夜明け前のとき



「――これ、やるよ」

 サーラとの戦闘から十数分後、そのサーラの<神の祝福(ラズラ・ヒール)>によって全快したオレは、メルト・タウンへと歩を進めながら彼女に銀色のペンダントを軽く放り投げた。
 ちなみに、先ほどの戦いでは別にお互い外傷はなかったものの、サーラの<精神裂槍(ホーリー・ランス)>でオレの精神力は思っていた以上に削られていたらしく、さっきまでは気が昂ぶっていたから一度だけ剣を振るうことも出来たわけだが、一度座り込んでからは、まあ、立つ気力もなくなっていて……。
 それをサーラに回復呪文で治してもらったわけだ。

 もっとも、回復呪文ならなんでもよかったわけじゃない。<回復術(ヒーリング)>や<復活術(リスト・レーション)>だと傷は治るが、しょせんはそれだけ。身体的な疲労や消耗した精神力はなんともできない。
 唯一の例外が<神の祝福(ラズラ・ヒール)>なのだ。オレは回復系の術に関しては、ほとんど知識がないのではっきりしたことは言えないが、普通の回復呪文と<神の祝福(ラズラ・ヒール)>は根本的になにかが違うのだろう。いや、もちろん素人の憶測だけど。

 ともあれ、いま話題にすべきなのはそれじゃない。

 サーラはオレの放り投げたペンダントを少し慌てた様子でキャッチし、

「『やるよ』って、これを……?」

 彼女の手の中で夕陽の光を反射して赤く輝く、ユニコーンの姿が彫られている銀色のペンダント。……って、もう陽が沈む時間だったのか。
 無言でうなずくオレに、サーラは怪訝そうな表情を浮かべ、

「治療代なら、もうもらったも同然だよ? この道中の護衛の依頼料と合わせて帳消しだもん」

 帳消しにするつもりだったのか、コイツ。普通、魔法医の請求する治療代よりも高いぞ、護衛の依頼料は。なんせ護衛は場合によっては命を賭ける必要があるし。……いやいや、いまはそこを突っ込むべきじゃないな。
 それにサーラにはそれくらい、いや、それ以上の額を請求する権利があるだろう。実際、コイツには感謝してもしきれないほど、色々な部分を治してもらったわけだし。……なんか、いやらしいイメージを覚えるのはなぜだろう……。

 まあ、つまりは、だ。あのペンダントはそういう、いわゆる『お礼』として渡したものなのだが、そうと正直に言うのも、なんだかなぁ……。

「あ〜、その、なんだ……」

 自然、紡ぐ言葉も歯切れが悪くなる。なんか、なんかいい口実はないか。ペンダントを『お礼』以外の形で渡せる口実は。……そうだ!

「確か、今日だったよな? お前の誕生日って」

「え? うん。覚えててくれたんだ……」

 いや、たったいま記憶を掘り起こして、なんとか思い出したところだ。でも覚えていたってことにしておこう。そのほうがきっと、お互いに幸せだ。

「まあ、だからやるよ。オレが持っていても、どうせ使わないだろうしな」

「……でも、本当にいいの? もらっても。ファルカスが持ってるってことは、これって高価な魔法の品なんじゃないの?」

「…………」

 思わず黙る。……まったく、勘の鋭いヤツだ。
 そう、その通り。オレがただのペンダントなんて持っているわけがない。あのペンダントは『まもりのペンダント』といって、物理攻撃の威力を軽減する魔法の品だ。それも、かなり希少価値の高い。

 もっとも、オレが黙ったのはサーラの鋭さに舌を巻いたからであって、あれを手放すのを惜しんでのことじゃない。……いや、マジで。まあ、オレが言っても説得力ないかもしれないが。

「まあ、要らなかったら捨てるなり壊すなり、好きにしてくれ」

 もし捨てられたら、あとでこっそりと回収しに来よう。壊された場合は、潔く諦めるか……。
 しかし、そんなことを考える必要はなかったようで。

「ううん、要らなくなんかないよ。ありがとう、ファルカス」

 それからサーラはペンダントを首から下げ、

「どう? 似合ってる?」

 にっこりと微笑んでみせる。

「……馬子にも衣装、だな」

 しばしその笑顔に見とれてしまってから、少しぶっきらぼうにそう答えるオレ。間違っても、照れているなどと見抜かれないように。
 素直に認めるのはシャクだが、ペンダントはサーラにすごくよく似合っていた。オレの頬が赤くなっていてもおかしくはないだろう。というか、なっているに違いない。自分の感情は自分が一番よくわかる。本当、いまが夕暮れどきでよかった……。

