過去と真実と捨てられた姫君
著者:shauna
延々と広がる鬱蒼たる樹海。
しかしながら、どこか手入れが行き届いたその樹海は、ある種の庭園を思わせる。
その最中に舞う、人のものらしき影。
人だと断言できないのが、時刻が草木も眠り始めた宵闇であるためだった。
濃密に生え揃う無数の木々は天空から地上を照らす月明かりを遮り、樹海をより暗いものへとしていた。
無数の闇が視界を狭める。
目を凝らして、ようやく足元が見えるかどうか・・・といった状態である。慎重につま先で探る様にしながら足を進めなければ、数歩で木の根や石や地面のくぼみに足を取られ、転ぶことになる。
夜行性の獣でなければまともに進むコトも不可能であろうその状況。
歩くことも・・・ましてや走ることもなど・・・
だが・・・
その人影は軽やかに森の中を疾走していく。
舞うような足取りには何の乱れもない。まるで罠のように張り巡らせれた様々な障害を専用に用意されたコースのように一度すら躓くこともなく・・・
跳んで駆ける。翔ぶ。
まるで夜の闇に飛ぶ、一本の矢の如く重力を軽く無視したかのような速さ。
しかし・・・
もしもこの場にその矢のような人影を捉えることができる人間が居たなれば、間違いなく驚愕することとなっただろう。
その人影は、あまりに細い。華奢かつ優美な体躯のどこにアレほどの力が秘められているのか・・・
時折、闇から闇へと渡る瞬間に、月光に照らしだされるその姿は。とてつもなく若くそして美しい少女の娘のものだったから。
まるで月光を移したような白い髪を靡かせるその少女はこの世のものとは思えない程に美しくまた可愛く・・・
だが、一方でその身体に纏う衣はふんだんに使われた布を使い、長い丈にもかかわらず胸や腰に至る部分は未熟な身体のラインを強調し、様々な場所から露出する肌と布の柄がき出す対比はひどく扇情的だった。
華やかでありながら、艶やか・・・
まるで娼婦のようにも見える姫君はまるで舞踊を踊るような動きで森の中を疾走していく。
一見大げさに見える動きだか、見るものが見れば無駄と隙を一切排除した人間の動きとは思えない程に端的な動きであることがわかる。
まるで刃のように研ぎ澄まされた氷のように鋭く染みるそんな純粋な一挙手一投足。
不純物を取り除いた美の極みのような動きがそこにはあった。
だが・・・
「っ・・・」
不意にその動きが揺らいだ。入り組んだ根に足を取られ、転び、膝をついて顔を苦痛に歪める。
だが、痛がるのも早々に娘は素早く後ろを振り返った。
そこにはもちろん、自分が走り抜けてきた闇があるだけ・・・
だが、それでも彼女に目には何かが見えているらしく、追い詰められた表情で後ろを振り返った。
「さすが帝国最強と謳われる魔法騎士団・・・そうそう簡単には逃げさせてくれませんか・・・」
そしてまた走りだす。だが、先程までのとてつもない速さの動きはなく、小さく蹌踉(よろ)めく。
その瞬間―
どこからか飛来した光が彼女に一直線に襲いかかった。
「その程度で!!」
大きく手を振り払い、光の幕を発生させると、飛来した光は爆発してはじけ飛んだ。
だが・・・
追撃はそれでは終わらなかった。今度は真っ黒な狼を思わせる大型犬が数十頭闇の中から疾走してくる。
「甘く見られたものですね・・・」
今度は数十本の光の矢が飛び、追いかけてくる大型犬を一気に霧散させた。
だが、生きの良い反撃を見せたのもつかの間・・・
すぐに肩で息をしながら近くの木へと背中を預ける。
状況が状況なだけにすぐに逃げ出した。
とにかくここを離れなければ・・・その一心で・・・
先ほどよりも若干キレの無い動きで樹海を駆け抜けていく。
そして、少し開けた野原に出た瞬間・・・逃げる少女と追撃する者の姿を月あかりが照らし出した。
逃げていたのは真っ白な髪の少女・・・あのシルフィリアだった。
対し追撃しているものはいままで見たことがない人物たち。全身を流線型の黒の甲冑と黒い鎌を携えた異形の集団。
帝立魔法騎士団・・・
アルフヘイム連合盟主、神聖アリティア帝国が誇る最強の部隊。それが数十人クラスで襲ってくるということは・・・
「本気で殺すつもり・・・みたいですね・・・」
よく聞くと、静かに聞こえる波の音・・・どうやら海が近いらしい。
「さぁ・・・覚悟はいいか?幻影の白孔雀・・・」
いやらしい笑みを浮かべながら、あたりを囲んだ魔法騎士団がジリジリと近寄ってくる。
「お前のせいで、魔法騎士団の名誉はズタボロなんだよ・・・今じゃ幻影の白孔雀ばかりが注目され、魔法騎士団の名は地に落ちている!!どんな功績を上げても・・・だ!!」
ひどく政治的な話だった。帝国最強の男たちによって編成されている兵士隊“魔法騎士団”とたった一人の超絶美少女”幻影の白孔雀”・・・
国民の注目を集めるのなら当然後者となるだろう。容姿が良いのはそれだけで価値があり、英雄がアイドル的な方がなにかと都合が良い。
ただそうなってくると、必然的に今まで注目の的だった魔法騎士団の知名度や栄誉はどんどん注目されなくなり、地に落ちる。いままでと変わらぬ戦果をあげていたとしても・・・
「だが・・・ここで、“反逆者”の幻影の白孔雀を討ち取ったとなれば、俺達の名誉は回復できる・・・この意味がわかるよな?」
わかる・・・十分に・・・
だが、状況を整理するにはまだ少し時間がかかりそうだった。
意識が覚めた時、とあるホテルの一室に居たのは覚えている。そこから、優美なドレスに着替えさせられて、なにか小さな箱のようなものに入れられてしばらく移動させられた。そして、箱が開かれ、ふんだんな明かりと一緒にとてつもなく大きなシャンデリアが目線に入った。そして、同時に・・・頭上から水がふり注ぎ、びしょ濡れになって・・・
そして・・・同時に一気に飛んでくる矢に襲われた。
全身を引き裂く痛みと同時に頭が真っ白になった。どうしてあんなことになったのかわからなかった。
ただただ笑っていた身なりの良い貴族たちの嘲笑だけがやたらと目についた。
そして逃げた。ボロボロになりながら・・・ほとんど魔法も使えない状態でとにかく逃げた。
そしてその間に状況を整理した。
あの時ヴェルンドはこう言っていた・・・。まだ使い道があると・・・
とすると、その使い道は自分を殺すための最適な状況の設定だと考えられる。
そこまで考えた瞬間にすぐ答えは出た。
幻影の白孔雀は国民や王宮からの信頼は厚いが、敵だってたくさんいる。
それは主に、今まで戦争に兵士を派遣し功績を立ててきた貴族たち。
幻影の白孔雀ばかりが目立ち、自分たちの僅かばかりの功績が表に出ないため出世できない・・・国王に取り入ることもできない。
最初は幻影の白孔雀のスコアを譲渡することで隠してきた戦果もシルフィリアが有名になりすぎたため、これ以上戦果の低下を隠しきれなくなった。
そして恨んだ・・・幻影の白孔雀を・・・
ヴェルンドが言っていたのはそういうことだった。
白孔雀へ恨みを持つ貴族たちからある程度の信頼を勝ち取るためにシルフィリアに反逆罪をかけて彼女を貴族たちへ犠牲として捧げる。
それによってヴェルンドは国内での地位を確立し、さらにシルフィリアを処分することもできる。
まったくもって・・・これ以上無いほどに合理的な考え方だった。
魔法騎士団はその鎌をかまえ、今にも自分の首を跳ねようとしていた。
この様子だと恨み辛みは相当なものらしい。少なくとも泣いて土下座した程度では許してもらえないだろう。
なら・・・
いっそ・・・
