穿つ三星と二刀の疾風
著者:新夜詩希


「はっ! つあっ!!」

「シッ!!」



 紅き月が輝く夜。激突する剣気は苛烈。この空間の空気でさえも刃の如く、研ぎ澄まされて熱を帯びる。ジークフリードとライゼンベルト。半端な手錬では互いの得物の刃先さえ視認出来まい。
 槍を駆るライゼンベルトの攻撃は正に瀑布。突きから返し、更に薙ぎへの移行に間隙など微塵もない。刃先は訓練用の模造だとは言え、その風圧が既に鋭利。一撃一撃が岩をも砕かんとする打突はアリアハン最強の『戦士』を名乗るに相応しい。兵士が束になってさえ手も足も出なかったジークフリードを、一歩も引かずに押し留めている。

「成程……その若さで兵隊長を名乗るだけの事はある。些か認識を改めよう。このような田舎において、お主程の戦士と出会おうとは。フッ、アリアハンも捨てたものではないな」

 しかしジークフリードとて然る者。薙いだ槍の間合いを見切り、バックステップでかわしきった所でそのような軽口を発する。

「称賛に与り光栄です。ですがその私の槍で一度も捉えられずにこうして渡り合っている貴方にそれを言われては、諷されているようにしか聞こえませんね」

 相対するライゼンベルトも皮肉と自虐により口元を歪める。仕切り直しとばかりに槍を頭上で回し小脇に抱えた。恐ろしい事に、両者共に未だ実力の全てを出しきってはいない。
 しかし、どちらかと言えばむしろ分が悪いのはジークフリードの方か。ライゼンベルトの豪槍を受けきるには些か力不足の感が否めない。激突する事約100合。俊敏性を生かして攻撃を避け往なすが、それでも数度、往なし切れず力負けして弾き飛ばされる事があった。片やライゼンベルトには隙がなく、未だ開戦から一歩たりともその場を動いてはいない。

「準備運動も充分でしょう。お互い、そろそろ本気で掛かりませんか。その腰に携えているもう一振りの剣、まさか飾りではありますまい」

 槍の刃先をジークフリードに向け、挑発するライゼンベルト。

「フッ……ならば実力で抜かせてみろ」

 構えるはあくまで剣一振り。無論本来のスタイルとは異なるが、事これほどの戦いに至ってまでジークフリードが見せる余裕である。

「……そうですか、ならば『これ』を受けてもまだその余裕を保ち続けられるのか、試してみる事と致しましょう」

「……むっ?」

 言うや否や、ライゼンベルトは槍を両手で構え、ジークフリードの向けていた刃先を僅かに下げ、足元に狙いを付ける。両者の間隔は約5m。謁見室の空気が変わる。それは開戦直前へと巻き戻ったような緊張と戦慄を孕んだ張り詰めた空間へと変貌を遂げたのだった。
 精神の収束。瞳には欠片も迷いの色など見出せず、口に出さずともこの数瞬後に己が真の実力を発揮する事を明確に宣言している。強き意思、揺るぎない自信を槍に乗せ、ライゼンベルトは闘気を昂ぶらせていた。

「ほう……今までとは気迫が違うな。これは愉しめそうだ。よかろう、全霊を以て掛かって来るがいい。どれ程のものか、我の剣に見せてみよ」

 片やジークフリードは戦況を味わうように、一見すると恍惚したかのように口元を歪ませる。そう、彼は明らかにこの状況を楽しんでいる。充盈する気力。刹那後の交錯をイメージし、久方ぶりとなる極限のぶつかり合いに思いを馳せた。それは一種の快楽。脳内麻薬の支配する、一般人には到底理解し得ない超越領域だ。

「―――――参る」

 本日二度目のその台詞は、しかし意味合いと覚悟の点で同音異義。先刻が開戦だとすれば、此度は『終戦』宣言に他ならない。ライゼンベルトは己が全霊をこの一瞬にのみ集約する。

「ぬんっ!!」

 ―――稲妻が迸る。動き出しこそ床を蹴る轟音を発したが、それ以外は全くの無音。否、音さえ追い付いていないと言うのが的確な所か。今までの演舞じみた優雅さは欠片もなく、喩えるなら獰猛な野生獣が大地を蹴り獲物を狩る様に似ている。鋭い一歩を踏み出したライゼンベルトは己が最高の打突を繰り出し、正に獲物を狩りに掛かるのだ。
 刃先は白銀の閃光。先刻の剣戟など比ではない程の速度でジークフリードに襲い掛かる。元々点でしかない槍の打突は、事ここに至って豪風を突き破るレーザーのような指向性を顕現していた。

