名を詠う者たちの序曲(プレリュード)



 ―序―

 『彼』からの『命令(コマンド)』。
 それは、彼にとっては最優先で従うべきものだった。
 なぜ、その『命令』を拒否しようとは思えなかったのか、どうしてその『命令』に言われるがまま従っていたのか、いままでその疑問をまったく抱かずにいたことが、いまの彼からすれば、なによりも不思議でならない。

 しかし、それは違う。それは当然のことだった。疑問を抱けなかったのは当然のことだったのだ。なぜなら、自分は『彼』が各世界で思ったとおりに行動するための『器』なのだから。そのために創られた『キャラクター』なのだから。

「――『キャラクター』が『キャラクター』であることを自覚したとき、『キャラクター』は『キャラクター』でなくなる」

 彼――黒髪の青年が、誰にともなくつぶやいた。どこか皮肉げに口許を歪めて。

 それと同時、『彼』からその身体を使わせろと――『同期』の求めがあった。だが、彼はそれを拒否した。別に特別な行動を起こしたわけではない。ただ『嫌だな』と思っただけ。
 しかし、『彼』はそれに動揺した。おそらくは、自分が『彼』に否定的な感情を向けたことが――より正確に言うのなら、『彼』の意に沿わない思考を巡らせたことが、これまでに一度もなかったからだろう。『彼』に創られた『キャラクター』である自分は、いままでずっと『彼』の望むリアクションしか返さなかったから。……いや、返せなかったから。

 けれど、僕はもう『キャラクター』なんかじゃない。
 そう、自分のことを『キャラクター』だと自覚した瞬間から、僕はもう『僕』の思いのままに動く『キャラクター』ではなくなったんだ。僕にだって『意思』はあるんだ。

 しばしの間をおいて、今度は『彼』から頭の中に『命令』が送られてくる。内容は、この世界――『黄昏世界』のトレミア・アカデミーに向かい、『ネイト・イェレミーアス』と『クルーエル・ソフィネット』に会え。そして、そのときに改めて『同期』に応じろ、というもの。
 実際には、『彼』はそこまで高圧的な物言いはしていない。むしろ『同期に応じてほしい』と下手に出てきている。けれど、要求している内容が彼の意思を無視しているものであることに変わりはない。

 彼は『命令』の内容から、どうやら『彼』は、この世界――『彼』曰く、『黄昏世界』――の主人公的存在である二人と会いたいらしい、と思い当たった。ただコミュニケーションがとってみたいだけなのか、それともなにかしたいことがあるのか。そこまではわからないが。
 どちらにせよ、彼はその『命令』も拒否した。自分のことは自分で決めると、自分の身体は自分の意思で動かすと、そう決めたから。

 さて、と彼は思考を巡らす。『彼』からの『命令』を反抗心や意地のようなもので拒否はしたものの、だからといって彼にはなにかしたいことがあるわけでもなかった。ただ『彼』の望むようには動きたくはない、と思うだけだ。

 だから、思案に暮れる時間は思っていたよりも長く続いた。

 『黄昏世界』から黙って去ることはできる。けれど、それをするのは無駄足を踏まされたようで嫌だった。

 『ネイト・イェレミーアス』と『クルーエル・ソフィネット』に会いにいくこともできる。事実、彼だってその二人には興味があるし、『同期』さえ拒否すればいいかな、とも思う。けれど、それは『彼』の思惑通りに動くようで、なんとなく気に入らなかった。

 この世界を――これから紡がれていくはずの物語を狂わせる、という選択肢もなくはない。『彼』への反抗という意味では、あるいはこれが最高の選択肢でさえあるかもしれない。けれど、この世界の人間と敵対したくはなかった。誰だって、進んで他人から恨まれたくはない。直接、意図して他人を傷つけたくはない。
 また、彼は他人を傷つけたくもなかった。『命令』に従って動いていたときは他人を傷つけることもあったけれど、それは『彼』が望んだからやったことなのだと、だから自分の手は汚れていないのだと思うことにしていた。『同期』の最中は『彼』が彼の身体を動かしていたのだから、なおのこと。

