疾風と紅月がもたらすもの
著者:新夜詩希


「て……敵襲だぁぁぁーーーーー!!!」



 深まる闇。紅き月に見下された漆黒の宵。静寂を切り裂く痛烈な悲鳴は、屈強な王宮兵士の喉から吐き出されたものだ。叫び声を上げたその兵士は一刹那の後、地面へと倒れ伏し戦闘続行不能に追いやられる。
 南海の王都アリアハン。民の寝静まる深夜とて、王宮兵士は警備を怠らない。世は戦乱の渦中。いついかなる対処であっても、やりすぎる事などないのだ。今日この夜も、城下町の入口には二人の兵士が寝ずの番を行っていた。……のだが、その二名は現在、城下町入口にて失神している。疲れと睡魔に負けて力尽きたのではない。それは城下町入口を難なく通り抜けた、一陣の『疾風』によってもたらされた敗北の眠り。目覚めの後には悔恨と自らへの失望しか残らない不本意な眠りだった。

「門番がこの程度とは……王都を名乗っても所詮は孤島の田舎。我を楽しませるだけの力量を持つ者を期待するだけ無駄であったか……」

 兵士二人を事も無げに打ち倒した乳白色の短髪を持つ男は、嘲りと落胆の混じる独り言を残し、手にしていた『鞘に収めたまま』の一振りの剣を再び腰に携え、ゆっくりと城下町の中央通りを闊歩する。そう、この男は日々修練を積んでいる王宮兵士二人を相手に、『鞘に収めたまま』の剣であっさりと倒しきったのである。……否、相手にさえならなかったと言うのが正確な所か。
 故に兵士に致命傷はない。一人目は鞘付きの剣で頭部を殴打された事による脳震盪、その間に叫びを上げた二人目は柄の尻で水月を的確に打ち据えられ呼吸不全を起こした酸素欠乏による失神であった。
 男が放った攻撃はそのたった二撃。兵士が闇の中を疾走して来る白い敵を視認し、叫び声を上げて倒れ伏すそこまでの間隙は僅か数瞬。文字通り、瞬く間に勝敗を決したのである。攻撃の正確性もさる事ながら、最も恐ろしいのはそのスピード。この圧倒的な速度こそ、男が『疾風』と呼ばれる所以だ。しかしこれでもまだ本気とは程遠い。鞘に収めたままの剣を振るうその所業を以て、本気と呼べる道理など何処に於いても存在しないのだから。
 
 この男の名は『ジークフリード』。剣士としての常識を覆し、その目にも止まらぬ身こなしから『疾風の申し子』と言う二つ名を冠された、さる軍事国家お抱えの戦士である。その素性や本来の意向は誰も知らない。彼に助力を依頼した、そのさる軍事国家でさえも。

「いたぞ!! あいつだ!!」

 叫び声と様子を遠巻きに見ていた街内警備の兵士からもたらされた情報によって、城の兵士が敵を排除すべく集まって来た。その数、目視出来るだけで10人超。本来ならば、たった一人を相手にするには多過ぎる群衆である。
 どう見ても多勢に無勢。だがジークフリードは臆する様子などおくびも出さず、嘲笑で口元を歪めてさえいながら呟く。

「フッ……幾ら頭数だけ揃えようと、所詮烏合の衆であると理解出来ぬとは何と嘆かわしい事か。まあ存外に早く仕事が片付きそうでこちらとしても助かるが。さて、身の程を弁えぬ小物共に、僅かばかり指導してやるとしよう……!」

『ウオオオオオォォォォーーーーーー!!!』

 渦巻く怒号は兵士群のもの。ジークフリードは武器を振りかざす兵士達を冷静に見据えると、先ほどと同じように腰に携えた二振りの剣を一本だけ鞘から抜かずに構え、軍勢の渦中へと踊り出た―――――





 ―――同時刻。

「本当に大丈夫なのであろうな……?」



 アリアハンから西北、イシス砂漠南方の険しい山岳地帯・ネクロゴンド地方にある一つの王国。国名を『ネクロガリア』と言う。その城の東北に位置する魔術様式の地下祭壇部屋。そこにはネクロガリア国王、その背後を側近である大臣と近衛兵隊長が慌ただしく動き回り、そして黒いローブに頭まで完全に身を包んだ如何にも怪しげな二人組が王に向かい合っていた。

