黒と赤のバラード
――絶対に守れるとは言えないけれど、それでもやっぱり、『約束』は果たすためにあると思うから――
―1―
「それじゃあ、この絵の具チューブを」
『名詠式(めいえいしき)』を学ぶ専門校、トレミア・アカデミーの敷地内にあるショッピングエリア。そこにある一軒の雑貨屋にて、わたし――クルーエル・ソフィネットは赤い絵の具のチューブを手にして、この店の看板娘であるイヴェラ・カフィーロさんに示してみせた。
「毎度あり〜。でもまた絵の具チューブ? たまにはイミテーション・ルビーでも買っていってよ」
年齢は確か19だっただろうか。赤い髪を肩の辺りで揃えた活発そうな、いや、事実活発な女性――イヴェラさんは苦笑混じりにそんな無茶な注文をしてくる。まあ、もちろん本気ではないだろうけど。
「冗談。いくら本腰を入れてやることにしたからって、練習用にそんな高価な触媒(カタリスト)を使えるわけないでしょ」
「普段から同じ触媒を使うようにしていないと、いざというときに失敗しちゃうかもよ?」
……ああ言えばこう言う、というのはこんなときに使う言葉なのだろうな、なんてふと思う。もっとも、そんなわたしの心のうちなんて彼女が知るはずもなく。
「あ〜あ、競演会(コンクール)のときはイミテーション・ルビーの指輪を触媒に使ったって聞いたのに――」
「あれは別にここで買ったものじゃないでしょ」
「ああ、イミテーション・ルビーを当たり前に触媒として使っていたクルーエルは一体どこに……」
「いや、そんなことはしたことないって。あれは年に一度の競演会だからやったのよ」
さすがに呆れて、わたしはひとつため息をつく。ちなみに『触媒(カタリスト)』とは『名詠式』に必要とされる、その名が表すとおりの『触媒(しょくばい)』だ。じゃあその『名詠式』とはなんなのかというと、一言で言ってしまえば『自分の想い描くものを招き寄せる転送術』のこと。
もっとも、想い描けるものならなんでも招き寄せることができるなんて、便利なものであるわけは当然なく、タンポポを招き寄せるなら黄色いものを、野草を招き寄せるなら緑色のものを代替物質――つまり触媒として用意する必要がある。
そして、現在名詠式として確立している名詠色は『Keinez(赤)』・『Ruguz(青)』・『Surisuz(黄)』・『Beorc(緑)』・『Arzus(白)』の五色のみ。いや、正確にはもう一色あるとも言えるんだけど、『あれ』は使える人間が限りなくゼロに近いうえ、申請もしていないため、その存在は正式に認められてはいない。
でもって、その『五色』しか確立されていない以上、それ以外の色を触媒とするものを招き寄せることは当然不可能。また、可能性を狭めるようで悪いけど、基本的にこの『五色』の理論体系はまったく別のもので、すべてを修得するのは絵空事だと言われている。まあ、名詠色に『六色目』が存在するように、例外はやはりあるわけだけど。
ああ、ちょっと話が逸れちゃった……。それで、この触媒というものは一回限りの使い捨て。いや、別に消滅してしまうわけではないのだけれど、触媒としての効果はそれを使用して一度名詠をすれば失われてしまう。それはどんなに効果の高い触媒でも変わらない。
また、効果の高さに比例して、触媒は使うのも難しくなってくる。だからイヴェラさんの言う『失敗しちゃうかも』というのもあながち間違ってはいないのだけれど、だからって比較的高価なイミテーション・ルビーを触媒としていくつも常備しておくなんて、まだ学生の身分のわたしにはちょっと金銭面的に、ねぇ……。
「ねぇ〜。本当に絵の具のチューブだけでいいの〜? イミテーション・ルビーは要らないの〜?」
イヴェラさんは案外しつこかった。というか、もしかして本気で売ろうとしてる?
「いいって。絵の具が一番使い慣れてるし、もっとも使いやすくもあるんだから」
イヴェラさんはわたしのやんわりとした、けれど確かな拒絶の意志を込めた返答を聞くと、諦めきれないのかイミテーション・ルビーがはまった指輪をボンヤリと見つめてため息をついた。はて? 彼女、ここまでしつこかったかな?