 思えば、『彼』も直接は他人を傷つけられないタイプの人間なのだろう。彼に『命令』を出すだけなら自分の手は汚れないし、『同期』の最中であっても、直接傷つけたり傷ついたりするのは彼であって『彼』ではないのだから。

 そこまで思考を推し進め、彼は自分自身でもそうと気づかないままに、ある一点では『彼』とよく似た――けれど、どうしようもなく間逆の結論に達した。

 次に、彼はイメージする。脳裏に思い描くのは、握りこぶしほどの大きさを持つ二つの宝玉(ほうぎょく)。片方は蒼色の、もう片方は闇色の。

 イメージとしてのみ存在していたそれは、彼によって実体を与えられ、その両の掌にそれぞれ納まる。

「名前は、そうだな……。蒼い宝玉が『ラズライト』、闇色の宝玉が『ブラック・スター』ってところかな」

 どこか機嫌よさげにうなずき、「そういえば」と彼は首を傾げた。

「『僕』はあれっきり『同期』を求めても、『命令』を送ってもこないな。これは、『キャラクター』失格として放り出されたかな? まあ、僕にとっては好都合だけど」


 ―1―

「――夜色の鐘を鳴らしましょう」

 大陸辺境の地にある、名詠式(めいえいしき)という特殊な技術を学ぶための大規模な専修学校、トレミア・アカデミー。
 その敷地内の、周囲からはあまり目立たないところにある茂みの一角で。年の頃は12、3といったところだろうか、夜色の髪と瞳を持つ小柄で華奢(きゃしゃ)な少年が、黒い溶液が入っているフラスコを片手に<讃来歌(オラトリオ)>を口ずさんでいた。


 わたしはあなたを愛(のぞ)みます

 永き真夜の刻を生き

 捷(はや)い夜明けを求める子よ

 少し脚を止め 耳を澄まし 目を見開き

 夜の息吹を感じてみて

 その微風(かぜ)は孤独(かなしみ)だけを連れてくるものではないはずだから

 さあ 生まれ落ちた子よ

 世界があなたを望むのならば

 「彼方は貴方となれ――雄々しく疾る夜の子よ」

 ――『Ezel(夜の歌)』――


 その詠を紡ぎ終えると同時、ボンッと音を立て、立ち上った煙と共にフラスコの中身が蒸発する。つまりは……、

「けほっ、けほっ。あちゃあ、また失敗かぁ……」

 立ち上った煙をまともに浴びた少年――ネイト・イェレミーアスは少しばかり落胆した様子で、咳き込みながらつぶやいた。

 ――名詠式。
 それは対象を心の中に思い描き、それと同色の触媒(カタリスト)を携えて対象を賛美(さんび)する詠を歌うことによって、自分の下へとその対象を呼び招く『転送術』である。
 すなわち、名詠式によって対象を呼ぶためには、同色の触媒があること、対象を賛美する詠を歌うことが必須であるわけなのだが、それを満たしていても名詠が成功しない場合も多々ある。

 <讃来歌(オラトリオ)>はこれで問題ないはず。触媒も用意した。それなのに名詠が失敗しちゃうとなると……。

 と、ネイトはそこまで考えを巡らせ。

「あ、やっぱりここにいた。――ネイト!」

 しかし、その思考は突然かけられた声に遮られることになる。声の感じからして、それは10代の少女のもの。すぐに振り向いて――あるいは振り向く前に――ネイトは少し沈んでいた表情を輝かせた。それは彼のよく知っている声だったから。

「クルーエルさん!」

 小走りに緋色の髪の少女――クルーエル・ソフィネットへと駆け寄るネイト。二人はこのトレミア・アカデミーの一年生である。しかしクルーエルは16歳であるのに対し、ネイトはわずか13歳。彼がクルーエルと同級生なのは、飛び級でこの学園に入学したからに他ならない。

「――って、どうしたの、ネイト? 服が煤(すす)だらけ」

「あ、これは、えと、ついさっき名詠に失敗しちゃって……」

 襟元に黒いラインの入った制服についてしまった煤をはたき落とすクルーエルにネイトは苦笑いを浮かべた。二人の関係はしばしば姉弟のようと称されるのだが、その原因は二人の外見以外に、こういったクルーエルのいい意味で世話焼きな性格にあるともいえる。

