あなたたちのくらやみで
――夜の闇が薄れもしない森の中を歩く。
ガルス・シティを出てから一時間と経たないうちに、どこからかオレを見ている視線をいくつか感じた。視線の主として考えられるのは、オレに『モンスターを討伐し、それで賞金を得て生計を立てているコミュニティ』を紹介してくれると言ったクラフェルだろう。街の外で落ち合う約束になっているのだし。
しかし、じゃあなんで複数の視線を感じる……?
「――やばいかな……」
ぶるり、と身を震わせ、腰のエアブレードに手を伸ばす。いつ誰に襲いかかってこられても対処できるように臨戦態勢。
「……まあ、気配からすると、それほど強い相手じゃないか」
暗い森の中にいるせいか、自然と独り言も多くなる。――と、オレのセリフが引き金になったのだろうか。木々の間から二本の脚で立つ、トカゲのようなモンスターが姿を現した。
あとになって知ったことだが、このモンスターの名はリザードマンといって、本来はスペリオル聖王国に生息しているらしい。武器となるのは、その巨体が生み出す強大な膂力(りょりょく)と、旅人を殺して奪ったのであろう鉄製の長剣。そして、その口から吐き出される炎のブレス。
弱点は動きが鈍いこと――なのだが、リザードマンは鉄のような皮膚を持っているため、剣だけで倒すのは、ほぼ不可能だったりする。
この頃のオレは当然それを知らない。けれど、皮膚が硬そうなことはすぐわかる。即座に魔術で倒そうと試みた。
それには、まずリザードマンの動きを牽制する必要がある。そうして時間を稼ぎ、呪文を唱え、奴に当てる。物理的な術はあの皮膚に防がれる可能性が高いので、使うのは精神魔術。
そこまで思考し、オレは牽制のためにエアブレードを抜き放とうと――
「……なっ!? 腕が、ちゃんと動かない……!?」
動かない。腕が思うとおりに動かない。焦っているうちに腕どころか脚も自由に動かせなくなっていく。
なんでだ!? なんで――いや、ならすぐに呪文を唱えて――
その思考に至ったときには、もう遅かった。口もまた、自由に動かすことが出来なくなっていた。まるで酒を飲んだ人間のようにろれつが回らず、ちんぷんかんぷんな言葉しか出てこない。
リザードマンがオレに一歩詰め寄ってくる。剣を振るう間合いを計る一動作。――もう、駄目だ……。
振り下ろされる剣を、じたばたも出来ずにただ、酷く落ち着いた瞳で見つめる。
――刹那!
「はあっ!」
銀色の閃きが闇に刻まれた!
傷を負わされたリザードマンが苦悶の声を上げながら、力任せに剣を振るう。しかし、オレにではない。いま、このモンスターに剣を突き立てた何者かに、だ。
その何者かは、素早く剣を引き抜いてリザードマンの剣に自分のそれを合わせる。
剣と剣が咬み合う音が辺りに響いた。リザードマンの膂力から放たれたその一撃を受けたのはすごいが、その何者かはまったく動かない。リザードマンの剣を受けるだけで精一杯だったのだろう。
どちらも攻撃には移らない。お互いの力は拮抗していた。
……って、拮抗? リザードマンと戦っている奴、一体どれだけ筋力があるんだ……?
剣を合わせている何者かが、ちらりとオレのほうに瞳を向ける。なにか、強い意志を感じさせる赤い瞳を。
年の頃は30代前半だろうか。銀色の鎧を着込んだ、戦士姿の男性だった。少し伸びた黒髪は後ろでひとつに縛っている。しかし、なによりも目を引いたのは、その瞳と同じように――まるで血を思わせる真っ赤なバンダナとマント。
彼はそのマントを闇にたなびかせ、地面に右膝を立てると下半身を沈める。対応できなかったリザードマンは前につんのめった、そこに体勢を戻した彼の蹴りが命中! わずかに宙に浮くリザードマン。
そしてそこに――
「鋼魔空断剣っ!」
男の振り下ろした剣は、リザードマンの身体を真っ二つに斬り裂いた!
右と左に身体を分かたれ、地に落ちるリザードマン。男はそれを一瞥すると、剣を鞘に収めてオレのほうに向き直る。
「大丈夫だったかい?」
「え、あ、……はい」
……あれ? 口が普通に動く……?
試しに腕をぶんぶんと振り回してみたり、二、三歩歩いてみたりしてみたが、やはり自由に動かせた。
……本当に、一体なんだったんだ……?