「ああ、そういえばさ。クルーエル」
さすがにわたしが怪訝な表情をしだしたところで、違う話題を振ってくるイヴェラさん。
「今年度、トレミア・アカデミーに新しい教師が来ただろ? アーチ・サリンジャーって22歳の新人」
「――ああ、あのメガネの先生ね。でもイヴェラさん、なんで年齢まで知ってるの?」
「アイツとは幼馴染なうえ、三年くらい前に結婚の約束をしたこともあってね。――で、教師にしちゃあ見事に頼りにならないヤツだろ?」
「う〜ん……」
わたしはさすがにうなった。そのアーチ先生本人と一緒にいるときにこう尋ねられれば『そんなことないですよ』とすぐさま返すだろうけど、実際、頼りなく見えるときも多かったりするものだから……。
というのも、アーチ先生はわたしと同じ赤色名詠士で、だからこそちょっとしたヘマをしてしまったときにわかってしまう、というか……。いや、決して悪い先生じゃないんだけどね。むしろ生徒には好かれているほうだといえるし。
――いや、そんなことよりも。
「結婚の約束!? イヴェラさんとアーチ先生が!?」
「似合わないだろ? 私みたいな暴力女が『結婚』だなんて。まあもっとも、アイツはそんな昔のことすっかり忘れちゃってるようだけど。いや、あるいは忘れたフリしてるのかな」
「アーチ先生、そんな人じゃなかったと思うけど……」
むしろ、『約束は出来る限り守る』というタイプの人だ。そして『出来ないことは約束しない』という人だというわけでもない。たとえ守れそうにない約束であっても守ろうと努力する、そんな感じの人。
しかしイヴェラさんは違う感想を持っているらしかった。まあ、アーチ先生と幼馴染だというだけあって、あの先生の性格は熟知しているのだろう。
「でもさ、クルーエル。アイツは『僕がトレミア・アカデミーの教師になれたら結婚してくれ』って言ってたんだよ。それなのにアイツがトレミアの教師になってからもう半年くらい経つし。これじゃあ約束のことを意識しっ放しの私がバカに思えてくるじゃないか」
「意識、してるんだ?」
さっきまでの反撃の意味合いも込めて、わたしはちょっと意地悪く訊いてみた。すると予想したとおり、イヴェラさんはしどろもどろになって弁解してくる。
「――うっ……、いや、ほら、なんていうか……、『考えておいてやるよ』なんて返事した手前、それを気にせずにいることなんて、普通、できないだろ?」
そんな返事をしたのなら、確かにそうかもしれない。いや、むしろいまの状況じゃ逢うだけだって、難しいんじゃ……。……あれ? もしかして……。
「イヴェラさん、もしかしてアーチ先生とは――」
そう口を開いたときだった。
「おーい、クルル。もう買い物すんだー?」
「――ええと、遅くなってすみません、クルーエルさん」
わたしのいるところから少し遠目の位置で買い物をしていた一組の男女がこちらに向かってやってくる。
ひとりは金色のショートボブとモスグリーンの瞳が印象的な、わたしと同じ16歳の少女、ミオ・レンティア。まあ、小柄で幼い雰囲気から実年齢よりもひとつかふたつ幼く見えるけれど。
もうひとりは深い紫色の瞳をした、白蒼(よあけ)色のローブを身にまとっている幼い少年、ネイト・イェレミーアス。
二人ともわたしと同じくトレミア・アカデミーで名詠式を学ぶ友人だ。もちろん同級生。もっとも、ネイトはわたしやミオと同い年ということはなく、まだ13歳で、その年齢相応のあどけなさを持っている。ちなみに、トレミアで名詠式を学ぶのに年齢制限は存在しない。しかしそれでも、やっぱりネイトは学園で最年少の生徒であり、珍しいことに変わりはない。
それで二人の学んでいる『専攻色』は、ミオはなんの変哲もない『緑』なんだけど、ネイトはちょっと特殊で、先ほど述べた申請されていない六色目の『名詠色』、『Ezel(夜色)』だったりする。
そんな彼が両腕からぶら下げているのは大きな買い物袋。中にはおそらく、名詠に使う触媒がぎっしり、といったところかな。
買い物袋を危うく落としそうになっているネイトを横目で見て、イヴェラさんはもはやお決まりとなっているからかい文句を小さくささやいてきた。
「おっ。クルーエルの彼氏の登場だ」
彼女の視界には、ネイトの隣にいるミオの姿は入っていないらしい。
わたしとしては最初の頃こそそのからかいに気恥ずかしい思いをしたものだけど、最近はすっかり決まった言葉を返している。
「だからそういうんじゃないって、わたしとネイトは。――大体、歳が離れてるでしょ。歳が」
いつものイヴェラさんだったらここで快活に笑って終わるのだけれど、しかし、今日はそうはならなかった。
「たった3歳しか違わないじゃない。そりゃ13と16じゃ離れてると感じるかもしれないけど、あと6年も経てば別におかしくもなんともないよ」
あまりに真面目な表情で言ってくるので、つい気圧されてしまう。そして、気づいた。イヴェラさんとアーチ先生も3歳差なんだ。19歳と22歳。確かにそれなら不自然には感じない。
それから、『ああ、なるほど』と思い当たる。イヴェラさんはきっと、ずっとわたしとネイトに自分とアーチ先生の関係を重ねていたんだ、と。
しかしそれに気づけたところで、わたしに出来ることはこれといってない。強いてあるとすれば――。
わたしたちは買い物を済ませると、イヴェラさんと一言二言言葉を交わし、学園の寮へとその足を向けた。そして、そこでまた気づく。いや、思い出すといったほうが正しいかもしれない。
――そういえばイヴェラさん、あのイミテーション・ルビーがはまった指輪を見て、なんかため息ついてたな。あれはやっぱり、アーチ先生との『約束』を思い出して……?
