夜と約束と動き出す歯車
著者:shauna


 それは、一言で言うなら悪夢だった。



 「う・・・うぅ・・・」



 気持ち悪いとしか言いようのない感覚だった。狭いゴム管の中に無理やり身体を詰め込まれ、強力な水流と共に押し流されている感覚・・・とでもいうのだろうか・・・
ともかく、息ができないし、全身の骨が肉が締め付けられ、肌を引き裂かれるような感覚だった。
ただ・・・そんな感覚の中で・・・




 ピチャ・・・ピチャ・・・
 あるいはパシャ・・・パシャ・・・というやわらかな水の音が響いていた。


 「大丈夫・・・もう大丈夫だから・・・」


 それはものすごくやわらかな声だった。



 君ハ・・・誰・・・


 「大丈夫・・・大丈夫ですから・・・」


 すさまじい体の痛みに動かない体・・・口・・・
 その中でただただ・・・声だけが響いていた。


 やさしいやさしい子守唄・・・その中で再び意識を失うのを感じた・・・。


 
 それからどのぐらいの時が経っただろう・・・




 少年は静かに目を開けた。

 ものすごく暗い中にやさしく包み込むような魔光石の青白い光だけが灯っていたのはおそらく夜だからだろう。人々の話し声や、他の明かりが見えないことから、どうやらかなり深い時刻らしい。
 
 そんな中で、初めに見たのは女性の背中だった。

 黒の法服に身を包んだ綺麗な栗色の髪の少女。

 だけど・・・

 彼女は誰なのだろう・・・

 その疑問と共に、少年は静かに身を起こす・・・と・・・


 「うぐっ!!!」


 まるで体全体を切り裂くような激しい痛みに襲われた。
 その声に気が付き、少女が静かに振り返る。


 「まだ、動いちゃダメです。」


 すぐに少年の元へと寄り、静かにその肩を押して、再び布団に戻そうとする。
 可愛い少女だった。大きな黒い瞳や白い肌・・・服から考えるにどうやら修道女のようだった。


 「まだ、痛むんですね・・・。」


 ベッドに少年の身を横たえると少女はそっと毛布を掛ける。
 そこに少年は当然の疑問をぶつけた。


 「君は・・・」

 すると、


 「私・・・シロン・エールフロージェって言います。」


 少女はそう応えた。


 「・・・シロン?・・・」


 問い返すと、少女は静かに頷き・・・


 「それで、ここは教会の医務室。」

 「俺は・・・なんでこんなところに・・・」

 「えっと・・・山道に倒れていたんです。酷い怪我をして・・・」

 「怪我?」

 「はい。おそらく山賊に襲われたんだと思います。最近多いらしいんです。戦争のせいで村を焼かれた人たちが世界を呪って悪い事に走るんだと、聖女様がおっしゃってました。」

 
 「そう・・・だったかな・・・」


 「おそらく、傷による一時的な記憶の混乱ですね。そのうち、思い出すはずです。」

 「・・・・・・」


 シロンの微笑みに、少年は静かにため息を漏らす。


 「ごめん。もう少し、休んで良いかな・・・なんだか・・・眠い。」

 「はい。先程、聖女様が治療をなさいまして、もう峠は越したとおっしゃってました。眠る前に包帯を取り替えますね。それから、傷口も洗いますので、少々沁みるかもしれません。」

 そういうと、シロンはそっと少年の体に触れ、包帯を解く・・・そして背中の傷口を湿った大きな綿玉で拭くと同時に・・・

 「ッ!!!」
 少年の体に激痛が走る。

  「やっぱり沁みますよね・・・でも、そのままにしておくときっと膿んできますし・・・少しだけ我慢してください。」

 拭き終ると同時にシロンは手早く包帯を巻いて少年をベッドに寝かす。

 「あ・・・」

 弱々しい声で少年が呻く。

 「はい?」
 「アリ・・・ガトウ・・・」
 「あっ・・・いえいえ・・・どういたしまして。」

 笑顔で照れるシロン。見れば、まだかなり幼い少女だ。年の頃は8歳といったところだろうか・・・その割にしっかりと医術に関しての知識があることには驚きを隠せない。

 だた・・・今は眠くて・・・意識が飛んでしまいそうなぐらいに眠くて・・・


 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
 「あの・・・もしも・・・ぁ・・・」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「おやすみなさい。」



 知らない間に少年はまた夢の世界へと旅立っていた。

















 次に目を覚ました理由は朝日の眩しさのせいだった。

 先程とは異なり、小鳥が歌っていることから、どうやら午後ではないらしい。

 そんな中で少年は必死に記憶の糸を辿る。


 ここは・・・そうか・・・俺、確かひどい怪我で倒れてたって・・・それから・・・




 ・・・・・・・・・・・駄目だ・・・意識がはっきりしない・・・。


 頭が朦朧としてるのが自分でもよくわかるほどだった。

 しかも、少し体を動かしてみると・・・

 (ッ!!!)

 再び痛みが走る。なんだこの痛みは・・・

 だけど、まあ・・・動けない程ではない。



 少年はできるだけ体に負担のかからぬよう静かに起き上がり、ベッドから出て立ち上がる。




 煉瓦造りの部屋。


 季節が夏の終わりの為、窓は開け放たれていた。
 
 部屋には誰もいない。

 それどころか、周りから人の話し声すら聞こえなかった。



 とりあえず、壁に掛けられていた自分の服を見つけ、それに着替える。
 まあ、服とはいえそれはあまりにも粗末な麻でできた継ぎ接ぎだらけの布切れではあるのだけれど。
 どうやら怪我というのは斬傷らしく、腕や背中や腹など様々な処に残症の痕跡があった。

 痕跡というのは、服が既に修復されていた為である。
 裂けた布は縫合され、再び洋服としての役割を十分に果たしていた。

 それに着替えると静かに部屋をでる。


 やはり、廊下からも何の声もしなかった。
 どうやら、ここは修道院や宿屋や寮のように部屋が幾つも連なった構造をしているらしい。
 ともかく、人を探して、さまよい、何時しか中庭に出ていた。



 太陽が照りつけ、青々とした草木に反射する光景に自然と目が窄まる。


 やっと目が慣れてきて、周りを眺めると、そこは見たことの無い場所だった。
 ただ、日差しと風だけがものすごく心地よくて・・・

 と・・・


 「え・・・」

 後ろの方からした声に、静かに振り返る。

 そこには、あの少女が立っていた。
 黒い修道服に身を包み、手に祈祷書を持っていることからどうやら、“お祈り”の後なのだろう。

 「駄目ですよ。まだ動いたら・・・」

 確か・・・名前は・・・そう・・・シロン・・・シロン=エールフロージェだったはずだ。
 シロンは静かに側に寄り添い、自分のことを叱責した。

 「今は鎮痛剤が聞いていて多少は痛みが軽減されていますが、本来ならまだ安静にしていなければならない時期なんですよ。」

 そういうと、静かに自分の手を握り・・・



 「さあ、お部屋に戻りましょう。少し落ち着いたら朝食をお持ちしますから・・・」


 そう言って、無理にでも引っ張っていきそうな勢いで手を引く。


 しかし・・・


 「いや・・・大丈夫・・・だから・・・」

 少年はそう言って、手を振り解く。

 すると、少女はムッと膨れた顔をして・・・
 

 「何を言ってるんですか!!!!」


 そう大声で怒鳴り掛けられたものだから、思わず少年も身を引く。


 「本当にちっともわかってませんね!!!あなたは覚えてないかもしれませんが、昨日大きな手術をしたばかりなんですよ!!!それこそ、死んで無いのが不思議ってぐらいの大怪我です!!当たり前ですけど、まだ“抜糸”とかいうのも終わってないって聖女様もおっしゃってました!!!!然るに、今日は安静にしているべきなんです!!!いいですか!!!あなたはケガ人なんです!!!それこそ、今は多少“鎮痛剤”とかいうのが効いてるから多少痛みが収まってますが、それで・・・」


 「そこから先は私が話すわ。」

 と・・・シロンの弾丸トークを遮って、誰かが水を差した。
 少年がそちらの方を向くとそこには一人の女の人が立っていた。
 
 答えたのはものすごく綺麗な女の人だった。


 長い金糸のような髪は腰まで伸び、ゆるやかな法服を身に纏った女の人。

 想像で年齢は17歳ぐらいだろう。

 ただ・・・その清純な見た目に不釣合いなことに、腰には一本のレイピアを差していた。


 白金で作られた綺麗な逸品・・・。


 でも、それを踏まえて尚、聖女という言葉が似合うほど・・・そのぐらい彼女は美しかった。


 少なくとも、少年が今まで出会ったどんな人よりも・・・



 「聖女様・・・」



 シロンが驚いたように目を見張り、そして、慌てて深々と頭を下げる。
 その様子から、どうやらかなり偉い人であることを少年も悟る。


 「そんなに責めないであげて。ちょっと出歩いちゃっただけだから。」
 
 柔らかく微笑んだその女性は静かに静かにシロンから少年へと目線を移し・・・。


 「喉が乾いただけなのよね?」


 と優しく告げた。
 言われてみれば確かに喉がカラカラだったことをアリエスは理解する。

 「手術の時にあれだけ汗をかいたんだもの。おかしなことじゃないわ。シロンちゃん。悪いけど、お水を持ってきてもらえる?」
 

 ものすごく柔らかくエレガントな物腰で女の人がそう呟くと、シロンは「はい!!」と嬉しそうに、廊下の向こう側へと駆けて行った。


 「さて・・・」

 と・・・

 「あ・・・あの・・・ええっと・・・聖女・・・様?」
 「無理しなくていいのよ。私はエリルティア=オンタリオ。気軽にエリーって呼んでね。」
 「あ・・・でも・・・」

 少年ながらにそれはいろいろとマズイんじゃないかと考えるが・・・

 「気にしないで。聖女っていうのは基本的に国の偉い人が勝手につけた呼び名だし、教会の人はただそれを呼んでるだけ。私としては、エリーって呼ばれた方がなんだかうれしいから・・・」
 「あ・・・じゃ・・・じゃあ、エリーさん。」

 「なぁに?あ〜・・・えっと・・・」

 ハッと少年が気がつく。

 「俺は・・・アリエスっていいます。」

 名前を聞いて、エリーは満足したようにニッコリと笑った。


 「アリエス君ね。歳は?」
 「10歳です。」
 「あらあら。シロンちゃんと同じね。」

 え・・・

 「シロンちゃんって・・・さっきの娘ですよね。」

 「ええ・・・もっと年上かと思った?」
 「あ・・・はい。てっきり、俺より3つか4つは上だと・・・」
 「まあ、無理も無いわね。あの子、大人びてるっていうか・・・マセてるっていうか・・・もちろん、いい意味でよ。」
 「はい・・・そうですね・・・」