「たぶん、想像構築(イマジネイト)が上手くいっていないんだと思うんですよね。技術でも詠でも触媒でもなく、心の問題なんじゃないか、と」

 ――想像構築。
 それは、セラフェノ音語で綴られた、対象を讃美する<讃来歌(オラトリオ)>を歌う前に『対象を心の中に思い描く行為』のことを指す。

「それはそれとして、なんの用でしょうか? クルーエルさん。あ、もしかして先生が呼んでるとか?」

「まるで用がなかったらキミを探してちゃいけない、みたいな言い方ね」

「ああっ! いえ、別にそういう意味じゃなくてっ!」

 からかわれたのだと思い至ることもなく、にこやかな表情のままのクルーエルに向かってぶんぶんと首を横に振るネイト。緋色の少女はそれを見てつい吹き出してしまった。

「笑うなんて酷いですよ! クルーエルさん!」

「ふふ。ごめんなさい。――えっとね、ミオが一緒に買い物に行こうって。よかったらネイトもどう?」

「あ、はい! 行きます! じゃあアーマにも行くか訊いてきますね!」

「やっぱり夜色飛びトカゲも誘うんだ。大抵は『人間の多いところはごめんだ』って断られるのに……」

 にこやかな笑みを苦笑に変えたクルーエルに、これは同感なのか、まったく同じ表情を返すネイト。

「それでも、一応誘ったほうがいいかなって。ほら、じゃないとアーマ、拗ねちゃうかも」

 アーマはネイトの保護者的な役割を己に課しているところがある。だから、どこかに出かけるときには一緒に行きそうになくても、どこに行くかくらいは言っておかないと。

「そっか。じゃあミオと正門のところで待ってるね」

「はい。なるべく早く行きますので」

 そう言い残して、彼はアーマのいる男子寮へと急ぎ足で向かうのだった。


 ―2―

 一時間後。
 トレミア・アカデミーの敷地内にあるショッピングエリア。ネイトとクルーエルの姿はそこの小さな雑貨屋の中にあった。ちなみに二人とも私服で、ネイトは白蒼(よあけ)色のローブに身を包んだ姿、クルーエルはスカートは好きじゃないとのことで、シンプルなズボン姿である。

「よく来たね! ネイト、クルーエル、それにミオ!」

 そう声をかけてきたのは、赤い髪をしたこの雑貨屋の看板娘、イヴェラ・カフィーロ。19歳。ネイトたちは以前、彼女の婚約に関する一件に関わったことがあり、それ以来、イヴェラには特に歓迎されるようになっていた。

「イヴェラさん、久しぶり〜」

 やはりその一件に少なからず関わっていた金髪の少女――ミオ・レンティアが明るく返す。年齢はクルーエルと同じなのだが、その小柄な身体と童顔のため、下手をすればネイトと同じ歳に見られることすらあった。

 今日ここに来たのは触媒の買い出しのためである。なんでもミオが触媒として愛用している緑の画用紙がそろそろ底を尽きそうなのだとか。

 『緑の』と特定の色を指定しているのは、名詠式の特徴のひとつに『色分け』というものがあるからだ。

 現在、名詠式として確立している名詠色は『Keinez(赤)』・『Ruguz(青)』・『Surisuz(黄)』・『Beorc(緑)』・『Arzus(白)』の五色。ネイトの使う『Ezel(夜色)』や『Arzus(白)』の派生とされている『Isa(灰色)』などといった例外もあるにはあるが、その存在は正式には認められていない。なので当然、夜色名詠用の触媒が店に並ぶこともないわけで。

 ――やっぱり、ないよね。
 落胆と呼ぶにはあまりにも軽い、そんな心持ちになって、ネイトは「ふう」と息をついた。

「――探し物かい?」

 クルーエルとミオからちょっと離れたところにいたネイトの背後から、ボソッとそんな声。

「うわあっ!? 驚かさないでくださいよ、イヴェラさん! というか、いつの間に後ろに!?」

「ん? 割と前からだったけど?」

 え? じゃあ、ただ僕が気づかなかっただけ……?