 サーラはオレの返答に少し不満げにしていたが、数秒してすぐに機嫌をよくした。……コイツ、オレの心を読んだんじゃないだろうな? 気軽に他人の心を読むのはやめろと、町で別れる前に言っておいてやったほうがいいかもしれない。


 メルト・タウンに着いたのは、深夜になってからだった。俗に草木も眠る丑三つどき、と言われる時間だ。
 ちょっと叫ばせてもらってもいいだろうか。『なぜに!?』と。

 普通に旅をすれば、あと数時間は早く着けただろう。それがこんなに遅くなったのは、他でもないサーラのせいである。
 サーラのヤツ、オレという問題を片づけてからは、街道が分かれるその度に違う道を行こうとするのだ。オレ、一体何回コイツを元の道に引き戻したっけ……。

 どうも、これがサーラの『放浪癖』らしい。あっちへふらふら、こっちへふらふら、まったく、危なっかしいヤツだ。オレも一体何度困り果てたことか……。
 ……白状しよう。実は、まったく困ってなんかいなかった。なにしろオレは、これからどうするかをほとんど決めてないに等しいのだから。サーラのせいで時間がかかるのは、オレにとってはとても助かることだったのだ。

 あるいは、そんなオレのためにわざとサーラは時間を食うようなことをしたのだろうか。オレに今後の身の振り方を決める時間を作るために。
 いや、まさかな。とも思ったが、それは充分にありえることだった。

 今夜はサーラの家に泊めてもらうことになっている。といっても、部屋はそれほど多くないので、就寝スペースは屋根裏部屋だ。あの、入った瞬間、サーラに<激流水柱砲(アクアラー・ブラスト)>で吹っ飛ばされた、あの部屋。はっきり言って、あの部屋にいい思い出はないな……。

 もちろん最初、オレは遠慮した。当然だろう。弟子のカレン・レクトアールはサーラの家に住み込んでいるわけでもないそうだし、ということはつまり、サーラ一人で暮らしている家に泊めてもらうことになるわけだ。遠慮しないほうがおかしいと思う。
 しかし、深夜に旅をするのは危険だし、わたしの家が町の中にあるのに野宿することもない、と押し切られてしまったのだ。……まあ、いまからすぐに行動を起こす気にはなれなかったから、ありがたい提案ではあったのだけれど。

 現在の状況やら今後のことやら、色々と考えを巡らしながら、サーラの家へと向かう。つまりは、町の最南端へと。

「――ん?」

 彼女の家がぼんやりと見えるところまでやって来たところで、そこに2つの人影があることに気づいた。さらに家の影にでも隠れているのか、他にも複数の気配を感じる。サーラもそれを察知したのだろう。わずかに表情を硬くする。
 人影が、2つ同時に一歩、こちらに近づいてきた。月明かりに二人の顔が白く照らし出される。

 魔道士姿と闘士姿の男女だった。

 『暗闇の牙』の幹部、クラフェルとルスティン。

 しかし、なぜここに?

 それにおかしいといえばもうひとつ。

 なんで二人は赤いバンダナとマントをつけていない? 『暗闇の牙』の一員であることを示す、二つの品を。

「ずいぶんと遅かったのう、ファルカス」

 誰もが無言でいるなか、最初に口を開いたのはクラフェルだった。

「もっと手早くターゲットを始末し、ワシらに合流してくれるものとばかり思っていたんじゃが……」

 オレの隣にそのターゲットがいるのはわかっているだろうに、クラフェルはそこにはまったく触れずに、

「まあ、ワシとルスティンが家捜しをする時間は稼げたわけじゃから、別に問題はないがの」

「家捜し?」

 オウム返しに訊き返してから気づく。そうか。姿の見えない複数人の気配は家の影からじゃなく、家の中からしているのか、と。

「けどね、見つからないんだ。封魔戦争のときにこの家に隠されたっていう魔法の品」

「……っ!」

 ルスティンの言葉に、サーラが息を呑む。そうか。なんとなくわかってきたぞ。つまりオレにサーラを殺せって命じたのは……。

「その魔法の品を手に入れるためにサーラの存在が邪魔だったってことか? だから殺せなくてもここから遠ざけられれば、それでよかった?」

「別にそういうつもりはなかったけどね。殺せるならそれがベストではあったよ。でも、この状況は悪くないね。いや、ここ何日かずっと家捜しさせてもらってたんだけどさ。これが見つからないのなんのって。一体どこに隠したんだか」