一気に海の方と走った。
いっそそのまま飛び込んで自害しようと・・・
だが・・・
全身を鋭い痛みが貫いた。
魔法騎士団が一斉に襲いかかってきたのだ。痛みで海まであと一歩というところでその場に転げ、血を流す。
ニヤニヤしながら近づいてくる魔法騎士団・・・乱暴に髪の毛を捕まれ、頭を持ち上げられる。
「できればここで首を跳ねてやりたいが・・・それじゃあお前は簡単に死ぬことになる・・・それは許せないんだよ・・・」
首に付きつけられる冷たい鎌の感触。
「できるだけ時間をかけて・・・イタブって殺してやる・・・」
間違いなく殺される・・・そう思った・・・
嬲られてイタブられて・・・ボロボロにされて・・・殺される・・・
だけど・・・
なんだか今はそれが開放されることに思えた・・・
地獄の中に一本垂れた蜘蛛の糸に見えた。
もう殺されてもいいと・・・ただ贅沢を言うなれば・・・楽に死にたかった・・・
――また、絶対戦場で・・・願わくば戦争のない世界で・・・――
ふと、そんな言葉を思い出した。
誰の言葉だったか・・・
あぁ・・・そうだ・・・確か・・・アリエス・フィンハオランとかいうあの男の言葉・・・
生まれて初めての友達の言葉・・・
ふと足元へ目線をやると、海までは本当にもう少し。
それに気がついた瞬間・・・
自然と足が海の方へと動き・・・
気がつけば海へ飛び込んでいた。
泳げもしないのに・・・水に入ったら魔力が全て流れだし、魔法も使えなくなってしまうのに・・・
水は肌を切り裂き、骨まで染み入る程に冷たかった・・・
おまけにかなり波が強い。
右に揺られ、左に揺られ・・・水流に弄ばれるように流されながら・・・もがいてもがいて・・・苦しくて苦しくて・・・
やがて意識を失った。
果たして、あのまま魔法騎士に殺されるのとどっちが楽だったのだろう・・・
そんなことを思いつつ・・・
※ ※ ※
フィンハオラン領は国の北側に位置する。
そのためアリエスがなんとか国境へたどり着いた時、保護してくれたのはフィンハオランの兵士で、倒れたアリエスはそのままフィンハオラン家に担ぎ込まれる形となってしまった。
のだが・・・
「まったく!!軟弱者が!!あの程度の苦境で、なおかつ敵軍の娘に唇を奪われて惚けてる瞬間に捕縛されるなど、フィンハオランの歴史上、前代未聞!!ありえない愚行!!わかっているのか!!」
姉で魔法医であるナナリーの治癒を受け、体力が回復しかけたところで・・・
待っていたのは当主であり義祖父であるシルバーニ・ド・フィンハオランからのこっぴどい説教だった。
「アリエス!!俺はお前にそんな軟弱な精神を叩き込んだつもりはないぞ!!あの剣術稽古の中からお前が学び取ったのは女に誑かされて敵軍にまぬけにも捕縛されるようなコトだったのか!?あぁ!?」
「・・・・・・面目次第もございません・・・」
「まったく・・・何のために10歳から4年間、ロクに勉強もさせずに朝6時から夜9時まで昼の休憩しか入れず訓練を積ませてきたと思っている・・・」
「・・・(アレは地獄だった)」
「筋肉痛で全身が毎日痛かろうが、どこか骨折があろうがひたすら毎日山奥で俺と修行したあの日々は・・・そんなに甘いものだったのか!?」
「・・・(どんなに全身が痛くても許してもらえなかったなぁ・・・死ぬ!死ぬぅ!!って何度思ったことか)」
「聞いているのかアリエス!!」
「もちろんです!!」
「よし・・・なら今回の件・・・わかっておるだろうなぁ・・・」
「あの・・・俺まだ怪我をしてますし、それにまだ療養中ってのを考慮して寛大な処置をいただけると大変嬉しいのですが・・・」
「ほぅ・・・なら、地獄の特訓メニューLv9で許してやろう・・・」
「まさかの上から2番目!?いやいや、俺まだドラゴンの巣に飛び込んで卵を盗みつつ、追ってくる冬眠から覚めた母ドラゴンに追い回されるような過激な特訓は!!」
「Lv10の方がいいか? ん?」
「お願いします・・・Lv9で許してください・・・」
Lv10・・・それは山一つを利用した当主シルバーニとの命がけの鬼ごっこを意味する・・・ある意味ドラゴンの方がまだマシである。彼らは野生の本能で襲ってくるだけだが、そこに策略と10倍ぐらいのパワーが加わると自然界の食物連鎖の厳しさを実感することとなる。もちろんアリエスはピラミッドの一番下。
ともあれ、まずは・・・
ドラゴンから逃げまわるにしてもなんにしても武器は絶対に必要・・・
ずっと使っていた剣は捕縛されたときに制服と一緒に徴収されてしまった。
新調しないと・・・
地獄の特訓に耐えうるぐらいの相当な名刀を・・・
・・・いや、やっぱりそこまでお金ないからそこそこの名刀を・・・
※ ※ ※
意識を取り戻した時には、そこはどこかの浜辺だった。
はじめに目に飛び込んできたのはどこまでも高い曇天の空・・・空からハラハラと舞い落ちる雪が頬に触れて溶ける。
指先や足先に力を入れると、かなり痛いながらもまだ動く・・・
そっと目をやると赤くなっていてどうやら凍傷になりかけているようだ・・・
だが、まだ動く。
ということは・・・
「死にそびれた・・・みたいですね・・・」
消え入るような声で当たりを見回す。どうやら高い高い空はまだ自分を受け入れてくれなかったようだ・・・
いや・・・
「私が行くのは・・・地の果て・・・地獄の奥底でしょうか・・・」
嘲笑めいた笑みを浮かべる。
そして静かに立ち上がった。
服には大量の砂が付着していた。それをパタパタ振り払い、当たりを見回す。
そこはどうやらどこかの街・・・
歩く人々は皆コートやマフラーやモコモコした帽子で身体を覆い、冬の様相を示し、その中でドレスを着用した自分は完全に浮いていた。
そして、3歩ぐらい歩いたところで・・・身体がバランスを失った。思わず膝をついたが、その事実に最も驚いたのは本人だった。
いままでいくつも過激な戦闘というものはあったが、それでもここまで疲労を蓄積したのは初めてだったのだ。
とりあえず、どこか休める場所を・・・
だが、お金も当然無いし、泊めてくれるような知り合いも居ない。
自然と足が向いたのはどこかの建物の裏の裏・・・細い細い路地裏だった。
ごみ箱の影へ足を踏み入れ、そこへ腰を下ろす。空腹もさることながら、一番ひどかったのは眠気だった。だが、このままでは寒くて眠ることすらできはしない。
と・・・
ふと隣を見ると、そこに落ちていたのは読み終わった新聞紙だった。
「確かサバイバル教本に新聞紙に包まるというのがありましたね・・・」
静かに新聞紙を羽織ってみる。
なるほど・・・確かに温かい。
だが、その一方で絶世の美少女が新聞紙を身にまとうというかなりシュールな光景にまわりからは好奇の視線が集まっていた。だが、そんなことを気にしている暇は無かった。
とにかく瞼が重くて・・・
僅かに暖かくなっただけだというのに、一気に睡魔が襲い・・・
わずか数分の内に眠りへと誘われた。
どれぐらい寝ただろうか・・・まだ疲れがあまりとれていないから、それほど長い時間ということもないだろう。
それにまだかなり瞼が重かった。にもかかわらず、何故目覚めたかというと・・・
体中を撫で回されるとてつもない悪寒に襲われたから・・・
目を少し開けてみてみると・・・
見ず知らずの男が自分の足をなで回していた・・・
「!!!!!!!!?????????」
慌ててその男の顔面を蹴飛ばした。
痛がる男はとんでもない形相でこちらを睨みつけ、