 一拍おいて、エリーが語りだす。


 「まあ、こんな状況だから・・・彼女も少しぐらいマセなきゃやってられないってのもあるかもしれないわね・・・」
 「こんな状況・・・ですか?」

 アリエスは首を捻りながら言う。

 すると、エリーは驚いたようにそのキレイな目を見開いて・・・


 「えっと・・・アリエス君・・・どこの出身?」


 そう聞いてきた。


 「こ・・・この国の・・・その・・・田舎です。東の方の・・・」


 ・・・ウソをついた。

 「東・・・ってことは・・・ああ・・・うん。よくわかった。」


 でも、エリーは納得したように頷いた。そして・・・


 「えっとね・・・簡単に状況を説明してあげるわ。立ち話もなんだから、近くのテラスにでも行きましょうか?」
 「え・・・でも、シロンは・・・」
 「大丈夫よ。すぐに気がつくわ。じゃ、行きましょ。」


 緩やかな足取りで歩くエリーの後ろをアリエスは若干の心苦しさを覚えながらも、ゆっくりとついていった。





   ※       ※           ※




 
 「さて・・・じゃあ、何から話したら良いのかしら・・・」

 テラスの席に座ると、エリーがのんびりと話しだす。

 「アリエス君・・・失礼だけど・・・学校に行って歴史の勉強をしたことはある?」
 「あ・・・」

 しばらく沈黙してから、アリエスは「いいえ。」と答える。

 「そっか・・・。まあ、状況が状況だけに仕方ないわね。わかった。じゃあ、ちょっとだけ歴史のお勉強ね。・・・時代は今から約200年程前。
  かつてこのリューシャ大陸にはいくつもの国があってね。その中の中小国家の一つでアルビオン王国という国があったの。
 その国は当時、女王“エリザベータ1世”によって統治されていた。
 この国はとっても凄い国でね。絶対王政って分かるかな?」


 「えっと・・・王様が全部決めるってことですよね?」


 「そう。良く知ってるわね。・・・でね。当時の周辺の国が次々と市民革命や議会制度化するのに対して、このアルビオンって国は絶対王政を固持し、国内で採れる貴重な宝石によって莫大な富を有し、発展を続けていたそうよ。
 200年間に渡って栄え続けたこの国にその平和も終わったの。」

 「え・・・」

 「独裁者・・・ってわかる?」

 「あ・・・えっと・・・なんとなく・・・とりあえず、悪い人・・・ですよね?」

 「まあ・・・ちょっと違うけど、今はそれで良いわ。でも、アリエス君博識ね。何でも知ってるからお話がしやすいわ。」

 「あ・・・えっと・・・その・・・結構図書館で本をよむので・・・」


 またウソをついた。


 「そっか・・・偉いわね。」

 うぅ・・・なんだか胸が痛い。

 「その独裁者・・・名前をナブリオーネ=ボナパルドって言ってね。元はアルビオンの隣にあったディスティラ王国という国の将軍だったの。でも、今から30年前。国に反乱して結果、新しい王様になってしまったの。それだけで,満足しとけばいい人で終わったんだけど、その人、その後、いろんな国に向かって戦争をしてね。結局周辺の国はアルビオンを残して全滅しちゃったの。そして、やっぱりって言って良いのかな・・・最後の目標として狙ったのはアルビオンだったわ。」

 「え・・・ど・・・どうなったんですか?」

 「ユースタス海戦で制海権を掌握した将軍は王都ウェセックスに向けて12万の兵と共に侵攻したわ。これで、時の女王だったエリザベータ3世は東南のカトルフォードと言う都市へと追いやられ、さらに悪いことに国内の親ナブリオーネ派から王政の廃止を求められた。
 これが後に言う、“カトルフォードの屈辱”ね。

 でも、この絶望的な状況を救った人間が居たわ。アルビオンの大公爵、ミハエル=ガルバーチェフ=シェリサント公とその騎士であり親友でもあった子爵、ヘンリー=アルベルト=ド=フィンハオラン卿。彼らの尽力によってエリザベータ3世は北のアンバーティンまで逃れ、ナブリオーネに占拠されたウェセックスからここへ王都を移したの。
 これが後に言う、北方遷都。

 そして、ここからさらにアルビオンは巻き返しを始めるわ。シェリサント公は数名の者を重鎮として迎え入れたの。元教皇にして引退後は晴耕雨読の毎日を送っていた天才軍師”ルドルフ=フェルディナント=フェルトマリア”に始まり、竜退治の専門家”ウルフリッジ=グロリアーナ”と武器商人として大成していた”ビクトル=ハルランディア”・・・これに親友のフォロンを加えた4人を己の側近としたの。
 
 歴史的に見ても、この時代に関する小説は今でも出版されてるわ。それぐらいこの時の戦争は爽快だったの。フェルトマリアはすぐにナブリーオネが兵站・・・つまり、直接戦闘には関係ない補給とかの後方支援を軽視してることに気がつき、グロリアーナが全面を抑えている間に、フィンハオランがこれを全滅させたの。さらにハルランディアが香辛料を独占したことで、食料が保存できなくなり、結果、兵站はズダズタ。

 季節が真冬だったこともあって、寒さと飢えで兵力をそがれ、さらにフェルトマリアが敵ごと街を焼き払う・・・後に言う”オペレーション・シラヌイ”を行ったこともあり、結果、最盛期の60万の兵力はあっという間に5000まで削がれ、他の国家に救援を求めるも、フェルトマリアは鉱産資源による莫大な資金を背景に次々と周辺国家を買収。結果、かれは失脚。没落したわ。・・・っと・・・ごめんね。難しすぎてわかんないよね。」

 最もこの辺は結構絵本とかにもなってるから気になるようならそっちを読んだ方がわかりやすいかも・・・と彼女は続けた。

 「で、ナブリオーネが失脚したことで、アルビオン王国はそれまで彼が使役していた広大な土地を持つ神聖ディスティラ帝国を手に入れることができた。窮地に追いやられ。崩壊寸前だった王国が一気にリューシャ大陸の1/4を占める大国になっちゃったわけ。
 これが今から10年前。後に言う”神聖アルビオン王国”の誕生よ。

 でも国が成立してわずか3ヶ月。国王のエリザベータ3世は崩御したわ。老衰でね。68歳だった。そして、この時、残念ながらエリザベータには子どもが居なかったの。つまり、ひとつの王朝が終りを告げた。で、その後に王として即位したのが・・・」

 「シェリサント・・・ですか?」

 「その通り。エリザベータの遺言もあって、当時のシェリサント家の当主であり、ミハエル=ガルバーチェフ=シェリサントの長男だった”アルカディアス=シャルル=ベルメージェル=シェリサント”。彼はアルビオンからの習わしに従い、帝政を敷き、4人の側近に大公爵の称号を与えたの。
 まあ、フィンハオランだけは断って”騎士”階級に留まってるんだけどね。そして、皇都を国土のほぼ中央に位置し、天然の要害でもあった場所アトランディアに遷都して、己を皇帝とした。
 そして、国号を神聖アルビオン王国から新たにエターナル・フェイス・・・”国民から永遠なる信頼を得られる王国”と言う意味で、”エーフェ皇国”としたの。そして、それが今私たちが暮らしているこの国の誕生ってワケ。ここまで大丈夫?」


 「な・・・なんとか・・・」

 「じゃあ、続きを話すわね。
 その後、エーフェはまた数人の人物を得ることになるわ。アルカディアスは当時、自分の親衛隊のエースだった女の子と交際していて、結婚まで考えていたらしいんだけど、国の政治家達から東の隣国スティリア王国の姫と政略結婚を迫られ、この国を無償明け渡しする約束と共にその姫”キャスリーン”と結婚。もちろん、付き合ってた女の子の方が好きだったから、彼女を皇后にしたかったらしいんだけど、身分の差があったからね。最終的にはキャスリーンを皇后とし、その女の子を側室にし、ほぼ同等の権限を与えることで納得せざるを得なかったの。これでも側近達をフェルトマリアがかなり説得して得られた最大限の譲歩だったみたい。

 
 ともかくこれで、エーフェは大陸のほぼ半分を手中に収めることになったわ。それが5年前。でも、エーフェが領土を拡大するほどに敵はどんどん増えて行った。

 同年。とある国が・・・いえ・・・国々がエーフェに向かって、宣戦布告したの。」


 「・・・アルフヘイム連合ですね・・・」


 アリエスの言葉にエリーが頷いた。


 「そう・・・神聖アリティア帝國を筆頭にペラジア王国、フラヴァロ共和国、カエルレス王国、ベリルス帝国など、世界のもう半分の領土の国々が同盟を組み、アルフヘイム連合としてエーフェに宣戦布告したわ。
 ある日突然・・・何の前触れもなく・・・国境の村を一斉に襲い始めたの。これによって、一時はエーフェの全国土の1/7が失われたの。」


 「しかし、このさらに3年前・・・今から8年前にエーフェ皇国は一人・・・10歳の女の子を得ていたんです。」



 後ろからの声にアリエスが振り返る。


 「シロンさん・・・。」
 「もう!!!私のこと置いていくから!!!あっちこっち探しまわっちゃいましたよ!!!」

 怒るシロンに、エリーが

 「ごめんごめん。私が連れ出したの。彼に責任はないわ」

 と苦笑いして謝る。

 ム〜とした表情で彼女は持ってきたグラス3つをテーブルの上に置いて、そこに水を注ぎ、そして、自分もその場の空いている席へと座った。


 「・・・その女の子は、とってもとっても不思議な女の子で、神様の声を聞くことができたんです。」
 「神様の・・・声?」
 「はい・・・その女の子は路地裏でまるで闇に紛れるようにして生きてきた占い師の・・・まだ10歳の女の子でした。」
 
 今の俺やシロンと同じぐらいだ・・・とアリエスはこころの中で静かに思う。

 「その女の子のする占いはとっても不思議なものでした。何故なら、100%当たるんです。普通占い師と言えば、結構曖昧なことを言ってしまうものですが、その女の子は的確に物事を言い当てることができたんです。まるで予言のように。」
 「予言・・・」
 「本人は”神様の声”と言ってました。しかも、その女の子は人の心の声も聞くことができたんです。」
 「心の声って・・・つまり・・・」
 「誰かが辛いと思ってればそれがわかりますし、誰かが嬉しいと思っていればそれが分かる。そういうことです。そして、ある日、その噂を聞きつけた一人の文官が彼女を王宮へと連れていきました。

 そして、そこで厳しい審議が執り行われました。ひょっとしたら魔族である可能性がありましたから・・・フェルトマリア様は、皇帝を群衆の中に隠し、自ら皇帝の変装をして玉座へと上がったのです。しかし、心が読める少女はすぐにそれを見破り、群衆の中から皇帝を見つけ出しました。何千人という群衆の中から陛下を当ててしまったんです。そして、その後も教会のシスター達による厳しい審問を受け、ついに聖女として認められたのです。そして、少女は現在までの8年間、素晴らしい活躍を見せました。予言の能力を使って、不治の病と言われた病気の特効薬を次々と未来から呼び寄せ、人の心の声を聞く力で、反逆者やスパイを見つけ出し・・・

 そして、5年前。13歳の彼女は敵によって侵略された国境に居ました。人を守るために・・・戦うために・・・。未来を見る力で伝説の武器が眠っている場所を探し出し、手に入れ、その武器を手に、彼女は戦争をしました。」


 無謀だ・・・とアリエスは心のどこかで思った。女の子が一人で、戦場に出て、軍隊を相手にするなんて・・・


 「アリエスさん・・・その結果・・・どうなったと思います?」
 「・・・死んだんじゃないか?」


 10歳の少年らしく、アリエスは正直に言う。

 対して、シロンは・・・



 「ええ・・・死にました。」

 と静かに返した。


 「敵が・・・」


 え・・・

 「たった一人の少女とたった一本の魔剣に・・・10万を超える軍隊が壊滅したんです。わずか数時間で・・・。」


 はい?