 肩をすくめ、首を横に振るルスティン。それからおもむろにサーラへと話の矛先を向ける。

「教えてもらえないかな? 『あれ』はどこにあるのか」

 対するサーラは額に汗を浮かべ、

「――『あれ』って、なんのことですか?」

「本当に知らないなら、そんな真剣な表情で訊き返したりは、しないよね?」

 沈黙するサーラ。間違いない。サーラは封魔戦争の折に争いの種になったという魔法の品を所持している。もちろん、オレにもどこにあるのかはさっぱりだが……。

「とりあえず、家にはないってわかったけどね。屋根裏部屋にもありゃしなかった」

 しかし、サーラが持ち歩いているようにも――いや、そうか。『まもりのペンダント』のように、装身具の形をした魔法の品かもしれないんだ。

「まあ、そのことは一旦、置いておくとしよう」

 クラフェルが話に割り込んでくる。しかし、魔法の品の話をしようっていうんじゃないのか?

「ファルカス、お前にひとつ、伝えておくことがあるんじゃよ」

「ああ、あのことかい? クラフェル」

 つまらないことを、とでも言いたげなルスティンの表情。しかしそれにかまわず、クラフェルは言葉を紡ぐ。

「ブラッドが死んだ」

「――――」

 ――それは。

 あまりにも唐突で。

 オレは、とっさに返す言葉を見つけられなかった。

「――それは、どういう……?」

 やっと絞り出せた言葉は、そんな意味のないもので。

 それにルスティンは呆れたような口調で、

「死んだんだよ、ブラッドが。エビル・デーモン相手にあっさりと、ね」

 あっさりと……? あのブラッドが……?

「事実じゃよ、ファルカス。――まあ、ワシはこれでよかったと思っとるがの」

 これで、よかった……?

「――それ、どういう意味だよ!?」

 いまとなっては、心からブラッドのしていることが正しいとは思えなくなっているけれど。

 間違っていると、そう思う部分もあるけれど。

 それでも。

 それでもオレは、自然と語気を荒くしてしまっていた。だって、全面的に正しいと思えなくなっただけで、オレはブラッドのなにもかもが間違っているなんて、思ってなかったから。

 クラフェルはオレの心情なんてどうでもいいのだろう、淡々と言葉を続ける。

「単純なことじゃよ。あやつのような巨悪が死んでくれてホッとしているということじゃ。――のう? ルスティン」

 巨悪? ブラッドが?

「ああ、そうだね。――ファルカス、あんたがあいつにどんな感情を抱いていたのか、アタシらにそれはわからない。けどね、ブラッドはあんたを道具としてしか見ていなかったよ。なんせ、あんたが『暗闇の牙』に入るように仕向けたのはブラッドと、あいつから命令を受けたクラフェルだったんだからね」

 ――なん……だって……?

 ショックが大きすぎて返す言葉が見つからない。それを探すかのようにうつむいてあちこちへ視線を向けると、少し伏し目がちにして立つサーラの姿が目に入った。
 クラフェルがルスティンの言葉を継ぐ。

「本当じゃ。あやつとワシは策を練り、お主を組織へと導いた。お主を組織に入れた理由は、自分勝手な行動をしていた一部の下っ端どもを少しでも押さえつけるため。組織にいたほとんどの者は、お主と同じくブラッドのカリスマ性に惹かれて集まっていたわけじゃが、中にはそうではない者もおったからな。そこで、そういった者たちを押さえつけられる人材を必要としたんじゃよ。
 幹部であるワシはこの通りの老いぼれじゃし、もう一人の幹部であるルスティンは女じゃし、威圧感というものがいささか不足していたんじゃ。――疑問を抱かなかったかね? 組織に入ってから一月(ひとつき)足らずで幹部になれたことに」

