陽のあたる場所
メルト・タウンを出発してから三日後の昼。
オレとサーラはあれから一度もモンスターに襲われることなく、フロート・シティに辿り着いていた。
もちろん、普通ならここに着くまでモンスターの襲撃がまったくないなんてことはありえない。
察しのいい人間なら予想できると思うが、実はサーラがモンスターや魔族といった存在を近づかせない<退魔結界陣(ホーリー・フィールド)>という術を使ったのだ。
それにしても、この術を使えるのなら、初日から使って欲しかったと思うのはオレだけだろうか。そうすればあの夜、エビルオークの襲撃を受けずにすんだのに、と。
ちなみにオレはいま、フロート・シティに住んでいる『とある知り合い』のところに向かっていた。隣にサーラはいない。なんでも、切らしていたという薬草を買いに行くのだとか。
どうやら彼女、薬草は本当に切らしていたらしい。オレはあれ、嘘だとばかり思っていたのだが……。
とっさの戦闘にも慌てない精神の強さを持っていたり、あんな強い『気』を出せたりと、サーラは僧侶としてだけでなく、冒険者としても一流の実力を持っていると思ったのだが、どうやらその見解は少し改める必要がありそうだった。
『とある知り合い』のところに向かう間、オレはしばし自分の思考に没頭する。考えているのはあの夜に感じた『強烈な殺気』のことだ。
あの翌日の夜も、オレはそれに似た殺気を感じて目を覚ましていた。さらにその次の日の夜にも、だ。
メルト・タウンを出発した夜以降はサーラが<退魔結界陣(ホーリー・フィールド)>を使っていたのだから、あれがモンスターの放つ殺気、というのはありえない。
少し間の抜けたところがサーラにはあるから、あの術を完璧に使いこなせていなかったという可能性もあるにはあるが、おそらくそれはないだろうとオレは思っている。
彼女は確かに性格的に抜けている部分はあるが、その実力は一流だ。大体、<退魔結界陣(ホーリー・フィールド)>は僧侶にとって初級の術だし、あれを使いこなせないようでは放浪癖があるから、などという理由で一人旅なんて出来るはずもない。
さらに注目すべきは、あの殺気、日を追うごとに弱くなってきているのだ。
初日はそれこそ、眠っていても跳ね起きるくらいの圧力を感じたのに、その次の日にはその圧力が、少しではあるものの確かに弱まっていた。ではその翌日は、というのは言わずもがな、だろう。
実は、夜毎に殺気を向けられる理由も、それが一日ごとに弱まっているのがなぜなのかも、オレには大体見当がついていた。おそらくは――
「――って、またか……」
ちょっとウンザリ気味に呟く。理由に見当がついていたところで、毎日毎日殺気を向けられるのは、やはり気持ちのいいものではない。当然のように昨夜よりもその圧力が弱まっていても、だ。
しかし、こんな昼間に来るとは思わなかった。メルト・タウンを発ってからというもの、この殺気を感じるのは必ず夜――それも眠りに落ちてからだったから。
向けられている『気』の質は夜毎のそれとすごく似ている。同じといってもいいだろう。つまり、夜に狙ってくる人間とは違う、別の誰かが殺気を向けてきているという可能性は限りなく低い。
それにオレとしては、その可能性は出来る限り考えたくなかった。確かにオレは裏組織の人間だが、複数の人間の恨みを買っているとは当然、思いたくなんかない。まあ、心当たりはなくもないけどさ、それでも殺されるほどの恨みをたくさん買っていることは……。
嘆息した次の瞬間、彼方から蒼白い光の波動がオレに向かって飛び来る!