「ッ!!」

 驚くべき速度。しかし歴戦の猛者であるジークフリードとて並みの使い手ではない。更に言えば、『スピード』に関しては己の分野である。この領分で勝負を挑まれ、尚且つ遅れを取ったとあらば『疾風の申し子』の名が泣こう。確かに打突の速度は規格外だが、所詮は一点狙い。力負けにさえ気を配れば決して往なせないモノではない。常人では反応すら不可能な攻撃を、ジークフリードは鞘に収めたままの剣で弾きに掛かる。



「―――――穿孔三星衝《トリアイナ・アステリズム》」



 ……だが。ライゼンベルトの真価はここからが本番だった。直線を成し、身体の真中を突き通さんとする打突はジークフリードの剣が捉えんとするその瞬間、唐突に全くの別物に変貌を遂げる。

「ハ……!?」

 芥子粒のような危機感。それはジークフリードが『百戦錬磨』であったからこその閃き。血の滲むような修練に修練を重ね、幾度となく修羅場を潜って来た経験から成る未来予測。目の前の打突が尋常ならざるものである事を看破したのは、卓越した戦闘センスと積み上げた戦闘経験の成せる『直感』故であった。

「ふっ!!」

 そしてその『尋常ならざる打突』を致命傷無しでかわせたのは……それ以上に超絶した敏捷性と反射神経、そして何より『覚悟』を備えていたからである。瞬きをする間もない刹那の紆余、往なしから回避への移行に迷いなど含めてしまっては反応が決定的に間に合わなかっただろう。ジークフリードは一瞬の内に自ら直感した命運へと身を委ね、見事生還したのであった。

「ぐ……」

 その代償は僅か右脚一本。無理矢理身体を捻ったが、所見では流石に回避し切るだけの時間的余裕が足りなかった。模造とは言え、あれ程の速度で迫り来る刃先は鋭利な刃物と何ら変わりはない。右脚大腿部外側に裂傷を負ってしまったのだった。
 死地からの脱出に要した代償は僅か右脚一本。……されど、右脚一本。刃先が模造であった分、動けなくなる程の傷ではない。しかしライゼンベルトの猛攻をかわし切ったあの敏捷性は望めるべくもないだろう。

「………驚きました。まさか私の『穿孔三星衝《トリアイナ・アステリズム》』がかわされようとは。貴殿の俊敏性は敬服に値します。これで私の槍がかわされたのは二人目ですか……。まだまだ精進が必要なようです」

 攻撃を終えたライゼンベルトは追撃する素振りも見せず、槍を下ろして膝を着くジークフリードに言葉を掛ける。

「…………今の槍術は」

「これが私の持てる最高の技だったのですが、貴殿を捉え切るには至らなかったようです。お見事、と言う他ないですね」

 若きアリアハン兵隊長は自虐から苦笑する。
 豪槍無双のライゼンベルトが持つ奥義『穿孔三星衝《トリアイナ・アステリズム》』。収斂した闘気を槍に乗せ、最高速の打突を放つ槍技である。……無論、ただそれだけではない。そこまではジークフリードが視認している限りだが、問題なのはここからである。一条だった筈の軌跡が敵の目の前で枝分かれし、『打突点がその名の通り三つになる』のがこの槍技の真価だ。
 狙うは三点。両肩と丹田。それを回避不能なまでの速度で打ち込むのである。左右に逃げても肩狙いの槍を避け切れず、身を屈めても丹田狙いの餌食になってしまう。そもそも常人では反応さえ出来ずに成す術なく三点を穿たれてしまうだろう。
 恐るべきは突きの速さよりも返しの速さか。三つの点を狙う打突を限りなく同時に近い速度で行うのだから。己の肉体一つで槍を極めたライゼンベルトだからこそ到達した絶対の一。アリアハン最強の『戦士』が誇る超人領域の絶技である。

