シロンとカトレアと姫君の秘密
著者:shauna


 二度目の潜入は非常に簡単で、尚且つ非常に呆気なかった。

 まず潜入理由は「疲弊しているエーフェのため、最前線に出てIMM全員で諜報活動を行う」と公言したら、先日までアレほどいがみ合っていたキャスリーンは怪訝の表情こそ見せたものの、それでも嬉々として命令状を書いてくれた。もちろん相手に捕縛されたり捕虜にされた場合でも一切助けません捕虜交換には応じませんという極上のトッピングまでつけてくれたが。

 そこからはまさに電光石火。

 同じく正規軍から嫌われている義勇軍の英雄ジュリオとその部下ヴェフリにIMMの半分ずつを預け、中央の前線を正規軍が守っている間に北と南をガード。
 その隙をついて、シェリル、アリエス、シルフィリア、リアーネ、レーナルドの5人だけでファフナー山を超え、帝国領へ。
 リアーネは最初嫌がっていたが、それでも舞台の頭脳であり体長でもあるシェリルがシルフィリアの側にずっと居て彼女のケアをするのは不可能で、それができるのが自分だけだと理解すると仕方なく同行を許してくれた。
 相変わらずシルフィリアはとてつもない量の合法ドラッグと致死量ギリギリの睡眠薬で苦しさを押さえつけている様子で、ほぼ意識はなく、誰かの肩に掴まりやっと歩くような状態……とてもじゃないが一緒に調査できるような状況ではない。
 だが、それでも彼女が望むこと。叶えてあげなければならない。
 
 軍服は事前にジョーカーが調達し、全員が敵の宗主国アリティア帝国の士官軍服を着用した状態で例の研究施設へ。
 爆破された瓦礫の山はうず高く積み上がり、冬の寒さのせいで弱冠凍りついていた。だが、その山にアリエスは突っ込んでいく。素手で一つ一つブロックを崩していく。

 「何をしているの?」

 シェリルの言葉にアリエスは振り向きもせずに答えた。

 「クスリを探しているんです」
 「クスリ?」

 瓦礫を掘り進めながらアリエスはシルフィリアの薬、BRANDROSEのことであると説明した。彼女を苦しみから救う薬であると。彼女を助けるための薬であると……
 それを聞いてシェリルはただただ力なく首を振った。

 「アリエス……やめなさい……」

 静かに下された命令にアリエスは抗議の視線を向けたが、シェリルの目は据わったまま。
 もう一度首を振る。

 「こんなところで時間を費やしている暇はないの。前線ではジュリオやヴェフリ達が必死になって最前線を抑えてくれている。連合軍の力は戻りつつある。幻影の白孔雀が居なくなった穴が塞がりかけているの。シルフィリアのことは大切だと思う。だけど、この瓦礫を全部どかしてあるかないかもわからない薬瓶を探すなんてそんなことしてる暇がないことだけは事実よ」

 正論だった。明らかなまでの。
 本来ならアリエスは兵士でエーフェ最古かつ最も伝統と格式ある貴族の代表として最前線で戦わなければならない。
 それなのに、シェリー様に無理を言ってこうして帝国への潜入に付き合ってもらっている……

 「シェリー様……すみません……我儘言っちゃって……」
 「何をいまさら……坊やの我儘は今に始まったことじゃないでしょ」

 呆れとも愛情とも取れる笑みを浮かべながらシェリルは静かにその場を見回す。
 
 「それに、見たところ爆破されたみたいだし……冷静に考えればガラス瓶なんて爆風で全部吹き飛んじゃってるんじゃないの?地下室で管理されてたとしてもさ……しかも、あなたが潜入してた頃からもう一ヶ月半ぐらい経つのよ?液体麻薬ってことは温度管理の面もあるし、山の気温は高低の幅が広い。とっくに腐ってるんじゃないの?」
 「あ…………」

 またも正論。そもそもこんなところで薬を探そうというのが駄目な考えだったのか……


 だが……

 「いえ……そう結論付けるのは早いかもしれません……」
 周囲の警戒をしていたレーナルドが静かに2人に歩み寄る。

 「レーナルド?どういうこと?」
 シェリルの問いに彼は「行ってみればわかります」と静かに瓦礫の山の反対側を指差す。
  言われるがままにそちらへ赴くと……

 そこにはいくつもの車輪と蹄鉄の後が残されていた。

 「坊や……これをどう考える?」

 既にすべてを悟ったような声色でシェリルはアリエスに語りかける。只でさえ悪い頭をフル回転させ、アリエスは現状を見極めた。

 「轍(わだち)が施設に入った時よりも出た時の方が深い……ということは……何かを運び出した後!?でもこの数は……1台や2台じゃない……最低でも10台以上……いやもっとかも……」
 「シルフィリアから聞いた話によれば、彼女はここから逃げ出したわけじゃなく貴族たちに見世物として殺されかけ、命からがら逃げ出したところを今度は魔法騎士団に追撃されて、海に飛び込んだ……と言っていた。ということは、シルフィリア以外にも何かを運び出したのよ……おそらくは研究資料や研究材料を……それも相当な量を……」

 しばらく考え込んだ後、シェリルはそっとアリエスへと向き直り。

 「アリエス……なんでもいい……思い出して……ここに入ったことがあるのは貴方だけ……何か運び出すようなものなかった?レポートとか研究道具とか」

 その言葉にアリエスは必死に思いを巡らせる。記憶の井戸を掘り返し、どこかに片鱗が無いか……自分の見たどこかに適切なものはないか……
 馬車十数台に分譲させて載せるべき研究資料……
 そもそも研究資料とは何か?書類……薬品……それだと馬車の台数が多すぎる……レポートと薬品がいかに大量であろうとも馬車数十台分になどなるわけもない……馬車に研究者達を乗せたと言われればそれまでだが、研究者を運び出すだけなら最寄りの街からで良い。わざわざ馬車を研究所に横付けし、運び出すようなもの……
 いや待て……そもそも最高の研究材料とは何か……書類?違う……薬品?違う!
 その時、アリエスの脳内で、一本の糸が繋がった。

 「シェリー様!もしかしたら……」
 「何か分かった?」
 力強くアリエスは頷いた。




  ※         ※          ※



 「なるほど……」
 話を聞き終え、シェリルは大きく首肯した。
 なるほど……彼の説明は非常に筋が通っていた。馬車数十台に乗せて運ぶべき研究材料……それは、書類でもない……薬品でもない……

 −“失敗例”−

 すなわち、アリエスが考えたのは今までに自分が創りあげてきた失敗例達を持ちだしたと推測した。そして、それはシェリルやレーナルドの頭で考えても正しい。アリエスの話によれば、研究所の地下には大きなオペラ座のような劇場が存在しそこには500体以上の失敗例が保存されていたというから……わざわざそれを破棄せずに保存しておくからには理由があるはず……単純にコレクションなどとは言わないだろう……優秀な研究者はどこでもいつでもストイックなものだから。おそらくその一体一体にそれぞれ何をどうしたら失敗してしまったのか……ヴェルンドという研究者はそれを完全に記憶しているのだろう………確かに、膨大な研究データを記憶するなど人間業ではないかもしれないが、彼はエルフな上に数百年の研究の末にシルフィリアを作り上げるような化物のような人物。
 ならば記憶は不可能とすることの方がよっぽど理に反してると言える。
 その結論を元に、シェリルに語る。全てはシルフィリアを助けるために。
 ともあれ、それを示す証拠がないのも事実。

 「あの……俺みたいなのが意見していい場面ではないかもですけど……轍は追うべきだと思います」

 助けたい。ただその一心でアリエスは心からの意見を言う。通常軍隊において上官に今後の動きを意見するなど許される行為ではない。もちろんアリエスもそれは理解していた。そして……意見を言ったのはこれが初めてだった。
 だが、シェリルはチラリとアリエスを見ただけで「追うには追うけど……」と憂慮した様子で表情を濁していた……
 しばしシェリルは考え込んだ後にチラリと隣りのレーナルドに視線を這わせた。