「無論に御座います。辱めを受けた大国への反撃は勿論、お望みとあらば世界征服さえ、王様の意のままとなるでしょう。この儀式を完成させれば、世界の覇権は王様の手中に収めたも同然なのです。王様の宿願まで後一歩なのですよ。ここまで来て、何を迷う事がありましょうか」

 黒いローブの男の片方が恭しくネクロガリア王を諭す。
 戦乱の世。それがネクロガリア王国を衰退に導いた元凶である。世界の大国よりも発展進歩が遅れてしまっていたこの王国は、それでも他国と国交を結ぶ事でどうにか国益を保っていた。
 しかしこの戦乱で、軍事力の低いネクロガリアは見向きもされなくなり、元々の土地条件も相まって孤立を深めて行った。自国だけで国益を保てないネクロガリアは当然の流れで衰退の一途を歩む事になる。支援要請は受け入れられず、戦争に参加する事さえ許されずにネクロガリアはこのまま淘汰される運命にあったのだ。
 王には野心があった。ネクロガリアを自分の代で列強各国と肩を並べる程に繁栄させ、『落ちぶれた腰巾着国家』と揶揄される汚名を一掃する。そしてゆくゆくは……今までネクロガリアを見下して来た世の大国達を我が足元に平伏させる、という野心が。……だが世界情勢が、それを許さなかった。そのような夢物語を語る事さえ許されなかったのだ。
 父たる前王から譲り受けた国家が衰退の一途を辿って行く様を玉座で誰より忌々しく見守るしかなかった王の前に、何処からともなく差し込んだ光明。それが目の前の黒ローブの二人組である。饒舌な『ザリチュ』と寡黙な『タルウィ』と名乗るこの二人、素性どころか素顔さえも見せる事がない。
 二人が持ち掛けた提案は、『伝説の悪魔神と呼ばれる存在を召喚し、己が意のままに操り従えさせる』というもの。ネクロゴンド地方に残る伝承に存在する悪魔神を魔術儀式によって現代に復活させようと言うのである。
 神代の頃に存在したとされる悪魔神。この世のあらゆる悪を体現し、身の丈は山をも超え、その力は天を裂き大地を割るという。更には恐ろしい悪魔の軍団を支配し、世界は破滅の業火に焼き尽くされる。幼少の頃より父や祖父にその恐ろしさを訥々と語られて来た王だったが、それは裏を返せばその悪魔神がどれ程強大な存在なのかを知らしめるものでもあった。その存在が、上手く行けば自分の支配下になるかも知れないのである。手詰まりとなったネクロガリア王には、この上ない甘言となって胸に響いたのだった。

「うむ………しかし、お主らを信用していない訳ではないが、万が一失敗という事になってしまった場合は………」

 しかし、ネクロガリア王とて馬鹿ではない。勢いで二人の提案を受け入れてしまったとは言え、儀式の準備が進むにつれ事の重大さに気付き始めた。幾ら王国の再建が宿願と言えど、伝説の悪魔神を召喚する事への不安は当然ある。伝説上の存在を果たして本当に召喚出来るのか。そして何より、その悪魔神は本当に自分に従うのか。下手を打てば国家の滅亡、それどころか戦乱を覆す程の世界的危機にすらなりかねない。

「万が一など御座いません。準備には万全を期しております。王様は大船に乗ったが如く安心して下されば宜しいかと」

 不安に駆られる王をザリチュが言い包める。

「王様……一応言われた通りの準備は完了しました。……ですが……」

「やはり中止しましょう、国王! これは怪しすぎます!」

 二人の指示で儀式の準備をしていた大臣と兵隊長が相次いで声を上げた。王がそちらに視線を移すと、祭壇を中心に仰々しい魔方陣が描かれ、様々な物品が並べられている。ネクロガリアに古くから伝わる銅鏡、蛇を模した短剣、彫像されたガイア鉱石、ガラス細工の鈴などはまだ見られるものであるが、何より得体が知れないのは祭壇に置かれ火に掛けられた大釜である。優に数人が入浴に使えそうな程巨大な大釜の中身は極彩色の液体がコポコポと音を立てて茹だっている。この部屋にえも言われぬ不快な匂いが立ち込める発生源。あまりの悪臭に思わず顔をしかめてしまうのも無理はない。
 しかしザリチュは危険を訴える二人を意に介さず続ける。

「この地を流れる霊脈、溢れるマナに加え、今宵は召喚に打ってつけの紅月の輝く夜。人力による準備が整いました以上、今宵ほど相応しい舞台はありますまい。後は事前にお教えした通り、召喚の呪文を唱えるだけで世界は王様のものとなるのです! さあ、ご決断を!!」

