邂逅する運命
著者:新夜詩希


「魔法使い……だと?」

「へへっ」



 絢爛豪華なアリアハン城・国王謁見室に不敵な笑いが零れる。夜の深い闇が支配するこの国に於いて、この謁見室だけはそれを感じさせない。アリアハン国王に加え、城の兵士の約半数がこの場に集まり、先程までの苛烈な戦いに固唾を飲んで様々な思いを馳せていた。眠気を訴える者など皆無。ある者は己が長・ライゼンベルトの勝利を願い、またある者は疾風の剣士・ジークフリードの実力に戦慄し。室内中に張り巡らされた緊張の糸は、しかし、無邪気とも取れる笑みを零す一人の青年には何ら意に介すものではないようだ。

「……我の聞き違いかも知れんので今一度問おう。次の相手は貴様か? 名は何と言う? そして……貴様は何者だ?」

 予期せぬ言葉に苛立ちを隠さず、ジークフリードは現れた青年に再び問い掛ける。

「だから、今さっきしっかりはっきりと名乗っただろ。アンタ頭悪ィのか? オレの名はゼイアス。アリアハンの宮廷魔術師。つまり『魔法使い』だ。てめェがライズを倒したってんなら、次の相手はライズより強ええオレしかいねえだろって話だ。誰が好き好んでエジンベアなんぞ強欲が国の形してるみてェなヤツらの言いなりになんてなるかっつーんだよ」

「………………」

 さも当たり前のように、ゼイアスは告げる。その表情には自信しか見当たらない。……それもその筈、ゼイアスが語る言葉は全てが嘘偽り無い事実なのである。ゼイアスが『魔法使い』である事も、『ライズよりも強い』と言った事も、全て。

「………フフフ……クックック……フハハハハ……!! 戯言もその辺にしておけ、小僧。魔法使い如きが粋がっても片腹痛いだけだ。その意気込みだけは褒めてやるが、冗談で済ませている内に失せろ。生憎と、遊びではないのでな」

「こっちだって遊びじゃねェよ。そこに伏してるライズを倒したって、まだ『アリアハン最強』のオレを倒してねェんだから屈服させるにゃ不十分だろ。こちとら戦わずして言いなりになる程、人間出来てねェもんだからよ。……つーか小僧呼ばわりされる程、アンタだって歳離れてなさそうだけど?」

「笑止。この我を向こうに、『虚弱体質』の魔法使い風情一人で何が出来る。魔法使いの本領は後方支援と遠距離攻撃であろう? 戦士たる我とでは勝負にならぬと分からぬか。我に呪文詠唱や精神統一などの隙を一瞬でも見せてみろ、その刹那に切り捨ててくれる」

 吐き捨てるようにジークフリードは言う。
 ……そう、ジークフリードの語る理論は何一つ間違ってはいない。近接戦闘を得意とする戦士や武闘家を相手に、魔法を操る魔法使いや僧侶では勝敗は目に見ている。一対一ならば尚の事。魔法使いや僧侶は儀礼を以て魔法を行使する為、その儀礼を成すまでの間は完全に無防備となる。故に一対一の戦闘ではその実力が一分も発揮される事はない。
 魔力、自らの『オド』を以て大気に満ちる『マナ』に呼び掛け、更に呪文詠唱という『言霊』を用いて超自然現象を引き起こすのが『魔法』と呼ばれる神秘だ。火球を作り出し風を巻き起こし、傷を癒し身体能力を引き上げ、時には死者さえ蘇らせ昼夜を逆転させる事すら可能とする。
 ……それだけに、制約は数限りない。無論己が力量以上の神秘は行えず、レベルの高い魔法を行使しようとすればそれだけ修練を積まねばならぬ上、発現にも長い詠唱や大儀礼を必要とする。運動すれば肉体が疲労するように、体内の『オド』を消費すれば同様の精神的疲労が蓄積して行く。『魔法』と一口に言っても、それは決して無制限でも万能でもない。むしろその扱いの難しさにより、忌み嫌われる事さえあるのだ。