 「それは・・・ファンタジーなお話じゃなくって?」

 アリエスの問い掛けにシロンは真面目に頷いた。

 「まあ、その女の子の手に入れた伝説の武器が想像を絶するものだったからというのも、もちろんあるんだけどね・・・。」
 
 と、エリーが付け加える。

 「結果、恐怖したアルフヘイム連合は今から4年前に停戦協定を結んで、現在のこの国とアルフヘイム連合の状態・・・つまり、冷戦へと続きます。そして、現在、その女性はこう呼ばれています。救国の聖女、光導する魔女。」
 「ひとつ、エリポンなんて可愛いのもあったわね〜・・・。」


 ・・・エリポン?

 えり・・・あっ!!


 「お気付きの通り・・・それが目の前に居るエリルティア=オンタリオ枢機卿の身分です。」

 なんかものすごく偉い方らしい。

 「あの!!すいません!!俺、敬称も付けないで・・・」

 慌てるアリエスにシロンも「その通りです。」と言わんばかりに首を縦に振る。


 「いいのよ。気にしないで。私的にはできれば気軽に読んで欲しいしね。最近聖女聖女って・・・名前で呼ばれる機会中々無くってさ・・・さて・・・じゃあ、話をまた歴史の話に戻すわね。」

 「あっ・・・はい・・・」

 「・・・それが起こったのは今から3年前の事だった。名君と謳われたアルカディアス陛下が病気で崩御なされたの。そして、時を同じくして、とある事件が起こった。」


 「事件・・・ですか・・・」


 「そう・・・後に”ブルー・ル・マリア”と呼ばれる事件よ。」

 「・・・何があったんですか・・・」

 「フェルトマリア本家の惨殺、及び放火事件よ。」

 「フェルトマリアって・・・あの・・・」

 「そう・・・政治の中枢を担ってた政治家ヴィンセント=アルゲージ=リ=フェルトマリアの城”ファルケンシュタイン城”が放火されたの。その後の調べで、ヴィンセント様と妻のマリア様の御遺体が見つかったわ。消し炭のような状態で・・・。お互い抱き合うようにしてたそうよ。最後の瞬間までお互いをかばいあってたのね。さらに調査が進み、死因が明らかになった。2人はナイフでメッタ刺しに差れた後、油を直接掛けられて燃やされていた事が発覚。国は威信をかけて犯人を探したわ。そして、犯人は捕まり、断頭台へと送られた・・・。」

 「・・・犯人・・・誰だったんですか・・・」

 「アルフヘイム連合に雇われた盗賊団だったらしいわ。まあ、彼らは否定し続けてるけどね。全部焼けちゃったから、証拠は何一つ残っていなかったから、それ以上言及もできなかったし・・・でも・・・」

 「でも・・・」

 「・・・たったひとつだけ・・・現場にあるはずのものだけが未だに発見されないんです・・・。」

 「あるはずの・・・もの?」

 
 「ヴィンセントとマリアの間には一人の娘が居たの・・・。カトレアという名前の5歳の娘が・・・」

 「・・・彼女の遺体だけは・・・どうしても見つからなかったんです。それこそ骨一つ・・・衣服の破片すらも・・・。」


 「彼女が生きていれば・・・あるいは・・・」


 シロンが落ち込み、エリーは目線を鋭くする。


 「・・・生きていれば・・・丁度私やアリエス君と同い年になります・・・。」
 
 シロンがそう補足した。


 「そして、皇帝とフェルトマリア公が亡くなってからというもの、この国は現在・・・腐敗の一途を辿っているわ。」

 その一言からエリーの声色が変わった。

 「新しく王として即位したのは先代アルカディアス陛下のご子息であり、アホ皇子の呼び名も高い“リチャード・ラ・シェリサント”だった・・・そして、そのアホ皇子がまだ年若いのを良いことに、先代皇帝の正室のキャスリーンはやりたい放題・・・。側室であり自らとほぼ同等の権利を持つシェリル妃殿下を陥れ、権力の殆どを奪い、己は絶対王政のトップとして君臨し続けている・・・今は、一部の有能な官僚たちのおかげでなんとか持ってはいるけど・・・このままじゃこの国は長くない・・・。」


 ・・・・・・


 まるで古い油のような重い空気が流れる。


 この息苦しい空気を脱するように、フッとエリーが笑った。


 「ごめんね。重たい話をしちゃって・・・まあ、長々と話をしてきてアレだけど、要は今のこの国の現状っていうのは、“アルフヘイム連合との冷戦による膠着状態”と“エーフェ皇国が女王キャスリーンによる悪の独裁政治の温床になっている”って板挟みなわけ。当然そんな状況だから、学校なんてホント一部の市民と特権階級しか行けなくって、農民や漁師の子供は貧困のせいで学校にすら行くことが出来ない。つまり、アリエス君みたいに、学校に行けない子供もそれなりにいるわけよ。」


「あ・・・はい・・・」



 苦しそうにアリエスが答える。だって・・・そんなの・・・

 これまでは、異国の話でしかなかったのに・・・



 「残念だけど、これは現実よ。」
 

 そう・・・もう、あの頃はきっと帰ってこないのだ。これは現実なのだから・・・。



 「でも、悪いことばかりじゃないんですよ。聖女様は現在、全国の教会に働きかけて、私のような戦災孤児を修道院で保護し、教会を学校として無償で教育を行う準備をしているんです。」

 シロンのフォローに少しアリエスは元気を取り戻す。



 「凄いですね・・・エリーさん。」
 
 そう・・・今更昔を振り返ったってなんにもならない。今を精一杯生き抜くことだって十分に大切なはずなのだから・・・。


 「頑張ってください・・・。」
 「ありがと・・・。」

 アリエスの何気ない一言にもエリーはニッコリと笑って対応する。

 と・・・


 「こちらにおられましたか、聖女様・・・。」

 全身を軽鎧で包んだ兵士が一人小走りで近づいてきて、エリーの後ろで止まる。

 「馬車の用意整いました。いつでも出立出来ます。」
 
 その言葉に「ありがとう。」と言ってエリーは静かに席を立った。



 「じゃ、私はちょっとお出かけしてくるわね。」

 エリーがそういうとシロンが静かに立ち上がり・・・

 「どちらに?」

 と聞いた。


 「オスロに行ってくるわ。教会の会合でね。今日はあっちに泊まって明日の朝帰ってくるから、こっちに戻ってくるのはお昼ごろだと思う。」

 「分かりました。どうぞ、お気をつけて・・・」

 シロンが静かに頭を下げたため、アリエスもそれに習い、立ち上がって、頭を下げる。



 「シロンちゃん。アリエス君、きっとまだ知らないことがたくさんあるだろうから、怪我の具合を見つつ、街を案内してあげて。」
 「ハイ。」


 頭を上げて、元気な返事をする。


 「アリエス君。わからないことはシロンに何でも聞いてね。私の一番弟子だから、きっと何でも知ってるはずよ。」

 「あ・・・はい。」

 「そんな、恐れ多いです。」と照れるシロンの隣でアリエスも頭を上げて、元気に声を上げた。



 「じゃあ、私行ってくるわね。あんまり夜更かししちゃだめよ。」

 そんな保護者っぽいことをいたずらっぽく言いながら、エリーは静かに石造りの廊下の向こうへと消えて行った。




 残されたシロンとアリエスはテーブルの上に置かれた水を一気に飲み干し、先にシロンが語りだす。



 「アリエス君・・・でしたよね。」

 「あ・・・はい。」

 「傷はまだ痛みますか?」

 「あ・・・えっと・・・」


 痛みの最も強い背中を摩りながら、その感触を確かめる。


 「多分・・・大丈夫。思ったよりは痛くないと思う。」

 「・・・ちょっと背中を見せていただけますか・・・」

 「あ・・・うん・・・」

 シロンの言葉に戸惑いながらも、アリエスは静かに服を首まで脱いで、シロンに背中を向けた。


 「・・・すごい・・・」

 と、シロンが漏らす。

 
 「思ったよりもずっと傷の治りが早いです。どうやら痛みが引いているのは鎮痛剤のおかげだけでは無いようですね。」
 
 うれしそうな声で、「もういいですよ。」と言われたため、アリエスは静かに服を着直した。



 「少し、お出かけしませんか?」
 
 「え・・・」


 シロンの言葉に、アリエスが思わず、声をあげる。


 「思いのほか傷の治りも早いようですし、ずっと屋内に居ては体にも悪いです。少しぐらいなら出歩けそうですので、よろしければ軽い散策をしませんか?肩ぐらいなら貸してあげますから・・・。」


 しばし、考える。う〜ん・・・女の子に肩を借りてまで出掛ける必要はあるのだろうか・・・。


 でも・・・ま、


 別に何をするというわけでもないし、ずっと寝ているよりは少しでも出歩いた方が良い。



 「頼める?」

 アリエスが聞くと、シロンは嬉しそうに「喜んで。」と言う言葉と笑顔を返してくれた。


 「じゃあ、行きましょうか・・・」


 シロンにそう言われ、アリエスは立ち上がり、シロンの肩にそっと触れ、悪く言えば、彼女を杖替わりにしてゆっくりと歩き出した。







       ※          ※              ※






 教会から外へ出てみると、すぐに柔らかな草と土の匂いのする風が鼻腔を擽った。

 目の前に広がったのは田園の風景。季節が秋なこともあり、そこには金色の麦穂が所狭しと頭を垂れていた。


 
 あぜ道をシロンに支えなられながらアリエスはのんびりと歩いていく。



 聞こえるのは土に鍬を振り下ろす音と自分たちの足音・・・そして、遠くに聞こえる大人や子供の声と小鳥のさえずり・・・。




 のどか・・・平和・・・

 この2つの言葉がどうしようもなくその場所には似合っていた。



 そういえば・・・


 「シロン・・・この村って、国内のどの辺なの?」


 その問いにシロンは暫し、開いてる手を顎に添えて・・・


 「えっと・・・アリエス君もしかして、地理には疎い方ですか・・・」
 
 いや・・・疎いも何も・・・
 
 「まず、ここってどこなの・・・」
 「・・・アリエス君。一体何しにここに来たんですか?」
 「何しにって・・・」
 「怪我して倒れてたのここの村へ続く一本道でしたし、他に行く先があったとは・・・」