彼はオレにブラッドと名乗った。そう、これが『暗闇の牙(ダーク・ファング)』の頭(トップ)、ブラッドとの出会いだった。
『暗闇の牙』の頭といっても、彼はオレが思うに悪人ではなく、裏世界の情報を利用し、なんらかの目的を達成しようとしているだけの人間だった。そう、現在のオレと同じように。
助けてもらったのだからと、礼を言うオレにブラッドは『礼を言われるほどのことはしていない』と返してきて、次にはっきりとつぶやいた。
「きみのような子供までがモンスターと戦わなければならないほど、この世にはモンスターと争いが満ちているのか……」
つぶやきというにはちょっと長くて、声を小さくもしていなかったが、当時のオレはまったく気に留めていなくて……。
ブラッドはモンスターという存在に尋常ではない嫌悪感と敵対心を抱いていた。そして同時に、モンスターと戦って命を落とさなければならない者がいるという現実に、とても心を痛めても、いた。
答えてはくれないだろうと思いつつも、当時のオレは彼にその理由を尋ねてみた。答えは、意外なほどにあっさりと返ってくる。
ブラッドは10代の頃に家族全員をモンスターに殺されたという。その後、裏世界と関わりを持ったものの、狂うことなく組織のトップとして生きてきた彼の精神はどれほどの強さを持っていたのだろうか。
そして彼は、その日に誓った。自分のような境遇になる人間を少しでも減らそうと。世界からモンスターを出来る限り駆逐し、平和な世界を作ろうと。
それが、彼の目的だった。そして、このブラッドが頭を務めている『暗闇の牙』という組織こそ、クラフェルの言っていた『モンスターを討伐し、それで賞金を得て生計を立てているコミュニティ』だった。
……まあ、確かにまっとうなコミュニティだとはクラフェルも言っていなかったけどさ……。
ともあれ、そのことを抜きにしても、オレはブラッドの考えに――目的に共感した。戦いが避けられない世の中ならば、ブラッドと共に平和な世界を作るために戦いたいと思った。
もちろんブラッドのコミュニティに入ること、彼と共に戦うということが、オレも裏組織の人間になることとイコールだとは気づいていた。それでも、オレは迷わなかった。揺らがなかった。ブラッドの暗に示してくれたのであろう道の正しさを、疑わなかった。
いまにして思えば、ブラッドには天性のカリスマとでもいうものがあったから、あるいはそれに惹かれただけだったのかもしれないけれど。
オレは彼と共に戦いたい気持ちを口にした。彼を助け、モンスターを倒すこと。それがオレの存在意義なのだと信じた。
「――この道は、決して平坦なものではないぞ」
そんなの、承知の上だ。中途半端な覚悟でこんなことを口にはしないし、そもそもオレの覚悟がその程度のものだったのなら、街を出るなんてこともしなかったはずだ。
こうしてオレは裏世界へと足を踏み入れた。そこでは『お宝』に関する情報も多く、『宝探し屋(トレジャー・ハンター)』としても行動した。賞金のかけられたモンスターを倒す以外には、それしか金を稼ぐ方法を思いつけなかった。
もちろん『裏世界の人間』という前提さえ除けば、稼ぎ方はいくらでも思い当たったが、裏世界で生きることにしたオレには出来るはずのないものばかりだった。
だって、そうだろう? 大きな街で商売なんかしていようものなら、いつ裏世界の人間だとばれるかわかったものではない。裏世界の人間が請け負える仕事は、こちらの素性を一切詮索してこない人間からの依頼くらいのものだ。
裏組織『暗闇の牙』でのオレの基本的な任務は、言うまでもなくブラッドの目的を達成するための行動――つまりはモンスターの退治。
決して人を殺す任務は回されなかった。
そして、裏世界で生きるために、オレは誰かを守ろうなどという思考を捨てた。自分のことだけで精一杯で、誰かの身を案じている余裕なんて、なかったから。
自分には誰ひとり守れないと思い知らされても、オレは選んだ道は正しいと信じた。信じるしかなかった。その正しさを疑うことなんて、出来るわけがなかった。それをしてしまえば、オレは裏世界に入ってからのオレのすべてを否定するしかなくなってしまうのだから。
それに、当然のことながら、裏世界には『暗闇の牙』の他にもいくつか組織が存在する。その中でも特に大きな動きを見せているのが『漆黒の爪(ブラック・クロウ)』だ。