「――くっ!?」
なんとかバックステップしてかわしたものの……。おいおい、シャレになってないぞ。いまのはおそらく、当たったものの精神を破壊する白魔術、<精神滅裂波(ホーリー・ブラスト)>。
かわせていなければ、オレは間違いなく死んでいただろう。
結果を見届けるつもりはなかったのだろうか、襲撃者はもう去ってしまったようだった。波動の飛んできた方向から『気』をまったく感じられないのがその証拠。
それにしても――
「おそらく殺気を向けてきているのはクラフェルなんだろうけど、やめてほしいよなぁ……」
先ほどとは比べものにならないくらいに、深く嘆息。
おそらくクラフェルは、メルト・タウンでオレがサーラの家に侵入しようとした日から今日に至るまで、ずっとオレを監視していたのだろう。もちろんこれからもそうするつもりに違いない。
そもそも、あの日にオレはサーラを殺すつもりだった。けれどあっさり撃退(?)され、成り行きで彼女とここまで旅をすることになった。そう。殺しのターゲットであるはずのサーラと、だ。
詳しい理由を知らずにクラフェルがオレとサーラの道中を監視していたのだとすれば、そりゃ、彼の目にはオレが任務を放棄しようとしているようにも映るだろう。でもって、裏世界のことをサーラに話されないように、とクラフェルがオレを殺そうとしていても、まあ、それほど不自然なことじゃない。
さらに、だ。ここ何日かのオレたちを見ていれば、オレにサーラを殺す意志がなくなったわけではないこともまた、察せるだろう。それなら向けてくる殺気も日々弱くもなり、オレを殺そうとするのにもためらいが出てくるはず。
でも、実際に攻撃してくるのは、もう少し待ってくれないものかなぁ……。オレとしては、ちゃんと借りを返したらサーラを殺すつもりでいるんだから。勘違いでクラフェルに殺されようものなら、それこそシャレにならない。
オレはもう一度深く嘆息して、『とある知り合い』の家に向かって歩を進めるのだった。
コンコン、とオレのノックの音が響く。
こぢんまりとした一軒家の前で待つことしばし、
「はい、どなたですか?」
誰何(すいか)の声と共に家の扉が開いた。中から出てきたのは、緑色の髪をツインテールにした可愛らしい顔立ちの少女。歳は確か今年で13だったっけか。――あ、いまのは客観的事実を述べただけで、オレがそういう趣味だというわけでは断じてない。
「あ、ファルカスさん! お久しぶりですっ!」
テンション高く挨拶してくる彼女――エレン・ファムレンに、オレは手を上げてフランクに応える。
「よっ。久しぶり、エレン。――デルクはいるか?」
「はい。いまは仕事部屋に。――あっ、すぐに呼んできますね。それはもう、全速力で!」
エレンは、扉の前で突っ立っているオレにすぐさま背を向けて、奥の部屋へと走っていった。……オレはどうするべきだろうか。家に入ってもいいのだろうか、それともここで待ってるべき……?
ちょっと途方に暮れていると、思い出したようにエレンがこちらに戻ってきて、
「あっ! すみません! どうぞ入って待っててください! それはもう、奥のほうまでずずいっと!」
「あ、ああ……」
少し赤面してビシッと奥のほうを指差すエレンに、オレはちょっと引いてしまう。ちなみに、彼女の指は飾り気のない壁を差していた。あれって、部屋と部屋を隔てる壁じゃなくて、家と外を隔てている壁だよな。もしかして、これは暗に『帰れ』って言われてるのか?
……うん、まあ、深く考えずにとりあえず上がらせてもらうとしよう。ちなみに、デルクが応対に出てくると、大抵、開口一番で『帰れ』と言われるのだが、それはここだけの秘密としておく。
そのときにオレが『勝手知ったる他人の家』とばかりにムリヤリ上がりこんで、おまけに飲み物の一杯も勝手に頂いているのも、ここだけの秘密だ。うん。
オレはとりあえずエレンの言葉に甘えて、後ろ手に扉を閉めて家に上がらせてもらう。そのままテーブルのイスに腰掛けてしまったのは、まあ、いつものクセというやつだ。
エレンはオレがイスに腰掛けたところで、
「じゃ、じゃあ呼んできますねっ!」
と奥の部屋へと消えていった。……本当、テンションの高い娘だ……。
『ほら! ファルカスさんが来てるんだから! 早く!』
『おい、待てエレン。ファルカスが来てるから行きたくな――ああ、わかったよ。行く。行くから』
