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夢の彼方
著者:shauna


一つ大きくため息をついて呼吸を整え、アリエスは静かに心理の底へと意識を集中させる。途端、今までそこにあった空気が一変した。
今までの悲しみや嘆きの空気は一瞬にして消し飛びあとに残されたのは空気が軋み鳴き出しそうな程の殺意と圧力(プレッシャー)。

”光風霽月(こうふうせいげつ)”

フィンハオラン流の中でアリエスが創りだしたオリジナルの奥義。
そもそもアリエスの弱さは普段はどうしても混じってしまう私情。女子供や自分より弱い相手を敵とする時どうしても混じってしまう優しさ。
それは彼の美徳とも言える部分だが、その部分は時として甘えを産み弱みを作る。

なればと考えたのがこの技。

光風霽月(こうふうせいげつ)。一切の情を封印しただただ目的を達成するための冷徹なマシンとなる技。いわゆる裏の人格で戦う技とも言えるが、あまり変わりすぎると元の人格に戻れなくなってしまう諸刃の剣。
なるべく早く決めなくれは……静かに剣を構え、目の前のシルフィリアを見つめそして……アリエスが消えた。

シルフィリアが慌てて周りを探しまり、次に捉えたのは漆黒の長刀でその剣戟を本能的に防いだ後のことだった。


− 一瞬で死角に…… ー



驚愕のあまり一瞬力が弱まった所へアリエスが更に押しこむ。だがシルフィリアも黙っては居ない。そのまま力を受け流すと上体を反らしアリエスの下へと潜り込み、しのまま腹部を蹴り上げ、往なす。それをも見越したアリエスは剣で開いた腕でしっかりガードし空中で一回転して再び着地。一拍置く間もなく一気にシルフィリアに斬りかかる。
大上段からの逆袈裟斬り。そこからさらに胴を一文字に狙い、身体を一回転させて今度は袈裟斬り。シルフィリアもなんとか交わし剣で流すがそれでも剣の腕前は圧倒的にアリエスが優っていた。
そもそも剣術に関してはその世界で生きた年数が違う。シルフィリアがいかに速く動きいかに強力な剣を持っていようと、フィンハオランで見た4年間の地獄。そしてイリスフィールが奪い去ってくれた人間としての限界。訓練すればしただけ身体に顕著に現れる努力の証はシルフィリアの速さと剣を凌駕する。
たとえシルフィリアが2万年修行した魔導師に匹敵する程の力だとしても。

叶わぬとわかるとシルフィリアは静かにその黒い姿を解呪した。

今度はいつものゴシックドレスに右手に装飾槍、左手には例の白木の日本刀。
先程より弱くなったように見えるかもしれないがそれは大間違い。確かに速さや強力な剣さばきは無いが、あらゆる魔法を使いこなすシルフィリア。おまけにあの白木の刀。蒼穹戦争で戦艦を何隻も真っ二つにしたあの刀にはアリエスにも覚えがあった。
名刀なんてものじゃない。あれは立派な聖剣。その名を”天羽々斬(アメノハバギリ)”という。かつて地上を荒らしまわった八岐の大蛇の首を跳ねたとされる神の刀。
先ほどの真っ黒な長刀も凄まじいものだが、刀としての由緒も力もこちらが圧倒的に上。エリーの持つ聖剣アルウェンの上を行く古来からの伝承で語り継がれる聖剣だ。今自分が持っているフィンハオランの宝剣などとは格が違う。
近づけばその刀が襲ってくる。

では遠ざかればどうか?それは自殺行為としか言い様がない。魔導師相手に距離を取るなど大馬鹿もいいところだ。まして相手があの幻影の白孔雀なら……

「我話すなり、よって破壊するなり(オルタリティオ・ディレオ)!」

シルフィリアが呪文と唱えると同時に緑色の閃光が光の速さで襲いかかってきた。咄嗟に目を伏せて剣を構え鏡面反射の要領で跳ね飛ばしたが、正直危機一髪だった。
そう、シルフィリアにはあの呪文がある。
当たったが最後、一瞬にして命の灯火を消し去る光の魔術。シェリルですら解呪できぬ最強の魔術が。
さらに、攻撃してもあのオーロラの魔術で防がれてしまう。龍の火炎(ブレス)すら弾いてしまう最硬の防御魔術。
その他、戦場での報告を読む限りだと、全てを焼きつくす真っ白な鳳凰を呼び出す魔術や絶対に命中する矢の魔術。任意の範囲を上空まで覆い焼きつくす魔術や任意の範囲を完全に氷結させ封印する魔術。
どれをとっても負ける要素が盛り沢山すぎる。
しかもこれは出来れば外れて欲しい予想だが……いや、予想するほうが遅かった。
シルフィリアの目。スペリオルの眼球を移植されたとされる左目は溶かした黄金のように輝き中には七芒星の魔法陣が刷れられている。
なんでも見ることが出来、見せることが出来る目。
つまりこちらの動きは丸分かり。さらに幻術まで見せ放題。
もちろん本来なら発動させるためには凄まじい苦しみや痛みを伴うはずなのだが、ずっと発動させていられるということは、おそらく先程ヴェルンドが与えたあの薬は痛覚を遮断するほどに強力なものなのだろう。
ゲームのキャラで彼女を選んだらその途端に対戦相手が殴りかかってくるレベルのチートキャラ。それがシルフィリア。
おそらく勝てない。少なくともこのままでは。


「仕方ない……」


もう一度深呼吸するとアリエスは今度はユラユラとまるで力の入ってない動きをする。

それを隙と見るやシルフィリアはすぐに殺しの魔術でアリエスを攻撃するが……

アリエスはそれをまるで花弁が舞い散るが如くフワリと避ける。
それにまたもシルフィリアが驚愕した。決して速い動きとはいえない。だがなぜか捕らえられない。気がついた時にはアリエスはまた死角に回りこみ先程よりも強い攻撃でこちらの首を狙ってきた。
今度は受け切れない。慌ててシルフィリアはわざと転びその剣を交わす。そしてコレまでの人生で初めて自分の腰を地につけた男の顔をじっと見つめた。
そこには普段のアリエスは居なかった。鈍い輝きを宿す瞳で愛情も怒りも憎悪も何も無い瞳がそこにはあった。

"幽玄桜花(ゆうげんおうか) "

アリエスはこの技をそう呼んでいる。フィンハオランの修行で木から舞い落ちる桜の花びらを三日三晩斬り続けさせられた時に思いついた技だった。

舞い落ちる桜の花びらは軌道が一切予測できず剣が立てた風ですら過敏に反応しフワリフワリと真央踊ってしまうため、ソレに攻撃するのは至難の業。さらに桜の花びらはしっかりと観察していてもいつの間にやら肩に舞い落ちており認識できないことが有る。つまり人間の目というものは自分の眼前を中心に左右おおよそ80度程度までしか認識できない。
アリエスは風を読み分けることだけは出来た。後に言うスートのおかげなのだが、これをアリエスは応用した。風を使うのではなく風を感じる能力として。相手の身体だけでなく魔術や剣が動くと必ず風が生じる。これを五感全てと六感まで使って感じその都度桜の花びらのようにゆるやかに優美にかわしつつ桜の花びらのように常に相手の死角へと移動を続ける。

これを相手の目線から見ると不思議なことが起きる。目の前に居るはずなのに認識できず、さらにたまに認識できても肝心の攻撃が当たらない。
シルフィリアの目は確かに観たいものを観たいように見ることが出来るかもしれないが、見えたところで認識したその時にはアリエスは次の動作へ移っており、攻撃されてしまう。

これで無敵を誇るシルフィリアの目は封じたも同然。さらに常に姿が見えないため、どんな強力な魔法が使えようが、当てることが出来ない。まさに魔術師、魔導師にとってはコレほど厄介な相手は居ない。
魔術の前には生身の人間は絶対に勝ることが出来ないと言われてきたがことアリエスによってはその図式は当てはまらない。魔導師よりも遥かに強力な剣士。それがシロンを探すためアリエスが身につけたスキル。完全に無駄となってしまい、今となっては最愛の人間を殺すために使うしか無いスキル。
普通の魔術師ならこの時点で負けを認め、膝をついて許しを請うだろう。だが、シルフィリアについては……その限りでない。なぜなら彼女は……幻影の白孔雀なのだから。
見えぬアリエスに目もくれずある一定の方向に手をかざし、シルフィリアは唱える。

「雷霆の咆哮(ライトニング・カリドゥス)!!」

2つの魔法陣が標準機のように展開しその中央からまるで戦艦の大砲のような強力な魔術の光がほとばしる。そして、その直線上に……なぜかそこに……アリエスは居た。
慌てて剣を大きく振り込んで魔術を切裂くがそれでも衝撃波で後ろへ飛ばされ床を大きく削りながら地を滑った後後ろの壁へと勢いよく激突した。
そんなバカな……どうして……
不服そうなアリエスにシルフィリアが静かに唇を舐めた。