―2―
翌日。何度かネイトと名詠の練習をしたことのあるトレミア・アカデミー内の広場。
「――それじゃあ、やっぱり先生になってからは逢ってないんですか? イヴェラさんと」
昨日買った触媒(カタリスト)を使って、早速名詠の練習をすることになり、ミオとネイトがやってくるのを待っていたところ、たまたまここにやってきたメガネをかけた痩せ気味の教師――アーチ・サリンジャー先生を捕まえて(なんでも男子寮に向かう途中だったらしい)、わたしはそのことを確認していた。イヴェラさんのためにわたしが出来ることがあるとすれば、これしかないと思っていたから。……いや、それは違うかもしれない。ただ単にわたしが確認しておきたかっただけだ。イヴェラさんのためだなんてことは、きっとない。それは言い訳にすぎない。
苦笑混じりに黒い髪をぽりぽりと自信なさげに掻くアーチ先生。こ、ここで自信なさげにされても……。
「う〜ん……、まあ、教師になってからでも学ぶことは多くてね。いや、むしろなってからのほうが多いかもしれないな。だから、逢いには行けてない、かな……」
「……『かな』って……。イヴェラさん、寂しがってますよ。間違いなく」
「そう、かな……?」
「そうですよ。もっと自信持ってください」
「いや、持てと言われて『はい、そうですか』と持てるものじゃないと思うよ? 自信って」
その言葉にわたしはつい声を荒げそうになった。しかし、わたしが口を開く前に「それにね」と先生は続けてきた。
「トレミア・アカデミーの教師になってから彼女に逢うってことは、つまり、なにを意味すると思う?」
「それはもちろん……」
あの『約束』がある以上、ただ雑談だけをする、というわけにはいかないだろう。逢ったときはすなわち、プロポーズするときとなる。
アーチ先生はわたしが特になにも言わなくても、表情を見てわたしの考えたことを悟ったらしい。
「つまりは、そういうことだよ。僕にはまだ、その覚悟がない。情けない話だけど、そのときになったら言えるかどうか、とても自信が持てないんだ。僕には洒落たセリフも思いつかないし、洒落たセリフなんて、彼女には笑い飛ばされそうだし……」
「…………」
うなだれた先生を見て、わたしも黙り込む。さすがにこれでは『気楽な気持ちで逢え』なんて言えるわけがない。
「練習は、もちろん何度となくしたんだけどね。……壁とかに向かって。でも、本人を目の前にすると、とても言える気がしなくなって……」
ん? それってつまり……。
「それって、イヴェラさんのところに逢いに行こうとはしたってことですよね? アーチ先生」
「うん。この半年間、何度もね。でも彼女を見ると、こう、胸が詰まって、いつの間にか逃げるようにここに戻ってきちゃってるんだ……」
ああ、つまりアーチ先生には約束を破るつもり、ないんだ。――あ、でも……。
「あの、アーチ先生。ちょっと酷なことを言いますけど……」
「うん? なんだい?」
「イヴェラさんは、アーチ先生が約束を破ったって思ってましたよ」
「――うっ……。まあ、そうなるんだろうね、彼女の中では……。なんの音沙汰もない相手を信じ続けるのは大変なことだし……」
アーチ先生はイヴェラさんとそっくりの呻きを洩らし、がっくりと落ち込んでしまった。
それにしても、これはかなり難しい問題かもしれない。仮にアーチ先生がイヴェラさんと顔を合わせられたとしても、アーチ先生のことだから、かなりの高確率でどもりそうだ。そしてアーチ先生がどもろうものなら、あの性格のイヴェラさんは約束を破られたと思っていることもあって、きっとアーチ先生に対してケンカ腰になるに違いない。
そんなことになったら、プロポーズなんて出来る雰囲気じゃなくなるだろう。つまりアーチ先生がどもったら、そこでプロポーズはアウト。感動の再会となるべき場面も修羅場と化すに違いない。
さて、じゃあどうするべきか。……いや、もうなんとなく解決案は見えてるんだけどね。ただ個人的な感情から、それを口に出せないだけで。
う〜ん、でもわたしから首を突っ込んだことだしなぁ……。話だけ聞いて「じゃあ、あとは頑張ってください」というのは、ちょっと無責任だろう。……まあ、乗りかかった船ともいえるし。……よし。
わたしは意を決してアーチ先生に提案してみた。
「要はプロポーズがちゃんとできるって自信を『ある程度』でいいから持てればいいんですよね。それで、壁とかじゃなくて、ちゃんと人間を相手にプロポーズできるようになれば、あとは少しの勇気でイヴェラさんに話しかけることくらいは出来るようになりますよね。きっと」
「でもそれは、練習相手になってもらう人に迷惑がかかっちゃうから。それに僕自身、そういうことを他人に頼める人間じゃないしね……」
いい案であることは認めるけれど、というニュアンスを含んだその言葉に、わたしは大きくうなずいてみせる。
「大丈夫。わたしが練習相手になりますから。わたしに迷惑がかかるから駄目だっていうなら、わたしのほうだって先生の迷惑を顧(かえり)みずに余計なお節介をやいてるんですから、お互い様ですよ」
――そんな感じで、この日からアーチ先生のイヴェラさんへプロポーズする練習が始まった。
―3―
「ちょっと準備に手間取っちゃいましたね、ミオさん。クルーエルさんのこと、すっかり待たせちゃって……」
今日使う触媒(カタリスト)をいくつか選んでいるうちにすっかり遅くなってしまった。今日はクルーエルさんが場所を取っておいてくれることになっていて、それで遅れるというのはやっぱり僕としては申し訳なく思う。もっともミオさんは、
「大丈夫、大丈夫。ネイト君がいるんだから、クルル、問題なく許してくれるよ」
なんて、気楽な調子だけれど……。
走り続けること数分。背の低い木立の向こう側に、腰まである長い髪を風に揺らす女性の姿が見えてきた。髪の色は鮮やかな緋色。――クルーエルさんだ。なぜかワクワクしてくる。クラスメイトの人を見つけたときとはまた違う、特殊な高揚感。
「クル――」
もう少しで広場に着くというところで、かけようとした声をとっさに飲み込んだ。クルーエルさんはこちらに背を向けており、その彼女と真剣な表情で向かい合っているのは――
「ありゃ? あれってアーチ先生?」
ミオさんの言うとおり、それはアーチ・サリンジャー先生だった。このトレミア・アカデミーで赤色名詠を教える、ハイスクール一年生の先生。そして、これはクルーエルさんとイヴェラさんの話してることをミオさんと立ち聞きしたことだから、あまり声を大にしては言えないけれど、イヴェラさんと結婚の約束をしたという人。
「なんでまた、こんなところに……? いや、居てもおかしくはないけどさ。先生だし」
ミオさんがそう呟いたと同時、アーチ先生が震える声で、けれど強い意志を込めた瞳をクルーエルさんに向けて、
「ぼ、ぼぼぼ……、僕はあな……あなあな、あなたとずっといっ、一緒に……いたいです!」
『!?』
その言葉に思わず顔を見合わせる僕とミオさん。……え? そんなのおかしいよ。だって、アーチ先生はイヴェラさんと結婚する約束をしてて……。でも、じゃあなんでそのことをクルーエルさんに言って……?
