あざける者の座



 ――メルト・タウンから逃げ出したあの日から、3日ほどが過ぎた日の夜。

「――ここに、こんな形で戻ってくることになるとはな……」

「ボヤいてないで、ほら、早く入りな」

 ルスティンにせっつかれ、老朽化が進んだ城の中へと歩を進める。わざわざ首を巡らせてみなくとも、ワシがあのとき召喚したエビル・デーモンによる破壊の爪あとがあちこちに残っているのが見て取れた。

 しばし言われるがままに城の中を歩き、二階への階段を上る。謁見(えっけん)の間に足を踏み入れると、かつてブラッドが座っていた玉座には、腰かけて脚を組んでいる人間の姿。
 まだ年端もいかぬ子供だった。年齢はどれだけいっていようと、12といったところだろう。短く切り揃えてある金色の髪と青い瞳が端正な顔立ちにマッチしており、どこか神秘的な雰囲気を放っていた。

「どうしてアタシがここに来るってわかったんだい? カオス。……いや、愚問だったか。大方、アンタの能力――『霊視(れいし)』とやらで一部始終を見てたんだろうな」

「そんなに不愉快そうに言わなくてもいいじゃないですかぁ、ルスティンさん」

 ……いま、ルスティンはなんと言った? カオス? この年端もいかぬ子供が裏組織『漆黒の爪(ブラック・クロウ)』の頭だというのか……?

 本気で不機嫌そうなルスティンに、しかしこの年端もいかぬ子供はクスクスと笑いながら返す。

「じゃあ結果報告、お願いしますよ、ルスティンさん」

「結果報告、ね。今回のことを全部見ていたんだったら、必要ないんじゃないのかい? そんなもの」

「とんでもない。ボクだってここ数日、あちこち動き回っていたんですから。なにからなにまでお見通しとはいきませんよぉ」

 どこかバカにしているような口調の、己に『混沌』の名を冠する少年。……いや、少女なのだろうか。端正な顔立ちと、まだ幼さを多分に残している身体つきからは、正直、性別が判然としなかった。
 しかし、幼くともその青い瞳には、大の大人をも容易に屈服させられそうな冷たい色が宿っている。事実、ワシもこのカオスを前に一言も言葉を発せずにいた。

 カオスに口を開くのは常にルスティン。そしてカオスもまた、おそらくはワシと話をしたいと望んではいないのだろう。少なくとも、いま現在は。

「……まったく。じゃあ、端的に報告させてもらうよ。まず、サーラ・クリスメントが隠し持っていたのは『例のもの』じゃあなかった。まあ、貴重なものではあったけれど、ね」

「へえ。ちなみにどんな物でしたかぁ?」

「薄緑色のローブだったよ。持ってる本人は気づいていないようだったけれど、あれは伝説級の魔法の品『魔風神官(プリースト)のローブ』だね。アタシには見間違えようがない」

「おや、どうして断言できるのでしょうかぁ?」

 カオスの問いに、イラついたように舌打ちするルスティン。わかりきっていることをわざわざ説明させるな、とでも言いたげな態度だった。

「アタシには断言できるんだよ。あれは『魔族の遺産』みたいなものだからね」

「なるほどなるほどぉ。ルスティンさんも魔族である以上、わからないはずはないですねぇ。まあ、魔風神官のローブなんて、どうでもよくはありますが」

「なら説明させるなってんだ」

 苛立たしげに頭を掻くルスティン。――いや、人間の女の姿をした魔族。……魔族? ルスティンが、魔族……?

「なに蒼くなってるんだい? クラフェル。安心しな、別に取って食うつもりはないさ」

 ――冗談ではない。ワシはこれまで、魔族と同じ組織にいたというのか……?
 そして、いまもワシはルスティンに、いや、ルスティンとカオスに命を握られて、いる? その気になられたら即座に、殺される?
 いや、そもそも、だ。カオスは人間なのか? 人間が魔族の上に立ち、命令できるものなのか? これはむしろ、ルスティンとカオスがタチの悪い冗談を言い合っているだけ、なんじゃないのか?

「…………。こりゃ、いまはなにを言っても無駄っぽいね」

「いやいや、なかなかに愉快な思考をする方なんですねぇ、クラフェルさんはぁ」

 …………!