「舐めないでもらおう。人間の動きである以上、それにはリズムや癖が存在する。なれば相手の動きを読むことなど目を使わずとも造作ない。が……ここまで私に歯向かうとは……面白い……普段は説明などしないが……久々に舌が踊る」


普段敬語で話す彼女とは違い異常に尊大な振る舞い。これが先ほどヴェルンドがシルフィリアに使った薬の効果なのだろう。
性格すらも豹変させてしまう薬。それほどまでに強力だったあの薬。その効果がアリエスに淡々と答えを突きつける。シルフィリアはもう……殺すしか無いと……
再び剣を取り、軋む身体に鞭打ってアリエスは立ち上がる。そして再び幽玄桜花。
動きを読まれてもいい。ただ一撃。彼女を殺すほどのダメージを与えることが出来れば。
対しシルフィリアは静かに刀を抜いてアリエスの動きを読もうと目を使い続ける。
さてここからどうするか……だがアリエスにも勝算はある。しかし、それはシルフィリアも同じ事。
シルフィリアからしてみれば、この状況でもまだ自分に勝ち目は十二分にあった。
それは幻術。アリエスと目線さえ合わせれば、あとは幻術で最高の悪夢を見せられる。身体を少しずつ肉食獣に啄まれる悪夢も目の前で一人ひとり自分の大切な人間が殺される悪夢も見せられる。それもまるで実際に体験しているかの如く五感全てで痛みも苦しみも味わい尽くす程のものを……

ただ目線さえ合わせられれば……

だが、ソレが難しい。ひたすら死角から死角へと移動を続けるアリエスを目線の端で捉えることは何とかできるもののそれ以上ができない。
油断すればすぐに首を狙った剣戟が来る。恐ろしく速く正確な剣戟が。
それを防御し尚且つ攻撃の隙を伺いつつ目線を合わせる方法を模索する。生まれて初めての苦戦という言葉が毛穴一本一本から浸透した。

これが本当の戦い……命を賭けたやり取り……
だが、不思議と恐怖はない。
そういえば、前にも一度コレに似た感覚があった。
そうあれは確か……空での戦い。アリエスが時間稼ぎに魔法の箒を足に縛り付けて空中戦を挑んできた戦い。あの時はたまたまアリエスが軌道を誤り、こちらが狙っていた自分の旗艦へと導いてしまい戦いは終了してしまった。だが、今回は……
今回は何も邪魔するものはない。生まれて初めて……

「胸が……滾(たぎ)る!」

じゃあ、もしこんなことをしたらどうする?相手が見えないとあらば……

『来たれ魔精、闇の精。この穢れた魂に裁きの光を与えたまえ。白帝(エンプレス・オブ・アルビオン)!!』

唱えた瞬間、シルフィリアを中心として巨大な純白の光の柱が燃え上がるように覆い尽くした。
自身を中心とした任意の範囲を魔力で焼きつくす魔術。
姿こそ見えないが近くにいるなれば、コレで十分。だが……
次に感じたのはアリエスの死臭ではなく、肩口からの違和感だった。気がつけば剣先がズブリと肩にめり込むほどの大怪我を負わされていた。

「舐めるなよ……今の魔法……台風の目である自身の周囲は安全圏。上に飛んで君の身体の真上に居れば問題ない。そんなことに気が付かないとでも思ったのか」

アリエスのいうことは概ね正しい。だがはっきり言って、自身の身長の何倍も超訳できる人間なんてこの世にいるだろうか?居るはずもない。
いわばアリエスだからこそ出来た避け方。
だが……

「この時を待っていた……」

ニヤリとシルフィリアが笑うと、肩に刺さった剣先を手が切れるのも躊躇せず鷲掴みにし、鮮血がポタポタ滴る中、スッと後ろを振り向いた。
そこにあったのは……シルフィリアのしていることが理解できずに驚くアリエスの顔……

「しまっ……!!」

アリエスが驚くよりも前にシルフィリアはアリエスの目を見つめた。途端にアリエスが崩れ落ちるように倒れこむ。
全身の毛穴から汗が吹き出し、ハァハァと荒く弱り切った呼吸を続ける。
時間にして一瞬。だが、その一瞬はアリエスの精神を削るに十分な時間だった。

「ほう……アレでもまだ耐えるか……おもしろい」

涼しい顔でシルフィリアは言うが冗談ではない。
アリエスが見たもの。それはまさに悪夢以外の何物でもなかった。
肉焼き棒に生きたまま串刺しにされオーブンで丸一日焼かれ続ける苦しみ。死にたくでも死ぬことも出来ず、ただただ味わったことのない熱だけが呼吸を阻害し肺を焼き、外側から身体の外と内を焼く。それをひたすら繰り返されること24時間。よく精神崩壊しなかったと自分でも感心する。
現実世界では一瞬のできごとだが、体感はまさに丸一日。最初の10秒で肺が焼け、10分で皮という皮が焼け剥がれ、1時間で臓器が溶け、それでもまだ死ねない。ただただ痛みと熱さに耐える24時間。
光風霽月を発動し自意識を封印していたためなんとか戻ってくることが出来たが冗談じゃない。
痛みも本物ならあの熱さも本物だった。あれが幻術と言われてもとてもじゃないが信用することは出来ない。いきなり異世界に飛ばされ拷問されたのと感覚的には何ら変わらない。
次にアレを食らったら間違いなく自分は外傷なくとも内面から崩壊する。
ソレを確信しアリエスは再び剣を取った。
先程の攻撃で体力と精神力はだいぶ削がれた。確かに相手の隙を付いたつもりが逆に隙を持っていかれたとはいえ、こちらの攻撃からそれぞれが切り札とも言える”光風霽月”と”幽玄桜花”を使ってもまだ倒せない。

いや、違う……

舐めていた。たかが2つを使っただけで勝てると思っていたのがそもそもの間違い。
相手はあの幻影の白孔雀。出し惜しみなんてしている場合じゃない。奥の手、そして最後の切り札まで出さないとこっちが殺される。
なればまずは奥の手から……再びシルフィリアがあの自身を光の柱で覆う魔術を使おうと詠唱を開始する。
再びアレを使われたらこの狭い地下では逃げ場がない。必然的に上へ逃れ台風の目である彼女の周辺へと導かれ、再びあの幻術をまともに食らうことになる。

なら……

意識を集中させ、アリエスはシルフィリアの身体を凝視した。
途端、シルフィリアの動きが止まった。そしてそれが意図的なものでないことは彼女の驚愕に染まった双眸が物語っていた。
その隙にアリエスは彼女に向かって大上段で斬りかかる。間一髪の所で避けられたがそれでも彼女の服を軽く切り裂く程度の傷をつけることには成功した。

「なるほど……テレキネシスか……」

ネタがわかったシルフィリアはぐっと警戒を強める。

「貴様……剣術だけかと思えばまさか魔術の才能もあったとは……」
「軽くかじる程度だけどな」

そう……アリエスには若干ではあるが魔術の才能があった。剣術であるはずのフィンハオラン流の中にはなぜか魔術の鍛錬が含まれる。
それは、併用したほうが明らかに戦闘において優位に立てるのはもちろんのことだが、ソレ以外にも目的が有る。それは、己の内に眠る力を呼び起こすため。
元来、人間というのは体の構造に違いなど無い。なのに、魔術が使える人間と使えない人間が存在する。それはどういうことか……つまりは誰にでも魔術を使うことはできるという事実にほかならない。つまりは単純にソレを上手く引き出せる人間が魔術師であり、上手く引き出せない人間が一般人なのである。
数千年の後の世界にはごく当たり前の事実として横たわるコトだが、この時代においてその事実に気がついたのは限りなくゼロに近かった。
そしてその限りなくゼロに近い中の一つだったフィンハオラン流はひとつの事実に行き着いた。もしかしたら魔術というのは人間によって十人十色の才覚が眠っているのではないか。
それはスートなんて何千年も後の常識が通用しない時代において、さらに細かく一人ひとりの魔術の才能を分類したもの。
フィンハオランではこれを所有権利(ロイヤリティ)と呼ぶ。すなわち単純な炎や水ではない、神様か誰かが個人個人に与えた個性のように一人ひとり異なる己自身の能力のこと。超能力と言い換えてもいいかもしれない。
そして辛い修行の中でアリエスが引き出した所有権利はいわゆるテレキネシス。つまりは念力。
最も根本の魔術といわれるモノを浮遊させたり弾き飛ばしたりする能力。そしてフィンハオランの修行の中でこれを見つけたアリエスはすぐに考えついた。
単純に者を持ち上げたり弾き飛ばしたりすることができるなら相手を拘束することだって可能なのではないかと。
すなわち、念力で相手を拘束してから斬り殺す。つまり、相手を動けない状態、もしくは限りなく動きにくい状態にしてから斬り殺す。
まさに剣士のために創りだされたかのような高等技術。
シルフィリアからすればたまったものではない。速さとアクロバットさを兼ね備え尚且つ現在視界に入れることすらままならないアリエスを相手に動きが制限されるのだから……
そんなことを考えてる間にもアリエスは攻撃を仕掛けてくる。
今度は腰から鞘を引きぬき、鞘で攻撃してくる。慌ててこちらも刀で応戦するがまるで両手足と身体が鉛にでもなったかのように動きにくい。精々ガードするのが精一杯。
そんなことをしている内に死角から斬撃が飛んでくる。