「…………」

「お主が下っ端を押さえつけられたか否かに関しては議論の余地があるが……。お主はおぬし自身の持っていた実力だけでもそれなりの価値があったからの。まあ、よしとしたんじゃ」

 人の人生を狂わせておいて、なにが『よしとした』だ。
 しかしオレがそう口を開く前に奴は続ける。

「よく考えてみい。お前に信用を植えつけようと、ガルス・シティにいた頃にしょっちゅうお前の相談に乗ってやったのは誰じゃ? 組織のことを教え、街を出ることを提案したのは誰じゃ?
 どちらも、このワシじゃ」

 それすべてがブラッドの『策』だったって、いうのか……?

「お主が街を出た夜、ブラッドの策略は最終段階に入った。あやつが劇的にお主を助けるという、最終段階に。訊くがファルカス、襲ってきたモンスターはお主にとって見たことのない――ガルス帝国では見かけない種族ではなかったか? それに言うまでもないが、ブラッドがお主を助けたタイミングは、実にタイミングがよすぎると思わんか? さらに、じゃ。モンスターが群れずに行動していたのはおかしいと思わんかったか?」

 モンスターは基本、他の生物を襲うときは同種で群れを成す。もちろん例外はあるし、あのときがその例外だったという可能性はなくもないが、オレにはそうは思えない。群れていなかったというのは近くに同種のモンスターがいなかったからに違いない。
 加えてクラフェルは召喚術士。モンスターはおろか、魔族まで召喚できるという。それにオレはあのとき、『視線をいくつか感じた』じゃないか。襲ってきたモンスターはリザードマン一匹だったというのに。

 これらのことが示す答えはひとつ。あのリザードマンはクラフェルが召喚したものなのだろう。おそらく、ブラッドと一緒に近くの木陰に隠れて。

「――嘘だ!」

 その答えを導き出してもなお、オレはそう叫んでいた。でも、頭ではそれが真実なのだと、わかってはいて。
 オレの出した大声は夜の静けさに虚しく溶けて消えていく。

「嘘だというなら、このことはどう説明する? あの戦闘のとき、身体はおろか口まで自由に動かせなかったじゃろう? リザードマンにはそんな能力はないはずじゃ」

 オレはそのクラフェルの言葉である呪文に思い至った。

 ――<不均衡音波(クラッシュ・ノイズ)>。
 黒魔術なのだが直接的な攻撃呪文ではなく、狙った者の神経をマヒさせて身体の自由を奪う術。熟練者が使うそれは口の自由も奪えるという。
 唱えたのはおそらくクラフェル。ブラッドは呪文などひとつも使えなかったハズだから。
 オレの身体や口の自由を奪った理由は容易に想像がつく。この策略はブラッドがオレを劇的に助けるのを終着点としたもの。ならオレが自分でリザードマンを倒してしまえる可能性を完全に潰さなければならない。
 そしてオレを助けた――もとい、助けたフリをしたブラッドは『平和な世界を作りたい』などと語った。

 それが――それが、真実……。

 疑いようないじゃないか。もう……。

 サーラの声が優しくオレの鼓膜を震わせたのは、そのときだった。

「――違うよ、ファルカス。真実は、そうじゃないよ。――そうですよね? クラフェルさん」

 クラフェルを強く見据えるサーラ。それに揺らぐクラフェル。――なんで、クラフェルが揺らぐ……?

「……なんのことじゃ?」

 クラフェルがうろたえていた。16歳になったばかりの小娘が視線を向けた、それだけのことで。いや、それだけ、なのか? オレがいま感じているサーラの気迫は、一体なんだ?