『漆黒の爪』はオレが『暗闇の牙』に入ってから2年後――オレが18のときに頭が変わった。そしてその頭の考えなのだろう、『漆黒の爪』はなんと他の裏組織を吸収しようと動き始めた。
なんのためにそんなことを始めたのかはわからない。『漆黒の爪』の頭のことだって、『カオス』という名だということ以外は性別すらも知る者はいない。
ただ、『漆黒の爪』のしようとしていることは、『裏組織すべての支配』。それは同時に『裏世界の征服』をしようとしているとも言える。
それをすることにどんな理由があろうと、『カオス』という人物に比べれば、ブラッドの目的は圧倒的に正しいのだと信じられた。間違っているわけがないと思うことができた。
――でも……でも、裏世界から足を洗えばいいと言われて、正直、わからなくなった。いつだって、心のどこかでは普通の暮らしに憧れを抱いていたのも事実だったし。
普段なら、わからなくなんて、ならなかっただろう。わからなくなったのは、オレがいま、人を殺すことを命じられているから。オレに幸福な時間を与えてくれる人間を殺さなければならない、なんて状況にあるから。
この任務をなんとか終わらせたとしても、オレはまた別の人間の殺しを命じられることになるんじゃないかって、そんな思考をしてしまって、この現実が嫌になって……。
だから、エレンに『裏世界の生活に嫌になったことはある』と洩らしてしまっていた。
本当、オレはどうすればいいのだろう。なにを信じたらいいのだろう。
オレにはもう、この生き方が正しいなんて、信じることは出来なくなってしまっていた――。
メルト・タウンへの帰路についてから三日が経った。
今日中にはサーラの家に着くだろう。そこで彼女からの依頼は終了。同時に、オレは彼女の命を狙う人間に戻ることになる。
なぜか、夜毎に感じていた殺気はこの三日間、向けられなかった。あるいはクラフェル、オレの性格から状況を理解してくれたのかもしれない。まあ、ぐっすり眠れたのだから、文句はなにひとつないのだけれど。
しかし、殺気を向けられていたのが日常になりつつあっただけに、なんだか落ち着かなかったのもまた事実だった。
オレの少し前を歩いていたサーラが立ち止まり、こちらを振り向く。
「――もうすぐメルト・タウンに着くね」
「あ、ああ。……そうだな」
複雑な心持ちで答えるオレ。
「着いたらファルカスともお別れ、かな?」
「まあ、そりゃ、そうなるだろうな」
オレからしてみれば、サーラと別れてからが重要なのだが。絶対に彼女のところにもう一度会いにいかなければならないのだし。
「わたしとしては、メルト・タウンに着く前に、問題は全部かたづけておきたいんだよね……」
「――え?」
…………?
「町の中で戦いたくはないからね。町の人が怪我することになったら嫌だから」
……っ!? ……まさか、ばれてるのか? オレの正体……。
しばし見詰め合うオレとサーラ。オレはただただ絶句しながら。彼女はどこか、寂しそうに。
やがて、サーラの唇が静かに動く。
「――ここで引く気はない? わたしはファルカスと戦いたくないから。……まあ、あんなことやっておいて、なにをいまさらって感じだけど」
「『あんなことやっておいて』って……、どういうことだ……?」
「……あれ? ファルカス、気づいてなかったんだ」
「――わたし、何度もファルカスを殺そうとしたんだよ?」
……いま彼女、なんて言った……? オレを……殺そうと……? 冗談だろう……?
「……まあ、結局はどれも失敗に終わっちゃったけどね。でも、いまはそれでよかったとも思ってる」
呆然とするオレに彼女は静かに続けてくる。
「ファルカスの素性を知ったのは、あなたがわたしのところに来たとき。殺しに来たときじゃなくて、怪我を治しに来たとき。そのときに心を読ませてもらったんだよ。わたしのオリジナルの術、通心波(テレパシー)で、ね」
「……そんなことが――」
「出来るんだよ。少なくとも、わたしには。……まあ、精神をかなり集中させないといけないから、身体を動かしながらやるのとかは難しいんだけどね」
サーラの言葉を正しいとするなら、彼女はオレの正体を初めから知っていたことになる。……そうだ。あのときオレ、もっと早い段階で治療は終わっていたんじゃあ、って、そう、思ったじゃないか……。じゃあ、あれか? あのとき、サーラは治療が終わったことをオレに告げずに、オレの心を読んでいたと、そういうことなのか……? 呪文を唱えながら<通心波(テレパシー)>とやらは使えないから……?