「あー面倒くせェ。アンタ戦士だろ? 御託はいいから掛かって来いよ。それとも『魔法使い』のオレが怖いのか?」

 心底面倒そうに、ゼイアスが携えていた剣を構える。
 このアレルガルドの人間は幾つかに分類される。最も大きく分けると、『魔力を持つか否か』である。更にそこから幾つかに細分化されるのだが、それは生まれ持った『資質』のようなものだ。その在り方は血液型のそれに近い。魔力を持つか持たざるかは本人の資質、両親からの遺伝など、様々な要素が絡み合って生まれたその時に決定する。一部例外を除いて、その資質が変革する事は一生涯ない。
 では魔力を持たずに生まれた者は劣等種なのか。それは一概に応とは言えない。何故ならば、魔力を内在する者は否応なく身体能力に負荷が掛けられるのだ。これは体内のオドが大気のマナに引っ張られている為だと言われている。無論、日常生活に支障をきたす程のものではないが、幾ら身体を鍛えようとも魔力を持たざる者よりはどうしても劣ってしまう。逆に知性は発達しやすく、学者や技術者などの頭脳職に適する場合が多い。
 魔力を持つ者と持たざる者。そのどちらにも良し悪しはある。どちらが優れた種なのか、そんな事は問題ではない。互いに長所を生かし短所を補い、協力し合って生活して行けば上手く事は運ぶのだから。人間は完璧ではないからこそ、『助け合い』の精神が産まれより良い豊かな営みを目指す。そうやってこのアレルガルドの世界は繁栄を成して来た。
 ……しかし世の中には何事にも『例外』というものが存在する。過去の常識になど因われず、時に羨望、時に畏怖の対象として崇められる。もしも『魔力を持ちながら身体能力に負荷が掛からない人間』がいたならば……果たしてそれはどれ程特異な資質の持ち主だろうか。

「やってみりゃあ分かるって。その時はきっちり後悔させてやっからよ。ホレ、どっからでも掛かって来………いてェ!?」

「これゼイアス、何を勝手に話を進めておる。誰もお前が戦っていいとは言っておらんぞ」

 自信満々で捲し立てるゼイアスに、いつの間にかアリアハン王ラルス13世が近付き、鋭く拳を脳天に叩き落としていた。

「お前は宮廷魔術師だろう? 余計な事に首を突っ込むなと何度言えば分かる。それとそのローブの着方、幾ら注意しても直らんなお前は。魔法使いは知的で寡黙で厳かに、常日頃からマナの息吹に感謝せよと教えたであろう?」

「だってコレ、ズルズル長くて鬱陶しーんだもんよー。相変わらず考えが堅ェ頑固ジジ………いででででででででっ!?」

「育ててやった恩も忘れて暴言吐くのはこの口かぁぁぁぁぁぁ!!」

「ほほは(頬が)っ! ほほはひひへふ(頬が千切れる)っ!! くっそ、これだから魔力無しのバカ力は……!!」

「ほーう? まだ仕置きが足らんと見える。上等だゴラァァァァァ!! 少しは年長者を敬わんかいこのジャリ憎がぁぁぁぁぁぁ!!!」

「ウ○ボシっ!? 息子に脈々と受け継がれる王様らしからぬ罵詈雑言が今日も華麗に冴え渡ってますーーーー!?」

 ゼイアスの後ろに回り込んだラルスは中指を尖らせた拳でゼイアスのこめかみを挟み、グリグリと鋭角的に圧迫する。……先刻までの緊迫感は何処へやら、深夜のアリアハン王謁見室は緊張感のない喧騒に溢れた。