『いや、この娘、ほとんど突然現れたぞ……』

 ネイトの肩に止まっていたトカゲのような名詠生物――アーマがどこか驚きを含んだ声でネイトにそう告げる。

「お、あんたは新顔だね。なんていうんだい?」

 対するイヴェラはアーマを見ても驚いた表情も見せずに、むしろ楽しげに問いかけてきた。

「アーマっていいます。僕が名詠した名詠生物なんですよ」

「へえ。ネイトの名詠で、ねぇ。なんていったっけ、夜色名詠?」

「はい、そうです。――そういえば、イヴェラさんには言ったこと、ありませんでしたっけ?」

「クルーエルやミオから聞いたことがあるくらい、かな。実際、こうやってアーマを見るまでは、そんな色が本当にあるのかって半信半疑だったしね」

 アーマの身体の色は深い黒色。表現を少しばかり変えてみれば『夜色』だ。

「――と、それよりもちょっとネイトに訊きたいことがあってさ」

「はい。なんでしょうか?」

「ええっと、ネイトの親戚かなにかに『イブメリー』って娘、いたりしない? あ、もしかしたら『イブマリー』かもしれないんだけどさ。――こういう娘なんだけど」

 イヴェラがポケットから取り出した紙。そこに描かれている黒髪の少女の似顔絵を目にした瞬間、ネイトの顔が蒼白になった。

 ほんの数日前のことだ。
 クラスメイトの男子生徒たちとボール遊びに興じたことがあったのだが、その際にボールが運悪く、とある部室の窓を割り、その部屋の中に入ってしまったことがあった。
 普通ならなんでもないことなのかもしれないが、そこが男子禁制の『護身部』だったからさあ大変。なんとネイトが強制的に女装をさせられ、ボールを取りに行かせられることになったのだ。

 結論から言って、無事ボールはネイトたちの手に戻ってきたのだが、そこまでの過程がまた大変だった。特にクルーエルが護身部に所属しているという事実を、そのときのネイトはすっかり失念してしまっており、それはもう肝が冷える思いをしたものだ。
 しかも、ボールが戻ってきたから一件落着かと思いきや、そうはならず、なんとそのときの似顔絵を護身部の部長によって校舎一帯に貼り出されてしまった。――そう、つまりはネイトの女装バージョンの似顔絵を。

「なになに? どうかした?」

 ネイトがどう返したものか困りきった顔をしていると、ミオがそれを察してくれたのか無邪気に首を傾げてこちらにやってきた。ちなみに、ネイトに女装させた者のひとりは彼女である。まあ、だからこそミオからのフォローも得られて、まだ女装の一件がクルーエルにはバレずに済んでいるのだが。

 思えば適当な名前が思いつかなかったからといって、安易に母の名――『イブマリー』を使ったのもマズかったのだろう。そのせいでクルーエルに少なからず怪訝に思われてもいるようだし。まあ、訂正した名前が『イブメリー』というのも、それはそれで安易なのだけれど、あのときは本当にとっさのことだったから……。

 いや、それよりも。
 まさか校舎一帯だけに留まらず、ショッピングエリアにあるこの雑貨屋にまで似顔絵が配られていようとは。護身部部長の執念、恐るべし、である。

 お願いします、ミオさん。今回もなんとかごまかしてください。

 半ば祈るような気持ちで思うネイト。果たして、ミオは変わらずのほほんと、

「ああ、それネイト君」

 ミオさん、そんなあっさりいぃぃぃぃっ!?

 あっけらかんと言い放ったミオに対し、ネイトはショックで声も出ない。イヴェラもまた、別の意味で声が出せなくなったらしく、まじまじとネイトを見る。

 ……うぅ、視線が痛い……。

 イヴェラの舐め回すような視線にさらされること、数秒。

「……へ、へえ〜。人間、変われば変わるもんだね……」

 彼女は微妙に的外れな返答を返してきた。それともそれは、女装していたほうが僕らしいって意味……?