そしてオレは、彼女がオレにボディー・ガードを頼んできた本当の理由にも気づいた。彼女は戦い慣れしている。弱い人間じゃあ、ない。そしてオレの正体はばれている。なら、オレをボディー・ガードとして雇う理由なんて、ひとつしかないじゃないか……。それは、つまり……
「オレの寝首を掻いてやろうって、思ったのか……? ……だから、野宿のときに退魔結界陣(ホーリー・フィールド)も使わなかった……?」
「そう。モンスターが寄ってきて、あなたを殺してくれるのなら、それでもよかった。もっとも、モンスターに期待はしていなかったけどね。あなたがモンスターと乱戦状態になってくれれば、それで充分だったから」
……そうか。おそらく、サーラにとってモンスターの存在は、彼女のオレに向ける殺気を隠すためのものだったのだろう。乱戦になったとき、モンスターと一緒にオレを殺すつもりだったんだ。実際、オレは彼女の使った<岩石降来(ロック・プレス)>に潰されそうになってもいるし。
「そういえばあのとき、エビルオークが放ってくるにしてはあまりにも強烈すぎる殺気も感じたんだったな。それが目を覚ます原因でもあったし」
驚いてばかりいるのは、もうやめよう。オレに得になるようなことはなにもないし、そもそもオレとサーラは敵同士じゃないか。そう思い、肩をすくめてみせたオレに、サーラが口元だけで微笑んでみせる。
「そうだね。まさかわたしの殺気にあそこまで敏感に反応されるとは思わなかったよ」
「オレはあれ、てっきりオレのお仲間のものだとばかり思っていたんだが……」
「まあ、自分が守る立場の人が命を狙っているなんて、そう簡単には想像できないだろうしね」
あのエビルオークとの戦いのとき、オレは彼女の『気』の強さに驚いた。余波でさえこれほどのものになるなんて、と。でも、それは違ったのだ。あの殺気はオレに向けられていた。つまり、あれは余波なんかじゃなかったんだ。
「狙いのつけやすい、波動として撃ちだす術を使わなかったのも、オレを殺そうとしていることを悟られないためだったんだな」
サーラは、オレがかわしきってしまう可能性があるにもかかわらず、敢えて<岩石降来(ロック・プレス)>を使ってきた。あれなら殺気は分散されるから。波動として撃ちだす術は殺気が狙ったところのみに収束してしまう。その状態でオレが彼女の術をかわすことがあれば、言い訳は通用しない。モンスターを倒したあと、オレと正面きって戦うことに絶対なる。かわされる可能性があっても、ある程度、運に任せる術を使うしかなかったんだ。
「わたし、自分の実力はわかっているつもりだからね。真っ正面からあなたに戦いを挑む気は、これっぽっちもなかったんだよ。それに、『裏世界の人間であるファルカス』には訊きたいこともあったから、負傷させられれば殺せなくてもいいとも思っていた。幸い、ファルカスは回復呪文が使えないしね」
彼女、オレが回復呪文を使えないことまでお見通しか。話した覚えはないっていうのに。これも<通心波(テレパシー)>とやらで読みとったのだろう。そういえばいまの会話、端から聞いている人には脈絡のないものになっている気もする。これもやはり、サーラがオレの思考を読みとりながら話しているからだろうな。
……あれ? そういえば、どうして二日目のときからは使うようにしたんだ? <退魔結界陣(ホーリー・フィールド)>。
またオレの心を読んだのだろう。サーラが片手で回復の杖(ヒール・ロッド)をもてあそぶようにしながら口を開く。
「ああ、それはファルカスが『退魔結界陣(ホーリー・フィールド)は使えないのか?』って訊いてきたからだよ。これを使えない僧侶なんて不自然なことこのうえないでしょ? 不自然に思われないに越したことはないからね」
「……なるほど」
「――それで、どうする? ファルカス」
口元を引き締めて、サーラが問うてくる。
……わかっていた、その問いがくることは。
「ここで引いて、二度とわたしに関わらないか、それとも――」
答えは決まっている。オレは過去のオレを――裏世界に入ってからいまに至るまでのオレを否定するわけにはいかないから。もう、裏世界に入る前のオレには、戻れないから。
「いま、ここでわたしと戦って、決着をつけるか」
サーラの言葉が、残酷なまでに現実を突きつけてくる。どちらを選ぶかなんて、オレにはもう、決まっていたから。だから残酷に聞こえるのだろう。
オレは腰からエアブレードを抜き放つ。それが、答えのつもりだった。サーラが嘆息してオレから距離をとる。
「お互いに殺そうとしていたんだから、どっちが勝っても恨みっこなし。それでいいよね?」
「――ああ」
杖を構えるサーラに答えるオレ。――と、しかしその前に。
「そうだ。ちょっと訊くが、いいか?」
攻撃のタイミングを見計らいながら、サーラに呪文詠唱の時間を与えない意味でも、オレは彼女に問う。