そんな会話がテーブルについているオレの耳にも入ってきた。……あいつ、そんなにオレに会いたくないのか。まあ、別にショックを受けるようなことでもないけどさ。
「お待たせしましたっ!」
エレンが不機嫌そうな表情をしたデルクの腕を引っ張ってこちらにやってくる。相も変わらずテンション高く。
「一体なにしに来たんだ? ファルカス?」
面倒くさそうに尋ねてくる、この家の主である鑑定士――デルク・ファムレン。38歳。
「一応言っておくが、俺は考古学者だからな。物品の鑑定は考古学の一環でやっているだけだぞ」
「おお、まるでオレの心の中を読んだかのような発言だな、デルク」
まるでオレの心の中を読んだようにすら感じられるデルクのセリフを、しかしオレはあっさりと流した。だって、オレたちは顔を合わせるたびに必ずこのやりとりから会話を始めているのだから。
「――で、今日は一体なんの用なんだ?」
紅茶を淹れますね、とエレンが台所に向かったところで、テーブルについて改めて用向きを尋ねてくるデルク。メガネを中指で上げる仕草が彼の神経質そうな顔立ちと見事にマッチしていた。
「いや、な。ちょっと鑑定してもらいたいものがあってさ」
いきなりデルクが嘆息する。まったく、客人の目の前で失礼なヤツだ。
「どうせお前のことだ。それだけってわけじゃないんだろう?」
「ああ。価値が少しでもあるんなら、王室に売らせてもらおうかなー、と」
彼はしばし沈黙したのち、エレンと同じ緑色の髪を掻きながら、
「……お前、俺のことを便利屋かなにかと勘違いしてないか?」
「してないしてない。いや、実際な、王室に繋がりのある人間って本当、貴重なんだよ。ほら、魔法の品ってさ、大抵の場合は高値で取り引きされるだろ? 適当な一般人に売りつけるってのはすごく難しいんだよな。タチの悪い魔法の品だと、店でも買ってくれないことがあるしさ。だから裏世界以外では王室に買ってもらうのが一番なんだ」
「それは何度も聞いたよ。でもって、裏世界にいるお前が王室に売りに行くわけにもいかない。だから考古学の研究をしていて、王室のお抱えになっている俺に売ってきて欲しい、と」
「まあ、そういうことだな。――そうしかめっ面するなよ。売ってできた金の1割は毎回、ちゃんとお前に渡してるじゃないか」
オレの言葉に、やはりしかめっ面のまま脚を組むデルク。
「……やっぱりお前、俺のこと便利屋かなにかと思ってないか?」
「だから思ってないって。――あ、ほら、エレン戻ってきたぞ」
それを聞くやいなや、彼は表情を和らげた。こいつは本当に……。
「お待たせしました。ファルカスさん、おじいちゃん」
驚く人間もいるだろう。よく勘違いされるようだが、エレンはデルクの娘ではない。孫娘である。つまりデルクも親バカではなく――
「お前って、本当に爺(じじ)バカだよなぁ……」
エレンが出してくれた紅茶をストレートで口に含み、オレはポツリとそうつぶやいた。
「爺バカとはなんだ」
同じくカップを持ち上げながら、デルク。……爺バカは爺バカだよ。
「大体お前、いくつで結婚して子供作ってんだよ。おまけにその子供はいつエレンを生んだんだ」
もはや呆れながら問うオレ。ちなみにこの質問、オレはこいつに会うたびにしていたりする。しかし返ってくる答えは決まって、
「それは、秘密だ」
これである。さらに突っ込んで訊くと『女性にとって謎は魅力になるんだぞ。秘密が多いほうが輝いて見えるんだ』などというふざけた返答をしてくるのだ、こいつは。大体、お前は男だろう。
「それでファルカスさん、今日はどんなご用事ですか?」
テーブルについてカップを両手で包み込むようにしながら、エレンが問うてくる。それにオレは荷物袋をごそごそとやってから、
「ちょっとこれをデルクに鑑定してもらいたくてな」
サーラの家でも出した真っ黒な剣である。オレはこれを金に換えたいのだ。
「……これ、呪われてるんじゃありません?」
さすがに引きつった表情になるエレン。デルクも再度、顔をしかめて、
「おい。これはちょっと禍々しすぎるぞ、ファルカス。こんなもの俺ん家に持ってくるな」
ずいぶんな言われようである。まあ、禍々しいという点に関しては、オレも同感だったりするのだけれど。
「そんなこと言わずに鑑定してくれよ〜。オレのサイフ空っぽでさ、今日中に金を作らないとマズいんだ」
「……一体、なにに使ったんだ? お前がムダ遣いするとも思えんし」