−二刀流!?−

慌ててシルフィリアは彼の左右両手へと注意を向けた。つまりは鞘でこちらの攻撃を捌き隙あらばこちらが反応しにくい角度から斬撃が繰り出される。
言うには簡単だが、相手が剣である以上、鉄ごしらえの鞘を真っ二つにされないよう最新の注意を払って相手の剣を受け流し、攻撃するための自身の剣の軌道を掴ませない為に上手く刀身を自身の体で隠す。さらに本来両手用である剣を片手で扱い尚且つもう片方の手に鉄ごしらえの鞘を持ちそれを自在に操る筋力。とてもじゃないが、一朝一夕で出来る技ではないし、達人といえども簡単には使えぬ技のはず。
フィンハオラン流奥義”填鷲(てんしゅう)”。フィンハオラン流の中でも相当に高度で使いこなすことの難しいウルトラC。
シルフィリアの額に汗が滲む。身体が縛られているからというのもあるが、アリエスの剣術があまりにも洗練されているため、まるで2人のアリエスを同時に相手にしているかのような錯覚にすら陥る。前方のアリエスからの攻撃を必死にガードしていると、見えない位置からもう一人のアリエスが一撃必殺の攻撃を繰り出してくるようなそんな恐ろしさ。
ここから勝算をつかむとするならやはりもう一度幻術を見せるしか無い。
今度は先程とは比にならないぐらいの……想像出来うる限りの残虐なモノを相手の脳内に送り込むしか……
でも今のアリエスに隙を作ることなど果たして出来るのだろうか……
自我を消しているのだから色仕掛けなんて通用しないだろうし……ならば……
わざと隙を見せ、相手の攻撃を誘う。少々怪訝の表情は示したものの、数少ない攻撃のチャンス。的確に神速でこちらの首を狙いに来る。

−絶対守護領域(ミラージェ・ディスターヴァ)ー

静かに詠唱し、出現させるはオーロラのようにに輝く羽衣。それで体を包みアリエスの太刀を防御する。
コレは攻撃にこそ転用できないが守りにおいては最強の防御。タングステンの数十倍の硬度と靭性を持ち、さらに布のように柔らかく相手の攻撃の威力を分散させ吸収する。
これで身体を覆うように防御すれば何があろうと相手からの攻撃が通るようなことはない。
そして……
アリエスの剣からの衝撃を受けきった瞬間……
ここだ……
シルフィリアはそっと羽衣の隙間から目を出してアリエスの瞳を見つめる。
よし!
見せるは今度こそ最低最悪最凶の幻術。設定時間は72時間。その間、今度は身体を少しずつ刃物で削ぎ落とされる痛みを味わせる。それこそ終わる頃には全てが削ぎ落とされ、手首と骨しか残らない程のものを……
アリエスが崩れ落ち、シルフィリアは勝利を確信した。
「もはや私の言葉を聞くことも叶わぬだろうが……せめてもの慈悲……止めは刺さないでおいでやる。精々、そこで土に還るがいい……」
勝ったという充実感が身体を支配していた。
初めて本気で戦って得た勝利。なんと心地が良いことか。まるで幸せというフラスコにどっぷりと浸かるような充実感。
素晴らしい……
だがその感覚はいつまでも続かなかった。途端に当たりが真っ暗になったのだ。

−こんな時に停電?ー

場所が地下故に、一旦明かりが消えると当たりは暗闇に包まれる。確かにあれだけ暴れまわったのだから、この劇場の照明システムがどうなっているのかは不明だが、燭台の炎が全て風圧で消えてしまったと考えるも魔光石の配線を断線してしまったとも考えられる。また、排水管をも壊してしまったのだろう。上からまるで雨のようにシトシトと降り注ぎ、慌ててその水を絶対守護領域で防御する。軽く濡れる程度ならまだしも極度に湿度の高い場所や全身がずぶ濡れになるような事態になるとシルフィリアは魔法を使えなくなってしまう。
それはシルフィリアの魔力が恐ろしいほどの水溶性を持っており、濡れることで魔力が水の中へ解け出してしまうためだが、シルフィリアを作る段階で出てしまったこの障害をヴェルンドはむしろ快く思っていた。暴走した時には水をかければ普通の少女に戻すことが出来るから。だが、ソレが今では恨めしかった。
これではアリエスを探すのも一苦労。見えない上にこの水のせいで鼻まで聞かずさらに水が降り注ぐ音で耳まで使えない。まあ、破裂させたのが下水管でなかっただけよかったかもしれないが……さて、最後にきっちり止めは差しておきたいが、はてさてどうしたものか……
とりあえず明かりを……そう思った時……すぐに身体を捻り、シルフィリアが回避する。何かが暗闇の向こうから攻撃してきたのだ。
殺気が殆ど感じられなかったため気が付かなかったが空気がわずかに揺れるのを感じて慌てて回避を行った。


まさか……

「今のを避けるか……恐ろしいね……」

間違いない。アリエスの声だった。

そんなバカな!どうして!?

ただただその二言だけが頭のなかで反芻される。まさかあの苦しみを耐えたというのか……いやソレはない。精神に直接送り込んだのだから痛覚を遮断することも絶望感から逃げることも出来ないはず。なのにどうして……あんなものを食らえばシルフィリア自身すら耐えられず24時間と経たずに精神が崩壊するというのに。

そんなことを考えている間にも再び剣がこちらを切り裂こうと向かってくる。

空気の振動を読み、またなんとか回避できたが……明らかにおかしい。

当たりは明かり一つないあやめもわからぬ暗闇だというのに、一体どうやってこちらを狙って攻撃しているのか。

先程から状況は変わらず、闇に視力を奪われ、降り注ぐ水に聴力を奪われ、水に臭覚を奪われている。味覚はあてにならないから残るは肌で感じることが出来る空気の振動程度のものだが、こちらはほとんど動いていないというのにどうやって判断しているのか……。

相変わらず水の音が豪雨のように鳴り響きアリエスが動く音は聞こえない。

まさか、第六感……つまり霊感というオカルトなものを使っている?いやない。あり得たとしてもここまで正確に位置を割り出すなんて正気の沙汰とは思えない。

ならばなんらかの魔法を使っているのだろうか?例えば、この暗闇を見通せるような瞳術などを………



…………そうだ。


何故気が付かなかったのか。こちらも瞳術を使って見ればいいではないか。

左目に埋め込まれたスペリオルの瞳。これを使えば当たりなど昼間のように見通せる。

意識を集中させ。見たいもの。すなわち”周辺を昼間のように”を思い浮かべ静かに目を開く。少し痛みはあるが薬のせいかいつものように一瞬使っただけで死ぬかと思うほどではない。


だが……


シルフィリアの期待に反して瞳は何も移し返してはくれなかった。

そんなどうして!?

まさか水に濡れたから!?

いや、それはない。ちゃんと身体には当たらぬように絶対守護領域で防御しずぶ濡れにならないように対策はとっている。少し塗れた程度なら問題にはならないはず。それに魔術が使えないならとっくに絶対守護領域すら消滅しているはず。


ではなぜ……


一寸先もわからぬ暗闇、降り注ぐ水、なのに正確に攻撃を返してくるアリエス。

すべてのパズルのピースが額縁にハマった時……シルフィリアの脊髄に電流が走り、全身を味わったことのない程の悪寒が駆け巡った。
全身が鳥肌に支配され、毛穴が全部開くような感覚。



「天枢結界……」



この謎の現象の解答とも言える答えがシルフィリアの口から漏れだすように紡がれた。

天枢結界魔術。それは自らの幻想を星の世界へと固定し、自在に引き出して使う空間魔術のことを言う。魔術の中では難易度が最高レベルに指定されるものであり、大魔道士といえどおいソレと使うことが許されぬ魔術。

まさかそれをアリエスが!?

