、別に呼んじゃいないんだけどな」
「あ、そうですか……」
なぜだか詩織がしょぼんとする。しかし落ち込んでいる割には元気があるようにも功一には見えた。なんというか、頬がかすかに上気しているような……?
功一の印象を裏づけるように、詩織はすぐに元気を取り戻して続けた。
「それはともかく、仮に私に貸してくれても、結局は部長の手に渡っちゃうわけですから、やっぱり結果は変わらなかったのでは?」
「う、それもそうか……」
「ま、諦めなって。第一演劇部に本を貸すってのは、痛めていいですよって差し出すのと代わりないんだから」
ニコリと笑って隆士の肩にポンと手を置く深空。そんな彼女に、
「お前が言っていいことじゃないだろう!」
「部長が言っていいことじゃないでしょう!」
きっと普段から深空関連で気苦労が絶えない者同士なのだろう、隆士と詩織の息のあったツッコミが炸裂したのだった。
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