 まさか、ワシの思考を読まれている……!?
 バカな、そんなことが出来るはずが――いや、そうか。あの小娘が使っていたのと同じ術を使っているのか。

 そこまで思考を巡らせたところで、カオスがわずかに眉を上げた。

「――ルスティンさん、『小娘が使っていた術』とは? どうも相手の思考を読める術のようですけど」

「ん? ああ、サーラの通心波(テレパシー)のことかい?」

「おそらくはそれかと。……なるほど。この世界にも『霊力』を持つ人間がいるのですねぇ」

「どういうこったい? カオス。アンタは通心波(テレパシー)のことを知ってるのかい?」

「ええ、僕にも同じようなことが出来ますからね。『霊力』を使って、使用者の精神と思考を読みたい相手のそれを『ライン』で繋ぐのですよ。魔術と違って呪文の詠唱は要りませんし、使用者の意思を相手に伝えることも出来ますからね、使い方によってはなかなかに便利な『能力』なのですよ」

「『霊力』とか『ライン』とか、わけのわからない単語を羅列しやがって……。そんなに気になるかい? 通心波(テレパシー)を使う人間のことが」

 ルスティンに問われ、カオスが唇をニヤリと歪ませる。裏世界で生きてきたワシはそういう表情を何度となく見てきたはずだったが、しかしその表情にはなぜか、圧倒された。

「少しばかり。そうですねぇ、余裕と縁があるようなら、会ってみたいですねぇ。あるいはボクの理解者になってくれるかもしれませんし。……いえ、それはありませんね。ボクにとっての理解者はこの世にただひとり、アデルだけですから。アデル以外にボクを理解してくれる人間なんて、欲しくもないですし、いないのですよぉ」

「…………。そうかい。とにかく報告を続けるよ。『例のもの』を探し出す人手に、と吸収を狙っていた『暗闇の牙』は壊滅した。というか、アタシがさせた。……だからって、アタシを恨まないでくれよ。これでも出来る限りのことはしたつもりなんだ」

「恨んだりなんてしませんよぉ。ルスティンさんはよくやってくれました。人手のほうは、まあ、裏世界に存在する別の組織を吸収して増やすとしましょう。――さて、とりあえず報告はこんなものでしょうかぁ?」

「あとひとつ。クラフェルはアタシに捕まえることの出来た、いまのところは唯一の『暗闇の牙』の生き残りさ。まあ、こいつはこれから『例のもの』の探索に動いてもらうとして、だ。ただ、残党はあちこちにいるだろうし、幹部であるファルカスは例のサーラと一緒にいる。――こいつらはどうする? 見つけだして『漆黒の爪』に入れるのかい?」

「いえ、そこまでする必要はないでしょう。あちらから接触してきてくれるようなら、もちろん協力をお願いしたいところですが」

「……協力、ね」

「ええ、協力、です。ルスティンさんもこうして、ボクに協力してくれているでしょう? それと同じことですよぉ」

 カオスの物言いに、ルスティンが面白くなさそうに鼻を鳴らしてみせる。

「同じ、ねぇ。言っておくけど、アタシは地界王(グラウ・マスター)様の命令があるからあんたに従ってるんだよ。そこのところ、勘違いして欲しくないね」

「勘違いはしていませんよぉ。つまりは、ボクに協力してくれているわけでしょう?」

「…………」

 なにを言っても無駄だと悟ったのだろうか、ルスティンが沈黙する。しかし、地界王だと……!? 地界王は確か、魔王――漆黒の王(ブラック・スター)ダーク・リッパーが創りだした、『魔王の翼(デビル・ウイング)』と総称される四体の魔王のうちの一翼(いちよく)ではなかったか!?
 すると、やはりルスティンは魔族ということに……!?