「……あのまま弾きに掛かったのでは、今頃身体に三つの風穴が空いていただろう。驚いたのは我の方だ。まさかこれほどの打突を味わう事が出来るとはな」

「それをかわす貴殿は何者でしょうか。こちらこそこれ程の俊敏性を持つ『戦士』など初めてお目に掛かりました。世界とはかくも広いものですね」

 己が持てる最高の技を繰り出した者、そしてそれをかわした者。両者は戦いを超えた惜しみない称賛を交わしたのであった。

「さて……本来ならば私の槍を見事かわした相手。騎士道精神の観点から言えば私の負けでしょう。しかし、国の存亡が掛かっている以上、兵隊長である私がここで素直に負けを認める訳には参りません。
 何故なら私は未だ無傷。片や貴殿は、私の槍をかわしたとは言え負傷した身。その脚では最早、私の槍をかわし続けるだけの敏捷性はありますまい。勝敗は決したも同然でしょう。ここは潔く負けを認めてエジンベアへお帰りになられては如何ですか?」

 称賛から一転、ライゼンベルトが核心を突く。……そう、この戦いは只の『試合』ではなく、『アリアハンvsエジンベア』の国防戦なのだ。『自身最高の技がかわされた』という私的な理由で戦いを放棄する訳には兵隊長という立場上、立ち行かないのである。
 しかし………


「フッ……ククク……ハハハハハハハ………!!」

 膝を着いていたジークフリードは、心底可笑しそうに唐突に嗤い出す。

「……? よもや気が触れたのではありますまい?」

「ククク……我に傷を付けた事は評価するが、たかがこの程度の掠り傷一つでよくもそこまで思い上がれるものだと感心していたのだ」

「………何?」



「分からんか? 我はまだ『実力の半分も出してはいない』と言っている」



 ジークフリードが立ち上がる。裂けた傷からは血が滲んでいるが、気にした風もない。そしてゆっくりと……今まで徒手空拳だった左手で、腰に携えていた『もう一振りの剣』を取り出し、構えを見せる。

 ―――『二刀流』。これこそが疾風の申し子ジークフリード本来の型。城下街で兵士と対した時も、そしてライゼンベルトと対している今の今まで見せなかった真のスタイル。ライゼンベルトが槍術を極めたように、ジークフリードもまた己が適性に従って極めた二刀流、その真の姿がここにある。

「私の実力を評価して下さった事は光栄ですが……それでも鞘は抜きませんか? 侮られたものですね」

 二刀流スタイルに切り替えたものの、剣は二振り共鞘に収められたままだった。確かにライゼンベルトの槍も刃先は模造でまともに殺生出来る代物ではないが、それとこれとは次元が違う。『鞘から抜かずにいる剣』が、どれ程本来の姿と掛け離れているか。ライゼンベルトの言う『騎士道精神』の観点から言えば相手を愚弄しているとしか言いようのない作法であった。

「フッ……無礼なのは百も承知だが、それはまだ手の内全てを見せ得る程ではないとの表れだ。『お主程度、鞘に収めたままで勝てる』という意に他ならん。御託はよいから掛かって来るがいい。怪我人だからと遠慮はいらんぞ」

「そうですか……。では、例え死に至らしめてしまっても恨み言はありませんな?」

「愚問を。そのような覚悟、剣を取った時点で成っている。むしろ殺す気で来なければ、我の身には届かんぞ?」

 三度目の開戦。深まる夜に膨張した空気は、加速し発熱し弾け散る。濃霧のような闘気はライゼンベルト。己が実力を侮られ、自尊を傷つけられ、温厚で知られている彼でさえ怒りを放つ。溢れる闘志そのままに、再び刃先を下げて構えを取る。

「ハッ!!!」

 裂帛の気合と共に一条の箒星が流れる。牽制などない。それは先刻の焼き増し。背筋が凍る程の速度と見惚れる程の美しさを体現し、絶対的な力と成して打突を放つ。

「―――『穿孔三星衝《トリアイナ・アステリズム》』」

 驚くべきはその正確性。枝分かれした打突は針の穴を通す程の精密さで三点を穿つ。逃れられない猛獣の牙はここへ至って悪魔の業じみた閃光の奔流となった。

「……フッ」

 対するジークフリード。口元を僅かに歪めると、構えた二剣を下段に下げて



 真正面から『打突に飛び込んだ』―――



「な―――!?」

 驚愕はライゼンベルトのもの。バックステップで攻撃範囲外に逃れるならばまだ理解出来る。だがジークフリードが取った行動はまさにその真逆。自ら攻撃を受けに来るような無謀さであった。