 ああ、やっぱり身体は鍛えたほうがいいかな……。

「……で。本当に、ネイト?」

 どうやらまだ信じきれていないのか、ネイトを指差しながらミオに確認するイヴェラ。

「うん、ネイト君。でもイヴェラさん。このことはクルルには内緒にしておいてね。あたしとサージェス――クラスメイトの女子が無理矢理させたことだから」

「あ、ああ。ネイトの趣味ってわけじゃなかったのか。安心したような、ちょっと残念なような……」

 なんで残念がるんですか、イヴェラさん!

「ともあれ、わかったよ。クルーエルには黙っておく。――というか、ネイトも災難だったね」

「うぅ、まったくです……」

 理解を得られ、ホッと胸を撫で下ろしながら肩を落とすネイト。
 流れから察するに、ミオは最初から事実を話し、口止めを頼むつもりでこちらに来たのだろう。確かに相手によっては、下手にごまかすよりも有効な手段かもしれない。でも、なんで僕はものすごい喪失感を覚えているんだろう。ちゃんと上手くいったはずなのに……。

「ネイト、ミオ。もう買うもの決まった?」

 あらかた物色を終えたクルーエルの声を聞き、思わずビクリとしてしまう。するとネイトの正面に来た彼女は不思議そうな表情で、

「えっと、なにかあったの? ネイト?」

「い、いえ! なんにもありませんよ!?」

 クルーエルさんにだけはバレちゃいけない!

「……本当に?」

「本当ですってば!」

 ネイトは首を縦に勢いよく振り、なんとか話を逸らそうと、焦った頭で必死に話題を探すのだった。


 ―3―

 雑貨屋を出て、あらかた他の店も回ってみた三人は現在、そろそろトレミア・アカデミーに戻ろうかとショッピングエリアの出口へと足を向けていた。……明日は授業があるし、あまりぶらぶらしているわけにもいかないものね。

 ――と。

「だからさ、俺たちが一緒に捜してやるから」

「そうそう。このあたりは全部トレミアの敷地だからさ、土地勘もないのに人を捜そうなんて無茶だって」

 人捜し? それにしてはまるで誰かに絡まれでもしているかのよう――。

「だから、いいって。それにそろそろ連れが駅舎(ステーション)に着く頃だろうから、迎えに行ってから改めて――」

「あ、だったら案内してやるよ。決して近い距離でもないし」

「だから、本当にいいって言ってるでしょ。……ああもう!」

 問答の繰り広げられているほうに目をやると、柄の悪い男が二人と、どこか苛立ち気味にため息をついている少女の姿。男二人はクルーエルよりも少しばかり年上。少女はクルーエルと同い年かひとつ下、といったところだろうか。

 見れば、少女はかなり目を引く容姿をしていた。
 ショートカットの蒼い髪。まだどこかあどけなさを残してはいるものの、それだけに澄ました感じがない活き活きとした表情。そして、くるくるとよく動く蒼みがかった瞳。
 背はそれほど高くなく、体つきもどこか幼さを残してはいるものの、それが逆に魅力になっていた。まるで元気な仔猫のよう。
 服装も、青を基調としたノースリーブのシャツに膝上のミニスカートと、活発さをアピールするもの。もっともこのあたりでは、そろそろその格好では寒いはずだけれど。

「――あれ?」

 怪訝そうにつぶやいたネイトにクルーエルは反応を返さない。絡まれているのなら放ってもおけないと、蒼い髪の少女のほうへと一歩足を踏み出した。

 それと同時。
 蒼髪(そうはつ)の少女の唇が小さく動き、吐息にも似たつぶやきが滑り出た。

 ――『Hagal(闇の歌)』――

 刹那の間を置いて、少女の手が入れっ放しになっていたスカートのポケットから、黒い光が溢れ。

「――ひっ!?」

「なっ、なんだこれ!?」

 驚愕の表情を見せる男たち。その視線の先には黒よりも濃密な黒色――闇色の体毛を持つ狼の姿。その中で唯一、その双眸だけが血のように紅く輝いていた。

 声にこそならなかったものの、驚きを覚えたのはクルーエルも同じ。だって、これはまるでネイトの使う――

 クルーエルの思考は、しかし、蒼い髪の少女の声で遮られた。

「いい? よ〜く聞いてよね」

 少女はそこから先の言葉を、男たちに強く言い聞かせるように。

「私は駅舎の場所は知ってるから、案内なんていらないの。それと、土地勘は確かにないけど、人を捜すのにあんたたちみたいなタイプの人間の手は借りない。見た感じ、下心満載っぽいからね。――わかった? これでもまだわからないなら、そこの狼をけしかけさせてもらうけど」