いやそのまさかに間違いない。天枢結界が難しいのは自らの幻想の空間を星の世界へと固定するまでである。一度固定してしまえばあとは膨大な魔力さえ支払えばいい。そして膨大な魔力はなにも持っている必要がない。単純にポーションなどで瞬間的にドーピングすればいいのだから。

そして、この天枢結界は誰にものであれ共通することがある。それは、辺りが夕闇に包まれること。現世と冥界の間に位置する空間を使うので昼でも夜でもない夕闇へと染まり、さらに空間をねじ曲げているため、美しい夕闇の中だというのに雨や雪や雷などのそぐわぬ天候に見舞われる。例えばずっと配管へのダメージによるものだと思ってたこの雨のように……


「気がついたみたいだな……」


恐ろしく冷たい声が後ろから聞こえ、慌てて振り返るももちろんそこは暗闇。

「”夢幻泡影(むげんほうよう)”俺の天枢結界魔術だ」

また声は後ろから、この真っ暗な闇の中で声は絶えず後ろからする。まるでこちらの動きを完全に見ているかのように。

いや……見ているのだ。彼は……

先程も述べたように天枢結界の中は常に夕闇。夜になることはない。なのにこの空間はまるで地下で停電を起こしたかのように僅かな光すら見えない。そこに矛盾が生じる。しかしその矛盾の中でアリエスはこちらを的確に攻撃してくる。


どういうことか……


漆黒の闇、濡れたわけでもないのに使えぬ瞳術、その証拠にしっかりと使えている魔術、暗闇の中から的確に襲い来るアリエス、天枢結界。

その条件を全て満たしうる確率はひとつしか無い。




つまり……






辺りが暗いわけではない。






奪われたのは文字通り光……





すなわち……



視力を……




「貴様!」


流石に焦って刀で辺りを無鉄砲に斬りつけるが文字通り無闇。当たるはずがない。

「夢幻泡影の中では俺と俺が認めたモノ以外のすべての生き物の視力を奪う。本来内部を絶対的な大規模魔法で満たす天枢結界としてはチンケな能力かもしれないが……俺にはうってつけの能力だ……悪いねシルフィリア、君の瞳術。封印させてもらった」

ゾクリと背筋が凍るようだった。

唯一の対抗手段である瞳術を失ったばかりか、五感の三つを奪われた。こんな状態で先ほどのアリエスに勝つ?

無理に決まってる。

光風霽月で自我を封印し、幽玄桜花で気配すら感じさせずに耐えず死角に入り込み、テレキネシスでこちらの動きを束縛するアリエスにとって今の自分はおそらく虫けらのような存在だろう。

これがアリエス・フィンハオラン。今までシルフィリアは自分を化け物だと思っていたが、それは間違いだと気が付かされた。彼のようなものこそ……真の怪物なのだと。
力量が均衡していた先程までとは一転、象の前に放り出された蟻のようなものだ。
それでもシルフィリアは見えないアリエス目掛けてひたすら刀を振り回し魔法を連射する。どこに居るかわからないが、もしかしたら当たるかもしれない。そんな小さな小さな希望で……

「シルフィリア……おしまいにしよう」

闇の中から声が聞こえる。”殺られる”。そう実感するには十分すぎる声。

「せめて苦しまないように……」

一気に殺気が増した。まずい!!なんとか回避を……でもどの方角から攻撃が来るかがわからない。どうしようもない……せめて防御を!
身体を包み込むように絶対守護領域を展開させる。だが、ソレに対してアリエスの笑い声が聞こえた。

「残念だけど……羽衣である以上、隙間は生まれる」

!?







「フィンハオラン流、最終奥義……”鳳天彗”……」






彼の口からソレが紡がれた瞬間……全身を味わったことの無いほどの痛みが貫いた。
視力を奪われているため相手が一体どんな技を使ったのか……自分がソレによってどれほどのダメージを受けているのかはわからない。だが、呼吸が出来ず鈍い痛みが続くことからおそらくは打撃系だろう。
つまり彼は鞘に入れたままの剣で攻撃したということになる。
すぐに何故という文字が頭を過ぎった。抜き身の剣でバッサリ斬りつければ簡単に殺せたはずなのに。何故ソレをしなかったのか。
だが、はっきりしている事実がひとつある。
今、自分は敵と全力全開で戦ってその結果……完膚なきまでに叩きのめされたということ。





   ※          ※          ※






地下劇場を脱出し、隠し通路を逃げ延びながらヴェルンドは必死に呻いた。

「そんなバカな……私の……私の神が……あんな小僧に負けるなんて……」

事実があり得ない話過ぎて、思考回路が追いつかない。
その強さはドラゴンにも勝り、その美しさは不死鳥をも凌駕する。
それがシルフィリア。自分自身が作り上げた世界最高の神。神が自分を超えよとヴェルンドに与えた才能の集大成。そのはずなのに……

「あんな……あんなガキに……どうなっている!神よ!何故、お前はそうまでして自身の居場所を守りたがる。お前は我々知能を持つエルフや人を自らの姿に近づけて作り上げたはず……なれば我らはもっとお前に近づき、お前を追い越す為に存在するはず……なのに……何故ソレを拒む!自分が作り上げた子供が自分を超えることを何故妬む!」
洞穴の中に響きわたる声……悔しくて悔しくて……自分の作り上げた研究を誰かにぶち壊しにされた感覚。今まで頑張って頑張って作り上げたサーバーを誰かに蹴り壊されたようなそんな感覚。
「くっ……」

噛み締めた唇から血が滴り落ちた。

だが……

「覚えていろ……アリエス・フィンハオラン。貴様は必ず私の手で葬ってやる。貴様を殺すための兵器は既に用意してある……そして……今度こそ私は神を超える……」


「悲しい存在ね」


唐突に聞こえたその声にヴェルンドは震え、辺りを見回す。
洞穴の闇の中からコツコツと一定のリズムで靴音が近づいてくる。
そして姿を表したのは……真っ赤な髪をたなびかせる彼女だった。

「シェリル・リ・シェリサント……」

ヴェルンドはその名を静かに口にし、彼女を睨みつけた。

「どう?ウチの坊やは……強かったでしょ?」
「……大したことはない。たまたまシルフィリアが失敗作だっただけのこと……刮目して待て……次はアリエスなんぞ瞬殺できる兵器を私は創り出そうじゃないか」
「本当に悲しい存在ね……アンタは……」
「何?」
「神を超えるどころか、アンタには人を超えることすら永遠に出来ないでしょうね……」
「どういう意味だ!」
「言った通りの意味よ。アンタは人も神様も超えることはできないでしょう。神様ってのはね、博愛なの。自分の子供であるアンタ達エルフや私達人間……いいえ、この世のすべての生き物を愛している。ソレに比べてアンタは……自分の娘であるはずのシルフィリアすら愛することができてないじゃない……」
「アレは兵器だ!私が神を超えるための兵器なんだよ!」
「だから超えることが出来ないんだよ。愛を知らない奴に神を名乗る資格があるわけ無いだろ。そして神を超えるなんて……冗談にしても笑えない」
「黙れ!貴様に何がわかる!国家の新たな女王となるだけの地位に居ながら、官僚や大臣たち……そして政略結婚で結ばれたあの女と王子にして現皇帝のアイツに全てを奪われたかわいそうなかわいそうな女に……神に愛されぬ貴様なんぞに……」
「なら、愛されないもの同士……どっちがまだ神様に好かれている方なのか、ここで決めるとしましょうか……」

シェリルが静かに胸元から杖を取り出し構える。

「な……何をするつもりだ……私を殺そうというのか?」

急に青ざめるヴェルンド。その気持ちは察するに値する。本来なら優秀な科学者や薬師や医師などのいわゆる技術者は基本的には敵国であっても優遇される。技術を提供する代わりにその場で処刑されることは滅多にない。
だが……

「悪いんだけど……アンタみたいなのがキャスリーンと組んだら、またシルフィリアみたいな悲しい子が生まれる。いえ……ヘタをしたらもっと酷いことになる。例えばシルフィリアだけの軍隊を作るとかね……それだけは絶対に避けなければならないの」
「待て!私を殺すことがこの世界にとってどれだけの損害になるか!私は神なんだぞ!殺したらどうなるかわからないのか!」
「わからないし、聞く耳持たない。そもそも神だというならこの状況なんとかしてみなさい」

シェリルが杖を振り上げ、先端からバチバチと真紅の閃光が迸る。

「待て!お前が欲しい情報をやろう!エーフェ皇国の……あの女王を引きずり下ろすにふさわしい情報を!ブルー・ル・マリアの真犯人に関わる情報を!」
「残念だけど、アンタがどんな情報を知っていたとしても……敵国の研究者の言葉なんて……エーフェ皇国内においてはなんの力も持たない……」
「待て!!」


『閉じよ(イヴァネスカ)』


呪文を唱えると同時にヴェルンドの身体が真っ赤な渦に包まれる。そしてその渦はどんどん小さくなり……やがて渦が消滅する。ヴェルンドの身体と共に。
そこに彼が居た形跡は既に無く、天井から滴り落ちる水滴の音だけが響き渡る空間にシェリルは一人佇んでいた。