「んだよ!!お前から誘ってきたんじゃねーか!!こんな路地裏でそんな格好で居眠りコキやがって!!どうせ、どこかの店の女だろ!?店に上前撥ねられずに丸取りできるんだ!ありがたく思って、さっさと服を・・・」
怒りを顕わにしつつ、今度は服へ手を伸ばし無理矢理剥ぎ取ろうとする男。
「やっ!!やめてください!!私はそういう!!」
一応抵抗はするが、一向に聞き分ける気配は無く、むしろ、逆に「抵抗すると逆に燃えてくるぜ〜」と卑しい笑みとヨダレを垂らしつつ服を裂こうとする力はより強くなる。
普通なら気絶させてしまえばいい・・・
だが・・・
何故か・・・無性に・・・腹が立った・・・
『我話すなりよって破壊するなり(オルタリティオ・ディレオ)・・・』
迸る緑色の閃光。と同時に目の前の男はバタリと倒れた。失神・・・いや違う・・・そのまま命を奪われたのだ。なんの抵抗もできないままに・・・
「きゃー!!人殺し!!」
甲高い悲鳴が路地裏を占めた。同時に集まる視線。
すぐにその場から駆け出した。そしてしばらく走ってまた別の場所へ腰を落ち着かせる。
だが、結局はまた同じことの繰り返し・・・
少し寝ていると、どこからともなく男が現れ、単数、ひどい時には複数で手足を拘束されたり身体を触られたり、強姦されそうになる。
その度に殺したり、魔法で撃退して・・・
もう男の手で触れられていない場所など無いのではないかと思えるほどの回数を重ねていたら、いつの間にか足が伸びていた場所はひどく汚い路地裏だった。
人間である以上あまり汚い場所へは極力近づきたくないものである。
その心理を応用して逃げてきたわけだが・・・そこは明らかに人間が長時間要られるような場所ではなかった。
ドブ川のひどい悪臭とおそらく死体置き場となっているのであろうその路地には犬や猫の死体が転がり、さらにそこには虫が湧き、通常なれば人が嫌悪の視線を向けつつ一歩足りとも入り込むことなどないであろう場所だった。
だが、シルフィリアにとっては唯一休める場所。身体の周りに軽い力場を発生させて、虫を寄せ付けないようにして休む。
しかし・・・
ハラハラと空から舞い落ちる雪が降る程の寒さももちろんながら・・・
少しずつ寝たためか、それとも逃げ回った故か・・・空腹が先に立っていた。
とりあえず何か食べられそうなもの・・・
とはいえ・・・こんな所では・・・
当然お金もないし、サバイバル用の食料なども持ってない・・・森も無い上に季節は真冬。魚や動物やきのこ類山菜類を取るわけにもいかない・・・
なにか食べるもの・・・なにか食べるもの・・・
駄目だ・・・なにもない・・・仕方ない・・・眠ることにしよう・・・とりあえず疲労を取ることが一番重要だと思うから・・・
場所柄故に、今度は無理矢理起こされることもなく眠ることができた。
そうして目を覚ました時・・・身体が凍りそうな寒さに目を覚ますと・・・
目の前に2人の男が立っていた。今まで自分を襲った男とは違う身なりの良い男だった。
「お嬢ちゃん。こんな所でどうしたんだい?」
「え・・・あ・・・」
まずい・・・どう答えればいいのだろう・・・ここが敵国にしろ同盟国にしろ、今はどちらからも負われる身。確実に殺される。
するともう一人の男が憐れむような顔を向けた。
「もしかして・・・親に捨てられたとか・・・」
「こんなご時世だ・・・ありえるだろう・・・”どこかの娼婦が育ててきたが、邪魔になって捨てる”なんて、今の世の中よくあることだ」
何か勘違いをしてくれたらしい。せっかくなのでそちらに合わせることにした。
「実は・・・そのとおりで・・・娼婦だった親に隠されて育てられ生きてきたのですが、母がある日出奔し・・・」
悲しそうな演技をしてごまかす。すると、男達は憐れむような顔で見つめてくる。そして・・・
「お嬢ちゃん。我々は慈善団体の団員でね。街中で戦災孤児となった子供の住み込み労働先を探す支援を行なっているんだ。よければ一緒に来ないか?このままじゃこの寒空の中、凍え死んでしまうかもしれない。一応、寝る場所と食事ぐらいはなんとかしたいだろう?」
確かにその通りだった。
手足の先の感覚が段々と無くなっている現状はなんとか打破しなければならない。
なので、必死に嘘をついた。とりあえず当面の宿を確保し、ある程度体力を戻したところで再び逃亡するのが得策と考えたから。
だが・・・
神はどうやら人を殺した人間をとことん嫌うようだった。
2人の男は言った。
おいそれと住み込み先から脱走されたりすると困るから目隠しをするよ・・・と・・・
たまに暴れる子供が居るから申し訳ないけど両手をワイヤーで拘束させてもらうよ・・・と・・・
そしてその果てに・・・連れてこられたのは・・・
なにやら甘い匂いのする店・・・
鼻をつくその匂いは艶かしく、臭い程に芳香を放っていた。
肌で風を感じないことからどうやら室内であるらしい。
その中で聞こえてくる会話。
「どうだ・・・コレほどの上玉・・・滅多に手に入らないだろ?」
「こちらとしてはそれ相応の価格で取引してもらいたいね」
「そうは申されましても・・・我が店も経営が厳しいもので・・・」
「まったく言ってくれるぜ・・・」「それで、いくらまでなら出せるんだ?」
「そうですね・・・それでは800万リーラでいかがでしょうか?」
「あぁ?安すぎる。最低価格でも2000万リーラは付くぐらいの上玉だぞ?」
「2000!?ですか!?」
「年齢を考えればマニアはそれこそ売るほど居るだろ。加えてこの肌。まるでやわらかい陶磁器なんてありえないものを体現したような感触だろ?」
複数の手が腕を撫で回した。
「肉つきもよく、おまけにこの清純そうな純白の髪。加えて、絶世の美少女だぞ?そのぐらい出しても三ヶ月かそこらで元が取れるだろ?」
「そうですね・・・では、1200万リーラでどうでしょう?」
「安すぎる・・・せめて1800万・・・」
「これ以上出せとおっしゃるなら、目隠しをとってくださいませ。でなければ彼女が本当にあなた方のおっしゃるような美少女なのかの確認をさせていただかないと・・・」
「ふん・・・まぁいいだろう・・・見せてやるよ・・・」
シュルシュルと目隠しが外され、かなりの光量が一気に目に入った。
目をかすめつつも当たりを見回すと・・・そこは高級ホテルの一室のような場所。
深紅の絨毯に木目調の壁。吹き抜けの天井には大きなシャンデリアが揺れていた。そして壁には大量の肖像画が掛けられていた。だが、妙なことに普通肖像画といえば壮年の男性のものが主流であるのに対し、この店に飾られているのは全て若い女性のもの・・・
それを見た時、シルフィリアは一瞬で自分が居る場所に気がついた。ここはいわゆる・・・売春宿とか娼館とか・・・そんな名前で呼ばれる場所・・・
そうとも知らず自分を連れてきた男達ともう一人なにやら太った男の会話は続く。
「どうだ・・・この美しさだぞ・・・おまけに知性も奥ゆかしさも備え、なおかつ、天使の如く可愛らしい・・・」
「確かに・・・これはこれは・・・しかし若すぎる・・・こんな子供どうしろと言うのですか?
「そんな趣味の客ならいくらでもいるさ・・・本当なら3000万リーラでもいいところなのに、今回は俺達とこの店の仲だし、今後も俺達はあんたと良い取引を続けたい。だからマケにマケて2000万で良いと言ってるんだ」
「うーん・・・しかしさすがに一人2000万というのは前例がありません。現在この街のすべての店の最高取引金額は1400万ですよ?