「ともあれルスティンさん、ご報告、ご苦労様です」

「あんたにねぎらってもらっても、嬉しくもなんともないね」

「アハハ。そこは素直に嬉しがっておいてくださいよぉ。――さて、クラフェルさん。少々あなたに話があるのですが、よろしいでしょうかぁ?」

 脚を組み直し、視線をワシへと向けてくるカオス。その瞳を見た瞬間、ワシは自分の意思に関係なく、うなずいてしまっていた。

「さきほどルスティンさんは、ボクの探している『ある物』の探索をあなたにもさせると仰いましたが、あなたの意思を無視して捕虜や奴隷のようにあなたを扱おうとは、ボクは考えません。ボクはあなたの意思を尊重したいのですよ。いいですかぁ? 一番重要なのは、あなたの、意思なのです」

 噛んで含めるような口調。しかし、これならここから逃げ出すことも、あるいは――

「ボクが探しているものがどういうものなのかを教えるのは、あなたがボクに協力すると約束してくれてから、にするとして。どうでしょう? ボクの下で動いてくれませんかぁ? ボクはいま、人手をたくさん必要としているのですよぉ。裏世界の組織を片っぱしから吸収しているのも、『ある物』を探しだすためですし、ね」

「……ワシに、なにをしろと言うんじゃ?」

「その『ある物』の探索を手伝ってほしいだけですよぉ。もちろん、あなたに得のない話ではありません。ボクの興味は裏世界にも組織にもありません。ボクが欲しているのは、いま探している『ある物』だけなのですよぉ。ですので、それらを見つけた際には、ボクの座っているこの座をあなたに差し上げましょう。そしてそれ以降はこの組織――『漆黒の爪』を自由に使っていただいてかまいません。
 ただ、それまでは。ボクの探している物が見つかるまでは、ボクの手足となって動いてください。ボクの命令を、最優先してください」

 頭の奥が、なぜか霞(かすみ)がかったようにボンヤリとしてきた。頭の芯がしびれ、まともな思考力が保てていないのでは、と思えてくる。

 それでも、悪くない条件だと思えた。何年かかるかはわからない。しかし、それでも。ワシが裏世界のトップに立てるときが必ずやってくる。そう、確信できた。カオスの声を耳にしていると、その未来像が圧倒的な現実感を伴って頭の中を埋め尽くしていくのを実感できる。

「いいだろう。――いえ、いいでしょう。して、カオス様の探している『ある物』とは?」

 気づくと、ワシは冷たい石畳に膝をつき、そう返していた。
 年端もいかぬ子供相手にかしこまった言葉を使うのも、今日初めて会ったというのに『我が主』と仰ぐことにも、なんの抵抗も感じない。それこそがおかしいのだと、頭の奥底では気づいているのに。これはまるで、ワシの使った<精神意操(マリオネット)>のようだと、気づいているのに。

「協力してくれるんですね。助かりますよぉ、クラフェルさん。――ボクが探しているのは二振りの魔剣なのです。そのふたつが揃ってこそ意味のある、ね」

「二振りの魔剣……?」

 もっとも有名な、幻とも伝説とも言われている魔道武器(スペリオル)にそういうものがあったことを思い出す。よく、ファルカスが話題にしていたな、と。

 『この世界を創りだした存在』、『全知全能の存在』、はたまた『聖蒼の王(ラズライト)スペリオルと漆黒の王ダーク・リッパーを生み出した存在』と伝説の中で謳われている界王(ワイズマン)ナイトメア。
 その界王は、交わった暁には『ビッグバン』と呼ばれる大爆発が起こり、世界が滅びるという二振りの魔剣を創りだしたという。『聖蒼の剣(スペリオル・ブレード)』と『漆黒の剣(カオス・ブレード)』という名の魔剣を。

 まさか、存在しない可能性のほうが遥かに高い――いや、世界を滅ぼすかもしれない伝説の魔道武器を探しているというのか……?

「いえいえ、クラフェルさん。ボクが探しているのはそちらではありませんよ。ボクは伝説なんかをアテにはしていませんので。ボクが探しているのはですね、炎の魔剣『フランヴェルジュ』と氷の魔剣『ヴォーパルソード』なのですよ」

「フランヴェルジュ? ヴォーパルソード?」

 まったく聞き覚えがなかった。そんなもの、本当に存在するのだろうか。

 ワシが怪訝な表情をしたからなのだろう。カオスはひらひらと手を振ってみせた。ダイヤモンドのはまった指輪がキラリと光る。

「存在するのですよ。なにしろ、1年と少し前まではボクの手元にあったのですから。ただ、ちょっとした事故で失くしてしまいましてねぇ。まあ、あれを事故と呼べるかは、実際、微妙ですが。まあ、そんなわけですので探索のほう、よろしくお願いしますね、クラフェルさん」

