水晶球の中の未来
著者:新夜詩希


「はあ…………」



 『希望』の名を冠する世界・アレルガルドの南海に浮かぶアリアハン大陸の北側に位置する寂れた田舎町・レーべの東端に居を構える、その名はバーバラ。占いを生業とする今年で20歳になるうら若き女性である。絹糸のようなターコイズブルーの長い髪、輝くような美貌に加え、蟲惑的な肢体を惜しげもなく晒した露出度の高い服装、そしてその外見からは一見そぐわないような天真爛漫なキャラクターで人気を博している。勿論、占い師としての腕も一流。決して大きくないとは言えこのアリアハン大陸で屈指の腕前と評判で、多くの顧客を抱えている。
 最後の顧客を送り出して早数刻。既に夜更けと言っていい時間帯である。バーバラは本日最後となる占いを終えて溜め息を吐く。結果は至極いつも通り。
 
 バーバラは数ヶ月前から修行の一環として、ある事柄を必ず一日の最後に占うという決まり事を自らに課していた。その事柄とは、『世界の行く末』。本来占いとはそのような大仰なものを視る為のものではない。人々の過去より重要な事象を探り、未来への指針を示す程度のものでなければ意味がないし、稼ぎにもならない。だがバーバラは、そこを敢えてライフワークとして自らに課した。
 最初はほんのお遊びのつもりだった。元よりそのような大それた事象、自分程度の実力では覗ける筈はないし、万が一視えてしまった所で一介の町占い師である自分にはどうする事も出来ないのだから。何かの気紛れか、明日の朝食のメニューを決める程の軽い気持ちで占いに取り掛かった。

 ……しかし蓋を開ければ。

 覗き込んだ占い用の水晶球には13程の黒点が現れ、その点から瞬く間に黒い霧のようなものが湧き出して、球全体を覆い尽す程にまで膨張する。予想外の結果と霧の禍々しさに気分が悪くなり、最初の頃はすぐに占いを止めてしまっていた。
 以来、今日まで100を超える回数をこなして来たこの占い。その全てが同じ結果だった。これは最早、何かの間違いや偶然などでは決してない。この結果を否定する事それ即ち、自らの力量をも否定する事になる。バーバラは実際に『世界の行く末』を覗いてしまったのだ。

「………………」

 だが…それはそれで一体どういう事なのか。最近では多少慣れ、じっくり観察する余裕が出て来た。最初に現れる黒点は確かに13。何度数え直しても、13。そこから禍々しい霧が発生し、水晶球を覆い尽くす。それが占いをやめるまで続くのだ。
 本来の占いのマニュアルに照らし合わせれば、この手の結果は大抵『不幸』や『破滅』を暗示させる。それもそうだろう、視ているだけで気分が悪くなる結果など、幸福や平和を指し示すものである筈がない。つまりこの結果を要約するなら、『世界は遠からず破滅へ向かう』という事に他ならない。加えて言えば、何か『13』に関係するものによって。

「(破滅………ね。フフフ……)」

 バーバラは自らの占いを一笑に伏す。世は既に戦乱の渦中。現状以上の破滅と言えば、この戦乱は終わらずそのまま世界そのものが滅亡するという事なのか。人間とは、そこまで愚かな生き物なのか。

 そう、世は既に、戦乱の渦中。世界に名だたる大国は、こぞって己が領地を1mでも広げようとその軍事力を振りかざす。このアリアハンも例外ではなかった。ここ半年ほどはまだ沈静化しているものの、緊迫した冷戦下にあるのは違いない。何のキッカケで世界大戦が勃発してしまうか、知れたものではない。何を隠そうバーバラの両親もまた、彼女が幼い頃に戦争によって命を落としている。故に戦争にはこの上ない嫌悪感を抱いているのであった。以前はアリアハンの城下町で占い師を生業としていたが、そう言った事情もあってか、レーべの田舎町へと居を移した経緯も持つ。