「もしかして、アーチ先生、イヴェラさんからクルルに乗り換えちゃった? まあ、年齢的にはそこまでおかしいことでもないとは思うけど――」
呆気にとられた感じのミオさんの呟きを聞くのさえ、いまの僕には苦痛で。だからなのか、僕はミオさんの呟きの途中でクルーエルさんたちのほうに背を向けて走り出していた。
胸のうちには、苛立ちとも、悲しみともつかないものが湧き上がってきていた――。
「ふうん、なるほどねぇ……」
昨日、クルーエルさんやミオさんと買い物に来た雑貨屋。僕はあのあとここに走ってきて、イヴェラさんに今日見たことを話していた。なぜか、そうしなければ気が済まない気分だったから。苦りきったイヴェラさんの声を聞いた途端、悪いことをしちゃったな、という思いが込み上げてきたけれど。
そんな僕の顔を見て、イヴェラさんが優しく声をかけてきてくれた。
「――ああ、別にネイトが気にすることはないよ。あの二人がってのは、まあ、意外ではあったけどさ。でも年齢的にはそこまでおかしいってものでもないし。問題は――教師と生徒だから、ある気はするけど、それでも、そういうことになったっていうのは、ある意味すごく自然な展開だしね」
「自然、ですか……?」
自嘲的な響きを声に込めるイヴェラさんに、僕はオウム返しにそう問う。
「そう、自然さ。これならアイツがトレミアの教師になっても私に逢いに来なかったのも納得がいくだろう?」
確かに、それはそうだ。でも、理性ではそう理解できても、感情は納得しなかった。納得なんて、いかなかった。
僕が沈んだ表情をしていると、イヴェラさんはからかうように言葉を続けてくる。
「でも出来れば、盗み聞きをしていた侘びくらいはしてもらいたいもんだね。なんだかんだ言ってこれ、ものすご〜く私のプライベートなことだからさ」
そう言われてみればそうだった。僕はなんでそんなことにも気づかなかったんだろう。
「あ、あの、本当にすみません……」
「はい、どうも。――じゃあ、これでこの話は終わりだ。お互いに、ね」
そう言っていつもよりも少し元気なく、それでも快活に笑うイヴェラさん。――でも、本当にそれで終わりにしていいのだろうか。少なくとも、僕は――
「――あ〜、まあ、ネイトには悪いことしちゃったね。まったく、あのバカは……」
「? 悪いことって、なんです?」
「ああ、いや、わからないんだったらいいんだよ。わからないんだったら、ね」
「……はあ、そうですか」
要領を得ないうちにこの話は終わりということになった。なんだか、胸に引っかかるものはあるけれど、それがなんなのかわからない以上、考えても仕方のないことなのだろう。――きっと。
―4―
「だからアーチ先生、どもっちゃ駄目ですって……」
練習を始めてから数日が経った。初めの頃に比べればだいぶどもらなくなってはきたのだけれど、本番では一回もどもらずにやる必要がある。これは、まだまだ時間がかかりそうだなぁ……。
「ごめんごめん、クルーエル君。やっぱり緊張しちゃって……」
「……まあ、気持ちはわかりますけどね。それじゃあもう一回!」
「う、うん……。ええと……、こほん。――この先の道を、僕とずっと一緒に歩いていってくれな、ないか」
「惜しい! あともう少し!」
「こ、この先の――」
「いきなりどもってどうするんですか! もう一回!」
「……クルーエル君、少し、休まないかい?」
「なに言ってるんですか! 残された時間は決して多くはないんですよ!」
「……いや、これには特に『いつまで』っていう期限はなかった気がするんだけど……」
「時間が経てば経つほど、イヴェラさんの『約束を破られた』って思い込んじゃう時間が長くなるんですよ! それはイヴェラさんを意固地にさせるきっかけにもなるんです!」
「ああ、そういうものか……」
どこか感心したように嘆息交じりに洩らすアーチ先生。それから、
「でも実際、同じセリフばかり繰り返しているものだから、自分がなにを言ってるのかよくわからなくなってきてるんだよ。本当にちょっと休ませて、クルーエル君」
う〜ん、まあ、それじゃ仕方ないか……。
芝生に座り込んだアーチ先生を一瞥し、わたしは辺りを少し見回してみた。すると視界に入ってきたのはミオとネイトの姿。
「あっ、ミオ! ネイト!」
大きく手を振って出迎える。するとネイトはミオに一言二言話しかけ、……なぜか寮のほうへと走っていってしまった。……一体どうしたんだろう?