「だが、こんな機会、二度とないぞ?もし、ここで史上最高額で落札してみろ。この店は一躍有名になり、このガキにはとんでもない注目が集まる。そうなれば、純利益を考えればヨダレが出るだろ?
「そ・・・それは・・・そのとおりですが・・・」
「文字通り、女を売る家業の店だぞ?」
「うーん・・・わ・・・わかりました・・・ならば・・・先ほどご提示いただいた1800万リーラでいかがでしょうか?」
「よし!取引成立だ!!
「それでは契約書にサインを・・・」
ゴキッ・・・
鈍い音に男たちは一斉に少女を見た。
そして、たじろぐ・・・
固く縛ったはずの縄がシュルシュルとみるみる緩まったから。
関節を外して、縄抜けした縄を捨て去り、静かに立ち上がるシルフィリア。
「じゃあな!取引は成立だ!!」
「あぁ!!ちょっと!!」
そう言って自分を売った2人の男はすぐさま走り去った。
「何をしてる捕まえろ!!1800万の娼婦だぞ!!」
大声で叫ぶ店の男。するとどこからともなく何十人という黒服の男が集まってきた。
そして、一斉に襲いかかる。
だが・・・彼女に手が触れようとした瞬間・・・次々に黒服が宙を舞う。
相手の力を利用して投げる空手のような技。ついには30人ほども居た黒服が全員床に伏せることになった。
はぁ・・・と小さなため息をつき、店の男の方を向き直った。
「ひぃ・・・た・・・助け・・・」
ものすごく無様に助けを乞う姿に、シルフィリアは静かにもう一度嘆息する。
すると、男は一変し・・・
「で!!出て行け!!お前などいらない!!
そう叫ぶ。
その言葉がヴェルンドに同じ言葉を言われたシルフィリアをどれほど傷つけるかも知らず・・・
「・・・よろしいのですか?」
「は?」
「1800万リーラ・・・支払ったのでは?」
「・・・支払いは銀行振込だ・・・まだ払っておらん・・・いいから出て行け!!消えろ!!消えろ!!!!
その言葉に三度目のため息をつき、シルフィリアは店を後にした。
外は雪が降り積もっていた。
それに降り注ぐ雪はさらに強さを増していた。
先程よりも寒い・・・。
だが、行く場所も宛てもない。
足が進んだのは結局先程の死体置き場だった。
犬や猫の死体や這いまわる虫に囲まれながら膝を抱え、できるだけ身体を小さくして暖を取る。しかし、それでもやはり寒さが身体に染み入った。
それにもっとひどいのは空腹。
しなくてもいい運動をしてしまったことや寒さ故にどうしても身体が食べ物を求めてしまう。
しかし、食べるものなどなにもない・・・
と・・・
目の前を見つめると、膝や髪に積もった雪が目に入った。
「一応水分・・・ですよね・・・それに食感もある・・・」
両手で掬い口に運ぶ。
しかし、それは真冬にかき氷を食べるようなもの。食感はシャリシャリと惨めなもので、口の中を冷やし、飲み込めば身体を冷やす。
結局数口食べたところで、諦めた。
その後、せめて水分だけでもということで、少しずつ雪を口の中で溶かして飲み込む。
だが、それでも空腹感は紛れず、結局無理矢理意識を押し殺して眠るしかなかった。
※ ※ ※
どれほど深く眠っていたのかはわからない・・・だが、意識が覚醒した時・・・さすがにマズイと思った。
なにせ、全身に雪が降り積もり、身体全体が動かなかったから・・・生きたまま冷凍されたような感覚。
慌てて全身に体温少し上まで温めた血液を流して解凍し、身体を魔力で覆う。
危なかった。もう少しでコールドスリープにされるところだった。
だが・・・本当にマズイのはやはり空腹。
我慢出来ないことはないけど、これ以上食べないと流石に魔法を使えなくなるそうなったら一気に凍死まちがい無しだ。
なにか栄養があるもの・・・あるもの・・・
だが、見回してもそこにあるのはただただ雪ばかりと死体ばかり・・・
・・・死体?
静かにシルフィリアは傍らに倒れていた死んだ犬を見つめた。
もはや死後何日経過しているのか知らないが、虫が湧き、もはや蘇生することは叶わぬであろう
だが、シルフィリアはそれを見つめ・・・思った。
“肉ならここにあるじゃないか・・・”と・・・
冷凍されるから、おそらくまだ腐ってはいないはず。
虫をはらい、指でその肉を剥がし・・・口に運ぶ。
途端に噎せ返った。ひどい味だし、少し腐っていたのか生臭さが口全体に広がった。
とてもじゃないが食べられるレベルのものではなかった。
だが、それでも食べなければ生きられない。
正直一口で二度と口に運びたくないと思った。
それでも食べ続ける。幾度か吐き戻しながら・・・
なんとか数口を飲み込み、口の周りの血を拭うと、身体の芯に精神を集中した。
頭の先から右肩を通り、腹部を回って、足先へ流れる螺旋のイメージを作る。
急速に魔力を創りだすのはコレが一番効率がいい。
たんだんと魔力が溜まっていく。
なんとかスッカラカン寸前から1/4程度まで回復して、また身体を魔力で覆う。ホカホカとして暖かくなり、また眠たくなる。消化を助けるためには少し運動したほうがいいのだが、今はとてもそんな気分には・・・
また瞼が重くなり、夢の中へと旅立ちそうになる・・・
だが・・・
瞼を閉じた所で、また身体を触られる感触・・・
どうやらここでも簡単に寝かせてもらえそうにはなかった。
※ ※ ※
逃げて・・・
死体をあさって・・・
ゴミ箱をあさって・・・
強姦されそうになって・・・
もう一度、今度は別の店に売られそうになって・・・
やっと逃げたと思ったら、今度はこの前自分を売った2人組の男に報酬を受け取れなかった報復として暴力を受けそうになって・・・
もし、自分がただの女の子だったら・・・そう思うとゾッとする。
強姦されそうになるのを撃退するのも、死体を食べるのもそれに付いた虫を食べるのも・・・普通の女の子じゃとてもじゃないけれどできないだろう。
そんな生活を一週間ほど続けて・・・
髪の毛もススや雪で汚れて灰色になって・・・瞳も寝不足のせいで赤が混じって紫に見えるようになって・・・
心身ともにボロボロになって・・・
もうどうにでもなれ・・・次に誰かに連れ去られたらおとなしく成り行きに身を任せるのもいいかもしれない・・・どこかの店に売り飛ばされて心身ともに本当にボロボロにさせられる・・・でも、食と宿は保証される。それに、なにか・・・
新しい需要をもらえるなら・・・それもいいかもしれない・・・何かの役に立てるのなら・・・このまま朽ち果てるよりも・・・
いや・・・あるいは最後こそ、幻影の白孔雀として果てるべきか・・・
実験途中の化物が研究所を脱走して、最終的に大暴れして殺される・・・。それはそれで化物らしい死に様かもしれない・・・
毎日毎日・・・昼も夜も振り続く雪。
そんな雪をこの街から全部吹き飛ぶぐらい大暴れして・・・魔力も体力も全部スッカラカンまで使って、凍死・・・
冷凍保存なんてまさに化物の終わり方。正義のヒーローにどこかの施設へ誘い込まれてそのまま封印・・・そんなエンディングの小説みたいで笑えてきた。
さて・・・どうしようか・・・
今後の進路をそろそろ決定しないと・・・
「あ・・・あの・・・」
そんな時だった・・・いままでの人物とは異質。
戸惑いがちに・・・躊躇いがちにかけられたまだ若い男の声・・・
静かに顔をあげると・・・そこには・・・
一人の少年が立っていた。ワイシャツとスラックスに高級なコートとマフラーを羽織った男。腰には一本の真新しい剣。