 「………………轍は追ったほうがいいと思います。シルフィリアのことももちろんですが……」
 「やっぱり貴方も同じ事考えてるよね……」

 2人が何を話しているのかわからず、アリエスは首を傾げる。
 そんな様子に関係なく、レーナルドがシェリーに進言した。

 「もしそうなら……どちらにせよ……行くなら早いうちがよいかと……ヘタを撃つと取り返しのつかないことに……」
 「うーん……そうなんだけどね……ただ……」

 悩みぬいた末、シェリルは当たりを一周見回す。そして、ため息を一つ付き……
 
 「しょうがないか……行きましょう……ココで悩んでても仕方ないし……」

 と呆れたように言った。

 「シルフィリア……大丈夫?」

 気に背中を預けて座り込む形でぐったりとしていたシルフィリアはその声に首だけで答え、リアーネの肩を借りて立ち上がる。

 「辛いかもしれないけど、頑張りなさい……それしか言えなくてごめんね」
 「……いえ……話を聞く限りだと私も急いだ方がいいと思いますので……」

 おそらくシルフィリアもシェリルやレーナルドと同じ事を考えていたのであろう。
 だが、それを見てアリエスとリアーネはただただ顔を見合わせるだけだった。




  ※         ※          ※




 シェリルの杞憂とは一体何なのか……それもわからぬままに、アリエスはシェリルに続いて轍を追った。
 そして、いくつかの村を通り過ぎ、太陽が陰り星と月が当たりを美しく照らし始めた頃……伸び放題に伸びたままで枯れ果てた雑草の群れに身を隠しながら、進んだ先……そこでアリエスは感嘆の溜息を漏らす。

 「こんなところに……」

 轍を辿ること数キロ程の地点にそれはあった。
 ビロードの如き暗い夜空を背景にして立つ無骨な建物。
 雑草と木々の影に覆われ詳細は見て取れないが、灰色をした鉄筋コンクリート製の四角い建物……それだけで目の前のソレの説明をするには十分だった。窓はひとつもなく、綺麗な横長の直方体の姿をしたそれは、飾り気がなく、まるで工場か倉庫を思わせるような代物だった。
 まさにアリエスの居た現代の研究所を彷彿とさせる建物。
 よく見れば建物の少し手前に、雑草に埋もれるように門柱と有刺鉄線があるのがわかる。
 更に目を凝らせば、その門柱には打ち込まれた金属のパネルのようなものが見えた。
 音を立てないように静かに近づき、アリエスはそのパネルを凝視する。

 “この先関係者以外の立ち入りをアリティア帝国皇帝の名において固く禁ず”

 皇帝直々に立ち入りを制限するような場所……
 そんな場所の心当たりなどアリエスにはひとつしかなかった。

 「ヴェルンド……」
 
 自然とその名が漏れる。
 ならばおそらくあの中に、シルフィリアの苦しみを止める薬があるはず……
 抜刀し、すぐに駆け出そうとしたところ、後ろからシェリルとレーナルドに同時に引っ叩かれた。

 「なにしてんのよ坊や……」「状況を見極めろ……」

 呆れ混じりのその言葉と痛みに冷静になった頭で周りを見回せば、なるほど……確かにこれは……
 自分の行為がいかに馬鹿なことだったかがよく分かる。

 「やっぱり。運んだ後を消さないってことは……消さなくても大丈夫なぐらい強固な警備で新しい研究所を守ってるってことよね……」

 それこそがシェリルの杞憂だった。
 闇に紛れて見えなかったが、有刺鉄線の内側には何匹もの犬が放たれていた。もちろん愛らしい子犬ではなく、見るからに獰猛そうで見方によっては狼と見間違えそうな程の大きく真っ黒な犬たち。さらには犬と一緒に数人の兵士が完全武装で警戒にあたっている。そして極め付きは屋上。巨大な松明がいつでも点火できるようにスタンバイされている。有事とあれば矢が文字通り雨のように降り注ぐことになるだろう。

 「策を練らないとならないわね。一旦村まで引き返しましょう」

 シェリルの言葉に全員が頷く。じっと建物を見据え、血がにじむほどに拳と唇を締めるアリエスを除いては……
 まあ、その気持ちもシェリルはわからないでもない。目の前にすべての答えがあるというのに見逃せというのも酷な話。ましてや猪突猛進自意識過剰が売りのような14歳の少年にココで引けというのは……

 「アリエス。気持ちはわかるけど、これじゃ入れない。警備の人数も犬の数も屋根の上がどういう警備状況になってるかもわからない今、無策で乗り込むのは自殺行為よ」
 「……でも……」
 「それに……」

 シェリルが顎で指し示す先……ソレを見てアリエスは何も言えなくなった……そこに居たのはぐったりと地面に倒れこみ、肩でやっと息をしているシルフィリアの姿……

 「そろそろ薬が切れる。そしたらシルフィリアは今まで以上に苦しむことになるわ……」
 「………………」
 「貴方出来る?苦しがり血の涙を流し自傷しながら踊り狂うシルフィリアを見続けることが……そのシルフィリアを守りながら戦うことが……」
 「…………………………」
 「私にはどっちも出来ない」

 静かに剣を納め、そっとアリエスはシルフィリアに寄り添った。既にリアーネが肩を貸し、離脱をしようとしているところに彼女のもう片方の腕を自分自身の肩に絡ませ静かに迅速に引き返していった。
 
 「単純ですね……」
 「理屈っぽい子より私は好きだけどね……」

 レーナルドに肩を竦めて笑顔で返しつつ、シェリルはもう一度建物を見上げた。

 「うまく立ち回ればいろんなことに片がつくけど……そうそううまくいくかしらね……」
 「シェリー様……」
 「それよりは先に潜入方法よね……」





  ※         ※          ※





 宿は近隣の村に据えた。
 寂れたパブの二階になる小汚い宿坊だったが、流れ者が宿泊していても不思議ではないしもっと言えば誰が宿泊していても目立たないという意味では優秀な隠れ家だった。

 ただ……

 やはり病床の少女を目の前にしてしまうとここで長々と作戦を練っている暇は無い。
 シルフィリアの摂取する薬の量は日に日に増えていき、一回に投与する睡眠薬の量は今日ついに致死量を超えた。さらに麻薬も最初はモルヒネやコデインなどの鎮痛剤程度のものが処方されていたが、今日飲んでいたアレは、とてもそんなレベルの麻薬ではなかった。
 だが、それだけの量を処方してやっと彼女の苦しみは和らぐ。
 当然いわゆるラリッてる状態なので眠ることも出来ず、酩酊と幻覚があるため食事をすることはおろか、落ち着いていることも出来ない。

 「シルフィリアさん……ごめんね……薬……手に入らなくて……」

 眠ることも出来ず、かと言ってなにかをすることもできない……植物のような状態の彼女の服の袖を掴んでアリエスは申し訳ない気持ちとやるせない気持ちで一杯になりながらただただ頭を下げた。
 泣いたつもりはないのに自然とボロボロ目から涙が溢れる。
 
 だって……

 認める……一目惚れだった。この子を始めてみた夜に一瞬で胸が苦しくなった。

 今まで会った誰よりも可愛くて誰よりも美しくて誰よりも完璧だった……月よりもずっと美しかった……
 面食いだとか見た目だけで決めたと言われてしまえばその通りだと認めざるを得ない。
 見た目だけで異性に惚れる最低野郎と罵られても仕方ない。
 だけど、もう好きになってしまった。おそらく一過性のものでなく本気で。
 思春期の馬鹿な妄想かもしれないが、彼女と知り合いになって彼女の友だちになって彼女の気を引きたくて仕方なかった。
 そして、彼女を大雪の路地から救い出した時……
 ずっと不幸だった自分の人生を鑑みて神様がご褒美を与えてくれたと思った。


 だが……



 その大好きな女の子は今、目の前で死にかけている。
 ソレに対し、現状はどうだ……
 たった一瓶の薬すら手に入れることができず、ひたすら苦しむ彼女を見ていることしかできない。姉のナナリーは自分と同い年には医学と薬学を修め、何人もの人を救っていたというのに、自分はたった一瓶の薬すら……



 「何故泣くのですか……」



 消えそうな声で紡がれたその言葉の主は、充血した目でアリエスを静かに見据えていた。

 「あんまり惨めで……やるせなくて……」
 「やめてください……貴方が気にするような事ではありません……言うなれば……これもすべて……私自身の業です……数万人数十万人という人間を殺し、いくつもの街を焼き、何百という船を沈めました……そしておそらく……もし神というものが存在するのであれば……これはその汚らしい我が身に対する罰なのでしょう……」
 「そんなの……悲しすぎる……望んでやったわけじゃないのに……」
 「ですが、やったのは紛れもなくこの私です……他の誰でもない……この私……」
 「でも……やっぱり……こんなの……悲しくなくするために死ぬ気で戦争してんのに……なんでだよ……なんでこんなに悲しくなるんだよ……」