「『暗闇の牙』の頭、ブラッドがやったことはすべて本当。けど、それはすべてあなたに踊らされての行動だった。あなたの提案を実行しただけだった。ブラッドに悪意はなく、いま言っていたことはすべてあなたの企みだった」

 異常なまでの気迫が込められたサーラの視線に気圧されたか、クラフェルが一歩、後退る。同時に無言で地面を杖で軽く叩いた。
 サーラは続ける。

「ブラッドは子供の頃に家族を失ったって、わたしの両親に聞いたことがあるけど、それもあなたの仕業。ブラッドがファルカスにやったことと似たようなことを、あなたはかつてブラッドにやった。
 あなたは最初、自分が組織の頭になろうと思ってた。けど、あなたにはブラッドのような天性のカリスマがなかった」

「――黙れっ!」

 静かに言葉を紡ぐサーラに怒鳴るクラフェル。しかしサーラは意に介した風もない。

「あなたはファルカスとブラッド、二人の人生を狂わせた。そしてそのブラッドを殺したのだって、あなた!」

 ……なん、だって……?

「あなたが最下級魔族――エビル・デーモンを召喚し、殺すよう命じた!」

 言葉を続けるにつれ、サーラの糾弾の声も大きくなる。

「つまるところ、あなたには実力なんてない! いつもなんらかの力を利用して、自分はほとんど動きはしない!」

 活動を完全に停止していたオレの頭が、再び回り始める。

 ――言われてみればそうだ!クラフェルは魔族を召(よ)べるって知ってるオレになら、いまサーラが言ったことくらい想像つきそうなものなのに。
 しかし、サーラはなんでそのことを。……! <通心波(テレパシー)>か! 目を伏せたあたりから使っていたに違いない!

「…………。言ってくれるじゃないか、小娘! 確かにワシには実力はなかった。『なかった』よ! じゃがな――」

 再び杖で地面を叩くクラフェル。同時にサーラの家の中から、あるいは陰から十数人の黒ずくめが飛び出てくる! こいつらは、『暗闇の牙』の下っ端どもか……? しかし、誰ひとり目の焦点が合っていないような……。

「実力がなければ、あやつを殺すことはせんよ。実力がついたから殺したんじゃ。組織の頭になるべく、な! それに、見よ!」

 クラフェルの声に応え、三匹の『それ』が現れた。血のような赤い瞳。筋肉質の黒い身体。バケモノ然とした姿。
 見るのはこれが初めてだが、おそらく間違いないだろう。際下級魔族――エビル・デーモン。
 最下級とはいえ、魔族であることには変わりない。油断は禁物。

「ワシにルスティン、そして組織の下っ端ども。そこにデーモンが三匹も加われば、いかにお主とて勝算はないじゃろう。――もっとも、お主とはあまり、ことを構えたくはないが」

 そのセリフに、オレは試しに言ってみる。無理だろうな、と思いつつ。

「なら、もう放っておいてくれないか? オレにはもう、組織に戻る気はないし」

 過去に縛られないために。
 過去をなかったことにするのではなく、未来への糧として生きていくために。……まあ、はっきり言ってサーラの言葉の受け売りだけどさ。
 しかしクラフェルは、

「そうはいかんよ。お主は裏世界を知りすぎておる。ワシが頭となる組織に居られないというのなら、死んでもらわねば、な」

 ……そうだよなぁ。やっぱりそうなるよなぁ……。

 クラフェルの言葉に応えるように、無言でいたルスティンが一歩、前に出る。

「それじゃ、始めようかね」

 刹那!

 ルスティンは後ろに立っていた黒ずくめに裏拳をかました! それも顔面に。
 その黒ずくめが倒れ伏すと同時に、ルスティンはオレとの間合いを詰めてくる。そして、どこからか銀色のナックルを取り出すと、それを両手にはめて身体を反転。クラフェルたちと向き合った。

「――裏切る気か?」

 低い声で訊くクラフェル。対するルスティンはやたらと明るく返す。

「まっさかぁ。アタシは最初からこうするつもりでいたよ。なんせアタシは本来、『漆黒の爪』の一員なんだから。あんたの組織にいたのは『暗闇の牙』を吸収するためさ。まあ、いまとなってはせめて、壊滅させるしかないかなって思ってるけどね。吸収できないなら滅ぼしておかないと」

 横から口を挟むオレ。いや、茶々を入れる、のほうが正しいか。

「つまりカオスを裏切って、今度はクラフェルを裏切った、と」

「…………。単純に 『表返った』って言ってくんないかな。……ま、いいや。それよりクラフェルっていう共通の敵が出来たことだし、ここはいっちょう共闘といかないかい? ファルカス」