 
 あ・・・なるほど・・・そういうことか・・・

 「う〜ん・・・って言っても・・・彷徨ってだけだからな〜・・・。」
 「さ・・・さまよってた?」

 「ああ・・・俺、家族も家も無いから・・・。」


 暗く言っても仕方ないのであっさりと言ってやった。



 「いろいろあってさ・・・ここ2年ぐらい国内を天涯孤独で、とにかく生きるために国中旅してたんだ。」
 「そ・・・それは・・・その・・・」

 明らかな失言をしてしまったことで動揺するシロンを無視して、明るい調子でアリエスは続けた。

 「生きるためになんでもやってきたよ。盗みもやったし、人を刺したこともあったっけ・・・。でも、まだ殺したことはない・・・。」
 「お食事とか・・・どうしてたんですか?」
 「良ければ親切な人が果物をくれたり、レストランで皿洗いする代わりにまかないをもらえた。でも、本当にお腹が減ってそういうこともなかった時にはゴミ箱漁ったり、盗んだりしてた。そして、その度に、その街には居られなくなって、放浪生活の繰り返し。」
 「服とかは・・・」
 「食べ物に同じく・・・」
 「・・・夜寝るときは・・・どうしてたんですか?」
 「・・・橋の下か・・・一番酷い時には新聞紙にくるまって寝てたかな・・・」



 「・・・寂しく・・・なかったんですか?」


 「・・・・・・どうだろ・・・。必死すぎてあんまり考えなかったかな・・・。でも・・・うん・・・多分寂しかったんだと思う・・・。」

 「ごめんなさい・・・」

 
 消え入りそうな声でシロンが呟く。

 「無神経な事を聞きました。」

 「いいや・・・いいんだよ。それに・・・ちょっと楽になったかも・・・」
 「え・・・」
 
 「人に言えてさ・・・」

 フッと笑ったアリエスにシロンがスッと顔を赤らめ、背ける。



 「そ・・・そういえば、地理のお話をしていましたね。」
 
 なんだろう・・・ちょっとカッコいいことをいったつもりなのに、話を逸らされた気がする。


 
 「えっと・・・ここはタルブ・・・正式名称は農村タルブです。場所はエーフェ皇国の中でも東側・・・つまり、国境スレスレの場所に位置しています。」
 「・・・農村?」

 「はい・・・エーフェ皇国では、都市の名前でその都市のランクがわかるようになっているんです。まず一番上なのは当然、皇都アトランディア・・・首都であり、政治の中枢であり、中央教会も、それから軍の総司令部もここにあります。そして、その二番目に五つの副都心“臣都”が続きます。先程、聖女様が向かわれたオスロもこの臣都の一つです。そして、後は街の特色によって表現されます。例えば軍の司令支部があれば街の名前に“将”を付け、教会が街の中央にあれば“法”を、交易が盛んなら経済の“経”を、農業が盛んなら“農”を、漁業が盛んなら“漁”付けます。また、街の大きさでも分けられていて、大きい順に“都”、“市”、“町”、“村”と4つに分けられていて、例えば軍の司令部がある大都市なら“将都(しょうと)”となります。」

 なるほど・・・ということは・・・

 「つまり、教会が中央に有る大都市は“法都”、交易が盛んな中都市なら“経市”ってなるわけで・・・この街はものすごく小さくて、農業が盛んだから“農村”となるわけか・・・」

 「はい・・・。その通りです。」


 理解の早いアリエスにシロンは嬉しそうにつぶやいた。



 それにしても・・・うん、なるほど・・・慣れてくればわかりやすいかもしれない。
 それに、農村という言葉は正しくこの街にものすごく良く似合っていた。



 まるでベトナムの山奥にでも来たようなのどかで、それでいてどこか懐かしさを感じさせる・・・そんな感覚・・・


 それだけじゃない・・・。

 風は気持ちがいいし、騒がしくないし・・・きっと草原でもあればすぐに眠れる気がする。



 「あの・・・アリエス君・・・」


 しばらく無言で歩いていたところで、シロンが不意に声を掛けた。


 「お腹・・・空きませんか?」
 「え・・・」


 そう言われて太陽を見てみると、既に西の空にあった。感覚的に言うと午後三時半と行ったところだろうか・・・。


 「そうだね・・・ちょっと減ったかな・・・」


 思い出してみると、昨日の夜から何も食べていない。
 いかにその半分以上を寝て過ごしていたとはいえ、育ち盛りの男の子にとって結構これは耐え難い・・・。ってか、普段からろくなもの食べて無いし・・・。

 「それなら・・・」




 「儂が奢ってやろう。」



 聞き慣れない嗄れた声が響いた。
 振り向いてみると、そこには一人の老人が立っていた。

 大きな三角帽にローブ。それに、長い白ヒゲと眉。

 それは明らかに魔道士を連想させる要望だった。


 「スタンレーおじいちゃん・・・」

 シロンがその名を口にする。

 「お前か・・・昨日大怪我で修道院に運び込まれたっていうガキは・・・。」
 
 目の前のじいさんの言葉に俺は頷く。


 「えっと・・・そうです・・・。」

 「大変だったんじゃぞ。散策に行っていたシロンが慌てて帰ってきてな。『男の子が血を流して倒れている』と・・・それから、八百屋と酒屋の息子がお前を担架で運んで、すぐに、魔法陣の上で腹を掻っ捌いて儀式じゃ・・・。」

 それは、黒魔法なんじゃないか・・・

 「もう!!おじいちゃん!!!そういう言い方しないで!!!あれは、魔法治療とそれから外科手術!!れっきとした治療法なの!!!」
 「はっ!!儂に言わせればどっちも邪道じゃよ。少年・・・」
 「はい?」
 「東洋医術など如何かね?偏屈な魔術や腹を掻っ捌く治療とは違って、己の気の力のみで治療をするから安全じゃし、薬とやらの副作用も無い。儂の診療所にくれば・・・」
 「あ〜はいはい・・・残念ながら、アリエス君にはイモリの黒焼きとか蛇の卵とか食べる趣味はないから・・・。」
 
  
 うん・・・はっきり言ってそれはキツイ・・・。まあ、食べたことはあるけどさ・・・どっちも不味かった。


 「まあ、冗談はさておき、どうじゃ・・・どうせ、食事と言っても、修道院の食堂にでも行くつもりだったんじゃろ?」

 じいさんの言葉にシロンは図星をつかれたように「それは・・・その・・・」と曖昧な返事をした。

 「シロンはともかく、若い少年が肉も食べずにあんな野菜だらけの飯では満足せんじゃろ・・・。」
 「あ・・・それは・・・」

 と、シロンはアリエスへと目線を流し・・・


 「どうします?」と問うてくる。

 「えっと・・・ご飯を奢ってくれたお礼に変な魔術とかに協力しろ・・・なんて言いませんよね・・・。」


 一応じいさんにそう聞いてみると・・・


 「馬鹿者!!儂とてそんなに落ちぶれてはおらんわい!!」

 青筋を立てて怒鳴られたので、苦笑いしながら、シロンに向かって頷いた。



 「じゃ・・・じゃあ、スタンレーおじいちゃん。ご馳走になります。」
 「うむ。」


 こうして、このじいさんに飯を奢られる運びになった。



 だが・・・


 この時点では誰も知る由は無かった。



 この後に起こる・・・悲劇の始まりを・・・。













 そこは古びたレストランだった。

 
 中に入ると、蓄音機の箱からローテンポのロックが流れている。

 夕食時にはまだ少し早い時刻だが、それでも店の中にはある程度の人たちが居て、まるでちょっとした飲み会であるかのように、誰かれ構わず仲良さそうに話していた。
 
 じいさんとアリエスとシロンは静かにその店の一番奥の席を選んで向かい合わせのソファに腰を降ろす。


 「おじいさん・・・ここは?」
 「ミートパイが美味いんじゃ・・・。」

 3人が座るとどこにいたのか、白いエプロン姿のおばさんが注文をとりに来た。

 「マダム・ハドスン。ミートパイを3つ頼む。後・・・コーヒーに・・・」

 とじいさんはアリエスの方を見たため、アリエスは咄嗟に「オレンジジュースを。」と答えた。そして、シロンは・・・


 「ミートパイは2つです。」


 そんな風にむくれて言うところがなんとなく可愛く、笑いを抑えるのに必死だった。

 「私がお肉食べちゃいけないのは知ってるでしょう?ハドスンさん。私は季節野菜のスープにしてください。」
 
 そういって、メニューをホルダに戻す。

 おばさんはそれをクスクスと笑いながら、「ちょっと待っててね。」と言い残し、厨房の奥へと消えて行った。


 「相変わらずの菜食主義じゃの、シロン。」
 「修道女として当然のことです。」


 すると、店の中の一人のおっさんがシロンに向かって話しかけた。


 「まったく・・・聖女様ですらたまに鶏肉を召し上がっているというのに・・・。」
 「あれは戦場に行くのにタンパク源が必要だから仕方なく食べてたんです!!今は野菜しかお召し上がりになっていません!!!」

 すると、今度はまた別の男が・・・


 「だから、成長しないんだ!!八百屋のトキちゃんなんか見てみろ!!12歳で出るとこしっかり出てて・・・」
 「関係ないでしょう!!!ってかそれはセクハラです!!!」

 「なんだと〜!!ウチの母ちゃんなんてな!!!」
 「ばーか。お前んとこのブサイクな嫁とお前が初めて会ったのは20超えてからだろ・・・」
 「何を〜!!ウチの母ちゃんほどキレイな女はいねぇぞ!!お前んとこだって、最近ブクブク太り始めやがって!!」
 「なんだと!!てめぇ!!やんのかコラ!!」
 「上等だ!!かかってこいやこのクソ野郎!!」