 涙が出るだけなんて地点はとっくに通り越し、アリエスは知らぬ間に号泣していた。その様子を見て呆れ混じりに少しだけ苦笑する。

 「…………貴方は……とても優しい方なのですね……」

 一つ一つ自分の人生を思い出すようにシルフィリアは瞼を閉じた。

 「…………敵兵の為に泣けるなんて……そんな人……私は見たことがありません……特に私の為に泣いてくれる人がいるとは……今まで出会った人は皆、味方ですら私の力か体が目当てでしたから……」
 「…………ひどすぎる……君の歳なら蝶よ花よと愛でられてしかるべきなのに……」
 「あなたは特殊すぎるんです……私とて自分が敵国でなんと呼ばれているのかぐらいは知ってます……」

 エーフェでのシルフィリアの呼び名……幻影の白孔雀……それが彼女の呼び名。
 現れれば一個師団が丸々壊滅し、街一つが陥落する幻想の鳥。
 最悪の凶星、戦場で出会ったら生きては帰れない、そしてその姿をはっきりと見た人間は一人も居ない……
 それが彼女。シルフィリア。
 でも……そんな彼女に……悲しすぎる人生を背負わされ彼女に、今はしてあげれることがある。彼女自身が考えて望むことがある。
 なれば……

 「絶対、会わせてあげるから……ヴェルンドに……」
 
 それを叶えてあげる事こそアリエスの望み。アリエスの願い。
 そっと瞳を閉じて、再び決意を新たにする。
 しかし、対しシルフィリアは嘲るような笑みを浮かべた。

 「どうするつもりですか?あの警備……」
 「な、なんとかする……」
 「どういった手で?」
 「…………それは……その……な……なんとか……」
 「あの警備兵と警備犬と探照灯の明かりを掻い潜り、研究施設内に忍び込む作戦……そんな事ができると……」
 「できる!」

 力強い一言にシルフィリアはキョトンとした顔で固まった。
 
 「作戦はまだ無い……でもきっとシェリー様が良い作戦を思いついてくれる。リアーネだってレーナルドさんだって居る。俺一人じゃお手上げだけど、でも信頼出来る上司や先輩や友達が居る!大丈夫!絶対大丈夫!」

 あの研究施設に忍び込めるだけの作戦もないし、実力もない。だが、何故か自信だけは満ちていた。だが、それはあくまで自分一人だったらのこと。
 剣を振るしか脳がないし、学問なんて14歳なのに小学校高学年レベル。そんな自分の脳みそじゃいくら考えたってあそこに忍びこむだけの知恵なんて出てくるわけがない。
 だが、こちらにはエーフェでも指折りの名将シェリー様が居る。彼女の奇抜な戦術と戦略に幾度と無く助けられてきた。それに、自分よりオールマイティなレーナルドさん、近距離戦闘専門の自分とは違い中長距離戦闘が出来るリアーネだって居る。
 輝く双眸でシルフィリアの顔を見据え、彼女のソレとは真逆の希望と未来を見据えた眼光で彼女を照らした。
 それに対し、シルフィリアは小さく小さく笑う。呆れとも嘲笑とも取れ、希望とも信頼とも取れる笑顔で。

 「シェリー様を呼んでください……お話したいことがあります……」





  ※         ※          ※





 人払いをしてもらい、シェリルと2人きりになる。
 正直言ってこの女性はあまり得意ではない。というのも、恐ろしく無邪気というか、裏に隠れているどす黒い感情を隠すのが非常に上手で、表面上のカリスマで優しく厳しい部分だけが恐ろしいまでに見えてしまうから。
 だけど伝えなくては……あの砦に潜入できる唯一の作戦。この土地に詳しくないシェリルでは建てようのない帝国の人間だからこそ伝えることの出来る作戦。
 
 「…………今の話?本当なの?」

 シェリルの疑念の声にシルフィリアは静かに頷いた。

 「帝国の税の徴収は毎月の15日と45日です。つまりは明日。それに、現在は戦時中。あとは先程伝えた通り言わずもがなです」
 
 彼女から聞いた作戦を統合したとき、シェリルは感心するしかなかった。戦闘だけが脳のターミネーターかと思えばなんて頭もいいのだろうと……彼女の提示した作戦はこの状況下で唯一といっていいほど安全にあの砦に忍び込めるものだった。
 それに、戦場ではないとはいえ戦時中。アリエスやレーナルドには言っていないがおそらくここに安全に隠れていられるのも一両日中程度。明日の朝には見つかってもおかしくない。
 だがしかし……その作戦を行うためには最も危険な人物が一人出る。それは紛れもなく目の前の少女シルフィリア。

 「本当にあなたこと……置いていってもいいのね……」

 確認の言葉にシルフィリアは静かに頷いた。

 「私はどう考えても無理です。この体調であんなに狭い場所にじっとしているなんて……薬が切れたらまた暴れだすでしょう……それに」
 一瞬息を止め、何かを覚悟した眼差しで天井を見据えて彼女は諦めたように笑う。
 
 「それに、アリエス様には言ってませんでしたが……実際、もう殆ど手足の指先が動きません。さらには健忘症も……つい先ほどの出来事が思い出せ無くなって来ました。これはおそらく……」
  睡眠薬の副作用。恐れていた症状が出始めた。そもそも、アレだけの睡眠薬と合法ドラッグを使用して何故まだ生きていられるのかが不思議で仕方ないほどだった。副作用程度で住んでいるのならむしろ見事と言うべきなのだろう。
 それに、彼女の策には真実が全て隠されている。下手に作戦に参加するよりはここでジッとしていたほうがよっぽど命が助かる可能性が高いということが……

 「わかった。置いてく。だから約束なさい。決して死なないと。貴女(あなた)にはまだやることがあるんだからね」

 シルフィリアが首を傾げた。どうやらわかっていないらしい。スッと笑いを含ませてシェリルがシルフィリアの耳元へと唇を寄せた。

 「聞いたわ。貴女、スパイ活動をするために極上の身体を与えられてるんだって?」

 静かにシルフィリアが頷く。

 「ソレ……アリエスの為に使ってやりなさい。全部終わって、ちゃんと助かったら、一度でいいから全部全部アリエスのために使って、あの人に恩返ししてあげなさい。もちろん、貴女がそれを望まないならばそんな事する必要はない。でも、もし貴女が自分の全部をアリエスに捧げてもいいと思うのならば……してあげなさい。きっと泣いて喜ぶわよ、あの坊や」

 よくわからないと言うようにシルフィリアは濁った目でシェリルを見つめていた。

 「私に答えを聞く必要はない。ちゃんと自分で考えなさい。好きって意味とか恋って意味とか愛って意味とか。それだけ頭がいいんだから、きっと答えなんて簡単に見つけられるでしょ。」

 笑いながら席を立ち、シェリルは彼女の寝ている客室を後にした。
 もう時間がない。シルフィリアは自分たちがあの砦に潜入するための策を授けてくれた。ならば今度はこちらの番。彼女を助ける。彼女を縛るブランドローズとかいう薬の入手、そして彼女に隠された真実の入手。
 そして、もし彼女がシロンではなくフェルトマリアの忘れ形見であったなら……
 フッと頭を過ぎった考えにシェリルは首を振った。
 駄目だ、シロンでなければアリエスが悲しすぎる。だが、もし彼女がカトレア・キャビレット・リ・フェルトマリアであったなら……そうすれば国内事情の殆どに一気にカタが付く。現在分家のクズが務めている皇国宰相の地位を彼女に返還し、彼女を宰相として即位させ、その彼女に自分を内政補佐役として任命してもらえばもうあの女王の好きに国家を動かさせたりはしない。彼女は政権奪還への切り札となるだろう。
 だがしかし……それで国家を元に戻す足掛かりは掴めたとしてもアリエスは?
 貴族なのに士官学校を中退し士官になる道を捨ててまで自分にアレほどの剣術の才能を賭してくれた彼。その目標はシロン・エールフロージェの捜索。
 もしシルフィリアがシロンではなかったら彼が一生懸命積み上げてきたシロン探しの双六は再び振り出しに戻ることになってしまう。それでいいのか?コレ以上自分のためにあんな小さな坊やを失望させて絶望のドン底へ突き落としても……
 考えても仕方のないことに気がついたのは廊下で思考を繰り返して数分が過ぎようとした時のことだった。彼女がカトレアかシロンかの結論が出ない内からあれやこれやと考えるのはそれこそ取らぬ狸の皮算用。心配せずとも明日には彼女がどちらかという結論が出る。砦に潜入し、中にいるシルフィリアを作ったヴェルンドとかいうマッド・サイエンティストなサイコエルフを締めあげて彼女がどちらなのかを吐かせれば終わること。そこからまた考えればいい。それにもし彼女がシロンだったらそれでよし。カトレアだったら足掛かりが掴めて今までよりは多少楽ができるのだから、そしたら彼のシロン探しを全力で支援すれば良い。既存の権力と新たに手に入れた権力を最大限に駆使して。