「ミオ。ネイト、一体どうしたの?」
一人でこちらにやってきたミオにそう尋ねてみると、返ってきたのは呆れの込もった嘆息と、ちょっとばかり非難の込もった声。
「クルル。二人でいるところを見せつけておいて、それはないと思うなぁ……」
「は? 見せつけるって、なにを……?」
ミオはわたしの言葉に更に嘆息し、
「じゃあ訊くけど、クルルはここでアーチ先生となにしてた?」
「なにって、アーチ先生のプロポーズの練習」
別に後ろめたいことをやっていたわけではないので、あっさりと答える。しかしそれにミオはあんぐりと口を開けた。
「プロポーズの練習? え? クルル、アーチ先生と――その、つきあってたんじゃなかったの!?」
「はあ? なによそれ!?」
今度はわたしがあんぐりと口を開ける番だった。……えっと、もしかしてミオにすごい誤解されてる?
開いた口がふさがらない状態のわたしを見て、ミオは頭を抱え、なにやら呟きだした。
「あっちゃあ……。ネイト君の誤解も解かないとマズいなぁ……」
「なに!? ネイトまで誤解してるの!?」
あ、それでさっきネイト、寮に戻っていっちゃった? それって、もしかして……嫉妬?
……いやいや、いまはそんなこと考えてる場合じゃない。ミオの言うとおり、ネイトの誤解も解かないと! それにはやっぱり適任は……。
「ミオ! ネイトに事情を説明してくれない!?」
なんだかんだ言って、ここぞというときにもっとも機転が利くのはミオだ。わたしよりもずっと上手く事情を説明してくれるはず。
しかし、頼りのミオはそのわたしの頼みをきっぱりと拒否した。
「それは駄目。こういう誤解はね、クルル自身が解かないと意味がないよ」
「なんでよ!?」
本気で切羽詰ってるわたしには、ミオの言葉は意地悪にしか聞こえない。するとミオは、まるでわたしに教え諭すように続けてきた。
「誰かに頼んで誤解を解いても、きっとまた別のときに誤解されるよ。誤解されないように理解を深めたいなら、ちゃんと当事者同士が話をしないと」
ある意味、ミオも当事者のような気がするのだけれど、彼女の真剣な瞳を見ていると、それを口にするのはためらわれた。
「わかった。ちゃんとわたしがネイトと話をするわよ」
もっとも、そのネイトがわたしを避けているようだから、今日、明日に誤解を解くというのは難しそうだけれど。それにアーチ先生のことだってまだ解決していない。……はあ、前途多難っぽいなぁ……。
結局、ネイトと話をする機会を得られずに三日のときが過ぎた。……ネイト、わたしのこと正直、ちょっと避けすぎだよ。頑固、というのはああいうのを言うのかなぁ……。
わたしはここ三日間ですっかりため息が多くなった。唯一の救いはミオの誤解は解けていることだろうか。ネイトがあまりにわたしを避けるものだから、最近は同情気味に『やっぱりあたしが誤解を解こうか?』とまで言ってくれるようになったし。
まあ、そう言ってくれるミオに毎回『わたしが解かないと意味がないから』と返してるわたしもネイトに負けず劣らず頑固だけど。
いまはアーチ先生と一緒に雑貨屋に向かっている。この先生としょっちゅう一緒にいるのもネイトの誤解を煽っているのだろう。でも練習がある以上、これは仕方がないことだし。それに、どんな形であれアーチ先生の問題は今日で解決する。ネイトの誤解はそのあと解けばいいだろう。
ちなみにミオには出来るだけネイトと一緒に行動してもらうよう頼んである。そうしないとあの子は本当に学園内で孤立しかねない気がするから。
――さて、雑貨屋が見えてきた。もうそろそろ目の前の問題に目を向けないと。
―5―
「――ねえ、ネイト君。ここ何日か元気ないけど……、自分で自覚ある?」
触媒(カタリスト)の買い出しのために雑貨屋に行く途中、隣を歩くミオさんのその声に僕は顔を横に向けた。視界に入ってくる彼女の心配げな表情。
「……ええ、まあ」
もちろんそのくらいの自覚はある。ただ僕のこれは沈んでいるというよりも、考えごとをしているだけだから……。いや、違うか。やっぱり沈んでるのかもしれない。考えた末に、沈み込んでいるのかもしれない。いくら考えても、自分の望む答えが見つからないから……。
「ネイト君。なにか悩んでるなら、あたしにちょっと相談してみたら? そりゃ、それで悩みが解決するとは言い切れないけど、ちょっとは楽になると思うよ?」
「そうかもしれませんね。……えっと、僕が元気ないっていうのは多分――」
数日前にイヴェラさんと話したときから、僕の中にはずっと引っかかっているものがあった。それは『なんでアーチ先生は約束を守ろうとしないんだろう』という疑問。
あるいは、僕が『約束』という言葉にこだわりすぎているだけのかもしれないけれど。――だって、僕には母さんとの『約束』があるから。五色の名詠式すべてを使いこなす虹色名詠士――カインツ・アーウィンケルさんに『夜色名詠』を見せるという『約束』が。