 
 2人が立ち上がり、お互いにファイティングポーズを取り合う。

 しかも、それを見ていた周りの人間は・・・



 「おぉ!!ケンカか!!!」
 
 「やれダッフィ!!!見せてやれ!!!」
 
 「なら、俺はシャルルに20リーラだ!!!」

 「乗った!!ダッフィに20リーラ!!」

 「おい!!コングもってこいコング!!!」

 「あるかバ〜カ・・・」

 「おう!!これ使えんじゃね〜か!!?」

 「おぉ!!カナヅチとフライパンか・・・イケルな!!」



 とかなんとか言いながら、そそくさと周りの椅子やら食べ物やら酒の入ったグラスやらを片付けながら、2人が殴り合う場所を作っていく。



 「・・・止めなくて良いの・・・?」

 心配そうにアリエスがシロンに聞くと、あっけなくもシロンは「いいんです。」と言い切る。


 「ここいらじゃさ・・・これが毎日なのさ・・・」

 そう補足を付け加えたのはミートパイとスープと飲み物を大きなトレイに載せて持ってきた先程の白エプロンもマダムだった。

 そんなことを言ってる間にも後ろでは既に服を脱いでの筋肉の見せ合いが始まっていた。


 「まったく・・・馬鹿としか言い様が無いだろ?」


 おばさんの言葉にアリエスも苦笑いしながら頷く。


 「でもさ・・・」
 「良い村ですね・・・。」

 おばさんが言う前にアリエスが笑って付け加えた。
 すると、おばさんもニカッと笑う。

 「何にも無い村なんだけどね・・・。」


 「そのとおりじゃ・・・。」


 おばさんについでじいさんもミートパイを食べながら語りかけた。

 「少年。この村にはな・・・名産品もなければ観光地も無い・・・。伝統職人だって居ないぞ・・・鍛冶屋は平凡そのものの腕前・・・」
 
 すると、向こうのテーブルから「なんだと〜!!!」という一人の男の声と、「そうだぞ!!!平凡以下だ!!」という声と多数の笑い声が響く。

 
 「八百屋は品揃えが悪いし、魚屋なんて滅多に空かない。」

 「それに肉屋も鮮度が悪いぞ〜」と誰かの声が響き、そしてまた喧嘩が始まる。

 「楽器は公民館にあるピアノが一台だけ・・・当然、活動時切絵(映画)なんて無い。たまに来るのは子供向けの紙芝居ぐらいなものだ・・・。」

 「それに変な東洋魔術かぶれのじいさんもいるしな!!」と誰かが言ったことで、喧嘩が鎮静し、再びレストラン中に笑い声が響いた。
 そして、今まで沈黙していたシロンが最後を締めくくるように・・・囁くように言う・・・


 「でも・・・」

 同時に視線がシロンへと集まる。

 「確かにここは何にも無い村ですけど・・・何かが見つかる村だと思います。」

 先程まで騒がしかった店内が一気に静まりかえった。



 「私が聖女に連れられてこの村に来た時・・・あの時・・・戦争で親も無くして・・・本当に抜け殻みたいでした。でも、この村に来て・・・たまにレストランでこんな風に食事したり、聖女様からいろんなことを教わったり・・・時には喧嘩したりして・・・それで、何かを見つけることが出来ましたから・・・。大切な”なにか”を・・・」

 「シロンちゃん・・・」

 と店員のおばさんが呟いた。


 そして、誰もが黙る中、じいさんだけがフッと笑い・・・


 「まあ確かに・・・何かが見つけられるかどうかはわからんが・・・自分の棺桶を埋めるには最高の場所じゃな・・・」
 
 「なに言ってんだじいさん!!明日にも死にそうな面しやがって!!」とまた誰かの声が響く。

 「なんじゃと!!儂は少なくとも後30年はいきちゃるわい!!!」


 「30年前にも同じこと言ってたぞ!!!」と誰かがまた、叫び、そして、店内は再び笑い声に満たされる!!


 「よし!!!俺たちも何か見つけよう記念だ!!酒もってこい酒!!!」



 最初に喧嘩をしていた男(ダッフィと言ったか・・・)の言葉により、再び店内は宴会場と化した。

 店の奥から運ばれてきた酒はジョッキの10や20ではない・・・もちろん、それに対する肴の量も、またしかりで・・・



 と・・・


 「よう、シロン!!!ありがとな!!!お前のおかげで飲む口実が出来た!!!」


 ダッフィがシロンに向かって嬉しそうに話しかける。


 それに対して、シロンは困惑したように・・・



 「そんな・・・私は・・・」


 とどうして良いのか分からないような顔をする。



 「まあまあ、良いじゃねーか。ほら、これは俺の奢りだ。」



 ダッフィはそう言って、シロンの目の前にオレンジジュースを出す。困惑しながらもシロンは「あ・・・」と声を出しながらも、「ありがとうございます」と言って、それを受け取った。



 「まったく、シロンは正直でいいね〜・・・私の若い頃にそっくりだよ・・・」とおばさんが言う。
 「なに言ってんだ。お前の若い頃はガキ大将だろ?」
 「言ったね!!」


 とまた喧嘩が始まる。


 シロンはそれを少し困ったような・・・でも嬉しいようなちょっと穏やかな表情で見つめつつ、目の前のオレンジジュースに口を付け・・・


 「あ・・・」


 と飲み込んだ途端にクラクラと仕出し・・・そして・・・


 「これ・・・お酒・・・」


 と言って、ソファに倒れ込んだ・・・





 「シロン・・・シロン・・・」





 アリエスが肩を揺らしながらそう聞くと・・・


 「ス〜・・・ス〜・・・」


 頬を赤くしながらも、規則正しい寝息をたてながら眠っていた。


 「え・・・」


 意外そうな顔をするアリエスにダッフィが言う。


 「あ〜あ〜・・・まったく、相変わらず酒に弱いんだな〜コイツ・・・」
 「そうなんですか?」
 
 確かにそう見えないことも無いけど・・・一口飲んだだけでなんて・・・


 だが、ダッフィは深く頷いた。


 「あぁ、昔っから同じような手口で何回も飲ませてるんだが、スグに酔って寝ちまう。まったく、弱いったらありゃしねぇ・・・たかがカクテルなのによ・・・」


 あ〜・・・確かにそれは弱いかもしれない。


 「何言ってんだい!!アルコール度数ほぼ100の酒でオレンジジュース割ったサンライズなんて私は聞いた事ないよ!!!」


 前言撤回・・・それは酔うって・・・。



 「まあ、固いこと言うなって!!さて・・・」


 と、ダッフィはアリエスの前にコリンズグラスを出し、その中に毒々しい赤い瓶から注いだ透明な液体を並々と入れた後にオレンジを得意の筋力で絞って出した果汁を加え、乱暴にグラスを揺らして軽く混ぜる。


 「オレンジジュースだ・・・飲め。」



 絶対嫌です。



 「いや・・・俺も酒はちょっと・・・」
 「何!!?俺の酒が飲めねぇってのか!!!」

 「言っちゃった!!ジュースじゃなくて、酒って言っちゃった!!!」

 「飲まなきゃ大きくなれねぇぞ!!!」
 「そんな馬鹿な!!」

 「嘘じゃねえって!!アルコールの中にはな!!デカクナールって物質が入ってて、それが頭に作用して、寝てる間の成長を促すんだって!!!」


 ありえない・・・そんなことがありえていいはずがない・・・
 でなかったら、お酒は20歳になってから・・・なんて言われるはずがない・・・


 だが・・・


 「ほ・・・ホントに?」
 「ああ!!ホントだとも!!!さあ、飲め飲め!!!」
 「は・・・はい・・・わかりました!!」


 残念ながら10歳の少年にそれを嘘だと裏付ける知識は無かった。






 


   ※           ※                ※






 
 それから、どれぐらいの時間が経っただろう。


 次にアリエスが目を覚ましたのはもう外が真っ暗になってからだった・・・。


 頭が破裂しそうな頭痛に顔を顰めつつも、体に誰かが毛布を掛けてくれていたことにちょっと驚く。

 寝ていたのは先程まで居たレストランの中のようだが、既に明かりは消え、今日は既に閉店した後のようだった。


 だが・・・


 閉店している店内には先程まで元気よく飲んでいたダッフィさんやシャルルさんを始めとした多数の男たち・・・そして、何故か、夕食を奢ってくれたスタンレーじいさんも眠っていた。




 と・・・




 「あれ・・・」


 ある一人が居ないことに気がつく・・・。


 「シロン・・・?」


 隣で寝ているはずのシロンだけが居なかった。




 とりあえず、周りで寝ている人を起こさないように静かにソファから立ち上がり、床で寝ている人を踏まないようにそっと入り口の方へと近づいていく。



 寝ている人にそっと毛布をかけ直しているシロンがそこには居た。


 途端になんとなくドキッとする。


 なんというか・・・女の子の友達がいきなり家庭的な事をしだした時に感じるアレ・・・


 すると・・・




 「アリエスさん・・・」



 
 シロンがアリエスの存在に気がつき、静かに声を掛けた。

 「もう、お目覚めですか?」
 「いや・・・眠いことは眠いんだけど・・・頭痛くって・・・しばらくは眠れそうにないかな・・・。」

 頭を押さえるアリエスにシロンがそっと水を差し出す。


 「酔い覚ましのハーブが入った水です。」

 「あ・・・ありがと・・・」


 差し出された水を一気に飲み干し、アリエスはフ〜と嘆息した。




 「・・・あ〜・・・少し楽になった気がする・・・。」

 

 正直、かなり楽になった。先程からしていたもう内部爆発するんじゃないかってぐらいの痛みはせいぜい通常レベルの頭痛まで抑えられていたし・・・。

 でも・・・



 「眠れそうですか?」


 シロンにそう聞かれ、アリエスは首を振ると頭が痛いので代わりに手を振って”無理”という意志を表した。




 「そうですか・・・でも、朝までまだ大分ありますし、このまま起きているわけには・・・」
 「・・・今何時?」
 「5分前に日付が変わりました。」



 ということは0時5分か・・・確かに微妙な時間帯だ。


 だけど、ここから目を閉じて横になると、ちょっと頭が痛くて・・・。




 「眠れそうですか?」という二度目の問いにアリエスは「無理かも・・・」と答えた。




 すると、シロンは優しく微笑み、








 「なら・・・星でも見に行きませんか?」



 と呟いた。


 「星?」


 「ええ・・・少し道は悪いですが、近くに星がすごく綺麗に見える場所が有るんです。」

 「星か・・・」


 思えばそんな事が出来るのは何年ぶりだろう・・・
 ここに来るまでの彷徨っていた2年間といえば、太陽が昇れば子供なりに皿洗いや靴磨きなどの仕事を探し、クタクタに疲れて日が暮れればゴミ箱を漁って食べ物を探し、星が出ることにはうち捨てられた新聞紙に包まって熟睡していた。
 
 星を見る・・・


 そんなのんびり贅沢なことが出来る日がまた来るなんて・・・。



 「わかった・・・いいよ・・・」



 ちょっとウキウキしながらもそれを必死に隠しながらアリエスは頷いた。






   ※       ※          ※





 シロンが案内したのは村から少し離れた処にある丘だった。
 道は確かに草だらけで明かり一つなかったが、その道を2人で夢中で走った。



 そして、丘の天辺に着いて、視界が開けると・・・



 空一面に広がっていたのは見渡す限りの星空だった。まるで振ってきそうな・・・月よりも明るい星の光。

 真ん中に見える天の川だけではない・・・それは6等星ですら、瞬くように輝く見たこともないほど綺麗な星空だった。

 