 「ともかく、全てのターニングポイントは明日ってことね」

 ほんのりと実感をつかめぬままシェリルは独り言と溜息をひとつ付き自分も寝室に戻ることにした。作戦内容は明日の朝伝えれば間に合う。それに今は少しでも寝ておかなくては……その前に全員に伝達を。作戦遂行のために明日の朝は4時半起きだという事実を。





   ※          ※          ※





 シェリルの読みは完全に的中した。

 翌日の午前7時。戦時中ということもあり米や穀物などの現物での税徴収と共にやってきた軍隊はあっという間に宿を包囲し、まるでテロリストの親玉の潜伏先の如く物々しい雰囲気で踏み込んできた。そして、見つかる。ベッドに身を横たえたシルフィリアは静かに兵士たちを見遣り、内心ほくそ笑んだ。これでよかったのだと。

 「幻影の白孔雀、貴族のパーティーから姿を消したとは聞いていたが……よもやこのようなところで巡りあう事になろうとはな」
 聞き覚えのある声にそちらを向けばヴェルンドの部下の一人だった。久々の対面だが冗談にも嬉しいとは言えない。
 
 「運が良かったな。一週間前ならここで殺すところだが、残念ながらヴェルンド様はまだお前を研究材料として欲している。利用価値があったこと誇りに思え」
 言うなり数人の兵士に無理矢理ベッドから立ち上がらされ枷を付けられた。そして……おそらく幻影の白孔雀が潜伏しているという情報を確定させて来たのだろう。やっぱり持ってきていた。喉から手が出るどころか胃から内臓を突き破って手が出るほど欲しかったアレを……小さく綺麗な香水瓶に入れられた高純度の麻薬。ブランドローズ……

 「こいつを与えるのはお前が研究所に戻ってからだ。なにせ、お前の身体に敷かれてる絶対服従の魔法陣の対象はヴェルンド様だけだからな。こんなところで飲ませてまた逃げられたら今度はこちらの命すら危ない」
 しっかりしている。ともかくこれで自分は砦内へと潜入できる。あとは、シェリル達だが……心配要らないだろう。それに今は誰かのことなど考えている暇などないのだから……
 兵士に抱えられるような形で身を任せ護送用の馬車に乱暴に詰め込まれる。そして、馬車は走りだした。すべてを終わらせるあの砦へ向かって。





   ※          ※          ※





 運ばれた税金は全て砦内の倉庫に収められた。
 米や麦や酒や野菜や肉など。主たる者は食料品。そしてそれらは俵や麻袋や樽などに詰められ徴収される。
 そして……倉庫の中の米俵の内側。そこから静かに出てきた刃に気がついた者はそこに一人も居なかった。米塗れになりながら、静かにアリエスが姿を表し身体についた米粒を払う。それを合図にするかのように他の米俵や酒樽などからもシェリル、リアーネ、レーナルドが静かに姿を表した。
 つまりはこれがシルフィリアが授けた策。こっそりと徴収される食料の中に入りこめば容易に砦に入り込むことが出来る。もちろん内部には自分だけでなく正規の食料品も詰め込み、内検には引っかからないようにするが、検査でワザワザ綺麗に包装された米俵を切り開いて調べる役人は居ない。さらにこの方法の素晴らしいところは軍に献上するということで集められた武具の中に自分たちの武器を忍び込ませれば武器まで運び入れられる点にある。まったくもって頭のいい作戦だとシェリルすら感心したほどだった。最も長時間同じ体勢を維持しなければならない上に気配を消す必要があったため、シルフィリアが参加するのは完全に度外視しなければならない作戦だったが……

 「……シルフィリアは大丈夫でしょうか?」

 腰に倭刀を刺しながら心配そうに尋ねるアリエスにシェリルは髪についた米粒を払いながら笑って答えた。

 「おそらく大丈夫でしょう。彼女は国家機密扱いの戦略兵器。国内に戻ってきたところをみすみす殺す程、あの子を作った男は馬鹿じゃない」

 刀を抜いたアリエスが門番を軽く斬り殺し、納刀すると同時に走りだす。目指すはヴェルンドの元。全ての決着をつけるために。




   ※          ※          ※



 ヴェルンドはシルフィリアを殺さない。その言葉は有る意味正しかった。
 拘束衣によって全身にベルトを巻かれ動けない状態とされ、だがしかし薬は与えられたためなんとか苦しみから逃れることの出来たシルフィリアはひとつため息を付いて隣に立つヴェルンドを見上げた。
 悲しいかなシルフィリア自身は彼に絶対に逆らえないようプログラムされているため、彼を攻撃することは出来ない。
 それどころか、高純度精製麻薬ブランドローズを与えられ、禁断症状から開放されたことで今となっては味わされた様々な苦痛も全て忘れ、彼を再び主として慕う心すら芽生え始めている。これが麻薬の恐怖。それを重々承知しながらも。
 創りだした化物を永遠に自分の足元に繋ぎ止めるための薬、ブランドローズ。薔薇の烙印とはよく言ったものである。付けられたら最後逃げることはかなわない。生きていくために必要不可欠かつ、一旦切れると禁断症状で目も当てられない状態になる。事実、今は完全に数分前までの苦しみはそぎ落とされ、おそらくは過剰に投与されたためであろう生まれ変わったかのような恍惚感が身体を支配していた。
 居ても立ってもいられない。全身をちりちりと濃密な快楽が這いまわり、自立意識を溶解させるような感覚。ただただその感覚に身を任せて咲き乱れてしまいたくなる感覚。
 そして、そこからヴェルンドが自分をこれからどうするつもりなのかもなんとなく理解できた。
 長い年月をかけて与えられ続けてきた薔薇の烙印という名の麻薬はおそらく既に自分の細胞の隅々まで行き渡っていることだろう。よって、少し過剰に摂取させるだけで全て身を任せたくなる天国状態に襲われる。
 もしこのまま過剰摂取が続けば……
 単純な話、この快楽に従順な奴隷となるだろう。現在、シルフィリア自身は戦場に無条件で狩りだすため、奴隷として登録されているがそれはあくまで身分上の、身体はという意味。だが、こんな快楽が続けば間違い無く今度は心までもが完全に服従しきった奴隷となる。欲望に従い、ヴェルンドの言うままに全てを破壊し尽くす魔王が誕生する。そしてさらに過剰摂取が続けば……
 正気と狂気が入れ替わる。
 最初はシルフィリアの全てだったこのヴェルンドに対する疑念やアリエスから教えられた真っ直ぐな心と優しさで形成された現在の自意識が消え、彼に服従し尽くすだけの人形となる。それはヴェルンドの目指していた完全自立型の人間兵器とはまったくの別物になってしまうが、それでも既に自分の命令には従わなくなったシルフィリアを再調整し再び戦争の最前線で戦う幻影の白孔雀を復活させる方法としては最適なもの。
 シルフィリアの意識を消滅させ、事実上殺し、その上で肉体はこれからも戦いの手段とする。
 無駄がない。捨てる部分がない。シルフィリアをモノとして扱う者ゆえの思考。
 ならいっそのこと、一度ぐらいはあのアリエスの好きにさせてあげればよかっただろうか。14歳の年の頃を教科書通りに考えると、二次性徴を迎えた彼にとっては自分は最高のご馳走に見えたはず。なれば一度ぐらいそういう快楽を味わせてあげたほうがよかったかもしれない。自分が自分で無くなる前に。
 そんな考えを巡らせる中、聞こえる轟音。おそらく自分が考えた作戦が遂行されているのだろう。無事に潜入出来、あとは虱潰しに今自分が監禁されているこの部屋を探しているはず。申し訳ないが既に快楽に支配され拘束衣によって束縛される自分はその戦いにおいて自分はアリエスやシェリルに協力することは出来ない。だが、もし今のままの意識を保っていられるのなら……それならば決して自分は……アリエスたちを傷つけるつもりもない。