「…………ふう」

 あまり思い出したくない事まで掘り出してしまい、バーバラは再び溜め息を吐いた。役目を終えた水晶球を布で磨き、棚へと仕舞う。寝巻きに着替え、寝付けのワインを一口喉に通した、その刹那―――

「……?」

 バーバラは幽かな空間の揺らぎを察知した。

 この世界には『魔力』というものが溢れている。『魔力』には2種類あり、大気に満ちる『マナ』と人体に流れる『オド』。どちらも本質は同じだが、濃度が圧倒的に違う。無論『マナ』の方が濃い。片や『オド』は人間の中でも持つ者と持たざる者がおり、扱いが難しい。この魔力を行使して超自然現象を引き起こすのが『魔法』。つまり、体内の『オド』を呼び水として大気の『マナ』を引き寄せ、『魔法』を使うのである。
 占い師ながら強い魔力を持つバーバラは、『マナ』の揺らぎに敏感だ。この程度の揺らぎを感知出来るのはこのアリアハン大陸ではバーバラともう一人程しかいない。無論世界全ての揺らぎを感知出来る程ではないが。分かるのはせいぜいアリアハン大陸内と言った所か。

「(社の『旅の扉』が……起動した………?)」

 このレーべの南方には森の中に小さな社があり、そこには『旅の扉』と呼ばれる淡く蒼い光を放つ泉に似た魔力の渦がある。これは所謂『空間転移装置』。世界各地に点在する同じ旅の扉同士を結ぶ、アレルガルドにおいて重要な国交手段の一つである。しかしここ数年の冷戦化で、旅の扉の使用は全面的に禁止された筈。それが今になって起動し、揺らぎとなってバーバラに伝わったのだ。
 旅の扉が起動したという事は何者かがこのアリアハン大陸へと降り立ったという事だ。敵国の襲撃という事もあり得る。揺らぎは一度きり。つまり降り立ったのは一人だけと言う事だが……

「(何なのかしら、この気持ち………)」

 バーバラは戦乱の緊張ではない、何か希望のような、安堵に近い感情を抱いていた。そして寝巻き姿のまま、導かれるように棚へ仕舞った水晶球を取り出すと、再びいつもの『世界の行く末』を占い始めた。

「……!!」

 最初はいつもと同じ、13の黒点が浮かび上がる。そこまでは何ら変わらない。…だがバーバラは確かに見た。



 黒い霧が全体を覆う瞬間、霧を切り裂くように一筋の光が奔るのを―――――





 ―――同時刻。

「紅いな………」



 旅の扉を使いアリアハン大陸へと降り立った人物は、社を抜け森の木々越しに夜空を見上げていた。視線の先には紅く血に塗れたような三日月。悪魔の微笑みのように毒々しい。
 強い偏西風がイシス砂漠の黄砂を舞い上げ、光の反射か自然の悪戯か、時折こうして月を紅く見せる事がある。信心深い人々は災厄の前兆と恐れ、神の罰が下るとさえ言わしめる。…だが今宵の月は…それだけでは説明出来ない程に紅い。

「フッ……我を出迎えるには相応しき月の輝きよ。さて、せいぜい戦闘を楽しむとしよう。この我を楽しませる程の強者が、果たしてこの大陸で見つかるか。くっくっく……」

 被っていたマントのフードを上げると、乳白色の髪を持つ精悍な青年の顔が現れた。決して体格は大きい方ではないが、鍛え抜かれた肉体は不純物を欠片も含まない。喩えるなら『豹』。猫科の猛獣を思わせる雰囲気を持つこの青年の腰には二振りの同型の剣が携えられている。あまりに一般人とは掛け離れた雰囲気のこの男の名は『ジークフリード』。後に伝説の剣豪として名を馳せる存在である。



 運命の出会いの時はゆっくりと、しかし確実に近付いていた―――――



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