「――承知しました」

 深々と頭を下げる。そうして上げたときに見たカオスの冷たい瞳を見て、悟る。ワシはいま、ここにいるべきではないのだ、と。この場から去ることを望まれている、と。

「ルスティンさんも、よろしくお願いしますね」

「はいよ。どうせ逆らえやしないしね」

 ルスティンと会話を再開したことからも、ワシがこの場から消えることを望んでいると理解できた。だからワシはその意のままにこの場から――

「そうですねぇ。どうせいま逆らっても、地界王直属の部下――地闘士(ファイター)であるあなたにはいずれ、地界王から直接、『協力要請』ではなくカオスの指示に従うように、との『命令』がいくでしょうからねぇ。アハハハハハハハハハハ!」

 子供のように無邪気に笑い転げる『漆黒の爪』の頭。その異様な光景に、そしてカオスの口にしたルスティンの正体に、ワシは愕然となり、足を止めた。
 まさか。本当に存在したというのか。魔王の翼がそれぞれ直属の部下とするために創ったという、『地闘士(ファイター)』、『海魔道士(ウィザード)』、『火将軍(ジェネラル)』、『魔風神官(プリースト)』という独自の称号を冠されたという『高位魔族』が。

「どうしましたぁ? クラフェルさん。さあさあ、お疲れでしょう? どうぞ今日はゆっくりと休んでください。もちろん、ルスティンさんも」

 それはつまり、一刻も早く自分の目の前から消えろ、という意味なのだろう。ルスティンにも、報告が終わっているいまとなっては、なんの興味もないらしい。

「言われなくてもそうさせてもらうよ。ただ、ここに寝泊りするつもりはないけどね」

 「じゃあね」とだけ残し、ルスティンの姿は虚空へと溶け消えた。文字通り、カオスの前から『消えた』。もう、ルスティンを魔族ではないと思い込むことはできそうにない。

「ほら、クラフェルさん。早くに休んでおいてください。疲れを明日に残してもらいたくはないですからねぇ」

 ただ目の前から消えて欲しいだけなのだろうが、ワシの身体を気遣うような物言いをするカオス。しかしワシは恐ろしさからなのだろうか、なにを返すでもなく、足を謁見の間の出口へと向けた。動揺しきった心を必死に押さえつけながら。だが押さえつけられないままで。

 謁見の間を出た直後、カオスの笑い声が、あの「アハハハハハハハハ!」という笑い声が再び耳に届いてきた。そしてワシは今更ながら悟る。

 あれは人間が――いや、魔族でさえも逆らってはいけない存在なのだ、と。

「もう少しだ! もう少しなんだ! ようやく手駒が揃ったんだ! 今度こそ帰るんだ! アハハハハハハハハハ!!」

 謁見の間を出てからも、無邪気なカオスの笑い声は長いこと城の中に響いていた――。



 ――『第一章 夜明けの大地』―― 閉幕



――――作者のコメント(自己弁護?)

 敵役の裏を描いた第八話、いかがでしたでしょうか? 楽しんでいただけたなら――いえ、『マテリアルゴースト』や『テイルズ オブ シンフォニア』及び『テイルズ オブ ファンタジア』をご存知の方に驚いていただけたなら、なによりです。もちろん、それらを知らない方にも問題ないように書いたつもりですよ。成功しているかはともかくとして……。

 さて、このお話はいままでのまとめと、これから新キャラ、伝説のアイテムに登場してもらうための下地作りの回となっております。なので短いです。普段の半分くらいです。それなのに執筆時間はそれほど変わらず……。

 ともあれ、明らかになった真実と、まだ闇に隠れている謎。それらが今後の展開にどう影響するのか、それを楽しみにしていただければ幸いです。

 では、そろそろ今回のサブタイトルの出典を。
 今回は『スパイラル〜推理の絆〜』(スクウェア・エニックス刊)の第三十一話からです。意味は、この回の雰囲気から伝わりますよね(笑)。

 これで『夜明けの大地』は閉幕となります。ここまでおつき合いいただき、ありがとうございました。続きは『第二章 魔道士の弟子入り』で。まあ、その前にブログのほうで外伝を書くことになると思いますが。

 では、また次の小説でお会いできることを祈りつつ。



小説置き場に戻る