   ※          ※          ※





 研究所内をさんざん探索し、幾つもの部屋に間違えて押し入り、そのたびに室内の人間をシェリルとレーナルドが無慈悲に殺し、残りはリアーネが片付ける……
 アリエスが手を出す前に2人が片付けてくれるのはおそらく優しさ故の行動だろう。今はシルフィリアを救う術だけを気にしていたいアリエスが戦闘に参加すればいつもの実力が出せないことなど目に見えている。もちろんその程度の気の迷いで負けるつもりは毛頭ないが、それでも保険として……
 こういう時本当に実感する。あぁ、この部隊にいてよかったと。
 そして、やっとの思いでたどり着いたのは地下への螺旋階段。あからさまに怪しいそこを下ってみると、仰々しいまでに豪奢な扉が目の前に現れた。
 同時に中から漂ってくる禍々しいまでの殺気。いや狂気といったほうが正しいかもしれない。まるで扉の向こう側には何か邪悪なモンスターでも居るような気さえする。だがしかし、それが如実に物語っていた。ヴェルンドとシルフィリアはここにいると。

 「……罠が仕掛けられてる」

 扉に触れたシェリルが静かにそう言い放った。

 「力押しで破壊しますか?」

 レーナルドがそう言って剣を構えると、「バカ言わないで」とシェリルは呆れるように言い返した。

 「間違った開け方をすると扉がこちらへ倒れてきてみんなペシャンコよ」
 「私が遠くから狙撃して扉を破壊するのは?」

 リアーネの意見にもシェリルは何色を示す。

 「おそらくソレが出来ないようにするための螺旋階段でしょうね。遠くから狙えない。そしておそらく狙える範囲には何らかの仕掛けがあるものと見て間違い無いわ。例えば射った矢があらぬ方向から打ち返されるトラップとかね」
 「そんなことが可能なんですか!?」
 「ちょっとした次元魔法道具を使えばそこまで難しい魔法でもないわ」
 「しかしどうします?開けるためには合言葉を紡がなければならないようですが」
 「そうね……やっぱりここは順当に魔法で解除コードを一つ一つ……」

 3人がそんな話し合いをしてる最中……
 いままで黙っていたアリエスが静かに一歩前に歩み出た。

 「坊や?」

 扉を見つめながらアリエスは脳みそをフル回転させ記憶を蘇らせる。思いだせ。確かあの時も合言葉だった。パスワードというのは簡単には変えないものだと義祖父が言っていた。
 なら……

 『 ―夢と永久、春と宵闇、崩れ行く思いは道化の真実を語る。冥府の魔蝶は我が手に降り立ち、その羽根を休める。いざゆかん我が式典の城―』
 
 それはあの研究所の地下でヴェルンド自身が扉を開けるために使った言葉。
 言葉を紡いた瞬間……扉の向こうで何かがはじけ飛ぶような音が聞こえた。おそらく扉にかけられていた魔法が解かれたのだろう……

 「アリエス!お手柄よ!」
 
 そっと肩に手を添えるシェリル。ソレが何より誇らしかった。


 静かに扉が開く。


 そこにあった光景を見た瞬間アリエスの心臓が跳ねた。

 オペラ座のような豪奢な劇場の光景。
 高い天井には金色のシャンデリア。
 壁にはボックス席。
 目の前には真紅の幕の降りたステージ。ただし、一階部分の座席は無い。
 そして、ボックス席の部分に並ぶのは巨大な試験管。
 天井から吊るされているシャンデリアと同じくその一つ一つが魔光石で光り輝き、その中にはライオンに竜の翼の生えた物、首が竜になっている男、身体が鱗になっている少女。とにかく、目を背けたくなるほどに禍々しくグロテスクで痛々しい。
 それはつい数ヶ月前忍び込んだあの研究所で見たものと同じ光景。ヴェルンドの数百年にも渡る研究の失敗作達。
 
 そしてその劇場の中央。あの時と同じ場所に再び奴は立っていた。ニヒルな笑みを浮かべ、白衣のポケットに乱暴に手をツッコミ、エルフ耳を立て、ルビーのような瞳孔をぎらつかせた獣のような男。

 

 「ヴェルンド……」


 万感の思いを込めて、アリエスはその名を呼ぶ。
 
 「ようこそ、ミラー・エスプルンド君。いや……アリエス・フィンハオラン君」
 
 笑みを一気に禍々しくしながら、ヴェルンドは静かにアリエスの後ろへも目線を這わせる。

 「今度は一人じゃないんだね。ゆかいな仲間たちも御一緒のようだ」
 「ヴェルンド。お前を捕縛する」

 アリエスの言葉にヴェルンドはさらに笑みを強める。

 「ほう、なんの罪で?兵器を作ってはいけないという法律はないはずだ。そうだろ?もしそんな法律があれば今頃君たちの腰にぶら下がってるものや手に握られてるものを作った奴は全員吊るし首だ」
 「人間兵器を作っておきながら……よくもそんなことをオメオメと!」
 「君たち人間はいつもそうだ。初めて見るものに対してはいつもそう拒絶反応を示す」
 「貴様っ!」

 我慢ならず抜刀しようとしたアリエスを後ろからレーナルドが羽交い絞めにして止める。

 「馬鹿な真似はよせ!今アイツを斬ったら全部が闇の中だぞ!」

 コレ以上アリエスに話し合いを薦めさせるのは難しいと判断したのかシェリルが一歩前に出た。

 「……ここはなんなの?」

 シェリルの一言でさらにヴェルンドのえみに狂気が増す。

 「見てわからないか。ここは本来ならお前たちのような下賎な種族が立ち入ってはならぬ禁断の聖域、そして生命を作り出し、いま神になろうとしている私の夢の中。君は確か……シェリル・リ・シェリサントだね。皇帝からの本当の寵愛を掴みとりながら、皇帝の没後ほとんどの権限をキャスリーンに奪い取られた憐れな側室。大方、皇帝が無くなったことで精神衰弱でもしていたのだろう。でなければ君ほどの人間が、あの程度の女に騙されるなど……」
 「御託はいいわ、私はあなたを敵国の研究要人として拘束します。その前にいくつか質問に答えてもらえる?アナタの見ている、狂気の夢について」

 精神的に傷めつけるはずがあっけなく話を中断され、気分を害したのか一瞬ヴェルンドの顔から笑みが消えた。だがすぐにその笑みを取り戻すとシェリルを見下すような目つきで答える。

 「いいとも。この際だ。私が知っている事は全て教えよう」
 「まずシルフィリアとはなんなの?人間なの?それともバケモノなの?生物兵器以外の言葉を用いて答えなさい」

 一拍間をおいてヴェルンドが鼻を鳴らした。

 「彼女は、すべての私の……いや、むしろ君たち人類の夢だよ」
 「どういうこと?」
 「人間にはどうしても限界がある。どんなに早く走ろうとしても今の人類に時速50km以上で走ることや、一年間の記憶を詳細に留めておくことすら不可能だ。それどころか、つい一週間前に自分が食べたものすら忘れてしまう始末……そこで私は考えたんだよ。もし通常の人間よりも強靭な肉体と強靭な頭脳を持つ人間が現れたらどうなるのかと……」

 手元のリモコンを操作すると、ボックス席の一つの試験官が照らしだされた。肌が褐色になりボコボコと浮き上がった見るも無残な赤ん坊の遺体のホルマリン漬け。

 「それが私の最初の目標だった。人間のDNAに特殊な方法で他の生物のDNAを継ぎ足し、各種機能の平均水準が高い人間を作り出す。あの赤ん坊には優秀な人間の遺伝子を組み込んでみたんだ。君たちの世界では賢者と言われるほどの知識を得た老人の遺伝子と、そして屈強な肉体ということで猿の遺伝子を組み込んでみた。だがしかし、結果はホルモン同士が喧嘩して赤ん坊なのに老化し猿化し、結果はあの通り。それでも私には十分な研究材料だった」

 またリモコンを操作すると今度は別のボックス席が光る。試験官の中身は羽毛の生えた少女。

 「そこで私は幻獣の遺伝子に目をつけた。あれは不死鳥の尾羽根の遺伝子を使った少女だよ。そして、結果はある意味での成功を収めた。彼女は人間よりも頭も良く、強靭な肉体を持った。そして何より……人間には持ち得ない……まだ魔導師などという人間が確認されぬ、たかがよく当たる占いが出来る程度で天才魔道士や魔法使いなどと崇め奉られる時代において、彼女は現代の魔導師と同等の力を見せてくれた。しかも、私はさらに気付かれれることとなった。不死鳥のように美しきものの遺伝子を使うと、底から生まれた実験体そのモノも非常に美しくなるということに。その瞬間確信したんだよ。私の目標は自身が神になることではない……”神の如き者を作り出し、神を超えた存在になること”だと!」
 狂ってる……そう静かに呟いたのはリアーネだった。そしてそれは人間側から彼に対する総意でもあった。もしこの場にエリーが居たら問答無用で彼をアルウェンでバラバラにしていたかもしれない。「命はモノではない」「命は弄んでいい道具ではない」と。涙ながらにそう語りながら。