その男の顔を見た瞬間・・・はっとした・・・
―アリエス・・・フィンハオラン・・・―
心の中で静かにその名前を呼んだ。
自分に生きろと言った男。いつか戦争のない世界で会おうと言った男。
そして・・・
自分にとっての・・・生まれて初めての“友達”・・・
「あの・・・大丈夫・・・ですか?」
心配そうな顔でこちらを覗き込んでくる・・・少し時間をかけて状況を把握した。
どうやら、彼はまだ今自分が話しかけているのが幻影の白孔雀だと認識していないらしい。
なにしろ髪は灰色、目は紫・・・着ているものも違えば肌の色だって凍傷でより白く不健康そうになっている。現状で気がつくのは無理だろう・・・
だが・・・
ちょっと安心もした。
最後に強姦されて殺される相手・・・それが、アリエス・フィンハオランであれば・・・
それもまた・・・
ある意味で・・・
幸せな死に方なのかもしれない・・・少なくとも、他の名も知らぬ大人に同じ事をされるよりは・・・
静かに目を閉じた。全てを受け入れようと思って・・・
と・・・
カサリという音と共に・・・とてつもなく良い香りが鼻をくすぐった。
少し目を開けると・・・彼が目の前に出してくれたのは紙袋にはいったふっくらとした暖かくて・・・やわらかそうな・・・肉まん
「食べ・・・ますか?」
心配そうにそっと目の前に出してくるアリエス。
そっと一つを手に取り、千切らずそのままかぶりついた。
途端に涙があふれた。
一週間ぶり・・・いや・・・生まれて初めての食べ物だったかもしれない・・・
その肉まんは・・・とてつもなく暖かくて・・・ふっくらとやわらかくて・・・中の肉がジューシーで・・・
死ぬほど美味しくて・・・
信じられないぐらい大粒の涙が目からボロボロ零れた。
食べてる肉まんがどんどん涙でしょっぱくなって・・・それでも食べる手がとまらなかった。
一個を食べ終わると、すかさずアリエスがもう一個渡してくれた。
そのもう一個もただただ泣きながら無言で食べ続ける。食べ終わると今度はお茶。温めたすっごく香りの良いお茶・・・
自分が自分でなくなってしまうかの如き、とてつもない幸福感・・・
お茶を飲み終わると、アリエスは静かにシルフィリアに手を伸ばした。
「立て・・・ますか?」
言われるままにその手を掴んで立ち上がる。
なんとか立ち上がれるもののまだ足元がフラフラとふらついた。
それを優しく支えてくれるアリエスの暖かさが心地よくて・・・
「知り合いに医者がいます。その人に診てもらったほうがよさそうですね・・・」
え・・・
医者に・・・診てもらう?
マズイ!!
あわててフラつく足で自立した。
もし医者になど行ったら国籍が無いことを調べられ、敵国の人間であることが露呈するかもしれない・・・そうなれば待っているのは拷問と処刑だけ・・・珍しい怪物の被験体として、生きたまま解剖されたあげくに実験動物のように標本にされるかも・・・
いや、それならまだいい。ヘタをしたら自分を連れていったアリエスにすら自分と知り合いだというだけでスパイ嫌疑がかけられることすらある。
それだけは避けなければ・・・せっかくの・・・友達が・・・
しかも、アリエスはどうやら学がないのか・・・気がついていない・・・
「いえ・・・大丈夫・・・ですから・・・」
出ない声を振り絞って、シルフィリアは壁に手をつきながら一歩一歩歩き出した。
だが・・・数歩で動けなくなる。
「ほら・・・全然大丈夫じゃないですよ!」
慌てて支えたアリエスがそのまま背中に自分を背負った感触がわかった。
「おね・・・がい・・・します・・・病院だけは・・・許して・・・・」
「わかりました・・・ただ、このまま捨てとくことはできそうにないので・・・」
そうつぶやくと、アリエスはシルフィリアを背負ったまま、どこかへ歩き出した。
※ ※ ※
そこは店舗の上だった。
小さな花屋の階上。ちょうど三叉路の角に位置する文字通り角部屋。
狭い階段をトントンと登っていき、一室の鍵を開ける。
六畳一間の部屋にガラスのローテーブルとベッドと机だけが置かれた部屋。
そのベッドに静かに寝かせられ、厚い毛布をかけられる。
カイロがいくつか放り込まれ、どんどん毛布の中は暖かくなっていった。
「ごめんね・・・俺なんかの布団で・・・臭いでしょ?」
その言葉にフルフルと首を振った。
確かに男臭さはあるものの、嫌な匂いではない。むしろ、良い香りとすら思える。少なくとも貴族共の香水がとてつもない屋敷や先ほどまで居た死体だらけの路地より・・・
「すぐお風呂沸かすから、ちょっと待ってて」
パタパタと走って行く音。次いでドドドドという湯船にお湯が張られる音。
しばらく寝ていると、再びパタパタと今度は走ってくる音。
「おまたせ、湧いたよ」
その声と共に、肩を貸してもらって、ベッドから起き上がり、お風呂場まで連れていかれた。
「えっと・・・一人で入れる・・・よね?」
その言葉に静かに頷く。
というか、もし入れないと言われた時この少年はどうしたのだろうか?
あるいは正解は「入れない」という方だった?
彼が浴室のドアを閉めるのと同時に、静かにホコリっぽい汚れた服を脱いだ。
そして浴室に入るが・・・正直知識としてしか入り方を知らない。
未だスパイとして男性と共に浴室に入った経験はまだ無いし、そもそもあの試験管の中が安眠場所だったため、必要としなかった。
えっと・・・確かまずは・・・身体を流すことから始めるのだったか。
傍にあった桶で身体を流すと床一面に泥水が広がり、排水口へと流れた。
次は湯船に浸かって身体を温めるのだが・・・いかんせん全身が泥だらけだからこのまま入ったら湯を汚してしまう。
さきに身体を洗うことにした。一緒に髪も。
泥だらけの水がガンガンと排水口へと流れていく。
それにしても・・・なんて気持ちがいいのだろう・・・
いつも薬品に浸かるばかりだったか、良い香りのする石鹸で身体や頭を流すという感覚は、脳を直接洗浄しているような心地よさが身体を包んだ。
肌は薄汚れた色から柔らかな肌色に、髪の毛は灰色から真っ白に。顔も綺麗に洗って、洗面器の中で目も洗って、充血して紫がかった瞳を通常の美しいサファイアブルーへと戻す。
その状態になってやっと湯船へ。
肩まで湯に浸すと、一気に身体が砕けるぐらいに心地よかった。吐く息一度一度が全部まったりとして、眠気がふわふわと湧いてくる。
眠らないように注意しながら、身体を快感に任せていると・・・
「あの・・・着替え、ここに置いておくから・・・」
外からそんな声が聞こえた。
さて・・・そろそろ出ることにしよう。
あんまり入りすぎてたら本格的に眠ってしまいそうだし・・・
いや、あるいは、このまま寝てしまって、アリエスに裸体のまま介抱されたほうが正解なのかもしれないが・・・
着替えとして置いてあったのはワイシャツと黒のスウェットのズボン。男物なので大きくダボダボとちょっとみっともない気がしないでもない。
まあ、だからといって文句はない。少なくともあのズタズタのドレスよりはずっとマシで綺麗な服。
髪の水分を拭き取り、用意してもらった服で身体を包み、静かに浴室を出た。
あれ?そういえば・・・
「あ・・・お風呂上がったんだ・・・インスタントだけどスープが・・・できて・・・」
缶詰のクラムチャウダーを鍋で温めていたアリエスがこちらを振り返った瞬間・・・
固まった。どうやらこちらを見て完全に思考が停止したらしい。