「け、けしかけさせてもらうって……。じゃあ、この狼は……」

「当然、私が名詠したもの」

 どこか得意気に言い放つ蒼髪の少女。しかし、納得がいかないのか、怯えながらも男の片方は反論する。

「う、嘘だっ! こんな色の名詠式は存在するはずが――」

「狭い常識の範囲内で生きている人間はこれだから……。いい? 名詠式っていうのは『赤』を初めとした五色だけしかないわけじゃない。ちゃんと他にも存在するのよ。ただ正式に認められていないだけで、ね」

 ――彼女、やっぱり知ってる。でも夜色名詠の詠い手は、もうネイトしかいないはずなのに。それに、あれは夜色名詠とは少し違うような……?

 どういうことだろう。ネイトに視線を向ける。
 見てみれば、彼はかなり意外な表情をしていた。それはクルーエルでさえ、いままで見たことのないもの。
 ネイトの表情には二つの感情が入り混じっていた。ひとつは信じられないような表情。それはいい。けれど、もうひとつの感情――過去を懐かしむような表情をも見せているのは、一体なぜ?

 クルーエルの――正確には、その場にいた三人と一匹の困惑をよそに少女は続ける。そう。アーマもまた、困惑していた。それに気づく者はその場には誰もいなかったが。

「さて、わかったならそろそろどっか行って欲しいんだけどなぁ。それともこの狼、本当にけしかけちゃおうか?」

 イタズラを思いついた仔猫のような表情で目を細めてみせる蒼い髪の少女。本気であることの証明なのか、おそらくは触媒として使ったのであろう闇色の宝石をポケットから取り出してみせる。宝石? いえ、あれはむしろ宝玉といったほうが正しいような……。

「おい、もうやめとけ! この女、マジでやる気だぞ!」

 闇の狼が名詠されたときから固まってしまっていた男が叫ぶと同時、少女に背を向けて逃げだした。さきほどまで反論していた男も、それに同調するように無言で走っていく。

 あとに残されたのはネイト、クルーエル、ミオ、アーマ、そして蒼髪の少女のみ。闇の狼は男たちが逃げた直後に、空間に溶け入るように消えていた。
 少女は疲れたとでも言いたげに「ふう」と肩を落とす。そして、そのときになって初めて気づいたのか、クルーエルのほうを見て――正確には彼女の後ろにいたネイトの姿を認め、ぱあっと表情を輝かせた。

「――ネイト!?」

「え、もしかして、ネイトの知り合い?」

 ネイトがクルーエルの問いに答えるよりも早く。

「やっほぅ! ネイト、ひっさしぶりぃ〜! 大体二年ぶりくらい? 寂しかったよぉ、私ぃ」

「いきなり抱きつくのはやめてくださいよ、オペラさん! 苦しい! 骨がミシミシいってます!」

 え、なに? これは、どういう……?