「お前がオレを殺そうとしていたのはわかった。フロート・シティでシャレにならない威力の術を飛ばしてきたところをみるに、それは間違いないんだろう」
デルクの家に向かっていたあのときに感じた殺気は、野宿していたときに感じたそれと同じものだった。それはつまり、そういうことなのだろう。しかし――
「けど、なんで一日経つごとに殺気を弱めたりしたんだ?」
「それは……、それは、ファルカスの人柄とか、そういうのを下手に知ってしまったからだよ……。ファルカスの考えを知れば知るほど、殺気を向けるのが難しくなった。実際、さっき言ったでしょ? わたしはファルカスと戦いたくないって。このメルト・タウンへの帰路でまったく殺気を向けなかったのも、出来ることなら戦いたくないって、思うようになったからだよ」
オレから距離をとりながら、サーラは続ける。
「もちろん、裏世界の人間を憎いって思う気持ちは、いまでも変わらない。――知ってるでしょ? わたしの両親のこと」
「……ああ」
サーラを殺すように命じられたときのことを思いだす。サーラの両親は確か、封魔戦争のときに戦死したはずだ。戦争の原因になった魔法の品を隠して。
「裏世界の人間によって、殺された。裏世界にいたせいで、殺された。わたしが11歳のときに、ね。一体誰が殺したのか、なんで殺されることになったのか、それがわたしがあなたに聞きたかったこと。とりあえず、ファルカスの心を読ませてもらって、『なんで殺されることになったのか』はわかったけどね。『誰が殺したのか』はあなたも知らないようだし……。それでも、わたしの両親のことに直接は関わっていなくても、ファルカスのこと、憎いって、思った。いつか裏世界からわたしを殺そうとする人が来るって予想はついていたから、返り討ちにしてやるって、思ってた」
「それで、オレを殺そうとしていたってわけか。――まあ、文句は言えないけどさ……」
「でも、その意志はどんどん薄れていった。あなたが人の命をなんとも思わない、最低な人間なら話は別だったと思う。でも、そうじゃなかったから……」
目を伏せるサーラ。オレはなぜかいたたまれなくなって、話の方向性を逸らす。
「それにしても、いまさらオレと一対一で戦おうなんてな。自分の実力はわかってるんじゃなかったのか」
「もちろん、わかってるよ。普段のファルカスにならともかく、いまの――自分がどうするべきか迷っているあなたになら、そう簡単には、負けない」
言って呪文の詠唱を始めるサーラ。それは戦闘開始の合図。オレは急いで彼女との間合いを詰めるべく走り出す!
まずは彼女の呪文詠唱を中断させるのが先決。剣の届く間合いに入り、詠唱を途切れさせ、あとは一気に斬り伏せる。しかし、当然その戦法はサーラに読まれているはず。なら当然、呪文を唱えながらオレから距離をとろうとするはず。
彼女は呪文の詠唱を続けながら、オレの読みどおりに後ろに――退かない!?
サーラの『気』が膨れあがり、オレはほとんど無意識に足を止める。同時に彼女は自ら呪文を中断して、手にしている杖をぶんと振る!
「破魔光陣(はまこうじん)!」
彼女を中心に、杖が円を描くように一回転。初めてこれを見た人間は、ただ杖で打ち据えるだけの技だと思うかもしれないが、無論そんなわけはなく。
「――っ!?」
――かすかに。本当にかすかにだが、オレの精神がきしむ。思わず座り込みたくなるような、とまではいかない、かなり低いダメージ量でしかない。オレの着込んでいる鎧は、そういった精神へのダメージを軽減してくれる『魔法の防具(マジック・ガーダー)』なのだから、ダメージそのものは普通にこの技をくらったときよりもさらに低い。しかし、いくらかすかにとはいえ、ダメージがある以上は隙を生むこと、動きを止めてしまうことになるわけで。
そうしているうちに、サーラはオレから距離をとりつつ改めて呪文詠唱に入っていた。……くそっ! こっちの読みを逆手にとられたか!
詠唱時間の短い術でも唱えてみようかと考えてみるものの、彼女がさっき使った『破魔光陣』は本来、描いた円の中にいる存在の呪文耐性を上げるものだ。精神への攻撃はあくまで副次的な効果。……結局、肉弾戦でなんとかするしかないな。あるいは物理的な威力を持つ精霊魔術でいくか。
戦法を練り直し、オレは再びサーラへと向かう。といっても、たいした策なんてありはしない。駆けながらも呪文を詠唱、彼女の詠唱が終わる前に間合いに入ることが出来るなら、詠唱は中断して攻撃。出来ないのならサーラの術をかわして、カウンター気味に術を放つ。――それだけしか考えていない。
やはり、というべきか、先に呪文を完成させたのはサーラのほうだった。剣の届く間合いには至らない。彼女が杖を持っていない左手を、軽く宙にかかげる。
そう。まるで『いまから術を放つぞ』と告げるかのように。
「断罪の光(デマイズ・レイ)!」
瞬間、背筋に震えが走り、反射的にオレは左へと転がるようにして移動し、地面に身を伏せた。刹那、オレが立っていた場所に蒼白い光の柱が降り注ぐ!