 「凄い・・・」


 アリエスが呟く。


 すると、シロンは芝生の上に腰を下ろし、そっと空の最も明るい3つの星を指さした。


 「アレが“シグニ”・・・それで、あれが“ナスル”、あれが、“リュラ”・・・その三つの星を結ぶと出来るのが“夏の大三角形”・・・でも、もう夏も終りですから、今日ぐらいで見納めですね。」

 「・・・どれも聞いたことのない星の名前だな〜・・・」

  アリエスはそう言って頭を掻く。

 「えっと・・・北極星ってどれ?」

 「北極星?」

 「ポーラー。えっと・・・船乗りたちが目印にする星・・・って言えばいいのかな・・・」


 「ああ・・・“コカブ”ですね。」
 「コカブ?」
 「古い言葉で“星の中の星”という意味が有るらしいです。アレです・・・。」

 シロンが指さす先。
 そこにもかなり明るい星が存在していた。


 「・・・・・・やっぱり・・・」

 「え?」

 「いや・・・こっちの話!!」

 慌てて先の発言をなかった事にするアリエス。
 本人がそう言うならと、シロンもそれ以上は言及しようとはしなかった。




 夜空を見上げながら、2人は静かな時間を過ごす。


 交わされるのはなんとはない雑談。

 
 そして、いつしか雑談はお互いの過去の話へと移って行った。

 
 

 「じゃあ、両親が・・・その・・・亡くなってからはずっとこの街に?」


 このアリエスの失礼としか言いようがない言葉に詩論が答えたのは、おそらくお互いが似通った境遇にあったからだろう・・・。


 「いいえ・・・お父さんとお母さんが死んでからは、しばらくは聖女様と一緒に諸都漫遊してたらしいです。」
 「・・・らしいです?」
 「ええ・・・お恥ずかしい話なんですが・・・あんまりよく覚えてないんです。」
 「覚えてないって・・・」


 どういうこと?と聞こうとしたところで、シロンが先に答えた。



 「聖女様曰く・・・“悲しみが深すぎて、出会ってからこの村に来て修道院に入ってからしばらくはまるで人形のようだった”っておっしゃってました。」


 その後、シロンは自分の親が小さな街で静かに農業を営んでいたことと、いきなり連合軍が攻めてきたことで、自分の目の前で親を殺されたことなどをアリエスに伝えた。
 そして、今度はアリエスの番。


 シロンが質問する番である。


 「アリエス君は・・・確か、数年前から彷徨ってたと言ってましたね。」


 首肯する。


 「ああ・・・二年前に一人になってからはずっといろんな街を転々としてたよ・・・盗みもやったし、路上で寝たことも有る・・・ってその辺の話は昼間したよね。」
 「はい・・・でも・・・」
 「ん?」
 「その二年より前ってどうしてたんですか?」

 「あ・・・ああ・・・彷徨う前か・・・」

 「はい・・・」


 首を捻る。


 「う〜ん・・・なんて言ったら良いんだろうな〜・・・。」

 シロンが首を傾げた。


 「えっと・・・言いたくないのなら、別に無理してまで言ってくれなくてもいいですよ?」
 「いや・・・ちょっと説明しにくいって言うか・・・なんて言うか・・・とりあえず、居たのは孤児院だった。」
 「孤児院・・・ですか?」
 「あぁ・・・そこの院長先生曰く、初夏の夜に見回りに出たら、孤児院の前に捨てられてたんだってさ・・・」
 「捨てられ・・・」
 「置いていったのが誰かは分からない。でも・・・その・・・近くに住んでたおばさんの表現だと、酒によった若い女と男の二人組だってさ・・・身なりから考えるに、おそらくどっかの店の女とその客じゃないかって・・・」
 「あ・・・ぁ・・・」

 「?・・・どしたの?」
 「いや・・・あの・・・その・・・ごめんなさい・・・。」


 まさか、そこまで壮絶な人生を歩んでいるなんて・・・。彼女にしてみれば、自分より酷い過去の持ち主なんて居ないと思っていたのだろう。いや・・・そう言うと、語弊がある。
 正しくいうなれば、10歳の女の子にしてはものすごく常識的に、おそらく自分と同程度の重い過去を持っているんじゃないかって・・・。


 なのに・・・


 沈むシロンにアリエスはそっと笑いかけた。


 「なんで謝んの?俺だって結構失礼な事言ったし、お互い様でしょ?」
 「・・・でも・・・」


 煮え切らない態度のシロンにアリエスはさらに笑みを強くした。

 そして・・・




 ―♪♪♪〜♪♪♪〜♪〜♪♪♪♪♪―




 静かに歌を歌う・・・



 君の瞳に花開く 夢を奏でる心
 風に吹かれるこの道さえも 星明りに照らされ
 今ただ一人 歩こう
 
 胸を震わせるときめきを 空と大地に歌おう
 悲しみも笑顔も温もりも 熱い想いに揺れて
 今抱きしめて歩こう・・・



  正直、上手とは言い難かったが・・・その旋律と歌詞がシロンの心の中に染みていった。

  


 「昔さ・・・孤児院の先生が教えてくれたんだ。『みなさん・・・悲しいときには歌を歌いましょう。』ってさ・・・」
 「あ・・・」


 しばらくは唖然と死ていたシロンだが、その口元はゆっくりと微笑みへと変わっていた。


 「素敵な言葉ですね・・・。」
 「だろ?」


 ・・・・・・
 

 それは・・・まさに思いつきだったかもしれない。
 ただ・・・なんとなく・・・彼女なら信じてくれる気がしたのだ。



 「シロンなら・・・きっとこの話も信じてくれるかな?」
 「え・・・」



 「シロン・・・俺・・・実はさ・・・」




 アリエスが何かを言いかけ、空を見上げ・・・

 

 異変に気がつく・・・




 「シロン・・・星が・・・」
 「え・・・」


 驚くアリエスにシロンも反応して一緒に空を見上げる。


 そして・・・「あれ?」
 そう小さく呟いた。
 そう・・・先程まで降る様に瞬いていた星達は一変し・・・




 一つ残らずその姿を隠していたのだ・・・。



 「おかしいですね・・・まだ朝日が昇るには早い時間のはずですが・・・」
 「シロン!!あれ!!」

 そうアリエスが慌てて指を指す・・・その先には・・・


 「そんな・・・」


 シロンが驚嘆の声を漏らす・・・。
 だって、そこには・・・



 眼下に轟音と共に燃えるタルブの村が広がっていたのだから・・・




 「戻ろう!!」



 アリエスに言われて、シロンが頷く。




 2人は慌てて、来るときは真っ暗だった・・・今は石の一つ一つの形まで分かる道を駆け下りていく。
 
 そして、村の入口についた途端・・・









 「隠れろ!!」








 誰かの嗄れた声と共に2人は街を囲む腰ほどの低さの煉瓦の壁の影へと引き込まれた。
 
 慌てて、誰なのかを見てみると・・・



 「スタンレーさん!!」「スタンレーおじいちゃん!!」

 2人がほぼ同時にその名を呼んだ。

 「静かにしろ!!バカども!!」

 その言葉に2人は絶句する。

 なぜなら、その時のじいさんの顔は・・・


 先程までの変なじいさんでは無かった。まるで・・・そう・・・軍人のようだったのだ。


 スタンレーはそのままそっと煉瓦の隙間から村の方を覗いた。

 「俺にも・・・見せてください!!」「私にも!!」
 「ダメじゃ!!絶対に見るな!!」


 見えないけど、音だけは聞こえる。
 それは・・・そう・・・まるで山賊にでも襲われているかのような下品な声と無数の足音・・・そして、刃物が血肉を切り裂き、矢尻が刺さる音・・・。


 と、その時だった。



 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




 甲高い悲鳴の雨に2人は同時に耳を塞いだ。

 今のは・・・

 「シスター・ソニア・・・」

 シロンが震えながら声の主の名を呼ぶ。

 悲鳴は尚も続く・・・


 「シスター・エフィ・・・シスター・サングリア・・・」

 シスターと言うことは・・・


 「あいつら・・・教会の関係者にまで手を・・・」

 頭に血が昇ったアリエスからブチッという音が聞こえた気がした。

 そして・・・おもむろに突っ込んだ上着のポケットから取り出すのは・・・一本のナイフ。



 「あいつら!!」


 鞘から抜き払い、そのままとびだ・・・
 
 「止めんか!!」

 そうとするところで、スタンレーが強制的に肩を掴んで引き戻した。



 「なんでだ!!なんで止める!!」
 「バカモン!!大人の力で敵わなかったものに、何故ガキが勝てる!!剣や槍や弓で勝てなかったものに何故ナイフで勝てる!!考えろ!!」
 「でも!!」


 !!

 「敵わなかった・・・って・・・まさか!!」

 アリエスの言葉にスタンレーはチッと小さく舌打ちした。


 「スタンレーおじいちゃん・・・村の人達は・・・」
 「・・・」
 「まさか!!」

 「敵が・・・山賊程度なら・・・負けるわけなかったんじゃがの・・・」


 悔しそうに・・・そして、残念そうにスタンレーが呟いた。


 「やれやれ・・・歳はとりたくないのぅ・・・」

 そして、壁に立てかけてあった古い樫の杖を手にとった。

 しかも、それもよく見てみると、処々傷だらけで、尚且つ、天辺に小さいながらも紫色の魔法石が埋め込まれている。

 すなわち、魔法杖・・・魔術を使う人間が、己と大気中を舞う魔力との媒介として使用する物品・・・

 すなわち・・・
 魔術が使える・・・エリートの証たる物品だった。



 「ワシが時間を稼ぐ。その間にお前達は逃げろ・・・」


 「「そんな!!」」

 

 スタンレーの言葉に2人が絶句する。


 “出来るわけがない!!”