「…………何度やっても……殺すのはなれないわね……」

静かに踵を返し、洞穴を抜ける。出口に居たレーナルドに「帰りの馬車を手配なさい」とだけ告げ、彼もそれに従った。一方で研究所中から剣を集めアリエスに届けに言っていたはずのリアーネは劇場の入り口で両手いっぱいの剣を持って佇んでいた。

「どうしたの?」

優しく声をかけると振り向きつつ「終わりました」と答えた。そちらに目をやれば、座り込むアリエスと倒れるシルフィリア。どうやらなんとかアリエスも勝ってくれたらしい。どんな魔法を使ったのかは知らないが……






   ※          ※          ※





正直まだまだ甘いと思う。自意識を殺し、情を捨てる光風霽月を使っていたのにも関わらず、奥義を放つ直前、瞬間的に剣を鞘へと納刀してから攻撃してしまった。
本来なら鳳天彗は放てば間違いなく相手を殺す……文字通りの必殺技。
だが、納刀したまま攻撃したため、シルフィリアはまだしっかりと息をしていた。
最も鳩尾にバッチリ打ち込んだからしばらくは動けないだろうけど。

でも……

勝ったというのに喜びも何もない。ただただ虚無感だけが残る。
こんなに嬉しくない勝利なんて……

「うぅ……」

小鳥の鳴くような声でシルフィリアが呻く。

「運が良かったね……」

そっと声をかけると……

「ッ……ぅうっ……ぅっうぅ……」

もしかして……泣いてる?覗き見ると、目から大粒の涙を零し床を濡らすシルフィリアがそこには居た。

「………………殺してください……」

小さな小さな声で囁くように呟く。
ください……ってことは……もしかして薬の効果が切れて……
勝利後の喜びが一気に花開いた気分だった。ヴェルンドの支配から逃れた今、彼女はやっと自分の道を歩める。やっとこれで……一目惚れした女の子を殺さないで済む。
今のアリエスにとっては最大限の祝福だった。国家同士の戦争状況は何も変わってない。だが、シルフィリアを助け出すことにはなんとか成功した。それだけでも今のアリエスにとっては……
ただ気になるのは……彼女の言った「殺してください」という言葉……

「アリエス?」「坊や、怪我はない?」

入口の方から駆け寄ってきたリアーネとシェリルが声をかける。

「俺は……シェリー様。シルフィリアをお願い出来ませんか?」

その言葉に頷き、シェリルはそっとシルフィリアの素へと駆け寄った。

「痛い?」

その言葉にシルフィリアは首を振った。どうやら泣いてる原因は鳩尾の痛みでは無いらしい。

「苦しい?」

その言葉にシルフィリアは頷いた。

「薬が切れたの?」

シルフィリアが首を振る。

「じゃあ……」
「殺してください……」

再び囁くシルフィリア。

「………………そう……」

何かを察したようにシェリルが彼女の髪を撫でた。

「思い出したのね…………」

アリエスとリアーネが首を傾げる。

「あの、シェリー様」「思い出したって何を?」
「…………シロンとカトレアの記憶よ。遺伝子が組み込まれてるならおそらく記憶も引き継がれてるはずだろうと思ってたけど……やっぱり……」
「どういうことですかシェリー様?」
「ヴェルンドの話を聞いた時思ったのよ。遺伝子情報を引き継いで遺伝子の中の記憶は引き継がないなんて、そうそう都合良くは行かないんだろうなって。なにせ脳みその構造すら遺伝子情報には含まれるからね。断片的に、もしくは全体的に記憶だって引き継がれるはず。クローン人間と同じでね。でもそんな記憶は戦闘人形を作るには不都合。きっと気の遠くなるような薬物投与で記憶を封印したはず。でも、それが今になって、蘇ったのよ。シロンとカトレア……2人の一番強い記憶。つまり、調教され、拷問され、殺された一番辛い時の記憶が……」


そんなバカな!


こんなタイミングで……

アリエスにしてみれば小さな希望があったこの状況。つまりヴェルンドの呪縛からシルフィリアが解き放たれ、薬で狂気に染まった状態から……殺すしか彼女を止める手段はないと判断すらした状態から奇跡的に回復した。これから彼女はやっと自分の道を歩めるかもしれない……

そう思った矢先に……


「むしろ、このタイミングだから思い出したんでしょうね。自意識を喪失し狂戦士と成り果てる薬を打たれ、自身が燃え尽きるまで戦って、その結果あなたに負けるって絶望を味わった。身体に無理をさせ心に無理をさせ、その全てをへし折られた衝撃で戻ったんでしょう。普段の正気と過去の記憶という狂気が……」


世界は表裏一体。希望と絶望。それを思い知らされた気がした。


神様は希望だけを与えてはくれない。希望を与える時必ず絶望を同時に与える。
そんな世界の真理のようなものを、目の前に付きつけられた気がした。

「殺してください…………お願いします……もう生きてても仕方ない……」

涙ながらに蹲り懇願する彼女の姿はとても惨めというか酷かった。
思い出したのがどんな記憶だったのかなんてそんな野暮なことは聞けなかった。
トラウマで誰かに死を賜りたいとすら願う少女に対して、さらにそれを抉るような真似……ここにいる誰ができようか……
だが、かと言って殺すことは出来ない。どんなに彼女が絶望し、どんなに悲しさを募らせようと……アリエスには彼女の首を撥ねることなどできなかった。
だって彼女は……自分が生まれて初めて死ぬほど好きになった人で……
さっきまで殺すしか無い状態で、実際殺すつもりで戦って……

その結果奇跡的に救われた……

そんな彼女を再び手にかけろだなんて……たった一度決心するだけでも死ぬほど苦しかったのに……
目線を舞台上に移せばそこにはシロンとカトレアの遺体が浮かんだ2本のフラスコ。
あの中央にシルフィリアを浮かべるような真似が果たして出来るだろうか……
そんなことできるわけがない。自分の婚約者と自分の初恋の相手。そして自分の一目惚れした相手。
その3人を一日で失うなんて……悪夢なんてものじゃない。そんなのは一生醒めない呪縛となって心を一生縛るに値する傷。
真っ暗な想いで一生を終えるには十分すぎる理由……

そんなアリエスを見かねて後ろで控えていたリアーネが静かに弓を取った。
どちらにしろ彼女は殺さなければいけない。なにせ敵国のエース、幻影の白孔雀だ。生かしておく理由はないし、国家のためなら殺してしかるべき。これは戦争だ。私情を交えてはいけない。それに……リアーネはリアーネで彼女に対する思いがある。正直こんな怖い子は居なかった。幻影の白孔雀。何度殺されそうになったことか。正直生きてるのが不思議なぐらいだった。
そして……自分が好きなアリエスの心は誰に惚れているのか……女だからこそわかるものがある。容姿もスタイルも凄まじい彼女。
正直数時間前までは復讐心と嫉妬がメラメラと心の奥で燃えていた。

だが……彼女の出生の秘密を知って……それを聴いたアリエスの絶望を知って……

やっと心に整理が付いた気がした。彼女だって所詮は被害者だったのだと……
友達も沢山彼女に殺されたし、身内だって沢山彼女に殺された。だけど、ソレは彼女の意志ではなく……奴隷のように強制的に従わされた故に行った業。行わなければ死よりも辛い罰が与えられる故に行わざるを得なかった業。
こんなに悲しい子を……このまま生かしておくなんて……
せめて最期の願いぐらい聞き届けてあげたい。たとえソレが幻影の白孔雀でも。

「私がやります……」


万感の思いを込め、彼女を見据える。
だが、矢を番えながらリアーネがポロポロ泣き出す。国家のため、世界のため、彼女を殺すという大義名分は有る。彼女を殺したことでアリエスに一生恨まれてもいいし、第一アリエスはおそらく自分を恨むことすらしないだろう。彼のことは少しはわかってるつもりだ。だけど……それでも、納得出来ない。彼女に普通を生きてほしい。そう願う心がひたすらにこみ上げる。そしてそれを奪わなけ得ればならない現実に嗚咽が漏れる。
そんな状態で矢が放てるわけもない。
シェリルにそっと肩に手を置かれ、「やめなさい……」と静かに制されてリアーネは崩れ落ちた。

「…………お願いします……殺してください……」

三度目の願いは消え入るほど小さな声で囁かれた。
そんなシルフィリアにシェリルはそっと近づき、そして語りかける。

「わかった……殺してあげる」

その言葉にアリエスとリアーネは驚愕の眼差しでシェリルを見つめた。

「だけど、今じゃない。悪いけどアナタには国家の礎になってもらう……死ぬなら死ぬで、国家の礎になりなさい。アナタにはそれだけの価値がある」
「シェリー様……?」

唖然とする顔と絶望する顔の入り交じるアリエス。シェリルの口から出るとは思えなかった言葉に固まるリアーネ。

それを無視し、シェリルはシルフィリアに手を差し伸べる。「アナタのような女の子を……いいえ……もう誰も悲しませないためにアナタの人生を使わせてもらう……悪いけど、私は利用できるものは全部利用しなければならないの」
納得行かない。それがアリエスとリアーネの純粋な気持ちだった。
だが……シルフィリアはそのシェリルの手を取る。それがまたアリエスとリアーネの心に傷をつけた。