 『NO』と言えない状況で協力を要請してくるのはズルイと思うのはオレだけだろうか……。
 ともあれオレはうなずいて、

「じゃあ、まずは下っ端を全員、気絶させるぞ。命まではとりたくない」

「甘いねぇ、あんた。――でもまあ、そうだね。クラフェルの術で操られているだけだし」

「術って? そんな術があるのか?」

「クラフェルのオリジナルさ。<精神意操(マリオネット)>っていうらしい。それが奴の『実力』ってやつさ」

 他力本願なのは変わらないんだな……。
 それにしても、なるほど。下っ端どもの瞳が虚ろなのは、そのせいか。

 クラフェルが呪文の詠唱を始める。オレも剣を抜いて対抗呪文を――って、おい! その術は!
 クラフェルの唱えている術の効果を詠唱の内容から読みとり、オレは慌てて別の呪文に切り替える。

 一方、オレとクラフェルをよそにルスティンは余裕の表情で戦っていた。一人目の攻撃をかわし、すれ違いざまに拳で一撃。さらに二人、三人と次々地面に這わせていく。刃物も繰り出されたが彼女は紙一重でそれをかわし、すぐさま蹴りを見舞う。
 サーラはというと、オレの隣を離れていない。オレには加勢するつもりだが、裏組織の人間であるルスティンと協力するのはイヤ、といったところか。

 クラフェルが呪文を完成させたのは、ルスティンが八人目の下っ端の顔面を右の拳で打ち抜いたときだった。むろん彼女は無傷。

「核炎球(コア・ブレイク)!」

 クラフェルの周りに5〜6個、赤みを帯びた光球が生み出される。そしてそれらはサーラの家へと直進した! オレの予想したとおりに!

 あの光球ひとつが<爆炎弾(フレア・キャノン)>並の威力を持っていると聞く。そんなものが5個も6個も同時に爆発したら、爆音がすごいことになるだろう。当然、それによって目を覚ますであろう無関係の人間がやってくるはず。
 そうなれば確実に戦いにくくなる。そもそも無関係の人間を巻き込みたいとも思わない。だからオレは複数の光球の前に飛び出し、

「風静振動陣(サイレンス・フィールド)っ!」

 あたりから音を消し去る――正確には、風に干渉して空気の振動を無くす術を使った。
 爆音のほうは消すことが出来たが、そもそもこの術は防御呪文ではないし、空気中の酸素をなくすわけでもない。
 よって、光球はすべて避けることが出来たものの、サーラの家にぶつかったときに生じた余波を食らったし、そのサーラの家では、あちこちから火の手が上がっている。
 この程度で済んでよかったと思うべきか、被害が大きいと見るべきか……。

 一匹のエビル・デーモンが吠えると同時に、十数本の闇の矢が虚空に出現した!

 しかしその闇の矢は、すべてオレに攻撃を仕掛けてきている下っ端を直撃する。

 ……えーっと……?

 そんなことを何度か繰り返しているうちに、『暗闇の牙』の下っ端たちはその数を減じていった。

 残る下っ端は三人。気絶しているのを含めれば五人、か。

「火炎の矢(フレイム・アロー)っ!」

 下っ端のひとりが数本の炎の矢を放つ。――サーラに!

「――荒乱風波(ストーム・トルネード)っ!」

 前もって詠唱しておいたのであろう。彼女は慌てず騒がず、強風を起こす術を使って炎の矢を退けた。

「烈水の矢(アクアラー・アロー)!」

 別の下っ端が、今度は数本の水の矢をサーラに向けて撃ちだす! これは風の術では吹き飛ばせない。それに<荒乱風波(ストーム・トルネード)>の詠唱はまだ終えてもいないだろう。今度こそマズい! 水の矢は貫通力が高く、もし急所に当たったりしたら――

「熱封球(ヒート・ボール)!」

 オレンジ色の光球を放つサーラ。……そうか。迎撃する術を<荒乱風波(ストーム・トルネード)>に限定する必要はないもんな。確か<荒乱風波(ストーム・トルネード)>よりも<熱封球(ヒート・ボール)>のほうが詠唱時間、短かったし。

 光球は水の矢の一本とぶつかると、内に封じられていた熱を開放し、みるみるうちに他の水の矢を全部、蒸発させた。

 ――放っておいても、問題ないかもな、こいつは……。

 しかし本気で放っておくわけにもいかず、オレはサーラのほうへと駆け――

「裂風刃(エアロ・カッター)!」

 下っ端その三が風の刃をサーラに放った!