「う………む………」
 
 ここへ来て不安が勝ったのか、ザリチュの言葉に素直に従えなくなって来た王。片やザリチュは煮え切らない王の姿に苛立ちを見せ始め、徐々に口舌が強く激しくなる。
 二人のやり取りを尻目に、黒ローブの片割れであるタルウィは準備が完了したとされる大釜を悪臭さえ意に介さず覗き込んでいた。

「……ん? どうかなされましたかな、タルウィ殿?」

 大臣と兵隊長がタルウィに詰め寄る。

「………………足りない」

 今まで一言も発しなかったタルウィがぼそりと声を洩らす。饒舌さはないものの、声色のそれはザリチュと瓜二つの底冷えするような尖った暗い声だった。

「えっ………? そんな筈は……!」

 大釜の中に煮込まれているのはネクロゴンドの河水やイシス砂漠の砂、満月草のペーストやアッサラーム産の蒸留酒と言った比較的手に入れやすいものから、スカイドラゴンの鱗やデスフラッターの羽、ガメゴンの甲羅や世界樹の樹液など、手に入れる事自体が困難なものまである。兵隊長は不本意だが取り零しがないよう、細心の注意を払って何度も確認をして苦心の末にかき集めたのだ。足りない材料などあるはずがない。
 ……だがこれは僥倖かも知れない。材料が足りなければ準備は整わない。引いては儀式を行う事が出来ない。これをダシに、儀式の中止を訴える事が出来るのだ。元々兵隊長は二人組の提案は眉唾だった上に反対していた。この国で悪魔神の逸話を聞いた事がない人間などいない。その悪魔神を召喚して使役するなど、絵空事も甚だしい。だが恩があり絶対の信頼を置く国王の頼みとあっては無下にも出来ない。そんな複雑な心情を持ちつつ、兵隊長は此度の儀式に協力していたのであった。

「一体、何が足りないのですかな、タルウィ殿」

 足りない材料が入手困難なものほどいい。儀式が延期すればするほど、王を説得する期間が長引くというもの。その間に王を説得出来さえすれば……と兵隊長は愉悦を口元に隠しきれず、タルウィに問う。

「足りないのは…………」

「足りないのは………?」





「ニンゲンの………生首」





 タルウィが兵隊長に振り返る。刹那、ヒュッ、と言う奇妙な風切り音がこの現世から切り離された地下空間に響き渡る。
 
「……………あ?」

 我ながら酷く間抜けな声が漏れたな、と兵隊長は呑気に思う。一刹那後、ゴロン、と何かが転がる音を物凄く近くで聞いて、視界が奇妙に変異して、何が何だか分からなくなった。自らの左側には床。視界には自分が履いていたはずの靴が見える。その場にいる王と大臣は、手を伸ばしても届かないほどに高い位置から自分を見下ろして不思議そうな顔をしている。
 事態を引き起こしたタルウィは無表情で赤く染まった白刃を揺らし、ザリチュが愉悦に口元を歪ませている様子がやけに目に付く。凍りついたような数秒後、ドサリ、という何か重いものが倒れる音と共に恐怖が解放された。



『うわあああああああアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァ!!?』



 その場にいた三人の『ニンゲン』が揃って絶叫を上げる。同時に兵隊長は現世からの隔絶を強いられる。当然だ。人間が『首を切り落とされて』生きている道理などない。残された二人はその場にへたり込む。
 無くなった首から鮮血を吹き出し続ける兵隊長の倒れた亡骸を邪魔とばかりに蹴り飛ばし、タルウィはたった今落とした兵隊長の生首を無造作に拾い上げ兜を剥ぎ取ると、作業のような軽薄さで『ソレ』を大釜の中に投げ入れた。白煙を上げる大釜は、兵隊長の首を飲み込むとその腐臭を放つ液体の中に沈ませ、ゴボゴボとより一層激しく蠕動する。そして……首は二度と浮かび上がる事はなかった。
 一連の出来事を恍惚とした表情で眺めていたザリチュが王に詰め寄る。

「これで……これであらゆる準備は盤石です! 王様の悲願までほんの一手なのですよ!! さあ、呪文を唱えて下さい!!」

「ちょ……ちょっと待て! 何だこれは! こんな事になるなど聞いてはおら……んぐッ!?」

「ま〜だ立場を理解してねえようだな、王さんよ。アンタはもう意見出来る立場にねえんだよ。アンタはオレの言う通りにしてりゃそれでいいんだよ。余計な言葉は吐くんじゃねえ」