それは地面を少しばかり焦がし、消失した。あれなら当たっていても、よほど運がない限り、おそらく死にはしなかっただろう。そして、意識的に術の威力をセーブしたという事実が、彼女の戦意の低さを表していた。
それに思うところがないわけではないが、オレは余計な思考を振り払おうと、伏せた姿勢そのままで唱え終えた術を放つ!
「炎衝放射(ライジング・サン)!」
サーラに向けてかざした掌から繰り出したのは、肌がちりつく程度の威力しかない熱風圧!
むろん直撃してもダメージなんて与えられるものではない。しかしこの術は、相手に吸い込ませることによって真価を発揮する。肌がちりつくほどの熱気を吸い込めば、確実に肺を灼き、致命傷を負わせることが出来るのだから。
それを知っているのだろう。上昇する軌道を描くこの術が、自分を直撃するルートで迫ってきているとわかっただろうに、サーラはその場を動かずに目を閉じて息を止めた。――そう。今度こそオレの読みどおりに。
――まずは……呪文を封じさせてもらう!
立ち上がって剣の届く間合いまで一気に詰める! そして――
「封魔無詠剣(ふうまむえいけん)!」
みねうちで相手の喉を打ち据え、声を出せなくする技だ。とりあえずはこれでサーラの術を封じる!
しかし、まるでオレがこの技を放つと読んでいたかのように。サーラは上半身をわずかにのけぞらせて、鮮やかにかわしてみせた。当然、目は瞑った、そのままで。
……なんでだ? なんでことごとくこっちの攻撃手段を読まれる? 常に冷静に対処される? そりゃ、オレは割とパターンに沿った攻撃をしているとは思うが、ここまでかわされ続けるなんて……。
そこまで考えて、気がついた。
「――通心波(テレパシー)……」
オレのつぶやきに、バックステップで距離をとったサーラがこくりとうなずく。
「実際に通心波(テレパシー)を使って読んだのは、封魔無詠剣を使ってくるときだけだったけどね。――破魔光陣っ!」
声を張りあげて杖を振るうサーラ。間抜けにもそれに引っかかってしまうオレ。……くそっ、マズい……!
オレからおおきく距離をとろうと走りながら、サーラは呪文を唱えている。それはわかっているのだが、しかし、瞬時に追うことは出来なかった。また、出来たとしてもそうはしなかっただろう。先ほどと同じように、カウンターを狙ったほうがまだ勝機がある。彼女に『破魔光陣』がある以上、深追いは禁物だ。
その場に止まったまま、オレは呪文を唱えようと――……やめた。
「精神裂槍(ホーリー・ランス)っ!」
サーラの放った蒼白い光の槍がこちらへと迫ってくる。それが、やけにゆっくりと感じられた。
……もう、いいじゃないか。ここで頑張って何の得がある? サーラを殺して『暗闇の牙』に戻ったって、また人を殺すことになる可能性は大だ。それならいっそのこと、ここで『終わり』になったって、いいじゃないか。
オレの胸元に直撃する<精神裂槍(ホーリー・ランス)>。それに、思いっきり吹っ飛ばされる。同時に身体を包む倦怠感。気だるさ。もういいや、という感情。
どうやら、オレはまだ生きているようだ。ものをまともに考えられるのだから。けど、どうせこの先も光なんて見えない人生なんだ。いっそ、ひと思いに殺して欲しかった。彼女に殺されるのはきっと、悪い『終わり』ではないだろうから。正直、いまとなっては、『魔法の防具』である鎧を着ていることが悔やまれて仕方がなかった。
別に、起きあがれないわけじゃない。やっぱりいまの術も、だいぶ威力をセーブしてあったようだから。そして、彼女が威力をセーブしてばかりいる理由も、わからないではない。誰であろうと、自分の命を狙ってやってきた暗殺者であろうと、やはり殺したくはないのだろう。オレの人柄とか、そういうのを知ってしまったから、なおさら。
正直、オレにだってもう、彼女を殺そうなんて気はない。実際、彼女と顔を合わせてしまった段階で、オレに彼女を殺すなんてこと、出来なくなってしまっていたのだろう。顔を見たら殺すのを躊躇ってしまうと思ったからこそ、オレは最初、彼女の家に忍び込んだのだから。どんな奴なのかも確かめずに殺すことにしていたのだから。
いや、そもそも、だ。おれはさっきから、彼女と本気で戦っていただろうか。無意識に手加減してはいなかっただろうか。本当に殺すつもりなら、<炎衝放射(ライジング・サン)>よりも確実で強力な術がいくつもある。『封魔無詠剣』を使うよりも、刃を向けて斬りかかるべきだった。
……なんてことはない。オレは結局、心の底では、人を――サーラを殺すことを拒否していた、それだけのことだ。
そしていまは、ただただ、彼女に殺されたい。彼女の手で、オレを『終わらせて』欲しい。サーラはきっと、オレの裏世界での生き方を否定しないでいてくれるだろうから。オレのような考え方の人間もいたと、心に留めておいてくれるだろうから。それは、オレが確かに存在したという証になるから。