 閃きは刹那。剣戟は一瞬。音さえ追いつかない超絶速度の中で、二つの武器と三つの軌跡が火花を散らす。……否、本来の軌跡から『捻じ曲げられた』と言うべきか。疾風の申し子は豪槍を潜り、アリアハン兵隊長の脇を抜けて背後に回る。そう、ジークフリードはライゼンベルトの奥義『穿孔三星衝《トリアイナ・アステリズム》』を見事打ち破ったのである。

「くっ!? 何の!!」

 己が奥義は完全に殺されたが、ライゼンベルトとて動きを止めない。返す刃で槍を横薙ぎ。独楽のように身体を反転させ、背後にいるであろうジークフリードに斬撃を見舞う。

「残念だったな。これで勝負はついた」

「…………!?」

 ……しかし槍は虚しく空を切り、同時に背中を何か硬い物で小突かれ、対した相手の声を背後から聴いた。それが『鞘に収められた剣』である事を悟った刹那、ライゼンベルトは敗北の念に全身を支配されたのだった。

「………私の負けです。よもやこれ程完璧に私の槍がかわされようとは……」

 ここに、雌雄を決した。エジンベアの使者がアリアハンの兵隊長を下した瞬間であった。

「一度で仕留められなかったのが運の尽きだったな。原理さえ知ってしまえば後はどうとでもなる。お主は一度に三撃かも知れんが、我は『一息に四度の攻撃』を可能とする」

 ジークフリードが『穿孔三星衝《トリアイナ・アステリズム》』をかわした原理は単純明快。打突に対し槍の横から剣を当て、その軌道をずらして自らが突破出来る間隙を作り出したに過ぎない。
 ……しかし、話自体はそこまで単純なものではない。目で追う事さえ不可能な程の速度の中、迫り来る槍の刃先に対して正確に横から剣を当て、軌道をずらす事がどれ程の神業か。しかも三点同時。ライゼンベルトはジークフリードに『速度』の点で遠く及ばなかった。これが卓絶した俊敏性を持つ異端の戦士『疾風の申し子』ジークフリードの真の実力の一端である。

「…………勝負あり。残念ながらライゼンベルトの負けだ」

 玉座から戦況を見守ったアリアハン王ラルスは、苦々しくその口を開き立会人たる役目を果たし閉幕を宣言する。そこにどれ程の悔恨の念が篭っていた事か。この戦いが担う意味の大きさは途轍もない。武闘大会に敗れたのとは訳が違うのだから。

「これでアリアハンはエジンベアのものだ、アリアハン王よ。訴状を理解した上での敗北宣言。今更撤回は出来ぬぞ? では早速、我はこの結果をエジンベア王の元に届けるとしよう。帰国の為に船を一艇借り受けたいが、これより『同盟国』となるのだから構わぬであろう? クックック……ハーッハハハハハハハハ……」

 ジークフリードが優越からの高笑いを発した、その刹那。





「まあ待てよ。せっかくアリアハンに来たんだ、そんなに急いで帰る必要もないだろ。もう少し遊んで行けよ」





 重苦しい空気を打ち破るように、一人の青年が軽口を叩いて謁見室に現れた。
 髪は黒い短髪で無造作に撥ねており、瞳はサファイアのように深い蒼。長い外套を動きやすくする為か、腰に巻き付けるように纏めている。手にはこちらも鞘に収まった剣。しかしジークフリードとは違い一振りだけだ。飄々とした雰囲気を持つ、一見すると普通の何処にでもいるような青年だった。

「………ほう? それでは次の相手はお主か? 名は何と言う?」

 青年の不思議な空気を察してか、ジークフリードは問い掛ける。

 ……誰が知ろう。この青年こそが『始まりの勇者』として世界の闇を祓い、後の世に蔓延る悪を打ち倒す『勇者』の系譜を築き上げる伝説の人物となる事を。そしてこの出会いこそが、全ての運命を紡ぎ出す歯車、その最初の一歯となる事を。



「オレの名はゼイアス。―――『魔法使い』だ」



 紅き月は闇に吠え、高らかに運命の幕開けを詠い上げる―――――



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