 オレはサーラのところへ急ぐ! 風の刃がどう見ても、サーラの死角から放たれていたからだ。

「ぐうっ!?」

 彼女の前に飛び出し、風の刃をその身で受ける! 右のふくらはぎが裂け、地がしぶいた。勢いあまって地面に転がる。

 サーラをかばわなければ、もっとマシに戦えたのに、なんでオレはそうしなかったのだろう。『魔法の防具』があるから多少平気だとか考えていたわけではない。大体、いまのは物理的なものだ。ただ、なぜだろう、守らなければと、思った。彼女だけは、守らなければ、と。

 オレは地面に突っ伏し、痛みをこらえながらも思考をめぐらす。やはり、サーラが魔法の品を『まもりのペンダント』以外持っていないというのは、考えものだ。――と、待てよ。ならサーラは両親が手に入れた魔法の品がどこにあるか、知っているよな……? 知っていなかったらそれまでだが、知っているのなら――。

「――サーラ」

 よろよろと起きあがり、サーラに話しかける。

「お前の両親が手に入れたっていう、魔法の品……、どこにあるか、知ってるか……?」

「え? うん。でもどうして……。――そうか。『あれ』があれば物理的なものでも、精神的なものでも大抵は無効化できるはずだから……」

 …………。えっと、そんなものすごい効果のある『魔法の防具』なのか? お前の言う『あれ』っていうのは……。言葉から察するに、『まもりのペンダント』とオレのマジック・アーマーを足した上、その効果をパワーアップさせた感じのもの……?
 呆然としてしまうオレにサーラが微笑んでくる。

「確かに『あれ』があれば有利になりそうだね」

 『有利に』どころか、『無敵に』なるのでは……? 本当にそこまでの効果があるのなら、の話だけどさ。

「けど、すぐに用意、できるのか?」

 痛みをこらえているため、途絶え途絶えに問うオレ。サーラはオレの足元に屈み込みながら、

「うん。多分なんとかできると思うよ。ちょっとだけ時間がかかるかもしれないけど」

「やっぱり、どこかに隠してあるのか……?」

「ん〜、そんなトコ」

「じゃあ、すぐに――」

「焦らない。ファルカスの脚の怪我、なんとかしないとね。悠長に回復呪文をかけてもいられないから……」

 「ん〜」と、少しだけ考える間を置き、サーラは呪文の詠唱を始めた。

「――病傷封(リフレッシュ)」

 これは確か、病気の苦しさや傷の痛みを一定時間マヒさせる、応急処置用の術――。

 脚から痛みが消え、剣を構える。それにしてもこの術、感覚をマヒさせてるってのに、地面を踏みしめる感覚はあるのだから不思議なものだ。痛みだけをマヒさせているのだろうか。いや、待てよ。これ、流れ出る血は止められないんだよな? 血が足りなくなっても大丈夫なのだろうか……。

「じゃあ、取ってくるね」

「ああ。――えっと、なんか、悪かったな。巻き込んで……」

 聞こえるかどうかくらいの声で、ぽつりと洩らす。

「巻き込まれたわけじゃないよ。わたしも組織と関わりあるもん。それに、わたしの持っている魔法の品が狙われているわけだし。――これは過去にわたしの両親がやったことの清算。わたしはそう思ってる」

「…………。そうか。……そうだな」

「じゃあファルカス、頑張って持ちこたえててね」

 炎に包まれている家へと目を向け、軽く息を吸うサーラ。そして、素早く呪文を詠唱。

「風包結界術(ウィンディ・シールド)!」

 風の結界に身を包み、自分の家へと駆けていく。……あの家の中にあるっていうのか?