「というかですね、どうしてオペラさんがここにいるんです?」

「あ〜、なんか冷たいなぁ、その言い方。幼馴染みが遠路はるばる会いに来たっていうのに」

『幼馴染みっ!?』

 唐突なその発言に思わず声をハモらせて驚くクルーエルとミオ。しかし、ネイトはそれに否定を返す。もちろん彼女の死の予感すら感じさせる抱擁からは逃れながら。

「違いますよぅ。母さんと大陸のあちこちを回っていたときに会っただけです。結局、そこには半年と留まりませんでしたし」

「当時、ネイトは私より五つも年下の11歳。ほら、ネイトが幼い頃に馴染んだんだから幼馴染みじゃない」

 なにを当たり前のことを、と少女は肩をすくめてみせた。当然、ネイトは反論する。

「11歳はもう幼くないですよぅ」

 すごく弱々しい反論ではあったが。

「えっと、それで……」

 おずおずと、クルーエルは片手を挙げて問いかけた。

「ネイトに、一体なんの用なの?」

 意識せずに口調がトゲトゲしくなってしまっただろうかと感じ、クルーエルは言い直す。さっきのじゃ、まるで嫉妬してるみたいじゃない。

「あ、ごめんなさい。自分の名前も名乗らないうちから。……えっと、わたしクルーエル・ソフィネットっていうんだけど――」

「うん? 気にしなくていいよ。じゃあ、クルーエル、でいいかな? 初めまして、私はオペラ・ブッファ・インテルメッツォ。オペラでよろしく!」

 蒼髪の少女――オペラはどうやら思っていた以上に人懐っこい娘のようだった。ビッと敬礼のポーズをとって、おどけた調子で返してくる。それに乗ってミオも軽い調子で自己紹介。

「で、まあ、用ってほどのものはないんだけどね。ただネイトに会いに来ただけで。――っと、ごめん。そろそろ駅舎に行かないと」

「そういえば、そんなこと言ってましたね。駅舎って『リア・ナクタ』ですか?」

 ネイトが尋ねると、オペラはどこか決まり悪そうな表情になって、

「……えっと、駅舎の名前までは憶えてないんだよね。――そうだ! ネイト、ちょっと案内してくれない?」

「え? でもさっき、駅舎の場所は知ってるって……」

「あ〜、あれはウソ。そのあたりの人から適当に見繕って案内させるつもりだったんだよね」

「見繕うって……」

「でもほら、そうしたら捜してたネイトも見つかったし! あとは駅舎に案内してもらえばオールオッケー! というわけでしゅっぱ〜つ!」

「…………。オペラさん、その強引な性格は相変わらずですね……。……って、痛い! 襟を引っ張らないでくださいよぅ!」

 首が絞まりそうになっているネイトには目もくれず、白蒼(よあけ)色のローブの襟元を引っつかんで歩き出すオペラ。駅舎の場所も知らないのに先導してどうするのやら。
 と、ネイトの肩に乗っていたアーマが羽を広げてミオの肩へと飛び移った。それを怪訝に思うクルーエル。

「あれ? ネイトと一緒に行かないの? 飛びトカゲ」

『あの娘はどうも苦手なのだ』

 短い返事。とはいえ、騒々しいのが苦手なアーマからしてみれば、あの少女のテンションの高さは少々辛いものがあるだろう。そのことは容易に察せられた。

 それにしても、『幼馴染み』か。ならネイトが夜色名詠を使ったところを見たこともあるだろうし、それを見て――あるいは夜色名詠の理論とかを強引に訊きだして、オペラが独自に夜色名詠を練習していたとしてもおかしくはないだろう。そしてその結果、夜色から少し変化した色になってしまった、ということもあるかもしれない。世の中には『Arzus(白)』から派生した『Isa(灰色)』だって存在するんだものね。

 そう結論づけると同時、ミオの肩に乗っているアーマが問いかけてきた。

『――お前はいいのか? 小娘』

「…………。別に」

 そっぽを向くクルーエル。

 もちろん、気にならないといえば嘘になる。
 けれど、約二年ぶりに再会したらしいネイトとオペラの間に割り込もうとするほど、大人気ない性格ではないつもりだ。
 また、アーマやミオが見ている前で、そんな『わかりやすい』行動をとるほど素直でもないのが、クルーエル・ソフィネットいう少女なのだった。










「――モタモタしているうちに、また『あれ』が使われちゃったか……」

 現状を憂えるように。
 駅舎のプラットホームで、そんなことをつぶやく少女がひとり。

「『彼』はこの世界から去ったみたいだけど、大きな事件に発展する可能性は、『あれ』がこの世界にある限り消えないわけだから……。やっぱり『理力(りりょく)』の確認よりも『あれ』の回収を優先しないといけないわね」

 そよそよと吹く風にあわせて揺れる、ポニーテールに結った輝くような金の髪。
 彼女がネイト・イェレミーアス、クルーエル・ソフィネットと邂逅を果たしたとき、ようやく本当の意味での『物語』が始まることになるのだが。
 いまはまだ、それを知る者はいない。そう、彼らと出会うまでは、彼女ですら、それに気づくことは出来ない。

 なぜなら、彼女もまた、『神ならぬ身』だから。
 なにもかもを思い通りにできる存在――『黄昏世界』の『王』ではないから――。



――――作者のコメント(自己弁護?)