 命は生まれ出(いずる)ものなれば、作り出すモノではない。

 「そして、君たち人類の歴史はいつだって教えてくれたじゃないか。力こそが全てと。力を持つものこそが絶対と。そして、君たちの言う力とは俗に知力と力量。そして、君たちが崇める神はその両方を持ち合わせているのだろう?全知全能とはよく言ったものだ。なれば私は考えた。全知全能を作り出すことで私自身は神を超えようと。そして研究を重ねていくうちに、あることに気がつく結果となった……」
 「もういい!」
 
 大声で叫んだのはアリエスだった。一応シェリルも静止はするものの既に沸点はとうに越した後。それを知ってかシェリルも一度の静止のみで後は成り行きに任せるよう静かに瞳を閉じた。
 聞くに堪えない命をおもちゃにした妄想話はもうたくさんだった。既にヴェルンドはアリエスの頭が理解するには十分な情報を話してくれた。それは、”誰かの肉体に特定の遺伝子を配合することで人類を超えた人類を作り出している”ということ。それに、そんな話を聞くためにこんなところまでわざわざやってきたわけではない。



 「ヴェルンド!あんたに聞きたいことがある!」



 一瞬怒りの表情を見せながらも依然不気味な笑みを浮かべながら「なにかね?」とヴェルンドは答える。

 「聞きたいことは一つだけ……」

 たっぷりの間と4年間にも渡る思いをすべてぶつけるつもりでアリエスは一拍置いてその言葉を解き放った。









「そこにいるシルフィリアは……カトレア・キャビレット・リ・フェルトマリアなのか……それともシロン・エールフロージェなのか……どっちを素材にしてあんたはシルフィリアを創りだした!」









 その言葉には拘束されていたシルフィリアも反応した。その答えを欲していたのはアリエスだけではない。自らが何者なのか、自らがどんなものなのか……ソレを知りたかったのはむしろシルフィリアだったのかもしれない。
 だが、その質問を聞いて……ヴェルンドは狂ったように高笑いを始めた。

 「何がおかしい!!」

 4年間を全て踏みにじられた気がしたアリエスは怒りも露わに叫ぶ。だが、ヴェルンドはソレに反して腹が捩れるほどに笑い続けた。

 「何がおかしいって、おかしいよ君」

 やっとのことで笑いを収めたヴェルンドが発した言葉はそれだった。

 「今から丁度その説明をしようと思っていたところだったんだ。なのにワザワザ自分からあんなふうに感情むき出しにして、それに彼女の素材元になった少女を人間の10代のガキが若い時間を無駄にして4年間も探していたとは、これが笑わずに居られるか、だから君たち人類は面白い!」

 怒りを噛み締めながらアリエスはヴェルンドを睨みつける。ソレに対しヴェルンドはあの不気味なほほ笑みで返し……静かにリモコンを操作した……
 それによって上がるのはずっと下がったままだった舞台の幕。ステージにかけられた緋色の幕が静かに巻き取られ、舞台の闇を露わにする。そして証明が焚かれた瞬間……












 アリエスだけでなくシェリルやレーナルド、リアーネまでもが焦点が定まらず呼吸を忘れるほどの衝撃を受けた。





 無論それは振り返ったシルフィリアも。いやある意味で彼女が一番大きなダメージを受けていた。あまりの絶望にそのまま意識を失って倒れこんでしまうほどに……













 そこにあったものは……


























 シロンとカトレアの遺体が浮かぶ2本の試験管だった。




















「どうだ?これが真実だよ。アリエス君!」

 アリエスは頭の中を真っ白にしてまるで土石流のようにつきつけられる真実を否定し続けた。
 そんなはずはない。カトレアかシロン、そのどちらかがシルフィリアの正体のはず、なのに、なんで2人とも試験官に入れられてあんなところに飾られているのか。それも他の失敗作とは似ても似つかぬ人間のままの姿で。
 だがしかし、彼女がカトレアとシロンの遺伝子から作られた人間だと言うのであればいままでのすべての事情に説明がつく。シロンとカトレア。両方の特性を持っていたことに全て納得ができてしまう。
 いや、そんな事実は正直どうでも良かった。もっと否定したい事実があった。
 シロンもカトレアももうこの世には居ない。
 恐ろしく残酷で無残で冷徹な事実をただただ頭の中で否定し続けた。
 崩れ落ちるアリエスに変わりシェリルが髪の毛が逆立つほどの怒りと共にヴェルンドに詰め寄る。
 
 「説明しなさい!コレが一体どういうことなのか!私達にもわかるようにはっきりと!!納得できない解答ならこの場で殺す!!」
 「言われずとも説明するさ」

 飄々とした態度で、まるで絶望するアリエスを見て楽しむようにヴェルンドは嬉々とした表情を見せる。

 「200年という時間を掛けて、数多の実験を重ねる内に、私はある結論に至った。いつもいつも、私の研究を邪魔するのは人間が元来持つ免疫やホルモンなどその人間固有の情報やその人間がその人間のままであろうとすることなのだと。だから私は考えた。最初から遺伝子情報の中に異種の遺伝子が組み込まれた状態で生まれてくれば問題ないのではないかと。人間の性染色体は2種類。XとYだ。組み合わせがXYなら男性が生まれ、XXなら女性が生まれる。なれば女性2人の遺伝子を使用すれば新たにXXとして女性を作り出す事が可能なのではないか。そして、その推論を確定づけてくれたのがシロンとカトレアの2人だったのさ……」
 
 それはつまり……

 「じゃあ、シルフィリアは……」

 驚愕に貫かれるような顔で問うシェリルにヴェルンドはさらに笑みを強める。

 「そう……彼女はシロンとカトレア……そして数百の幻獣の遺伝子から種を作り人工子宮で作り上げた”人形”なんだよ!」
 
 絶望するアリエスに更に深く刺さるヴェルンドの言葉。

 「アリエス君、君は手帖は使うかね?」

 とてもじゃないが答えられるような精神状態ではなかった。

 「後ろの3人は?」

 もちろん後ろの3人も。フッと笑いを含めてヴェルンドが語る。

 「手帖の中に補充する紙。これをリフィルという。そして、素材となった2人の名前。これで察しのいい君たちなら十分なヒントだろ?」
 シロン+カトレア+数多の幻獣。シロン+カトレアの遺伝子という手帖に数多の幻獣の遺伝子をリフィルのように差し込んだ存在。カトレ”ア”+リフィル+”シ”ロン。少々省略しつつ、逆から読めばこうなる。”シルフィリア”。

「まあ、最もシルフィリアには我々エルフの全知全能の神の名でもあるんだが。つまり2つの意味を掛けあわせたんだ。なかなか洒落が効いてるだろ?」

 ソレを効いた瞬間にシェリルは苦虫を噛み潰したような顔で後悔する。
 あざ笑うかのようなヴェルンドにシェリルは何度も自問自答した。どうしてその可能性を考えなかったのか。アリエスと同じように勝手に決めつけていた。シルフィリアはシロンかカトレアか、そのどちらかのだと。そしてシロンならアリエスが喜ぶし、カトレアなら本家フェルトマリアの復活という大望を遂げられる。よくよく考えてみればとてつもなく都合のいい妄想だった。
 そして自分の判断ミスで。アリエスを絶望の淵から飛び込ませてしまった。期待させるだけ期待させておいて、最悪の仕打ちをしてしまった。

 でも……

 「何故……何故カトレアとシロンを使った!」

 納得出来ない。こんな悲しすぎる結末は納得出来ない。エゴでも我儘でもこんなにひどい結末は。

 「シェリル、以前彼に話した内容の報告書を読んでいないのかね?」

 ソレを言われて思い出す。血統や容姿が優れた人間の方が材料としてはふさわしいということを。その点においてカトレアは素晴らしい素材だった。かのフェルトマリアの末裔にして、その美しさは皇国有数と言われたほどだったから。だが……

 「シロンは普通の女の子でしょ!?」
 
 それが納得出来ない。シロンは特筆すべき才能も無ければ家柄だってそれほど優れては居なかったはず。なのに何故……

 だがソレを効いた瞬間、再びヴェルンドの高笑いが響き渡る。




 「そうか……君たちは知らずに探していたのか!!彼女の正体を!!」




 どういう意味!?エリーの話ではシロンは小さな町で農業を営んでおり、戦火の中に目の前で両親を殺された。その結果記憶喪失となり、身寄りのない彼女をエリーと修道院が引き取った。そう聞いている。第一アリエスもそう言っていた。なのに。