 オレのほうで残っているのはクラフェルとエビル・デーモン三匹、それと失神中の下っ端ども。
 厄介なのはデーモン三匹だ。最下級とはいえ魔族なのだから、物質を介する地、水、火、風の精霊魔術や物理的な攻撃はほぼ絶対に効かない。
 というのも、魔族というのは己の魔力で精神をこの世界に具現させている存在だからだ。

 魔族を倒す方法は、一応いくつかある。例えば打撃の際に『気』を――精神力を叩き込む。
 しかし、その程度で倒せる奴ならブラッドも殺されはしなかっただろう。この方法は却下。

 他には、神の力を借りた術か、相対している魔族よりも高位の存在に当たる魔族の力を借りた呪文を使う。あ、あと、伝説級の魔道武器を使うっていう方法もある。

 そして、これがもっとも一般的な方法なのだが、精神魔術を使う。
 魔族は早い話が精神生命体みたいなものなのだから、自分の精神力を呪文で増幅して放つ黒魔術か、破邪の力に変えて放つ白魔術を使えばいいわけだ。特に破邪の術は効果大で――。

 ……もしかしたら、サーラを戦線離脱させたのって、マズかったかもしれない。破邪の術は僧侶の得意とするところだし……。思わず頭を抱えるオレ。
 それと同時、拳がなにかを打ち抜いた音がオレの耳に届く。
 振り向いてみると、なんとルスティンがデーモンを一匹、殴り倒していた。

 ルスティンのしているナックル、もしかしてかなり高位の魔道武器だったのか……?
 ともあれ、デーモンは残り二匹。それによく考えれば絶対に倒さなければならないわけじゃない。サーラが戻ってくるまで持ちこたえていればいいだけだ。
 気合いを込め、オレは詠唱を開始した――。

「この世に再び具現(あらわ)れし
 光を統べる聖なる王よ
 我が前に立ち塞がりし存在(もの)の精神に
 大きな歪(ひず)みを生み出し
 精神(うち)から滅ぼさん!」

 左の掌を開き、一匹のエビル・デーモンに向ける。

「精神崩壊(ラズラ・ブラスト)っ!」

 聖蒼の王(ラズライト)スペリオルの力を借りた術の中では最高の威力を持つもので、エビル・デーモン相手に使うのは少々もったいなかったりするのだが、いまはそうも言っていられない。

 オレの声に応え、蒼い柱がエビル・デーモン一匹を包み込み、四散・消滅させる。
 これで二匹目! 残るは――

「魔族召喚(サモン・デモン)!」

 クラフェルがエビル・デーモンを召喚する声が響く!

 それに応え、五匹のエビル・デーモンが新たに現われるのだった――。



――――作者のコメント(自己弁護?)

 『夜明けの大地』、ようやくここまで来ました。第六話です。お楽しみいただけていれば幸いです。

 今回は一気に展開がシリアスになりました。ラストバトル突入です。色々な魔術が飛び交い、人もどんどん死んでいます。まあ、そこはサラッと流しておりますが。
 そして、決着は次回、となっております。『VSクラフェル』がどんな結末を迎えるのか、そしてサーラの持つ『魔法の品』は一体どんなものなのか、ご期待ください。『マテそば』を読んでくださっている方になら、後者は大体想像がつくかもしれませんが(苦笑)。

 しかし、ものすごくギャグが少なくなりましたね、今回。まあ、終わりが近いので当たり前といえば当たり前なのですが。
 あ、あと、ちゃんと戦闘をスピード感あるものとして書けているでしょうか? 実はかなり不安だったりします。

 そうそう、『終わりが近い』と書きましたが、この物語は『スペリオルシリーズ』の中では最初の最初、プロローグにあたる章なのですよね。なので次回は『始まりの終わりの話』となります。『マテそば』を読んでくださっている方になら、ファルカスとサーラがこれからどうなるのか、大体の予想がつくことでしょう。

 では、そろそろ今回のサブタイトルの出典を。
 今回は『ヴァンパイア十字界』(スクウェア・エニックス刊)の第二十七話『夜明け前の時』からです。
 このタイトルには二通りの解釈がありますね。『夜明け前の明るいとき』と『夜明け前のときが一番暗い』というやつ。今回の意味は当然、後者です。前回と比べるとなんか、今回のほうが明るい気もしますけど、とにかく夜明け前のときが一番、暗いのですよ。前回のほうが暗い感じがするのは気のせいです。ええ、きっと……。

 さて、ではまた次の小説でお会いできることを祈りつつ。



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