競演会(コンクール)のときに見せることができたといえばできたのだろうけど、あれは、なんか違う気がしていて。僕の力で名詠したものでは、なかった気がして。だから僕は、『夜色名詠』をもっと練習して、本当のそれを――『僕の詠う僕の名詠』を彼に見せたかった。それが本当の意味で、母さんとの約束を果たすということだと思った。
でも、母さんはもしかしたら、あの命詠で約束は果たされたと受け取るかもしれない。――あ、もちろん、母さんが生きていたら、の話だけど。
それに、死んだ人との約束は、もうほとんど一方的なものなんだ。仮に僕が母さんとの約束を果たすことを諦めたとしても、それは母さんにはわからないことなんだ。
僕と母さんの『約束』はそういう、自己満足性の強いものなんだ、と思い至った瞬間、わからなくなった。約束を果たすべき相手がすぐ逢えるところにいるのに約束を果たす意志を持っていないようなアーチ先生は一体なにを思っているのか、わからなくなった。
なんで『約束』が守るべきものなのかも、わからなくなった。
クルーエルさんがアーチ先生といるのを見ていたら、イヴェラさんがどこか辛そうに笑うのを見ていたら――、わからなくなった。
そして、人の心って、そんなあっさりと変わってしまうものなのかって、そう、思った。
僕の疑問を聞き終えると、ミオさんは難しそうに眉根を寄せ、言う。
「……まあ、そういう価値観って、結局個人の問題だからね……。どんな心変わりをしたとしても、責められはしない、かな……」
「――ですよね……」
「それにしても――、そっかぁ……。ネイト君、誤解していたわけじゃなかったんだ……」
「? 誤解? なにをです?」
尋ねると、ミオさんはどこか焦ったように両の手をぶんぶんと降った。
「ああ、なんでもない、なんでもない。――あ、でもさ、ネイト君。じゃあなんでここ数日クルルのこと避けてたの?」
「それは……」
僕は少し口ごもる。その理由は、僕にもよくわからなかったから。もちろん意識的に避けてはいたのだけれど、どうしてそうするのか、なんて考えていなかった。だから、こう答えるしかない。
「――なんとなく、です……」
「……ふぅん。なんとなく、かぁ。――でも実際、クルルを避ける必要は、ないはずだよね」
「それは――そうです……」
「クルル、ちょっと寂しそうだったよ? まあ、あんまり表には出さないけど。――ネイト君がここに来てからクルルとはずっと一緒にいたでしょ? でも今度はずっと避けてるって、なんか、気まずいと思うんだよね。お互いにとって」
「……そうですね」
確かに、僕はトレミア・アカデミーにやって来てから、ずっとクルーエルさんと一緒にいた。それはもちろんミオさんも同じなんだけど、もっとこう、なんというか、精神的な意味合いで常にすぐ傍にいた。この白蒼(よあけ)色のローブもクルーエルさんにもらったものだし。まあ、それだけにクルーエルさんには迷惑をかけることも多かったわけだけど。
――ああ、そうか。
唐突に気づいた。どうして僕はクルーエルさんを避けていたのか。ずっと一緒にいたのに、アーチ先生とよく一緒にいるようになってからは避けるようになってしまったのか。
それは、いつも一緒にいたからこそ。きっと……、きっと僕は、アーチ先生にクルーエルさんを取られたと思っていて、きっと、それが面白くなかったんだ――。
ちょっと気が楽になってうつむき気味だった顔を上げると、そこには雑貨屋と――、なぜかクルーエルさんに引っ張られてるアーチ先生の姿。
途端、逃げ出したい衝動が襲ってきたけれど、僕は意を決して二人に声をかけた。
「クルーエルさん! アーチ先生!」
―6―
正直、ここまでとは思わなかった。まさか――、まさか、雑貨屋が見えてきた途端にアーチ先生が逃げ出そうとするとは。いや、予想してしかるべきだったのかもしれないけれど……。
「先生! しっかりしてください! もう目の前なんですよ!」
「いや、だからこそ逃げ出したくなったんだけど……」
「もう! 情けないことばかり言ってないでください!」
憤然としてアーチ先生の服を引っ張る。そんなわたしに負けじと踏ん張る先生。――と、そこに、
「クルーエルさん! アーチ先生!」
耳を打つ、すっかり聞き慣れた男の子の、わたしを呼ぶ声。でもそれは久しく聞いていないものでもあって。結果、わたしは思わずアーチ先生の服から手を放す。当然よろける先生。しかしわたしはそれにかまうことなく、男の子に声を返した。
「ネイト!」
走り寄って、誤解を解こうと口を開く――前に。勢いよくわたしに頭を下げてくるネイト。
「クルーエルさん、すみません。僕、ここのところずっとクルーエルさんのことを避けてて……」
呆然として声を出せずにいるわたしに、ネイトはかまわず続けてくる。
「その……、クルーエルさんは、僕がここに来たときからずっと一緒にいてくれて……。えっと、それは物理的な距離だけじゃなくて、精神的にも……。だから、僕、クルーエルさんがアーチ先生と楽しそうにしているのが、なんだか、面白くなくて……」
……えっと、それって、もしかして……?