 そう言おうとした時だった・・・


 「考えるな!!!やれ!!」

 それまでに聞いた事ない程の大声でスタンレーが叫ぶ。



 「アリエス・・・それにシロン・・・ワシはな・・・昔は、軍の兵士じゃった。たくさんの人間を殺してきた・・・そして・・・ついにある時お前のように大怪我をした。もう二度と戦うことができなくなってしまった・・・軍は使えない魔術師をそのまま囲っておくほどヤワな組織じゃ無かった・・・すぐにクビにされたよ。生きる意味を失ったワシは、放浪の末にこの街に流れ着き、一度は死のうと思った・・・じゃが・・・そんな時じゃった。自分の年齢の僅か1/10にも満たない少女と出会ったのは・・・。少女はワシに言ったよ。
『そこはきっとあなたの居場所じゃなかっただけだよきっと。だから、探せばいいじゃない・・・自分の居場所を・・・』とな・・・思えば拙い子供の発する戯言じゃった。だが・・・ワシはあれで元気を貰った。生きる勇気を貰ったんじゃ・・・」

 握りしめた杖を透明な光が覆っていく。


 「行け、こんな老いぼれなど置いて・・・そして、何があろうと生き延びてくれ・・・それが聖女様への・・・エリーへのワシからのせめてもの恩返しなのじゃ・・・。いいか・・・ワシが飛び出したら逆方向に逃げるんじゃぞ。」



 ニッと笑うスタンレーに向かって、2人はグッと何かを堪えるように黙る。

 そして・・・



 「いくぞ・・・」



 そう言ってスタンレーは劫火の中へと消えて行った。




 「なんだこいつは!!」
 「黙れ!!ゴミども!!ワシが相手をしてやるわ!!」
 「蹴散らせ!!我が連合の力を見せよ!!!」
 

 叫び声が聞こえた後、再び耳を裂くのは激しい破裂音と魔法音とそれから金属がぶつかる音・・・



 「クッ・・・」
 

 アリエスが拳を握り締める

 
 「情けない・・・」
 その顔に浮かんでいたのは憎悪、怒り、そしてなにより強かったのは・・屈辱の念だった。



 「何にも出来ない・・・世話になった人が殺されてるのに・・・クソッ!!!肝心なところで!!!!」
 強く地面を殴る・・・僅かに血が滲んだ・・・


 「俺は・・・無力だ・・・」


 「私たちにも・・・出来ることがあります・・・」

 シロンがアリエスの肩を叩いて、そう宣言する。


 「逃げましょう・・・スタンレーおじいちゃんの言っていた通りに・・・そして、警察にこの事を知らせましょう!!そうすればキチンと・・・彼らに裁きが下ります!!」
 「でも・・・」


 確かにシロンの言う事はわかる・・・


 でも・・・
 
 本当にそれでいいのだろうか・・・
 
 もしかしたら、まだ生存者が居るかもしれない・・・。

 だったら、このまま逃げないで、村を襲ってる奴らがどこかに逃げてから救助作業をするという選択肢も・・・


 それに・・・


 アリエス自身、まだ諦めきれなかった。


 自分にも何か出来ることがあるかもしれない・・・
 それなのに・・・
 本当にこのまま逃げていいもの・・・




  ―パァンッ!!―




 そんな事をゴタゴタを考え、頭が混乱していた処にいきなり頬を痛みが貫いた。
 そして、それがシロンに叩かれた痛みだとわかるまでに数秒を有した。


 「『おじいちゃんが助けてくれたんです!!その生命を無駄にすることは許しません!!』」


 唖然とするアリエスに対し、シロンは尚も健全にその言葉を紡いだ。




 「聖女様ならきっとそう言います。」


 それを聞いてアリエスもコクッと首肯する。

 「わかった・・・逃げよう・・・」
 
 シロンに叩かれたおかげでやっと目が覚めた。

 そう・・・この場に残ってもできることなんて何も無い・・・。

 だったら、逃げて逃げて逃げまくって、そして・・・生きる。

 復讐するにも、自分なりに調査をするにも・・・命が無くては出来ないのだから・・・。




 「行こう!!」



 そう宣言して、シロンの手を引き、静かにその場を立ち去ろうとする・・・だが・・・




 「おいこっちにもガキが2人居るぞ!!」

 飛び出そうとした瞬間・・・
 それはあまりにも悪い刹那・・・

 大声のした方向を向いてみると、そこには若い男たちが立っていた・・・



 しかも・・・


 こいつら・・・









 山賊なんかじゃない!!!!!!!!!!!!




 だって・・・











 山賊は綺麗な赤の鎧なんて装備しない・・・
 
 磨きあげられた新品の剣なんか持ってない・・・







 そして・・・



 



 山賊は・・・










 連合軍の紋章なんて付けてない!!









 大声で読んだせいでゾロゾロと仲間が集まってくる。その中でシロンは震え、アリエスはそんな彼女を庇いながらキッと相手を睨みつけた。






 「おやおや〜・・・なんだ・・・ガキって言うからどんなもんかと思ってみりゃ・・・マジでガキじゃねぇか・・・」

 後から駆けつけてきた、一人黒のマントを靡かせる男が笑いながらそう呟く・・・


 さらに、他の男がその男に向かって・・・


 「隊長・・・このガキの片方・・・もしかして・・・」
 
 そう呟くと・・・


 「あ・・・あぁ・・・昨日の夜のガキか・・・」








 え・・・


 「どういう事だ!!!」
 我を忘れて声を荒らげるアリエスを見て、隊長を呼ばれていた男が下品に笑った。

 「ギャハハハ!!!そうか!!憶えてないのか!!!忘れたのか・・・俺だよ・・・」
 「俺って!!」


 誰だよ!!こんな奴に俺は会ったことはない!!それを忘れただの、覚えてないだの・・・



 ・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 



 いや・・・俺はこいつらを知ってる・・・



 正確に言えば、忘れていたのではない・・・忘れようとしていた・・・

 憶えてないのではない・・・思い出そうとしていなかった・・・






 そう・・・こいつらは・・・








 「おぉ!!?思い出したみたいだな・・・。」



 そんなアリエスの様子から察して、隊長と呼ばれた男が嬉しそうに声を上げた。





 そして、途端にアリエスも体が震えだす。



 だって・・・こいつらは・・・









 「そうだよ・・・お前にひどい怪我を負わせた・・・正確に言えばお前を斬ったのは・・・この俺だ!!」








 それと同時に疼きだしたのは背中の傷の痛みだけでは無かった。
 後で考えてみると、死にたくなる・・・この時感じたのは・・・
 抗う心ではなく・・・恐怖し、萎縮し、媚びてでも生きたいと思う心だったのだ・・・


 最も・・・10歳の少年にそんな根底的な心の部分を理解できるわけがない・・・

 本人からすれば、抗おうとしても足が震え、意味も分からず冷や汗が出てくる状態・・・


 “なんでだよ!!”
 
 それがおそらく彼のその時の心境を表す最も適切な言葉だった。


 震える子供2人を前にして隊長はさらに口元をニヤつかせる。



 「そうかそうか・・・どうやら俺の優しさは通じなかったようだな・・・」
 「優しさだと!!」


 それでも無理に口を動かし、アリエスは必死に抗議の言葉と視線を送り続ける。


 「分からないか?私の優しさが・・・何故君を傷つけたと思う?」
 「何!!?」

 「・・・ハァ・・・これだからお子様は・・・じゃあ、ヒントをやろう・・・もし、お前があの村の出身者で・・・あの場で殺されたとしたら、この村はどうなったと思う?」



 なんだそれは!!


 そんなのどうだっていい!!人を殺した人間が何を冷静に「優しさ」などという言葉を口にしているのか!!殺したい・・・殺してやりたい!!でも・・・



 体が言う事を聞いてくれない・・・


 このままじゃ・・・戦うどころか・・・逃げることすら・・・

 クソッ!!なんで俺はここまで力が無いんだ!!!


 


 と・・・


 「もし・・・」


 今まで後ろで震えていたシロンが発言をする。



 「もし、あの場で村の人が・・・例えば私が殺されていたとしたら・・・」

 殺されていたとしたら・・・?


 「おそらく、村の人達は・・・必死になってその原因を突き止めた・・・ということは・・・」


 何かに気がついたようなシロンに男はニヤッと笑った。

 「お嬢ちゃん・・・君はどうやら賢しいようだね・・・。その通り。そして、半日もあれば君の傷が刀傷であることが分かったはずだ・・・。そして、切り口が鋭利であることから、山賊じゃない・・・俺らのような・・・休戦協定を結んでいるはずの敵国の軍人であったこともね・・・。
・・・・・・だが、残念なことに、私たちが斬ったのは村の人間でもなければ、死んでもいない少年だった・・・。ある意味、非常に残念な結果だよ・・・いや・・・でも待てよ・・・」



 と・・・男がアリエスの方へと向き直る。



 「ということはだ・・・この村が全滅したのは・・・君のセイなんじゃないか?」

 「なっ!!!!!?」
 呼吸が止まった。


 そう・・・10歳の少年でも・・・
 それは決して思いつかないことじゃなかった。

 例えば、あの場で自分が死んでいたとしたら・・・



 村の一員では無いにしろ、調査ぐらいはしたはずだ・・・
 そして・・・



 逃げるか戦うか・・・あるいは軍に知らせるか・・・


 何れにしろ、こんな最悪の結末だけは逃れることが出来ただろう・・・。



 つまり・・・


 「ハハハッ!!これは傑作だ!!なんだ、坊ちゃん!!!・・・君が殺したんじゃないか!!!」

 確信を貫くことを言われ、アリエスの中で何かが砕け散った。





 「なぁに・・・恥じる事など無いさ・・・。誰にでも罪は有る・・・浅いか深いかだけの違いだ・・・それに・・・」


 男が手で合図をし、それに従って周りの兵士が静かに腰の剣を抜刀した。


 「坊ちゃん。それにお嬢ちゃん。君たちはあの世を信じるかい?私は信じない。何しろ幽霊なんて見たことないし、でなければ戦場は幽霊だらけになっちまう・・・。魂だけの存在になるなんて、チャンチャラおかしな話だ。人間なんて、死んだらただの死体になるだけ・・・そこに魂なんて存在しない・・・。さて・・・」