「ありがとう……シルフィリア……」

タイミング良くレーナルドが地下劇場へと入ってくる。

「シェリー様。馬車の用意が出来ました」
「ありがとう……みんな行くわよ……」

ものすごく複雑な心境のアリエス。
正直このままシルフィリアを連れて逃げてどこかへ逃げてしまおうかとも思った。
理不尽に殺されるならそのほうがいいと……
でもずっと隠れ住む場所もなければ、今後何十年も隠れ住むだけのお金もない。

「シェリー様」

絞りだすようにアリエスはシェリルの顔色を伺った。

「シロンとカトレアの遺体……持っていてもいいですか?ちゃんとお墓……作ってあげたいんです……」
「……そうね……レーナルドとリアーネ。アリエスを手伝ってあげて……私は一度シルフィリアを馬車に連れて行ったら戻ってきて手伝うから」
「………………ありがとうございます」

まさかシェリルに対してこんな上辺だけの挨拶をすることになるとは思わなかった。
帝国への潜入。それは終わってみれば非常にあっけない……いや、後味の悪すぎるものだった。
数々の遺恨や痛みを残して……万物の真理と時の流れをアリエスに刻みながら、アリエスのシロンを探す冒険は終わった。





   ※          ※          ※






シロンとカトレアの葬儀は秘密裏に行われた。一般公表したら国民の絶望感が募りクーデターに繋がる可能性があるというシェリルの判断だった。
2人の葬儀は教会で行われた。
エリーが崩れ落ち棺に抱きつくようにして泣いていたのはきっと一生忘れられない光景。遺体はかつてのフェルトマリアの領地にして戦争の原点。ブルー・ル・マリアの地。フェルトマリアの居城”ファルケンシュタイン城”の跡地へと埋葬され、カトレアはやっと両親の元で眠ることを許された。
一方でシルフィリアは研究所から持ち帰った大量の資料によりシェリルが高純度麻薬”BRAND ROSE”を創り出すことに成功。苦しむことはなくなったとはいえ、敵国の兵士。それも動く死兆星”幻影の白孔雀”。投獄は免れなかった。
記憶を取り戻した彼女は毎日牢獄の中で泣き続けていたが10日目を過ぎた辺りから泣きつかれて茫然自失状態で小さな窓から外を見ていることが多くなった。
シェリルが時々カウンセリングに訪れていたがそれでも回復する兆しは見えなかった。


その後、シルフィリアの処遇を決める御前会議が開かれることになった。






「白孔雀は妾(わらわ)の管理下で妾自ら処刑する」






キャスリーンは嬉々としてそう言い、譲らなかった。その思惑は察するに容易。
戦時下において国民は貧窮に喘ぎ大して宮廷はいつもどおりの贅沢三昧。国民の支持率は日に日に落ちていた。このままではクーデターが怒ることは誰の目にも明らかな程に。
キャスリーンはその下がりきった支持率を幻影の白孔雀の処刑というショーでなんとか持ち直そうというのだ。
皇都アトランディアには現在幻影の白孔雀に故郷を焼かれ逃げ延びてきた者。家族を殺された兵士の身内。そんな者達がひしめき合っている。
事実、シェリルにはなんの断りもなくキャスリーンが独断で白孔雀の捕縛を発表した時、歓喜と白孔雀に恨みを持つ国民で宮殿前広場は見渡す限りの市民でうめつくされ、その罵声は怒号のように文字通り夜通し響き渡った。
その彼女を公開処刑し、その処刑人が女王自らとなれば、間違いなく国民は多少なりとも宮廷を支持する。金を湯水のように使っていてもやるべき仕事はしていると捏造された歴史を信じて。まさか国家が国民を騙すなど誰も信じないだろう。第一嘘だという証拠も出回らないのだから。
「これも全ては皇国のため。国民には私の親衛隊が白孔雀を捕縛したと報告し、私自らが処刑する。内外に白孔雀を捕縛できるだけの力があること。そして白孔雀を殺す強い女王がいることを示すことこそ現在の国家の大事」
ソレらしい言葉でまとめているが、もちろん自分のことしか考えてないのは見え見えだった。玉座に座るキャスリーンの息子の現皇帝と上座に座る親キャスリーン派の中枢幹部のみがソレに対し拍手をしていたが、下座に座る他の者達は静かにキャスリーンを睨みつけていた。

「処刑は一週間後にしましょう。もちろん公開処刑よ!広場に処刑台を作って行うわ!剣も新調しなきゃ!白孔雀を殺すにふさわしい剣を!」

踊るように嬉しそうに語るキャスリーン。
これから誰かをその手にかけるというのに……
まともな神経なら彼女をこう評するだろう。



”狂ってる”






「残念だけど……それは出来ない相談ね」




その言葉は議場入り口から呆れ返ったように囁かれた。
全員がそちらを向くとそこには真紅のドレスを身にまとい腕組みをしたシェリルがキャスリーンを見下した目線で見つめていた。

「誰がお前に発言を許した?そもそも誰がこの議場への立ち入りを許可した?親衛隊。そいつをつまみ出せ……」

冷ややかな声でキャスリーンが言う。
だが、シェリルは呆れたように言い返した。

「悪いんだけど、彼女を捕まえたのは私なの。私の部隊はIMM。独立機動部隊よ。たとえ国家といえど、その権利は侵害できない。つまり私があなたに白孔雀を引き渡さない限りアナタが彼女をどうこうする権利はないの。こんな御前会議まで用意してお生憎様だけど……」
「ならこの場で引き渡せ。皇帝命令ぞ」
「できない相談ね。いつもと同じよ。手柄はアンタたちのもの。ただし罪人は私たちのもの。白孔雀を捕まえた手柄はくれてやるわ。だけど、白孔雀自身は私が処遇を決める」

部隊が立てた手柄は国家で好きにすればいい。だが、シルフィリアの身柄の引渡しは取引内容には入らない。それがIMM、独立機動部隊。シェリルに唯一与えられた国家に仇成すことのできる唯一の鉾。

「はっ!?それでお前はどうする気?あの白孔雀を飼い慣らしてペットにでもする気!?それで国民が納得すると思うかえ?」

嘲笑混じりでキャスリーンはシェリルに問いかける。そしてその言葉は概ね正しい。シルフィリアの存命を望む者。そんな人間は限りなく少ない。せいぜいがシェリルを始めとするIMMの数名のみ。国民が欲しているのはシルフィリアの処刑。国家の脅威であり家族の仇の排除。
そんなことは十分にわかってる。だが、もしここでキャスリーンはもちろんシェリルでさえその手で彼女を処刑しようものなら、国民は一気に宮廷を支持するようになる。そしてその宮廷とはシェリルが望むものではない。あのキャスリーンが支配するモノ。
処刑しなければならないが処刑してはならない。
そんな哲学的存在が現在のシルフィリアなのである。
そして、ソレに対する結論は早々に出た。いや、むしろこれしか手段が無いとも言える。

「処刑はする」

どちらにせよ殺さなくては国民は納得しないのだ。だが、宮廷が処刑をしては意味が無いならばどうするか……

「処刑するのは教会だけどね」

その一言にキャスリーンの表情は憤怒へと変わった。

「ふざけるな!!」

議場に大声が響き渡る。教会。それは宮廷たるとも不可侵の領域。
現在は誰も即位していないがそもそも教会のトップである教皇の地位は皇帝より遥かに強い。もちろんそこに誰も即位していないのは無闇に誰かを即位させキャスリーンの駒にでもなったら取り返しがつかないというエリルティアの判断なのだが、今回はそれが功を奏した。
教会が公開処刑を行えば支持を得るのは協会側のみ。宮廷にはなんの利益も生まれない。支持率も以前現状維持のクーデター寸前の状況のまま。しかも教会はおそらく処刑は秘密裏に行うだろう。神に仕える者達として人の死はたとえ敵であろうとも粗雑にはしないだろう。
だがしかし、何度も言うように国民が望むは公開処刑。
キャスリーンとしてはなんとしてもこの状況を利用したい。いや、利用せねばならない。息子を皇帝のまま即位させ、自分が女王で居続けるためには。