でも、このままじゃ彼女はオレを殺してはくれないだろう。生きろと、言うだろう。サーラは魔法医なのだから、それは当然のことだ。けど、オレのような人間にとっては、それは残酷な言葉でしかない。
気だるさを振り払うように頭を振って立ち上がり、じゃあ、どうしたものかな、と考える。
サーラは一向に攻撃を仕掛けてこない。やはり、オレを殺すつもりはないらしい。それでよく『どっちが勝っても恨みっこなし』なんて言えたもんだ。
しばし、沈黙のときが流れる。サーラは呪文の詠唱もせず、杖を構えたまま。オレは呪文詠唱はおろか、剣すら構えずに突っ立ったまま。――とてもじゃないけど、端からは殺し合いをしている光景には、見えないだろうな……。
沈黙を破ったのは、やはりサーラだった。もはやパターン化した感すらある。
「――もう、やめにしない?」
「そうだな。本当、もう終わりにしたいよ」
「じゃあ、退いてもらえるの?」
杖は油断なく構えたままでサーラは問うてくる。オレの考えなんて<通心波(テレパシー)>ですべてお見通しなのだろうから、敢えて返事はしない。
「……退く気は、ないようだね。でも、どうしてそこまでして、裏世界にいようとするの? 裏世界から足を洗うって選択肢は、存在しないの?」
「……ないさ、そんなの。それに、足を洗ったところで、オレをオレという人間そのままに見てくれる奴が何人いると思う? オレを理解してくれる人間なんて、この世にいると思うか?」
淡々とした問いかけ。答えは――決まっている。オレを理解してくれる人間なんて、いるはずがない。いるのは、オレを利用しようとする奴だけだ。
「――わたしにも、理解できないと思う?」
彼女なら、確かに理解は……してくれるだろう。けれど――
「お前だって結局は、オレを利用していただろう」
忘れたとは言わせない。メルト・タウンを出た日の夜。エビル・オークと戦ったあとのことだ。
「――それは……」
案の定、言葉に詰まるサーラ。しかし少しの間、口をもごもごさせると、予想もしていなかったことを告げてきた。
「確かに、一緒に戦うっていうのは、お互いの力を利用しあっているとも、言えるかもしれないけど……。でもわたしは、そんなつもりじゃ……。……あ、まあ、あのときはわたし、確かにファルカスの命を狙って動いていたわけだけど……」
彼女はどこか寂しげにうつむく。しかし、またすぐに顔を上げ、
「――わたしがファルカスを理解するよ。ファルカスをファルカスとして見るよう、努力もする。だからもう――」
「……わかった風なことを、言うなよ……!」
「わかった風な、じゃなくて、ちゃんとわかってるよ。フロート・シティを出発する前の日に考え込んでたでしょ? ファルカス。夕ご飯のときに」
その言葉に目が潤んだ。なぜかはわからなかったけれど。そして、オレがとる行動は、もう、これしか浮かばなくて……。
「それでも、オレはもう……、戻れないんだよ……!」
いつの間にか目の前にまで来ていたサーラに、オレは泣き叫ぶようにそう言って、地面に向けていた剣を構え直し、思いっきり振りかぶった!
これなら、防衛本能からオレに攻撃をしてくるだろう。そう思っての攻撃だった。なのに――
「――なんで……」
サーラはぴくりとも動かずに、オレの振り下ろした剣を見つめていた。オレの心をふんわりと包み込もうとするように、見つめていた。そして、剣を振ったオレの腕は、刃が彼女の額に着く直前に剣を寸止めしていた。
「なんで……!」
なんで攻撃してくれなかったんだ。なんで避けようとすらしないんだ。そう大声で問いかけてやりたかったが、言葉として出るのは、ただその一言のみ。
しかし、オレの心を読めるサーラには、その問いかけだけで、充分だったのだろう。
「攻撃なんて、出来ないよ。何度も言ってるでしょ? わたしは、ファルカスと戦いたくないって。それに、避ける必要もなかった。だって、いまのファルカスの剣には、私を殺そう、傷つけようっていう意志がまったく感じられなかったもの」
すっ、と。
杖でオレの剣の切っ先を地面に向けさせながら、彼女は続ける。
「ファルカスが裏世界に入る前の自分に戻れないっていうのは、まあ、当然だよね。そのことに苦しむのも、わかる。わたしも、あなたを殺そうと思っていたときの自分を――自分の感情を、なかったことには出来ないから」
「でもね」と、目を細めてオレに微笑みを向けてくるサーラ。それは、とても慈愛に満ちた微笑みで。
「考えを変えることは――自分の間違いを認めて先に進もうとすることは、過去の自分を否定することにはならないよ」
……なん、だって……?