「ああ、それがな。…………。すまん、ちょっと言えない」
それを聞くと、デルクはカップの中身を空にして、テーブルに置き、
「裏世界関連、か? それなら俺たちは知らないほうがいいな」
「まあ、当たらずとも遠からずってところだな。とりあえず訊かないでくれるのは助かる」
人を殺すために他人の家に侵入して、返り討ちにあったうえサイフを落とした、なんて言いたくはないし。
「じゃあ、早いところ鑑定するとしよう。どうせ終わるまで帰らないつもりだろう、お前?」
「そりゃ、それが目的だからな」
やれやれ、という感じで首を振り、デルクが立ち上がる。そして自分の部屋へと足を向け――
「そうだ。エレンに変なことしたら承知しないぞ」
「誰がするか!」
「おじいちゃん!」
オレにだけでなくエレンにまで怒鳴られ、かなり落ち込み気味に自室へと入っていくデルク。まったく、変なことを言うから……。
「すみません、ファルカスさん」
ぺこり、と頭を下げてくるエレン。別に彼女が謝ることでもないんだけどな……。
「いいさ。別に気にしちゃいないから」
「そうですか? ならいいんですけど……」
ううむ、エレンがあのデルクの孫だというのが正直、信じられない。似ても似つかないというのはこういうのを言うんだろうな。
しばし、なんとなく居心地の悪い沈黙が落ちる。なんというか、話題がない。別にエレンと二人でデルクの鑑定が終わるのを待つというのは、珍しくもないことなのだけれど。
というのも、デルクは人目があると集中して鑑定が出来ないらしい。なのでオレもエレンも必然的にここにいることが多くなるのだ。
もちろんエレンは買い物に行っていて、オレがひとりで待つ、ということもあったけれど、デルクは手際がいいのかウデがいいのか、短時間でオレの持ってきたものを鑑定してくれるので、それを苦痛に感じたことはなかった。しかし、この沈黙はどうも……。
とりあえず黙って紅茶を飲むオレとエレン。と、オレのカップはすぐに空になった。
「――あ、あの、紅茶もう一杯飲みますか?」
「あ、ああ、頼む」
どうもぎこちないやりとりのあと、エレンが席を立って紅茶を淹れてきてくれる。
「どうぞ」
「……どうも」
ああもう、なんか気まずすぎるぞ。オレはこういう雰囲気、苦手だというのに。
とりあえず、二杯目の紅茶に口をつける。二杯目もちょうどいい温度でほんのりと甘い。気まずさをごまかすためにがぶ飲みしたのだが、舌を火傷することもなかった。
――なんとなく。なんとなく、だけど。
この娘は将来、いいお嫁さんになるだろうなと、ふとそんなことを思った。
「あ、もう一杯飲みますか?」
「いや、さすがに遠慮しておく。いくらなんでも入らないって」
「あ、そうですよね」
ちょっと照れたように、頬を赤く染めてエレンは笑う。なんだか空気が軽く、温かくなったような気がした。
オレがここを割と頻繁に訪れているのは、きっとこういう穏やかな空気の中に居たいからなのだろう。本当にときどきでいいから、人の温かさを感じたいからなのだろう。
そんなことを考えながらエレンの顔を見るともなしに眺めていると、彼女はなぜか視線を自分の手の中にあるカップに移してしまった。そうしてすごい勢いで紅茶に息を吹きかけ、冷まそうとする。
どういうわけか、エレンはオレと目を合わせて話そうとしない。視線がオレと合うことは滅多にないし、合ったとしても彼女はすぐに目を逸らそうとする。それも、初めて会ったときからずっと、だ。
……う〜ん、もしかしてオレ、エレンに嫌われているのだろうか。
でも会話の内容は割と友好的なんだよな。デルクとのそれとは比べようもないくらいに。
気がつくと、また沈黙が落ちていた。けれど、この沈黙は先ほどまでのそれとは違って、とても温かかった。居心地がよかった。いつまでもこうしていたいとさえ思える。
「あ、あのファルカスさん」
今回の沈黙を破ったのもエレンだった。ただ、なにか話があるようで、珍しく自分からこちらに視線を向けてくる。まあ、視線は合わなかったけれど。
「前に来たときには、しばらくこっちのほうには来ないと思うって言ってましたよね? それなのにどうしてまた……? その、ただ魔法の品を鑑定してもらうだけなら、おじいちゃん以外にも出来る人はいそうですし……。ほら、裏世界の人とか」
まあ、それはそうだ。ここで鑑定してもらうのは、あくまでこの街に寄る用があるときのみ。そして本来なら、当分はこの街に来る予定はなかった。