 気がつくと、赤い鎧の兵士達によって周りを円形に囲まれていた。
 悔しそうに顔を顰めるアリエスと、目をギュッと瞑り涙を浮かべながら震えるシロン

 そんな2人に向かって男はイカれた笑顔を見せながら言う。


 「大丈夫さ・・・これでも俺は優しいんだ。できるだけ苦しまないように殺してやるよ・・・・・・・・・おい・・・」



 「「「「「ハッ!!」」」」」


 男の指示に全員が揃って剣を振り上げた。


 クッ・・・



 2人とも死を覚悟した。










 その時・・・













 一瞬白い糸が空中を舞った気がした。













 
 そして・・・













 それは10歳の少年と少女にはあまりにショッキングな光景だった。
 全身から血液を撒き散らしながた倒れて行く兵士達・・・



 何が起こったかなんて分からなかった。ともかく斬りかかってこようとしたヤツらが・・・一瞬にして全員・・・殺されたとしか・・・




 「なんだ・・・ナニが起こった!!!」
 突然の自体に当然男(隊長)も狼狽えた。




 「優しさとは・・・」



 聞き覚えのある声が響いた。

 「優しさとは・・・無償の愛を言うのですよ。」


 安心感のある声に2人はすぐに後ろを振り向く・・・するとそこには・・・

 「聖女様・・・」

 シロンが泣き出しそうな声でその名を呼んだ。



 「ごめんね・・・ちょっと遅すぎたみたいね・・・。」


 そう言ってエリーは座り込む2人を抱きしめた。



 「聖女ってことは・・・あんたが・・・エリルティア=オンタリオか・・・」
 「名を呼ぶことを許した覚えはありませんよ。」
 
 男の言葉にエリーは目線を鋭くして静かに腰のレイピアへと手を伸ばす。


 「・・・ひでぇな・・・みんな殺しちまいやがった・・・」

 強気に言う男だが、その声は僅かに震えていた。

 どうやら、エリーという人物の事が相当怖いらしい。


 「ええ・・・そして、あなたにもスグにその仲間になっていただきます。それが嫌なら、残った者を率いて今すぐに立ち去りなさい。」

 それを知ってか知らずか、エリーは静かに脅迫の言葉を口にする。



 「フザケんな!!!」


 それに対し、男は声を荒らげ・・・



 「・・・っと言いたいところだが・・・流石に分が悪い・・・悪いけど、退散させてもらうぜ・・・」

 そう落ち着いて剣を鞘へと収め、マントを翻しながら、男は背を向けた。




 「ちょっと待てよ!!!」





 しばらくしてからアリエスが大声で呼び止める。




 「お前!!名前は!!!!」

 嘲るように男が言う。
 
 「聞いてどうする?」
 「殺してやる!!!」

 10歳の少年の言葉に男はしばらく高笑いした。

 「・・・バーツ・・・バーツ=イルハムだ・・・楽しみにしてるよ・・・少年。」






 そう言い残し、男は去っていった・・・








 「さて・・・アリエス君、シロンちゃん・・・都に行くわよ。」



 エリーのその一言にアリエスは唖然とする。

 「そんな・・・まだ生きてる人たちがいるかも・・・」



 





 「あなた達で・・・最後だった・・・。」







 その言葉の意味を理解できなかった。いや・・・することを拒んだ・・・だが・・・すぐにこれが現実なことを知った。

 風に混じる血の臭い・・・火に焼かれる人肉の臭い・・・



 そこにはあまりにも残酷な臭いが立ち込めていたのだから・・・




 「こうなってしまった以上。自体は最悪なの・・・だから都に行く。そして、今、この村で起きたことを全部宮廷に説明する必要があるの・・・わかってくれる?」


 その言葉にシロンは静かに頷いた。
 だが、アリエスは・・・



 「都って・・・どっちですか?」
 「・・・ここからだと東北東だけど・・・なんで?」

 エリーの疑問にアリエスは静かに笑った。

 「すいません・・・先に行ってて貰えますか?」



 ・・・・・・
 ・・・・・・・・・



 「何か・・・やりたい事があるのね。」
 「はい・・・。」


 スッとエリーは目を閉じて、しばらく何かを考えていたが、やがて・・・



 「分かったわ。でも、これだけは約束して・・・絶対に都に来るって・・・」
 「・・・わかりました。」



 これ以上は何も言うまいと、エリーは静かにシロンにだけ手を差し伸べた。



 「アリエス君!!」

 シロンが叫ぶ。

 「必ず!!必ずまた会えますよね!!」

 その言葉にアリエスはうなづいた。


 「大丈夫だよ・・・スグ会える。スグに・・・」
 「本当・・・ですか・・・」
 「ああ・・・大丈夫だよ。」



 すると・・・


 シロンは静かに小指を差し出した。


 「指切りしてください。」


 暫し困惑したが、アリエスは静かに自分の小指を差し出す。



 そして・・・



 「指切ゲンマン・・・嘘ついたら針千本の〜ます!!」


 子どもっぽい・・・でも確かな約束をする感覚で2人は指切りを交わす。

 そして・・・



 「じゃあ、アリエス君。先に言ってるわね。いい?必ずあとから来ること・・・いいわね。」

 その言葉にアリエスは再び大きく首肯して答えた。



 そして・・・


 エリーとシロンは馬車に乗って、その場を去っていった。

 最後までこちらに向かって小指を振り続けていたシロンの姿は今でも脳に焼き付いている。



 そして・・・アリエスは一人静かに・・・


 燃えた村の方へと歩いていった。






















 3日後・・・






 一人の男が共を連れて街道を村の方向へと歩いていた。
 初老の男だった。
 全身を白いマントで多い、腰に一本の剣を帯びている白髪混じりの凛々しい男。
 これだけでおそらく男のことを語るには十分だろう。



 「酷いもんですな・・・シルバーニ閣下・・・」

 共に歩いていた部下の一人がそう呟く。

 「いきなり襲ってきて、皆殺しなんて・・・」

 その声は怒りに震えていた。

 だが・・・

 
 「なぁに・・・よくあることだ・・・」


 男は静かにそう口にした。

 「ただ、今回は敵がアルフヘイムの連合兵だったというだけ・・・野党に襲われようが山賊に襲われようが死んでしまえば同じことだ・・・。」
 「でも・・・」

 部下が言葉を詰まらせたのを男は聞き逃さない。

 「・・・悲しいことだ。本来なら民を守るはずの・・・騎士であるこの私が・・・今や王家だけを守護し、あまねく民に剣を捧げないなどとはな・・・」

 自嘲するかのごとく鼻でそう笑いそして・・・



 「まあ、でも・・・そんな私でもせめて・・・調査帰りにその殺された哀れな者たちの墓を作ることぐらいはできるがな・・・」

 そう呟く・・・



 「あの木の林を抜けると・・・被害のあったタルブの村です。」


 部下が男にそう告げる。



 「・・・お前・・・軍に入って何年になる。」

 男の放ったその言葉に軍人は敬礼し「丁度2年になります。」と答える。

 「ということは・・・戦場は知らないな・・・」
 「はい!!しかし、こうなったからには、イチ早く戦場に出て、シルバーニ閣下のような一流の軍人に!!」

 「いや・・・そうじゃないんだ・・・」
 「・・・と・・・申しますと?」
 「少し・・・ここで待っていてくれないか?」


 その言葉に部下は「は?」とクビを傾げる。



 「なぁに・・・たいしたことじゃない。墓ぐらいは俺の手だけで作ってやりたいのさ・・・。」
 「あ・・・そういうことでしたら・・・」



 上官の命令に従い、部下はそこでついてくるのをやめた。
 林を出る道を歩きながら、男は静かに自分のついたウソをもう一度考え直す。



 「墓ぐらいは・・・か・・・」
 

 本音は単純なことだった。おそらく、戦場を知らない者は理解出来ないだろう。
 凄惨で残酷な皆殺しの空気を・・・。


 地に沈んだ死体には蠅が涌き、生臭い独特の異臭がするあの空気・・・
 おそらく、耐えられまい。




 フッと笑いを含んで男は、静かに林を抜ける。


 だが、ある意味失敗だったかもしれない。なにしろ、村一つ分の墓を作るのだ。おそらく、今日や明日では終わるま・・・








 いや・・・終わる・・・。

 というより・・・終わっていた。



 林を抜けたその先・・・太陽の影る夕焼けの地に・・・男が見たのは・・・



 粗末な木で作られた十字架が所狭しと地に突き刺さる光景だった。




 一体誰が・・・


 その答えは案外簡単に出た。

 十字架の丘の中央・・・


 そこに一人の少年が立っていた。





 「まさか・・・」




 あれは、エリーが言っていた少年だろうか・・・
 そう思いゆっくりと近づいていく。
 そして、その道程で男は奇妙なことに気がついた。それは・・・

 村人だけでなく、村を襲ったはずの・・・エリーが殺したはずの連合兵の姿もどこにもなかったのだ。




 「被害者だけでなく・・・兵士達の墓も作ったのか・・・」

 「死ねば誰でも一緒だから・・・」


 少年は短くそう答える。


 しかし、この少年・・・大人でも慣れないウチは誰もが嘔吐し、体を震わせる現場で・・・
 3日間墓を作り続けたというのだろうか・・・


 そうなると、もはや常人の神経とは・・・
 

 と・・・


 男はあるものを見つける。


 それは少年の前に置かれた一つだけ形の違う墓・・・


 みすぼらしい石の墓だった。



 「その石は・・・」
 「スタンレーさんの・・・俺のこと助けてくれて・・・だから、ひとりだけ特別なお墓・・・だから、できるだけ綺麗な石探したんだけど、こんなのしか無くって・・・。添える花も探したんだけど・・・全部燃えちゃってなんにも無かったんだ・・・」
 「・・・そうか・・・」


 と・・・少年は振り返り・・・


 「ねぇ、オジサン。お酒持ってない?」
 「酒?・・・バーボンならあるが・・・」
 「頂戴。」


 少年に言われ、男は静かに腰から携帯用のボトルを外して投げてやった。


 「ありがとう。」


 受け取ると、少年はその蓋を外し、そして・・・

 トロトロと墓にかける。

 
 「どこで覚えた・・・そんなの・・・」 
 「本で読んだんだ。死者への手向けだって・・・」


 それを聞いてフッと男は笑った。

 「マセたガキだな・・・。」
 「ダメ?」
 「いや・・・おもしろい・・・坊主。名前をなんていう?」
 「・・・アリエス。」
 「そうか・・・俺はシルバーニ=ド=フィンハオラン。剣を少し嗜む放蕩貴族・・・だと思ってくれればいい。」
 「放蕩貴族?」
 「坊主・・・いや、アリエス。・・・悔しいか?」
 「悔しい?」
 「そう・・・かけがえの無い物を奪われて・・・悔しくはないか?」


 問いかけに対し、たっぷりの時間を以て答えた。



 「悔しいよ・・・すげー悔しい。」
 「そうだ・・・それでいい・・・お前は・・・かけがえの無いものを守れなかった。」
 
 厳しいその言葉にアリエスが唇を噛む。

 「それだけじゃない・・・お前は・・・この村の全ての人の命を託されてしまった。・・・墓を作ったお前なら、守れなかった骸の重さを十分すぎるほど知ってるだろう。だが・・・託された命はその比ではない程に重いものだ。
 偶然か・・・あるいは必然か・・・お前はそれを背負ってしまった。
 つまり、これからお前は・・・自分を守り、人をも守る力を身につけ無くてはならなくなってしまったということだ。大切なものを・・・今度こそ守りぬく為に・・・」


 「守りぬくため・・・」





 「アリエス・・・名を背負ってみないか・・・」

 「名前?」

 「そう・・・この世で最も重く、最も気高き貴族の名・・・“フィンハオラン”を・・・」

 「フィン・・・ハオ・・・ラン・・・」

 「そして・・・俺が教えてやる・・・大切なものを守る方法と・・・その力を・・・俺が貴様に与えてやる。」






 一陣の風が夕凪を舞い、そして、男は・・・シルバーニ=ド=フィンハオランは静かに最後の言葉を紡いだ。













 「お前には・・・俺の“とっておき”をくれてやる。」





 夕日がかげるその中で・・・
 ただ2人だけ・・・
 長い影が伸びるその空気の中を吹き抜けたのは・・・
 一塵の新しい風だった。



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