「………ライゼンベルトよ、あ奴は一体何者だ? 国王と随分親しいように見えるが」

 その喧騒を呆れながらも見つめていた渦中の筈のジークフリードは、傍らにいる先ほどまで剣を交えていたライゼンベルトに疑問を投げ掛ける。

「…………。はい、彼の名はゼイアス。今年で確か20歳になる青年です。お聞きの通り、アリアハン国に宮廷魔術師として兵属しております。彼の出生は一言二言では語り尽くせませんが……両親不明の、所謂『孤児』だと思って下されば。育ての親は我がアリアハン王です。ゼイアスの年齢不相応のやんちゃが過ぎる事もあり、20歳になった今でもああやって昔と変わらぬ教育的指導の名を借りた些か過激な『じゃれ合い』を続けているようです。私としては、ラルス王にはもう少し威厳を持って貰いたいものなのですがね」

 語っている内に、ライゼンベルトは僅かに頬を緩ませる。

「成程、育ての親であったか。と言う事は、あ奴はこの国の王子という訳か?」

「いえ、王子はまた別に、ゼイアスと同い年のラルス王の実子がおられます。二人は共に育ち、幼少の頃よりお互い無二の親友として人生を歩んで参りました。……正直な話、ゼイアスが王子ならば私は忠誠心が湧くか自信がありません……」

「ふむ……確かに、アレが次代の王では不安も無理からぬ所だろう。クックック……」

 失礼とは思いつつも、ライゼンベルトとジークフリードは互いに苦笑した。ほんの先刻まで敵同士だったとは言え、剣を交えた仲。剣を通じて通わせたものは敵愾心だけではないようだ。

「そして……むしろこれが最も訊きたかった事なのだが、あ奴がお主よりも強いと嘯いているのは本当か? あ奴が真に『魔法使い』だというのなら、俄かに信じ難い眉唾物の話だが」

 一頻り苦笑した後、ジークフリードは自身にとって最も重要な疑問を口にした。……そう、普通に考えれば魔法使いが戦士に一対一で勝利する事などまず不可能である。実際に相対したライゼンベルトの実力はよく分かっているし、それは認めるに値し得るものだ。事前に入念な準備を施したのか、はたまた謀略を巡らせ罠にでも陥れたのか。そのような『搦め手』を駆使し、『負けた』という言質を取っただけに過ぎないものを誇大している可能性もある。いずれにしても『魔法使い』がこのライゼンベルトに正攻法で勝利した事があるなど、戦士たるジークフリードとして有り得てはならない事実であった。
 ………しかし

「……はい、本当です。私はゼイアスに勝った事がありません。彼は宮廷魔術師ですからアリアハン武道会には出場出来ませんので、あくまで野試合という形ですが……」

 ライゼンベルトは苦々しく事実のみを口にする。

「……騎士道を重んじるお主の事だ。相手を侮って実力を出し切れぬまま負けた、などと言う事はあるまい?」

「その通りです。今までに三度対戦しましたが、私は全て真っ向勝負で完膚なきまでに負けました。無論、対戦中に何度か魔法は使われましたが、卑劣な罠に嵌められた訳でも事前に肉体強化魔法《フィジカルエンチャント》を重ね掛けしていた訳でもありません。それは試合を観ていた兵士の幾人かも証言するでしょう。ここ数年、本気で槍を振るった相手は貴方とゼイアスだけです。更に言えば……私の奥義『穿孔三星衝《トリアイナ・アステリズム》』を最初にかわしたのも彼です」

「なん……だと……?」

 驚愕が走る。自らもまた打ち破ったとは言え、あの豪槍を以前にも破った者がいるなど、想像だにしていなかった。しかもジークフリードはあの槍術を破る為に脚に裂傷を負っている。敏捷性に絶対の自信がある自分でさえ初見では完璧には避け切れなかった。それを自分よりも先に攻略した者がいると言う。その事実だけでも受けた衝撃は計り知れない。