そう・・・そういえば・・・
アリエスは自分が幻影の白孔雀だと気がついていなかったはず・・・
鍋のスープが焦げる匂いで再び思考を取り戻し、慌てて火から外して、中身をマグカップに移す。そして静かに・・・壁際まで行って自分の剣を手に取り・・・
静かにそれを抜刀した。
「とりあえず3つ答えろ・・・1つ、なんでここにいる!? 2つ、それはなにかの作戦!? 3つ、お風呂どうでしたか!?」
・・・とりあえず動揺してることは十分によくわかった。
※ ※ ※
「そうか・・・そんなことが・・・」
2人でベッドによりかかりながら、シルフィリアは毛布に包まってクラムチャウダーを飲みつつ、アリエスにありのままの事情を話した。
爆発からの脱出。その後の貴族の娯楽と人気取りの為の処刑。そこからの逃亡。どこか知らない街での捨て犬のような生活。そして全てを捨てようと思ったその時に救ってくれたのがアリエスだったこと。
「ちなみに、ここはエーフェ皇国の北の果てだよ。名前は将都メルヴ。」
まさか敵国だとは思わなかった。そうか・・・いつの間にか国境を超えていたのか・・・道理で追跡の手がなかったわけだ。敵国までわざわざ追う必要などないから・・・
「立場が逆転しましたね・・・」
静かにシルフィリアはそう告げた。
「あの時とはまるで逆。今度は私が捕まる番。どうしますか?仮にも敵国のエース。幻影の白孔雀ですよ?引渡しますか?軍へ・・・」
「・・・」
アリエスはしばらく考えていた。そして・・・
「ごめん・・・正直これからはどうするかわからないけれど・・・とりあえずは保留で・・・」
「!?」
「どうしたの?」
「いえ・・・悩むまでもなく引き渡すと思っていたものですから・・・」
「助けてもらった恩がある」
「しかし、私は敵ですよ?それもあなたの味方を何千人、何万人と殺した・・・」
「確かに君に殺された中には親友もいた・・・それはすごく腹立たしいし、感情の呵責にも耐えられない時もある。でも、俺はシェリー様程には尊命してないよ・・・武器を持って戦場に居るってことは、それは兵士という名前の戦闘単位にすぎない。殺されても文句は言えないし、殺したとしても気に病む必要はない・・・まあ、そういいつつ、頭ではわかっていても、誰かが殺されたらその場で怒ったり泣いたりするけどね・・・」
「・・・現実主義者(リアリスト)と言うべきなのでしょうか?」
「自分が誰か殺した正統な理由が欲しいのと、納得できない理不尽な戦争に対する怒りを抑えたいだけだよ・・・」
「理不尽な戦争ですか・・・」
「正しい戦争があるとは思えないけどね・・・」
「そう・・・ですね・・・」
「かつて、人は可能性の塊だって言った学者が居たよ・・・ただ、可能性いい方向に傾くことも悪い方向に傾くこともあるって・・・」
「ロマンチストですね・・・」
「ただ、世界がこんな状態じゃ、可能性は悪い方向へ進んでいるみたいだけどね・・・」
「そう・・・ですね・・・」
アリエスは静かに間を置く。
「それにしても・・・本当に大変だったね・・・まさか俺のせいであんなことになるなんて・・・」
シルフィリアは静かに笑った。
「気にしないでください・・・むしろ嬉しかったぐらいです。生まれて初めて・・・誰かのために行動できたのですから・・・自分の意志で・・・それに、私もあの路地から助けだしてもらったのですから・・・お互い様ですよ」
「でも・・・本当に・・・ありがとう・・・」
「・・・本当にお人好しですね・・・」
「ねぇ・・・シルフィリア・・・」
「なんでしょうか?」
「再三の問いかけになって申し訳ないけれど、君はカトレア?それともシロン?」
「・・・そうですね・・・もう敵兵ではないわけですので答えて差し上げたいのですが・・・」
シルフィリアは静かに頭を下げた。
「申し訳ありません。わからないのです」
「わからない・・・か・・・」
「えぇ・・・断片的に昔の記憶はあるのですが、私の中にはっきりと連続してある一番最初の記憶はというと、研究所の試験管の中に浮いていた所からですから・・・それも大勢の大人に拍手される・・・そんなシーンからのスタートです。ヴェルンド様が本気で喜んでいらした顔は今でもよく覚えていますが・・・」
「そっか・・・」
「本当にごめんなさい・・・せめて昔の記憶ぐらいあればよろしいのですが・・・」
「でも・・・歌・・・知ってたよね?」
「歌?」
「君の瞳に花開く 夢を奏でる心
風に吹かれるこの道さえも 星明りに照らされ
今ただ一人 歩こう
胸を震わせるときめきを 空と大地に歌おう
悲しみも笑顔も温もりも 熱い想いに揺れて
今抱きしめて歩こう・・・♪」
「あぁ・・・その歌ですか・・・おそらく断片的な記憶の中にあったのでしょうね・・・ですので、何処で覚えた歌なのか・・・というのは残念ながら記憶していません・・・」
それを聞くと、やっぱりシルフィリアはシロンなのかもしれない・・・
アリエスの脳裏にそんな想いが浮かんだ。
でも・・・
彼女は・・・シルフィリアはシロンとは容姿が確実に違う。
シロンが栗色の髪と瞳にそばかす混じりの顔だったのに対し、彼女はあまりにも美しすぎる。ホクロやシミなど無縁の肌。大きな瞳はサファイアの如く深蒼を称え、髪はまるで雪のような白。おまけにその容姿は可愛さという面においてはエーフェNo.1の美女とすら言われるシェリー様をはるかに上回る。明らかに違う。彼女とは全く別物。なのに、なぜ面影を追い求めてしまうのだろう。
それに・・・
「カトレア・キャビレット・フェルトマリア・・・」
アリエスは静かにその名を呟いた。
「確か・・・エーフェ皇国宰相の娘でしたか?フェルトマリア家への闇討ち放火事件、通称ブルー・ル・マリアの時から消息を絶ち、今は行方不明・・・」
「そっちでもないんだよね?」
「違うと言い切る証拠はありませんが・・・私ではないでしょう。もし私がカトレアだと言うのであれば、戦闘兵器などに改造などはせず、政略の道具にするはずですから・・・」
「それも・・・そうか・・・話してくれてありがとう・・・」
「いえ・・・大したことでは・・・」
それに・・・彼女がシロンでなくとも・・・
もうそろそろ限界だった。ずっとずっと秘密にして6年も生きてきた事実・・・
それを全部話すことにしよう・・・4年前の夜・・・あの星空の下で・・・シロンに話そうとしていた・・・あの話を・・・
「じゃあ、今度はこっちの番」
「え?」
「ちょっと話を聞いて欲しいんだ・・・聞いてくれないかな・・・別に聞き流してくれていいから・・・どうしても・・・誰かに聞いて欲しいんだ・・・」
「なにをでしょうか?」
「“アリエス”の秘密・・・」
クラムチャウダーの入ったカップを片付け、新しく温かい紅茶を出しつつ再び隣に座る。
「君なら、信じてもらえる気がするんだ・・・この突拍子も無い話でも・・・」
「・・・わかりました・・・聞きます」
「ありがとう・・・これは・・・俺がまだ子供の頃の話なんだけどね・・・あの頃の事は未だに覚えてるよ・・・古びた壁・・・それを隠すための真新しいペンキの匂い・・・」
※ ※ ※
初めての記憶は、一人でブランコを漕いでいるところから断片的に始まっていた。
小さな庭で遊ぶ子供たちは全員あまり豊かとは言えない古着を着て、雪の中を走り回っていた。
「えーすけ!!こっちこいよ!!一緒に遊ぼうぜ!!