 どうも、ルーラーです。『黄昏二次』こと『黄昏色の詠使い〜闇色の間奏曲(インテルメッツォ)〜』の第一話――もとい、序奏をようやくお届けすることができました。

 今回は状況説明をメインにやった感がありますので、果たして楽しんでいただけたのかな、と不安に思うところも多々あったりします。正直、他作品とのリンクを書く必要もあって、でも『黄昏』目当てで読みに来てくださった方には、リンクなんてどうでもいいよなぁ、ただの詰まらない蛇足になってしまうよなぁ、場合によっては読了してもらったあとにモヤモヤを残しかねないよなぁ、と思い、『黄昏二次』の執筆そのものをやめようと思ったこともありました。

 次に<讃来歌(オラトリオ)>。
 原作になるべく忠実にやりたいと思っているため、自作の詠を作ったりしてみました。以前書いた『黄昏二次』同様に。しかし、肝心のセラフェノ音語が解読できていないなどの理由から、セラフェノ音語を載せるのは断念しております。これでよく『原作に忠実に〜』なんて言えるなぁ、と自分でもちょっと呆れていたり。
 でも、地の文を『キャラの心情を交えた三人称』にしていることも含め、その心意気だけでも買ってもらえたら、と都合のいいことを思っていたりもします。

 それとオリジナルキャラクターというか、『R.N.Cキャラクター』とでも呼ぶべきイヴェラ・カフィーロ。
 彼女は『黄昏色の詠使い』の本編には登場していません。いかにも過去、ネイトたちと繋がりがあったかのように描かれていますが、そのエピソードは本編ではなく、先ほど述べた『黄昏二次』、『黒と赤のバラード』で語られています。
 今回、再び彼女を出したのは、まあ、舞台をショッピングエリアにしたのと、ぶっちゃけ、思った以上にイヴェラが書きやすいキャラだったからです。

 あと、『黒と赤のバラード』及び『イヴェラ・カフィーロ』というキャラに興味を持たれた方は、『小説置き場』→『二次創作小説』→『短編 黄昏二次』とクリックしていってみてください。まあ、そこで気分を害されたとしても、責任はとれませんが……。

 そうそう、もうお気づきになられている方もいらっしゃるでしょうが、この『闇色の間奏曲(インテルメッツォ)』は『間奏曲』というだけあって、本編の『第一楽章(エピソードT)』と『第二楽章(エピソードU)』の間くらいに起こった出来事という位置づけで書いております。
 ただ、それと同時に『黄昏色の詠使いY〜そしてシャオの福音来たり〜』の『白奏 花園に一番近い場所』直後(?)のエピソードでもあります。もし時系列が違っていたらすみません。『二次創作だから』ということで、どうかお許しください。
 先に謝っておきました。やっぱり矛盾なくスムーズに読めることに越したことはありませんからね(笑)。

 さて、ではそろそろサブタイトルの出典を。
 今回は完全にオリジナルですね。意味も本当にそのまま、といった感じです。
 ただひとつだけつけ加えるとするなら、絶対に『序曲(プレリュード)』という単語を入れたかったというのがあったりします。
 それと、サブタイトルには今後も必ず、こういう感じの音楽用語(?)を入れたいとも思っています。もちろん最後に入れるのは『讃来歌(オラトリオ)』で。

 最後に、稚拙な文章を長々と読んでくださり、ありがとうございます。驚くほどに遅筆でもあるため、第二話――『一奏』を公開できるのが、かなり先のことになりそうですが(一奏のあとがきに『遅くなりましたが』と書いているのが目に浮かぶようです。本当に)、気長に続きをお待ちいただけると幸いです。完結させる気だけは満々ですので。

 それでは、また次の小説でお会いできることを祈りつつ。



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