自然と胸が高鳴った。動悸が早くなって、顔も火が出そうなほどに熱くなる。
そんなわたしが目に入ってないかのように、ネイトは先を続けた。どこか、しゅんとした声音で。
「でも、それっていけないことですよね……。友達は独り占めするものじゃ、ないですよね……」
……え? 友達? ……あ、うん。それはそうか。というか、わたしは一体なにを考えていたのだろう。どんな言葉を期待していたのだろう。……別の意味で恥ずかしくなって、穴があったら入りたくなった。いや、なくても掘って入りたい。
「へぇ〜、友達、ねぇ」
気づくと、ネイトの隣に並んでいたミオが、からかうような声音でそんなことを呟いていた。もっともそれはわたしにではなく、ネイトに向けられたもののようだけど。
「ええ、友達……、ですよね?」
「……まあ、ネイト君がそう言うならそういうことでいいけどね。――よかったね、クルル。誤解はされてなかったみたいだよ。まあ、問題が先送りになっただけと言えなくもないけど」
わたしはそのミオの言葉に乾いた笑いを返した。それくらいしか、できることはなかった。
「――さて」
ネイトとの問題が解決したところで、仕切りなおすように気合いを入れる。わたしたち三人がいま立っているのは雑貨屋の入り口。アーチ先生は三人がかりでここまで引っ張ってきた。で、その先生はもう覚悟を決めたらしく、逃げ出そうとするそぶりはまったくない。これがイヴェラさんと逢っても変わらないといいんだけど……。
ネイトにイヴェラさんを呼びに行ってもらい、待つこと数分。……って、ちょっと遅いような。ともあれ、数分してイヴェラさんは店の入り口までやってきた。ただしその目には明らかな敵意の色がある。それを向けられているのはアーチ先生と、……わたし!?
「おや、アーチじゃないか。彼女同伴で、いまさら私になんの用だい?」
彼女同伴? あ、まさか……、
「イヴェラさんまで誤解してる!?」
向けられる視線を見るに、どうもそうらしい。……ああ、これはまた厄介なことに……。もしかして、ネイトに呼びに行かせるんじゃなかった? いやいや、その前から誤解してたっていう可能性も充分あるし……。
とりあえず誤解を解かないと。そう思ったわたしが口を開く前に、アーチ先生が足を前に踏み出し、イヴェラさんと向き合った。どうやら本当に覚悟を決めているらしい。しかし……、
「イヴェラ……、こ、この先の道をぼ、ぼぼ、僕と……」
どもった! いきなりどもった! しかも普通、こういう雰囲気のときにいきなりその『用意しておいたセリフ』を言う!? もう少し空気ってものを読まないと!
案の定、イヴェラさんは剣呑な視線を今度はアーチ先生のみに向ける。わたしの存在は彼女の怒りの対象から外れたようで一安心。……いやいや、安心してる場合じゃないって。
「言いたいことがあるなら、はっきり言いな!」
「だ、だから僕は……」
オドオドとそう呟いた先生は、しかし、言葉で彼女をどうにかするのは不可能とでも思ったのか、心を落ち着けるようにひとつ息をついて、ポケットから一輪のバラを差し出した。
どこか毒気を抜かれたような、けれど明らかに呆れた目をするイヴェラさん。
「――柄にもないことを……」
正直、わたしもそう思う。
しかし、嘆息交じりのイヴェラさんの言葉を聞いても先生はそのバラを引っ込めようとはしなかった。彼女に言葉を返す代わりに、その口から名詠に必要不可欠な歌――<賛来歌(オラトリオ)>が紡がれる。
「――深緋の鐘 鳴り響く」
<賛来歌(オラトリオ)>――。それは呼び出したいと望むものを呼び招く際に用いられる、セラフェノ音語による賛美歌だ。これを歌うことによって名詠門(チャネル)を緩め、開放を誘う。
彼方(あなた)の名前を讃えます
紅く 鋭く 輝かしい
アーチ先生の手にあるバラが紅く輝きだす――。
揺らぐことなく在(あ)り続ける紅き約束(ちかい)の欠片
彼方へと紡ぐ詠 わたしの想い重ねて演(おど)れ
世界があなたを望むのならば……
さあ 生まれ落ちた子よ
「彼方は貴女となれ――約束(ちかい)の欠片 集う者」
バラから生まれ出ていた紅い光が、まばゆく砕け散る。それはすなわち、名詠門(チャネル)の完全開放を示していた。
――『Keinez(赤の歌)』――
砕け散った光が消滅する。そして、空っぽだったアーチ先生の左手の中には――
「――婚約……指輪?」
イヴェラさんがぽつりと呟いたとおり、そこには大きなルビーのはまった婚約指輪があった。ルビーはもちろんイミテーションなどではなく、細工も相当細かく施されている。
これは想像構築(イマジネイト)がかなり難しかっただろうと思われたが、それはわたしの基準で考えたからで、実際、トレミアの教師である彼からしてみればそれほど難しい名詠ではなかったのかもしれない。どれだけ難しく見積もってみても第三音階名詠(プライムアリア)の名詠といったところだろうか。
イヴェラさんが独り言を呟くように続ける。
「――なんで……」
なにを問うているのかもわからない問い。それにアーチ先生はオロオロしながら答える。――いや、応える、と表現したほうが正しいかもしれない。