お兄さんが雪合戦に誘ってくる。彼は嬉しそうに微笑みを浮かべながら走っていった。
「あなたはね・・・6年前のバレンタインの日、この施設の前に捨てられてたのよ・・・」
小学校の宿題で自分の生まれた日について、家の先生に尋ねた時、そんな言葉が帰ってきた。1991年の寒いバレンタインデー。雪が振り続く日、先生が仕事を終え、帰宅しようとした時、入り口の前に捨てられていた自分を見つけたのだと言った。
書き置きも何もない。ゴミ袋のくるまれ、顔だけが出た状態で、捨てられていたのだそうだ。捨てられていた子供はひどく衰弱していて、しばらく入院していた。やがて元気になり、少年は児童養護施設に引き取られることになった。
近所の人によると、サラリーマン風の男とどこかの店の女が近くを歩いていたのを複数人が目撃していたらしい。
神奈川県横浜市にあった有峰児童養護施設・・・それが少年の家になった。
施設の先生は少年に孤児院の有峰を苗字として、頭が良くて誰かを助けられるような人間になって欲しいという願望で名前を英輔と名付けた。
有峰英輔は施設を家として生まれてからの8年間を過ごした。いじめられることも多かった。家のない子だと・・・捨てられた子供だと・・・そう言われるたびに何度も何度も泣いた。
それに暮らしも裕福とはいえなかった。
お金が無い施設だったのもあって、満腹感を味わったことは無かった。寒い夜には他の子供達と肌を寄せ合って薄い毛布を集めて眠った。
先生もこども好きな人ばかりではなかった。公務員ということで、便宜上先生をやっており、仕事が終わるとすぐに帰る先生も少なくはなかった。
それでも・・・彼はある程度幸せだった。
屋根がある所で眠ることが出来、それなりに食べ物がある。
たったそれだけで幸せだったのだ。
あの日が来るまでは・・・
有賀英輔が8歳になった誕生日の日。
その事件は起こった。
放火だった。
古びた孤児院の火の周りは激しく、襲いかかるヘビの如く火炎は一瞬で建物を包み、一瞬で業火の中で焼かれ、死ぬほどの痛みを味わった。
その時だ・・・
まるでゴム管の中を身体が無理矢理通されているような息のできない不快感を味わった。
体中の痛みに加え、熱くて息をしたいのに呼吸もできないという死んだほうがマシだと思う程の苦しさを味わって・・・
そのまま有峰英輔の意識は一度途絶えた。
次に目を覚ました時・・・最初に見たのは見渡す限りの星空だった。
痛む身体を起こすと、目の前に広がっているのは広い広い湖。
その畔(ほとり)の芝生の上に寝そべる形で、彼は倒れていた。
周りには誰もいない。それこそ猫や犬・・・虫すらもまったく存在しなかった。
「天国って・・・こんな所なのかな・・・」
英輔は静かにそうつぶやいた。
「思ったより・・・寂しい所なんだな・・・」
まさかこんな夜空の下、一人だけ居るのが天国なのだろうか・・・
だとしたら、ある意味罰則にも近いかもしれない・・・身体もまだ痛いし・・・
もしかしてココは地獄? ずっと一人ぼっちで世界の終わりまで過ごさなければならない地獄というのを聞いたことがある。ここはどちらかというとそれに近い・・・
でも・・・
地獄に落とされるような・・・そんな悪いことをした覚えはないのだが・・・
「残念ながら、ここは天国でも地獄でもないよ・・・」
その声は不意に目の前の湖から響いた。
目をやると・・・そこには・・・
ピッチリとしたノースリーブの服とタイトなミニスカートに身を包んだ、十七歳くらいの少女が湖の上に波紋を浮かべながら立っていた。
服には身体のラインが出ているため、彼女のスタイルの良さが一目でわかった。基調としている色は黒。それが彼女の白い肌をより引き立てている。ポニーテールにした金髪と深紅の瞳が特徴的な彼女は静かに湖の上を歩行していた。
そこまで浅い湖には見えない・・・一体どんな手品を使っているのだろうか・・・
英輔の前まで歩いてきて、少女は静かに微笑んだ。
「私が呼んだの。有峰英輔くん。ようこそ、アヴァロンへ」
アヴァロン?一体どこなんだろう・・・
「ここは・・・日本じゃないの?」
「日本列島であって、そうではない。外国であって、日本でもある。そういうのが最も適切な表現になるかな・・・」
日本であって・・・そうではない?
言ってる意味がまったくわからなかった。どういうことだろう・・・そもそもここは・・・アヴァロンって・・・
「君は・・・一体・・・」
「イリスフィール。イリスでいいわ」
「イリス・・・一体、僕は・・・いや・・・」
起こした身体をまた寝かせて、英輔は静かにまた目を閉じた。
「どうでもいいや・・・もうどうでもいい・・・好きにしろよ、煮るなり焼くなり・・・ここがどこであれ、もう帰る家もない・・・いままで頑張ってきたけど、それでも・・・結局はこんな・・・つまらなくて痛い結果ばっかりだ・・・もう生きるのにつかれた・・・だから・・・もう終わらせられるなら終わらせて欲しい・・・」
「・・・・・・」
「ねぇ・・・僕はどうなるんだ?このままここでずっとずっと世界の終りまで一人で居なければならないの?それとも・・・」
「・・・・・・」
「・・・せめて今後どうなるかぐらい教えてくれてもいいだろ?」
「・・・かわいそうに・・・」
「え?」
「誰よりも幸せを望み、誰よりも優しく生きようとして、誰よりも不幸になって、誰よりも哀しく生きてしまった・・・行った善行に対して、不幸は果てしなく大きく、吊り合わない天秤は摂理を曲げてしまった」
「?」
「生まれてから8年間・・・愛も幸せもホンモノを知ること無く、多くの涙と小さな小さな幸福に甘んじるしかない自らの生活・・・」
「??」
「変えたいと思っても自分を変えることはできず、そんな力もない・・・世界の摂理の中でどんなに頑張っても報われない人生を過ごすしかない・・・それがあなた・・・」
「・・・」
「必死になって変えようと思ってるのに・・・幸せになりたいと思ってるのに・・・それがどうにもならない。した努力はどんどん裏目。望んでも望んでも・・・」
「じゃあ、どうしろってんだよ!!」
「・・・」
「いままで頑張った・・・それなりに努力もしたつもりだ・・・勉強だって一生懸命やったし、スポーツだってたくさんチャレンジした!!でも、上手く行かなかったんだ!!いつもいつも・・・病気になったり怪我したり・・・それでいつもいつも・・・」
「・・・」
「もう嫌なんだ・・・やっと・・・やっと楽になれると思ったのに・・・」
「・・・」
「・・・」
「うん・・・やっぱり思った通り・・・」
「?」
「あなたになら任せられる・・・」
「?・・・何をだよ・・・今まで何一つ上手く出来たことないんだぞ?」
「だからこそ任せられる」
「だからなにを・・・」
「あなたに仕事をあげる」
「仕事?」
「そう・・・使命と言い換えてもいいかな。あなたは今からとある世界でとあるコトを成し遂げてもらう」
「ある世界?あるコト?なんだよそれ・・・俺になにをしろって・・・それにある世界って・・・」
「今は詳しいことは教えられない。でも・・・」
「?」
「もし、あなたがそれを成し遂げた時・・・あなたが欲しがっていたすべての幸運が手に入る・・・」
「!? それってどういう!?」
「そしてもう一つ・・・あなたには今、1つだけ力をあげる」
「力?」
「そう・・・そのあるコトを成し遂げられるかもしれない力・・・あなた次第で光りも陰りもする力」
「あなたの限界を奪ってあげる」
「!?・・・それってどういう・・・」
「今まで虐げられてきた分、あなたにふさわしい力。あなただからこそふさわしい力。人間としての限界。人間だから仕方ない限界。それを今・・・奪い去ってあげる・・・」
「・・・わけがわからない・・・」