 「聖女が彼女を隠していたのか……はたまた聖女すら気がついていなかったのか……これは傑作だ……」
 「どういうことか教えなさい!ヴェルンド!」
 「シロン・エールフロージェは只の人間じゃない。元は王族だよ」
 「ふざけないで!そんな都合のいい話!有るわけ無いでしょ!」
 「信じる信じないは勝手だが、これは事実だよ。シェリル、君は今は亡きスティリアという国を知っているかね?」

 もちろん知っている。スティリア王国。何度その国家の存在を恨んだことか。恋人だった先帝アルカディアスを奪われ、政治を奪われ、権力すら奪われ、気高きエーフェ皇国を最低の愚国にまで陥れたあの女……キャスリーンの出身国。キャスリーンの輿入れによって、エーフェに吸収合併された亡国。

 「そう、君たちの国の女王、キャスリーンの国だよ。そして、シロンはそこの王族だった」
 「残念だけどそんな嘘にはだまされない!キャスリーンには姉妹は居ないはずよ!」
 「もちろん腹違いのさ。君の国家で言えばそう……君に娘が居れば彼女がソレに当たる。最も彼女が次期王位に付くことを恐れた親正室派の官吏達によってまだ乳飲み子だった頃に庶子として出され、農民に育てられることとなったがね。ちなみに母親の方は優秀な占い師だったそうだ。この資料をアリティアの親派から手に入れた時、私は歓喜した。そして、彼女を探しまわったら、偶然にも彼女はこのアリティア帝国に居た。それも帝都ヴァルハラの宮殿で伯爵のペットとして首輪を付けられ裸同然で飼われていたんだ!人語を話すことすら許されずに!私は震えた。神はどうやら私を自らを超える存在として認めて下さったようだとね!皇帝に直訴しすぐに彼女を貰い受けた。そして、様々な投薬の末、ついに完成したんだよ。究極の遺伝子が」
 「そしてあなたは、そのシロンとカトレアを使って……」
 「創りだしたシルフィリアはまさに神だった。まず特筆すべきはあの容姿。私が今までに出会った生物の中で最も美しく、君たち人間から見ても完璧以外に言葉が見つからないだろう。おかげでいろんな場面で大分役に立ったよ。諜報活動など、相手から情報を吐いてくれるのだから。そして、たった2年間の教育で海軍士官学校の授業カリキュラムを全てマスター。カリキュラムには音楽や言語や社交術も含まれていたのにもかかわらず……さらに男を喜ばせる術も少し本を読ませ娼館の女に相手をさせただけだというのに完璧にマスターした。しかも不死鳥とエルフの遺伝子を使っているため、身体に深刻な損傷が生じぬ限りは死ぬことはない。そしてスペリオルの目を移植したことにより、観たい事情の全てを見ることが出来、相手にそれを見せることも出来る。まあ、生きるために麻薬が必要になってしまったことと、目の発動にとてつもない痛みを伴うことは予想外だったがね……そして、アリエス・フィンハオラン……貴様に感化され、兵器として精神面に重要な疾患を抱えてしまったこともだが……だがしかし、コレで私は神を超えた。まだ私は研究を続ける。そして今度はシルフィリアをも超える新たな神を創りだしてみせる。今度はもっと強力かつシルフィリアのような弱点もない、究極の神を!」
 「……一体何に……」

 ずっと黙って崩れていたアリエスが目から大粒の涙を流しながら問いかける。

 「神を超えるために人を殺して人間を作って兵器にするなんて……そんなくだらないことをして一体何になるっていうんだ!!」
 
 その叫びにヴェルンドの狂喜がピタリと止まる。

 「くだらないだと?この私がか?」

 早足で進み出たヴェルンドは思いきりアリエスを蹴り飛ばした。直後、シェリルとレーナルドが剣を構えたことで身を引かざるを得なかったがその顔には最早怒り以外の何もがなかった。

 「貴様ら下劣な下等種族までこの私を馬鹿にするか!私を追い出したエルフの長老たちと同じように!所詮貴様らにはわからぬさ!この私の交渉なる考えなど!神は我々エルフを自らの姿に似せて作ったという!ならば我々種族はもっと神に近づけるはずだ!そしていつかは神を超える!親を超えるは子の義務だろうが!!何故そんな簡単なことがわからない!」

 乱暴に隣のシルフィリアの髪を鷲掴みにし持ち上げる。痛みにシルフィリアが苦顔をするがそれを無視して。

 「シルフィリア……私の可愛いシルフィリア……お前は私のものだ。お前こそが完成品。お前こそが………私の命じるままに行動するんだ。血を抉り、命を奪い、人々から畏怖の目で崇められる神となる。そしてその父たる私こそが、純粋かつ清純なる唯一の存在として神の上に君臨するんだ!」




 「なぁにが、何が純粋かつ清純なる唯一の存在だ……あんたがやったのは只の商人と何ら変わらない」

 全員の視線がシェリルに集まる。その言葉の意味をすぐには理解できなかったから。
 やっとのことで頭が冷えてきたシェリルが今度は嘲笑と冷笑を含めてヴェルンドを見つめる。
 
 「アンタの目標は神の上に君臨することだったのかもしれないけど、実際やったことはそこいらの武器商人と何ら変わらない」
 「どういうことだ!」
 「要は、あんたは売りたかったんでしょ?シルフィリアを。僕の兵器の強さはまるで神の如し、その力を使えばあんなものもこんなものも全てがアナタのものに。そうコマーシャルがしたかったんでしょ?ただ神を超えるため、シルフィリアを作り出すだけなら山奥にでも篭って一人でずっと細々と研究をすればよかっただけなんだから。それこそ永遠とも言われるあなた達エルフの寿命を使ってね……もちろん、帝国をスポンサーにしたかったって狙いもあるだろうけど、たとえ資金でも誰かに頼った時点でアナタは神を超えられないし、戦争をシルフィリアのコマーシャルに使った時点で単純に僕はこんなにすごいものが作れます!僕はこんなに頭がイイんです!って自己顕示のアピールにしかならない」

 悔しそうなヴェルンドを尻目にシェリルはため息を一つ。

 「要はあんたはこれをやりたかったんだ。”どんな重大な問題が起きても大丈夫!一家に一台シルフィリア!彼女がいれば敵国が侵略してこようが国家が財政難に陥ろうが全て解決!神様のような力と頭脳がアナタを24時間完全サポート♪あなたはただ彼女に全てを委ねてのんびりホリデーライフを!効果絶大、絶対無敵!品質は戦争で保証済み!さらに今なら女性として最高の容姿と最高の肉体でのご奉仕まで付けてなんとこのお値段!”」
 「…………」
 「あんたのやったってそういうくっだらない通販業者がやるようなたたき売りを少し大規模でやっただけじゃない。そして、そんな通信販売のチラシみたいなことをするために何十万という命を湯水のように弄んで、その何十倍もの人を殺して、さらには自分で開発した商品にすら裏切られて、挙句ここにいる私の可愛い坊やに死ぬほどの絶望を味わせただけ……」
 

 ヴェルンドは何も言わない。




 「最っ低!」



 吐き捨てるようにシェリルはそう言い放った。
 それにより一時は愕然としたヴェルンドだが、すぐに肩を震わせて笑い始める。

 「どうやら貴様らは……自分達の立場がわかってないようだな……」
 
 シルフィリアを乱暴に立ち上がらせ、拘束具を解く。それでも麻薬となによりヴェルンドに逆らわぬよう調整が加えられているシルフィリアは逃げ出すことも動くこともできない。そしてシェリルも彼がここまでペラペラと自分の野望を語った腹は分かっていた。
 すなわち、生きて返すつもりなぞ、最初から無いことを。
 ここは敵国の領土。シェリルやアリエスたちが死んだところで何の問題も起きない。むしろ討ち取ったことで勲章が与えられてもおかしくないレベルの話。
 
 「そこで刮目するがいい!お前たちが単なる商品と蔑んだ私のシルフィリアの力を!」

 叫ぶと共にヴェルンドは絶望し意識のない壊れた人形のようになっていたシルフィリアの髪を強引に掴むと彼女のとてつもなく美しく色っぽい首筋を露わにし、そこへポケットから取り出した注射器を添える。