「過去を否定することには……ならない……?」
「だって、そうでしょう? わたしは確かにファルカスを殺そうとしていた。そのためにファルカスと旅をして、ファルカスの心を読んで、そして、ファルカスのことを理解できるようになった」
胸に左手を当て、続けるサーラ。柔らかな笑みを浮かべた、そのままで。
「ファルカスを殺そうとしていたわたしの考えと行動は、いま考えれば間違っていると思う。でも、その『間違い』がなければ、わたしはこうしてファルカスと出会うこともなかった。わたしの『現在(いま)』は、過去のわたしの『間違い』によって成り立っている。――違う?」
「――いや、違わないな……」
「でしょう? わたしがいま、こうしていることが自身の過去を否定しているというのなら、そして、それをわたしが許せないなら、わたしは意地でもあなたを殺さなければならない。そうしなければ、わたしは『未来(これから)』を生きることが出来なくなる。――でも、そんなことはないでしょう? わたしはこうして前を向いている。過去の自分を認めながら、けれどよりいい『未来(これから)』を手に入れようと動いている」
それは、その通りだ。サーラは過去を否定していない。むしろ肯定し、前を向くための糧としている。それに比べて、オレは……。
「結局、オレは逃げていただけ、か。変わろうとすることから。自分の足で立ち、自らの意志で行動することから……」
オレが洩らした言葉に、サーラはからかうような、しかし柔らかい声で応えてくる。
「みたいだね。ファルカスは臆病な子供だったってこと。や〜い、臆病者ぉ〜。子供ぉ〜」
年下の彼女にそう言われてみると、存外、落ち込んでしまうオレがいた……。いじけるようにサーラに背を向けて座り込み、地面に『の』の字を何度も書く。
すると案の定、サーラが心配げな声を出してきた。
「あ、ごめん。そこまで落ち込むとは思ってなくて……」
その言葉に苦笑して、オレはサーラに顔を向けた。
「や、さすがに8割方はふざけてるから」
「じゃあ、2割も本気で落ち込んでたんだ……」
なんか、さらに心配げな表情になってしまうサーラ。……いや、ここは清々しく(?)顔を見合わせて笑うシーンでは?
ああ、なんか、どうしたものかな。放っておくという選択肢もあるにはあるが、それやった日には、なぜかオレの精神ダメージが大きそうだし……。
オレはどう言ってサーラの表情を明るくさせようかと、腕を組んで割と本気で考え始めた。口元に、失って久しかった明るい笑みを浮かべながら。
――――作者のコメント(自己弁護?)
さて、『ザ・スペリオル〜夜明けの大地〜』の第五話、いかがでしたでしょうか?
今回、だいぶ長くなってしまいましたが、退屈せずに面白く読んでいただけたでしょうか? もし、そうだったのなら、嬉しい限りです。
この話は『ザ・スペリオル〜夜明けの大地〜』のもっとも大事な箇所とも言えるところでして、僕もかなり気合いを入れて書きました。いや、もちろん普段は気を抜いて書いているというわけではありませんよ。誤解無きように。
しかし第四話同様、元々原稿用紙に書いたこの作品にはなかったんですよね、ファルカスVSサーラ。本当は戦いながら意見をぶつけ合わせたかったのですが、それはマンガでしか出来ない技法のようでして、このような形になりました。
書き上げたときは、なかなか上手くいったと思ったのですが、よく読んでみると、サーラの論理にはファルカスの考えを変えるほどの力はないよなぁ、と思い当たってみたり。いやはや、小説を書くのはやはり難しいものです(苦笑)。
では、そろそろ今回のサブタイトルの出典を。
今回は『スパイラル〜推理の絆〜』(スクウェア・エニックス刊)の第七十話『あなた達のくらやみで』からです。意味は『ファルカスとサーラ、それぞれの抱く暗闇で』ですね。全然説明になってない気もしますけど……。
さて、ではまた次の小説で会えることを祈りつつ。
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