ここが温かいから、というさっきの思考は答えになっているようでなっていないし……。
やっぱり一番の理由は……。
「この街の道具屋に用事があるっていうやつのボディー・ガードを引き受けたんだよ。で、まあ、ついでに寄ってみたわけだ」
懐具合が寂しいから、というのは敢えて言わなかった。すでに言ったことでもあるし、あの件について突っ込んで訊かれるのも嫌だし。
「……そうですか」
なぜかエレンは、オレの返答に少し寂しげな表情を見せてうつむいてしまった。それから、なにに思い当たったのか、再度顔をオレに向けて勢い込んで尋ねてくる。意外なことに彼女の視線がオレを真正面から捉えていた。
「もしかしてその人って、じょ、女性だったりしますか!?」
思わず腰を引いてしまうオレ。
「あ、ああ、まあな」
「そ、そんな……!」
ショックを受けたようにうつむいてしまうエレン。一体なんなんだ……?
オレが疑問に思っていると、またしても彼女は視線をオレに向けてきた。いままで滅多になかったことが今日だけですでに2回も起こっている。本当、一体なんだっていうんだ……?
エレンの目にはなんだかものすごく力が篭っていた。彼女の手のほうも同様で、カップが少し軋んだ音を立てている。すごい圧力だった。この家に来る前に感じた殺気といい勝負だと思われる。
「あ、あの、ファルカスさん。私みたいな――いえ、普通の暮らしをしている人のことを少しでも『いいな』って思ったりしませんか? 裏世界での生活が、嫌になったり、しませんか?」
「…………」
エレンの問いに、オレは少しの間、黙り込んだ。茶化すことは出来る。適当な答えを返すことだって、簡単だった。
けれど、尋ねてきた彼女の声音は、すごく真面目なもので。オレの身を、心を、本心から心配してくれている声で。だからこそ、オレはちゃんと本心で応えてやるべきだって、そう思った。
「……嫌になることはあるな。最近は、特に。普通の暮らしをしている――エレンのような人間を羨ましく思うことも、ときどきある。でもさ――」
もう、オレは戻れないから。戻ったりなんかしたら、いままでのオレを否定してしまうことになるから。
そう言おうとしたが、しかしそれはエレンに遮られた。
「だったら、裏世界から足を洗えばいいじゃないですか」
デルクと一緒に暮らしているせいなのだろうか、エレンはやたらと大人びた表現を使うし、世間の厳しさだって、適当に生きているだけのそこらの大人よりもずっと知っている。
けれど、やはり彼女も13歳の少女だ。ときどき、こういうムチャを口にすることがある。
「足を洗って、どこか――ううん、どこかじゃなくて、この家で――」
ときどき顔を赤くして目を逸らそうとするも、エレンはオレから視線を外さずに語っていた。オレは話の内容よりも、そのことに驚く。しかし彼女の言葉はその半ばで遮られた。
「鑑定、終わったぞー」
あの剣の鑑定を終え、部屋から出てきたデルクに。
それで自分がムチャを言っていたことを自覚したらしく、勢いに任せるように話していたエレンは、これ以上ないくらいに真っ赤になってうつむいてしまった。
「で、どうだ? 価値はありそうか?」
気を取り直して、オレはデルクに尋ねる。
「そこそこ、だな。たいしたものじゃない。値をつけるとすれば、そうだな、妥当なところで5000リーラってところだな」
左の掌を大きく開いて、デルク。
「やっぱりそんなもんか。じゃあそれ、王室に売っといてくれ」
「お前、やっぱり俺のこと便利屋だと――」
「だから思ってないって」
嘆息気味にそう返し、オレはデルクに右手を出す。
「? なんだ?」
「明日まで待ってられないんだよ。いまお前が4500リーラ払ってくれ。その剣はお前が明日王室に持っていけば、5000リーラで買い取ってもらえるだろ?」
「……まあ、それを否定すれば、俺の眼まで否定することになっちまうしな。まったく、上手いやり方だよ」
ぼやきながら自室へと戻っていき、ほどなく金貨が詰まっているのであろう皮袋を持ってくるデルク。その中からいくらかの量を出してもらい、オレは金貨の量が4500リーラ相当分になるよう、枚数を数えながらそれを自分のほうへと寄せる。
「4000と、1、2、3、4、500っと。ありがとな、デルク」
「……まったく感謝しているように聞こえないな」
「じゃあ、なんと言えと?」
「ありがとうございます、デルクさま、だ」