「…………クックック………クックックックック……ハハハハハハハハハハ!!!」

 だがジークフリードは嗤う。溢れ出す悦びを抑え切れず、猛々しくも恍惚に、声を上げて嗤う。それは先刻ライゼンベルトと対峙した瞬間の、高次元での戦闘に思いを馳せる昂揚感と同じ。ゼイアスの実力は確かに話に訊いただけでは全く分からない未知数で得体の知れない何かがある。しかし『ライゼンベルトよりも確実に強い』という事実、それだけあれば充分過ぎた。

「面白い。そこな小僧、ゼイアスと言ったな。次なる相手は貴様だ。貴様が魔法使いであろうが何であろうが関係ない。我と一戦交えよ。でなければアリアハンは即時、負けを認めたとみなす」

 鞘に収めたままの双剣の片方を、未だラルス王と言い争っているゼイアスに向けて宣言する。

「……ホレ、ああ言ってんぞオヤジ。オレが戦わねェとアリアハンの負けだってよ。アンタ、このアリアハンがあんな偉そうに踏ん反り返ってるバカ島国の言いなりで本当に満足か?」

「いや……しかし………!」

「ええい、煮え切らねェ! アンタは『この国を守れ』って一言オレに命令すりゃあそれでいいんだよ。ライズが負けた以上、それが出来るのはもうオレしかいねェのは分かり切ってるだろうが。オレは正直、あんな連中の下に付くなんざ死んでもゴメンだね。戦って負けたのならともかく、戦う前から諦めるなんてのはオレの性分に合わん。説教なら後で幾らでも聞いてやるからよ、頼むから戦わせてくれ」

 そう言ってゼイアスはその強き意思の宿る蒼眼を育ての親に向ける。宝石のような深い輝きを放つ瞳は雄弁に語る。己が意志を、己が力の自負を、そしてこの生まれ育ったアリアハンを『守りたい』という明確な願いを。それは最早、『息子』ではない一人の『戦士』の眼であった。

「……仕方ないな。お前の言う通りだ。それでは宮廷魔術師ゼイアス、アリアハン国王の名の下に命ず」

 息子の懇願を受けてラルス王は短く嘆息した後、ゼイアスに負けない程に強い視線を向けて『命令』する。



「国家に仇なす外敵を退け、アリアハン国を守れ。これは至上命令だ。命に代えても遂行せよ」

「仰せのままに。我が勝利、アリアハン国王ラルス様に捧げます」



 ゼイアスは片膝を付いて国王に敬意を払う。そこに養父と息子の関係性は一切ない。ラルスは国王として、ゼイアスはアリアハンに仕える兵として、些か形式ばってはいるが最大限の尊厳を現した言葉の遣り取りであった。

「………さてと、待たせたな。この度はご指名に与りました、アンタの大嫌いな魔法使いのゼイアスでござーい」

 ジークフリードに振り返ったゼイアスは、茶化すような口調で皮肉を言う。

「フッ……勘違いしているようだが、別に魔法使い自体を毛嫌いしている訳ではない。ただ我と戦うには役不足だと言っているのだ。だが魔法使いであれ何であれ、ライゼンベルトよりも強いと言うなら僥倖よ。最強を倒してこそ蹂躪する価値がある。我はより強い敵と戦いたい、ただそれだけだ」

「うっわ、バトルマニアかよ。アンタも大概イカレれてんだな。まあ……その気持ちは分からんでもないが。さて、アンタには色々と珍しいモンを見せてやろう。泣いてエジンベアに逃げ帰る事になっても知らねェぞ?」

「ほざけ。その言葉、そっくりそのまま返してやろう。貴様の力、どんなものか我が剣に見せてみよ」



 遂に相対する両雄。深く暗い闇夜に翳る、紅き月煌により運命がその姿を現し始める。蠢く魔、必然たる出会い、謎めく世界図。混沌への序曲、その第一楽章は既に走り出している。全てはある一つの結末を導く為に。確かなものなど何も無く、在るべき未来は霧の中。ただ一つ言える事は、廻り始めた運命は神でさえ止める術を持たぬと言う事だ。

 ……そう、運命の歯車は、今まさに音を立てて廻り始めたのだ―――――



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