「ふざけてなんかない。私は本気。既に白孔雀の身柄は教会に引き渡し、私の元を離れたわ」

それでは手出しが出来ないではないかとキャスリーンはさらに青筋を立てた。
だが、状況は最悪。既にこの状況を覆せるのは一人しか居ない。それは教会に対して白孔雀の身柄の引渡しを行った女。シェリル・リ・シェリサント。
コイツが教会に対して公開処刑を要請すれば教会も従うはず。なにせ実際に白孔雀を捉えたのは彼女なのだから。
いやそれだけじゃない。要請の内容によっては遺体をその後宮廷の中庭へと移し、そこで白孔雀の亡骸を腐り果てるまで一般公開することだって可能なはず。
さすれば、教会と宮廷の親密さ故に遺体は宮廷公開になったと公表することで、宮廷の支持を若干なりとも回復できる。
だが、そんな詭弁で衆愚は騙せたとしても本来、教会と宮廷の関係というのは凄まじく険悪。キャスリーンの権力も教会には届かない。
唯一できるのはこの女……シェリル・リ・シェリサントのみ。

「いくら馬鹿なアンタでも……命令系統が私のみのIMM。そこへ何か頼み事をしたい時はどうすればいいのか……そのぐらいのことはわかるわよねぇ?」

凄まじい屈辱だった。

だが、国民にクーデターを起こさせず、さらに税金を絞り取り現在の地位と資産と生活を維持するためにはもはやコレ以外に手段はない。

「何が望みだ?」

舌打ちをした後、鬼のような目線でキャスリーンはシェリルを睨みつけた。

「簡単よ。私の権力を返しなさい。押収した資産もね」
「ふざけるな!」
「ふざけてると思うか?」

シェリルの地位と資産の返還。それは実質シェリルが皇国における大臣クラスの地位を保有する官吏へと上り詰めることを意味する。そんなことになれば、いかに法律を改正し、自身の保身のための法を制定したとしてもキャスリーンの権力は下がる。

だが……

現在、疲弊した国民と贅沢三昧の王侯貴族というこの絵図を存続させるために白孔雀の処刑を利用するのはこれ以上ないほどの近道。早急なる宮廷の信頼回復と戦争での優位の両方が付いてくる。
それにシェリルがいかに地位を強めたとて、そんなものは所詮皇帝の権力には遠く及ばない。こと絶対王政においては。

「いいでしょう。ただし戻すのは戻すのは一部の地位と資産だけ。特に軍部と内政と財政関連の地位は返還しない。あくまで返すのは商務と司法と国務、総務及び一部領地の返還のみ。文句はないな?」

だが念には念を入れて、本来ならもう一人の上王として就任できるはずの重要ポストには絶対就かせない。いかに権利を取り戻した処で何もさせなければいいだけの話。自身に噛み付くための牙は完全にへし折り抜歯する。

「おもいっきりあるけどまぁいいでしょう……」

不満そうではあるものの、あまり強請りすぎるとキャスリーンによってあらぬ嫌疑をかけられひいては投獄処刑と最悪のパターンを辿ることすら有る。
自意識過剰の自己中馬鹿女が権力を持つと、かくも危険。

「地位と財産の変換後、教会には公開処刑と遺体の引渡しの陳情を提出するわ。それでいいわね?」

苦い顔をしながらもキャスリーンはフンと鼻を鳴らした。
それを了承の意味と取り、キャスリーンは静かに議場を後にした。
ひとつ大きくため息をつく。
正直キャスリーンが馬鹿で助かったと思う。もしもここでシルフィリアが協会側に盗まれたとでも虚偽の大義名分を作って教会を総攻撃しようものなら、下手をしたら教会そのものが違法とされ歴史から姿を消していたかもしれない。
まあ、教会には英雄エリルティア・オンタリオが居るわけだしそんな簡単にはいかないだろう。勝てる見込みは6割弱。分の悪い賭け。それでもあの女王は自身に危害が及ぶ可能性がないのだから嬉々として気がついていたら命令していたに違いない。
しかし、これでなんとか権力と資産は取り戻すことが出来た。
だが、ずっと待ち望んだものを取り戻したはずなのに……思いの外嬉しくはない。


それはきっと……彼のせい……





   ※          ※          ※





それから約一週間でシェリルに地位と資産が返却された。そしてシルフィリアの公開処刑の日程もソレに合わせて明日の午後に決定した。

「アリエス……入るわよ……」

IMMの宿舎の一室に夕食のトレーを持ってリアーネがそっと入る。夕食時に食堂にも姿を見せなかったアリエスはベッドの上に腰掛けていた。燃え尽き頭を垂れた昨日とまったく変わらぬ姿勢で……
テーブルの上には残された食事。スープだけはなんとか完食しているがその他のパンやメインディッシュですら一口だけ手が付けられた状態……

「ちゃんと食べないとダメよ?」

そうは言ってみるものの、その心中は察するに値する。
頑張って頑張って助けた女の子が信頼していた上司の手で売り渡されて処刑される。
しかもその女の子はアリエスの好きな女の子。
自分だってもしアリエスがシェリルの手で処刑されたらと考えると足が震える。
好きなアリエスが明日の午後殺されるとしたらきっと彼と同じ状態になることは間違いない。だからこそ、自分が許せないのだ。
幻影の白孔雀がいなくなることで、自分に傷を負わせた恐怖の存在と恋敵としての存在。その両方がいなくなる。自分はまたアリエスに一番近い女の子になれる。
それを考えるととてつもなく嬉しくなってしまう。アリエスはこんなに苦しんで真っ白になってるのに
だから許せない。自分自身がどうしても。


でも……


「アリエス……どうすることも出来ない問題なのよ……」

戦時中。捕らえられた敵のエース。何千も味方を殺したエーフェの敵。幻影の白孔雀。
その末路なんて処刑以外に考えられない。
それが非常識な中での常識だ。


だが……


「俺のせいだ……」

絞りだすような小さな小さな声でアリエスがつぶやいた。実に1週間ぶりの声だった。

「あの時俺が帝国に侵入して捕まって……そこからシルフィリアに助け出してもらって……あそこからなんだ……もしあそこでシルフィリアが関わらなければ……そもそもシルフィリアは帝国の研究所から捨てられることも……全部俺の……

死んでいたと思った感情が高ぶっていく。

「シロンのこと……諦めてれば……シルフィリアがシロンかカトレアかなんて幻想を抱かなければ彼女は死なずに済んだ。俺が欲しかったのはシロンでもカトレアでもない……シルフィリアだったんだ。シロンもカトレアも思い出の中でじっとさせておくべきだったんだ……それなのに……それを引きずったから」

閉ざしたままの瞼をこじ開けて涙が溢れです。

「じゃあ、白孔雀……いいえ、シルフィリアさんはあのまま敵国の研究所で奴隷として殺戮人形として家畜みたいな生活送ってた方がよかったと?」
「死刑囚とは面会は禁止されてるから、それを問いただす術はもう無い。だけど……殺されるならまだその方が……」
「そうかもしれないわね。でもねアリエス。アナタだったらどう?」
「え?」
「このまま殺戮マシンとして生きるか、それとも殺されるか……アリエス……アナタだったらどっちがいいの?」
「………………」
「私にはわからないわ……確かに戦場で何十人も人を殺してきたけど……それは平和を作るためだと信じてるからできたこと……普通に人殺ししたんじゃ私は今頃、狂気に染まってる」
「………………」
「誰かの考えなんて所詮誰かの考えなんて考えたってわかんないわよ……だから、それにはゆっくり結論を出せばいいじゃない……」
「………………」
「処刑……見に行ってあげなさいね……それがアナタに出来る唯一の彼女への弔いなんだから……お墓出来たら2人でお参り行こ……ね?」
できるだけ優しい声で話しかけるリアーネ。だが、そんな言葉でアリエスの心が癒えるわけがないのは一番自分がよくわかっていた。
「じゃあ、私行くね。新しいご飯運んできたから今度はちゃんと食べてね」

そう言ってリアーネは部屋から出た。
明かりを灯す気力もなく真っ暗な部屋の中でアリエスは膝を抱える。

「…………女の子一人……俺は助けられない……」

こぼれた涙は拭きとっても拭きとっても飽きたらず、心のなかは真っ黒だった。
シルフィリアの処刑は明日の午後3時。
彼女が殺されてしまえば、この気持ちにけじめも付くのだろうか……