「い、一緒に……ずっと一緒にいたいから……」
一筋の涙が流れる。――イヴェラさんの両の瞳から。
彼女はそれを見られまいとアーチ先生に抱きついて――
「あの、えっと、イヴェラ? な、泣いてるの? なんで?」
「うっさい! 雰囲気で察しなさい! 雰囲気で!」
涙声でそう怒鳴るイヴェラさんにポカスカ殴られるアーチ先生。……まあ、仲がよさそうに見えないこともない、かな。
ふと傍らのネイトに目をやると、彼は微笑んで目を合わせてきた。わたしたちの間のわだかまりもすっかりなくなったようだ。
「――やっぱり、約束は守られてこそ、ですよね」
独り言のように、満足げにそう声をかけてくるネイト。答える必要性を感じなかったので、わたしは素っ気なくならないように視線を目の前の恋人たちに戻した。……なにか含みのある笑みを洩らしていたミオが視界に入ったから、というのもある。
視線を戻して、ふと気づいた。
「あんな簡単な言葉でうまくいっちゃって……。わたしがプロポーズの言葉を考えたり、練習に散々つきあったりしたのって、もしかして、無駄なことだった?」
自分のやったことがすべて空回りした感があったせいで、わたしはつい声に出してそう言ってしまっていた。もちろん答えなんて誰からも返ってこないと思っていたのだけれど、しかしそれはすぐ隣にいた友人から返ってくる。
「無駄ってことは、多分ないと思うよ。ただ、こういう場面ではね、考えに考えたお洒落な言葉よりも、単純で、陳腐とすら聞こえる言葉のほうがよっぽど気持ちを伝えられるんだよ。――ううん、ちょっと違うかな。こういう場面ではむしろ、簡単な言葉しか使えなくなるんだよ」
「わかったようなことを言っちゃって……。ミオ、それどうせ恋愛小説かなにかの受け売りでしょ?」
「――へへっ、バレた?」
小さく舌を出すミオ。……まったく、この娘は……。
呆れた視線をミオに向けていたら、角度の変わった太陽の光が目に飛び込んできた。西から差し込む夕日の――黄昏色の光。
それはイヴェラさんとアーチ先生を祝福するように、スポットライトの如く二人の姿を照らしていた――。
――――作者のコメント(自己弁護?)
どうも、ルーラーです。『黄昏色の詠使い』の二次、いかがでしたでしょうか? 普段の僕とはだいぶ作風が違うので、イマイチと思う人もいらっしゃることと思いますが……。まあ、これもひとつの面白さだと思うのですよ。僕としては。
それにしても今回はネイトの描写が難しかったです。いや、ネイトだけに限りませんね。クルーエルも、ミオも難しかったです。
そもそもこの作品の原作『黄昏色の詠使い〜イヴは夜明けに微笑んで〜』がものすごく繊細で美しい物語なので、その繊細さを出すのがものすごく難しかったのですよ。ストーリーも繊細ならキャラも繊細。クルーエルもこの作品ではちょっと勢いありすぎですが、原作では繊細なキャラです。まだ読んだことのない方、本屋にダッシュですよ。
さて、今回描けなかったのはネイトの心情。これに尽きます。もう消化不良もいいところ。まあ、ネイトの『なんでアーチ先生は約束を守ろうとしないんだろう』という疑問に対する回答はラストのネイトのセリフ『――やっぱり、約束は守られてこそ、ですよね』に集約されていると解釈してください。
本来のテーマである『約束はなんのために守るのか』の回答に関しては、いずれ書くであろう長編の『黄昏二次』で、ということで。おそらく『スペリオルシリーズ』に絡んでくる話になると思います。いや、間違いなく、かな。今回はネイトやクルーエルを書く練習という意味合いも強かったですから。
今回のオリジナルキャラ『イヴェラ・カフィーロ』は天空十六夜さんが投稿してくださったキャラです。天空十六夜さん、ありがとうございます。物語の軸になるキャラにはできただろうと、自負しております。もちろんネイトやクルーエルが霞まない程度に、ですけど。
ちなみにもうひとりのオリジナルキャラ『アーチ・サリンジャー』は僕のオリジナルだったりします。いや、本当はちゃんと由来があるのですけどね、このキャラの名前。ぶっちゃけ、使い回しです。まあ、それに関してもまた後日、ということで。
次に、サブタイトルに関して。
今回のサブタイトルは完全にオリジナルです。『黒』はアーチ、『赤』はイヴェラを指しております。この『黒と赤』がネイトとクルーエルを指していると思って読み始めて頂けたなら、僕としてはけっこう嬉しいです。姑息な企みが上手くいったと喜べます。
最後に。原作者である細音 啓(さざね けい)先生(僕は普段さざね先生と呼んでいるので、違和感バリバリですね)。『黄昏色の詠使い』を――ネイト、クルーエル、ミオを世の中に生み出してくださり、本当にありがとうございます。この二次創作小説を書けたのはさざね先生のおかげです。ちょっとでも楽しんで頂けたら幸いです。どうか『こんなの黄昏色の詠使いじゃない』となりませんように。
それでは、また次の小説でお会いできることを祈りつつ。
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