「言えるか!」
それから一通りデルクとバカげた会話をしてから、オレは席を立って玄関へと向かった。
「じゃあ、また来るな」
「もう来るな」
苦笑してそんな憎まれ口を叩いてくるデルク。オレはそれにやはり苦笑を返して、家を出る。
正直、あれきり黙りこんでしまったエレンのことが気にはなったが、オレにどうにか出来る問題ではないと割り切ることにした。
今日、この街に着いたときにとっておいた宿屋に戻ると、すでにサーラが戻っていた。ちなみに宿代は、雇い主であるサーラ持ちだ。
夕食時に一応、薬草のことを聞いてみると、ちゃんと買えたよ、という答えが返ってきた。
「ファルカスは今日、どこ行ってたの?」
「ん? ちょっと知り合いの家にな。これでも割と知り合いは多いんだ」
それからメシをぱくつきながら、サーラとしばし雑談をする。本当にくだらない、その場だけの会話。けれどオレはそれに既視感(デジャ・ヴュ)を覚えていた。
話の内容は本当にどうでもいいことだけれど、サーラとすごす時間には、温かさがあった。彼女といる時間は、とても居心地がよかった。
そう。まるで今日のデルクの家にいたときのように。エレンと話していた時間のように。
そして、その温かさにオレは思わず涙をこぼしそうになる。
だって、オレはサーラを殺しにきたから。
自分に幸福だと思える時間をくれている彼女を殺すために、オレはいま、ここにいるのだから。
それだけが、いまのオレの存在意義なのだから。
サーラはオレにこんな幸福な時間をくれているのに、オレが彼女に与えてやれるのは『死』のみなんだな……。
考えれば考えるほどに胸が痛くなる。彼女の笑顔を、直視できなくなっていく。
オレがこれからやろうとしていることは正しいことなのか、なんていう今更すぎる問いさえ、頭に浮かんできた。
そして、エレンとの会話を頭の中でリピートする。エレンに言ったことが頭の中で繰り返される。
裏世界から足を洗って、普通に暮らす。それは、どんなに温かい日常になるだろう。どんなに温もりにあふれているだろう。
けれど、今更そうすることなんて、出来はしない。だって、そんなことをしたら、いままでのオレを否定してしまうことになるのだから。
「ねえ、ファルカス。どうしたの? ボーっとしちゃって」
サーラの心配そうなその声にオレはハッとして彼女に顔を向けた。すると、やはり心配そうな彼女の瞳と視線が合った。
「――あ、いや……」
すぐに目を逸らし、メシの途中でオレは席を立つ。普段のオレだったら絶対にしないことだった。
「オレ、先に部屋に戻ってるよ。ここ何日かまともに眠れてないから、早く寝たいしさ」
サーラの顔も見ずにそう告げると、彼女の視線から逃れるようにオレは二階にある部屋に向かう。念のために言っておくが、もちろん部屋は別々にとってある。
オレは自分の部屋に入ると、マントもバンダナも取らずにベッドにうつ伏せに寝転がった。ここのところまともに眠れていなかったのは本当だったし、当然、疲れも溜まっている。すぐに眠気が襲ってきた。
まどろみの中で、ふと思う。オレは誰からも逃げてばかりだな、と。
完全に裏世界に染まることも出来なければ、サーラやエレンといった俺に幸福を与えてくれる人と一緒にいることも出来ない。
オレが生きている意味なんて、あるのだろうか。誰もオレを必要としない。利用するヤツはいても、必要としてくれる人はいない。
幸福を与えてくれる人が現れても、オレはそれを自分から拒絶する。そう、オレのことを心配してくれたサーラからも逃げたように。
なんで逃げるのかは、わかっていた。オレが裏世界にいるからだ。下手に大切な人なんて作ろうものなら、その人まで裏世界の事情に踏み込まなければならなくなる。だからオレは、裏世界に入ってからは『友人』を作らなかった。他人との関係性は、常に『知り合い』という程度に留めていた。
それはやはり、どうしようもなく寂しかった。けれど、仕方のないことでもあった。もう陽のあたる場所には戻ることの出来ないオレには、あのときブラッドの示してくれたこの道が正しいことを信じて、ただただ突き進むしかないのだから。
――もし、オレのこんな生き様を見たら、アスロックはオレのことをどう思うだろうか……。
その思考を最後に、オレは眠りに落ちていった。
そして、夢の中で過去の記憶が再生される――。
――――作者のコメント(自己弁護?)
