プロローグ



 どこか異世界めいた、白い建物があった。
 白一色ではあるが、病的なほどではない、適度に生活の臭いが感じられる建物が。
 その奥のほう――緑の多い、庭のようになっているところで、二人の少女が立ち話をしていた。

「――と、いうわけなの。本当ならわたしが直接行って、会ってみたいところなんだけど、その、ほら……」

 そこまで口にしてから、言いよどんでしまう少女。腰まであるまっすぐな髪と上品な白いワンピースが印象に残る、美しい少女である。
 彼女の心中を少なからず察し、もう一人の少女が言葉を継いだ。

「そう気軽に動ける立場でもありませんからね。大学の入学準備のこともありますし、こればかりは仕方ありませんよ」

 にっこり笑う。

「大丈夫。不肖の弟子ではありますが、このカレン・レクトアールにお任せください」

 『彼女』に向かって頭を下げると、少女のセミロングの赤髪がわずかに乱れる。彼女の年齢は、見たところ十五、六歳。もう、そういったことに無頓着でいられる期間は過ぎたのだろう、頭を上げると同時、気恥ずかしそうにその赤毛を右手で撫でつけ、整える。
 くすり、と笑みを浮かべて『彼女』はうなずいた。

「うん、よろしくね。――あ、言うまでもないとは思うけど、くれぐれも慎重に」

 しかし、ちゃんと釘を刺しておくことも忘れない。
 少々うっかり者であるカレンは、それにやや表情を引き締めた。

「はい。行動には細心の注意を払います」

 だが、その表情はすぐに解け、敬愛する『彼女』へと無邪気な瞳を向ける。

「それにしても、次から次へとよくポンポンと見つかるものですねぇ。『一九九九年七の月』の一件はなんとか回避されたっていうのに、引き続き、あちこちで小規模な事件が断続的に起こってるって感じです。はっきり言って、よくない傾向ですよ、これは」

「だよね、やっぱり……」

 カレンが何気なく口にした言葉に、『彼女』は深く、重い息をついた。

 『一九九九年七の月の件』、それは端的に言ってしまえば『神々の計画』のひとつである。一般的には『天国』と呼ばれている世界――『階層世界』に住まう高位の存在たちが考え出した『案』。
 そのひとつに、『一九九九年あたりに、西洋の文明を一部、滅亡させたほうがよい』というものがあった。

 幸い、西洋でも清き心を持ち、懸命に生きている人間は多いと判断され、また、この物質界にすでに生まれていた『救世主』の働きもあったおかげで、結果、その『計画』は一度白紙に戻されたのだが、物質界側の現状がこれでは、そういった類の『計画』がいつ、また唱えられるか、正直、わかったものではなかった。
 ただでさえ、『この『計画』は神々の実在を信じない者たち――唯物論者を物質界から退場させられることと、神の実在を多少なりとも示せることから、相応に効果的』と一定の支持を受けており、すぐ実行に移すべきと主張している者もいるというのに……。

「カレンにも苦労をかけるね。あなたにだって、階層世界での仕事があるのに」

「いえいえ、そんな! 気にしないでください。私なんていなくても大丈夫、なんて言うつもりはありませんが、少しの間ならなんとでもなりますよ」

 カレンは階層世界側の――現時点において、物質界には肉体を持たない――存在だ。本来は『階層世界』にある第六階層世界で天使としての仕事をしているのだが、今日、『彼女』に呼ばれて物質界にやってきた次第である。
 当然、実年齢が十五、六歳ということもない。この容姿は、あくまで彼女が過去、物質界に肉体を持ったときの中から最も気に入ったものを自分の力で再現しているだけなのだ。

 対する『彼女』のほうは、正真正銘、高校を卒業したての十八歳である。まあ、全体的にあどけなさが残っているせいで、実年齢よりも若く見られがちではあるが。
 しかし、だから『彼女』はどこにでもいるような普通の少女なのだ、と言うことはできない。というのも、『彼女』は第九階層世界に住まう、世界に十人しかいない『偉大なる神々』の一人が物質界に生まれでた存在――『目覚めたるもの』だからである。……正確には『本体』ではなく、その『分身』が地上に生まれでた存在、ではあるのだが。

「じゃあ、カレン。気をつけてね」

「はい。それでは行って参ります!」

 元気な返事をひとつ、残して。
 霊体であるカレンは、なにひとつ音を立てずに虚空へと溶け消えていった。

「――本当に、何事も起こらないといいんだけど……」

 心配そうな『彼女』の声を置き去りにして――。



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