いや……きっと……





   ※          ※          ※





翌日の昼。
大聖堂前の広場は民衆による罵声と怒号の嵐で普段の静けさとはかけ離れていた。
教会の門の前には一段高くなった処刑台が組まれ、シルフィリアを吊るすための十字架が今や遅しと彼女の到着を待っている。
最前列には記者達が詰めかけ我先にと場所を確保し、明日の朝一で新聞に使うための似顔絵師を配置している。戦争の記事は金になることを彼らもしっかりと知っているのだ。
そして、アリエスはその民衆の中で一人静かに佇んでいた。前列中列とはいかないが、それでもちゃんと処刑台は見える位置。
周りは全てシルフィリアに対する誹謗中傷の言葉で大騒ぎしていたため、その中でただ一人静かにその瞬間を見届けるためにソコにいるアリエスはかなり浮いた存在となっていた。
ふと上に目をやると、教会の貴賓席でシェリルが処刑の様子を見守っていた。リアーネやレーナルドもあちらから見るらしい。
軍部席にはジュリオやヴェフリの姿も。
他のIMMのメンバーもそちらで見守るようだった。
もちろんそちらで見ることも出来るのだが……ほとんどが彼女の処刑を喜び楽しむこの状況下において、一緒に見るつもりにはなれなかった。
おそらくこの状況で彼女の処刑を望まず彼女の死を悲しんでいるのは自分だけ。
この処刑を納得していないのは自分だけ。

と……

教会の扉が開き、まず何人かの武装神官が姿を表し、処刑台までの道を確保する。
続いて数十人の王宮親衛隊が出てきて……それに覆われるようにシルフィリアが出てきた。
胸が締め付けられるようだった。
ソレと同時に民衆の声が一瞬止まる。

「アレが幻影の白孔雀?」「嘘だろ……」「いやでも……」

そのあまりの美しさと可愛らしさに民衆は息を飲んでいるのだ。
やっと慣れてきたがまさに傾国というにふさわしい美少女。だが、それよりも今までの恨みや妬みが勝ったのだろう。少しためらいがちではあったが、すぐに罵声と怒号が蘇った。
最後にエリルティアが出てきて罪状を読み上げる。
その声も裁判の民衆からの地鳴りのような声にかき消される。
そして処刑台の上にシルフィリアが挙げられ、エリルティアがその前に立つ。

「何か言い残すことは有る?」

質問に対しシルフィリアはそっと首を横に振った。




処刑が執行される。




いっそ目を背けてしまいたかった。目の前の後継にも今から行われる現実にも目を背けることが出来たならどんなに楽か。
でもここで見つめるはシルフィリア最後の姿となる。彼女と弔いになる。
国家に仕える人間として敵兵の死。泣くことすら許されない。彼女の死を歓迎し彼女の死を喜ばなければいけない。




処刑台の上でエリルティアがアルウェンを振り上げる。




もし神様とかそんなものが居るのであれば、彼女を助けてくれなんて言わない。だがせめて天国に迎え入れてあげてほしい。彼女だって被害者なのだから。
心のなかで祈るように瞳を閉じ、この思いが届くようにと切に願う。





そして……その時は訪れた。





訪れてほしく無くて無さ過ぎて、一生訪れないで欲しかった瞬間。






アルウェンが振り下ろされ、シルフィリアの身体から血が舞い散った。




処刑は執行された。



明らかに致命傷であろうとてつもない量。処刑台最前列の人間は幾ばくか返り血を浴びてしまったかもしれない。
そして、その瞬間民衆の怒号は一斉に鳴り止む。その光り輝く血液を見て。

「おい……俺たち……もしかしてとんでもないものを殺しちまったんじゃないか?」

そんな声が聞こえた気がした。
だが、エリルティアが「処刑は完遂された!」と声を上げると今度は歓喜の歓声が鳴り止まぬほどの拍手と共に打ち鳴らされた。
誰もがシルフィリアの死を歓迎した。


アリエス以外の全員が。


彼女の遺体の片付けが始まった頃、民衆をかき分けアリエスはその場を立ち去った。もしかしたら今教会に入ればシルフィリアの遺体と対面できるかもしれない。そんな気がしたから。
教会の裏門には警備員が置かれていたが、軍の関係者ということを告げると簡単に通してくれた。
大聖堂まで走る。急がないと彼女が王宮で晒されることになるから。
だが、大聖堂に着いた時には時既に遅し。野次馬の兵士たちに囲まれ、彼女の遺体を取り囲んでおりとても見えるような状況ではなかった。なんとかして見たい。そうは思ったものの、大聖堂を埋め尽くすほどの人数を押しのけることは出来なかった。

と……

肩を優しく叩かれ、振り向くとそこにはエリルティアが居た。


「エリーさん……」
「おいで……」


彼女に導かれるように別室へ。
そこにはアンティークな荷物入れが置かれていた。

「幻影の白孔雀……いいえ……シルフィリアさんがあなたにって」

シルフィリアが俺に?
なんだろう……
恐る恐る開けてみる。するとソコに入っていたのは……
一本の剣だった。

「天羽々斬(アメノハバギリ)……」

アリエスがそっとその名を口にした。
忘れるはずもない。忘れられるはずがない。世界有数の聖剣にして、シルフィリアが腰に差し、これまで多くの味方をなぎ払い、そしてつい一週間程前に戦ったばかりの刀。
そっと手に取る。特に何らかの神聖な力を感じるわけでもない。本当にただの刀に思えた。
でも……
シルフィリアが俺に……


その思いが芽生えると同時に一生懸命塞き止めていた心のタガが外れた。



「シルフィリア!!シルフィリア!!!!なんで!!なんでこんなことにいいい!!!」



エリーが気を使ってドアを閉めてくれるのを見て、心の底から思い切り声を張り上げて泣いた。大好きだった女の子の死。半分は自分が殺してしまった。
その重みを一生背負わなければならない現実。なんでこんなことになってしまったのか。それが全然わからなかった。シロンを追い求めていたはずなのに、探しだした頃にはそのシロンは既に死んでいて、その過程で出会い、惚れた女の子は自分の過失で今目の前で処刑された。

なんでこんなことに。
なんでこんなことに。
なんでこんなことに。

止めようとしても涙は瞼の静止を振りきってボロボロとこぼれ、身体に力は入らず、頭の中がぐちゃぐちゃになって泣いた。
ただただシルフィリアの残してくれたたった一つの絆。天羽々斬を抱きしめただひたすらに大声で泣き散らした。

途中通りかかったシェリルがなんの騒ぎかと驚いて入ってきたが、それに気がつくこともできず……シェリルが魔術を使って音を遮断してくれたことに気がつくこともない。
いままで塞き止めていた全てをさらけ出すようにただただ泣いた。

男としてのアリエスはそこにはなく、ただただ女々しく泣き続けた。
体裁なんて取り繕わない。白孔雀の死を喜ばなければならないムードなんて知ったことじゃない。

ただひたすらにボロ雑巾のように泣き疲れたかった。

どれぐらい泣いたかはわからない。体の水分が全てなくなった気さえする。

そんな中。涙と鼻水とヨダレでグジュグジュになった顔を袖で乱暴に拭き、アリエスはそのまま嗚咽混じりの声で後ろのシェリルに話しかけた。

「シェリー様……俺……お願いがあります…………」
「何?」

優しい優しい声がかえってきた。

「士官学校への推薦状書いてください……中退した途中から……やり直せる推薦状を……」

まだ涙が溢れてくる。だが、これだけは願わなければ……とうに釣り合ってない天秤だが、せめて一握りその天秤の針を戻したかった。
二度とこんな悲しみを繰り返さぬため。二度とこんな思いをしないために。
力、権力……それこそが今一番欲してるもの。もっと早くに手に入れていればシルフィリアを殺さずに済んだかもしれないもの。
絶対手に入れる。今度こそは!今度こそは!!誰も失いたくない!!
願いというよりは呪いに近いそれはシェリルに悪寒すら呼び起こさせるものだった。
暫しの間を開けて、シェリルは静かに言い放つ。

「あとで私の部屋に取りに来なさい……」
「ありがとうございます……」

全てを失った。だから今度こそ何も失わぬよう……何も奪われぬよう。

目に映るすべてのものを守れる力を手に入れる。

思いだけでもない。力だけでもない。地位だけでもない。必要なのはその全て。

絶対に手に入れる。そして奪い取る。

ごめんねシルフィリア……今度こそ守るからね。君の思い……絶対無駄にはしないから……

天羽々斬が折れてしまうほどに強く抱きしめ、アリエスは大きく咆哮を打ち鳴らした。




リナライト歴1893年光の月。白孔雀が処刑され、アリエスは士官学校へと駒を進める。
今度こそ何も失わぬため、すべてを守る盾となり、すべてを切り裂く剣となるため。
欲深い憧れの彼方、望むものを手に入れるために。
子供の頃に夢見た勇者のごとく、全てを救う力を手に入れるために。
目の前の哀しみに立ち向かう為に。
そのためなら……もはや……
心が砕けて無くなり……人でなくなってしまってもいい……

今度こそ、終わらない夢を見るために。








−第二部 終天の聖譚曲(しゅうてんのオラトリオ)へ続く−
 
















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2013.1.29 2:39

 総ページ数 910 ページ(原稿用紙換算)

 使用ソフト Microsoft office word 2007 & WordPad

 総文字数  360,804字


 著者 shauna
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