「ただ、その前・・・あるコトを成し遂げるまで・・・あなたには辛い想いをさせることになる・・・行き先は六度目の蒼き惑星。エーフェ皇国の北の端。奇跡の丘・・・あなたの可能性にかけるわ・・・」
「ちょ・・・ちょっとまって!!」
そこまで言った時・・・英輔の身体が一気に真っ白な光に包まれた・・・
一気に視界が眩しくなり目を閉じる。
「おねがい・・・彼女を救って・・・」
小さな小さな・・・そんな声が最後に聞こえた気がした。
※ ※ ※
「気がついた時・・・そこは岩の上だったよ・・・そこからは二年間の地獄の始まりだった。親も居ないし、知り合いもいない・・・誰にも名前すら呼ばれない・・・ストリートチルドレンっていうのかな・・・そんな生活を送ってた。子供ながらに必死に生きたよ。ゴミを漁って、レストランのゴミ箱から肉を見つければ付いている虫を払って食べて、兵士に気晴らしって言われ殴られ、同じストリートチルドレン同士で食べ物を巡って殺しあう。そんな日々だった。だから、初めて人殺しをしたのもその頃・・・始めは震えたけど、すぐに慣れたよ・・・」
「・・・」
「でね・・・その時思ったんだ・・・自分の名前が変ってことを・・・だから、名前を捨てることにしたんだ・・・元々、孤児院の先生が適当に付けてくれた名前だったし・・・そんなに愛着も未練も無かった・・・またゼロからスタートしようって・・・だから・・・」
「・・・・・・」
「有峰英輔・・・有英輔・・・有英ス・・・アリエス・・・短絡的かもしれないけど、この世界に合わせた・・・必死に考えた新しい名前・・・その時から、俺は・・・英輔を殺して・・・“アリエス”として生きることにした・・・」
その後、アリエスはただただ独白のように話した。
タルブの村のこと・・・シロンのこと・・・フィンハオラン家総帥に拾われたこと・・・その後4年間の地獄の訓練・・・
「それでは・・・あなたは・・・」
シルフィリアの問いかけにアリエスは静かに微笑んだ。
「・・・本や漫画だと、主人公は異世界に召喚されて、最初からすっごい強い力を持ってて、勇者になって魔王とか倒して、世界を救う。でも俺は・・・そうじゃなかった・・・必死こいて生き延びて・・・厳しい修練に耐えて、戦いに身投げして・・・ただ知ってる人を殺されたくなかった・・・そんな理想を掲げても、友達も顔見知りも戦争で死んでいって・・・その果てに、絶望しかけた・・・叶わぬ夢を追った、勇者になりたかった男の成れの果て・・・それが俺だよ・・・」
話を終えて、アリエスは静かに立ち上がり、紅茶をシルフィリアに手渡した。
「・・・まあ、聞いて欲しかったのはそんなところ・・・ごめんね。こんなくだらない話に付き合わせちゃって・・・」
「・・・いいえ・・・でも、なぜ私にそんな話を?」
「誰かに聞いて欲しかったから・・・かな・・・ずっとずっと隠してて、ずっとずっと怖くて言い出せなかった話だったんだ・・・異世界とか使命とか・・・まるでドン・キホーテみたいな話じゃない・・・でも・・・」
「?」
「でも、君なら・・・なぜか知らないけど信じてくれるような気がしたんだ・・・」
「・・・・・・」
「とはいえ・・・信じられないでしょ?」
「・・・・・・いえ・・・信じますよ・・・」
その言葉にアリエスが一番驚いた顔をした。
まるで未確認生物にでも遭遇したような顔をシルフィリアに向け、そのままフリーズする。
「・・・え?」
やっとのことで絞り出した言葉は唖然とした間の抜けた声だった。
「確かに、信じられない話かもしれません・・・それこそ、夢見がちなエキセントリックに思えますが・・・まあ、私のようなモノが存在するのです・・・なれば、あなたのような境遇の人間も存在するのではないかと・・・」
はっとした・・・
だから彼女には信じてもらえると思ったのかもしれない・・・
人間のようで人間でない・・・イレギュラーな存在・・・
人間とはかけ離れた存在の彼女なら・・・信じてもらえると思ったのかもしれない・・・
「昔読んだ漫画の登場人物が言ってたよ・・・”あり得ないなんてことはあり得ない”って・・・一番あり得ない存在だから・・・君のことを信じられたのかな?」
「・・・かもしれませんね・・・しかし・・・」
「?」
「随分と辛い人生を歩んでいるのですね・・・温室育ちの貴族かと思ってましたが・・・」
「君ほどじゃないよ・・・」
本当はうれしかったのにそんな受け答えしかできなかった。
初めて同情してもらえたから・・・今まで自分が味わってきた境遇に対して・・・
だって・・・
本当に、初めて他人に話したのだから・・・
※ ※ ※
「さて・・・それよりこれからを考えないとだよね・・・」
アリエスはそう言って再び立ち上がり、腰に手を据えた。
「これからどうしたい?」
シルフィリアはそれを見上げながら、静かに言葉を探した。
「どうしたい・・・というよりは・・・どうしたいですか?好きにしてくださってかまいませんよ?私を軍に売って自らの出世の足がかりにするもよし、あるいは私を娼館に売り飛ばしてお金にしてもかまいませんよ?」
「なっ・・・!?」
「元来あなたが私を利用する価値といえばそれぐらいしかないでしょう?名誉も金も手に入る・・・私は今、あなたの金の卵ですから・・・」
「バ・・・バカ!!!いままで君のそばに居た大人と一緒にするな!!!」
「?」
「とりあえず・・・どうして欲しいのか教えてくれないと・・・」
「どうして欲しいのか?」
「どうして欲しいのか・・・っていうか・・・君がどうしたいのか?」
「私が・・・どうしたいのか・・・?」
「それを決めてくれないとどうしようもないよ」
「・・・・・・難しいです・・・」
それはそうだろう・・・今まで意思を持つことを許されず、ただただ戦闘兵器としてあり続けることが全てだった子にいきなり意思を求めて決断しろと言っても・・・
だから、選択式にしてみることにした。
「じゃあ・・・軍に突き出されて拷問されて処刑されたい?」
シルフィリアは静かに首を振った。
「じゃあ・・・自分の国に帰ってまた幻影の白孔雀に戻りたい?」
それにも静かに首を振った。
「というか、戻ったとしても殺されるだけだと思いますから・・・」
「なら・・・」
意を決してアリエスはつぶやいた。
「なら・・・しばらくここに居る?」
「え?」
キョトンとした顔の彼女にアリエスはため息まじりで言った。
「このまま外に放り出したら今度こそ死ぬか売られるかわからないし・・・君を託せる誰かってのも存在しない。とりあえず、今この部屋は短期滞在用に借りてるだけだから、一週間後には皇都アトランディアに行くことになるけど、まずはどうしたいのかを君自身が決めるんだ・・・それからどうしたいのかを決めればいいよ・・・」
「私を・・・置いてくださるのですか?」
「あぁ・・・というかそうするしかなさそうだし・・・」
「でも・・・」
「いいから・・・気にしなくて・・・とりあえず・・・決めてくれないと、俺から何かを強いることはできないし・・・」
髪の毛をくしゃくしゃと掻きながらアリエスはシルフィリアを見つめた。
「だから、しばらくここに居るってことでいい?」
かなりの長考の後、シルフィリアは静かに腰を折って三つ指をついた。
「しばらくの間・・・お世話になります・・・」
このときやっと女の子との共同生活ということを実感しアリエスの顔がみるみる赤くなる。
そこから慌てたり、悶々としたりするわけなのだが・・・
後に・・・アリエスは死ぬほど後悔することとなる・・・
知っていた・・・単純に忘れてただけだった・・・忘れてはならない事実を・・・
だが、もしもアリエスを弁護するなれば・・・
そのせいで、まさか、彼女が死ぬような想いをすることになるなんて・・・
このときはまだ全然想いもしなかったのだから・・・
R.N.Cメンバーの作品に戻る