 「私の作品、その身を以って味わうがいい!これが本来犬死する貴様達への私からのせめてもの手向けだ!」

 シルフィリアの首筋から血液が滴り、プランジャによってシリンジから押し出された液体が彼女の中へと注入される。

 「ヴェルンド!アナタ一体何を!?」
 
 シェリルがそう叫んだ瞬間、シルフィリアに変化が起きる。
 ドクンッと身体を跳ねさせた後、痙攣しいきなり苦しみだす。それだけでも彼女の中に入れられた薬品が彼女にとって身体に良い物でないことは明らかだった。
 やがて痙攣が収まり一時落ち着きを取り戻したかに見えた。だが……





 ーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



 声にならない悲鳴のような雄叫びのような甲高い声で空気を振動させたのと時を同じくして、彼女の姿が変化した。
 髪の毛は鈍い銀色に変化し、瞳は人にあらざるピンク色に染まり、服もアシンメトリーのオーバースカートの付いた凝った作りのゴシックドレスに変化し背中には漆黒の羽根。その美しさは闇の天使をも思わせるが、それ以前にシェリル達は感じていた。絶対やばいと。
 蛙と蛇など足元にも及ばない。強大すぎる圧力(プレッシャー)は魔導師であるシェリルですら勝利を確信出来ない程の禍々しさを認識させる。


 「さあ、そろそろこの物語もフィナーレにしようじゃないか!シルフィリア!命令だ!目の前の敵を全て一掃せよ!」

 「念のためコードを要求します」


 まるで機械の音声のような言葉での返答にヴェルンドは小さく舌打つ。

 「CL-01だ」
 「了解いたしました。作戦を実行します」

 再び機械のような平坦な音程で返答をしたかと思うと……次の瞬間、視界からシルフィリアが消えた。
 次に彼女を認識できたのは後ろからレーナルドの悲鳴が聞こえてから。
 なんとか抜刀し彼女の攻撃を避けたものの、衝撃によって弾き飛ばされ後ろの壁に打ち付けられる程の威力。さらにはいつの間にやら彼女が持っている刀。夜空のように漆黒のソレは彼女の身長程にも長く、ソレと鍔迫り合いしたレーナルドの剣をへし曲げる程の硬度を持っていた。
 慌ててリアーネが弓に矢を番(つが)えるがその瞬間またシルフィリアが翔ぶ。
 次の瞬間にはリアーネも後ろを取られ、蹴り飛ばされていた。それもそこまで力を込められたわけではなく軽く跪く程度に。その狙いは単純。漆黒の刀が振り上げられ、リアーネの首を捉える。
 シェリルも慌てて彼女の手から刀を払い落とそうと杖を手にするがそれよりも圧倒的にシルフィリアの刀の方が早い。誰もがリアーネの死を覚悟したその瞬間……


 ガキンッと鈍い音が響き渡った。


 恐る恐るリアーネが固く閉じていた目を開け目尻の涙をこぼすとそこには、いつになく冷めたアリエスが剣を抜いて彼女の剣を止めていた。

 「残念だけど……フィンハオランの剣は名刀でね。そう簡単には折れない」

 そのまま力で押し込みシルフィリアを弾き飛ばす。
 アリエスは静かに剣を両手で構え直し、大きく一度深呼吸した。

 「坊や……」

 唖然とするシェリルの前にアリエスは剣のグリップを強く握りしめた。



 「…………ずっと……ずっとずっと……ずっとずっとずっと……探してたんです……彼女を……」



 舞台の上の試験管を見つめながらアリエスは語る。

 「シロン……ごめん……俺グズだから……君を見つけられなかった……俺、何やってもトロイから……4年もかかっちゃった……でもやっと会えたね……ごめんね……苦しかったよね……泣きたかったよね……守ってあげられなくてごめんね……助けられなくてごめんね……」

 ボロボロとあふれだす涙を袖で拭い、目の前のシルフィリアをまっすぐに見つめる。


 「シルフィリア……ひどすぎる……あんなの……あんなの……あんなの人の人生じゃない!」
 

 床を蹴りまっすぐにシルフィリアへと突進する。
 だがあまりにも真っ直ぐな攻撃。シルフィリアは軽く身を捩りかわそうとするが……なぜかかわせない。足が床に縛り付けられたように動けずアリエスの剣に対し慌てて自分の刀で防御するしかなかった。

 「馬鹿な……狂戦士薬(ベルセルク)を投与したシルフィリアを捉えるなど……そんなバカな事が……」

 初めて外れた計算にヴェルンドにも僅かながら焦りの表情が浮かぶ。
 そしてそれはシェリルも同じ事。
 いざとなったら力を開放してアリエスやリアーネやレーナルドを巻き込むことも厭わずにシルフィリアを止めるため本気で戦わなければならないと思っていた。なのに……


 「シェリー様!俺にやらせてください!」


 いつになく真面目な声に戸惑いながらもシェリルはできるだけ落ち着いた声色を使って答える。


 「アリエス……賞賛はあるのね?」

 「はい!」
 「イザとなったら私やリアーネも援護する!それでいいわね?」
 「援護が必要になるまで一人でやらせてくれるなら!」
 「何か欲しいものはある?」
 「今のところ大丈夫です!だけど一応予備の剣を何本か調達してください!」
 「わかった!必ず生きて帰ってらっしゃい!」
 「…………イエス、マイ・ロード!」


 剣を弾き飛ばし、一定の間合いを取って再びシルフィリアの目をまっすぐに見つめるアリエス。彼女の瞳。そこにはもはや輝きはない。諦めも悔しさも痛みも悲しみもない。まるでガラスの作り物のように精気が感じられない瞳だけがまっすぐにこちらを見つめ返していた。




 「シルフィリア……どうしよう……みんな死んじゃった……」



 諦めのような嘲笑のようなよくわからないザラザラとした感情の中でアリエスは小さくため息をついた。

 「ずっと探してたシロンも……婚約者で国民の希望だったカトレアも……そして、君も……」
 「…………」
 「わかってる……もう言葉じゃどうにもならないんだよね。あんなひどい生まれ方をして兵器兵器を言われず付ける君に人殺しをさせず、誰にも利用されないようにして、君を本当の平和の中へ……本当の幸せの中へ連れ出すには……殺すしかもう……選択肢ってないんだよね……」
 「…………」
 「君とはもっと……気高い志のもとに戦いたかった。でも、残念だけど……悲しいけど……コレ戦争なんだよね……」
 「…………」
 「大丈夫。絶対君の人生、助けてあげるから。どんな形にしろ……このままあのマッド・サイエンティストのおもちゃとしてまたたくさんの人を殺す用な……そんな悲しい人生だけには絶対しないから……深く暗い穴の中から絶対に引きずり出してあげる。たとえソレが君を殺すって方法になっても……コレ以上君を汚させたりしないから。それに……シルフィリア……もう一人じゃないよ……君を殺したら……俺も後を追うから……一人になんてしないから……」


 ホロホロとまた涙がこぼれ落ちる。絶望とシェリルに対して嘘をついた罪悪感で。
 この時既に生きて帰るつもりなんて最早アリエスのどこにもなかった。
 シロンとカトレアが浮かぶ試験管を見せられ、絶望するシルフィリアを見た時。
 絶望に支配されたアリエスの腹は既に決まった。つまり……

 生きていることを辞め、いっそ死んでしまおうと……

 だが、それでも……シルフィリアだけは助けてあげたかった。だって……誰かがの人生の続きではない。この世界に生まれながらにして人を殺す兵器として一生を終える人生など……そんなの……人間としての一生がそんなのでは……あまりにひどすぎるから……
 他の誰かではない。助けられるなら自分の手で。殺すしか無いなら自分の手で。
 全ては自分自身の手で終わらせなければならない。
 最低だと思う。だが、頭を空っぽにしてただただシルフィリアを殺すことだけを考える。
 
 でも……
 4年も探してたシロンも試験管の中でホルマリンに浮かび、皇国の希望で自分の婚約者だったカトレアもまたホルマリンに浮かんで目の前に展示され……
 そして、一目惚れし考えるだけで心がお花畑になるほど好きだった相手を殺すためにこれから戦わなければならない。
 少しでもこの理不尽な状況を嘆いてしまったら全てが瓦解し崩れ落ちてしまうから。
 殺すつもりでやらなければ自分が殺される。そうなれば、シルフィリアはまた望まぬ人殺しをさせられ、シェリー様やリアーネ達が手を汚し心を痛めることになる。

 「いくよ……シルフィリア。君を殺す!」

 宣言すると同時にアリエスは勢い良くシルフィリアへ飛びかかった。

 すべてを終わらせるため。悲しみの連鎖を一つここで断ち切るため。



 今、一つの戦いと一つの恋を終わらせるために。



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