なんか暗い感じに終わってしまいましたが、どうも、ルーラーです。ここに『夜明けの大地』の第四話をお届けします。待っていてくださった方、心の底からありがとうございます。
それにしても今回のラスト、本当に暗いですねぇ。ファルカス、すっかりネガティブ思考に入っております。中盤のラブコメっぽいノリはどうした! って感じですね。
あ、今回はサーラの出番が極端に少ないです。スポットはずっとファルカスに当たっています。この回はファルカスの心中を描くために展開を一から考え直しました。
というのも、第四話は原稿用紙に書いていたときには完全にはしょられた箇所だったりするんですよね。原稿用紙に書いた第四話は、フロート・シティに着いて、宿をとって、ファルカスとサーラが会話をして、ささいなことからファルカスがサーラに腹を立てて自室に戻る、という話だったりします。
いや〜、いま思うとかなり地味な展開ですね。ラブコメっぽいシーンもありませんでしたし。それがどうしてこういう話になったのかといいますと、まあ、ファルカスの心中を描きたかったというのもありますが、それと同じくらいに投稿キャラを出したかった、というのもあるんですよね。やっぱり募集した以上は積極的に使いたいですし。
で、今回は天空十六夜さんが投稿してくれた『デルク・ファムレン』を使わせていただきました。また、使えるとしたらこの回くらいでしたしね、いまのところ。そんなわけで天空さん、投稿ありがとうございました。『デルク・ファムレン』というキャラが第四話の内容を大きく変えましたよ。本当はチョイ役にするつもりだったので、この活躍ぶりには僕自身も驚きました。
本当はファルカスが宿屋に戻る前に、サーラが猫探しの依頼を受けてきてしまい、ファルカスも一緒に猫を探す、というミニエピソードも考えてあったんですけどね。それをやると第四話が長くなりすぎるので、今回はカットしました。
でもちょっと書きたかったなぁ、ファルカスとサーラが呪文で猫の足を止めるミニエピソード。……いずれ書きましょうかね。捕まえられる猫はたまったもんじゃないでしょうけど(笑)。
それと、デルクの孫娘『エレン・ファムレン』は僕の考えたキャラです。けっこうキャラが立ったと自負しておりますので、人気があったら再登場させたいなぁ、とも思っています。
また、彼女は初のラブコメキャラでもありますね。でも年齢差のせいでファルカスにはちっとも意識されてないという、割と不憫なキャラでもあります。健気な性格をしているので、人気が出たらいいなぁ、と僕は切に願っております。
さて、『夜明けの大地』は第五話から気の抜けない展開になっていきます。伏線をどんどん回収していきますよ。今回はほとんどありませんでしたが、新しい呪文もどんどん出していきますし。
ともあれ、この物語を通してファルカスとサーラがどうなっていくのか、ご期待いただけると幸いです。
では最後にサブタイトルの出典を。
今回はキャラクタービデオ集『仙界伝封神演義 封神百科』のED曲からとりました。まあ、このキャラクタービデオ、僕は持っていなかったりするんですけどね。僕のこの曲に対する認識は、米倉千尋のベストに入っていた一曲、というだけだったりします。
意味は『ファムレン家は陽のあたる温かい場所』ですね。そのまんまですけど。
それでは、また次の作品で会えることを祈りつつ。
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