 今までの敬語は鳴りを潜め、本性を現したザリチュは王の襟元を締め上げ、口汚く罵る。

「面倒くせえ、立場ってモンを手っ取り早く分からせてやる。おいタルウィ、大臣の方も大釜にくべちまえ」

「…………もうやった」

 見れば、タルウィの足元には首のない無残な死体がもう一つ増えていた。

「ひッ!?」

「おお、珍しく仕事が早えじゃねえか。さて、これで分かったろ。ここであいつらと同じ目に遭いたくなけりゃオレ達に従うしかねえ。別に悪い条件じゃねえはずだ。アンタは悪魔神様を従えて世界の王になる。それは元々アンタの願いだろ? 言う通りにしさえすればアンタは死ぬ事はない」

 念を押すザリチュの声。だがネクロガリア王とて一国の主。己の正義というものがあり、国民を守る義務がある。此度の己が所業を省みて、命を投げ出す覚悟でザリチュを睨み返す。

「………断る。もうお前達の言葉など信用しない。例えここで殺されようとも、悪魔神の復活などに手助けするものか。そんなに儀式がしたいのなら、お前達だけでやればいいだろう」

「そうしてえのは山々だが、それが出来ねえからアンタに頼んでんだ。魔法もそうだが、呪文を唱えるには『言霊』を発する『オド』が必要だ。多少の呪文ならオレ達にも詠唱可能だが、アンタら人間とオレ達『魔族』ではオドの性質が違う。この儀式で必要なのは人間のオドによる言霊だ」

「魔族………だと……?」

 王に驚愕が走る。確かにこの二人組は得体の知れない部分が多すぎた。風貌は元より、特殊な儀式の知識、人の命をものともしない残忍さ。それが『魔族』という単語一つで一気に符合した。

「そうさ、オレ達ゃ魔族。悪魔神様の復活はアンタの願いでもありオレ達魔族の最大の悲願。利害はキレイに一致してんだろ? だがそれ以上ごねるようなら……アンタの首も大釜にくべて、その後で国民の中からテキトーにオドを持つヤツをさらって来て同じ事をさせるまでさ。誰かがやってくれるまで繰り返すだけさ。他国は戦争に躍起になって誰も助けになんぞ来てくれない。さぁて、国民思いの優し〜い王様はどうするのが得策かねぇ。ヒャーーーッハハハハハハハハハハハハ!!!」

「…………くっ」

狂ったようなザリチュの嗤い声が響く。ここへ来てようやく王は全てが策略だった事を思い知らされる。野心を利用され、初めから使い捨てられるだけの駒だった事を思い知らされたのだ。心を満たすものは絶望。枯れ果てた残骸のように、内に輝くものなど何も無くなってしまった。

「…………………分かった、やろう」

 僅かに思案した後ゆっくりと立ち上がると、王は大釜の前に立ち、腕を伸ばして目を瞑る。
 それで折れた。今まで信念として来たものがその一言で根元から倒壊した。最後に残ったものは……一縷の希望の欠片。魔族の言葉を鵜呑みにする程おめでたくはないが、もしも、万が一本当に『悪魔神が自分に付き従う』のなら、それは奇跡の逆転劇。追い詰められ、全てを取り上げられた王に最後まで残された砂粒のように小さな希望だった。



「其に孕んだ闇を。此を蝕んだ魔を。暗転の夜に静謐なる眠りの調べを。鮮彩に染め抜かれた紅、邪に輝かしきは蒼。踊るように軽やかに、歌うように高らかに、蠢く天より来りて彼の地を滅ぼせし神の名を讃えよう。頭を以て序とし、尾を以て終とし、体を以て全と成す。
 ―――おお、偉大なる御名を奉り、ここに誓いを果たさんが事を。確約の天秤にて対価を示す。彷徨える御霊、我が祖に於いて可逆を真とする。今こそその御身を現し給え―――」



 誰が知ろう。このネクロガリア城が此度、そして50年後の未来に於いてアレルガルド最終決戦の地となろう事を。

「そうそう、人間、素直が一番だぜ。……フ、フフフ……もうすぐお目に掛かれますね、『×××・×××』様。ククク………ヒャーッハハハハハハハハ……!!」

「…………………」



 紅月が輝き、狂気に満ちた嗤い声が響く夜。今まさに、運命の扉が開かれようとしていた―――――



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